カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第三幕・奔走、そして結集
第十二話 眼鏡の舌禍、イワシの奔走


 

 ──面倒な事になった。

 

 

 文部科学省学園艦管理局長、辻廉太はソファに腰かけつつ考えた。

 

「若手の育成なくして、国内プロリーグの成長は有り得ません」

 

 澄んだ、しかし刺さるような鋭さを備えた声が局の応接室に響く。

 今回の大洗女子学園廃校計画は、全国大会での優勝が決定した直後から密かに、入念に、そして強引に水面下で推し進めた計画であった。

 これは単純に予算案だけの問題でなく、この半年足らずで爆発的な成長を見せた大洗戦車道のメンバーを他校に分散させることで高校戦車道全体の底上げを図るという思惑も入り混じった、複数の──辻より上の立場の──人間の意図も含まれたものだ。

 幸いにして誓約書も作っていなかった口約束である。大洗の生徒会長などに気付かれないように各省庁との連携を取り、業者への委託を取り付け、準備が整ったところで告知を行った。戦車の回収こそ紛失(おそらくは虚偽であろう)により出来なかったが、社会的地位を持たない学生が打てる手段は残っていないはずであった。

 

「これだけ文科省と考えに隔たりが有るようでは、戦車道プロリーグ設置委員会の委員長を私が務めさせていただくのは、難しいかと」

 

 ──しかし、よりによって西住流家元を動かすとは。

 眼前で険しい表情をこちらに向ける西住しほから視線を逸らし、横に滑らせる。

 大洗女子学園生徒会長・角谷杏と戦車道隊長・アンチョビは申し合わせたように不敵な笑みを並べて辻の方を見ていた。

 

 

劇場版 カタクチイワシは虎と踊る  第十二話 眼鏡の舌禍、イワシの奔走

 

 

「いや、そう言われましても……世界大会の会場の誘致に、今年度中のプロリーグの発足が必須条件である事は先生もご存知でしょう?」

 何とか重鎮相手の接客用の笑みを維持したまま辻は答え、乾いた唇を茶で湿らせた。

「仮に誘致が成功したとしても、優勝校を廃校させるような方針のままで挑めば日本戦車道が恥をかくだけです」

 それに間髪入れずしほが背筋を伸ばしたまま言葉を返す。

「………」

 辻は言葉に詰まった。

 

 

 日本戦車道プロリーグ設立において、国内最大の流派である西住流の支援は必須である。

 副委員長に就任予定だった島田千代、彼女が率いる島田流を中心とした反西住流の流派も無くはないが、この場に同席している蝶野亜美を筆頭に西住流には人気の高い戦車乗りも多い。彼女らが一斉に文科省に背を向けたとなればそれは戦車道界隈において少なからず話題となり反発を生み、プロリーグ発足はほぼ確実に頓挫するだろう。

 それに加え「数年後開催される戦車道国際大会の誘致」は文科省が予算獲得のために大々的に掲げた錦の御旗だ。もしこれがプロリーグ設置段階で躓けば、翌年の予算削減は避けられない。辻自身にも責任の追及が及ぶ事になる。

 

 

 さて、ではどうするか? 辻は脳内で幾つかの選択肢を思い浮かべる。

 1・既に解体作業について業者と交わしている契約を盾に、撤回は不可能と言う。

 2・プロリーグ設置を優先し、大洗女子学園の廃校を撤回する。

 3・この場を何とかやり過ごし、その間に対策を講じる。

 

 まず1番は論外だ。家元の西住しほの女傑ぶりは戦車道に関わる者であれば耳にする話だ。彼女が「今の方針を維持するなら辞退する」と言ったからには間違いなく辞退する。そういう女性だ。

 では2番はと言えば、それもまた難しい。迅速な根回しが必要だっただけに、既に各業者や各省庁には契約を交わしている。これが一斉に吹き飛ぶとなると多大な違約金が発生する上に、何より辻自身の弱腰ぶりが知れ渡る事になる。

 官僚の世界は伏魔殿だ。少しの隙を見せれば部下や同僚から引きずり降ろされ──

 

「何より、過去の大会ならばともかく今年度の優勝校を廃校させるのは、文科省が掲げる『スポーツ振興の理念』に反するのでは?」

 

 そこまで思考を進めていた時、しほが畳みかけるように言った。手前に置かれた麦茶のグラスを取り、傾ける。

「え? あ……」

 丁度考えを切り替えようとした所に不意をつかれ、思わず辻は反射的に答えた。

「し、しかし、まぐれで優勝した学校ですから……」

 

