幽香さん、優しくしてみる   作:茶蕎麦

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 非常に遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。


第十一話 箱の猫に優しくしてみた

 

 風見幽香は能力というものに対しての興味がからっきしない。一部に注目するより全体を見る。それが相手を計るのに間違いのない方法だと考えているからだ。

 だから、紅魔館の奥に潜む子猫が破壊の吸血鬼と呼ばれていることは知っていても、それがどれだけ理不尽なものかを知らなかった。

 そう、その身で体験するまでは。

 

 

 

 暖かく優しい陽の光の遠い屋敷の中。地をくり抜き更に光を拒んだその奥底にて、自分を抱きしめ丸くなっている少女の姿があった。

 小さく、誰から逃げているかのように纏まってしまった少女。しかし、その矮躯は特徴的で人目を惹くものだろう。

 彼女が東方の広大な結界の中で、西洋風の見た目を取っているという、それだけが目立つ要因ではない。その背からは、黒い翼膜なき蝙蝠の翼のようなものが伸びていて、更にそこからは七色の宝石のような結晶がぶら下がっている。

 自在にそれを広げて揺らす、そんな綺麗過ぎる様態はここ幻想郷でも酷く、珍しいものだ。おどろおどろしさの欠片もないその羽根は妖怪の顕現ではなく、芸術的なイミテーションにすら思える。

 そして、そんな外見的特徴以上に、おかしなところが一つ。それは、吐き出すために開いた口から覗く、彼女の八重歯の鋭さでも噛み切れない言葉がそれとなく教えてくれる。

 

「あはは。また、壊しちゃった……」

 

 ふと、彼女の宙空を望んだ瞳は涙をたたえて、しかし口角は歪んで仕方がない。喜色に悲しみに、混じった心で歪に笑う、彼女は揺れていた。

 人でなしで、そして妖怪としても正しくない、そんな違えた彼女は、フランドール・スカーレット。霧の湖の畔に佇む洋館、紅魔館の主、レミリア・スカーレットの妹で、同じ吸血鬼である。

 フランドールは生まれてから五百年近く、地下で過ごして来た。しかし、彼女は生誕四百九十五年目に霧雨魔理沙との邂逅を果たし、それから何か変わったのか、独り、館の中を気ままに歩むようになっている。

 屋敷の中のみにて自由なその姿はまるで猫。そう、風見幽香が猫と称したのは、このフランドールであった。しかし、今少女は何かに縛され動く様子はまるでない。

 

「壊したくないのに、壊したかったのは私で、台無しにしたのが楽しくて、でも見捨てられるのが怖いのも私!」

 

 フランドールの口から語られるのは、矛盾した自覚。理性と感情の折り合いがつかないまま、発作的に行動の功罪をすら抱いて、彼女は衝動を胸元で必死に抑えている。

 善悪の粒が、フランドールの中では大きくざわめいていた。整理のつかない心は彼女の中で暴れて、狂気のごとくに波立つ。

 地下の自室に篭ってこうなってしまったフランドールに触れるものは、屋敷の中にも居ない。今の彼女は破裂していない不安定な爆弾。いくらそれを愛していようとも、自分も大事であれば誰もそんな代物を抱きしめようとは思わないだろう。

 

「ああ、あの太陽のような人、残念だったなぁ……あはは、偉そうにしてたのに、ああなったらもうおしまい! 私に振った手も、もう届かない」

 

 フランドールは思う。バルコニーから覗いていた、愛おしい門番の隣で太陽の光を浴びて、輝くような笑顔を見せていた、そんな少女を。

 恐れを知らない陰り一つない少女の表情。それこそフランドールが内心欲していたもので。だからこそ、彼女は壊してしまった。

 果たして、吸血鬼が太陽の少女に掌を向けるのは、健全なことと言えるのだろうか。遠いそれが手の中に収まらないことを嫌い、引きちぎるようにかざした手を閉ざしてしまったことは、間違いだったのかとフランドールは自問して。

