カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第九話 ムカデは舞い、イワシは化ける

「家元と!?」

 朝のアンツィオ高校戦車道ガレージ、逸見エリカは焦りも露わに受話器の向こうのみほに言った。

『うん……明日の朝、お姉ちゃんと一緒に、朝練前に……』

 そう答えるみほの声には緊張があった。

 

 電話をかけたのはエリカの方からであった。おそらくは杏の言った、しほの反応に危惧してのみほの西住家への帰宅に対し、「気に掛ける必要はない」と伝えるつもりだった。しかし、みほは既に行動を起こしていたのだ。

 

「………」

 エリカの額に浮かぶ汗は夏の暑さのせいだけではないだろう。西住しほ。高校戦車道の頃から既に幾つもの逸話を作り、国内戦車道諸流派の中でも最大を誇る西住流の頂点に立つ、戦車道における生きる伝説。

『……逸見さん』

 エリカの動揺がみほにも伝わったのだろう。彼女は静かに、しかしはっきりと言った。

『勝つから』

 その声に、エリカは小さな驚きを感じた。

「西住さん……分かった、気を付けて」

 大会以前のみほは常に自分自身の気持ちを封じ込め、機械的に戦っていた。しかし今の彼女の声からは確かな、自分の意思で戦おうとする決意があった。

『うん……逸見さんもこれから試合だよね? 応援してるから』

 それを言われると、エリカはため息をひとつ吐くと答えた。

「まあ、負けない程度には頑張るわ。それじゃ」

 電話を切り、エリカは振り返った。

 そこに用意されたCV38と、横に立つアンチョビ。

「……ハァ」

「何でそこでため息をつく!?」

 深いため息をつくエリカに、アンチョビは抗議するように言った。

 

 

劇場版 カタクチイワシは虎と踊る  第九話 ムカデは舞い、イワシは化ける

 

 

「試合観戦のお供に冷たいレモン水いかがッスかー!?」

「オペラグラスにインスタントカメラ、団扇に冷却カイロ、何でもあるよー!」

「只今焼き立てのピッツァご用意できましたー! 一枚500円、二枚で800円!」

 アンツィオ高校構内・中央広場、昨日のテケ車の暴走による大混乱があったというのにアンツィオ生徒たちは今日も同様に店を広げ、陽気な声を飛ばし合っている。

 

「いやあ、元気だねー」

 広場周辺を見渡せる大階段の上に作った観客席で、杏はレモン水を飲みつつ言った。

「まあ、うちの学校の生徒はそれが売りですから」

 その横に座るカルパッチョが言う。一方、ペパロニは彼女らが見下ろす階段の下に停車しているCV33から顔を出している。

「姐さーん、”アデズィヴォ”搭載終わったッスよー」

「よし、この試合はお前が要だ。ペパロニ、上手い事やってくれよ?」

「任せて下さいよ! そんじゃ、また後で!」

 アンチョビの言葉にペパロニは勢いよく返すと車内に戻り、CV33を発進させた。この試合はしずか側の1両に対し、アンツィオ側の車両数不明という変則的な形だ。故に開始時間のみ設定し、両者は試合前の挨拶無しで開始を待つ形となる。

 アンチョビもCV38内に戻り、操縦席のエリカに言った。

「私達も行くとするか」

「了解」

 エリカが答え、慣れない手つきで操縦桿を握る。戦車道を修める上でエリカも戦車の操縦法はマスターしているが、いかんせん車長としての務めが長いだけに操縦席に座るのは久しぶり、更にCV38に乗るのは初めてだ。

「さて、上手く行ってくれるかどうか……」

「最初に言っておくけど、思うように動けるとは思わないでよね」

 呟くアンチョビ。それを横目で見つつエリカが言う。

「分かってるさ。だからこそ意味がある」

「……まあ、やるだけはやってみましょうか」

 平然と答えるアンチョビに、エリカは表情を引き締める。

 サイレンが大きく鳴り響いた。試合が始まる。

 CV38は唸りを上げ、階段前から走り去った。

 

 

 アンツィオ側から広場を挟んだ構内南側、百足組スタート地点。

「さて、参ろうか」

 赤いテケ車から身を出しつつ、しずかは脚を動かして鈴を促した。ゆっくりと前進を始めるテケ車。

「姫、どう動くつもりなの?」

「うむ、昨晩も色々と考えていたのだが……あえて相手の手に乗ろう」

 

 単騎である彼女らが取りうる選択肢はさほど多くはない。すなわち隠れて相手の出方を伺い奇襲をかけるか、逆に目立つように動き、相手を釣るか。

 本来ならば前者の戦術を採るのが有効である。場所は相手のホーム、何両で仕掛けてくるかも分からない。無謀な突っかけは危険であると言えた。

 しかし鶴姫しずかという少女に──否、鶴姫しずかという武者にとって、それは気持ちの良い戦い方ではない。相手が何らかの策を練り迎え撃つのであれば、それを技量で上回るまで。

 

「折角アンチョビ殿が受けてくれた戦だ。ならば、その手の内を楽しませてもらうとしよう」

 そう語るしずかの表情は愉快そうで、瞳は真っ直ぐに前を見据えている。

「わ、分かった!」

 しずかの言葉を受け、鈴は操縦桿を動かしテケ車を走らせた。大広場へと続く中央の通りを、隠れる風もなく前進してゆく。

「………!」

 その通りの先に一両の豆戦車。そこから身を出す灰緑色の髪の少女。

 彼女を見据えるしずかの頬に汗が一筋流れる。背を伸ばし、通る声で言い放つ。

「アンチョビ殿! 軍の将、自ら前に出るか!?」

「………」

 アンチョビは口元に不敵な笑みを浮かべつつ、しずかを見た。その口が開かれる。

 

