「ついてないわね…、まさか、こんな場所で足止めだなんて」
「…焦っても仕方ありません。兄様の事です。どうせ、各地で腕の立つ方との手合わせをされているのでしょうから、見つけるのは難しくないかと」
「うむ。リベール王国は帝国を打ち破った国、きっとまだ見ぬ猛者が大勢いることだろう」
リベール王国とエレボニア帝国の陸路における唯一の関所、ハーケン門。
元よりほんの十年前に戦争をしていた国同士、その出入りは厳しく、自由な行き来が出来ないのは当然の事。
そのため、国境のこの門には比較的大きな待合室や宿泊施設まで用意されている。
私たちがいるのは、その待合室のほうだ。ちょっとした軽食のとれるレストランが併設され、導力テレビが数台ほど置かれている。
私たち女の子3人+1メイドはテーブルを囲み、リベール王国の観光地図を広げながら、大幅に修正を迫られた旅の行程について話し合っていた。
「この封鎖、いつまで続くのでしょうか?」
私の隣の黒髪の少女がそうぼやく。可憐でお淑やかな御令嬢を思わせる美少女は、アイツの血の繋がりのない妹さん、エリゼ・シュバルツァーだ。
性格も真面目で、すこし不器用なところのある彼女はとても可愛い。私の妹にしたい。
ではなく、この度の発起人である。
「シャロン、何が起こってるの?」
私はテーブルの傍に静かにたたずむメイド、今回の旅の事実上の保護者役、に尋ねる。
藤色の髪の、常に微笑をたたえる彼女との付き合いは長く、普段は母の秘書のようなことをしていたりするのだが、今回の旅では貸してもらっている。
「はい、どうやら、ボース市の市長が視察中に誘拐されたようですね」
「物騒な話ね。……アイツ、大丈夫なのかしら?」
「あの方のことがそんなにご心配なのですね♪」
「べっ、別にそんなのじゃないわよ! 単にリィンがまた厄介事に首突っ込んでるんじゃないかって思っただけよ! エリゼにも迷惑かかるでしょ!」
シャロンの世迷言に的確かつ完璧な反論をする私。
自分がどこまで成長できたのか試してみたいだなんて思春期みたいな…、いや、私もアイツ思春期だけども、理由で色々な所に迷惑をかけていないかと冷や冷やしているだけなのだ。
ほら、アイツ、一応は貴族の端くれだし、何かあったらエリゼとエリゼの家に迷惑がいくわけだし。
だから、決して怪我とかしてないだろうか、とか、空賊退治なんて危ないことしてないだろうかとか、そんなことは考えていないのだ。
と、ここでテーブル向かいの青みがかった髪の、凛とした長身の少女がぼそりと呟いた。
「私との一件は厄介事だったのか?」
「「………」」
私とエリゼは目をそらした。
うん、ごめんなさい。初めて聞いたときは凄い厄介事だと思いました。
アルゼイド子爵の所に道場破りして、門弟の人たちと子爵の娘さん(今、私の目の前にいる子)を、よりにもよって女の子を倒しちゃった挙句、子爵本人とも戦ったとか、明らかな厄ネタだった。
うん、子爵閣下がリィンのことを逆に気にいったからよかったけれど、そうじゃなかったら大問題に発展していたような気がする。
「いや、リィンは礼を尽くしていたぞ?」
「ラウラさんの顔に傷をつけていたら大変なことになっていたのではないでしょうか?」
「リィンとの立ち合いは、私たちが半ば無理強いしたことなのだが……」
一応、話は聞いている。道場破り染みたことはしていなかったと聞いているし、それぞれの門下生との試合も双方同意の上だったとも。
加えて、立場的な意味でラウラとの試合には乗り気ではなく、止めるよう説得していたようなのだ。
だが、よりにもよって子爵が許可を出してしまったことで、後に退けなくなったようで。
「世界の広さを痛感した一戦だったな。私もまだまだ未熟だ」
「アイツのバカさの加減のなさを痛感した一件だったわ」
「同意です」
それはともかく、その一件を聞きつけ、私たちはアイツを追いかけることになったのだ。