 

 鈍い、しかし強い音と共にグラスがテーブルに叩き付けられた。

 

 

「……今、何と言われました?」

 静かな言葉。しかしその目には苛烈なまでの怒りが浮かんでいる。

 しまった。辻は自分が余りに不用意な発言を行った事に気付き悔やんだ。だが遅い。

 大洗の実力を否定しただけではない。辻はその大洗に負けた黒森峰女学園の特別顧問相手に「お前たちはまぐれで負けた」と言ってしまったのだ。

「い、いえ、その……」

「戦車道にまぐれ無し、有るのは実力のみ」

 更に切り込むようにしほが言う。その言葉には国内最大の流派を率いる家元の、有無を言わせぬ重みがあった。

「………」

「……どうしたら、認めて頂けますか?」

 辻を見据えたまま、しほは尋ねた。

 

 辻は高速で思考を巡らせた。

 これで3番の「この場はやり過ごす」は不可能になった。家元をこちらの失言で怒らせた以上、何かしらの落としどころを提示しなければしほはこのまま席を立ち、即日プロリーグ設置委員会委員長辞退の表明を行うだろう。

 

 どう答える? 

 「○○と試合を行い、勝ったら大洗の実力を認める」この○○に該当するもので、こちら側に可能な限り有利なカードで、かつ相手が難色を示さない程度に無茶でない相手。それは何だ?

 黒森峰などの高校戦車道の優秀校?

 NO、高校戦車道は西住流の影響下だ。

 プロリーグ参入予定だった社会人戦車道チーム?

 NO、勝って当たり前、負ければ大恥の試合に名乗り出る社会人チームが居るものか。

 では─── 

 

「そう……ですね。大学強化選手に勝ちでもしたら……」

「分かりました! 勝ったら廃校を撤回して貰えますね!?」

 こちらが落としどころを提示するのを待っていたのだろう。しほの横の杏が腰を浮かせ、こちらに紙とペンを手に身を乗り出してきた。

 杏の勢いに押されつつ、辻は彼女の左右を見た。

 右側、しほは目を閉じ、辻の反応を待っている。その内心は伺えない。

 一方左側、アンチョビは突然立ち上がった杏に何か言おうと口を開き、そのまま沈黙した。こちらの提案の意味をある程度分かっているのだろう。

 更に左側に視線を向ける。

「………」

 家元の二人の娘のうちのひとり、西住みほ。

 彼女は既に辻の方を見ず、うつむきながら何かを考えていた。おそらくはアンチョビの更に一歩先、どうやってこの勝負に勝つかを模索しているか。

 改めて正面の杏を見る。その手の紙には「せいやくしょ」と乱雑に書かれている。

「今ここで、覚書を交わしてください。噂では口約束は約束では無いようですからねぇ」

「………」

 得意げな杏の顔に苛立ちを覚えつつも、その紙を辻は手に取った。懐から印鑑を取り出し、机に紙を広げる。

 

 受け入れねばならないだろう。確かに自分は一本取られた。交渉の場に引っ張り出され、保留の状態に戻された。学生風情と侮っていた自分の油断だったのは間違いない。

 だがそれもここまでだ。彼女らはまだ甘い。勝負の天秤を自分たちの実力で傾ける事が出来ると信じている。ならばその天秤を試合前に、実力で覆せない程傾けておけばいいだけだ。

 次に打つ手段を考えつつ、辻はその「せいやくしょ」にサインと捺印を行った。

 

 

 30分後、文科省前。

「家元、本当にありがとうございました」

「……私が出来るのはここまで。後は貴女たちが力を示しなさい」

 頭を下げる杏たちに、しほは静かに言った。杏の後ろのみほに声をかける。

「私は島田流家元の所に挨拶に向かいます。みほはこのままアンツィオ艦に戻りなさい」

「島田流?」

「大学戦車道連盟の理事長は島田流家元……こちらの都合で試合を行う以上、一度は直接お話しておかないといけません」

 小首を傾げるみほにしほは説明し、一同に礼をした。

「では、これで」

 短く言うと、そのまま背を向け歩き出す。その先で送迎車のドアを開けて待つ和服の女性。

「どうぞ、奥方様……お嬢様、アンチョビ様、角谷様。ご健闘をお祈りします」

 彼女、菊代はそう言うとしほを車内に迎え入れ、その後に続く。

 車が発進する。杏たち三人は再度、深々と頭を下げた。

 

