【改訂版】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ   作:矢柄

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「昔は職人が一週間かけて作っておったものじゃが、時代は変わるモノじゃの」

 

「まあ、そういう基礎的な技術を絶やすと応用で躓くので、イゴールさんにはこれからも頑張って欲しいんですけどね」

 

「引退前の老人をこき使うんじゃない」

 

「何を言っとる。アルセイユにのめり込んでおるくせに」

 

 

ZCFの地下工場にていくつもの特殊な機械が忙しなくキュイーキュイーという摩擦音を立てて動き続ける。

 

薄い基盤の上をレーザーによって驚くべき速度と正確さで加工していくもの、小さな基盤の上に無数の小さな部品を組み込んでいくもの。それらは新型の産業用ロボットだった。

 

古代遺物の導力人形を解析した結果として生み出された新型アクチュエーターの精密かつ素早い動作は人間の手の働きを既に超越した。

 

微弱な圧力を感じ取るセンサー、僅かな凹凸をも観測するレーザーを使ったセンサー、これらはベテランの職人の指の触覚でしか知ることが出来なかった領域に一部踏み込んだ。

 

導力人形の演算回路の解析も進んでおり、それらの成果の一部は新型の導力演算器に応用されている。

 

理論上、これらの技術革新を完全に生かすことが出来れば、クロック周波数にしてギガヘルツの領域に2年以内に到達できそうだという推測がなされている。

 

さらに言えば思考中枢領域の演算回路の解析が進めば、テラヘルツを超える領域に到達も可能であり、あるいは量子コンピューターという全く新しい概念の演算器を再現することも可能かもしれない。

 

そうなれば、導力演算回路の分野においてZCFの地位は不動のものになるだろう。

 

 

「しかしこれで、結晶回路薄層構造も量産可能になりますね」

 

「例の理論じゃな」

 

「限定的な無人での導力魔法の運用。導力力学の常識に変革をもたらすかもしれんの」

 

 

どこぞの怪しい秘密結社のマッドサイエンティストとの話で得た着想を具現化したものにすぎないのだが、しかし、これはこれで導力技術を大きく進展させる要素になり得た。

 

ジェットエンジンの実用化においても、この理論をタービンブレードなどに応用したことで完成したと言っていい。

 

導力演算回路と戦術導力器を融合させた結果、極めて限定的で、一つの導力魔法しか再現できないものの、ヒトという要素を介さずに導力魔法の機械による自律使用を可能とした。

 

これを再現するシステムの一つが結晶回路薄層構造である。

 

ジェットエンジンにはタービンの遮熱コーティング層とニッケル基耐熱超合金の間にこの層を挟み込むことで、異なるエネルギー準位の位相空間による薄い膜でタービンブレードを覆うというシステムを構築した。

 

タービンブレードはこれにより高価になったものの、耐久時間が飛躍的に伸びたことで維持費が低減し、結果として全体のコストは圧縮された。

 

既にこの技術を応用した様々なモノが実現されようとしている。具体例としては導力複合装甲やステルス加工、光学迷彩が挙げられるだろう。

 

まだまだ研究途上ではあるが、最近になって研究が前進しているのは反重力機関の小型化である。

 

反重力機関の小型化については湖底から発掘された導力人形からも多くの知見が得られており、理論的には既に完成の域に入っている。

 

あとは試験を繰り返すことで、より小型で使いやすい反重力機関を開発できるだろう。そうなれば、個人用の飛翔ユニットといったものも作れるかもしれない。

 

 

「ここにいたのか!」

 

 

ラッセル博士らと話し込んでいると、突然ドアが開いてマードック工房長が現れた。その顔は相変わらず必死の形相で、たぶんラッセル家の二人のうちどちらかがまた何かをやらかしたのだろう。

 

相変わらずラッセル親子はマードック工房長の胃壁を削っている。いっそ工房長の胃壁を修復する発明でもすればいいのに。そうすればいくら削っても元通り。

 

