仮面ライダーディケイド エクストラ   作:牢吏川波実

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 この展開、当初から決まっていましたがタイミングを急遽ずらしました。理由は書いているうちにそうなったから。


IS〈インフィニット・ストラトス〉の世界2-19

 あの日は、私の人生の中でも最大の汚点であり、屈辱的な一日となった。

 ISを使用した初めての世界大会。その、二回目のモンド・グロッソ決勝戦が行われるその日、あの日から私たちの人生は狂い始めた。

 会場の周りは多くの人がひしめきあいながらも、目の前にあるスタジアムへと次々と足を踏み入れていた。

 全ては、この第二回モンド・グロッソの決勝戦を観戦するため。

 引いては、第一回の優勝者でありブリュンヒルデたる織斑千冬を見るために。

 観客がスタジアムに入ればはいる程に熱気が高まってくる。

 もう、試合が始まるのが待ちきれないといった感じに見えるが、まだ試合が始まるまでニ時間近くの余裕があった。

 そんな中で織斑千冬は会場の控え室てずっと携帯を持ってある人物からのメールを待っていた。

 一夏から連絡が来ないのだ。いつもであれば、応援に来た、頑張れとメールの一つもよこしてくれるはずなのに、一切の音沙汰もない。

 別にあるゲームのように応援されることによって自分自身のステータスが上がるわけでもないし、自分はただ自分のするべきことをするだけだから、メールが来る来ないで何かが変わるわけでもない。

 だが、最愛のたった一人の弟からの言葉は、例え文字だけだったとしても自分に力と勇気という、不確かだが確かに存在するものを与えてくれていた。

 携帯の充電が切れたのか。いや、彼が宿泊しているホテルとこの会場の間は一時間もかからない日本政府が用意してくれた物だ。そんなことあるわけがない。

 一夏の携帯に電話をかけてみたのだが、一夏の携帯は繋がることなく切れる。

 一夏の身に、何かよからぬことが起こったというのか。事故か、事件か、あるいは寝坊か。嫌な予感が頭の中で駆け巡っている中で寝坊などという一番馬鹿馬鹿しい理由を考えるのは彼女なりの防衛手段であると考えよう。

 弟のことを考えると気が気ではない千冬は、大会の主催者が用意した部屋の中をグルグルと回っていた、

 いつも冷静沈着で、何事にも動じないような表の性格ばかり見ている者にとってはあまりにも異質に見える光景。しかし、それが彼女の本当姿であるのだ。いや、親兄弟を持つ者であったのならば彼女の心境を察することは容易であろう。

 例え、鋼の心臓を持っていようとも。例えどれだけ冷静であると装っていても、自分と血のつながりのある人間に何かあったかもしれないのならば動じないような冷たい人間などいるはずがない。ブリュンヒルデ織斑千冬は、その瞬間ただただ弟の身を案じるだけの普通の姉としてそこにいたのだ。

 考えていてもらちが明かない。外の空気を吸って気分を落ち着かせよう。部屋を出た千冬は、少しだけ離れた場所にあるテラスへと向かった。

 ふと、外を見ると飛行船が浮かんでいた。そこには、あと一時間弱で始まるモンド・グロッソ決勝戦の宣伝の映像が浮かんでいた。

 

「モンド・グロッソ……ブリュンヒルデ……か」

 

 ブリュンヒルデ、モンド・グロッソ総合優勝者へ与えられるIS乗りの中でも一番名誉のある称号。最強であるという証。だが、はっきりと言ってしまえば、彼女はブリュンヒルデという称号には興味がなかった。もちろん、モンド・グロッソという物にも。

 大体、そのような大会に出ても出なくても、自分自身の評価は変わらない。ただの人間、それだけで十分だったからだ。

 しかし、それでも織斑千冬はインフィニット・ストラトス乗りの世界大会たるモンド・グロッソに日本代表として出場した。

 理由はたった一つ。罪滅ぼしのためだ。

 その時から数えること数年前、自分は親友の作ったISを使って日本に飛来しようとしていた核ミサイルを全て破壊した。

 核ミサイルは、親友が世界中のシステムをハッキングして発射した物であったため、端的に言えば自作自演。インフィニット・ストラトスという兵器を世界にアピールするために行ったデモンストレーションだ。