 そして、そのために、掴んでしまったもの、そして太陽の少女が壊れてしまったのは、本当に望んでいたことなのかと、自業を疑う。

 

「……あれ?」

 

 口程にあれは本意ではなかったと、狂笑していたはずのフランドールの瞳から零れた涙が教えてくれる。流れ流れて、濡れて慌てて。彼女は一つにならない自身に苛立ちすら覚えた。

 そんな、何時もが今はどうしてだか、辛い。

 

 

 フランドール・スカーレットは気がふれている、と言われている。

 実際に、感情が一向に統合されないフランドールの自己は、誰彼から見ても狂っているものと映ることだろう。

 妖怪吸血鬼、そして幼さを隠れ蓑にしてもその異常が目立ってしまった彼女は、大切に思う家族の手によって生まれて直ぐに自ずと矯正されるまでと安全な地下へと封ぜられた。

 だが、そのまま篭って四百九十五年。年月と守り愛おしむだけでは、フランドールの心を治める方向には中々行かず。しかし、生誕五百年まであと五年、といった頃に事態は少し変わったのだった。

 現在は、外に楽しいものがあるということを教えてくれた魔女のために、光溢れる世界へ目を向けることも増えるようになっている。丸い目を見張って、賑やかさを端から見つめて行ったり来たり。

 しかし、子猫は恐れて出ずに、箱の中のまま。変化を恐れて、フランドールは刺激を遠くから受け取るばかり。

 

 今回フランドールが望んだ美鈴と幽香が行っていた弾幕ごっこに対しても、彼女は同じ体だった。

 思わず感動のあまりカーテンを千切るくらいに強く握ってしまった、白熱した試合。野蛮なばかりだった筈の殴打の散らばりは、しかしあの二人が交わすのであれば精緻な体操美のみが引き立った。

 惹かれ、身を乗り出し、近く近くで望もうと考えてしまうのも無理のないこと。だが、知らずに体は日向へと寄りすぎてしまい。そして、フランドールは吸血鬼であるが故の痛苦を味わうこととなった。

 

「ぐぅっ」

 

 それは種族にかけられた呪い。吸血鬼は、日の下では灰になるが定め。つい体から遠く離れて日光にまで届いた指先は、約束事に則り燃え尽きるために沸騰した。慌てて引き戻した一瞬で突端に火傷を創った体を恨ましげにフランドールは見つめる。

 吸血鬼として狂っているフランドールは、元は夜よりも日中こそが好きだった。何せ明瞭で、怖くない。月下よりも全てがキラキラ眩く、蠱惑的に見えて。幼少の彼女は大いにそこを求めた。痛みこそ、そんな彼女に対する戒め。

 誰知らず、光の中で真っ黒焦げになっているところを発見されたフランドールは、治ってからもその羽根に欠損を、胸元にトラウマを抱えることになった。

 フランドールは、外に出るのは痛みを覚えることと知る。それからずっと篭ってばかりであった彼女に、痛みに慣れることなど無理なことで。故に、好きなのに恐れて離れて独りのまま、情緒の発達も遅れてしまい。

 望んでいながら、フランドールは、傷つくことを恐れて引き篭もってばかりで、ずっとずっと。プライベートスペースが紅魔館の内側全部に広がったところで、彼女の世界は閉じたまま。

 自分は変わらない。それを、痛みが嘘であったかのように吸血鬼らしい速度で治っていく紅い爪のグロテスクな巻き戻りによって思い知る。

 

「あ……終わっちゃってる」

 

 小さな手の平を見つめながら、どれだけ自失していたことだろう。眼下に映る光景は変化していて、倒れ伏す門番に日傘を拾いながらゆるりと向かう、笑顔の少女の姿が見て取れた。