「……さてと、とりあえずこれで舞台は作れたね」

 しほを見送り、杏は頭を上げつつ言った。

「あとは……試合のルール次第か」

 アンチョビが神妙な表情で答える。大学選抜チームとの試合は表向き「大学代表と高校代表による、プロリーグ戦を想定したエキシビジョンマッチ」という名目で行われる。そしてそのルールの設定を行うのは主催である文科省だ。間違っても大洗有利のルールにはなるまい。

 かと言って、あの場でこれ以上の好条件を取り付けるのは難しかったろう。あの役人から譲歩を契約書付きで取り付けただけでも大金星だ。それもアンチョビは分かっている。

 

「厳しい試合になるなァ」

 

 アンチョビの口から珍しく弱音が零れる。

 しかし、その口元は愉快そうに上がっている。

 

「……まあ、やるしかないか」

 

 大丈夫だ。私はまだこの状況を楽しめている。

 アンチョビは心の動きを確かめ、自身を奮い立たせた。

「が、頑張りましょう!」

 みほが小さく拳をつくり、こちらを励ましてくる。

「……西住ちゃん、本当に世話になったね。ありがと」

 杏は改めてみほに向き直り、礼をした。慌てて顔を上げさせようとするみほ。

「いいえ、勝手に動いただけですから……私こそ、黙って動いてすみませんでした」

「何かお礼しないとね、何処か行きたいところとか、欲しいものとか無い?」

「え? ええ? いえ、そんな……」

 赤面しつつ手を振るみほ。その様子を眺めつつ、アンチョビはしほが会おうとしている島田千代の事を思い出していた。

 全国大会決勝戦、島田流の介入による会場変更は大洗にとって大きな助けになった。あの時は間接的な味方であったが、今度は敵として正面から戦わねばならない。

「……やるしかないよな」

 もう一度アンチョビは呟き、待ち受ける戦いに思いを馳せた。

 

 

 

「……随分と、スマートでないやり方ですわね」

 作られてから経て来た長い年月を感じさせるアンティーク家具が並ぶ、豪奢な書斎。本棚には「本当にあった怖い戦車」「婦人公輪」「女性タンク」「女性自走」等の戦車道専門誌が隙間なく収められている。

 

 その書斎において島田流家元・島田千代は上機嫌とは言い難い表情で電話の相手に言葉を返した。

「ええ、ええ……そちらの事情は分かりますが、大学戦車道にそこまでの汚れ役をさせるというのであれば相応の“誠意”を見せて頂けない事には」

 穏やかな態度に静かな圧力を含めつつ言う。

「……いいでしょう。いつも通り、書面上は各大学に分散させていただければ結構です」

 随分と今回は譲歩が早い。それだけ余裕の無い状況という事か。

「それと今回の件……西住流家元が動かれていたとの事ですが、それも詳しくお聞かせ願えますか?」

 大洗女子学園廃校の件は千代の耳にも入っていたが、そこに西住流が介入してきたというのは彼女にとっても完全に寝耳に水だった。

「……なるほど」

 西住みほ。先の全国大会で敗北したとはいえ、未だ高校戦車道において絶大な存在感を持つ「西住姉妹」の妹。

「では。これから此方も選手への連絡と日程調整を行いますので、詳しくはまた」

 優雅な手つきで受話器を戻し、千代は小さく息をついた。

「全く……こんな形であの子たちと再戦する事になるとは、思わなかったわね」

 苦笑を浮かべつつ、再び受話器を取り何処かへ電話をかけようとする。

 その時、部屋のベルが鳴った。

「奥様、西住流の家元様がお会いしたいと来られています」

 使用人の女性の声。電話を戻し、姿勢を正す。

「……分かりました。お通ししてください」

 本心を隠すための穏やかな微笑をつくり、千代は答えた。

 

 

 アンツィオ学園艦に戻ってきた杏たちの話を聞いた逸見エリカは、

 

「………!」

 

 まず眉をひそめ、意見しようと口を開き──

 

「あ……」

 

 向かい側の席に座るみほが申し訳なさそうな表情をしているのに気付き──

 

「……ハァ」

 

 ──深いため息をついた。言葉を選び、いくらか穏やかな表現で感情を放つ。

「……大学選抜チームとは、また厄介な相手ね」

 

