その日の海は波立っていた。
別に風が強いわけでも嵐が近づいているわけでもなく際立って波が大きくぶつかり合い、水しぶきが上がり、さらに大きな波を作る。まるで土砂か何かを海に投げ捨てたかのようだ。
水中にいる動物たちは、その様子を見て海の深くにまで潜ろうとする。自然の中で生きている者たちにとって、この様子はあまりにも異様であった。
何故、嵐でもないのにここまで海が荒れるのか、その理由を知る物なんていない。
だが、地上にいる人間という動物は知っていた。この異常気象の正体を。港から見てみれば一目瞭然である、海の景色。
それは、この国にはあってはならない物であった。
『4番艦、目標地点へ到達』
『7番艦、所定ポイントに到着しました』
「すべての艦、配置に付きました。いつでも出れます」
「そう……分かりました」
海上自衛隊に所属し、この作戦の総指揮を任されている年配の女性は、その報告に目をつぶりながらそう答えた。
まさか、こんな大艦隊を指揮することになるなんて、就任したときには思ってもみなかったことだ。
しかも、来ているのは所属する海上自衛隊の戦艦だけではない。海の警察海上保安庁からも応援が来ているし、何なら陸上自衛隊からもこの作戦に参加する者たちがいる。
そして何よりこの作戦に投入された戦力の中でも一際目を引く存在がインフィニットストラトスである。なんと、この作戦において日本の国家機関に所属しているIS全20機を投入するというのだ。
こんな過剰な戦力を持って一体どんな軍事国家を責めるつもりなのかと自分でも思うが、果たして自分たちの相手はそんなに大きいものではない。だが、それもまたこの作戦の異様さを如実に表していた。
艦長は、ゆっくりと瞼を開くと、目の前に通信機を取り、格納庫にいるIS部隊の隊長に連絡を取る。
「ーー隊長。準備のほうはできていますか?」
『こちらはいつでも』
「そうですか。では、本作戦の内容の確認をします」
『……IS学園に潜んでいる怪物の捕獲、それが出来なければ射殺もやもなし』
「……その通りです」
そう、ターゲットはたった一人。IS学園たった一人の男子生徒。いや、男子生徒に変装した怪物である。だが、怪物とはいえこれほどまでの戦力を投入する必要なんてあるのだろうか。
上官が言うことには、ターゲットである織斑一夏の姉、織斑千冬を警戒してのことだというが、それにしてもやりすぎにもほどがある。第一、戦艦まで持ち出してどうするつもりなのだ。IS学園ごと海に沈めるつもりではあるまいし。
だがどれだけ上官に戦力を抑えるよう提言しても聞き入ってもらえなかった。恐らく、上官の後ろにはこの作戦を提案した政治家がいて、その意向には逆らうことが出来ないのだろう。
まったくもって嫌な話だ。この作戦を終えた後処理の事も知らないで。
『艦長』
「なんでしょう?」
IS部隊の隊長。つい二月ほど前に産休から復帰したばかりの女性が、艦長を呼んでから少しだけ間が空いて言った。
『本当に、これでいいのでしょうか?』
「……何が言いたいのかしら?」
モニターの向こうの隊長は、唇をかみしめる。はっきり言って、命令がどれだけ理不尽な物であったとしても上官に対して意見具申するなどもってのほかだ。それを彼女も分かっているし、こんなことをすれば自分の立場や給料査定に影響するということは嫌になるほど知っている。しかし、それでも彼女は問いたかった。自分自身がこれからしようとすることの是非を。
『た、確かに相手は怪物です。織斑一夏に成りすましてIS学園に入り込んだ……けど、だからって、最悪命を奪うほどのことをしたのでしょうか?』
「……」
『昨日の放送、私もみました。けど、彼は紛れもなく普通の人間の男の子でした。人を襲うことも、暴れることもましてや、殺すこともしていない……まだ何の罪も犯していない子供を、殺す権利が私たちにあるのでしょうか?』
昨日、全世界に流出した織斑一夏が怪物による擬態であったという事実。彼女もまた、動画サイトやSNSでその映像を繰り返し見た。そして、分かったことがある。擬態した織斑一夏は、織斑一夏でしかないということが。