「まあ、でも、貴女が一緒に来てくれたことは助かったけれど」
「うむ、私も世界というのに触れたくなったからな」
鷹揚な態度は貴族令嬢らしいが、脳内は剣のことしかインプットされていない残念美人。
アイツに触発されて旅に出ようとか思う辺り、思考回路が似通っていて心ぱ…ではなく、呆れてしまう。
とはいえ、その剣の腕は大したもので、女だけの旅の中ではすごく頼りになる。
というか、あの大剣を軽々と持ち歩いている彼女をナンパしようとする男は皆無である。
あと、帝国における国境を越える手続きでも、アルゼイド子爵家の後ろ盾があると無いととではスピードが全く違うのだ。
「しかし、市長の誘拐とは、不逞の輩がいるものだな」
「えっと、ラウラさん、私たちは一応、観光という名目で入国するので、あまり騒ぎは起こすべきではないかと……」
「…残念だ」
「やっぱり、悪を成敗したかったのね……」
騎士道を信奉する彼女らしい見解。まあ、もっとも、現在の軍人と同様に、実際の騎士はもっとしがらみに縛られて動けないものだ。
人助け一つとっても、十分な下準備と根回し、政治的配慮を要する。人助けとは、すなわち片側への加担そのものだからだ。
そういう意味では、政治的中立と民間人の保護を優先することを国際的に了承されている《遊撃士》は多くの場面で動きやすい。
困っているヒトに、当たり前のように手を差し伸べることが出来る、それを為すことを保証された身分。
帝国政府が疎むのも当然である。
「遊撃士か…。父上もなってみたいと言っていたが……」
「それは難しいのでは?」
「いや、無理でしょそれ」
「であろうな」
帝国の子爵様が、政治的中立の遊撃士になれるはずがないのだ。少なくとも跡取り娘がその地位を継承できる立場にならない限りは不可能である。
それはともかく、
「今頃はもうロレントかしら…?」
「はい。兄様が修める八葉一刀流の姉弟子にあたる方が住む、ロレントに向かっているはずです」
「八葉一刀流よりも、飛行機関係で有名なヒトなのよね。ウチの実家の天敵よ」
「すると、彼の人物はアリサにとっては仇敵ということになるのか」
「……そうじゃないわ」
一時は私の実家を存亡の危機にまで追い込んだ元凶ともいえる人物だ。
10年前のちょうど今頃の季節、王国軍による戦略爆撃が本格化した。
ウチの工場やザクセン鉄鉱山で働く多くの社員が、顔見知りの人たちが、その空襲によって大怪我を負い、あるいは亡くなった。
それを知った時、私は酷く悲しみ、そしてリベール王国を恨んだものだ。
が、後日、ロレントにおける大虐殺という帝国側の戦争犯罪を突き付けられ、感情の整理が上手くいかなくなった。
許せはしない。だけど、それは彼ら、彼女とて同じだ。
私の与り知らぬところで、私の家の作り出した武器で、彼女の故郷を焼いた。
私の与り知らぬところで、私の国が生み出した憎しみが、私の故郷を焼いた。
武器が無くなればいいとか、そういう幼稚なことは考えてはいない。それは確かに人を傷つけるものだが、同時に人を守るためには必要不可欠なものだから。
だからといって、この生み出された負の連鎖を、そう簡単に飲み込めるわけではないのだ。
「だから、憎しみというよりは、苦手意識の方が強いのよね。嫌いかというよりも、怖い…かしら?」
「怖い?」
「どんな感情をぶつけられるのか、分からないから怖いのよ」
いざ会うとなると、胸のあたりがジクジク痛んで苦しくなる。そんな感情。
加えて、今ではリィンの事もあって、正直どのように思えばいいのか整理がつかない。
と、ここで私の傍でクスクス笑う1メイド。
「な、なによシャロン」
「いえ、お嬢様が、リィン様がエステル・ブライトの事を話すとき、ものすごく不機嫌になるのを思い出しまして……」
「あ、あれはリィンのデリカシーがないのがいけないのよ! 私の前であんなに自慢げに話すことはないでしょ!」
