カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第二十三話 吼えるカンテレ、アヒルの円陣

 丘の南西部麓、エレファント狙撃位置。

 片側の履帯を破壊され、エレファントはその巨体を大きく傾かせていた。不整地である事に加え、先ほどから降り始めた雨が地面に染み込み始めている。柔らかくなった土に埋もれた状態では、履帯を付け直す事も困難だろう。

 ミカは車長席から状況を確認すると、カンテレの上で指を躍らせながら片手を通信機に伸ばした。

 

「こちらBT-42。エレファント、損害状況は?」

『今さっき左の履帯が破壊されたわ。多少の向きを変える程度はできるけど、無理すれば転輪が割れて白旗が上がる。良くはないわね』

 

 危機的状況ながら、そう答える千冬の声は落ち着いている。

 なかなかに肝が据わっている。ミカは内心で感心しつつ言葉を返した。

「了解。何とかT-34を引き離して、そちらの射線に誘い込む。いつでも撃てるよう、準備はしておいて」

『フフ、やってみるわ』

 含み笑いを残して通信が切れる。

「……さて、行こうか」

 大きく響いたカンテレの音色と共に、BT-42は一際大きく唸りをあげた。

 

 

劇場版カタクチイワシは虎と踊る  第二十三話 吼えるカンテレとアヒルの円陣

 

 

「………」

 

 丘の頂上付近。

 ティーガーから身を出しつつ、西住まほは双眼鏡を手に麓の状況を観察していた。

「速いな」

 小さく呟き、喉頭マイクに手を伸ばす。

「こちら中隊長、後方に回ろうとしている敵の東側部隊の動きが速い。完全に後ろに付かれる前に正面敵部隊を突破、味方との再合流を……」

 最中、付近に爆発が起こった。素早く車内に戻るまほ。雨を吸って重みを増した土砂が吹き上がり、ティーガーの上に降りかかる。

「……再合流を行う。各車、上空からの砲撃に警戒しつつ前進。密集せず、互いに距離を保て」

 

 厳しいな、とまほは思った。

 本来ならば包囲戦に対しては密集し、一点突破で虎口を抜けるのが定石だ。しかしこの、此方を一撃で撃破しうる砲撃が続く状況では密集は危険と判断せざるをえない。僚機の孤立を避けるためには、先陣が大きく陣形を切り崩す必要がある。畢竟、全体の部隊の動きが鈍くなる以上は殿の務めも重要になるだろう。

 

「……みほ、いけるか?」

『お姉ちゃん……うん、大丈夫』

 みほのティーガーに向けて通信を送る。即座に返ってくる応答。

 改めてまほは周囲に通信を送った。

「私とみほのティーガーで先陣を切る。包囲網が空き次第そこから突破を試みろ。中須賀さんのティーガーは側面からの奇襲に備えて、部隊外周の警戒を。Ⅱ号戦車は包囲を抜けられたか?」

『了解! 任せ……』

『こちらⅡ号戦車、何とか抜けられたわ!』

『カールだか何だか知らないけど、すぐ撃破してやるから待ってなさい!』

『ちょ、バ柏葉! 通信中に割り込まないでよ!』

 エミが言い終わる前にけたたましい声で柏葉姉妹からの声が割り込んでくる。急造の彼女らカール自走臼砲撃破部隊の働きには確かに期待したいところだが、といってそれを待つわけにも行かないだろう。

『殿は私が務めましょう。IS-2の前面装甲ならパーシングの90mmにも耐えられます』

「分かった。頼む」

 ノンナからの提案に、まほは頷いて答えた。他の車両はツェスカのパンターにカバチームのⅢ突、カチューシャとクラーラのT-34。確かに最後尾で守りつつ撤退するならば適役だ。

 まほは外の土砂が治まったのを音で確かめ、再びハッチから身を出した。夏場の温い雨がしとしとと降りかかる。

「………」

 まほは後方を振り返った。自身のティーガーに続くもう一両のティーガー。そこから身を出すみほの姿を確かめ、まほは頷いた。

 

「行くぞ」

『うん、お姉ちゃん』

 

 二人の姉妹は視線を合わせ、強く頷いた。

 

 

 木々の間を走り抜けるBT-42、衝突すれば白旗が上がりかねない速さで進むその車体が急に速度を落とした。直後、その目前を徹甲弾が通過する。そちらに砲身を向けつつ再び急加速。榴弾砲を撃ち返すが、それは樹木に命中し弾けさせた。木片と無数の葉が舞い、互いの視線を隠す。

