遊園地北部・イベントエリア。
十数台の戦車が密集してもお釣りがくる程の広さを誇る野外音楽堂を中心として、大小のイベントブースが建ち並ぶ。遊園地が開園していた頃は、戦車道関連のイベントやアイドルライブ、着ぐるみショーなどが行われ、家族連れや戦車愛好家などが集う賑やかな場所であった。
そして今は、激しい砲声が周囲を包んでいる。
「ああもう、鬱陶しいわね!」
比較的頑丈な建物の陰に隠れて敵の砲撃を避けつつ、T-34/85の砲塔から小さな体を覗かせてカチューシャが怒鳴った。
「カチューシャ様、相手は三方向からこちらを半包囲しつつ距離を詰めてきているようです」
そのカチューシャの背後を守るように位置するもう一両のT-34、周囲の状況を確認していたクラーラが双眼鏡を下ろしつつ言う。
「全く、いやらしい押し込み方をしてくるわね……!」
その二両の側面に展開するⅣ号戦車内、逸見エリカは険しい表情で前方の赤いマーキングのパーシングを見た。
劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第三十二話 虎と英雄は映写機を回す
90mm砲の至近弾が届き、建物の外壁を砕くと共にコンクリートの破片をⅣ号戦車の周囲に撒き散らす。
「きゃあっ!? ね、ねえ、これ以上包囲が狭くなる前に、脱出できないかな!?」
「おそらくは、相手もそれを狙っています! こちらが逃げようと背中を見せたところで一気に攻めてくるつもりかと……」
通信手席で身を縮める沙織の声に、装填しつつ優花里が答えた。
「ベストな展開はここで敵の背面にこっちの増援が来てくれる事だけど……期待しない方が良さそうね」
車長席の横に沙織が用意してくれた、小型のホワイトボードをエリカは見た。手書きの遊園地の図面の上に、車名が書かれたマグネットマーカーが幾つも貼りついている。遊園地全体を舞台として、彼女ら大洗勢は広く展開している。北側まで回ってきている車両は多くない。
エリカのⅣ号戦車が索敵において先手を許し、このイベントエリア追い込まれてきたのはつい少し前の事だ。
大通りを避けつつ北側に向かってきていたカチューシャとクラーラに合流できたのは幸いであったが、足を止めた状態でのパーシングとの撃ち合いは分が悪かった。
足回りが脆弱という弱点こそあるものの最大装甲114mm、車体部正面も104mmの傾斜装甲を持つパーシングに対しⅣ号戦車は追加装甲含めて80mm、T-34も砲塔正面こそ90mmだが車体正面は僅か45mm。正面からの撃ち合いではパーシングに軍配が上がる。
また、相手の指揮も迅速かつ的確だった。突出する事無く、整然と砲撃を繰り返してくる。流石は各大学戦車道から選抜されたエリートだけはあるか。
そういったマイナス要素も加わり、エリカ達は追い詰められつつあった。
「こういった、ちまちました攻め方は好きではないのだけど……ここは確実に仕留めさせてもらうわ。各車発砲」
赤いマーキングが施されたパーシング上、バミューダ・トリオのリーダー格であるメグミは静かに言った。パーシングの90mm砲が火を吹き、肩口まで伸びた艶やかな黒髪が大きく揺れる。
「隊長。敵大隊長、逸見エリカの搭乗するⅣ号戦車、及びT-34二両を発見しました。現在交戦中です」
「了解。各方面の敵の抵抗が激しいようだ。Ⅳ号を撃破し、浮足立った味方を落ち着かせろ」
幼い声と裏腹の落ち着いた口調で愛里寿の指示が届く。今も彼女は遊園地を俯瞰できる場所から、戦況の推移を見つつ指揮を執っているはずだ。
その事実はメグミに、現場を任されているという責任感と同時に、信頼されているという満足感を与えてくれる。
強気な言動と小柄な身体がどこか幼さを感じさせるルミや逆に同世代より大人びた雰囲気を漂わせるアズミと異なり、メグミは“戦車道の大学選抜選手”というイメージをそのまま体現化したような雰囲気を持つ、一見穏やかな女性に見える。
しかしその内面はバミューダ・トリオの中でも最も攻撃的であり、相手を火力で薙ぎ払うような豪快な勝ち方を好む。それは彼女がサンダース大付属出身である事と無関係ではないだろう。
「各員、相手の次の反撃を契機として攻撃しつつ前進。押し潰せ」
「うむむむ……遊園地各所で健闘する大洗戦車道チーム、ここに来て逸見大隊長のⅣ号戦車が苦境に立たされております! これはどう見るべきでしょうか!? 解説のケイさん、エクレールさん!?」