 フランドールは、その当然な事の推移を口惜しく思う。紅美鈴は妖怪としての力は弱いが、絶え間なく磨かれた武によって、位階を軽々と覆すことが可能である。しかし、幾ら優れた理を持ってしても、蟻が大山を動かすなど無理であることは明白。

 種族柄とても良く利く紅玉のようなフランドールの瞳でもってしても、人が大海の底を見つけようとしても分からないように、眩しい笑顔絶やさぬ大妖怪の少女の力は茫洋で果てしないものと映った。

 自分を守ってくれるという約束を未だに続けてくれている門番が負けてしまうのは認め難いが、相手が悪いとも思う。

 

 いや、むしろ良かったのかもしれない、とフランドールは思わないでもない。あんなに優しげな表情をしている少女が、まさか負けた相手に非道を行うことなどないだろう。

 風見幽香という妖怪が、気が向いたというそれだけで地上に地獄を作ることすら躊躇わずに遂行する、そんな少女であることを知らずに、フランドールは彼女に太陽のような優しさを想起していた。

 

「わ、こっち見てる……手、振ってくれてるの?」

 

 そして、少し煤けた美鈴と会話している幽香を見つめていると、向けられた視線と共に、変化が起きる。

 手の平を向けて、それを左右に揺らす。それは花壇の向日葵が風で頭を動かしている様を思い起こさせた。また、見せられた笑顔はとても心地よいもので。まるで、自分が日向にいるような、そんな気がしてしまい。

 

「あは」

 

 思わず心の痛みに耐えられず、フランドールは再び縋るように手を伸ばしてから、届かぬままにその手に幽香の目を移して握り潰した。

 フランドールはそのまま逃げるように踵を返し、結果を見ることもない。自分の能力が行使された後の結末なんて、直視したくないくらいに分かりきっていること。そして、彼女の全てが望んでいたことでもなかったのだから。

 

「あは、ごめんなさい……」

 

 フランドールは、作った笑顔を歪ませ続ける。

 

 

 

 ありとあらゆるものを破壊する能力を、フランドールは持っていた。彼女は相手の目と呼ばれる物をその手にすることが出来、それを握り潰すことで要を無くしてしまった相手を自壊させることが可能なのである。

 しかし、他とは違うフランドールとて、自身に害のない相手をむやみに破壊することはない。つまり、壊したくなるくらいに彼女にとって幽香は害だったということになる。

 芽吹いた緑色の花は小さく脆い心を苛む。そう、フランドールを動かしたのは、美しいものに対する嫉妬心。自分はそこに居られないのに、どうしてそこに綺麗に咲いていられるのか。なんて、羨ましいのだろう。

 果たして、相対されるのが嫌だと、枯らすために無知にも花の蜜を吸い尽くさんとする蝙蝠も居るのだろうか。不明であるが、確かにフランドールはその手を持って、花を圧し折った。

 部屋の隅、ベッドの上にて座しているフランドールは涙を拭いながら、言う。

 

「あの人、美鈴のお友達、だったのかな……悪いことしちゃった。怒られちゃうかな?」

 

 赤い目は充血し、紅魔の館を映して更に紅く。あまりの赤に、一体全てが一つで滞っているかのように、フランドールは錯覚してしまう。しかし、時は当然のように流れ、自業は返ってくるに違いない。

 家族達の叱り、それを受けることを当たり前とは思えども、認めたくない心もフランドールの中にはあった。否定は嫌だ。そして、最後に見捨てられてしまうことまで想像して、彼女は爪を齧りながら狂乱しだす。

 

「嫌、嫌。そんなの嫌! 悪いからって、怒られたくない、見捨てられたくない!」

 

 よくよく気が【振れて】いるフランドールは、恐怖以外の何を持ってきても自制出来ない。ましてや恐怖が彼女を揺り動かしている今にあって、その心の波紋は一向に消えてくれなかった。

