GATE:Modern Warfare   作:ゼミル

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11.5:THERMAE ROMAE/温泉より愛を込めて

 

 

 

<18:45>

 伊丹耀司

 神奈川県箱根町・山海楼閣

 

 

 

 

 

 冬の日の入りは早い。

 

 伊丹らが乗った車……具体的には温泉旅館の送迎車両に偽装したっぽい感じの装甲車が、山間部特有のグネグネと曲がりくねった道路を経て件の指定された温泉旅館である山海楼閣に到着した頃には、日もとっぷり暮れて周辺はほとんど真っ暗になっていた。

 

 旅館の到着が遅くなった主な原因はピニャである。

 

 人と会ったり、買い物したり、調べ物をしたりと一旦3組に分かれて行動した一行だったが、伊丹が一足遅れて集合場所に到着すると、そこには死人のような顔色でうずくまってボーゼスやら栗林から心配されているピニャの姿があった。彼女に同行していた富田によれば図書館で調べ物を続けている間、何度もトイレに駆け込んで戻してしまっていたらしい。

 

 

(呪いの魔導書でも読んじゃってSAN値判定失敗したのかな?)

 

 

 冗談はともかく、予定変更して病院に連れていくべきか迷ったが、それでは先んじて箱根で待ち構えている政府側の護衛態勢に混乱を招きかねないのと、ピニャ本人が「妾は大丈夫だ」と言い張るのもあり、結局伊丹は予定通り温泉宿に向かう事にした。

 

 ただしピニャの体調を考慮して法定速度より遅めに走らせ、負担をかけない運転を心掛けた為、通常よりも時間がかかってしまう結果と相成ったわけである。また道中ドラッグストアで酔い止めを調達し、ピニャに服用させておいた。そのお陰か宿に到着する頃にはピニャの体調もだいぶ回復していた。

 

 

「これが『オンセンリョカン』という宿か。こう、妾らが会談を行った建物やリサ殿の住居とはまた違った雰囲気であるな」

 

「ギンザやハラジュクよりも自然っぽくて、周りも木々に溢れてて……私こっちの方が好みかも」

 

 

 と、笹穂耳をぴこぴこ動かしながらテュカ。炎龍に焼かれてしまったが、テュカが暮らしていた集落も森林のど真ん中に存在していたのを伊丹は思い出す。そもそもエルフという種族自体森で暮らすのを好むという。それは異世界の土地だろうが変わらないようだ。

 

 各々自分の荷物を抱えて建物の中へ入っていく。女性陣の中でも特にショッピングを堪能した面々は購入した品物を大量に抱えていたが、1番の大荷物は意外にも伊丹が持ち込んだ複数の大型のバッグであった。中身は例によって野本に調達してもらった追加の武器装備類である。

 

 

「うおーい、富田ちゃーん、栗林ちゃーん。ちょっとこれ運ぶの手伝ってくんない?」

 

 

 と、部下に手伝わせようとする。

 

 

「うわー。先輩、いくらなんでもこんな小柄な女の人にまでそんな大荷物持たせようとするのは流石にダメでしょー」

 

「何言ってんだ、お前はクリボーの暴れっぷりを知らないからそう言えるんだぞ。それに部下をこき使うのは上官の特権だ!」

 

「伊丹隊長、そこまで堂々と言い放つのもどうかと思います」

 

 

 冷静に指摘しながらも言われた通り伊丹が背負っていた荷物の一部を抱えてやる富田である。栗林の方はというと、

 

 

「もう、仕方ないですねー隊長ってば」

 

 

 口では呆れた体を装っていたが、彼女もまたいそいそと別の伊丹の荷物を運んでみせる。よくよく観察してみると彼女の歩行速度はわざと伊丹に合わせており、彼との距離も肩が触れ合うまで10センチ弱と心なしか近めである。

 

 

「ん、んんー?」

 

「あらあら、フフフッ」

 

 

 栗林の振る舞いに何かを感じ取った梨紗は奇妙な唸り声をあげ、同じくロゥリィも意味ありげな笑い声を漏らしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 温泉旅館を訪れた以上、温泉に入らなければ、わざわざ箱根の山の中までやってきた意味の大半を損なうも同然であろう。有名ラーメン店でラーメンを食べずに店を出てしまうような所業である。