 だから、罪があるとすればテロを企て、実行に移した親友に全てがある。それは正しい。

 だが、その親友の計画を知っていたのにも関わらず、それを止められなかった時点で、自分は同罪だった。

 だから、自分も罪をかぶることにした。ISの力であれば普通に逃げ切れたはずであったというのに、逃げる途中に世界中の軍用機の大半を無力化したのは、自分自身にも罪を作るため。罪は自分にもあると自分自身に刻み込むため。

 だが、結果的にそれがISの戦略兵器たる側面を顕著に表してしまった。ISは、軍用機をほぼ無傷で無力化させられるほどの超兵器であると世界中に示してしまったのだ。

 ただ核ミサイルを無力化させるだけだったら、まだ平和利用に繋がるという道を世界が切り開いてくれていたのかもしれない。だから、それを軍事兵器へと転用できるとしてしまったのは、自分のしでかした行いによる罪。

 決して逃げることが出来ない、目を背けてはいけない。親友の夢を汚した自分自身の罪。

 他方に渡った根回しによって、何とかISの軍事転用はま逃れた物の、それでもまだISが人殺しの兵器として扱われる恐れはあった。いや、もしかすると裏の世界ではすでに誰かを傷つけるために使われているのかもしれない。

 そんな時、彼女の眼に入ってきたのは、すでにスポーツ競技に名を連ねていたISの世界大会、モンド・グロッソの開催。

 これは、チャンスだと思った。ISという機械の多機能性と、軍事兵器では収まらない平和利用が出来る物であると改めて世界にアピールするチャンスなのだと。

 事実、第一回大会で優勝した後、世界は変わった。まぁ、変わった理由は彼女自身でも予想していなかった物二つがかかわっていたためだったのだが。

 まず一つ目が、女尊男卑という社会システムの躍進。

 そして、もう一つが織斑千冬という絶対王者の存在。

 織斑千冬という目標が、多くのIS乗りを生み出し、千冬のようになりたい、千冬のようにISを操りたいと願う人間を、そして千冬を超えたいと願う人間を、ISをもっと上手に乗りこなしたいという願いを生み出していった。

 結果、この第二回モンド・グロッソは前回大会より参加者が三倍増加となり、また軍事利用のために研究していた諸々の軍事会社の大手もいくつかが民間兵器会社へと鞍替えし、結果的にISも関係がなかった世界中の戦争のいくつかが終結したのは、千冬もあまりにもできすぎだと苦笑いを浮かべるしかなかった。

 本当に単純だこの世界は。ただISという兵器が生まれただけでここまで変わるなんて。本当に単純で、そして馬鹿ばかりである。

 そして、そんな悪態をついている自分が一番の大バカ者なのではあるが。

 千冬が、そんな風に自分を嘲笑った時である。思いもよらない言葉が聞こえてきた。

 

『千冬さんの弟が誘拐されただと!?』

「ッ!」

 

 弟が、一夏がが誘拐された。一体、どういうことだ。寝耳に水なその言葉に、思考が一瞬だけ停止した千冬であるが、すぐに立ち直りその言葉が聞こえてきた場所を探す。

 そして、それは自分のサポートチーム、ISの整備士たちの部屋から聞こえてきた物だと分かったのはすぐのことだ。

 千冬は、ドアに耳を接して中の会話を聞こうとする。

 

『声が大きい、千冬さんに聞こえたらどうする!』

『す、すみません。けど、本当なんですか?』

『日本政府から送られてき確かな情報だ。まず、間違いはないだろう……』

『そんな……』

『犯人からの要求は、身代金、それから織斑千冬の第二回モンド・グロッソの出場辞退だそうだ』

「出場辞退……」

 

 曰く、一夏はここに来る最中に何者かによって誘拐された。

 曰く、日本政府は要求を完全に無視、織斑千冬には一夏のことを伝えるなと達しが出た。

 曰く、もし千冬がそのことを知れば直にモンド・グロッソ出場を辞退し、弟を探すために会場を出てしまうだろう。

 曰く、日本政府は織斑一夏の命と日本という国の力の誇示を天秤にかけ、国の方を取った。

 

「ふざけるなッ……」

 

 ふつふつと沸いた怒り。何千年も前に一度噴火してそれっきり休止していた活火山が噴火したかのようなとめどなくあふれ出てくる怒りが彼女の体内を駆け巡った。

 あまつさえ、自分に一夏の情報を秘匿し、その上国のために人ひとりを犠牲にするだと。

 ふざけるな。

 千冬は、考えるよりも先に身体が動いていた。だがどこに行けばいい。自分のISである暮桜は先程の整備チームの部屋にあるため取りに行くことができない。それに一夏の監禁場所も問題である。