 震える背中をその都度撫でてくれた、あの温かみが消え去ってどれくらい経つだろう。もう、吸血鬼の回復力すら破壊してしまいかねないフランドールの発作を治すことの出来る存在は居ない。

 

 そう。その、筈だった。

 

「わがままね」

 

 しかし、入り口から届いた静かな一言。それだけでフランドールは全身を緊縛されてしまったかのように停止する。

 全く聞いたことのない、その声色。しかし、その音はまるで草原の風音のように耳心地の優しいものに聞こえ、あの時見て取った少女の姿を否応にも思い出させた。

 そして、見張った目の先には、緑髪の彼女の姿が。赤チェックの服は背景に溶けるようにも映っているが、フランドールが見紛うことはあり得なかった。

 確かに触れて、そして潰して壊した綺麗なモノ。散華まで見なくても、間違いなくその目で目を見て解した筈のそんな相手。それが、変わらず優しく笑んでいるなんて。

 

「嘘。あり得ない……あそこで潰れて……こんな所に居る訳ないのに!」

「そうかしら。あり得ないがそこにいる。そんなこと、妖怪の普通よ」

 

 くるりとその場で一周して、幽香は己の健在を見せつける。その、瑕疵一つない美しい全てを認めて、フランドールは目を瞠った。

 死んで化けて出たら顕れると話に聞く、幽霊の尻尾も見当たらず、完全なままに目の前の少女は泰然と笑む。それが、フランドールにはとても恐ろしく映った。

 

「私、壊したのに。ど、どうして?」

「ふふ。壊れたくらいで滅びることが出来る程度なら、最強なんて呼ばれないわ」

 

 そう、幽香の言はどこまでも正しい。

 壊されバラバラにされてしまったくらいで終わるような存在、果たしてそんなものが魑魅魍魎溢れ不老不死すら見受けられる幻想郷にて最強の冠を頂くことがあるだろうか。

 風見幽香は失くならない。どんな方法で殺害しても少しばかり置いたら、ほら元通り。そして二度殺されるほど弱くなく、確実に害したものは誅される。そんな悪夢みたいな存在が幽香であった。

 花は枯れてもその美は消えず。ある幻想的な理由で、ここ幻想郷において幽香が失くなることはないのである。

 

「う、嘘。いやだ、怖い……」

「ふふ」

 

 怯え始めたフランドールを、微笑みながら幽香は認めてあげた。この子猫はなるほど中々の爪を隠していたものだと感心までして。

 しかし、今回はその鋭いもので辱められた訳でもなく、ただ通り魔的に殺傷されたばかり。そのくらいでは、幽香の心にさざなみを立てることなど出来はしないのだった。

 

「死ぬ程度なんて、些事。一々目くじらを立てることでもないのだけれど……でも、私に手を出すことがどういうことか、ということくらいは教えておかなければならないわね」

 

 そう、風見幽香に攻撃を加えるということは、ただ戦いの意思を見せるという、それだけにはならない。彼女が最強として座して維持している幻想郷の秩序、それに挑戦することでもあった。

 そんなこと、篭ってしかいなかったフランドールに分かることではない。未知の恐怖に震える彼女は、自分が信じていた力すら疑い、最早立ち向かう気力すら持てなかった。

 しかし、その気のない程度で、自業自得を回避することなんて不可能。破壊が無かったことになろうとも、その爪を立てたことまで無かったことにはならないのだ。

 

「そう、貴女のためにも一番に怖ろしいものを、教授してあげないと」

 

 優しくね、と幽香は続けた。

 

 

 

 言が終わるやいなや顕になって、幻想との交差点など幽かである物理法則の一部、空気すら揺らがせていく幽香の妖気に、フランドールはその場でうずくまっていることなど出来ず、慌てて飛び上がる。

 離れるための飛翔は素早く、そして再び彼女は爪を持ち出す。そう、不安に思いながらも、風見幽香の目をその手に得てから、潰すために、思い切りそれを握りしめた。

 