 

「エステル君っ! エリカ君を止めてくれ!」

 

「ああ、エリカさんがまた何かやらかしたんですか?」

 

「相変わらずあやつは節操というものがないのう」

 

 

ラッセル博士の小馬鹿にした物言いに、マードック工房長と私とイゴールさんはお前が言うなよ的な視線を送るが、マードック工房長は余裕がないのかすぐさま本題に入った。

 

 

「あの新型導力炉をエリカ君が動かそうとしているんだ!」

 

「ああ、とうとう完成させちゃったんですか。流石エリカさんですね」

 

「トーラス型熱核融合炉じゃったか?」

 

「去年、カペルⅦで設計してましたけど。あんな複雑な構造物を設計しきるとか尊敬しますね」

 

「応用工学に関してはなかなかのもんじゃからな。基礎理論では圧倒的にわしが上じゃがの」

 

 

核融合炉。

 

私としては十年以上先の技術と考えていたが、私の理論と、先の湖底から発掘されたアーティファクトの解析により導力学的ブレイクスルーが発生してしまった。

 

そうして、理論上ならば定常的にエネルギーを80%の効率で取り出せるトカマク型に近いプラズマ閉じ込め方式のリアクターを作れるだけの基礎理論を作ることが出来た。

 

まあ、基礎理論だけでは現物をいきなり作ることは出来ない。数年間の試行錯誤の末に試験機を完成させ、実用的な熱核融合炉となれば10年ほどかかると考えた方がいい。

 

私はそんな感じでエリカさんに理論などを教えてしまったのである。そしたら、一年もしない内に現物を設計して試験にこぎつけていた。

 

あの人はやっぱり何かがおかしい。

 

 

「呑気に話してる場合じゃない! あれは爆発しないのか?」

 

「理論上は暴走はせんのじゃろう?」

 

「ああ、はい。試験炉ですから出力もたかが知れている程度だったと思いますし」

 

 

燃料には重水素を用い、導力魔法による遮蔽により炉内部の温度を10億度以上に維持すると共に中性子を内部に閉じ込める事で、重水素からヘリウム4までの反応を維持するシステムとなっている。

 

重水素を1g核融合させると、そこから得られるエネルギーは平均357ギガワットとなる。

 

とはいえ、実際にはシステムの維持にエネルギーを消費するため85%のエネルギーしか取り出せないので304ギガワットのエネルギーしか得られない計算なのだけれども。

 

それでも莫大なエネルギーと言える。これは石油をおおよそ7トン燃やして得られる熱エネルギーに匹敵するからだ。

 

 

「あー、でも遮蔽に失敗したら中性子線が出るかもですね」

 

「大丈夫なのかね!?」

 

「いや、出力から考えてそこまで派手な事にはなりませんよ、多分」

 

「多分!?」

 

「はは、じゃあ、一緒に見に行きますか?」

 

「うむ、失敗して悔しがるあやつの顔を見るのも一興かの」

 

「ああ、胃が…。教会に礼拝に行こうか…」

 

 

ZCFの黎明期から有能な職人として働いてきた老人イゴールはマードックに憐みの視線を向ける。

 

少女は気付いていないのだ。彼の胃壁を削っているのはラッセル親子だけではなく、エステル・ブライトという稀代の天才も同じであることに。

 

早熟と言うにはあまりにも早く才能を開花させてしまった神童の扱いには、中央工房でも大きく問題になっていた。

 

少女は実力で自らに向けられる胡乱な視線を跳ねのけてしまったが、逆に国内どころか外国からの注目も一身に集めていた。

 

悪意や傍迷惑な好奇心を持って彼女に接触しようという不届き者たちから彼女を守ってきたのは、何も軍の情報部だけではない。

 

そして彼女の生み出す発明品や新しい概念の取り扱いは慎重に行わなければならず、それ専門のチームが彼女と、そしてマードックの下に存在する。

 