 

 そんなわけで、部屋に荷物を置いた伊丹と富田は露天風呂の脱衣所にやってきたのであった。出入り口の暖簾が何故か入れ替わっていて戸を開けた瞬間、全裸の女性陣と出くわすなんてお約束もなく、男性用の脱衣所は無人であった。

 

 適当な脱衣籠に着ていた衣服を放り込んでいく。これから風呂に入るわけだが、完全に武装を解くわけではなく、伊丹の命令によりジップロックに拳銃を入れた上で露天風呂に持ち込むという念の入れようである。

 

 

「『砂漠の薔薇』って漫画でこういうシーンがあったんだよ。元ネタじゃやってたのは女性キャラだったんだけど」

 

「そ、そうですか」

 

 

 ちなみに伊丹が露天風呂に持ち込む拳銃は昨晩も携行していたグロック18C、富田は自衛隊にて『9ミリ拳銃』としてライセンス生産されているシグザウエル・P220の進化形であるP320拳銃をチョイス。

 

 P320は近年旧式化が進んだベレッタ・M9に代わり米軍全軍の正式拳銃に採用されたばかりの最新モデル。材質の変化と撃鉄(ハンマー)の内蔵化、スライドの短縮化により9ミリ拳銃よりもガッシリとした印象を放っている。こちらは追加で伊丹が調達した中に混じっていた代物であった。

 

 

「改めて疑問に思ったんですが、このような最新の銃器のみならず装甲車まで調達できてしまう伊丹隊長のお知り合いとは一体……」

 

「もうあまり気にしない方が良いんじゃないかな。俺はもう諦めたよ」

 

 

 などを会話しながら軍人らしくささっと全身を洗い、石鹸の泡を手桶に溜めたお湯で豪快に落としてしまうと、そそくさと巨大な浴槽へ溢れんばかりに注がれた温泉へ身を浸らせた。

 

 途端に昨晩からの逃避行で積もり積もった疲れが全身の毛穴から滲み出ていってしまうような快感を覚え、野郎2人の口から大きな吐息が漏れてしまった。

 

 

「あ~たまんねぇ~」

 

「特地の駐屯地でも一応風呂には入れますが、ここまでゆったりとはしていませんからね。やはり本場の温泉には敵いませんよ」

 

「だよなぁ。昨日は梨紗の家に着いてからもシャワーすら浴びられなかったから、尚更体に染み渡るぜ」

 

 

 特地はアルヌスに自衛隊が設けた派遣部隊駐屯地内には野外入浴セット2型と呼ばれる、要は臨時の浴場を拵える為の装備も導入されており、隊員や難民キャンプ住まいの現地人らから好評を博していた。『特地の湯』という通称が与えられており、伊丹もその恩恵に預かっている1人である。

 

 とはいえ、自衛隊自慢の入浴セットもあくまで入浴に必要な最低限の設備を仮設する為の装備に過ぎない。大雑把に説明すると鉄パイプで補強した巨大なビニールプールへボイラー・発電機・揚水ポンプに接続された大型ホースを使ってお湯を流し込み、即席の湯船を張るという仕組みだ。湯船だけでなく蛇口とシャワーも付属する。

 

 シャワーも湯船も大型の天幕(テント)内に設置する。当然ながら開放感は旅館の露天風呂に及ぶべくもないし、仮設なだけに各設備も必要最低限の簡素なものだ。

 

 何より駐屯地には万単位の自衛官が勤務しているのである。多くの隊員らが入れ替わり立ち代り毎日利用する施設である以上、アルヌス駐屯地にてのんびり長湯を楽しむのはほぼ不可能に近いのであった。

 

 これが比率の少ない女性自衛官であればまた事情は違うのだろうが、箱根の温泉宿で露天風呂をほぼ独占出来る事自体中々出来ない経験なので、ここぞとばかりに露天風呂を堪能する伊丹と富田である。

 

 箱根の天然温泉は特地の湯よりも温度が熱めで、それがまた疲れた体に染み入った。

 

 

