幽香さん、優しくしてみる   作:茶蕎麦

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第十三話 古の怨霊に優しくしてみた

 

 霍青娥は、千数百年以上前から邪仙、つまり仙人として生きている女性である。修行こそ人を仙人足らしめているものであり、それほど永く研鑽を積み続けた彼女の力は幻想郷の数多の存在と比べても高みに位置するものとなっていた。

 既に神仙の域に到達している仙術、それ以外にも時にあかせて修めた妖術魔術等、青娥が強者から学び続けたそれらは、彼女をただの邪仙とするにはあまりに多岐に渡っていて。

 外の世界において青娥は並ぶものない術士、として影にて知られたものだった。

 

「やっぱり、幻想郷は面白いわ」

 

 しかし、そんな平らな世界での最強など、青娥の欲するものではない。自分では及ばぬ強者の存在こそ、望ましく。そこから大いに学び取る楽しみが、彼女の永い生を支えていた。

 真の強者、化け物共の上澄み。風見幽香のことは、幻想郷に出入りするようになってから早々に知っていた。だが如何せん、不変の最強に対して青娥の食指が動くようなことはないのである。

 それは、付け入ることの出来ない高み。今更無理をしていたずらに挫けることを許容出来る程、青娥が培ってきた自信は軽いものではない。だから彼女は幽香を酸っぱい葡萄と思う他に、何も出来なかった。

 その認識は、しかし物欲しげに見つめていたある日、唐突に変わる。

 

「まるで相手の気持ちすらも分かっているかのように、無力の楽園で弱者の振りをする。そんな最強なんて、あまりに愉快で魅力的過ぎてしまうじゃない」

 

 たとえそれが、本人がわざと見せている隙だとしても、宝を求めて虎口に入るのは欲深き仙人の当然だった。幾ら思慮深く悩んでも、愚かな外道の人間に堪えきれるものではなかったのである。

 そして、噛んだ葡萄の酸いを楽しんで、青娥は思わず口の端を緩く歪めた。自然上から下に、利用されてあげると笑っていた風見幽香のことを、彼女は決して嫌わない。

 むしろ、青娥のすべてを呑み込んで、認めるその視線。ぞくぞくするほど底知れない赤に、美を覚えて愛してしまう始末。

 孤高は失せ、滑稽さまで帯びた天蓋の外。権能、それすら弱力に思えてしまうほどの単純力量。それでいて妖怪でしかない、彼女。果たして、そんな突然変異に学ぶことなどあるだろうか。

 

「弱者に視点を合わせることが出来る、その自縛。力の制御においてはきっと彼女の右を出るものはいないでしょう。小バエを潰さず払う、象の力の自在。そこに力に遊ばれがちな術者が何も学び取れない、なんていうことはあり得ない」

 

 そう独りごちながら、青娥は掌の内にて花を編む。力を歪め整え、生物の似姿を求めていく、その所業。生きとし生けるものを創り出したものに対する冒涜のような行為は、しかし途中で集中足りずに霧散して終わる。

 そう、風見幽香が創り上げる弾幕美に、仙人の天井にぶつかっている青娥の物真似は及ぶことはなかった。

 

「それに……そのあり方も、面白い」

 

 微笑みながら、青娥は障子の桟をなぞる。すると、その区切りを嫌った彼女の力に耐えられなくなったほねは、無残に折れて、散らばった。

 後に残ったのは、広い紙張りの空間ばかり。そう、域を広げて形容しがたくなった、だがしかし無残にもそこにあるもの。

 それが、青娥には幽香の姿に見えて仕方がなかった。

 

「風見幽香、彼女には魅せてもらいましょうか」

 

 青娥は、妖怪を邪悪と断じる。だがしかし、風見幽香には別の感想を見出していた。不死に近い人間らしく万古不易を好むところだったが、彼女は有為転変も嫌いではない。

 だから、ねえ、芳香、と青娥は今も暗闇に向かって口にする。

 

 

 

 聖輦船は、地に降り立ち形を変えて、更に命蓮寺と名を変えた。人里近くの妖怪寺。最初は人間に関わる誰もが警戒を行った。

 しかし、今のところ命蓮寺の妖怪が人を害したことはなく、むしろ彼女等は積極的に人助けを行ってすら居る。

 建ってから経たのは未だ二年。不安に思っている者は数多い。しかし、認めて居る者だってそれなりに存在した。

 むしろ、妖怪寺と知られる前は、宝船から変じた寺なんて縁起がいいと人でごった返した程だ。下手をしたら命蓮寺の人里での知名度は、良くも悪くも博麗神社に守矢神社をも上回っているかもしれない。