「ミカ! 相手、かなり速いよ!」

 揺れる車内の中で素早く分離薬莢を装填しつつアキが言う。

「大したものだね。現場で乗り換えたT-34なのに十全で操っている」

 

 確かにT-34はカタログスペック上では最高速度55㎞/hと、彼女らの乗るBT-42のベースである快速戦車・BT-7の53㎞/hをやや上回る。だが、その性能を乗り慣れたセンチュリオンから移ったばかりで発揮させる事は難しい。島田流として、常にどの戦車に乗り換えても扱えるように日頃から鍛錬を積んでいたのだろう。

 

「とはいえ、私たちがT-34に勝るのは速度だけだ。そこで負ける訳にはいかない」

 カンテレの演奏を止めることなく、ミカは頭の中に図面を描く。BT-42の位置、エレファントの位置、周辺の大まかな地形。

 少しずつではあるが、エレファントとT-34の距離は離せつつある。あとは如何にしてその射線が通る位置に相手を誘い込むか。

 もう少しでやや開けた場所に出る。そこで対峙した瞬間が勝負。 

「ミッコ、準備を」

『あいよっ!』

 ミッコは答え、操縦桿から僅かに手を離し傍らに置かれたハンドルを足元に置いた。

 濡れた枯葉が履帯に絡みつき、発射直後の熱した砲身に雨が降りかかる。

 悪い視界の中、ミカは指を止める事無く目を凝らす。木々の数が少なくなり、開けた場所へ出る。森の中の、広場めいた空間。

 ほぼ同時にT-34が森から走り出た。砲門はぴたりとBT-42に向けられている。

 カンテレが一際大きく鳴るのと同時にBT-42の履帯が小爆発を起こした。これは損傷ではない。かつて大洗女子学園に偵察に潜入した際、アンチョビと練習試合をした時にも見せた車輪走行モードへの高速切り替えのためのシステムだ。

 

「よっこい……しょっと!」

 

 ミッコは操縦桿から完全に手を離し、ハンドルを握ると手前の差込口に勢いづけて挿入した。BT-42は車輪運転時はハンドル操縦となる。

「天下のクリスティ式、舐めんなよぉっ!」

 軽く跳ねたBT-42の車輪が地を噛んだ。同時にT-34からの砲声。

 唸りと共に急加速した車体はその着弾点を大きく後ろに残し、BT-42はT-34への距離を詰める。

 BT-42の車輪モードは最大73km/hを誇るが、本来それはあくまで撤退時などの緊急用の手段だ。もともと長時間の運転は想定されていないし、車輪が砕ければ容易に白旗が上がる。

 その限界をミッコは知る。そして、その限界を更に限界まで引き延ばす運転を。

「何時でも行けるよ、ミカ!」

 アキが叫ぶ。ミカは顔を上げた。BT-42の主砲は野戦砲を改造したもののため、照準と発射装置が逆方向にある。発射のタイミングはミカに預け、アキは発射用のレバーを握り、その指示を待つ。

 ミカは片手で演奏を続けながら、通信機に手を伸ばした。

「エレファント。こちらが確認できるかい?」

『こちらエレファント、どうにか視認できているわ』

「車体の角度はそのままでいい。通信終了後、きっかり20秒で発砲を」

『了解』

 ミカの視界の先、T-34の砲塔のハッチが開き、小柄な影が姿を見せた。島田愛里寿だ。何か指示を出しているか、周囲を確認しているか。

 T-34の側面にBT-42が回り込んだ。T-34の太い履帯は雨の中でも安定性が高い。速度を緩める事無く、その回り込みを防ごうとする。

 

「アキ!」

 

 ミカの声と共に、アキはレバーを引いた。放たれる砲撃。しかしそれを大きく下がってT-34は回避した。

 カンテレが鳴る。直後、アキは強烈なGのかかる車内でバランスを崩す事無く新たな薬莢を手に取り、分離薬莢型とは思えないほど素早く再装填を行ってゆく。

 遠くからの砲声。エレファントの発砲。だがそれを、T-34は急ブレーキをかけた上で踊るように転回した。至近弾が地面を穿つ。

「……ここだよ」

 だがそれをミカは想定していた。奇襲戦法を良しとする島田流、彼女ほどであればエレファントの存在は最初から頭に入っているだろう。撃破した時の車体の向きも、角度も。

 

 ───しかしこのBT-42の秘中の秘、アキにこそ可能な高速装填までは?