「それにしても……凄いですね、隊長のそれ」

 

 

 と口にした富田の視線はお湯に沈んだ伊丹の下半身――ではなく、上官の肉体に刻まれた多種多様な傷跡へと注がれていた。

 

 男の傷跡は勲章である、と最初に言ったのが誰かは定かではないが、傷の多さや多様さに応じて勲章が貰えるのであれば伊丹の場合は勲章をぶら下げるためのスペースが足りなくなってしまうのではないか、そう思えてくるぐらいに傷だらけなのである。

 

 富田が伊丹に刻まれた数々の傷跡の存在を知ったのはイタリカで薔薇騎士団に連行された上官を迎えに行った時である。それまではグータラオタクとして派遣部隊では有名人なこの隊長が、実はこのようなひとかどの肉体をしている事は知らなかった。風呂の時などに目撃されていてもおかしくない筈だが、もしかすると騒がれるのが嫌で人目を忍んでいたのかもしれない。

 

 

「イタリカでも見ましたが、よくこれだけ多くの傷を負っていながら生きていられましたね。これらの傷はやはり例の海外派遣中にですか?」

 

「そっ。大半は近くで手榴弾が爆発したり、砲弾が落ちてきたり、爆撃に巻き込まれたり……爆発で飛んできた破片によるものかな」

 

「ではこの右胸の傷は? 銃創ですよね、これ。それも結構な口径の」

 

「その通り、これはデザートイーグルで撃たれた時のだよ。多分44マグナムぐらいだったかな?」

 

「マグナム弾が直撃してよく生きてましたね!?」

 

「いやあの時は本当に死ぬかと思ったね。撃たれる直前にも防弾チョッキの上からショットガンで撃たれて、おまけにRPGも食らって爆風と破片でズタボロだったもん。応急処置と医療チームが遅かったら死んでただろうなぁ」

 

「……壮絶ですね」

 

「結局は生き延びれたんだから良かったんだけど、海外でやってきた事は極秘中の極秘だったから機密保護の関係で自衛隊を退役するのは許されなかったし、せめて元いた特戦群じゃなくて普通の部隊に配属してもらえたから、今度こそのーんびりマンガ読んでラノベ読んでアニメ見てゲームして過ごそうと思いながら久しぶりに同人誌即売会に参加しようとしたら今度は『銀座事件』に出くわしちゃうし……人生ってままならないよねぇ」

 

 

 やるせない嘆きを伴って漏れた伊丹の溜息は、立ち込める真っ白な湯気と共に冬の空気に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<同時刻>

 栗林志乃

 女湯

 

 

 

 

 

「ふあああああああああ~~……」

 

「ん~~~~~っ、気持ちいいっ! こんな贅沢なお風呂に入れるなんて、こっちに来たかいがあったわ~」

 

「これが温泉……火山の麓にある土地にはたまに存在すると本で読んだ事はあるが、体験するのは初めて……実に気持ち良い。ジエイタイに入れてもらった風呂とも違う」

 

「これほど素晴らしい存在がこの世にあったとは……ブクブクブク」

 

「殿下、ここは異世界です……ブクブク」

 

「あ゛~、本場箱根の温泉、やっぱイイわぁ~。原稿に追われてボロボロだった体に染み渡るわぁ~」

 

 

 露天風呂は特地女性陣にも非常に好評であった。ついでに生粋の日本人だが主にオタク趣味による浪費のせいでこの手の観光地とは無縁だった梨紗も、ロゥリィらに負けず劣らず温泉を堪能していた。

 

 かといって団体で来ておきながらただゆったり温泉に浸かりっ放し、というのも芸がない。もちろん泳いだりするのはマナー違反である。

 

 それを栗林から告げられて「こんなに広いのに…」と嘆いたのはテュカある。不満そうにしながらも彼女は遊泳の体勢を解くと、仰向けの格好をとってプカプカと温泉に身を委ねだす。

 

 全体的に細身なエルフ娘であるが、湯面から飛び出してプルプルと震える胸元の膨らみは、意外としっかりとした曲線を描いていた。テュカは意外と着痩せするタイプなのだ。

 

 