「ええ、ええ、分かりますとも」
そう、いろいろな意味で苦手な相手。まだ会ってもいないけれども、できるなら出会いたくない相手。それが、私にとってのエステル・ブライト、《空の魔女》だ。
さて、そんな風に私たちが姦しくしていると、唐突に傍でリュートが鳴る音色を聞いた。
「楽しそうな話をしているね、お嬢さん方。僕も仲間に入れてくれないかい?」
などと言ってバラを差し出すチャラい感じの金髪の男。ナンパだろうか? 私は少しばかり険のある視線を男に向ける。
「他を当たってください」
「そう警戒しないでほしいな。ボクはオリビエ、漂泊の詩人にして演奏家さ」
「シャロン」
「はい、お嬢様」
というわけで、シャロンに任せる。シャロンは私たちと漂泊の詩人(自称)さんとの間に立つと、ニコニコ笑顔のまま男を威圧し始めた。
「おっと、こんな美人に相手をしてもらえるとは感動だな」
「美人とはお上手ですね」
「なら、君たちのために一曲歌わせてもらおう」
「は?」
その斜め上の展開に私は思わず気の抜けた声を上げてしまう。だが、もう遅い。男、漂泊の詩人はそのままリュートを鳴らしつつ、歌い始める。
「ほう」
「琥珀の愛…ですね。懐かしいです」
「え、何これ、ものすごく上手い?」
いつの間にか待合室で足止めを食らっていた人たちが集まり、聴衆となって輪を形成していた。
中には歌を口ずさむ者もいる。
そうして演奏家が歌い終わると、観客は総立ちの拍手喝采。
「いいぞ兄ちゃん!」「大したものだな」「プロの歌手なのか?」「もう一曲!」
「はっはっは、どうやらボクの美声に酔いしれてくれたようだね」
そして何故か始まるリサイタル。長時間の国境閉鎖に飽き飽きしていた人々が手拍子で応える。
「あ…あはは」
「面白い方ですね」
私たちもこれには苦笑いである。
そうして、観客からのおひねりが彼に集まり、自称・漂泊の詩人は恭しく礼をして、即興のリサイタルは終わりを告げた。
「どうかな? みてくれただろうか、子猫ちゃんたち?」
「すばらしい演奏だったな」「そうですね、本当にプロの演奏家だったんですね」
「フッ、信じていなかったのかい?」
ファサっと金髪をかきあげ、オリビエさんは気障ったらしい笑みを浮かべる。怪しいけど、なんとなく憎めない感じ。それに、確かに演奏は素晴らしかった。
まあ、危なければシャロンが何とかするだろう。私は諦めてオリビエさんの話し相手をすることにする。
軽く自己紹介(家名とかそういうのを省いて)を交え、話は旅行目的へ。
「リベールには巡業旅行で来たのだが、君たちは観光旅行かい?」
「ええ、そのようなものよ」
「女性4人だけで?」
「彼女のお兄さんが先にリベールに入ってるの。でも、残念な事にここで足止め食らったわけ」
「それは災難だ」
私たちが門についてから数時間、一向に入国審査は進まない。今日中には何とかロレントへとたどり着きたいのだけれど。
「しかし、女王生誕祭までは少し間があると思うのだが?」
「別に女王生誕祭だけが名物というわけでもないでしょ?」
「確かに。リベール王国は、今この大陸で最も刺激的な国だからね」
もっとも、私たちの目的は女王生誕祭ではない。
そもそも、エリゼは来年には聖アストライヤ女学院への進学が控えており、ほとんど入学内定は決まっているものの、あまり変な騒動には巻き込まれるべきではない。
あの朴念仁をパッと捕獲して、パッとユミルに連行すべきなのだ。
「そういえばラウラ君…だったかな。君の剣は騎士剣のように見えるが」
「ああ、アルゼイド流を修めている。もっとも、まだまだ半人前だが」
次はラウラの話題に。まあ、確かに、彼女が持っている騎士剣は凄く目立つ。
エレボニア帝国での貴族と《騎士》は殆ど一体のモノだから、貴族の子女がそれを持っていてもおかしくはないのだけれど。
だが、これはどちらかと言えば、私たち個人個人への質問といったところか。個人情報の扱いはしっかり管理しないと。
