幽香さん、優しくしてみる   作:茶蕎麦

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第十話 虹色の門番に優しくしてみた

 

「ぐぅ……」

 

 春麗らか。そよぐ風薫り、朗らかに降り注ぐ日差しは身体を程よく温める。そんな、春の美点を集めたような空の下。霧の湖の畔の紅魔館、その門前にて横になって寛いでいる妖怪が一人。

 緑色のチャイナ服をベースに洋服へと改造したかのような衣服を着込み、赤い長髪を乱して大の字になって寝息を立てている彼女は、紅美鈴。ここ、紅魔館の門番をしている妖怪である。

 しかし、寝こけている姿を見るように、どうにも現在はサボタージュしているような様子。それなりに平和な幻想郷。異変時でもない今、気が抜けてしまうのは仕方ないことであるのかもしれない。だが、昼寝はどうにも行き過ぎだ。

 普段の働きから、雇い主は時折シエスタすら敢行してしまう美鈴の暢気さを大目に見ている。だが、何も知らない周囲から見てみれば、寝入る門番など平和的だが仕事放棄も甚だしく、その忠信を低く見積もってしまうようなものが出るのも仕方のないこと。

 しばしば、美鈴が暇を潰しにちょっかいをかけてくる妖精と遊んでいる姿が認められることもあって、どこか人間臭い彼女は里人等に親近感を沸かせ、悪魔の館とされていた紅魔館のイメージを明るくさせるのに一役買っていたりもした。

 

「……うん? ああ、幽香さんか」

 

 しかしそんなこんなはつゆ知らず、イビキをかいて深く寝入っていた筈の美鈴は、急に目覚めて起き上がり、遠い空を眺めだす。

 点と見えていた姿が大きくなってそちらから来るのは、美鈴の言葉の通りに風見幽香。目視できない程遠く離れた場所から、妖気を抑えた幽香を察知するのは普通に考えれば至難の業であるだろうが、美鈴にとってそんな難易度など問題ではなかった。

 紅美鈴は、気を使う能力を持っている。私の力はその程度ですと、謙遜して笑う美鈴であるが、しかし彼女は使うばかりではなく、気というそのものに対して非常に造形の深いところがあった。特に、気の察知等については彼女の右に出るものはない。

 だから、侵入者の撃退だけではなく、こうしてたっぷりの余裕を持って友人を迎えることも出来るのだと、この時美鈴は自分の力を少し自慢げに思った。

 そして、身だしなみを整えてから、ゆっくりと青空から降りてきた極めつけの大妖怪に対して、美鈴は何のてらいない笑顔で迎えるのである。

 

「こんにちは、幽香さん。今日は何か紅魔館に対してご用事でも?」

「こんにちは、美鈴。今日も変わらず、私はこの洋館に用事はないわ。ただ少し、貴女のお花畑の様子が気になって、ね」

「そうですか。お世話は欠かさずやっていますし、この天気ですもの、花は元気に咲いていますよ。ご覧になりますか?」

「ええ。ちょっと見せてもらうわ」

 

 美鈴は、幽香が柔らかな笑みを返してくることを、何ら疑問に思うこともない。何故なら、それは何度も二人の間で交わされたことなのであるから。大人しい幽香は、美鈴にとってありふれたものなのだ。今日はちょっと優しげだなと思うだけ。

 日傘を手の中で転がして、幽香は美鈴と仲良く談笑すらしながら花畑へと向かう。そして、二人がたどり着いた先には、様々な色が生気と共に溢れる緑を下敷きにした自然のカーペットが置かれていた。

 げに美しいそれを構成するのは、多種の春の花。紫のムスカリに赤いチューリップ、そして多色のポピーにデイジー、パンジーその他様々。虹を彷彿とさせる天上の美である七色は、今地にこそ輝いていた。

 全ての色合いは纏められて点在し、決して、雑多にはなっていない。よく手が入っているのだろう。それらは、見る人を和ませるという目的を持って植えられて、大事に育てられているようである。

 花を操る能力によって花々の元気さを確かめた幽香は、満点の笑みを持って美鈴へ顔を向けた。

 