刺激を受けてさらに爆走するラッセル家の扱いにも気を付けなければならない。彼らは動き出したらどこに着地するのか分かったものではない。

 

そして何よりも多角的に化物の如く巨大化し続けるZCFを切り盛りするのは、もはや技術者上がりのマードックには荷が重い仕事だった。

 

とはいえ、技術に理解のない人間を工房長のような責任ある立場に置くことは問題があり過ぎる。世界最大の重工業メーカーとなったZCFだが、その本分は研究開発だった。

 

マードックは市長職を辞したものの、仕事は一向に減らなかった。

 

そのあたりもエステルお嬢ちゃんは察しているのか、エプスタイン財団などから技術に理解のある経営分野に強い人材を集めてマードックを支えているようだ。

 

もっとも、彼の胃薬の量は増える事はあっても、減る事は無いだろう。

 

 

「うむ、まあ、わしには関係ない事じゃの。アルセイユがわしを呼んでおる」

 

 

でも、仕事を押し付けられたくないイゴールは、冥福(?)を祈りつつ考えることをやめた。

 

 

 

 

「そして星空を征く旅人は世界を見下ろす」

 

 

反重力機関と導力スラスターによってそれは蒼穹に向かって上昇する。それは長細い円筒形の下部に、それを囲むように四つの短い円筒が接合された構造。

 

そしてそれが高度500セルジュまで上昇した時、四つの短い円筒に内蔵された金属水素-液体酸素ロケットエンジンが着火し、轟音を立ててそれは加速を始める。

 

そして高度1500セルジュにて、下段と上部構造物の接合部分から小さな火が噴き出し、そして上段が切り離された。

 

四つの短い円筒と接合された下部構造物は導力スラスターから火を噴きだしながらゆっくりと地上に降下していく。

 

そして分離された上部構造物は水平に近い軌道を取りながらロケットエンジンによって速度を上げて、第一宇宙速度を突破する。

 

そして十分な速度を得て役目を終えた二段目の円筒が切り離され、それはゆっくりと地上に向かって落下していった。

 

三段目は姿勢制御などを行い、重要な《荷物》を無事に星の世界に届けるためのものだ。

 

スラスターを噴かせて、速度を調整し、そして先端のキャップのような構造が二つに割れて、そして《荷物》があらわになった。

 

役目を終えた三段目から《荷物》が分離する。

 

 

「ヴォヤージュ1号、衛星軌道への投入に成功しました!」

 

 

歓声が上がる。1199年4月、リベール王国は公式には世界初となる人工物の衛星軌道への投入に成功した。打ち上げの様子はリベール王国中にラジオ中継され、他国にもその放送は中継された。

 

打ち上げ施設となったツァイス宇宙基地はカルデア丘陵南西に作られたロケット発射場であり、多くの王国民やマスコミ関係者に打ち上げの様子が公開されていた。

 

反重力往復輸送カタパルトの一段目とロケットによって構成された三段式ロケットであるペガース1ロケットは1トリムのペイロードを誇る優秀な宇宙ロケットだった。

 

その最初の《荷物》となったのは《ヴォヤージュ1号》。世界初の人工衛星である。

 

ヴォヤージュ1号は遠地点約25500セルジュ、近地点約3580セルジュの楕円軌道を115分で周回し、様々な科学データを地上に発信しながら、12年後には大気圏に再突入して消滅する予定となっていた。

 

ガイガーカウンターや高感度カメラ、赤外線観測装置、レーダー。様々な科学機材がヴォヤージュ1号には詰め込まれている。

 

反重力往復輸送カタパルトがゆっくりと地上に帰還してきた。

 

二段目と三段目は使い捨てだが、最大の燃料を消費する一段目としての反重力往復輸送カタパルトは、再利用可能なシステムを採用しており、ロケット打ち上げのコストの圧縮に貢献するはずだ。

 

 

「皆さん、お疲れ様です」

 