「……えっ」

「一度見せた能力が二度通用するとは思わないこと」

 

 しかし、当然のように幽香は健在。目は自身の延長線上。ならば、有り余る力の一部を込めることだって可能だろうと、花の妖怪は武骨にもそう考えていた。

 幽香は、フランドールの手の内で現出した結び目にぎゅっと、力を篭めて強張らせていた。余りに単純で、普通ならば不可能と思えてしまうこと。しかし、ただそれだけで最早フランドールの握力ですら潰すことは叶わない固さに変容していた。

 

「やはり、能力なんて、こんなものね」

 

 自らに少し力を入れただけで、通じなくなった破壊力に、幽香がつい無聊をかこってしまうのは、最強という安置に走った久方ぶりの揺らぎに対して期待してしまったせいでもある。

 小手先の個性、才能。その程度で最強の厚みを突破出来るかと言えば、そう簡単にはいかないものである。そんなこと幽香も分かってはいたが、不意打ちとはいえ一度は殺されかけた少女の破壊力への期待は止められなかった。

 思わず幽香は、失望をその表に出してしまう。僅かなそれをフランドールは敏感に察し、彼女はただでさえ乱れていた気持ちを無茶苦茶に昂ぶらせる。

 

「嫌、嫌、いやっ! 私を見捨てないでっ!」

 

 それは、少女のトラウマだった。

 フランドールは何時だって、歪な心の隅で考えている。こんな何からも怯えて隠れてばかりの自分なんて、そのうち家族からも見捨てられてしまうのではないかと。それは、好んで独りでいる訳ではない彼女にとって、あまりに恐ろしいこと。

 だから、心狂わせて、見捨てるにしては危ない力を誇示しながらフランドールは何時だって逃げていた。独りじゃなければ怖いのに、独りぼっちは嫌だと駄々を捏ねて。彼女は、周囲を怖がらせて怯えた注目をいただくことを良しとしていた。

 

「私を、怖がってよっ!」

「あら」

 

 そして、フランドールは幽香に自分を深く刻まんと、危害を加えようとする。彼女の周囲で爆発するは、力ある弾幕。

 針のむしろ、球と見紛う程度に至るまで多量にフランドールの周囲に創り上げられ、そして全てに自分を届かせようと、初めは丸かったその紅の妖力の形は端を鋭角に変化する。

 ごっこ遊びではない、弾幕。存在までもが破壊に近いフランドールの力であるから、数多の一撃一撃全てが損なわせることに長けていた。受けるという選択肢は、余りに選び辛い。

 

「ふふ。わがままもまた、幼子の愛らしさ。私は決して貴女を恐れない」

 

 しかし、幽香は躊躇わず、力の怒涛に逆らい歩む。端から持って来ていない傘は勿論のこと、攻撃を一身に受けた体も全くの無事であり、唯一傷がついて行くのは衣服のみ。

 ボロボロになっていくお気に入りのスカートを目に入れながらも、幽香は決して苛立ちはしなかった。そもそも、幼子の甘えなど、年長者である彼女には可愛いものにしか映らない。

 そして幽香は、抱いた赤子の小水で服が汚れたとしても、別に気にしない性格だった。服が台無しになろうとも、好きなものを愛せたことで満足する。今までその対象は花のみであったが、それは大きく広がっていて。

 

「ほら、暴れない」

「こ、こないで…………えっ」

 

 思わぬ暖かみに、フランドールは攻撃を止め、間抜けな声を出す。手が優しく身体に絡み相手の脈動を受け取る、こんな触れ合いなどどれだけ久しいことであったのだろう。

 そう、幽香は、破壊の吸血鬼の狂乱を、抱き留めていた。あまりにも間近で、紅の目を互いに向け合う。そして、震える背中を撫で擦って落ち着かせようとまでした。

 それは、今まで誰一人として出来なかったこと。親ですら、姉ですら、破壊されてしまうことを恐れて、歯を食いしばりながら、フランドールが心治めるのを時間に任せて離れていた。