「見事なものね」

「ありがとうございます」

「ふふ。ついつい虐めてしまいたくなってしまうくらいに下手だった最初と比べたら、大違い」

「ははは……あの頃はやる気しかなくて酷いものでしたけれど。でも、今は色々と勉強をして、頑張りましたから」

「それは良く伝わってくるわ。全てが全て、望まれた配置になっている。……花の気も思いやれるなんて、器用なことね」

「あはは……」

 

 気を使う能力、を持っているとはいえ別に美鈴は相手の気持ちを思いやるのが殊更得意というわけでもない。職業柄不得手というわけでもないが、それまでも自分の能力の内であると口に出せる程ではなかった。

 そんなことは、幽香も知っている。だから、器用と口にしたのも、半ば冗談のようなもの。そう茶化しながらも、むしろ彼女はその努力の程を認めていた。それを感じ、美鈴も少し気恥ずかしくなる。

 頬を掻いて照れる美鈴に、微笑みながら幽香はさらりと続けた。

 

「ここまで見事に仕上げるなんて、何かご褒美でもあげたくなってしまうわね。美鈴、貴女は何か欲しいものはある?」

「そんなそんな。半分はお仕事でやっていることですし、褒賞なんて私にはもったいないですよ。それに実は、ここのところ、物欲なんてすっかり湧かなくなっていまして……」

「そう? なら、物以外ならどうかしら。何か、私にやって欲しいと思うようなことはない?」

「ええと、やって欲しいこと、ですか」

 

 そうして、しばらく美鈴は思い悩む。

 長命気長な妖怪。その中でも美鈴は自他共に認めるほどに暢気な性質だ。更に彼女は、刹那の快楽に惹かれることなく、こつこつと武を積み上げるのを好むような妖怪の中の変わり者。

 何時か壊れる物に対する執着は薄い。門番の仕事も、給金欲しさに就いた訳でもなく、守る住人の姿と十分な食事と寝床を借りられるということを確認出来たという、それだけで即決した程だ。

 ならば、幽香のような他人に求めるものがあるかというと、それも中々思いつきはしない。幽香に大した力があるのは知っている。その威を借りれば、大概の無茶は成せるに違いはないだろう。

 しかし、美鈴には主人のように異変を起こすような気はないし、そもそも偉ぶる事が性に合わなかった。人を使うことには慣れず、頭を下げることを厭わない彼女は、大望を持たない。

 それでも、悩めば見つかる程度に、小さな望みはあった。それにより内の暗闇が晴れることを期待し、美鈴は知らず頬を緩ませる。

 

「あっ……そうだ。一つありました。でも、下らない望みなのですが……構いませんか?」

「ええ。余程酷いことではない限り、大丈夫よ」

「分かりました。それで願いとは……そうですね、幽香さんと軽く手合わせをしたいのです。それに出来たらちょっとした演技を交えて楽しみたいな、と思うのですよ」

「ふぅん。面白そうね。承ったわ」

 

 躊躇いなく、幽香は了承した。何せ演技は最近ずっとよくしていることであり、今更請われたところで難しい事ではないのだから。

 互いに近づきそして、二人の打ち合わせが始まる。

 

「私は最近漫画というものに嵌っているのですが……幽香さんは漫画ってご存知ですか?」

「北斎漫画とは違うのでしょうね。あれかしら。外の世界で流行っているのか、ちょっと前から貸し本屋にスペースが目立つようになった絵ばかりの読み物のことかしら?」

「それですそれです。私はその中でも、勧善懲悪ものが好きで、同好の士であるお嬢様からそのような内容のものを借りてよく読んでいるのですよ」

「なるほど話が読めてきたわ。物語で遊ぶにしても、一人では妄想するしか出来ない。だから、美鈴、貴女は私に役を振り当て……この場合私は悪役で貴女が善玉でいいのかしらね。そうしてごっこ遊びをやりたいと」

「おしいです! ちょっとだけ違います」

「あら、何が違うのかしら」

「幽香さんではなく、私です。私が悪役をやりたいんです」

 

 あっけらかんと、そう、美鈴は言った。

 

 

 紅魔館の門前に二人の妖怪が相対する。衣装もそのままに変わらぬ赤髪を揺らし、ただ悪どく口の端を歪めているのは、紅美鈴。ちなみにそれだけで悪役らしく決まっていると彼女は思っている。

 これまた赤チェックの服から変わらず絶やさぬ笑みのまま手を開いて通せんぼのような形を取っている美女は、風見幽香。何のポーズもしていないが、どちらかといえば、こちらの方が腹に一物抱えていそうに思えるのが不思議だ。