IS乗りである彼女は当然世界初の男性IS操縦者である織斑一夏のことを知っていた。そして、興味があった彼女は、彼がIS学園で行った試合の映像も入手して、その一挙手一投足をつぶさに観察をしていた。
最初の方の試合は、粗削りで隙も当然多くて、自分であったら瞬殺できていたであろう動きが多かった。しかし、何度もISを操縦していくにつれて技量を付け、いまだに粗削りで繊細な動きをできていないとは言えども最初の頃から比べると上達している、成長しているとそう実感できるぐらいの動きをしていた。
そんな、彼の今後の成長が楽しみだった。なのに、いざ彼の正体がワームであると知られたとたんに彼の人権は失われた。そんな理不尽なことがあっていいのだろうか。そんな理不尽で彼を殺していいのだろうか。彼女は件の命令を受けてから悩み抜いていた。
『織斑一夏は素質のある子供です。怪物であったとしても人間の中で生きたいと願うのであれば、そっとしておいてもいいのではないでしょうか?』
「ですが……怪物であることには変わり在りません」
『……』
「それに、今はよくてももし織斑一夏がIS学園で暴れた時、真っ先にIS学園の生徒が危険にさらされるのですよ?」
『それは……』
言い返すことのできない隊長。だが、艦長はきつく隊長のことをしかりつけるということは無かった。何故なら、彼女もまた織斑一夏の捕獲、あるいは射殺に関しては思うところがあったからだ。
あまりにも命令が急すぎる、かつ野蛮すぎる。
確かに、未知なる存在が現れたことに関しては早急に対処すべきことではあると思うが、だからと言って最悪射殺すべしという決定は一体どこの蛮族の思考であるのかと疑問に思うほどだ。
恐らく、このような決定が出されるのは人類史を見渡してもごく限りない物であるだろ。そもそも、怪物だからと言って人を殺す。という物は偏見、ひいては差別に当たる物ではないだろうか。
我々人類が他人とのつながりを重要視し始めて幾千万。その中で多くの人種、多くの民族が淘汰されてきた、そして差別されてきた。人類のあまりにも身勝手すぎるその性格によって。
今、その歴史が繰り返されようとしている。正論という言葉を振りかざした凶器の悪意によって。
「隊長。あなたに、一つ伝えておくことがあります」
『何でしょう?』
「もしも……織斑一夏を射殺しなければならないとあなたが判断したのであれば、私を呼びなさい。私が……その罪を背負います」
『艦長……』
「私も、もう老いぼれ……これからの時代を担うあなたたち若者の代わりに、重荷を背負い込むことぐらいしか出来ませんから」
『……』
隊長は、古くから知る中である艦長の覚悟を聞き思う。この世界はなんて醜いのだろうかと。
何故あれほどまで優しい艦長に重荷をせをわせようとするのだろう。
何故正論が一番正しいと信じられる世界になったのだろう。
何故たった一人の子供の未来よりも、自分たち醜い大人が一番に徳を考える世界になったのだろう。
隊長には娘がいた。一夏より一つ下で、来年にはIS学園への入学を目指して勉学に励んでいる。
そんな娘と同じ年ごろの少年を追い詰めている自分たち大人。激しいほどの罪悪感を感じる。
自分たち自衛隊が兵器を持つのは誰かを傷つけたり、侵略するためなんかじゃない。
国民を守るためだ。
あまりにも矛盾している。守るはずの国民を、殺そうとするなんて、矛盾している。
こんな矛盾している場所にいること、その意味を考えながら隊長は自らの下についている隊員に指示を出す。数分後、IS部隊全隊員が空中に躍り出た。この作戦が終わりを迎える時、果たして自分たちに何が残るのか、全く分からないままに。
この誰も得をすることのない戦いに、彼女たちは赴こうとしていた。
一方、IS学園の屋上、そこには昨晩から竹刀を振り続けていた箒の姿があった。