 しかし、暴れるフランドールの真ん前という前人未到の位置に収まる偉業を成して尚、幽香は平然したまま、泣いた子供をあやし続ける。

 

「よしよし……私は貴女が怖ろしいものには見えない。でも、見捨てることだってしないわ」

「ど、どうして? 私、特別でないと、おかしくないと、誰も見てくれない筈、なのに!」

「それは違うわ、フランドール。貴女が無理をしなくなったところで、誰もいなくなりはしない。貴女は、貴女でいいの。まず、自分を認めなさい」

 

 幽香は胸元にフランドールの頭を寄せて、命の音色を聞かせながら、彼女に向けてとつとつと話した。そこには何の嘘もなく、自信に溢れたその言葉に、歪な少女はまた揺れる。

 

「ぐすっ、私が、私を?」

「ええ。貴女はただ、貴女であるからこそ望まれる。フランドール・スカーレットは、愛によって閉ざされた世界に安堵されていた。決して、疎まれて地の底に閉じ込められていたわけではない。それを、貴女は知っているはずよ?」

「愛?」

「ええ。貴女が気付かずにいた、それ。貴女が歪を発揮していた中で、それでも生きてこられた原因。それこそ、家族の愛であったことを、自覚しなさい」

「分からない、分からない……判らなかった! だって、誰も、普通の私を見てくれなかったのに!」

「はぁ。……仕方ないわね」

「っ! い、痛い!」

 

 ぱん、と弾けるような音がして、フランドールの頬に痛みと熱が篭った。じんじんと、大した回復力でも中々治まらないその痛苦に、彼女は思わず下手人であろう目の前の少女を睨む。

 抱擁を止めてフランドールの頬を張った幽香は、しかしそんな怯えが捻くれ怒りに転化したたばかりの目線の強さなんかで、怖じることなどなく。ただ、痛みの理由を語った。

 

「フランドール。私が貴女を叩いたのは、教えてあげるためよ。少しは痛みで冷静になったかしら?」

「ううん。とってもムカついているわっ」

「でしょうね。けれども貴女をそこまで愛していない私は、気にせず告げましょう。フランドール……心配と愛を履き違えてはいけない。特別な反応がなければ、そこに何もないと思ってしまうのは、浅はかだわ」

「浅はか……だって、だって、皆私を恐怖しないと。そうじゃないとこっちを見てもくれなかったのに!」

「誰にだって、自愛くらいあるわ。貴女のためにも自分のためにも、安定している状態の貴女を刺激する訳にはいかないでしょう。放置こそ、彼らの愛だった。それが間違いでもあると気づいていたみたいだけれど」

 

 それ以上幽香は語らず、思う。つい先程、自分の前で頭を下げて、フランをお願いと頼み込んできた素敵なお姉さんの心を。

 幽香が優しくしてみたいと考えた、猫は一匹だけではなかった。多くの手を借りて、箱を作り上げたもう一匹。レミリア・スカーレット。彼女こそ紅魔館の主であり、フランドールの姉でもある強大な吸血鬼。

 フランドールを守るために食を削ってまで働き過ぎて、満足に成長することすら出来なかった小さなレミリアの、確かな姉としての誇り。それを曲げて、自分に全てを任せたということ。

 そこに、幽香は愛を感じざるを得なく、気づけば事情を尋ねていた。そして、レミリアの思惑通り、運命の導きに従い、こうしてフランドールを諭しているのである。

 

「愛して、たの? でも、やっぱり実感出来ないよ。どうしても……理解できない」

「素振りだけが愛ではないわ。……でも、幾ら口で語ろうとも、それが貴女の救いになる訳でもないわね。いいわ。ここで貴女にも分かり易く教えてあげる。レミリアの愛と――――前言通りに一番に怖ろしいものも、ね」