「博士もお疲れさまでした。仮眠を取られてはどうですか?」

 

「いえ、一時間後には記者会見ですから。でも、ちょっとだけ休憩させていただきます」

 

 

感慨深いものがある。ディスプレイに映る宇宙から見た蒼い世界の姿。私の手はようやく宇宙に届いた。

 

ヴォヤージュ1はリベール王国の国歌を導力波に乗せながら、世界に新しい時代が来たことを告げるだろう。

 

ヒトという存在が、宇宙と言う世界に飛び出す、全く新しい可能性を人類に示すのだ。

 

 

「おめでとうございます、エステル博士」

 

「ん、ああ、リシャール中佐…、いえ、先月から大佐になったのでしたね。こちらもおめでとうと言わせていただきます」

 

「ありがとうございます」

 

 

ソファに座って紅茶を飲んでいると、情報部の黒い軍服を着たリシャール大佐が、女性士官を連れて現れた。

 

彼には今回のこの打ち上げにおける警備を担当してもらっていたはずだ。

 

女性士官の方は、確か最近よく彼の傍にいる女性で、副官というやつなのだろう。彼が右腕とするのだから、優秀に違いない。

 

 

「今回使ったカメラは精度の良いものではないようですね」

 

「戦略情報の塊ですからね。今回の衛星は科学的調査を目的としたものですし、気象観測を主な役目にしていますから。まあ、他国もこれの意味をすぐに理解するでしょうが」

 

 

偵察衛星への応用など、軍人なら真っ先に想像するだろう。あるいは衛星に兵器を搭載したらどうなるか。

 

地上のあらゆる場所は《天の瞳》から見張られることになり、そしてどこにいようとその攻撃の手から逃れることは出来ない。

 

空に引き続き、宇宙を戦場に加えるという新概念。

 

 

「戦場において陸兵による軍隊を用いた奇襲が意味をなさないことになる。戦争の主役は少数精鋭のゲリラコマンドと、高速展開可能な航空機に取って代わられる」

 

「そういえば、エレボニアは苦労してクロスベルの横に列車砲を設置するのでしたね」

 

「クロスベルとカルバード共和国を威圧するのには有効と言えるのではないでしょうか。まあ、我が軍には無力ですがね。ですが、あれだけ痛めつけた状態で、あれだけのものを用意できるのですから侮れません」

 

 

ラインフォルト社がその技術力を結集して80リジュの口径を持つ列車砲を1門、エレボニア帝国の東端にして最前線でもあるガレリア要塞に配備すると言う情報は既に掴んでいた。

 

当初の予定では2門同時に配備するはずだったのだが、予算の都合によりその案は変更されている。

 

 

「4時間あればクロスベルを壊滅せしめる…ですか。我が国に向ける勇気は無かったようですが」

 

「あんな鈍重な兵器は脅威とは思えませんね。列車砲の利点は、鉄路により移動可能である点です。本来の運用法は敵の堅牢な要塞を破壊するという一点のみでしょう。まあ、反乱分子を街区ごと吹き飛ばすというのも一つの運用法でしょうが」

 

 

80リジュ砲ともなれば、そのまともな運用にはレールを4本ほど要するだろう。つまり、ある程度等間隔の複線を用意する必要があり、インフラが整備できなければそれだけでも運用に制限が加わる。

 

整備や運用にはどれだけの技術者を要するだろうか? はっきり言えば爆撃機の方がはるかに効率がいい。

 

 

「重量5トリムのロケットアシスト推進弾。射程は600~700セルジュ前後といったところでしょうか。命中精度は粗そうですね」

 

「着弾の際のクレーターサイズは10アージュを超えるとの事ですから、使用目的からすれば命中精度は二の次なのでしょう」

 

「しかし国境に展開されれば、リベール全土も射程圏に収まってしまいますね」

 

「場所の特定が容易すぎますよ」

 

「ふふ、考慮に入れる必要もありませんか」

 

「配備した時点で宣戦布告と見なすべきでしょう。先制攻撃も辞さない覚悟で当たるべきかと」

 

「ん、そのあたりのルール作りもしとかなくちゃいけないですね」

 

 

どの時点で先制攻撃を容認するかは、国防においても重要だろう。

 

偵察衛星の精度が上がればエレボニア帝国軍の動きを正確に把握することも可能であり、彼の国が戦争準備を行っているかどうかなど一目でわかってしまう。

 

あの女王陛下ならギリギリまで交渉を続けるだろうか?