「くっ、エルフといえば貧乳だと思っていたのに……でもあの2人よりはうん、まだマシだから」

 

 

 歯噛みするは梨紗。彼女の3サイズは日本人女性の平均レベルといった感じだ。

 

 視線をテュカからレレイとロゥリィに移した彼女はと負け惜しみめいたセリフを自分に言い聞かせ始めたが、不摂生な生活と年齢による影響で胸や尻やお腹回りのたるみがそろそろ怖くなっていたのは誰にも――特に元旦那には言えない秘密である。

 

 しかしレレイはまだ10代半ばであるし、ロゥリィなどはレレイと同じぐらいの年齢の時分に亜神と化した代償によって歳を取らなくなってしまったという已むに已まれぬ事情があるのは忘れてはいけない。何より起伏が少ない代わりに、最高級のフランス人形を思わせる儚げで可憐な青い肢体としての魅力を2人の裸体は秘めていた。

 

 

「ふぅ、どうやら温泉のお陰か胃の方も大分楽になってきたな」

 

 

 と鳩尾の辺りを撫でるピニャの双丘も中々素晴らしい。彼女の肢体は無駄の一切ない引き締まった、だが女性らしいメリハリも両立した、芸術品のように均整の取れた肉体だ。

 

 

「殿下の調子が戻られたようで何よりですわ」

 

 

 だがその隣で同じように身を沈めているボーゼスはピニャの上位互換と言っても良いぐらいに、更に見事なプロポーションをしていた。特に双丘の大きさはピニャやテュカよりも一回りは上であろう。

 

 そして、そんなボーゼスが霞むほどの爆乳の持ち主こそが栗林であった。そのくせ背丈だけならレレイ・ロゥリィに次いで3番目に小さい。そのぶん分余計に双丘を通り越した栗林山脈の凄まじさが強調されているのである。

 

 実際、温泉に入る前段階の脱衣所にて、栗林の爆乳に大いに興味を惹かれた他の女性陣らがしばらくの間順番に彼女の胸に感触を揉んで確かめるという光景が繰り広げられたのだが、残念ながら記録は全く残されていない。

 

 

 

 

 

 

 話を戻そう。

 

 温泉に浸る以外の娯楽を求めた女性陣は梨紗の提案によって周囲の男性関係について――要は恋愛ネタを肴に雑談を始めた。

 

 真っ先に標的になったのはボーゼスだった。

 

 

「なぁボーゼス。昨晩の『チカテツ』とかいうカタコンベへ向かう乗り物の時といい、昼間の『トショカン』といい、お前妙にトミタ殿との距離が近くないか?」

 

「そ、それは殿下の気のせいでは」

 

「ほう、お前は妾の目がガラス玉で出来ているとでも言いたいのだな」

 

「そうは言っておりませ……あっ、お姉様そんないきなりっ」

 

「おほーっ、リアル姫騎士同士の絡みキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!! 是非次の薄い本のネタに使わないと!」

 

 

 このような光景が繰り広げられた後、ピニャの肉体言語による尋問の結果富田の事を少なからず意識している事をボーゼスの口から告白されると、次の矛先は梨紗へと向けられた。

 

 女性陣の中では最もパッとしない梨紗であるが、この中で唯一の結婚経験者(しかもあの伊丹とだ)なだけに、ボーゼスの事とは別の意味で周囲は興味津々である。

 

 

「リサってぇ、イタミとは一旦結婚はしたけど別れちゃったのよねぇ。その割には仲良しな感じだけどぉ、理由はあるのかしらぁ?」

 

 

 代表者としてロゥリィが質問を投げかけると、バツの悪さが入り混じった苦笑いを浮かべて梨紗は白状した。

 

 

「そのーえーっと、先輩とは学生時代からの長い付き合いで、趣味だとか家庭事情だとかそういうのもお互いよく知る仲ではあったんだけど、色々あって食うに困っちゃって、おまけに出会いらしい出会いもないのにどんどん歳だけは取っていくのに焦っちゃってたの」

 

「それで?」

 

「それでですね、ちょうどそんな時期に先輩と飲みに行ったんだけど、酔っ払って愚痴ってる内に安定収入を得てて付き合いも長い先輩の事が妙に眩しく感じちゃって」

 