彼女は自らを慰めるために泣き続けた後、そのまま気絶するかのように武道場で眠りについた。季節がなんであれども、汗に濡れた身体そのままで寝てしまったために、ともすれば風邪を引いていたかもしれなかった。が、結果的には風邪を引かなかったし、実際に寝ようとすれば寝れる精神状態にはなかったはずなので、彼女自身気絶することによって就寝できてよかったのかもしれない。
そして、自室でシャワーを浴びて着替えた彼女は、オルフェノクの織斑一夏がワームの織斑一夏を呼んだあの放送を聞いた。
彼女は迷った。スタジアムに行くか否かを。もし今スタジアムに行けば、そこには二人の一夏がいる。二人の一夏に会うことが出来る。しかしあってなんとする。
今の自分は、オルフェノクの織斑一夏に対してどう贖罪すればいいのか全く考えつかず、またワームである織斑一夏をどうするべきなのかの判断もついていない。そんな全く何も思いついていない自分が行ったとしてどうなるというのだろうか。ただただ事態を悪化させてしまうのではないだろうか。
そんな考えが浮かび上がった結果、どうすることもできず、彼女は知らず知らずのうちにIS学園の屋上にいた。
そこからはIS学園のほぼ全景を見渡すことが出来た。いつも通りの景色ではあるしかし、いつも通りではない景色も当然そこにはあった。
戦艦だ。無数の戦艦がこのIS学園を目指して進んでいる。いや、戦艦だけではない。よく見るとISの姿もある。それも一機や二機じゃない、十数機だ。何故そのような物が。そんなこと、分かり切っていたはずなのに、まるで昨日会ったこと全てをなかったことにしたいがごとく箒は一瞬だけ疑問に思う。だが、その疑問はすぐに取り除かれ、絶対的な仮定が姿を現した。
「あの戦艦……一夏を捕らえに来たのか……」
「若しくは、殺しに……ね」
「!」
彼女の後ろ、階段に通じる扉のすぐそばから声をかけたのは更識楯無である。
「こ、殺しに?」
「今、更識の諜報から連絡が入ったわ。怪物を捕獲、できなければ射殺もやもなしって」
「そんな……」
だが、考えてみればそれも当たり前なのかもしれない。彼、織斑一夏が怪物であるのは紛れもない事実であり、そもそも偽物であるのだから殺さずにそのまま放置しているわけがないのだから。
「そして、それは何もワームの方の織斑一夏には限らない」
「え?」
「言ったでしょ、怪物を捕獲若しくは射殺って……織斑一夏個人についていっていない。もしかすると、本物の、オルフェノクの織斑一夏も……」
「馬鹿な……」
箒は背筋に戦慄が走った。確かに、ワームの織斑一夏は紛れもなく元からの怪物だ。しかし、オルフェノクの織斑一夏は、元々自分たちと同じ人間ではないか。それなのに、その人間の織斑一夏までも殺そうとするなんて、そんな恐ろしい考え、よく思いつくものだ。
「すぐにあの戦艦を止めなければ……」
「箒ちゃん、それ……これからの事を考えて言ってるの?」
「なに?」
更識は、紅椿を作動させようとするその手を握る。彼女の力は強く、箒は手を下げるしか方法はなかった。
「確かに、貴方の紅椿なら自衛隊所属のISでもそれなりに戦えるはずよ。でも、もし勝ったとしてもあなたに待っているのは怪物を庇い、自衛隊にたてついたテロリストという肩書……あなたは、犯罪者になる覚悟あるの?」
「ッ……」
確かに、彼女の言う通りだ。自衛隊に出された命令があまりにも残虐であったとしても、それを止めるためにISを動かせば、自分はたちまちテロリスト認定される。怪物が危険な存在である。その認識に間違いはないのだから、正義は自衛隊側にある。きっと日本国民、いや世界中の人間がそう思うのだろう。
テロリストとなってしまえば、自分の居場所がなくなる。きっと、自分が守った一夏のすぐそばにいることも難しくなるだろう。
それに、いくら自分のISが高性能機であったとしても相手はプロのIS乗り、最悪自分は逮捕され、二人の一夏が殺害される。そういう結末まで想像できる。テロリズムに走った人間の最期という物は、どれもこれもバッドエンドまっしぐらだ。学生の身分であったとしても極刑もあり得る。