 そんな二人はどちらからともなく、軽く行なった打ち合わせの通りに動き始める。じりじりと間をつめて、そして美鈴の方から口を開いた。

 

「ふふふ。お前が幻想郷最強と謳われる風見幽香か。なるほどいい相をしている。これなら私が本気を出しても良さそうだ」

「凄まじい力を感じる……まさか美鈴、貴女の中に邪龍が潜んでいたとは。それにこれほどの力の持ち主が今まで伏して隠れていたのに気づかなかったなんて……私も耄碌したものね」

「この身体は私のもの。そして、背後の館はもう力を取り戻した私の支配下にある。次は幻想郷、その次は外の世界にまで手を伸ばそう。ふふふ。その前に風見幽香。貴様を血祭りに上げてからな!」

「ふふ。やれるものなら、やってみなさい」

 

 役に入った二人は、睨み合う。そして、美鈴は気を、幽香は妖気をそれぞれ発して己の力を見せ付けあった。

 けれども拮抗は一瞬の事。あっという間にそれなり程度の気は呑み込まれて、辺りには幽香の多分な妖気が充満してしまう。

 そのことによって起きたあまりの圧力に、役柄としては立ち向かわれる格上である筈の美鈴は、顔を青くした。

 

「あら、いけない。ここまで真っ直ぐ挑発されるのは久しぶりだから、ついつい力を見せ過ぎてしまったわ」

「妖気出しすぎですよ、怖い……じゃなかった。改めて……ふふふ。これなら敵として不足はない。それでは、風見幽香。見事私から、幻想郷の平和を守ってみせよ!」

「勿論。……それで、確認するけれど後はただ弾幕ごっこをすればいいのよね?」

「はい。格闘メインにしてもらいますが、そっちは演技なしで構いません」

 

 ついついぐだぐだになってしまった劇を、二人は特に気にせず先に進める。どうやらこれから戦闘シーンが始まるようだ。

 全力の勝負では相手にならないからだろう、美鈴と幽香は弾幕ごっこを始める。力を持つものの多くが空を往くここ幻想郷で格闘をメインにする、というのは中々珍しいことだが。

 そして、真剣に表情を変える二人。美鈴はゆったりと構え、幽香は構えすら取らずに向き合う。そして、そのまま場は硬直した。

 

「……それで、私が先に攻撃した方がいいのかしら? 私としてはやる気満々に口上を述べた悪役の一撃から端を発するものと思っていたのだけれど」

「先にそれを決めておけば良かったですね……苦手ですけれど、私から攻撃を始めますね」

 

 威勢よく啖呵を切った相手が襲ってくるものと思っていた幽香に、後の先の型を得意としているために待ちに入っていた美鈴は知らず互いに先手を譲り合っていたようだ。

 何とも言えない空気が流れて直ぐ後、美鈴はその両手に気を纏い、幽香に向けた。

 

「それでは、いきます……よっと」

「あら、あまりに軽い……これは、ひょっとしたら払われることこそ狙いだったのかしら?」

「その通り、です!」

 

 牽制の一撃。しかしただの人間の頭蓋くらいなら容易くかち割ってしまう程に力の篭ったそれを幽香は軽くいなす。

 初速は中々、それでもそこには必殺の意がなく、意外な手応えのなさに幽香が拍子抜けをする。だがその隙をついて、崩れた態勢のまま接近した美鈴のアクロバティックな足刀蹴りが幽香に迫っていた。

 首を刈ろうとする死神の鎌を、幽香は口から疑問を呈しながらも素早く屈んで回避するが、美鈴の返答とともに来たのは身体を浮かしたまま空【気】を踏み台にして勢いを付けた逆さまの体勢のまま放たれる数多の掌打である。

 足元を狙った攻撃に思わず飛び上がった幽香は、次には眼前すれすれにまで迫った虹色に力秘められた断頭の一撃を無理に下がって避けていた。

 美鈴は幽香を退かせたかかと落としの勢いのままそれにより宙にて上下に姿勢を正すことに成功する。再び視線を合わせた美鈴は宙にて空気を踏みそこから更に距離を詰めて四肢に七色の気を纏わせ棚引かせ、剛撃の嵐を続けた。

 