 

「ねえ幽香。あれが、お寺?」

「そうね。前から人里にそれらしいものもあったけれど……今はアレが一番確りとした寺ね」

「ね、早く行こう!」

 

 そんな、人々の注目集める木造建築物に向かって、ゆるりと歩む、少女が二人。内の一人、フランドール・スカーレットは日傘を優しく持ったその逆手を、自らの喜びを伝えるためにギュッと握りしめた。

 背中に七色を実らせる小さな吸血鬼に手を引かれているのは、風見幽香。人が大型犬のリードに引っ張られるように、フランドールの好奇心故の奔放は枷をずって自由になろうとしていた。今も、走って行きたいと、遠慮なく繋がる手に力を込める。

 だが、優雅を好む幽香は、そんな吸血鬼の暴走なんて意識せずともたやすく手懐けてしまう。ただゆるりとその場を歩み、伝わってくる些細な力など無視して笑う。

 

「フランドール。お寺は逃げないわよ」

「でも、興奮は冷めちゃうわ!」

「貴女の場合、冷えたくらいが丁度いい温度だと思うわ」

「むぅ。そんなものかなー」

 

 フランドールは、ゆっくりとした歩調に自らの音色を合わせて、溢れる気持ちを落ち着かせる。自身の狂気の綱をもう握っていられていると思っている彼女は、平素からの危うい機嫌の上下を知らない。

 感受性の高さ故に、喜怒哀楽その全てが強すぎるフランドールを宥めるのは、大変であるが問題を起こさないためには大事なこと。

 案内人兼遊び相手だけでなく、その役目も任されていることも理解している幽香はゆっくりと、彼女を慣れさせるために整地された地面を歩む。

 

「ぎゃーてーぎゃーてー♪」

「わっ、あの子つるつるじゃないね……でもアレ、門前の小僧、ってやつ?」

「そうね。以前、覚えてしまったと言って、私の前でお経を諳んじてくれたわ」

 

 幽香は、ちなみに命蓮寺に剃髪している子は居ないわ、という言葉に驚いた様子のフランドールを見、そうしてから歌うように読経している山彦、幽谷響子を認める。

 よくよく眺めてみれば、響子の犬のような耳は口元のリズムに合わせるように上下していた。箒を持つ手も一緒に上機嫌。彼女は随分と掃除を楽しんでやっているようである。

 そんな響子は人の気配に顔を上げ、そして幽香達を目にして、喜色を更に高めた。

 

「あ、幽香さんと……誰かな。まあいいや。おはよーございます!」

「わ、大きな声。吸血鬼的には夜更かしなんだけれど……おはよう」

「おはよう、響子」

「ちゃんと挨拶を返してくれて、嬉しいです! でもあれ、吸血鬼……もしかして、貴女は幽香さんが前に言っていたフランちゃん?」

「そう、だけれど……」

 

 箒と仕事を放り出し、二人の元へと駆け寄ってから、フランドールの前で響子は首を傾げる。

 その疑問を解決するためのフランドールの返答は、小さい。どう噂されていたか判らないために、フランドールは少し不安だったのだ。もしかしたら、自分が悪く思われてはいないだろうか、と。

 それは、杞憂に他ならなかったが。

 

「私、幽谷響子。ちょっと病気がちで不安定だったって聞いていたけれど、もう平気なんだ! 良かったー」

「え。う、うん」

「フランちゃんはすっごい良い子だって聞いてるよ。今日は何用で来たのか知らないけれど、暇があったら何時か遊んだりしようね」

「えっと、ええと……」

「ふふ。つまり響子はフランドール、貴女とお友達になりたいそうよ?」

「あ、言葉足らずでした? うん。幽香さんの言った通りだよ!」

「お友達? 大ちゃんとチルノ以外の?」

「そうね」

 

 笑顔の二人に、フランドールは目を丸くして信じられないと口をぽかんと開けた。

 フランドールが外を出歩くのは、何も今日が初めてのことではない。だが、外出にて知らない妖怪と関わるのは、今回が初めてのことである。

 生まれてから五百年以上の年月、知識はそれなり以上に溜め込んでいた。だが、その中には他への不信を煽るような内容も多々あって。自身の封じられた境遇から見ても、外に対する不安は非常に多いものがあった。

 だから、フランドールは自身が煙たがられることはあっても、認められることなど考えていなかったのだ。妖精二匹は例外だと、そう思い込んで。

 幽香が、驚く顔が見たいからと培った自身への信頼を使って響子に信じ込ませたことなんて、フランドールが分かるはずもない。だから、少しだけの沈黙の後に、おずおずと彼女は言うのだった。