 アンツィオ学園会議室。コの字型に並べられた長机に各チームの車長と生徒会の二人が座り、ホワイトボードを前にした杏とアンチョビの話を真剣な面持ちで聞いている。

 まだ試合の詳細なども纏まっていない段階である。まずは車長に現段階での情報を共有し、具体的な内容が固まり次第全体に発信する予定だ。

「そんなに強いの?」

「下手をすれば社会人より強いわ」

「実際強いぞ。エリカ、ちょっとこれを回してくれ」

 補足するようにアンチョビは言うと、手元の紙束をエリカに渡した。新聞のコピーのようだ。

「……これは!?」

 回ってきたコピーを見た桃が声をあげる。

 

【大学選抜チームVSくろがね重工(社会人リーグ2位)詳報】

【まるで下剋上、大学選抜完勝】

【隊長は13歳。島田流の天才少女・島田愛里寿の戦術眼】

 

 記事は少し前の戦車道新聞のものだった。白旗を上げる幾両もの戦車を前に、センチュリオンの砲塔から身を出した小柄な少女が号令を出している写真と共に幾つもの見出しが踊っている。

「本当に社会人に勝ってるじゃないですか!」

「しかもリーグ2位のチームって、こりゃ見事だねえ」

 驚く典子と、感心するナカジマ。

「この子、13歳で大学の隊長をしているんですか?」

「え、えっと、戦車道の天才と言われていて、飛び級で大学に上がったらしいよ……島田流家元の、娘なんだよね」

 自分より年下が隊長をしているという事に驚く梓に、ねこにゃーがおずおずと説明した。杏が頷き、コピーが行きわたったのを確認しつつ言う。

「いわばこれは大学戦車道と言うよりは、島田流戦車道との試合になるんだよね……西住ちゃんは、この島田の子と試合した事はあるの?」

 杏はみほの方に向きつつ尋ねた。ペパロニ、みほ、そしてしずかの三人は大洗勢とは少し離れた所に席を設けている。

 話を振られたみほは、首を横に振った。

「西住流と島田流は、その……そんなに仲が良くないんです。交流も、あまり無くて……」

 大っぴらに「険悪な関係」とは言いづらいのだろう。表現を柔らかくしつつみほが言う。その時、みほの隣のしずかが手を挙げた。

「すまない、アンチョビ殿。この島田流とはどのような流派なのだ?」

「ああ、そういえばしずかは独学で戦車道をやってたんだったな。どうせだから、皆にも改めて説明しておくか」

 そう言うとアンチョビはホワイトボードに「島田流」と書いた。

 

 

 島田流。

 「東の島田流、西の西住流」と称される、日本戦車道を代表する流派のひとつである。

 西住流が高い練度と素早い機動による正面からの制圧を奨励する流派であるのに対し、島田流は「戦場は一握りの天才が掌握するもの」という理念のもと、奇策を用いた奇襲戦法によって相手を翻弄し仕留める事を奨励している。

 チームで戦う戦車道にしては珍しく段位制を導入しており、より個々人の能力を高める事を重視しているのも特徴だ。

 それ故に、島田流には全体的な指導方針などは有るが西住流のような「型」と呼べるものは存在しない。時に王道、時に奇策。硬軟を自在に使い分ける事が求められるのが島田流なのだ。

 別名・忍者戦術とも呼ばれるこの戦術は派手さから国際的な人気が高く、国内での知名度こそ西住流に譲るが、アメリカなどでは島田流の方が知られているという。

 

 

「……とまあ練度の低いのが相手なら大して怖い流派でもないんだが、本物の島田流の戦車乗りってのはまさしく忍者。かなりの強敵だ」

「成程。なかなかの相手のようだな」

 アンチョビの説明にしずかは腕を組みつつ頷いた。

「ああ。それに加えて大学戦車道はM26パーシングを中心とした強力な戦車を揃えている。戦車の性能でも我々より上って事だな」

 当たり前の事のように言うアンチョビに、今度は桃が不安そうに尋ねた。

「安斎、その……そんな連中に勝てるのか?」

 既に心が折れかけているようだ。

「まだ試合形式も固まってないからな。そんな慌てる状況じゃ……」

 

 その時、会議室の内線電話が鳴った。

 