 あいにくここは自らの故郷である日本とは遠く離れた国ドイツ。土地勘もあまりないため監禁場所など特定することなどできない。

 それに、一夏を攫ったとされる人物の情報もない。人種も、性別も、身長も、特徴も、その正体もまるで不明とくれば、まさしく砂漠に落ちた一粒の米を探すほどに根気と時間を必要とする物だろう。

 これを鑑みるに、一夏を探すことなど不可能に思えてしまうほどに千冬の持っている情報量が少なすぎる。

 だが、それでも彼女は諦めることが出来なかった。その時の千冬には、大人としての余裕なんてものはない。まるで大切な宝物を無くしてしまった幼い少女のように平常心を失っていた。

 

「ここは、どこだ?」

 

 だからなのだろう。気が付けば、彼女の控室などとっくの昔に通り過ぎてしまい、どこか見知らぬ場所に来てしまっていた。

 薄暗いが、しかしどうやら広い空間のようだ。そして埃っぽい。山積みにされたコンテナや、そこに書かれている文字から察するに、恐らくそこは今回のモンド・グロッソに出場する選手が使用するISが破損した場合に備えてパーツを保管していたそうこのような場所なのだろう。

 一体どこの国の物かは不明だが、ISや武器の剣も一つ置いてある。ちょうどいい、このISを借りてしまおうか。

 恐らく後々他国のISの窃盗したということで問題になるのかもしれないが構いはしない。もう自分にはモンド・グロッソに対する未練などかけらも残っていない。何なら一夏の事を助けることができるのであれば、IS乗りを引退してもよい。それほど、千冬にとって一夏は大切な存在で、誰よりも守りたい存在で、自らの人生を捨てでもいい存在だった。

 そんな彼女が、その場に置いてあった量産型のISに手を触れようとした瞬間である。

 

「!?」

 

 千冬の目の前に現れたのは灰色のオーロラ。そこから、見たことのない緑色の生物が出現した。オーロラは、その謎の生物を排出したと同時に、まるで役目が終わったかのようにゆっくりと地面の中に消えていった。

 一体何なのだ、この生物は。そもそも人間大の人間以外の生物等存在したのか、というのが最も早くできた疑問なのだが少なくとも自分はそんな生物聞いたことがない。

 ともかく、どうするべきか。人類に友好的な生き物なのか、それともライオンやカバのように獰猛な怪物であるのか。そもそもコミュニケーションが取れるような生物なのか。もしコミュニケーションがとれるようであったら、あいにく自分にはその相手をしている暇などないということを伝えたいのだが、さてどちらなのか。

 

「貴様、何者だ」

 

 千冬は、まずジャブを繰り出すかのように怪物にそう聞いた。果たして、これで答えがかえってくるか。それを見極めるために。

 だが怪物は、なにやら鳴き声のようなものを発するだけで言葉をしゃべることは無い。

 やはり、このような異質な存在とコミュニケーションを取ろうとしたのが間違いだったのか。

 千冬は怪物に対して一方詰め寄ると言った。

 

「悪いが、私には時間がない。お前が何のために私の目の前に来たのかは分からないが……この場を見過ごしてはくれないだろうか?」

 

 コミュニケーションは無駄なのかもしれない。そう思ってもなお、彼女は怪物に対して言葉を重ねる。

 彼女自身不思議だったのは、何故自分がその怪物を殺す事を考えていなかったかということだ。

 自分の目の前にはIS専用の剣が置いてある。普通の人間ならIS無しでそれを使いこなすことなど、重さの関係もあって到底不可能だ。しかし、彼女は普通の人間とは鍛え方が違う。だから生身であってもその剣を振るうことはできた。

 しかし、彼女は剣を取ることはしなかった。何故なのか、彼女自身にも分かってなかったが、もしかすると彼女はもう疲れていたのかもしれない。

 暴力によってしか変わることのできない世界が、力を振るうことでしか変えられなかった自分が、嫌いだったのかもしれない。

 彼女はもう、例え相手が怪物であったとしても剣を持つことは出来なかった。

 怪物はそんな千冬に対して何の反応も見せない。ただ、鳴き声を上げるだけ。

 何なのだろう。まるで言葉が見つからない時のような反応のようにも思えるが、もしかしてこちらの言っていることは分かっているのだが、言葉を発するということが出来ないのだろうか。