「あ」

 

 そして、フランドールの眼前に、怖ろしいものが現れた。優しさの仮面を脱ぎ捨て、曝け出されたその力の海。原初のように幾種もの力が乱れ悍ましく蠢くそれが、溢れ出す。

 これは果たして何なのか。目の前のヒトガタは最早妖怪とすら思えない。吸血鬼の吸気すら抑え付けられてしまう、そんな圧を放つモノなど有りえていいものなのか。

 こんな存在、対すことの出来るものではない。死も怯えすら許されない、正しく恐怖の具現。風見幽香は、その力の全てを矮小な吸血鬼相手に披露していた。

 

 

「そんなっ!」

 

 本来ならば、対話で種を撒いて終わるはずであった、今回。しかし、幽香の我は、予定調和、運命をすら軽々に捻じ曲げていた。

 だから、運命を操る能力を持つ彼女は慌てた。そして、あまりの圧力のために館中の誰もが動くことすら許されない中。迷わず秘めていた全力すら開放し、大妖怪、レミリア・スカーレットを発揮する。

 

「――風見幽香! 私は、そこまで認めていない!」

 

 そして、レミリアが妖力魔力の大分を持って創り上げるは、紅の弾。膨大が小さく纏まったそれを、彼女は握って圧縮。状態を更に変化させる。

 振りかぶって握った手を向けるは、足元。地下の幽香に対して正確に、レミリアはそれを投げつけた。

 

「フランから、離れなさい!」

 

 投じられた紅は、音速を軽々と越え、尚迸る。自然槍のような見た目に整形されていくそれは、神話のグングニルをまで想起させるに十分な威力があった。

 二階から、建物を砕き、地面を消し飛ばし、幽香の頭上にてそれは大きく突端を向ける。幻想郷のパワーバランスの一角であるレミリアの力量を存分に用いたその投擲は。

 

「あら」

 

 幽香の周囲にまで広がった真っ黒い力の海に弾かれて、彼女の気を逸らす以上の効果を齎すことは出来なかった。

 

「フランっ!」

 

 しかし、そんなことは判っていたこと。ただ、レミリアは愛する妹へ向かう最短のルートを作ったばかり。それ以外の何に気取られることもなく、ただ真っ直ぐ、最速に比肩するその飛翔力を持ってして、最愛へと向かう。

 そして、そして。愛のために自死も恐れなくなったレミリアは、勢いよくフランドールを抱きしめた。数百年ぶりにこの上ない接近を果たした二者は、そのままゴロゴロと転がってから、幽香と距離を取る。

 丸まり小さな背を伸ばさぬまま、二人して幽香を見上げてから。次には揃ってぽかんと口を開くことになった。

 

「風見幽香、約束と違……え?」

「わわわ、お姉ちゃん……あれ?」

「これでよし……ふふ。怖がらせてしまったようね」

 

 何しろ、幽香は二人の前で周囲に披露していた最強の力を集めて、手ずから捏ねてから、整形して花を創り上げていたのだから。

 紅く、多くの筒状の花を咲かす二輪。呆気にとられたフランドールにレミリアの手の中にそれを置いてから、代わりに魔法で取り出したのか何時もの日傘を持って、幽香は浮かぶ。

 

「その花、貴女達に送るわ。真っ直ぐ地上への近道が出来て何よりね。それではさようなら」

「ま、待って!」

「何かしら?」

「えっと……」

 

 次いでと服まで魔法で元通りにしてから、ゆるりと飛んで行こうとする幽香を、思わずフランドールは止めた。しかし、彼女は何も向ける言葉を持たない。

 よく分からない、自分が壊した筈の、怖ろしい存在。色々と教えてくれたけれども、そして愛を実感までさせてくれたけれども、流石に息も詰まるあの恐怖を思い出せば、継げる文句を選んでしまい。