 

エレボニア帝国との国力差はかなり小さくなっており、ノーザンブリアを併合する来年にはGDPにおいて3/4にまで迫ることになる。

 

人口が1/3程度であるために国内総生産だけでは国力を上回っているとは言えないが、賠償金の運用により歳入においては帝国を大きく上回っていた。

 

 

「五か年計画も今年で総決算ですか。長かったような短かったような」

 

「すぐに第二次計画がスタートするわけですが」

 

「こういうことは政治家が率先して描くモノでしょうに。なんで私が一から十まで関わらなくちゃいけないんですかね」

 

「博士以上にこの国の将来を見通している者がいないからでしょう」

 

 

リベール王国の経済高度成長は凄まじい速度で進行しており、このままの成長率を維持すれば数年後にはゼムリア大陸有数の経済大国になると予測されていた。

 

捕らぬ狸の皮算用と言ったところだが、少なくとも今後10年に渡ってリベールの経済は成長する余地を持っているだろう。

 

ロボット産業は黎明を迎え、コンピューターや導力ネットなどの情報技術産業が勃興する。航空宇宙産業もまた重要な柱となる。

 

対してエレボニア帝国は深刻な内政問題に直面している。

 

オズボーン宰相の政治手腕により経済成長率こそ5%を超えようとしているが、貴族の存在による非効率な国家経営が経済の成長の足かせとなっていた。

 

カルバード共和国は安定的に4%前後の経済成長を維持している。しかしながら最近はZCF製などのリベール王国の工業製品に市場を席巻されつつあり、製造業が伸び悩んでいる。

 

このため金融業への依存を高めており、経済発展に実体経済の成長が伴っていない。

 

また、カルバード共和国の民族問題は大きく問題化し始めており、各地で移民の排斥を訴えるデモが頻発し、旧来の共和国市民と移民との間の緊張は高まる一方だ。

 

 

「エレボニア帝国の内戦は予測していましたが、カルバード共和国の状況が予想以上に酷いですね。経済恐慌が起これば何が起こるかわかりませんよ。市場が縮小するのもいただけません」

 

「東ゼムリアや南方諸国との貿易量も増えているので、そこまでの影響は無いのでは?」

 

「それでも、共和国はお得意様ですよ。あまり不安定になられるのも考え物ですよね。しかし、導火線はやはりクロスベルですか。足場は一応ありますが、本格的な介入はできそうにはありませんね」

 

「ハルトマン議長とは良い関係を築いておりますが、やはりあの地は帝国と共和国の最前線ですからね」

 

「どちらにせよ、火種ぐらいは事前に察知しておきたいですね」

 

「クロスベル・タイムズに人を送ることにしましょう」

 

 

クロスベル通信社はあの自治州において最も権威あるメディア媒体だったはずだ。帝国と違って記者は動きやすく、公開されている情報ならばいくらでもアクセスできる立場にある。

 

諜報のほとんどの作業は公開情報の分析で事足りるのだから、通信社や大使館でも十分なソースとなりえる。

 

 

「それで、本題に入って頂けませんか? 噂話をしに来たわけではないんでしょう?」

 

「これは失礼をしました。実は、博士の暗殺計画を察知いたしまして」

 

「私をですか? 何処の誰です?」

 

「カルバード共和国の企業家たちの勉強会といったところでしょうか」

 

「阻止は出来たのですね?」

 

「いいえ、既に暗殺者に依頼と依頼料の支払いが済んだ後でした」

 