 

「……ちょっと、考えさせて」

 

 他人は、怖い。そんな勘違いは臆病者の自己防衛。差し出された手を前にして、畏れられるべき破壊の少女は足踏みをする。

 

「あははー。びっくりさせちゃったかな? 可愛い。フランちゃんって本当に、箱入り娘なんだねー。優しくしてあげないと」

「ふふふ。貴女みたいに、未熟を摘もうとしない変わり者の妖怪たちばかりが集まるここは、この子にとっていい保育所になるでしょう」

「保育所代わりですか……構いませんよ。命蓮寺はゆりかごから墓場までの誰彼、それこそ悪意を持つもの以外に門戸閉ざすことはありませんから」

「貴女は……」

「白蓮」

 

 困惑するフランドールを優しさが囲んだ直ぐ後に、それよりもずっと柔和な存在が門からすっと現れた。包容、それを感じたフランドールの未知への恐れは発生してからあっという間に溶けていく。

 装いは魔理沙と同じ白と黒。しかし服に余計が付き過ぎであるし、髪も長くてらしくはない。だがしかし、訊かずとも目の前の人間が僧侶――良くなろうとしている人――であることを、フランドールは心の底から信じられた。

 己に向けられる慈愛、それは姉のもののようでも、どこか現と異なるような視点のようでもあり。フランドールは挟み込まれた声色とその金の瞳に、ぞっとする程の徳を覚えた。

 

「命蓮寺にようこそいらっしゃいました、幽香さんにフランドールさん。ご用向きは何でしょう?」

 

 幽香と違い思わずとも優しくしてみている住職、聖白蓮は笑顔のままにそう訪ねる。

 

 

 

「な、なにこれー!」

「え、さっき言ったよね。これは私のスペルカード、雨傘「超撥水かさかさお化け」だよ!」

「小傘ちゃんがこんな弾幕を使うなんて、聞いていな……うわっ!」

「フランちゃんが一杯驚いているのが分かるよー。良かった私、間違えてなかったんだ! 吸血鬼程の妖怪がびっくりするくらいだもの、難度を上げたこの弾幕で再チャレンジしたらきっと霊夢さんを驚天動地させられるねっ」

「うー、これは私だから驚いたのだと思うけれど……」

 

 紫色をした傘を振り振り、唐傘お化けの少女――多々良小傘――は晴天の昼空に水気を振りまいた。フランドールは彼女が作り出す出来の悪い雨粒の中を大げさに避けて回る。

 周囲には仏法を学ぶ妖怪たちや参拝に来た人間等が密でない青い弾の散らばりを気楽に眺めていたが、渦中にて慌てるフランドールは真剣だった。

 それもその筈、小傘が弾幕によって象った雨、それこそ流水を嫌う吸血鬼の天敵であったからだ。勿論、真似ているのは形象ばかり、とはいえフランドールの中に巡っている呪いには通じる。

 フランドールが逃げるのに集中するのも当然のことだろう。弱まった今、一粒でも当たったらきっと、とても痛いだろうから。

 

「優しい皆に格好良いところ、見せたかったのに。これなら幽香の言うこと、ちゃんと聞いていれば良かった……」

 

 雨に驚き逃げ回っていく合間に、最初にあったフランドールの勢いも湿っていく。そして、今日も彼女は学ぶ。調子に乗ると、しっぺ返しが来ることもあるのだと。

 

 用は何かという白蓮の問いに、私が貴女に秘密のお話があるのだと、幽香は答えた。そして、フランドールはその間遊ばせるつもりで連れてきたのだ、とも。

 白蓮に急ぎの用事はなく、ましてや快く思っている恩人との対話を彼女が嫌うはずもなく。子守の件も含め、彼女は快諾した。

 そのままフランドールに付いていこうとする響子に、まだ終わっていない掃除の他にも作務の行がまだあるでしょうと軽く叱って、白蓮は来訪者二人を墓地へと連れて行く。

 そして、墓石の影からばあ、と現れた小傘に一切心揺らがせないままに白蓮は、貴女は人里でべびーしったー、というのをやっているのですよねと尋ねる。

 そうだよー、と言う小傘にそれではフランドールさんと少しの時間遊んで頂くのは可能ですかと再度訊き、彼女が頷いたことに白蓮は満足の笑みを見せた。

 二、三幽香と会話を交わしたフランドールは、その後すぐに人間に必要とされたということで急にやる気を出した小傘に手を引っ張られ、手を振る二人に手を振る間もなく来た道を引き返すこととなる。