 自然、沈黙が生まれた。最愛を強く抱きしめながらレミリアが伺うその中で、幽香はふと最後に忠告を残す。

 

「あ、そうだ、忘れていたわ。いい子にしていなさいね。悪い子は――――食べちゃうから」

 

 自身に向けられた優しい笑みに、底知れない怖ろしさを感じ取ったフランドールは、幽かに頷くことすら出来なかった。

 

 

 

「あれで、良かったのかしらね?」

 

 魔法や人足によるレミリアが開けた穴の補修工事のために大忙しになり始めた紅魔館を辞して後、しばらく紅い空を浮かび続けた幽香はそんな言葉を零す。

 風見幽香に家族は居ない。集まりそれらしきものが出来た時も確かにある。しかし、決して幽香は彼女らに愛を向けた覚えはなかった。恐怖と共に多少なりとも向けられていた自覚はあったが。

 それらを参考にして、紡いだ言の葉。それの全てが正しかったと、幽香は思っていない。告げた結果の全てがどう転ぶかは、彼女にとっても不明なところ。

 

「まあ、アレでもう、独りで泣くようなことはなくなるでしょうから。それは良しとしましょう」

 

 愛を確信し、怖さを覚えたのだ。ならば、涙を家族に見せることを疎うこともない。落涙を認められることは、きっと少女を大きく成長させるだろう。

 そして、何時かは泣くのを止めて、前を見る。それが、幽香には楽しみだった。

 

 実のところ、風見幽香は少女の涙が苦手である。それは、今のように独りでなかった大昔に、周囲で沢山流れたために嫌になっていたからだ。

 それが、成長一つさせない空のものであるのならば尚更のこと。自分を壊した相手が、ただ辛さに泣いていると知った時。幽香は思わずそれを止めんと動いたのだった。

 

「しかし、懐かしいわね。お姉ちゃん、か」

 

 私もそう言ってくれる相手が居たわね、と独り続けた時。黄昏の中、二つの影が現れた。

目を細めてそちらを見つめる幽香。彼女の元へと向かってくる、その相手は、チルノと大妖精だった。

 

「幽香! あっちの方からすっごい音しなかった?」

「大丈夫でしたか、幽香さん? 紅魔館の方から来たみたいですけれど、何だか大きな破壊音がそちらの方から聞こえて……」

「ふふ、あれはね……」

 

 幼稚な彼女らの対応をする幽香。彼女の表情は優しさに満ちていた。それが偽りのものであるか、それはここには居ない地霊殿の主しか判別出来ない。

 しかし、余程機嫌が良いというのは、二匹には判ったようで。チルノと大妖精は、幽香の説明を余所に一度見つめ合ってから、ころころ笑いだした。

 

「それで……あら、どうしたのかしら?」

「あは。だって、幽香何時もと違うんだもの。何か可愛くて」

「ふふ。すみません。私、楽しそうな幽香さんを見るのが初めてで、ちょっと嬉しくなっちゃて」

 

 笑顔が三つ。揃って浮かぶ。自分の笑みの深さを撫でて確かめてから、また幽香は綻ばせる。

 

「そうね。確かに楽しかったのでしょう。今日は良い日だったのかもしれないわ」

 

 色々とあった今日を、幽香はそう総括した。善として勝って、壊され、怖がらせて、そんな一日が刺激的でないとは、とても言えない。

 幽香は低刺激な日々を嫌っていて、だから、過去にはつい何か虐めてまでそんな時を変えてしまいたくなってしまうことも多々あった。ならば、多忙であった今日を認めるに迷いはない。

 

 

 箱の猫二匹が、揃って幸せになるために働いたこと。それがもう戻らない過去の自身のための代替行為であると、そんな自覚まで幽香は持たなかった。

 

 

 

 




 今回入れられなかった弾幕ごっこ、次回は多く入れようかと思っています。

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