  

 展開したT-34の背面が身を晒す。体勢を立て直すまでおそらく数秒、だがアキの装填はそれに勝る。1秒か2秒、それで十分。

「装填完了!」

 アキの声に、ミカが応える。

トゥールタ(撃て)!」

 レバーを握り締め、アキは最後の一撃を───

 

 

 爆発。

 

 

「わあぁっ!?」

 回転する車体の中、ミッコの悲鳴が響く。

 激しい衝撃に耐えつつ、ミカは敗北の予感と共に状況を確認し、考える。

 発射の直前に聞こえた音、あれはおそらく例のカール自走臼砲の砲撃だろう。

 だが何故、主戦場から外れているここに都合よく飛んできた?

 まさか、こちらが第二の矢を構えていた事まで予測し、その上でこちらが撃つには絶好の位置にあえて誘い込んだ?

 幾ら何でも、そんな事が───

 

 ───なるほど、これが『天才』か

 

「……皆さんの健闘を祈ります」

 ミカはそう言うと、カンテレの演奏を止めた。

 

 

「マズいねえ、こりゃ」

 通信を傍受し、大まかな状況を確認してヘッツァー内で角谷杏は呟いた。

『い、急ぎましょう! カメ殿、アヒル殿、ええっと……バ柏葉殿!』

『それはチーム名じゃないわよ!』

『馬鹿にしてんの、この眼鏡!』

『もっ、申し訳ありません、バ柏葉殿!』

『『アンタ分かって言ってるんじゃないの!?』』

 付近に停車している九五式軽戦車と、Ⅱ号戦車。それぞれを動かす福田と柏葉姉妹が言葉の応酬を交わす。

 その時、ヘッツァーに別の通信が届いた。磯部典子の元気な声が飛び込んでくる。

『こちらアヒル、標的を発見しました!』

「よし、そんじゃ行こうか……リコッタ小隊、全速前進ー!」

 杏の指示に合わせて、操縦席の柚子がペダルを踏み込む。言い争いをしていた三人も口論を止め、それに続く。

 彼女ら急造部隊“リコッタ小隊”は現在、主戦場である三つの前線からやや離れた河川跡を進んでいた。ここまでの敵の砲撃から、大体の距離と方角を割り出したポイントである。

 現在、互いの消耗はそこまで大幅な開きはできていない。しかし流れは完全に大学側にある。このまま砲撃を許せば、エリカらが危惧した通りに大洗側は総崩れとなるだろう。

「……見えました、会長!」

 杏の指示でハッチから身を出し、双眼鏡で偵察を行っていた桃が言った。

「あれが、カール……!」

 その視線の先に位置する、巨大な鉄塊に桃は表情を強張らせた。

 

 それは、一見では建物のように見えた。

 巨大な土台の上に、鉄の小屋。そこから太く、短い砲身が突き出ている。

 全長11.15m、全幅3.18m、全高4.76m。大洗勢で最も長いIS-2の全長9.83m、全幅3.07m、全高2.74mを更に一回り上回る巨体が河川跡の中洲にあたる盛り上がった箇所にその姿を見せていた。

 本来ならばオープントップであり搭乗者の安全性から戦車道への参戦は不可能なはずだが、よく見れば車体の側面に箱めいた戦闘室が取り付けられている。大掛かりな自動装填装置も設置されており、外部で作業する人間が不在で済むように改造されているようだ。

 実際かなりグレーゾーンな改造である。文科省の強引なテコ入れあってこその改造だろう。

 

 戦慄する桃の視界に、更に他の車両が映った。

「か、会長! 護衛のパーシングが!」

「まあ、そりゃあ居るだろうねえ」

 車内に叫びめいた警告を送るが、杏はそれに呑気に答えた。

 桃は更に周辺状況を確認する。護衛に付いているパーシングは三両。いずれも中洲の高地に陣取り、周囲を警戒している。川は枯れていて、岸から中洲へ上がる道は作られているが一本しかない。もともとは橋もあったようだがそれは途中で崩れていた。

