【第二の世界】
死んだ先に次はない。もしあったとしたら、それはとても辛いことだから。
死の経験。それは糧なんかじゃない呪いだ。死の痛みを持ったまま人は生きることはできない。なぜならば、人は死んでしまえば終わりだから。
もしも、死んだ記憶を、痛みを持ったまま生きる人間がいたとしたら、そんな人間がいるとしたら、化け物か、あるいは狂人か、あるいは―――。
なのはは、どうだったのだろう。
《こ、今度は、何なの……また、痛い……雨?》
高町なのはが再び目覚めたのは、とある雨の中だった。痛みは継続する。いや、正確に言えば痛みはまた別の痛みへと変わっていた。右手が、肘から先の感覚がない。それに、左足もだ。膝から先が無くなってしまっている。それに視界も狭くて痛いというところを見ると、おそらく右目か左目のどちらか片方が失明してしまっているのだろう。
「痛い……痛いよ……」
こんな痛み、普通なら耐えきれないはずの激痛。それでも彼女は前に進んでいた。元相棒を支えにして。
見れば、相棒であったレイジングハートはボロボロで、それを地面に数度突き立てるだけでもパーツが少しずつ落ちていく。
もうレイジングハートには意識はこもっていない。AIであるはずの彼女に意識だとか心だとかというものがあるかなんてわからない。しかし、彼女は自信を持って言える。彼女には確かに心があった。だからこそ、自分のこのゆがんだ復讐劇に賛同してくれたのだ。
彼女もまた、心を痛めていたから。
《ッ! う、嘘……アリサちゃんと、すずかちゃんが……》
突如、意識の中にいるなのはの頭の中に流入してきたのは、この世界のアリサとすずかの記憶。
このせかいのすずかもまた、とある組織に誘拐され、そして同じ場所にいたアリサもまた同じく誘拐されたらしい。違っているところといえば、前の自分と違い、自分にはその情報が流れてこなかったということ。そして、二人が誘拐された場所を突き止めるのに実に半年の月日がかかってしまったということ。
その間に実験は続けられた。一体なんの実験が行われていたかはもうどうでもいいことだ。しかし、あまりにも非合法的、そして非人道的な実験であったということは知っている。
そして、彼らの目的であったすずかに対する実験のほかに、アリサもまた、その非人道的な実験の被害にあっていたという。
二人の誘拐場所を特定したフェイトとはやては急いで彼女たちの救出に向かった。だが、そこで待っていたのは目を覆いたくなるほどの惨状だった。
彼女たちの葬式、そこには二人の体はなかった。フェイトによると、体の変化があまりにも激しくて、一度ミッドチルダの方で荼毘に付した遺骨を持ってきたのだとか。
その言葉を聞いて、なにかを感じたなのはは、ユーノの助けを借りて、時空管理局のデータの奥深くに存在していたその事件のデータを一覧した。そして、その瞬間、彼女は言いようもない叫び声をあげた。
そこには、二人が経験した半年にわたる人体実験の記録がこと細かく記されていたのだ。それは、女性としての尊厳を、人間としての尊厳を、そして生き物としての尊厳を踏みにじったとても人間が考えたものとは思えない実験内容。
そして、フェイトが言っていた自分が到着した時にはすでにアリサとすずかは死んでいたという言葉にも嘘があったことが分かった。
違う、二人を殺したのは。いや、殺さざるを得なかったのは―――。
《やめて! もう、見たくない……見たくないよ!!》
二人を殺したのは、フェイトだ。フェイトが、実験によって人間じゃなくなった二人を殺したのだ。
仕方がなかった。そんなことはわかる。それに人間じゃなくなった二人をそれ以上い切らせることなんてしたくなかった、そんなフェイトの心境もわかる。でも、でも、でも。
なのはは、そのデータの先を見た。そして、決心した。二人をそんな姿に変えた元凶への復讐を。
そして、彼女の復讐劇が始まって四年ほどたったその時、ついに復讐劇に幕を下ろすことができた。その代償が、今のこのケガだ。
「ダメ、まだ……私……」
《ヤメテ、もう、これ以上。早く、病院に行かないと……》
いや、精神の中のなのはもまた分かっていた。この傷は、病院に行った程度でどうこうなる物ではないということを。それに、奇跡的に今命が助かったとしても、大量殺人を犯した自分に待っているのは、極刑である。ならば、最後は自分の思うままの行動をする。それが、彼女が今向かっているところに関係していた。