 

成功するかどうかも分からないのに、既に全報酬を支払った後なのだと言う。暗殺依頼の前払いとか聞いたことがないのだけれども。

 

 

「ですので、しばらくの間、博士の身辺における警備体制を強化させていただきます」

 

「暗殺者はどのような?」

 

「カルバード共和国の東方人街伝説の暗殺者《銀(イン)》。なんでも共和国成立時から闇で暗躍を繰り返していた不死身の怪人との話でして」

 

 

 

 

 

 

「エステル、誰からの手紙?」

 

「ユン先生ですよ」

 

「本当っ? 見せて!」

 

 

暗殺云々の警告から二カ月が経ったある日の夕食後、リビングで私はエリッサとヨシュアの三人でラジオを聞きながらくつろいでいた。

 

ヨシュアは最近話題の小説を読んでいて、私はユン先生から届いた手紙を読んでいた。エリッサはパズルに挑戦していたが先ほど飽きたらしく、手紙を覗き込んできた。

 

先生はゼムリア大陸各地を旅してまわっていて、時折こうして手紙が送られてくる。

 

 

「ふうん、エレボニア帝国にも温泉があるんだ。でも、なんでエレボニア人なんかを弟子にとっちゃったんだろう?」

 

「自由な人ですから。それに、エレボニア帝国の貴族は武術を嗜むことが多いらしいので、その関係かもしれませんね」

 

 

例えばアルゼイド流やヴァンダールといった大型の剣を扱う流派があり、また貴族の間では片手剣を扱う宮廷剣術などが盛んだと聞いている。

 

特にアルゼイドの《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイドは剣の道においては名を知らぬ者がいないというほどの達人と聞いている。

 

 

「シュバルツァー男爵家というのは聞いたことがありませんがね」

 

「シュバルツァー男爵領…、たしか、帝国北部のユミルにある変わり者の男爵が治める領地だったかな」

 

「ヨシュアはエレボニア帝国の土地に詳しいのですか?」

 

「ん、どうだろう。たぶん、何かの本で読んだ知識だと思うけど」

 

「温泉が有名なんだって」

 

「そういえば、エルモ温泉に行く約束、まだ果たしてもらっていませんでした」

 

 

去年、父とエルモ温泉に家族旅行で行こうなんていう話をしていたが、お互いにまとまった休暇を一緒にとることが出来ず、年末年始は数日ほど一緒に過ごせたものの、まだ約束は果たされていない。

 

今日だって父はレミフェリア公国に出張している。S級というのは忙しいらしい。

 

私が暗殺されるかもしれないという話に、父も出来うる限り家にいたのだが、二カ月が過ぎると、流石に外に出ないわけにはいかなくなったようだ。

 

 

「そろそろまとまった休暇を取りたいですね」

 

「休暇? 何か予定でも立てているのかい?」

 

「ん、お父さんとの予定が噛み合えば、エルモ温泉に行くのもいいかなと」

 

「温泉かー。そういえば、最近行ってないよね」

 

「最近立て込んでいましたから。…ヨシュア」

 

「うん」

 

 

ヨシュアに視線を送ると、彼も穏やかな笑顔から一転して真剣な、戦う人間としての顔に変貌する。少しびっくりしていたエリッサも、周囲に注意を巡らせてようやく気付いたようだ。

 

同時にメイドのメイユイさんがいつもとは違う、少し余裕のない表情でリビングに入って来た。

 

 

「お嬢様方、敵襲です」

 

 

 

 

「規模は?」

 

「おそらくは数人、情報部から通達のあった例の暗殺者かと思われます。警備部隊の方々が応戦なされていますが、かなりの手練れのようでして」

 

「そうですか。地下に行きますか?」

 

「それが良いかと」

 

 

この屋敷にはシェルターとしての地下室が建造されていて、分厚い鋼板と鉄筋コンクリートで出来たそれは空爆による攻撃にも耐えきれる設計だった。

 