 もしもそうだとして、一方的ではあるが自分の言葉を理解してくれたとするのならばこのまま行かしてよいのだろうか悩んでいる、といったところなのだろうか。

 分からない、この怪物の考えていることが。せめて、怪物も言葉を離すことが出来たのならば、そんな無念の言葉が彼女の身体の中を駆け巡った、次の瞬間である。再度千冬が見ている目の前で不可思議な現象が発生した。

 

「なッ!?」

「なるほど、これが人間という物か、初めてなったがかなり心地が良いな」

 

 言葉をしゃべった。いや違う。そんなこと大した問題じゃない。

 自分になった。これは単なる比喩表現ではない。実際に自分の目の前で、怪物が自分の姿に変化したのだ。

 まさか、怪物の正体はカメレオンだったというのだろうか。確かに、その体色は緑色であったし、可能性はある。保護色として自分の姿になったと考えれば、何の問題もない。などと、千冬ははたから聞くとその発言自体が問題であると思うしかないようなことばかりを考えていた。

 

「織斑一夏……」

「ッ!?」

 

 オリムライチカ。今、一夏の名前を言ったのか。何故、この怪物が一夏のことを。まさか、この怪物が一夏の誘拐犯の仲間だとでもいうのか。

 

「何故、一夏のことを……」

「今の私はお前だ。お前の記憶も、全てコピーさせてもらった。だから、今の状況について理解が出来る」

 

 コピー。つまり、この怪物は織斑千冬というその存在すべてをまるっきる自分の物としてしまったというのだろうか。

 

「お前は、一体……」

「我々はワームという怪物。とある人間たちを襲うためにあのオーロラの中に入ったのだが、恐らくここはそことは別の世界なのだろうな」

「襲う……」

 

 ワーム、虫という意味だったはずだが、ということはこの怪物は、いや彼女は虫であったということか。

 カメレオンではなかったらしい。

 いや、そんなことよりも馬鹿な事を考えている場合じゃない。問題になるのは人間たちを襲うという発言だ。ということは、彼女は人類に対する敵対生物であるということ。つまり、今まさに自分のことを襲ってもおかしくはない。ということだ。

 

「……」

 

 千冬は、一度目をつぶる。そして、心の中で一度一夏に対して謝罪をすると言った。

 

「頼みがある」

「なんだ?」

「私をコピーしたというのならば知っての通りだ。今一夏が誘拐されている。私は殺されても構いはしないだが、せめて一夏を助けた後にしてくれないだろうか。その後は、煮るなり焼くなり食べるなりしてもらっても構わない。だから……」

「安心しろ、今の私には人間を襲うつもりはさらさらない」

「なに?」

 

 ワームの千冬は、本物の千冬の言葉に対してフッ、と笑ってそう言った。それは、せっかくの覚悟を決めていた千冬の決意に水を差すのに十分な物であった。

 

「そうだな。確かに他のワームであれば戸惑うこともなく人間を襲っていた。だが、私は大ショッカーという組織によって改造を受けた特別なワームの一体だ。今の私の性格は、織斑千冬という人間そのもの……だから、弟のことを思うお前の気持ちも痛いほど分かる」

「そうか……」

 

 大ショッカーという組織が何なのかは分からないが、どうやら自分はその組織のおかげで命拾いをしたようだ。

 とにかく、彼女が理解してくれたというのならば話は早い。自分は、急いで一夏を助けに向かわなければ。

 その時、千冬は意外な言葉をワームから聞いた。

 

「なら、私が決勝に出よう。貴様は、一夏を助けに行け」

「なに?」

「今の私は、お前をコピーした存在であると言っただろう? 私ならお前のIS、暮桜も操縦することが出来る」

「しかし……」

「いくら弟のためとはいえ他国のISを窃盗する等許されることじゃない。絶対的なアリバイを作っておいたほうが良い」

「……」

 

 確かにそうだ。大義名分があるとはいえ、自分が今からやろうとしていることは完全に犯罪に当たる。もしも一夏を助けられたとしても待っているのは犯罪者としての汚名と、弟を救うために犯罪を犯したという美談だけ。ならば、彼女の言う通り完璧なアリバイを作っていた方がよいのだろう。