幸いにも、この日は十年に一度というほどの大雨が海鳴を襲い外にでている人間はだれ一人としていなかった。だから、たとえここで彼女が野垂れ死のうともしばらくのうちは見つからない。
《い、たい……いた、い……痛い……》
この世界のなのはのすべての痛みがダイレクトに押し寄せてくる精神のなのはは、今は痛みに耐えるしか方法はなかった。身体の痛みも、心の痛みも、その全てが、とても痛くて、痛くて、痛くて、それでも彼女は痛みに耐えるしかない。痛みに、痛みに、痛みに。
イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ。
たとえ、耐えきれなくても、たとえ、嫌でも、それでも彼女は耐えるしかなかった。
耐えて、耐えて、耐えて、その先にある死を待つしかない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そして、ついに目的地が見えてきた。彼女が、最後の場所にしようと思っていた。最後に死ぬ場所にしようと心に決めていた。あの場所へ。
「あっ……」
その時、レイジングハートが杖の中心から真っ二つに折れた。あともう少しなのに、後は、この階段を昇ればいいだけなのに、それなのに、こんな、ところ、で。
「なのは……」
その瞬間、彼女の身体を優しく抱きしめてくれた腕があった。もう、二度とその温かさを感じ取れないと思っていた。そんな優しい腕だ。
「フェ、イト、ちゃん……」
「なのはなら、ここに来ると思ってた……」
喪服を着たフェイトは、四年前と比べてかなり成長して、はた目から見ても綺麗になっていた。でも、雨の中傘もささずにいるためにそのきれいな顔も少し台無しだ。その手には花を携えいる。きっと、彼女自分と同じく彼女たちのところに、いやそれだけじゃない。きっと、自分のことを待っていたのだ。すべてをなした後には、きっとこの場所に来ると、そう信じて。
「……肩を貸すよ。一緒に逝こ……」
「うん」
なのははフェイトの肩を借りると一緒に階段を上る。一段ずつ、一段ずつ。その中で、意識を失いそうになることが多々あったけど、それでも上り続ける。一つずつ、一つずつ。
そして、ついになのはたちはたどり着いた。目的としていた、とある石の目の前に。
《ここって、お墓……もしかして、アリサちゃんと、すずか……ちゃんの》
そこは、普通の墓地とはかなり離れた丘の上に作られたお墓。街を一望でき、その先にある海もよく見える、とてもとても見晴らしのいい丘の上。本来の墓地とはまた別に彼女たちのためだけに作られたお墓だった。
フェイトは、そのお墓の前に持ってきた花束をゆっくりと置くと手を合わせる。彼女は、花を買う余裕も時間も、そして立場でもないなのはの代わりに、彼女たちに手向けるための花を用意してくれていたのだ。
その時だ。精神体のなのはは見た。彼女の懐に光るある物を。
《そ……か……》
それですべてを察した精神のなのは。しかし、この世界のなのはにはそんなことに気が付く余裕すらも与えられないでいた。
「アリサ……ちゃん。すずか……ちゃん、仇……とったの……」
いつの日にか、こんな日が来ると信じていた。信じて、自分は地獄への道を歩いてきた。それが今、ようやく達成されたのだ。それが、自己満足であるということは重々承知。そして、その自己満足のせいで《今》死ななくてもいい存在を消してしまったことも重々承知。
けど、全ての罪は自分が背負う。自分が背負い込んで、彼らを殺すことを決心したのだ。はやてやリンディにも、極秘裏に自分が手に入れた情報を横流しした。きっともう、あの連中と、《時空管理局》の手によって悲しむ人間は少なくなるはずだ。
すべては、終わった。もう、自分は、傷つかずに、すむ。
「ううん、まだだよ、なのは……」
「え?」
しかし、そう信じていたなのはの願いは打ち崩されることとなる。
フェイトが、懐に隠し持っていた《出刃包丁》をなのはに差し出すと、言った。
「二人を殺した最後の仇は……ここにいる」
「……」
そう、二人を殺した憎き相手、仇は確かにまだいた。でも、そう思いたくなかった。
彼女だって辛かったはずだ。でも、そうするしかなかった。そうしなければ、二人を止めることはできなかった。二人が、多くの人間を不幸にしていた可能性もあった。だから、彼女は悪くない。
そう思っていたかったのに、なんで。
「お願い、なのは……」
《ダメ、なの……そん、なの》
「私、フェイトちゃん、を……」