「……来たかな」

 杏はそう呟くと席を外し、電話を取った。ざわついていた室内が静寂に包まれる。

「もしもし……はい、私が角谷です……戦車道の? はい、はい、お願いします」

 数秒の沈黙。外線に切り替えているのだろう。

「お待たせしました。大洗女子学園生徒会長の角谷……い、家元!?」

「!?」

 杏の言葉に驚きが混じる。家元の言葉にみほとエリカが反応した。それに気付き、杏は声を出さず口の形だけで「し・ま・だ」と彼女らに伝えた。

「(島田流家元が直接?)」

 怪訝な顔をするアンチョビ。その間にも杏と千代の話は続いていた。

「その、先日は本当にお世話になりました。今回は急な話で、ご迷惑をおかけしますが……え? はい……はい、一週間後に、北海道演習場ですね」

 

 北海道演習場、その広大さでは東富士演習場すら上回る戦車道演習場である。自然豊かなフィールドは丘陵、森林、湿地帯などを中心としながらも、廃棄された巨大テーマパーク跡地などでの複雑な戦闘も可能な多彩さが知られている。

 

「いえ、こちらとしても二学期前に試合をできればと思っていましたので。ええ、よろしくお願いしま……え? は、はい。それは伺っていますが……はい!?」

 杏の声が突然1オクターブ跳ね上がった。

「………」

「………」

 アンチョビとエリカは無言で目を合わせた。そのまま視線を動かし、杏の様子を緊張した面持ちで見守る。

「はい、プロリーグ方式で、はい……分かりました。当日、よろしくお願いします」

 僅かに語尾が震えている。受話器を戻し、杏は大きく息をつき、

 

「参ったね。試合方式はフラッグ戦。車両上限は……30両だってさ」

 

 数秒の静寂。

「……もう駄目だあぁぁぁ!」

 窓を震わせる程の桃の絶叫が、会議室に響いた。

 

 

「やるしかないだろ、そりゃ」

 桃を筆頭に動揺するメンバーを何とか落ち着かせ、解散した後の会議室。エリカの「どうするつもり?」という問いかけにアンチョビはあっさりと答えた。

「アンタね……それ、根拠があって言ってるの?」

 そのいつもの態度に幾らかの安堵感を覚えつつ、エリカが更に聞く。

「根拠を今から作るんだよ」

 そう言いつつ、アンチョビは机の上に日本地図を広げた。室内にはアンチョビとエリカ、杏、そしてみほとペパロニが残り机を囲んでいる。アンチョビが残ってほしいと頼んだ面々だ。

 

「はっきり言っておく。このままだと私達の勝ち目はない」

 

 アンチョビは隠す事なく言い切った。それを否定する声は無い。大洗女子学園の所有する戦車は8両、アンツィオ預かりになっているCV38と更に稼働可能なP40を加えても10両。ただでさえ性能で上回る、三倍の数の戦車を相手取るには余りに脆い。

「数だけならウチのCV33で揃えられるけど……まあ、意味は無いッスね」

 流石に真面目な顔でペパロニが言う。頷くアンチョビ。

「あくまでプロリーグの試合を想定した試合だから、車両数も30両でないと表向き厳しいんだってさ」

 杏がいつも通りの飄々とした口調で言った。しかしその目には流石に焦りが見える。

 直接文科省からでなく大学戦車道連盟理事長の千代からこの話を持ってきたのは、こちらの抗議を見越しての辻の根回しだろう。文科省が相手ならしほの進退を盾に出来るが、直接の窓口が外部の人間の千代ではそれも通用しない。

「もうみんな分かってると思うが、相手は手段を選んでいない。だから……こっちも手段を選ばず動く」

 そう言いつつ、地図の幾つかの場所を指で示す。学園艦が就航可能な港の位置だ。

「戦力を借りれそうなところ、生徒の短期転校を頼めるところ、片端から当たって戦力を集める。ただ、私一人で回り切るのは無理だ。分散して、また、それぞれが当たれそうな心当たりがあればそこを頼みたい」

 

 再度地図に指を置く、神奈川と、石川。

 

「私はまずここに行く。聖グロリアーナと継続高校だ」

「聖グロは準決勝でパーシングを使っていたわ。島田の支援を受けているなら協力は難しいんじゃない?」

「隊長のダージリンはこういった祭りには目が無い。可能性はあるはずだ」

 エリカの言葉にアンチョビが答える。地図を見ていたペパロニが言った。

「んー……姐さんが離れてた時期のアンツィオで繋がりが出来たのは、ここッスかね」

 

 トントンと千葉県の辺りを叩く。

 