 それなりに高さもある。戦車で中洲に上がるにはその一本道を使うしか無さそうだが、当然相手も警戒しているだろう。

「会長! 護衛のパーシングは三両、これでは勝ち目はありません、撤退しましょう!」

「撤退ねえ……」

 桃の必死の提案にも、杏の反応は鈍い。

「さて……どーしたもんかね?」

 ここで撤退して、カールを撃破できるだけの態勢を整えた上で再攻撃。そこまでの余裕を大学側が許すだろうか。

『恐れながら申し上げます! 敵に背を見せる事は、自分は良しとは思えません! 例え玉砕しようとも、こ、ここは突撃あるのみではないかと!』

 通信機から聞こえてくる福田の声。小柄で小動物めいた印象を与える少女ではあるが、やはりその気根は知波単生徒のそれなのだろう。

「……!」

 突如、空気の震えと共に轟音が響いた。カールが600mm砲を発射したのだ。遠くからでも遠雷めいて聞こえていた砲声だが、ここまで近づくと耳が割れそうになる程だ。

『ちょっと、ど、どうするのよ!』

『アンタ生徒会長なんでしょ!? 早く決めなさいよ!』

 柏葉姉妹が騒々しく聞いてくる。

「……やっぱり、何とかしないとねえ」

 そう杏は呟くと、八九式中戦車のアヒルチームへの通信を開いた。

「アヒルチーム、どう思う?」

『………』

「……?」

 通信は確立されている。向こうにも杏の声は聞こえているようだが応答がない。どうも搭乗員の皆で話をしているようで、断片的に声が聞こえてくる。

「……アヒルチーム?」

 

 

「ん~……よし!」

 八九式車内、車長の典子は何かを考えながら車長席から降りると、車内の一同を見渡して言った。

 

「みんな、円陣だ!」

『はい、キャプテン!』

 

 唐突とも言える典子の言葉だったが、忍、妙子、あけびの三人はその声に即座に元気のよい声を返すと立ち上がり、互いの肩を組んで顔を近づけた。典子だけ身長が低いため他の三人は腰を落としているのだが、それでも彼女はつま先立ちになってしまう。

 そんな半ばぶら下がるような体勢のまま、典子は言った。

「いいか、今私達は押されている。相手のエースは足こそ遅いが、こちらのブロックを打ち破る強力なスパイクを山なりに打ってくる。これにどう対抗する?」

 

 アヒルチームこと旧大洗女子学園バレー部メンバー。彼女らは他のチームメンバーからは「根性と体力はあるけど脳筋」というイメージを強く持たれている。それは実際間違ってはいないし、彼女らも否定はしない。

 しかしそれでも頭脳が必要な時はどうするか? 

 それがこの円陣である。彼女らにとって学園生活と強い繋がりを持っていたバレー。これと様々な物事を結びつける事により、典子たちは集合知めいた作戦を導き出すのだ。

 

「はい! 根性で頑張ります!」

「良い返事だ河西! しかし、相手もなかなかの根性だ。簡単にはいかないぞ!」

 

 まず忍が真顔で言った。鋭く言葉を返す典子。

 

「はい! 相手のスタミナ切れを待ちます! あのスパイクは何十発とは撃てないはずです!」

「いい方法だ近藤! しかし、既に何人ものメンバーが担架で運ばれている。そんなに時間はかけられないぞ!」 

 

 続いて妙子が提案した。しかしそれも典子は否定する。

 確かに戦車道の試合において砲弾の外部からの補給は禁止されている。このまま撃たせ続ければ自ずと弾切れになり、戦闘不能となるだろう。

 だが果たしてそれがあと何発撃たれ、どれ程の被害が出た後でかを考えれば現状で使える手段ではない。

 

「はい! それなら、相手の体力を削ります!」

「佐々木、具体的にはどうする!?」

「相手にあえてボールを集中させて、足を使わせます! 体重のある選手なら、それで消耗できると思います!」

 

 あけびの言葉に、典子は僅かな引っかかりを感じた。円陣を解き、車長席に小柄な身体を戻し、窓から改めて中洲の高台に陣取る雨中のカールを見る。

「……もしかすると」

 

『やはりここは、突貫して潔く散るべきではないでしょうか!?』

『突撃か……やっぱそれしか無いかねえ』

『無茶言わないでよ!』

『勝ち目無いわよ!』

『撤退しましょう、会長ー!』

 

 その間にも、僚機からの通信が大声で車内に届く。今にも突撃しそうな福田、呑気に答える杏、口を揃えて反対する柏葉姉妹、既に涙声の桃。

 その混乱を割るように、典子はハッチから勢いよく身を出すと皆に言った。

 

「待ってください、いい作戦があります!」

 

 

劇場版カタクチイワシは虎と踊る  第二十三話 終わり

次回「別れの暴君、アヒルの死闘」に続く


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