まるで、精神のなのはの思いを受け取ったかのようにこの世界のなのはもつぶやいた。そう、たとえ仇であったとしても彼女は自分の親友だ。初めて、自分が魔法で助けた親友だ。そのおかげで、たくさん楽しい思い出を作らせてくれた。とても心強い親友だ。
私の、親友を奪った、憎むべき相手。
違う。違う、違う。
何が違う。なぜ違う。彼女はまごうことなき人殺しだ。自分の親友の命を奪ってなお、のうのうと生き残っている犯罪者だ。
違う。違う違う。
この女も、あの科学者たちと同じだ。いや直接手を下したこの人間は、最も罪深い。
違う違う違う。
殺せ、なのは。殺せ。
違う!違う、ちが、わない―――。
「お願い、なのは……」
「ッ!」
必死に否定するなのはに、フェイトはその手に包丁を握らせ、自らの心臓にその刃先を当てた。
もう、フェイトはあと数センチの命。もう少し包丁を進めれば、フェイトの命なんて簡単に奪えてしまう。
今までに出会ってきた仇たちからしてみれば、何ともたやすい殺人であろうか。
「もう私、悪夢を見たくないの」
「ッ……」
「ずっとずっと、後悔してきた。自分のことが許せなかった。二人を殺してしまった自分の事が、許せなかった! だから……お願い、私も二人のところに連れてって、なのは……」
「ッ!」
果たして、その涙は雨によるものだったのか。今の彼女いは理解できない。理解できないところまで心が壊れていた。もう、彼女自身にはどうすることもできない。
できることといえば、そう。
親友の願いをかなえてあげることくらい。
だから、彼女は選択した。決心した。勇気を振り絞ることにした。
「グッ!」
親友殺しという、二度と味わいたくはないコールタールの海に沈むかのような苦い、経験。
「ありが、とう、なのは……」
「フェ、イトちゃん……」
フェイトは、なのはに倒れ掛かる。胸に刺さった包丁は、その衝撃でさらに進み、もう決してに抜くことができない深さにまで到達した。
抱きつきたかったのだろうか。死という痛みに耐えたいがために、彼女をぬくもりを欲したのだろうか。死の淵にいるフェイトが、そんなことを考えていたかどうかは定かではない。しかしなのはがフェイトの体重を支えきれなくなり、倒れこんでしまったのは確かだ。
彼女はこんなに軽かっただろうか。こんなに、痩せていただろうか。彼女が悪夢で目が覚めるというのは本当だったのかもしれない。夜も友達を殺した悪夢にさいなまれて、食事ものどを通ることがなかったのかもしれない。
もし、そうだったら。自分はまた、親友を救ったということになるのだろうか。親友を、悪夢にうなされる日々から救った、そういうことに。
いや、いくら綺麗ごとを並べたとて自分がしたことはただの殺人。ただただ彼女の命を奪ったにすぎない。自分を英雄扱いしようとしても、全て無駄なこと。
次第に、フェイトの体から力が抜けていくのを感じる。これは、自分が今まで何回も経験したこと。尽きようとしているのだ。フェイトの、命が。
その前に、最後にこの言葉だけは彼女に送ろう。そう決めたなのはは彼女の耳元で囁くように言った。
「謝りに、逝こうアリサちゃんや、すずかちゃんに」
「ッ、うん、なの……は」
フェイト・T・ハラオウンは死んだ。最後の最後、なのはの言葉によって、絶望を感じながら。
《あなたは、それで、満足……なの?》
親友が、親友を殺したのだと認めて。彼女の罪を再認識させて。そして、復讐でその手を黒く染めて。それで本当に満足だったのか。
自分のようにかなしむ人間がふえて、それで得た高揚感に、意味はあるのか。
《高町、なの、は……》
まぁ、そんなこと彼女と一緒に死ぬ自分には、関係のないことだったのかもしれないが。
丘の上に、小さな四つのお墓が置いてある。たった四つしかないけど、でも毎年たくさんの人間が墓参りにきていた。中でも、春にはその多くが何度も足を運んでいて、そのたびにとある花をお墓の近くに植えているらしい。そうして、何年かしたら寂しかったお墓も、その特別な花で埋め尽くされてとてもとてもきれいに見えるようになった。まるで彼女たちが寂しくないように、彼女たちを温かく包み込むように。
その、花の名前は―――。
【第三の世界】
【第四の世界】
【第五の世界】
【第六】
【第七】
【第八】
【第九】
【第七百八の世界】
【第八百六十五の世界】
《嫌……》
【第九百四十五の世界】
《嫌……嫌……》
【第】
《もう、やめて!!!!!!》
【第二千百六十六の世界】
「やめてぇぇぇぇぇ!!!!!!」