 

 幽香との縁故を辿って諏訪子直々に整地して貰った命蓮寺には立派な庭があった。二年の月日で、植えられた庭木も充実しており、寺に連れてこられた子供達が隠れんぼを行う格好の遊び場となっている。

 そこにて、二人は大いに楽しんだ。それどころか、修行をサボタージュした妖怪等も参加し、大勢となって缶蹴り等の遊戯も皆で行うこととなり。

 友達の輪を一気に広げたフランドールは大変気を良くして、次は自分の得意、つまり彼女が弾幕ごっこをして遊ぼうとしたのは、自然の成り行きだったのだろう。

 去る前に幽香が口にした、小傘と弾幕ごっこをするのはやめておきなさい、貴女じゃあきっと敵わないから、という忠告をフランドールは冗談と取っていた。だから、気軽に戦って。

 

「わ、わっ!」

「ぷぷっ、フランちゃん避けるの下手だねー!」

「むぅー!」

 

 それがこのざまである。

 

 因みに、吸血鬼の力弱まる流水の中とはいえ、フランドールが無様を見せる原因は、弾幕の意外な難易度のためでもあった。

 超撥水の反射角百五十度。鈍角の広がりは重なり合うことで死角を失くし、三百六十度を巡っていく。水弾は、完全に支配されていないために散らばりは雑多で予知し辛いもの。

 背中の虹色どころか本物の虹が垣間見える感動もあって、フランドールは大変に困惑していた。

 

「ふふ。やっぱり、フランドールは忠告を無視したのね」

「幽香……」

 

 そんな中、会談が終わったのか幽香が飛沫を手にした傘で防ぎながら、庭に足を踏み入れる。バツの悪い思いに、フランドールは表情を曇らせた。

 しかし、そんな弱気な彼女に向かって、風見幽香は助言する。

 

「顔色が悪いわね……力を出せない状況に、歯がゆい思いはあるでしょう。でも、これは遊び。それも楽しんでしまえばいい」

「楽、しむ……」

 

 フランドールは幽香の言葉を繰り返し、飲み下す。呪いによって魔力も妖力も、この偽雨の中では消え入ってしまったかのよう。弾幕だって小さいものしか投じられない。

 だが、それがどうした。力を億分の一も出せずとも、風見幽香は悠々と勝利を掴み続けている。

 そして、負けることだって遊びの一つであることにも、幽香の言葉で気付くことが出来た。恐怖なんて、心地いいスリルにしてしまえばいい。

 

「きゃはは!」

「わっ」

 

 そして、小傘は吸血鬼の窮鼠の牙に驚かされる。フランドールは翼開いたかと思えば、一挙に攻勢に出た。

 

「どうせこんな弱いの当たらないから撃たない、なんて私らしくない考えだったわ! 幾ら劣勢だろうとそんなのを気にしないのが私だった!」

「こんなに沢山の魔弾、相殺しきれない……きゃぁっ!」

「そう、これが、私!」

 

 それは、滴を破る怒涛。無為にも見える程の弱さを、フランドールは量で補う。

 一発一発は非常に弱まって小傘の弾幕を破る程の力はない。だが、狂気を感じるほどの夥しさを持ってして、フランドールは赤で青を貫いた。

 最早形勢は逆転し、抵抗は焼け石に水。それに気付いた小傘は早々に、墜っこちた。

 そして、フランドールは、宙に己を表せたことを誇る。本気を出すために日傘を落としたことすら忘れ、その身から紅い湯気を立てながらも胸を張って。

 

「少し禍々しい様子ですが、どうやらフランドールさんも楽しんでくれたようですね。それに、幽香さんの言葉で、何か一つ吹っ切った様子で」

「そうみたいね」

「……私は、未だに少し、迷っています」

「それでも、貴女はきっと変化を受け入れる」

 

 こわばった表情で宙を見つめる白蓮の横にて、言に応答しながら幽香は笑顔を作り上げて、拍手をした。

 空への集中は、移動する。その場の誰もが寄ってくることを歓迎するために白蓮も笑顔を作って。

 

「そう、なのでしょうね……」

 

 ぽつりと、そう呟いた。

 

 

 

「それで、秘密にして欲しい要件とは、何でしょう?」

 

 客間にて、ちゃぶ台を挟んで幽香と白蓮は相対す。ニコニコと出ていった本尊代理、寅丸星の足音が遠ざかる音をたっぷり二人は聞いた。

 