「で?」

 

「…………酔った勢いで『養って下さい。その代わり結婚してあげますから』って言っちゃったら、そのままプロポーズの言葉という事で結婚と相成りました、はい」

 

『うわぁ……』

 

 

 周囲の反応はドン引きであった。栗林に通訳してもらっていたピニャやテュカですらそうなのだから、異世界の価値観から見ても梨紗の発言はあまりにもあんまりであったわけだ。

 

 

「でもそれで本当に結婚しちゃう隊長も隊長な気が……結婚した理由でこれなら離婚した理由はどれだけ酷いんだろ」

 

 

 このような感想を思わず栗林が口走ってしまったのも仕方ないであろう。だが耳に届いたその呟きを聞いて、梨紗の表情は一変した。

 

 

「……離婚の方はね、先輩から持ち掛けられたの。急に海外に派遣される事になったとかで、先輩は『心配ない』って言ってたんだけど、ロシアとアメリカの戦争が始まった直後から突然連絡がつかなくなって……」

 

 

 そう語る梨紗の表情は冬の夜空よりも暗い。突然話の内容が深刻さを帯びてきて周囲の様子も真面目なものに変わる。

 

 

「次に連絡があったのはロシアが北米大陸から撤退したすぐ後かなぁ。全然知らない番号で、今どこにいるのか尋ねてもはぐらかされちゃって、そしたら唐突に『理由は聞かず俺と別れてくれ』って言われたの」

 

「おそらくだが、当時のイタミ殿は彼が追っていたマカロフやインナーサークルとかいう危険な者らの集まりがリサ殿の存在に辿り着いてそなたを害するのを恐れていたのだろう。リサ殿をならず者らの手から守る為に、敢えて別れ話をイタミ殿は持ち掛けたのではないか?」

 

 

 ピニャの推論は半分正しく半分間違っている。

 

 親類である梨紗に追及や危害の手が回されぬようにする為に別れ話を持ち掛けたのは正しいが、イタミが警戒していたのはマカロフ率いるインナーサークルではない。

 

 米露対決を誘発させた証拠抹消の為、TF141を裏切り隊員の大半を抹殺したシェパード将軍を、伊丹らは報復として殺害した。

 

 裏切者でも現役米軍将官である。復讐達成の代償として伊丹らはアメリカ政府から最重要手配犯に指定された。アメリカ政府からの追及の手が当時妻であった梨紗にまで及び、彼女の平穏な生活が破壊されるのを危惧したが故の苦肉の策として、伊丹は離婚を申し出たのである。

 

 とはいえロシア軍東海岸侵攻によって甚大な被害と混乱が齎されたとはいえ腐っても超大国アメリカ、本気になれば梨紗の存在など容易く突き止められたであろうが、それでもやらないよりはマシかもしれない。

 

 そう考えた上で離婚を申し出た伊丹だったが、当時の梨紗からの返答は断固とした拒否であった。

 

 

「今思うとそうだったのかもしれない。でもその時の先輩からは何の事情も教えて貰えなかったし、いきなり連絡が途切れてこっちは心配してたのに、向こうかやようやく連絡してきたと思ったら『頼むから何も聞かずに離婚してくれ!』よ?

 それまでは結構仲の良い夫婦をやってきたつもりだったのに急に離婚を突き付けてきて、しかも直接顔を合わせるんじゃなくて電話口から一方的に言ってきたもんだから、ついカッとなって『だったら絶対別れてやるもんか!』って叫んでやったの」

 

「あー分かります分かります。そんな事されちゃったら意地でも従いたくなくなっちゃいますよ普通」

 

 

 うんうんと栗林が頷くと、その動きに合わせて爆乳と水面が微かに揺れた。

 

 

「でもぉ、結局リサとイタミは別れちゃったんでしょぉ?」

 

「心変わりしたきっかけを教えて欲しい」

 

 

 とロゥリィとレレイが続きを促す。ロゥリィはまだしもレレイも食いついている辺り、年齢に似合わぬ冷静さと無表情の持ち主なようで年頃の少女らしい部分も彼女の中にしっかりと存在しているようだ。