観戦会場に作られた実況ブース。実況担当の王大河はマイクを握り締めつつ解説役の二人の隊長に尋ねた。先にエクレールが口を開く。
「ここはむしろ、相手方の包囲の上手さを認めるべきですわね。少数の車両での包囲殲滅は、僅かな連携の乱れでも容易に隙が生まれてしまいます。圧勝と思われていた試合で予想外の損害を出し、大学側にも少なからず動揺があるはずなのですが……おそらくは、中隊長の指揮がそれだけ的確なのだと思いますわ」
「Oops! あれ、メグミ先輩じゃないの!」
拡大される赤いマーキングのパーシング。その砲塔から身を出す黒髪の女性を見てケイが呻くように言った。大河がケイに尋ねる。
「ご存知なのですか、ケイさん!?」
「ご存知も何も、ウチの二つ前の隊長よ!」
「……どちらかと言えば、知波単出身のような雰囲気の方に見えますね」
「見た目だけよ! アレで中身はハートマン軍曹よりおっかないんだから。私も
「えー、生放送です」
普段陽気なケイが顔を青くして言う様に、大河とエクレールは彼女の恐ろしさの一端を垣間見たような気がした。
再び画面から砲声が届く。同時に、何かが破壊されたような金属音。
「おっと!? 動きがあったようです、ドローンの映像拡大までお待ちください!」
大河は咄嗟に画面に視線を向けた。足回りから煙を出すⅣ号戦車の姿が映し出される。
「Ⅳ号戦車、どうやら履帯か転輪に攻撃を受けた模様です! 白旗は上がっていないようですが……だ、大丈夫なのでしょうか!?」
「くっ!? 損害状況確認!」
揺れるⅣ号戦車の中、身体を支えつつエリカが叫ぶ。
「白旗判定なし! 砲身にダメージ無し、攻撃続行可能です!」
「ええっと、通信機異常なし! 感度良好!」
素早く砲手席周りの状況を確認して優花里が言った。それに続き沙織も応答する。
足元から異音。何かが軋むような音がエリカの耳に届いた。
「右の履帯に異常発生。まだ動けますが、おそらくは履帯に被害があるものかと思われます!」
操縦席の華からの声。エリカは歯噛みしつつ車長席を蹴ると砲塔から身を出した。咄嗟に周囲を見回し、身を隠せる場所を探す。
『ちょ、ちょっと! 今、嫌な音がしたけど大丈夫!?』
通信機からのカチューシャの声。まだ土煙が収まらない中、エリカは喉頭マイクに指を添えカチューシャに言った。
「足回りをやられたわ! 近くに隠れて応急で修理するから、牽制を頼める?」
『任せなさい! 行くわよ、クラーラ!』
『
カチューシャの決断は早かった。Ⅳ号戦車からやや離れた位置で攻撃を始め、エリカに向けられる攻撃を自分たちの側へ向けようとする。
エリカは感謝しつつ更に周辺を見た。パーシングからの攻撃で外壁が破壊され、丁度戦車が隠れられそうなスペースの建物が後ろに見える。
「華、後方5時の方角の建物に後退。隠れて応急修理を行うわ。急げば履帯が壊れるかもしれない。落ち着いて、ゆっくりとね」
「……分かりました」
華が息を呑む気配がエリカにも伝わってくる。軋むような音をたてつつⅣ号はゆっくりと後退し、少しずつその車体をスペースの中へと隠してゆく。
それは僅か数十秒の出来事だった筈だが、エリカには随分と長く感じられた。T-34が展開する方向から幾つもの砲声と着弾の音が聞こえてくる。急がねばならない。
ようやくⅣ号の全身が日陰に覆われ、エリカは大きく息をつくと車外に降り立った。
「ここは……?」
そこはどうやら、イベントでムービーなどを上映するのに使われていた場所のようだった。殺風景なフロアの奥には大きなスクリーンが吊り下げられ、スピーカーや映写機などの機材は遺されたままとなっている。急な閉園で撤収させ切れなかったのだろう。壁際には埃を被った幾つもの段ボールなどが置かれていた。
「急いで修理しましょう。優花里、沙織は手伝って。華は操縦席で、緊急時に何時でも出せるように備えて」
「了解であります!」
「分かった、急がないとね!」
工具箱を手に優花里が飛び出すように砲塔から現れ、続けて沙織もばたばたと降りてきた。
エリカは改めて損害箇所を確認した。確かに履帯のひとつが半分砕け、ギリギリで繋がっている状態だ。幸い、一枚しか壊れてはいない。これならば急げばカチューシャたちが撃破される前に救援に回れるかもしれない。
「優花里、後ろから履帯を持ってきて」
「はっ!」