「封印に関して、ね」

 

 問われた内容に、茶で喉を潤したばかりの幽香の口は軽く動く。白蓮の眉根が寄るのも、早いものだった。

 

「先の私の封印について、という口ぶりではありませんね……幽香さんなら、やはり判ってしまうのでしょうか」

「千年の封印の間溜め込んだ貴女の魔力の全てで鎖してから、寺で蓋をする。ここまで万全の封印、開いてしまうどころか気付く者も中々いないでしょう。封印時に貴女が損耗していたとしたら、半端になってしまったかもしれないけれど」

「それでも貴女には、察されました」

「私であっても、零を解すのは無理なこと。貴女が封印したものの関係者から訊かなければ、流石に判らなかったわね」

 

 それは、指示されその近くで地ならしを行った諏訪子ですら、その下に空間があることは判ぜてもそこに封印があるとは思えなかったほどの完全。

 封印された中で瞑想を続け、力を高め続けていた白蓮の全力なのであるから、欠片の力も漏れるはずもなかった。だがもし、弾幕ごっこなどでその一部でも使われていたら、或いは自然に自壊する程度の封印しか出来なかったかもしれないが。

 何せ、千年以上もその目の前に封印を見続けて理解していても、あくまで聖白蓮の得意魔法は身体強化であるのだから。

 幽香が口にした関係者の言葉に白蓮は身体を固くし、思わず全身に魔力を通していた。

 

「封印から何者かを開放するおつもりですか? 確かに貴女の敵ではないのかもしれませんが……しかしもしもの可能性を私は想像してしまいます。それに全ては私が始めたこと。無責任に人任せというわけには……」

「むしろ、怖いからと封じて、時に解決を託す方が無責任ではないかしら。それに、そもそも同じように幾年も閉じ込められていた貴女は封印に対して一家言くらいはあると私は見ているのだけれど」

「……確かに、私は問答無用に封じることを、経験抜きにしても正しいとは思えません。ですが、私と同じ僧らによって封印されていた者、それに邪心を感じてしまえば、どうしても……」

「――――それは、魔道に堕ちた僧侶よりも邪悪な存在?」

「……分かりません」

 

 不明、それを恐れる心は果たして正しいのか。恐れによって生まれた妖怪を愛しながらも、しかしその在り方を変えようと動いている白蓮は自業を恥じて項垂れる。

 自らと離れた心を、邪心と捉える。それも相手を見ずに。そんなことは良くないことだと、子供だって分かるだろう。

 だがしかし、自分の愛するものまで傷つけかねないその力の強さ、そして感じた理解できない精神への恐れから、無かったものにしようとしてしまった。

 それを、直さずともいい人である白蓮は、気付く。気付いてしまったのだ。

 

「ここ、幻想郷はすべてを受け入れるそうよ――――仲良く、しましょ?」

 

 誰かの言葉を引き継いで、幽香は頭を垂れたままの新参者の僧侶に向かって、微笑んだ。

 

 

 

「貴女の願いは叶えたわ」

「ありがとう、ございます」

 

 それは丑三つ時に、寝入った様子を見せていた幽香が唐突に紡いだ一言。だが、それを枕元にて受け取るものが居た。

 薄く、発光している幽体は二本の尾を両足のようにし、少し古臭い少女の形を取りながら蕩けるような笑みを見せる。

 無防備にも目を瞑りながら、幽香はそれを知った。

 

「太子様……千年以上も待ちましたが、これで貴女とまた……」

 

 感情に合わせ、バチリバチリと電気を弾けさせながら、彼女は熱い頬をこねる。彼女が蘇我屠自古という神の末裔の亡霊であることを知るものは、幻想郷に数少ない。

 それこそ幽香ですら、その願い以外の全てを知らなかった。もっともそれはどうでも良かった、そういうことであったのかもしれない。

 そのただ優しくされた対象、屠自古は今も目で見ずとも観られていることに気付いたのか、改めて紅い顔から手を話して頭を下げた。

 

「このお礼は、必ず……」

「期待しないで待っているわ」

 

 実際に、優しくしてあげた結果に、波乱が起こること、それこそが幽香にとっては報酬である。亡霊の礼までも、期待してはいない。

 だが、それを自分が過剰に低く見られているためではと考えた屠自古はプライドのためにも、やってやんよ、と気合を入れて消えていった。

 残ったのは、多少の静電気と、僅かな寒さ。そして、最後の課題である。

 

「後は、あの仙人の望みだけね」

 

 瞼の奥の赤を動かすこともなく、幽香はそう零した。

 

 

 

 


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