「ということは、君らはレグラムから?」
「え、ええ、そ…」
「いや、レグラム出身は私だけだ」
「あちゃぁ」
思わず米神をおさえてしまう。
素直なのはいいのだけれど、あまりこちらの素性が分かるようは言葉は喋ってほしくなかった。
「ほう、すると君たちの方は?」
「はぁ…、私たちはノルティアの方よ。この子、エリゼとは幼馴染なの」
「はい。私が物心つくかつかないかぐらいの頃からの友人なんです」
ノルティア方面である。間違いはない。ユミルや、たとえノルドであってもノルティアの方と言い張れる。
「すると、君は?」
そのままオリビエさんの視線はシャロンへ。私は穏便な言葉を選びなさいとシャロンへ念を送る。主に視線に乗せて。
すると、シャロンはニッコリと私に笑みを返した。流石ねシャロン、貴方なら分かってくれると信じていたわ。
何でもそつなくこなす彼女だもの。私の期待以上の返答をしてくれるはず。
「はい、私はラインフォルト家にお仕えさせていただいている、シャロン・クルーガーと申します。この度は会長よりお嬢様のお世話をするよう言いつかっております。私の事はお気軽にシャロンと呼んでくださいまし」
「シャッ、シャロォォォォォォォン!!!?」
や・ら・れ・た。
「どうしてっ、本当の身分を話しちゃうのよ!!」
「わたくし、ラインフォルト家のメイドとして誇りをもってお嬢様にお仕えいたしておりますゆえ」
「そ・れ・と、こ・れ・とは関係ないでしょ!!」
「しかしお嬢様、この方、既に分かっておられましたよ?」
「え?」
「フッ」
自称・漂泊の詩人オリビエさんが笑みを浮かべ、シャロンの言葉を肯定する。
いやいや、どういうこと? 普通、流石に初対面で私たちの素性なんてわからないはず。この男、いったい何者?
「……どういうこと?」
「種は簡単だよ。ボクはシュバルツァー男爵と付き合いがあるからね」
「お父様と?」
「貴方、何者よ」
エリゼが素直に驚きを示す。私はというと、さらにこの男が何者か分からなくなって困惑する。
確かにユミルは温泉郷としてそこそこ名が通っているため、観光客は少なくない。
が、シュバルツァー男爵家の現当主は社交界を避け、領地に篭っていることでも有名で、そうそう人前に顔を出す人物でもなかったはず。
「ボクは漂泊の詩人だからね。旅先での知り合いは少なくない。男爵とは裸の付き合いをした仲さ」
「胡散臭い…」
いや、まあ、社交界に顔を出さないだけで、たまに温泉でふらりと遭遇することも少なくないようだけど。
いや、それよりも、何故、シュバルツァー家と私の関係を知っているのか。シュバルツァー男爵家とラインフォルト家の私的な付き合いなど、そう公になるような情報ではない。
そんな風に思考をめぐらしていると、オリビエさんが意地の悪そうな笑みを浮かべて、
「ふむ、するとアリサ君。君とエリゼ君の兄君は幼馴染同士、あるいは恋人だったりするのかな?」
「バ、バカなこと言わないでよ! あ、アイツとはそんなんじゃないんだから!!」
「おや」
な、なんで皆そういう下世話な憶測ばかりするのか。
私とリィンは幼馴染で悪友的なそういう関係で、決して恋人同士というわけではないのだ。
それを、お祖父さまも皆、どうしてそんな風に解釈しようとするのか。
べ、別にアイツが嫌いなわけでもないし、むしろ好きな部類だけど、恋愛感情なんてこれっぽっちも存在しないのである。絶対にないのである。
「エリゼからも何か言ってやってよ!」
「アリサさんと兄様はお似合いだと思います」
愛妹からの突然の裏切り!?
「エ、エ、エ、エリゼ!? ななな何言ってるのよ、も、もう、おおお似合いだなんてっ!」
「アリサ、顔が真っ赤だぞ?」
「なななに言ってるのよラウラっ、私は冷静よ!」
どうして皆そんな風に生温かい笑みを浮かべて私を見るの!? 止めて!