素早く優花里が駆けてゆく。エリカは沙織と共に壊れた箇所の履帯を取り外す作業に取り掛かった。
「おわーっ!?」
突然、優花里の向かった戦車後部から叫び声が上がった。
「っ!? 優花里!?」
尋常ではない叫び声に、エリカは驚きつつも作業を中断してそちらに向かった。段ボールを前に、優花里が屈みこんでいる。
「ちょっと優花里! 大丈夫……」
「うわー、『ヨーロッパの解放』全巻リマスター版に『フューリー』に『レマゲン鉄橋』! 『パットン大戦車軍団』に『バルジ大作戦』、『遠すぎた橋』はまあ、あって当然とはいえ……おおっと、『サハラ戦車隊』に『鬼戦車T-34』までちゃんと在りますよ! うわ! このDVD-R、『西住戦車長傳』って書いてます! 著作権は無くなってますから、VHS版しか無かったのを上映のために焼き直したんですねー!」
「……優花里?」
彼女は、まるで初めて見る玩具の山を見る子供のように目を輝かせつつ段ボールの中を漁っていた。どうやら中にあるのはほぼ全てが映画のDVD、それも戦車映画ばかりのようだ。
「おお! これは“本物以上”と言われた事前告知のティーガーが本編に登場しなかった『ホワイトタイガー』! ハナ肇の『馬鹿が戦車でやってくる』、『戦国自衛隊』『ぼくらの七日間戦争』まであります! となれば当然……やっぱりありました『ゴジラ』! 自衛隊が全面協力してるんですよねー!」
「優花里」
「ん? これは……うっわー! 『タリ・イハンタラ1944』! 国内版未発売のフィンランド戦争ものですよー!」
「優花里!」
「はっ、はひっ!?」
強く呼んだエリカの声にようやく我に返ったのか、優花里は跳ねるように背を伸ばし、エリカの方を気まずそうに向いた。
彼女が戦車が好きすぎて、時折我を忘れてしまう事はエリカも十分知っていた。その小動物のような怯え方に呆れつつ尋ねる。
「……何やってるのよ、全く」
「す、すみません、逸見殿……その、予備の履帯を取りにこちらに来たのですが、近くにあった段ボールの梱包が開いていて、何気なく覗いてみたら宝の山が……」
相当に名残惜しいのだろう。エリカに謝罪しつつも視線は段ボールの方にちらちらと向けられている。
その時、一際大きい砲撃音が外から聞こえてきた。直後、エリカの耳にカチューシャの焦り混じりの声が届く。
『まずいわよ! 敵部隊、一気に距離を詰めてきたわ!』
『こちらが退かないと見て、このまま押し潰す方を選択したかと』
「……了解! こっちも修理を急ぐわ!」
クラーラが彼女の言葉を補うように言う。エリカは自身の中の焦りを抑えつつ答えた。その様子に優香里は更に申し訳なさそうにする。
「本当に申し訳ありません、逸見殿! すぐに修繕を手伝います!」
「お願い……いや、ちょっと待って!」
ふと、エリカは彼女を呼び止めた。
この焦りつつも修繕を急ぐしかない状況で、エリカの脳裏にある一つの発想が浮かんだ。
それは、彼女自身にとっても「らしくない」思いつきだった。おそらく他の誰かが同じ思いつきを口にすれば、エリカは呆れ顔になるだろう。
そして──彼女は、アンチョビは、笑ってこう言うだろう。
「……よし、やってみようじゃないか!」
「優花里。貴女、この戦車映画に登場している戦車の種類とか、映像や音のクオリティーとかって分かる?」
「え? あ、はい! 大体150作品くらいの戦車映画なら、出演キャストから登場する戦車まで覚えていますが……」
「それじゃ、今から指定するのに一番近いのを探せる?」
『中隊長、敵の反撃が止みました』
「こちらの攻撃で白旗が上がったか、それともここに来て撤退しようとしているか……引き続き包囲を狭めつつ索敵。発見次第撃破せよ」
指揮下のパーシングからの通信に、メグミは少し考えて答えた。彼女のパーシング自身も少しずつ歩を進める。
観戦会場からは撃破された車両は電光掲示板で確認可能だが、実戦中の当人たちは目視確認と最後のアナウンスでしか白旗判定を確認する事はできない。どちらかを完全に撃破するまで終わらない殲滅戦において、互いの戦力把握も競技要素のひとつと扱われているからだ。
「……?」
砲声が再び響いた。先ほどまでT-34が反撃していた位置と、大幅にずれている。
同時に一発の砲撃がメグミのパーシングの周囲に届いた。命中こそしなかったものの、近い。
「……なるほど」
攻撃をあえて止め、こちらが最初の攻撃方向に向かうところを横から叩く作戦だったか。