自分の人生と、怪物の織斑一夏の人生、その二つを天秤にかけ自分は一体どうするか。
守ることが罪であるのなら、傍観することは罪ではないのだろうか。
目の前にある命を救わないことが罪であるのなら、自分の人生を守ることは罪ではないのだろうか。
どうすればいい。自分は、いったいどうすれば……。
「箒さん……」
「あっ……」
その時、屋上に現れたのはセシリア・オルコット以下一年生専用機持ちの面々である。
彼女たちもまた、何も答えを出せてはいなかったが、いてもたってもいられなくなって屋上に来たのだ。けど、ただそれだけしかできない自分たちに嫌悪感があったのは確かで、この行動自体何もやらなければ自分たちの心を守れないという偽善的な行動だったのかもしれない。
けど、それを承知でもこの場所に来なければならなかった。自分たちの心が弱かったが故に。
専用機持ちも面々は、箒の隣に並び立って、共に接近してくる戦艦を見る。ただ、それだけだ。
「……私たち、一夏さんのことを本当は見ていなかったのかもしれませんね……」
「セシリア……」
「もしも、私たちがあの一夏さんの正体を見破れていたら本物の一夏さんがあんなに傷つくことは無かった……」
「セシリアは悪くないわよ。それを言うなら、小学校の頃から一夏のことを知ってたのに見抜けなかった私が悪いんだから……」
「私も、同じ部屋で暮らしていたことがあったのに見抜けなかった……」
「誰も、本当の意味で一夏のことを見ていなかったのかな……」
「かも、しれないな……」
傷の舐め合いだ。互いに罪の意識を告白することによって自分を慰めようとしている。これでは、まるで罪の大きさの暴露大会、いや誰が一番罪深いのかを決めようとしている大会かの様だ。こんな破廉恥なことをするためにこの場所に来たわけじゃない。それなのに、そう知っていてもなおそれでも自らの罪を告白していく催しを開催することの罪悪感が、彼女たちの胸をさらに締め付ける。一夏と過ごした時と同じ時間、彼女たちは傷ついていく。
戦艦は間もなく上陸を開始する。果たして、彼女たちはそこからその様子を見ているしかできない。見ているしかしない。
この時、少女たちの何人か、あるいは全員がこの事件の終息を持ってIS学園から出て行こうと考えていたそうだ。
出て行って、それが罰となるのならそれは完全な自己満足だ。
それでも、それしか自らの罪の清算方法を考えつかなかった。
それは、彼女たちが子供だから。
子供だから。
だから……。
「え?」
「あれって……」
行動するのは、大人の役目だ。
戦艦に向けて一発の弾丸が放たれた。誰かが撃ちたかった。だが、撃つことが出来なかった。そんな覚悟の一発。
攻撃を受けた戦艦、正確に言うと弾はそのスレスレを掠めて行ったのだが、それはすなわち警告であると艦長は判断した。
「今のは……」
『艦長! IS学園の方向から攻撃です!』
「何者ですか!」
『あのIS……デュノア社のラファール・リヴァイヴ? いえ、あれはカスタム機のラファール・リヴァイヴ・スペシャル……ということは!』
隊長はそのISのことを知っていた。確か、かつての日本代表候補生であった少女が使用していた専用機だ。だが、彼女は候補生どまりで代表になることはできずIS乗りとしては引退し、今はIS学園の教師をしていると聞いたことがある。そんなISがどうして、第一あの専用機は彼女が現役を退いた後研究機関に回されたと聞いたのだが。
「その通りです。最もこの機体は当時の私の専用機ではありません。突貫でしたけれど、徹夜で当時の装備を再現した≪ショウ・マスト・ゴーオン・ヌーヴォー》」
声が聞こえた。状況から考えるに、そのISの操縦者がしゃべっているのだろう。
名乗りはしなかった。しかし、状況証拠から考えるに彼女しかいないはずだ。
現IS学園一年一組副担任。元日本代表候補生の……。
「生徒を守るための、私の剣です!」
山田真耶、である。
彼女のその覚悟の一発は、まさしく≪SHOW MUST GO ON》を字通りに行く物。
さぁ、再び幕は上げられた。