だいたいリィンは剣術バカだし、朴念仁だし、たまに思考が根暗で、この超ヒロインたるアリサ・ラインフォルトとはつり合いが取れないのよ!
まあ確かにイケメンだし、結構気はきくし、頼りになるし、性格は温厚で話しやすいし、ついでに妹のエリゼは私の妹だしで、けっこうヤルとは思いますけど!
と、ここでラウラが立て続けに口を開く。
「ふむ、しかしてっきり私はリィンとアリサが恋仲と思っていたが……。それならば、アルゼイド家に迎え入れても問題はないか」
「それは駄目!!」
「?」
いやいや、ダメダメ、それだけは絶対にダメ! 特に理由はないけれども、そういうのは禁止!
なんとなく、すごくお似合いな気もしないでもないけれど、そういうのはまだは早いと思います。不純異性交遊ダメ絶対。
「可愛らしいな、アリサ君は」
「そうでしょう? 仕え甲斐がありますわ」
「もう少し素直になってもらえれば、私としても安心できるのですが」
外野は黙ってて…。お願いします。というか、大声出し過ぎてノドが痛い。お水ほしい。
私はいろいろと体力を消費し、ぐったりとテーブルの上に伏す。すると、会話は自然と別の方向へ。
もしかして、私、弄られてた?
「―というわけで、入国審査も終わってようやくリベール王国に入れると思った矢先、国境封鎖というわけさ。ボクの前に審査を受けていたヒトなんか、今頃はボース市内だろうね」
「それはタイミングが悪いですね」
「ああ、だけれどもそのおかげで、君たちみたいな可憐な少女たちの顔見知りになれたんだとしたら、運命的だとは思わないかい?」
「いいえ、全く」
「ハハ、あっさり振られてしまったよ。……ん?」
エリゼがバッサリとオリビエさんの世迷言を斬った所で、待合室の正面扉が開く音を聞いた。
顔を上げて視線を入り口に向けると、そこには―
「こういう時、エステルのコネは助かるわね」
「そんなに厄介な御仁なのか?」
「まあ、ああいう風になった気持ちは分からないでもないかな」
現れたのは3人の男女。大男、褐色肌の妖艶な美女、そして琥珀色の瞳の黒髪の少年。
最も目立つのは大男の方。東方風の出で立ちをした偉丈夫で、まるで熊みたい。
少年の方は、どことなくアイツの雰囲気に似ているような?
「あの東方風の出で立ちの男、凄まじい使い手だな」
「えっと、ラウラ? 何言ってるの? 確かにすごく強そうだけど」
「私にもなんとなく分かります」
「エ、エリゼ!?」
「うむ。武人の勘という奴だ」
「……そういえば、アイツも気配だとか何とかたまに言ってたわね」
そう、リィンも時々、ふと立ち止まって、何かが近づいているだとか、扉の向こうに誰かいるだとか、気配なる謎感覚を発揮していた。
私には未だに理解できない。
「君たちも彼らが気になるようだね」
「ああ、黒髪の若い男の方も隙の無い歩き方をしている。3人とも相当の手練れに違いない」
「なら、挨拶に行こうか」
「おもしろそうだ」
「へ?」「あの?」
え? ラウラ? 初対面よ? それなのにいきなり行っちゃうの? ちょっと意味が分からないんだけど?
私がそうして戸惑っているうちに、オリビエさんとラウラが立ち上がる。
「では異文化コミュニケーションだ。旅というのは人との出会いにこそ価値があるのだよ」
「ちょ、ちょっと待って! シャロン止めて…、て、いない!?」
いつの間にかシャロンがどこにも居なくなっている。お茶のお代わりを淹れにいったのか、とにかくタイミング悪く、唯一頼りになりそうな人物がいなくなってる。
え、いや、どうするのコレ? エリゼは苦笑いするばかり。えっと、本当にあいさつしちゃうの? ええぇっ?
一体どう収拾つけるのコレ?