「放たずとも拳で弾幕は創れるのね。流石に私も全部は避けられず……でも、至近で散ずる七色もまた美しいものね」

「受けずに大半を避けいなしておきながら、観る余裕すらありますか。なら、もう少し複雑に技を組み立ててみせましょう!」

 

 喋ることは出来ても、大体防戦一方の幽香。彼女の周りには美鈴の攻撃の軌跡が広がり、幾つもの虹が出来上がっている。反して花は時折見当違いの方向に広がるばかり。そう、術中に嵌った幽香はもう反撃すらままならないのだ。

 幽香も決して宙での移動速度ほど身体を動かすのが遅いというはなく、また別段彼女の体術が劣っているということもなかった。しかし、そんな幽香が何故負けているのか。

 それは、相手が速く、そして巧すぎるからである。矢継ぎ早という言葉すら遅い、間断を極限まで無にした連撃。おまけにそれが、ただ放たれているだけではなく。

 

「これ以上複雑になると流石に難しい、か」

 

 接触部を絡め取って間接投げ等数多の技と繋げようとする器用な掌から逃れながら、幽香は呟く。向ける手足のどれもが布石となっている攻撃の組み合わせを計算しつくすのは、幽香にですら難しかった。

 だから、甘んじて一部を受けざるを得ない。接近戦とはいえ圧倒的な回避力を持つ幽香に攻撃を当てるというのは驚異的なこと。更に、美鈴の手足で作られた技の檻から移動速度を制限している幽香は逃げることすら叶わない。

 用意した魔法陣による堅い防御ですら容易く貫かれて、最強たる幽香は始終圧されることになる。

 紅美鈴は、拳法の殆どを極め、それに飽き足らず道を見つけては上達するために鍛錬を日ごろから続けてそれを深めている稀有な妖怪。こと近接戦闘技術において、最強すら上回るものを持っていた。

 

 しかし、そんなことは幽香も前から知っている。それでも格闘ありの弾幕ごっこを受け入れたのは、勿論負けるためではない。そも、正義が負けるなどあり得てはいけないもの。

 少し残念そうな表情をしてから、幽香は纏う妖気の水準を上げて、全体に力を入れる。それだけで、虹は絶たれて、勝敗の趨勢は大いに逆転した。

 

「美麗な連撃を打ち砕くのは、やっぱり無粋な強撃かしら。力づく、というのは苦手ではないけれど、少しつまらないわね」

「くっ、やはりそう来て……くっ、対策していた筈なのに、捌くのに精一杯とは!」

 

 小よく大を制すとは言うが、それでも程度というものがある。人は果たして自力で天体の動きを制することが可能であろうか。幾ら技を極めようとも範囲を超えた不可能事は、達成できない。

 元々、美鈴と幽香には圧倒的な自力の差があった。それを調整し、合わせていたから幽香が追い詰められる真似事を楽しむことが出来たのだろう。

 幽香にとっては少し、しかし先程篭められていたものと比べれば倍する以上の力が美鈴の技の檻を破り去っていく。重すぎる蹴撃に打撃の威力は、最早比較するのに戦艦の主砲等を持ってこなければいけない域。

 掠めるだけで弾き飛ばされかねない、向かい来る四肢に対するには全力で気を使わなければならない。だが、最早回避することすら目の前の素晴らしいお手本を真似た幽香の即席の技術によって難しくなっていた。

 追加されていくフェイントに型。急激に増えた相手の手札を読むのに、美鈴の頭は高速回転、そして痛みを訴える。しかし、いくら熱を入れようとも幽香を受け止めるには至らずに。七色の気、美鈴の技術の散華によって、大いに空には花弁舞う。

 

 これでは、あっというまに花びらの全てを失い不細工にも墜ちるはめになるのは想像に難くないものだ。だから、美鈴は得意を捨ててでも、接近戦を諦めざるを得なかった。

 

「くっ、星気「星脈地転弾」!」

「良い威力。けれども欺瞞が足りていないわね」

 

 一拍の間断もなしに至近で美鈴が迸らせた気は丸く膨らみ、大いに辺りを食む。多色を表してから、その全てを呑み込んで白く光るそれはまるで、小太陽。

 あまりに眩しいその弾幕を認めながらも、しかし発するまでの幽香は有るかないかの隙を見つけることで威力範囲外まで逃れていた。流石に大技を出す間をフェイクで完全に埋めることは美鈴であろうとも無理であったようだ。