 

「分かった。頼む」

「任せろ。それから……」

「ん?」

 

 ワームがその場から去ろうとする中、彼女は顔だけ半分振り向いて言う。

 

「一夏を……頼む」

「……あぁ」

 

 それだけ言い残すと、自分と同じ顔を持った女性はその場から立ち去った。

 そうだ。今の彼女にとっても一夏は弟。心配で仕方がないのは、後ろ髪惹かれるのは当然のことなのだ。

 もしも、一夏を無事に連れて帰ることが出来たのなら、彼女にも会わせよう。自分たちの弟に。

 千冬は、その場にあった顔を隠すヘルメットを装着すると、ISを起動させる。

 現れた言語から察するに、これはドイツの所有するISだったのだろう。いつか、借りを返さなければならないな。ISが倉庫から離脱する時、千冬は心の中でそうつぶやいた。

 量産型であるこのISは、自分専用にチューンナップされた暮桜とは比べ物にならないくらいに、はっきりと言ってしまえば性能の悪いISではある。しかし動かせないことは無く、またこれでも普通の戦闘機の何倍もの力を持っているのだから侮れない。なにより、ソレを操縦するのは世界一のIS乗りである織斑千冬だ。なんの問題もない。

 

「一夏……待ってろ、私が今助けに行くぞ」

 

 千冬はそうつぶやくと監禁場所としてありそうな場所を順に回っていくことにした。

 だが、この時本当に焦っていたのだろう。二人の千冬は自分たちの下したある決定が、後に一夏を傷つけてしまうという事実に全く気が付いていない。

 そう。誘拐犯たちの要求が千冬の大会欠場であるとするのならば、千冬がモンド・グロッソ決勝戦に出場するということ、それ自体が一夏の命を危険にさらす行為であるのだ。

 一夏のことを思うばかりにそのことにまで気が回らなかった。これは、二人の千冬の完全なるミスであったのだ。

 

 それから数時間。千冬はドイツ軍の無線を傍受することによって一夏の監禁場所を知ることが出来た。

 まさか、ドイツの軍が一夏を捜索してくれているとは思いも寄らなかった。探しているとしても良くて現地の警察、一夏の事を見捨てた日本政府のことだから、最悪通報もせずに誰も探していないという事を念頭に置いていた事を考えると、これは最上の情報だ。

 元々ドイツ所有のISを使用していたため、無線を傍受することができたことに加え、とある親切なお姉さんとやらが監禁場所を特定してドイツ軍に伝えていたそうなのだ。

 そのとある親切なお姉さんについては心当たりがあったのだが、ともかく今は一刻も早く監禁場所にまで行かなければならない。

 今自分がいる場所からだったらドイツ軍よりも早くにその場所にまでたどり着くはずだが、エネルギーももはや底を付きかけている。一夏の元に行かなければならない。監禁されて数時間。一夏の体力が持つかわからない。

 いや、焦るな。こういう時こそ冷静になれ。出なければつまらないミスをしてすべてが台無しになってしまう。

 頭に血を昇らせるな。薄氷を踏むが如くに冷静になれ。千冬は自分にそう言い聞かせながら飛ぶ。

 そして、たどり着いたのは山の中。こんなところに一夏は連れてこられていたのか。あたりは既に夕陽が落ちかけて暗くなりかけている。それに、少しだけ肌寒い。早く一夏を助けなければ凍え死んでしまうかもしれない。

 随分と過保護的な妄想をするものである。だが、それほど彼女は一夏のことを心配していたのだ。

 確か、情報によるとこの森林をあと少し行ったその先に一夏が―――。

 

「ッ!」

 

 何かが爆発した音だ。だが、爆炎のようなものは見当たらない。幸い、爆発は小規模のものだったようだ。

 森には確か火薬庫があると聞いた。何故このような閑散とした場所にそのような物があるのか、それはいざ爆発事故が起こっても被害を最小限に抑えられるようにとの事らしい。

 そして、千冬は聞いていた。一夏は、その火薬庫に監禁されていると。

 もう、なりふり構っていられない。千冬は、エネルギーの残量など気にせずにすぐさま爆心地へと向かった。

 風も、頬に当たる葉も気にせずに突き進む女性。それは、まさしく戦乙女と呼称してもそん色ないほどの勇敢さと、そしてただ弟のことを思うお姉ちゃんとしての顔が混在した複雑な顔であった。