◆
「待たせたな、エステル」
「いえ、突然押し掛けたのはこちらですし」
モルガン将軍。簡単な挨拶もほどほどに、私は執務室のソファに腰掛ける。向かい合わせのデスクに座る将軍の表情は優れない。
「遊撃士を連れてきているな?」
「私の弟ですけどね」
「そうか、カシウスが拾った……」
「信用できるかどうかは、将軍が私の父の見る目をどう判断されるかに任せます」
「その言い方は卑怯だな」
将軍の頬がわずかに緩む。
彼の遊撃士嫌いは父が軍を辞して遊撃士を選んだことに起因する。が、同時に彼は私の父を最大限に評価している。
「ちなみに、女性の方は父の弟子です」
「共和国の遊撃士は?」
「それも父の紹介ですね」
まあ、3人とも父が関係している遊撃士たちだ。それ故に、モルガン将軍の警戒というか対抗意識的なものが少し収まったように思える。
が、この事件、遊撃士を捜索から締め出すのは上策ではない。
「ですが、状況が状況だけに遊撃士協会が動かさないわけにはいかないでしょう。飛行船を用いた犯行と聞いています。国境を越えられたら、軍は動けません」
「ぐ……」
軍は国境を越えられない。当然である。というか、やったら戦争一直線である。
だが、遊撃士ならばその制限を受けない。国際犯罪に対処するにおいて、もっとも軽快な機動力を持つ捜査機関は遊撃士協会において他はない。
その有効性はD∴G教団を殲滅した際に証明されている。
「だが、関係者を増やせば、情報漏えいの危険が増す」
「分かってるんじゃないですか、将軍。この一件で、どこから情報が洩れているのか」
「……そうだな」
本来、この国で登録されていない飛行機や飛行船が活動するなど不可能だ。
特にボース地方はレーダー施設が充実しているし、早期警戒管制機もカバーしている。低空を飛ぶにしても限界というものがある。
それをかい潜っているという事実からして、どこから情報が洩れているかなど素人にでもわかる。
「軍関係者の誰かが買収でもされましたか?」
「信じたくはないが……、そう判断せざるを得ない」
「頭が痛くなる話です」
国防の要である防空体制が既に崩壊寸前など悪夢以外の何者でもない。10年の歳月で王国軍はそこまで弛んでしまったのか。
「今回の失態は国境師団、ひいては私に責任がある」
「そうですね」
王国防衛の要たる国境師団のお膝元で、飛行船によるボース市長の誘拐を許してしまったことは王国軍の重大な失態だ。
そして、それはハーケン門を中心としたボース地方の守りを任された国境師団の責任問題に発展する。
「同時に情報部の責任も追及すべきですが……、今、貴方とリシャール大佐に抜けられては、王国軍はどうなります?」
「優秀な人材は育っている」
「しかし、軍の統制が利かなくなります。……とにかく、この件については犯人の逮捕と共に、王国軍の中に巣食う膿も出してもらう必要があります」
「粛清か……。帝国が纏まる前に、軍を立て直す必要がある…か」
革新派と貴族派。既に彼らは内戦の準備に取り掛かっている。
双方とも着々と軍拡を推し進めており、水面下での暗闘も激しさを増している。
「どちらにせよ、メイベル市長の救出が最優先です。軍の面子も判りますが、彼女の身に何かあればそうも言ってられなくなるでしょう」
今ここでモルガン将軍に失脚されるのは拙い。
不穏な空気の流れる西ゼムリアの現状において、彼の勇猛さとカリスマを失い王国軍を弱体化させるのは、国防上大きなマイナスになる。
「背に腹は代えられぬか……、遊撃士協会への情報提供を行おう」
「お願いします」
「お主にも現状を話しておく。メイベル嬢が誘拐された現場は、ボース市北西のラヴェンヌ村へと続く山道だ」
かつては鉱山によって栄え、現在は果樹栽培が盛んという山間の村落がラヴェンヌ村だ。
メイベル市長はこの村特産の果物の販路拡大を市として支援する政策のため、視察を行う予定だったらしい。