 仕留め手を外したことで苦く眉を歪めながら、しかし諦観を顕にすることなく、美鈴は続けざまに二枚目のスペルカードを取り出した。

 

「逃しませんよ! いきます、華符「彩光蓮華掌」!」

 

 そして、幽香の体勢が整う前に、美鈴は遠距離戦を開始する。七色の花弁が大量に発されて幽香の周囲を覆ってから、花の似姿をとって広がった。だが粒の羅列によって眩いそれらは、逃げ道を塞ぐ網たり得ていない。

 相手との距離を離せば離す程に、美鈴の戦闘においての実力は落ちていく。理由として、手の届く範囲の気しか上手く使えないからと彼女は言う。だが、それでも十二分に気を使ったその遠距離戦での弾幕美には定評があった。

 思わず、攻めの手も弱まるその優美さ。宙に咲き誇る虹色で出来上がる花々は、地上の満開の花々を映したようで目の覚めるように綺麗でもあって。

 その隙間だらけ、しかし模擬に優れたその弾幕は、花の形象でもある幽香にはあまりに似合っていた。そうであるからこそ美鈴がこのスペルカードを選んだことは明白であり。

 

「花に花……ちょっと華美に過ぎるところがある気がするわ」

「あはは、そうですか……それでは最後くらいは悪役らしく。うわー、やられたー!」

 

 そして、幽香が花を大事にして乱さず共に在ることも当然の帰結であって。

 花の弾幕に応じるかのように精緻な花を幾輪も投じた幽香のせいで逃げ場を失った美鈴は、自分の力が届かなかったことを、笑いながら受け止めた。

 

 

 幽香は強い斜光を日傘で塞ぎ地面に影を作る。その下には全体的に煤けているが、快活に笑んでいる美鈴が横たわっていた。その表情は実に満足そうであって、どうも彼女は自身が負けたという結果を喜んで受け止めているようだ。

 それを不思議に思った幽香は、ついつい言葉を紡ぐ。

 

「正義は勝って、悪は地に墜ちた。貴女はそれを歓迎しているみたいだけれど……どうしてこのような自分が負けていいという、そんなシチュエーションの中での全力を楽しもうとしたのかしら?」

「あはは……実は幽香さん結構分かっていますよね、っと」

 

 さっと、全身の筋肉を器用に用いて跳ね上がるように起きた美鈴は、そのまま立って手を伸ばし、それを眩しい全ての光の元へと向けた。

 太陽を浴びながら談笑する妖怪二人。それはおかしなことであるが、門番の妖怪と花の妖怪であるからには、光の下にあるのが普通であって。だからこそ、その心の中にでも僅かな陰りがあるのが許せなかったのかもしれない。

 

「あのですね、私はこれでも常々思っていたのですよ。最近はどうも守ることが出来ていないなぁって。それが許されるからスペルカードルールが出来てからは身を挺していませんでしたが、しかしそれだけでなくあまりに弛んでしまう自分を感じてしまって」

「そうね。確かに、門前が血で濡れていた頃と比べて、弾幕ごっこが流行ってからの貴女は、苦手からかどうにも腑抜けた印象があったわね」

 

 紅魔館の赤は血の色。それはただの噂であったが、以前はまことしやかに語られていたことである。その証左として、赤髪の門番が幻想郷に来てから襲い来る人妖達に流させた血は門を赤く汚して地に塗布して尚余りあるものであったのだから。

 それくらいに、吸血鬼異変から紅霧異変が起こるまでのずっと美鈴は紅魔館に押し入ろうとする無粋な輩を強烈に拒んで来ていた。彼女が外敵を阻みきれなかったのは一度きり。

 その一度、軽く門番を打倒してから土足で門の中へ踏み入った幽香が口にした一言が、美鈴に花を育てさせた契機でもある。

 

「あはは。でも腑抜け始めは、門の内側の寂しさを指摘されてから、かもしれませんね。まあ、外を強烈に意識していたのが、内へと向いたのですから、散漫になるのも仕方ありませんか」

「それでも、あの頃と比べて腕も、美意識も上がっているみたいで良かったわ」

「そうですか……ですが、私は分からなくなってしまったのですよ。巫女に魔女を逃して、そうしたらその方が門の内側が賑やかになって幸せになっていったという事実に、私の存在意義が不明に感じられてしまって」