 そして彼女は遠いところから見た。

 燃えている倉庫。そこから出てきた男たちによって今まさに車に乗せられた一夏を。

 

「一夏ッ!!」

 

 千冬は、今もてる全速力でその黒い車にまで飛ぼうとした。しかし既にISのエネルギーの残量が零に近いというアラームがけたたましく鳴らされている。一夏のいる場所までは到底持つことはないだろう。

 今ここで一夏を見失えば次いつ会えるのか、いやもう会えないのかもしれない。

 そんなの嫌だ。

 そんな千冬の思いが、ある一つの奇跡的ともいえる偶然を産む。

 車が、自分のいる方向へと走りだしたのだ。

 そう、ここは山のなか。あたりが森で囲まれる中で走れる場所は限られている。山の頂上へと向かう道か、山の下に続く道か。だが、頂上に向かう道は、着いてしまえば行き止まりという事。そのため、犯人たちが山の下に続く道を選ぶことは必然的であった。

 神というものを信じたことがない千冬ではあるが、今回ばかりは信じざるを得ない状況だ。そして、千冬は悪魔の声を聞く。一夏を助け出すために手っ取り早く、かつ現状できうる最善の手段を。

 チャンスは一度、危険で自らの命をも危ぶまれるほどであるがしかし、やらなければならない。

 もしも自分が死んだとしても彼にはもう一人の姉がいるのだ。だから、だから、怖くない。怖くない。

 怖い。

 だが、弟のためなら、この命など惜しくない。そう、惜しくないんだ。

 この間わずか一秒未満。ひらめきから決断までの時間が、命を賭けるか否かの判断がわずか一秒未満である。

 千冬にとって、一夏は命。宝。そして、明日への希望。

 意を決した。

 

「ハァァァァァァァァァ!!!!!!」

 

 千冬は、空中でISを脱ぎ捨てる。手にあるのは倉庫にあった剣。彼女は、全速力に近い速度で飛んでいたISから、法廷規則以上の速度を出している車に乗り移ろうというのだ。

 明らかに無謀。自殺行為。一歩間違えれば、いや車の前に飛び出し、ひかれればどのような人間であったとしても待っているのは死。誰が見てもそう思う。躊躇する。そのようなことを平気でやってのける。

 だが、彼女は忘れていた。自分自身の命すらも守れない人間に誰かを守ることはできないという事実を。

 果たして、千冬は巨大な音を立てて車のボンネットの上に降り立った。彼女は、この無謀ともいえる紐なしバンジージャンプを成功させたのだ。

 いや、させてしまったと言った方がいいのかもしれない。

 もしここで一夏を乗せた車を逃していたとしても、すでにドイツ軍が間近に迫っていたことから、犯人たちの逃げ道はほとんど残されていなかった。事実、彼女の後方100m付近には、すでにドイツ軍の捜索隊が迫っていたので、この後起こる悲劇のことを考えると、ここで見逃していれば、まだ彼女は幸せだったのかもしれない。

 

「ウッ! ッ!」

 

 その代償は、まず足に響いた痛みから始まった。この時の彼女の足はその衝撃で骨にヒビが入っていたのだ。

 痛みに顔を歪める千冬。いつ以来だろう、こんな激痛を味わうのは。

 痛みによってうまく足に力が入らない千冬は、両膝をボンネットの上に乗せる。だが、その行為自体が痛みを増す因子。痛みはさらに増幅して千冬の身体を襲った。

 だが、そんなこと関係ない。千冬は、誘拐犯の顔を見る。二人組の男だ。その後ろの席には一夏が横たわっている。良く見ると、身体は傷だらけだ。生きているのかも、死んでいるのかも分からない。

 こんな、こんな奴らの為に。この時の千冬は怒りに我を忘れていたのだろう。

 

「ハァァァァァ!!!!」

 

 千冬は手に持った剣を振り上げると、車のボンネットに突き刺した。

 本当は、突然現れた人間に驚いて間抜け面を見せている運転手に剣を突き立ててもよかったのだが、しかし外道になり切れない千冬はただ車を止めるということに最善を尽くすことにしたのだ。

 だが、これが最悪の悪手であった。車のボンネットの中、そこには当然エンジンがある。それを破壊してしまえば車は止まるしかない。いや、止まるだけで済むはずがない。

 