「千葉……知波単学園か」

「あそこ、前の大会で副隊長だった西さんが隊長になってから相当オープンになって、積極的に他校との交流に努めてるんスよ。頼めばイケると思うッス」

「分かった。それじゃペパロニは知波単を頼む」

「了解ッス!」

「………」

 知波単のチハがパーシングにどの程度通じるだろうか。エリカは疑問に思ったが、あえて口には出さなかった。

「あ、あの……ごめんなさい。黒森峰は最近まで他校との交流とかは……」

 みほがおずおずと挙手しつつ言った。申し訳なさそうな彼女にアンチョビは微笑みを向けた。

「大丈夫だ。西住さん、その黒森峰からの協力は難しいかな?」

「え? えっと、優勝記念杯を控えているから全体では難しいかも……でも、私は今はアンツィオ生徒扱いだし、お願いすればお姉ちゃんは助けてくれると思う」

「十分だ。あの西住姉妹が揃うってだけで10両の戦車が来るようなもんだからな」

「そ、そんな事は……」

 直接褒められるのに慣れていないのか、みほは戸惑いながら赤面した。

「あ!」

 その時、ペパロニが何かを思い出したように言った。

「姐さん、ベルウォールの奴らはどうッスかね?」

 

 ベルウォール学園、少数ながらティーガーを中心とした強力な戦車を揃えている学校だ。確かに先の試合などでの繋がりが無い事もないが──

 

「……うーん」

 しかし、アンチョビの反応は鈍かった。

「あそこには前の練習試合で迷惑をかけたばかりだからなァ。更に迷惑をかけるってのも……」

「あれ? ベルウォールって、今年は隊長が決まってなくて戦車道の試合出場ができない筈じゃ……?」

 みほがきょとんとして尋ねる。大洗への交換訓練前の情報であろう。アンチョビは地図を見ながら言った。

「ああ、それなんだが最近優秀なマネージャーが留学してきて立て直したんだ。中須賀エミって子で、実際いい戦車乗りだったよ」

 

「……え?」

 

 みほの表情が変わった。まるで遠い場所で思わぬ知人と会ったような、戸惑いと驚きが入り混じった表情。

「あ、あの!」

「な、何だ!?」

 いきなり大声を出したみほに驚くアンチョビ。

「あ! す、すみません……あの、その中須賀さんって人、ドイツ人のクォーターだったりしませんでしたか?」

「クォーター? うーん……確かに言われてみれば、目も赤みがかってたし、外人……だったのかなあ?」

 予想外の食いつきに困惑しつつ、アンチョビは不確かな記憶から曖昧な返事を返す。

 みほは机に手を置き、何かを考え始めた。

「どうなんだろう、でも、もしかしたら……」

「西住さん、どうしたの?」

 エリカが尋ねる。みほは顔を上げ、アンチョビに言った。

「アンチョビさん、その……ひょっとしたら、私の知っている人かもしれません」

「そ、そうなのか?」

「はい。もし、その人が私の知る中須賀さんなら……頼めるかも」

「……ふーむ」

 

 アンチョビは少し考えた。そうであれば確かに助けになるが、もし人違いなら初対面の相手との交渉をみほに一任する事になる。人付き合いが苦手なみほにとって、それは荷が重いだろう。

 

「分かった。それじゃ西住さんには広島のベルウォールを経由して黒森峰に行ってもらうとして、エリカもそれに同行してくれ」

「私が?」

「万一、人違いだった時の交渉役だ。お前なら初対面でもそういった駆け引きは出来るだろ?」

「……了解。西住さん、よろしく頼むわ」

「逸見さん……うん、よろしくお願いします」

 同行者が出来て安心したのだろう。みほの表情に残っていた緊張が解ける。

「留守は任せておいて。皆へのトレーニングメニューは私と小山で組んでおくから」

「頼む、杏」

 杏の言葉にアンチョビは頭を下げ、改めて一同を見回した。

 

「厳しい状況だ……時間は無い、敵は強い、おまけに数はこっちの三倍だ」

 

 その口元に笑みが浮かぶ。

 

「……だからこそ、笑顔で胸を張って行こう。戦車道の神様は絶望してる奴に手は貸さない。堂々と、各校の戦車道メンバーに会いに行ってくれ」

 

 頷く一同。一様にその顔には決意が宿っている。

 

「これより本作戦を“奔走(クレレ)作戦”と命名する! 各員、全力を尽くしてくれ。アーヴァンティ!」

『アーヴァンティ!』

 

 

劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第十二話 終わり

次回「奔走作戦(1)・イワシと紅茶とカンテレと」に続く


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