「なるほどね」

 

 そう、紅魔館は明るくなった。それは、紅美鈴が気を抜いているというそのためだけではない。霊夢に魔理沙、侵入者を容れて、そして変わったのだ。

 人が入り、妖怪が出歩いていき、風通りの良くなった紅魔館は、ただの閉じた箱ではなくなった。だから、光入って時々は笑い声すら外に漏れ出してくる。

 そんな変化を、門前にて聞いている美鈴の気持ちは如何なるものか。きっと、悔しくなるのではないか。まるで必死になって侵入者を拒んできた自分の今までの努力を否定されているかのようで、美鈴が複雑な思いに駆られるのも仕方がないことだろう。

 

「夢の中では正義の味方になったりしますけれど、それが数多の人妖を屠ってきた悪魔の門番である私に相応しいものではないことぐらいは分かります。まあ、最近は紅魔館の受付嬢みたいになっていますが……それもまたしっくり来なくて」

「それで、自分がどれだけ腑抜けてしまったか確認するために、昔みたいに再び悪役になってみた、と?」

「そうですね。ごっこでもそれで本気で戦って幽香さんに負けて、悔しさが残らなかったら門番を辞めようか、なんて考えていました」

 

 ひた隠しにしていた、辞そうとする意思。それは、守るべき対象ではないごく親しい相手だからこそ吐露出来たことなのだろう。

 話を盗み聞いていた誰かが思わず息を呑んだことは、微笑む幽香しか知らない。

 

「でも、今は違うのよね」

「当然ですよ。悪役結構私は阻みます。あの愛らしい吸血鬼姉妹を守るためにも、知恵深い魔女に月の欠片のようなあの子、可愛い同僚達の居場所を汚させないためにも、そして何より以前の私の覚悟を無にしないためにも、私はここに立つことを決めました」

 

 負けたことはとっても悔しかったですよ、と美鈴は続ける。その様子から、どうにも敗北した際の笑顔は、自分の内に慙愧の念を発見できたことに拠っているようだった。

 格闘戦という本分において勝てなくて口惜しいという気持ちは、弾幕ごっこが苦手という言い訳を残して最近負けてばかりの美鈴を目覚めさせたようだ。

 負けに慣れて意気を失くすことは仕方がない。でも、未だこの内には勝ちたいという気持ちがあるのだ。ならば、これからも本気になって守ることが出来る。

 それに、たとえこれから弾幕ごっこで負けても、これまでのように充分に相手の広げる心象を認めてから容れる人物の善悪選別をすればいいと、彼女はそう結論付けたようだ。

 笑い、再び門の真ん前に立ち、美鈴は腰に手を当て、根を張る様に足を地につける。準備万端、意気揚々と門番は何時もの位置に立つ。その様にはしかし、頼らしさよりも、どこか可愛らしさが目についてしまう。

 思わず花のように、幽香は笑った。

 

「ふふ。美鈴は変わったわね。以前の威圧はどこにいったのかしら」

「ああ、っと。そうでしたね。もうちょっとビシっとした方が舐められないのでしょうが……」

「でも、私は柔らかな貴女もいいと思うわ。変わった館の中。門飾りも変化したっていいでしょう。……でも、貴女がこれ程に面白くなったのなら、そろそろ中の猫がどうなったのか、私も気になってきたわね」

 

 今まで成長の邪魔をしてはつまらないと侵入しなかったのだけれど、と幽香は口にした。確かに以前と違う気持ちになったのだろう。彼女は下の庭先ばかりを見ずに、その先を望むようになった。

 壁面の赤は、誰のための停止の意味か。賑やかになった箱の中の猫は今、何を思って独りでいるのだろう。

 興味を孕んだ赤い瞳は一度太陽の光を映し。そのまま紅魔館の中へと向く。

 

「あら。うふふ」

 

 そして、彼女は笑って何かを認める。

 

 

 

 途端、風見幽香はぐしゃりと壊れた。

 その身体は糸を失ったマリオネットのように崩れ落ち、全身に走った赤は更に内から溢れて、境界を広げる。

 花の薫り豊かだった門前には、あまりにも急速に、血の、死の香りが充満していく。

 

「幽香さん!」

 

 慌てて駆け寄る美鈴の叫びに対して、返事はなかった。

 

 

 


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