「なッ! くっ!」

 

 車は、突如として右に左にと不規則な動きをする。車の上の千冬は失念していた。もしも目の前に突然誰かが現れたとするのなら、運転手がどうなるのか。

 当然パニックになる。

 そして、パニックを起こした運転手が操縦する車はどうなるのか。

 当然、自分の行く道すらも検討が付かずに闇雲な運転をするしかない。例えエンジンを突き刺したとしても、完全に車が停止するまでそれが続くはずだったのだろう。

 そして、もしもそのようなことをこの狭い森の道でやってしまえばどうなることか。

 

「ッ!」

 

 車は道を外れて巨木に激突した。

 千冬は、その衝撃で吹き飛ばされないようにと剣を掴んでいるはずだった。だが、猛スピードで激突した車の衝撃は、耐えきれるものではなく、身体は剣から離れて車が激突した巨木にまず背中を強打する。

 

「かはッ……」

 

 肺から押し出される空気。一瞬の息苦しさで意識が吹き飛ばされそうになる。だが、何とか耐えきることが出来たのは彼女が鍛え上げていたおかげであった。だが、強打したのは背中だけではない。

 頭に激痛が走った。そう、先ほど背中を強打した際に一緒に頭もしたたかに打ってしまったのだ。瞬間、万力で押しつぶされた時のような激痛が頭全体を襲う。千冬は、力なくボンネットの上に倒れ込んだ。

 痛い、頭が、痛い。ずっと、痛い。

 背中の痛みは感じなかったのではない。背中以上に頭部が今までに味わったことのない痛みを感じて背中にまで気が回らなかっただけだ。

 千冬は、ゆっくりと手に力を入れて起き上がろうとする。

 だが、起き上がることが出来ない。腕に力を入れると激痛が走るのだ。

 何故だ、先ほども剣を持つ手がすぐに離れていたが、一体どうして。まるで、手だけが自分物ではないかのように。いや、それだけではない。

 

「ゴボッ! ゴボッ!」

 

 千冬は咳き込んだ。しかし、それは、ただ咳き込んだ時の音には聞こえない。液体が混じった音だ。

 千冬は、口を抑え込んだ手を見る。そこには、大量の血が付着していた。誰の、というのはいらない疑問であろう。

 さっきの衝撃で内臓をやられたようだ。いや、内臓だけではない。この痛みから察するに腕は脱臼しているのかもしれない。

 先ほど飛ばされないようにと剣を握りしめていたことが災いした形だ。

 普通の人間であったのならば先の頭部を打ったときに既に息絶えていてもおかしくはない。鍛え上げられたその肉体が、精神力が彼女の肉体を維持していた。いや、維持してしまった。まだ生きていてしまったと言っておいたほうが良い。

 死は、絶望である。だが、救済でもある。苦しみから解放される、その絶対的手段が死、である。

 彼女は救われることは無い。痛みをずっと、ずっと、常人よりも長く味わうしかないのだ。すべては、ISを上手く乗りこなすために鍛え上げたその肉体のせいで。

 あぁ、そうか。これが罰なのか。親友の夢を汚した罰が、この長く続く痛みと、自分の死。

 なら、悪くはない。

 千冬は、自分の死を受け入れようとしていた。

 だが、せめて、死ぬ前に彼の顔だけは見ておきたい。自分の愛する、たった一人の弟の顔だけは、見て逝きたい。

 千冬は、最後の力を振り絞ってボンネットから落下するように地面に落ちると、残った足の力と、その体幹を用いて後部座席へと向かう。

 ゆっくりと、ゆっくりと。だが、着実に一夏の元へと近づいていた。

 そうこうしている間にも、命のタイムリミットは近づいていた。

 痛みはいまだに千冬の事を襲い、少しでも緊張の糸が切れればすぐにでも逝ってしまうだろう。だが、それでも、一夏のことを、一夏の顔を見たかった。

 一夏の。

 

 一夏の。

 

 

 

 

 一夏―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――誰だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドアを開けた先。そこに、一夏はいなかった。いたのは、一夏の顔をした別人だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、《人間》織斑千冬も失意の中絶命した。




 この大切な場面で空白を何行もつかうという方法、自分自身これ以上の衝撃に関する表現方法がないので多用しているのですが、読みづらいのであれば行ってください。

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