「使用された飛行船は目撃者による証言から、形状から判断するに、ラインフォルト製の高速飛行船RF26シリーズに間違いあるまい」
カタログが手渡される。鳥のクチバシに似た先端を持つ、中型の飛行船。時速2,300セルジュ(230km/h)というのは、飛行船としてはかなり速い部類といえる。
もっとも、帝国でもフォコン相当の航空機が登場した今となっては、その速度性能も飛行船としては速い程度のものでしかない。
「連中は谷間を低空で飛行することでこちらの警戒網をかい潜って行動しているようだな」
「小型から中型にかけての飛行船の最大の利点ですね」
元より静粛性も高い飛行船だ。ホバリングが可能であることから地上すれすれでの飛行も可能で、迷彩塗装をすればレーダーでの発見も難しくなる。
それでも、早期警戒管制機によるパトロールから逃れるのは困難だが。
「現在、各方面の部隊が捜索中だが、いまだに発見されてはおらん。また、帝国による関与の線が捨てきれないため、国境封鎖を実施している」
国境封鎖が長引けば経済への影響は免れないが、こればかりは仕方がない。もっとも、帝国が関与している線は薄そうだが。
と、その時、執務室のドアをノックする音と、急いでいるような男性の声。
「失礼します将軍!」
「どうした、来客中だぞ」
「誘拐犯からの犯行声明がありました!」
「何!?」
モルガン将軍が士官の男を部屋に通す。私に向けて敬礼した後、犯行声明の内容を報告した。
市長誘拐を実施したことの声明、そして、王家と航空公社に対する身代金要求。実行犯が名乗った組織名は―
「カプア一家…ですか。ロレントでの市長邸強盗事件をおこした……」
「首領の3兄妹に率いられた、ボース地方と帝国間の国境で活動する空賊団だ。捜査線上に上がっていた賊でもある。従来は密輸業者や違法薬物を扱う悪質業者をターゲットに活動していたようだが……」
犯行に使用された飛行船の特徴から、有力な犯人とされていたようだ。
義賊的なものとして活動していた彼らが、ここ最近において、急速に過激かつ悪質な活動を行う組織へと変貌を遂げたとのこと。
「ほかの地方へと移動した可能性は?」
「飛行船で山間部を移動し、かつ、軍内部の内通者がいるならば可能性は否定できん。クローネ連峰からカルバード共和国との国境まで、全てが捜索範囲となる」
「広いですね……」
「連中は元帝国貴族でもあるが、帝国による関与は……」
「薄いでしょうね」
王国軍の防空体制を調査するため、というのは露骨すぎる。調査目的ならこんな派手な事件は起こさない。
何故なら、事件が起これば王国による防空体制の見直しがなされ、調査した意味が無くなるからだ。
それに、せっかくの内通者も炙り出されて台無しになるため、事件を起こしてのメリットは少なく、デメリットばかりが目立つ。
そして、
「国境封鎖は経済損失が馬鹿になりませんね。そもそも、相手は空賊です」
「国境の出入りについては、審査を厳格化した上で再開するとしよう」
◆
モルガン将軍との会談を終えて待合室に行く。遊撃士協会との協力も取り付けたので、成果は十分。
私は意気揚々と待合室の扉を開き、
「ヨシュアー! 王国軍から遊撃士協会への情報提供と捜査協力を取り付けてきまし―」
「ん~ん、冷たく煌めく琥珀の瞳……、まるで極上のブランデーのようだ。思わず抱きしめてキスしたくなってしまうよ」
「あ…、エステル」
モルガン将軍との会談を終えて待合室に行くと、なんかヨシュアが紅いバラを片手に持つ金髪の男に絡まれてた。
いや、不良に絡まれているとかそういうのではなく、主にホモォ的な意味で。
私はそっと扉を閉めた。
「ちょっ、違うっ! エステル!? 違うから!!」
そっかぁ、ヨシュアって男のヒトにもモテるのかぁ。
はい、のろまに更新です。
051話でした。
閃の軌跡より、超ヒロインが登場しました。
そういえば、暁の軌跡がそろそろサービス開始されるみたいですね。ブラウザゲーとか、あまりやった事ないんですけど、どうなんでしょ。