 

 

「先輩が今年の初めぐらいにようやく帰国してからもしばらくは会えない事が多かったんだけど、決意が変わっちゃったきっかけは『銀座事件』かなぁ」

 

「ギンザ……事件?」

 

「帝国が『門』を超えて二ホンに対し初めて本格侵攻を行った時の事ですね」

 

 

 初めて聞くフレーズにテュカが首を傾げ、富田から『銀座事件』について教えて貰ったボーゼスが合いの手を入れた。

 

 

「先輩が銀座であれだけ危ない目に遭って、それどころか死んでもおかしくないぐらいの事をされてもずっと戦い続けてる先輩の姿がネットでもテレビでもいっぱい流されて、それで慌てて自衛隊や政府に連絡を入れて先輩の安否を問い合わせたの。

 でも帰ってくる返事は『命に別状はない』の一点張りで、入院している病院すら教えて貰えなかった。普通おかしいでしょ。私と先輩は夫婦なのよ? しょうがないから個人的な知り合いの政府の偉い人……嘉納さんに相談して、あまり迷惑はかけたくなかったんだけど、せめて私が心配してたって先輩に伝えてもらうよう嘉納さんにお願いして、そしたら――」

 

「そしたら?」

 

 

 話を聞いていた梨紗を除く女性陣が決定的なくだりを聞き逃すまいと一斉に彼女へ向かって身を乗り出す。

 

 

「……先輩からの返事は『俺が死んでも海外時代に貯まった危険手当や保険金はそっちのものになるよう手続きしてあるから心配しなくていい』でした」

 

「それは……キツいですね」

 

 

 悪意ある翻訳を加えると『金さえ貰えれば文句はないんだろう?』とも受け取れる言葉である。

 

 もちろんこの場にいる女性陣は差はあれど伊丹の人柄を知る者ばかりなので、当時の伊丹が悪意と嘲笑からそのような伝言を梨紗に送ったとは決して思っていないが、複雑な感情を覚えてしまう事までは抑えきれなかった。

 

 

「これには流石に参っちゃってねー。外国でずっと危ない事をしていたからなのか、それとも元々そうだったのかまでは分からないけど、先輩が私の気持ちも、もしかすると周りの気持ちも、なーんにも分かってないって、その時気付いちゃったんだ」

 

「……だから離婚したのぉ?」

 

「そう、だからこそ仕切り直さなきゃ、って思ってね」

 

 

 

 

 

 

 しばしの間、女湯は沈黙に包まれた。誰も声を発しようとはせず、源泉から汲み出された熱湯が持続的に湯船へ注ぎ込まれた際に生じる水音のみが、女性陣の間に広がった。

 

 居心地の悪い静寂を破ったのはロゥリィである。亜神として常人の寿命の数十倍の年月を過ごしてきただけに、この手の居た堪れない空気を打破する為にはどうすればいいのかという経験則、それを実行に移す為の精神力もまた女性陣の中では特に抜きん出ていた。

 

 こういう時は沈んだ精神状態を根底から引っ掻き回すようなショックの強い話題をブン投げてやれば良いのである。そんな訳でロゥリィは躊躇いなく、新たな恋愛ネタという名の爆弾を投下したのであった。

 

 

「どうやらイタミったら中々のニブチンさんらしいわねぇ。クリバヤシぃ、貴女もこれから頑張らないといけないわねぇ」

 

「そうね、頑張らないとって、ぇ、ちょロゥリィちょっと待ってナシナシ今の無しぃ!?」

 

 

 栗林の顔色が温泉の熱とは全く違う理由で赤みを増し、ピニャとボーゼスとついでに梨紗の目がギラリと輝いた。

 

 

「え、何、栗林さんも実は先輩狙い? そういえば宿に入る時、妙に先輩との距離が近かったような……」

 

「ちち違いますぅ!? 私は別にあんなキモオタ趣味なんか全然タイプなんかじゃ……ない、つもり、なんだけど……ゴボゴボゴボ」

 

 

 段々と声が小さくなっていき、最後の方は栗林の顔の下半分が湯船に沈んでしまったせいでほとんど聞き取れなかった。

 