ヨシュアはいつも携帯している双剣を腰に下げ、私とエリッサも刀をとると、非戦闘員であるメイドのエレンを連れて4人でメイユイさんの後に続いてリビングから出る。

 

そして、エレンが不安げな表情でメイユイさんに話しかけた。

 

 

「あの、お姉ちゃんは…?」

 

「シニと共に既に迎撃に出ています。ラファイエット様が指揮をとっておられます」

 

 

屋敷の外では怒号が響いている。父がいない時を狙って襲撃してきたのだろう。

 

しかし気配や声から察するに、状況はあまりよろしくないようだ。護衛のため中隊規模の人員が待機していたはずなのだが。

 

 

「ワンマンアーミーの類ですか」

 

「だろうね。警備部隊の人たちの練度は決して低い物じゃなかった。それを数人なんていう規模で突破するんだから、達人級の腕前なんじゃないかな」

 

 

そしてメイユイさんを先頭にして歩き、地下室への入り口までも少しと言うところで、唐突にメイユイさんがその足を止めた。

 

廊下の角の向こう側からゆらりと現れる黒い影。

 

 

「…やられました。別働隊が動いていましたか」

 

「……フッ」

 

 

目の前には黒装束の、口元以外の部分を全て黒い覆面などで覆った、男とも女とも知れない人物が立っていた。

 

そして次の瞬間、私たちの周りにあった導力灯が突然割れて、照明が落ちる。視界が闇に閉ざされ、そして風を切る音が迫って来た。

 

私は己の信ずるがままに刀を抜いて振り抜く。金属同士が衝突する音が鳴り響く。おそらくは小型の金属片、ナイフの類。

 

軌道をそらされたそれは、そのまま後方へと飛んで行って床に刺さり、そしていきなり爆発を起こした。

 

驚いている隙に相手が接近する気配を感じる。しかしそれはメイユイさんによって阻まれる。メイユイさんの短刀と、相手が持つ大きな剣が激しく衝突を繰り返す。

 

闇に浮かぶ火花。ようやく目が慣れてきて、相手の姿を確認できるようになった。ヨシュアはすでに動き出していて、建物の構造を利用した巧みな立体機動によってメイユイさんの援護を行っている。

 

しかし、なんというか、相手に違和感を覚える。目の前の相手にはそこまでの脅威を覚えないが、何か嫌な予感がする。

 

 

「ふむ、なんなんでしょうね」

 

 

どことなく、相手は本気を出していない様な、そんな気がする。とはいえ、凄腕であることは間違いがない。

 

ヨシュアとメイユイさんの攻撃を受け切り、そして傷を負っていない。ただし、二人の方が優勢に思える。何かがおかしい。何がおかしい?

 

 

「なるほど、これが噂に聞く伝説の凶手《銀》ですか」

 

「……」

 

 

なんでも百年以上にわたってカルバード共和国の裏社会において名を轟かせる伝説の暗殺者らしく、共和制への移行の際の血生臭い闘争においても多くの重要人物を屠ったと報告書にはあった。

 

不老不死という話もあるのだが、まあそれはこの際どうでもいい。重要なのはこの違和感。まるで―

 

 

「罠です!!」

 

「くっ、そうか!」

 

「フッ、遅い」

 

 

次の瞬間、廊下の各所に貼られていた長方形の紙、何やら文字が書かれているモノから強烈な氣の拡大を感じ取る。

 

 

「エリッサっ!」「うんっ」

 

 

私はすぐさまエレンを掴んで窓に向かって跳躍し、窓ガラスを突き破って外に出る。エリッサも同様に窓から外に出た。

 

閃光と轟音。熱と衝撃波により体が押し飛ばされ、廊下が崩れ落ちた。

 

 





対《銀》戦です。

30話でした。

改訂前バージョンが長かったのでこれも二分割。

やったね○○ちゃん、話数が増えるよ!


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