だが、焦りからだろうか。詰めが甘い。十分に引き付けずに撃ってしまっては、あっさりと自分たちの本当の場所を教えるようなものだ。
「敵は10時の方向に移動している。包囲を狭め、追い詰めろ」
メグミがそう指示を出す間にも、砲声は聞こえてくる。重々しい、85mm砲の響きだ。
『こちら9号車! 敵Ⅳ号戦車を発見しました。どうやら履帯を損傷し、動けないようです!』
「即座に攻撃を。ここで仕留めろ」
『了解!』
先行していたパーシングの車長からの報告に、メグミは簡潔に答えた。無駄に相手の手を読み時間を潰せば、それだけ反撃を許す事になる。
直後、砲撃が二つ響いた。
「……!?」
メグミの眉が動いた。
聞こえてきた砲声は、9号車の居る位置からではない。やがて彼女の耳に、動揺を隠せない9号車長の声が聞こえてきた。
『こ、こちら9号車! 突然、後ろからの砲撃を受けました! 直撃を受け走行不能、申し訳ありません!』
「何?」
『同じく10号車! こちらも同様の攻撃でやられました! 6時方向、真後ろからです!』
メグミは咄嗟に耳を澄ました。やはり砲撃は前方からも聞こえてくる。
「これは……!?」
やがて、その砲声にはBGMが混じり始めた。
「……音楽?」
「すみません、ここからBGMが始まるのを忘れていましたー!」
「十分よ、こっちも履帯の修復完了したわ!」
機材の横で焦る優花里にエリカは声をかけ、映像の停止を指示した。先ほどまで大音響で鳴り響いていた砲声はあっさりと止み、同時にスクリーンに映し出されていた戦車の映像も消失する。
エリカ等にとって幸いだったのは、戦車のバッテリーを通して機材が動いてくれた事だ。
何とか生きていた映写機を動かし、ミキサーで台詞などを極力抑えて砲声のみ響くように調整。スピーカーを外部に向け、偽のT-34の砲撃音で敵を引き付ける。
「T-34と言えばやはりこれです、『ヨーロッパの解放』! これはソビエトの国策で三年を費やして作られた超大作で……」
「ええっと、悪いけど説明は後で聞くわ。砲撃音がそれなりに続くシーンがいいんだけど」
「大丈夫です! この映画、全部で7時間48分あって長すぎるくらい戦闘シーンもありますから!」
実際のカチューシャ達には指示を出して攻撃を止めさせ、そのまま息を潜ませる。
狙いは上手くいってくれた。Ⅳ号のみを包囲する形になったメグミの部隊はカチューシャとクラーラに背を向ける格好になり、まともに攻撃を食らったという訳だ。
『やったわ、二両撃破!』
『逸見さん、再包囲される前に脱出を』
「了解! 華、すぐに発進させて!」
「はい!」
カチューシャとクラーラからの通信に応答しつつ、エリカは華に出発を指示した。コンクリートの破片を砕きつつ、Ⅳ号戦車が再び走り始める。
「お疲れ様、カチューシャ」
『ねえ、上手くいったからいいけど……貴女、アンチョビに似てきてない?』
「……言わないで」
カチューシャの言葉に苦笑を浮かべつつ、エリカは改めて全方位通信を開いた。
「こちらⅣ号、北部イベントエリアでカチューシャ達のT-34と連携して敵二両を撃破したわ。包囲を抜けて、このまま北東部へ向かうわね」
『了解、こっちは……』
南西部にいるらしいアンチョビの声が聞こえかけた時、それに割り込むように別の通信が入って来た。
『……逸見殿、こ、こちら、福田であります』
「福田さん?」
今となっては知波単勢の最後の一機となった彼女からの通信。その声はまるで押し殺すように小さい。
『逸見殿。ご健闘、見事でありました。自分は……ここまでのようであります』
「福田さん? どうしたの、今、どこ?」
『は。自分は観覧車殿が回転された後の北西部を哨戒していたのですが……現在、動物エリアにおいて敵チャーフィーと遭遇しております』
「!?」
ホワイトボードを見る。周辺に味方のマーカーは、無し。
「………」
草原に風が吹く。動物の模型が物言わぬ観客となって二両の軽戦車を見詰める。
福田は、前方でこちらへの攻撃を伺うチャーフィーを無言で見た。
戦場において不意の遭遇は珍しい事ではない。それは突然、互いに予期もしない状況で訪れる。
眼鏡の奥に強い闘志を滾らせ、福田は吼えた。
「不肖福田……ま、参ります!」
劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第三十二話 終わり
次回「小さな軍人の大きな戦い」に続く