 しばらくして、呼吸が続かなくなると彼女は浮上し、星空を見上げながらゆっくりと呟き始める。

 

 

「私はどちらかといえば結婚の方に興味があるわけで、明るく清く正しい家庭を築くのが夢で……でも出来たら強い人がいいなーと思ってはいますけど」

 

「ならイタミ殿はうってつけではないか。妾はむしろ納得したぞ、武勲に秀でた強き英雄に惹かれるのは女として生まれた者の性としては当然であるからな。皇帝の家系においても英傑の血や、中には亜神の血も取り込もうと婿へ招き入れたり、継承権の低い息女を嫁として送り出すという事例は数多く存在している」

 

「いやいや血を取り込むとかそこまでは……」

 

「じゃあじゃあ、栗林さんは先輩のどういう所が気になっちゃったわけ?」

 

「それは、えっと、伊丹隊長の部下に配属されて最初の頃は、あの『銀座事件で』あれだけ活躍した英雄がグータラでだらしないオタクだったって知っちゃったのもあって、正直言って軽蔑したりもしてて、偵察隊として特地の調査任務に就くようになってからもしばらくはそんな感じだったんですけど」

 

「ですけど?」

 

「任務の途中でイタリカという街を訪れたんですけど、そこは丁度現地の武装勢力から襲撃を受けていて」

 

 

 そこでピニャ殿下が率いる騎士団とも遭遇し、代表者同士で協議した結果、共同戦線を張る事になったのだと栗林は梨紗へ説明した。

 

 

「で、恥ずかしながら戦いの熱気に中てられちゃいまして、単身突撃を敢行しちゃったんですよねー」

 

「よ、よく無事でしたね」

 

「そりゃあ鍛えてますから。だけど隊長には命令無視と独断専行でこっぴどく怒鳴られちゃいました」

 

「まー軍人さんなんだから命令無視はヤバいわよねー。だけど先輩が栗林さんみたいな女の人を怒鳴りつける絵面も中々思い浮かばないわぁ」

 

「そしたらですね、こう、こういうのっておかしいのかもしれませんけど、隊長に怒られてるうちに段々胸がドキドキしてきちゃいまして」

 

「え、ええー……」

 

 

 吊り橋理論、という学説がある。

 

 不安定に揺れる橋の上で実験を行った事から名づけられた理論であるが、簡単に言うと危険な場所・状況において異性と緊張感を共有した場合、それ以外の場所で出会った場合に比べて格段に恋愛感情へ発展しやすくなるという理論である。

 

 栗林はイタリカでの野盗戦において初めての実戦に興奮し、訓練を重ねて積み上げてきた戦闘技術という名の暴力を際限なく行使できる快楽に酔いしれた。

 

 そこへ同じ体験を共有し、かつ初めて見る怒りの形相を浮かべた伊丹に叱責され、それどころか胸倉まで掴み上げられたという体験を、栗林は続けざまに経験する形となった。

 

 その結果、実戦と暴力によって抱いた興奮が栗林の中で知らず知らずのうちに『伊丹に怒られた事に対して興奮を覚えた』というものにすり替わり、挙句彼女の脳裏に深く刷り込まれてしまった、というのが栗林の変化の真相であった。

 

 もちろん栗林自身、自分の中で発生したすり替わりと刷り込みについては全く自覚できていなかったり。

 

 

「その後も色々あって、隊長の裸を見ちゃう機会があったんですよ」

 

「何故に!?」

 

「後生だから詳しくは聞かないでくれぬか、頼むから」

 

 

 梨沙の叫びに何故かピニャが懇願した。

 

 

「私が見たのは上半身だけだったんですけど、隊長の体って凄い傷だらけで、中には銃に撃たれた傷もあって」

 

「……」

 

「隊長の傷跡を見て、私気付いたんです。だらしなくて不真面目でオタクに見える隊長こそが、私が憧れていた精鋭中の精鋭、あらゆる危険な戦場を生還してきた真の兵士だったんだって。一体どこでそれだけの経験を積んできたのかが1番の疑問でしたけど、それも昨日の説明でようやく知る事ができました」

 

「私は、先輩の体がそんなに傷だらけだなんて知らなかったなぁ……私の知らない先輩を知ってる栗林さんらがちょっぴり羨ましいや」

 

「いえいえそんな、学生の頃から伊丹隊長と付き合いのある梨紗さんの方がよっぽど――」

 

 

 そんな感じでしばらくの間、延々互いに謙遜し合うという日本人特有のやり取りが続いたのであった……

 

 

 

 

 

 

『恋愛はポタージュのようなものだ。初めの数口は熱すぎ、最後の数口は冷め過ぎている』 ―ジャンヌ・モロー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<????>

 某所

 

 

 

 

 

 冬の砂浜は人気が極端に少ない。寒さが厳しくなる真夜中ともなれば尚更である。

 

 冬の海の幸が豊富な地方の漁港でもない限り、好き好んで真冬の海に近づくのは余程の変わり者か、自殺志願者か、或いは人目につきたくない行いを企む人種のどちらかだ。

 

 海側から砂浜へと近づいてくる影は後者であった。全長50メートルにも及ぶ船が航行灯を全て消し、操縦を担当している人物が航行機器と暗視ゴーグルを用いて海流にギリギリ流されぬ最低出力でもって船を進ませている。

 

 その船舶は普通の船とは違い、舳先の部分が流線形ではなく四角く突き出ている。横から見てみると台形をひっくり返してその上に甲板構造物を追加したようなデザインをしている。

 

 船の正体は小型のカーフェリーだった。小型とはいえ50メートルもの全長ともなれば乗用車やトラックを数十台は搭載できるし、乗客に至っては3桁に達する人数を車共々運ぶ事が可能なのだ。フェリーの車両用甲板も乗客用スペースも積み荷と客で満載である。

 

 また件のフェリーには、民間船らしからぬ改造がいくつも施されていた。そもそも海難事故のリスクを冒してまで航行灯を点けず、ちゃんと設備の整った港ではなく人気のない小さな砂浜を目指している時点で善からぬ事を企んでいるのは明らかであろう。

 

 

「接岸するぞ。衝撃と上陸に備えろ」

 

 

 航行を担当する乗組員が無線で乗客らに伝達した。彼の口から発せられたのはロシア語だった。

 

 船をゆっくりと減速させながら砂浜へと到達。水面下で船底と海底が擦れると船体全体が異様な震えを発した。出力を維持したまま船底を海面下の砂地にめり込ませるようにして、更に船そのものを陸地へと近づけさせていく。

 

 これで十分だ、と判断した乗組員は出力を0にしてエンジンとスクリューを完全に停止させた。浅瀬に座礁した形であるが、乗客と車両が無事に上陸できさえすれば目標は達成なのだ。どうせこれ以上船を航行させる予定もない。

 

 乗組員が別の機器を操作すると、車両を乗り下ろしする為のランプがゆっくりと降りていく。鋼鉄製のランプを砂浜へとめり込ませ、船と陸地を繋ぐ短い架け橋が構築される。

 

 そして海を渡ってきた何台もの車両が次々と自走しながら上陸していった。そもそもこの砂浜を上陸地点に選んだ理由の1つが、陸地側からでも車を砂浜に乗り入れられる地形になっていたからである。

 

 上陸した車両は、市販のSUVを改造した車もあれば、一般の乗用車より明らかに一回りは大きい軍用車両も混じっている。荷台が幌に覆われた大型トラックも混ざっており、中には4トントラックをベースに空港で走り回っていそうな給油設備一式を搭載した中型タンクローリーなんぞも一緒に船から姿を現した。

 

 船から下りてきた車両はいくつかのコンボイを形成すると、そのまま内陸部を目指して姿を消していく。

 

 

 

 

 彼らが目指す場所はたった1つ、それは――……

 

 

 

 

 

『賽は投げられた』 ―カエサル

 

 




描写量が男湯>女湯にならないように書いてたら気が付いたらこんな展開に。

次回からCoDクロスらしく延々戦闘が続く…かも?


感想・批評随時募集中。


追記:どうでもいいですが女性陣のオッパイはテュカがアニメ基準、ピニャが漫画版基準です。
大きいは正義、でも奇乳は勘弁な!

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