「聞くがいい! 我こそは高校戦車道全国大会優勝校・大洗女子学園戦車道元隊長にして同大会四強アンツィオ高校現統帥、安斎千代美ことアンチョビなり! イワシを食わんとするムカデよ、名を名乗れ!」

 

 時代がかった口調で手を伸ばし、しずかを指し示す。まるで戦国武者の名乗りだ。

「!?」

 しずかは驚きを顔に浮かべ──やがて、それは獣めいた笑みに変わった。

 

「やあやあ! 言われて名乗るもおこがましいが、我こそは楯無高校百足組・鶴姫しずか也! アンチョビ殿、いざ尋常に勝負!」

 

 しずかはアンチョビの意図を悟った。彼女は自分たちの流儀に乗った上で、更に自分たちを上回ろうとしている。しずかの血が滾る。戦の匂いを好む武者の血が。

 

「いざ!」

「いざ!」

 

 二人の声が重なる。同時に車内に戻り、銃座に着く。

 先手を取ったのはCV38だった。テケ車との距離を詰めつつ機関砲が火を吹く。テケ車の37mm砲に比べCV38の20mm機関砲は初速に優れ、弾幕を張る事もできる。火力自体はテケ車が勝るが、装甲の薄い豆戦車同士の戦いではそれは大きなアドバンテージにはならない。

 しずかは銃撃を右回りに回避するよう鈴に指示しつつ、砲撃の狙いを定めた。アンチョビのCV38と戦うのは初めてだが、昨日のペパロニとの戦闘を思い出しつつ予測射撃の地点を探る。

「参る!」

 37mm徹甲弾が放たれる。しかしそれはCV38の遥か手前に打ち込まれた。

「……?」

 

 しずかの表情が「怪訝」に変わった。予測より動きが遥かに鈍い。

 

 CV38の銃撃が一旦止んだ。こちらの射撃を回避するためか蛇行しつつ大通りの左側を走らせる。それと点対照めいた動きで右側を走るテケ車。

 果たして放たれた砲弾は蛇行していたCV38の至近距離に打ち込まれた。

 

 表情が「怪訝」から「僅かな怒り」に更に変わる。

 

「これは……!?」

 更に攻撃を加えようとしたその時、しずかは別方向からの殺気を感じ側面を見た。

「いかん!」

 咄嗟に鈴の背を軽く叩く。急停止。

 直後、右の路地からの銃撃がテケ車の直前を通過した。

「来たか!」

 砲塔から身を出し、しずかは攻撃のあった方向を見た。一両のCV33がこちらに8mm機銃を向けている。車体には4号車を示す「04」のマーキング。

 その間にCV38はマガジン交換を終えたようだった。銃撃を繰り出しつつバックし、そのまま大通りの陰に隠れる。タイミングを合わせていたのか、同時に姿を消すCV33。

 ヒット&アウェイでの波状攻撃か。しずかは周辺に気を巡らせながら、先ほどの交戦で得た情報を整理する。

「鈴、今のアンチョビ殿の動き……どう思う?」

「え? ど、どうって……」

 しずかからの珍しい問いかけに、鈴は慌てつつもその質問に何とか答えようと考えた。

「思ったより、普通だった……かな?」

 鈴は素直な感想を言った。少なくとも昨日のペパロニの方が機敏に動いていた。そう感じたままを。

「その通り。余りに、余りに……鈍い」

 本気で相手をしていないというのか? アンチョビの意図を読もうとしずかは考えるが、答えは出ない。

 その内に再びCV38が姿を見せた。裏道を使ったのか、最初に姿を見せた場所に近い所から銃撃を繰り出す。

 しずかは今度はCv38とは別方向に意識を向けた。左側、一本向こうの筋を走るCV33が見える。車体には「03」のマーキング。

 

 「(これは……包囲されているか?)」

 

 しずかは更に考える。フラッグ車のCv38にあえて未熟な操縦者を使い、「勝てる」と此方が意識を集中させている内に部下に包囲させようとする思惑か。

 鈴の肩口に脚の親指をあて、ゆっくりと鎖骨をなぞる。大きく左に回り込みつつこの場を一旦抜ける。先にCV33の包囲を抜けるべし。

 細い路地を高速で駆け抜け、CV33を追う。それを更に追いかけるCV38。20mm機関砲が放たれるが、それは走るテケ車の遥か後方に打ち込まれる。やはり銃座の狙いと操縦の腕が噛み合っていない。

 しずかは慎重にCV38の動きを観察し、その速度、動きの精度を把握しようとする。誰を乗せているのか知らないが、少なくとも操縦手としての腕前はこちらの鈴以下だ。

「……よし」

 大凡の動きは把握した。速度を落とさないように鈴に指示しつつ、前方のCV33に向き直る。銃座に着き、砲撃の狙いを定める。

「食らえ!」

 37mm砲は紙一重でCV33の側面を掠めた。僅かに装甲を削り、擦過痕を残す。CV33は別の路地に逃げ込んだ。それを追おうとするテケ車。しかし、その前方の屋台の一つが機関砲の銃撃で吹き飛んだ。テントのビニールシートがテケ車に覆いかぶさる。

「くっ!」

 何とかそれを回避するテケ車。昨日しずかが仕掛けた戦法をそのまま使われた格好だ。

 

 周囲を確認する。

 残りの車両は何処に潜んでいる? 

 今ので包囲は崩れた。態勢を立て直す前にCV38を狙い直すか?

 

「鈴、今の内にCV38を仕留めるぞ!」

「了解っ!」

 しずかは刹那で判断を下し、180度ターンを決めてCV38に向き合った。

 どの程度動き、どの程度回避できるのかを既にしずかはほぼ読み取っていた。弓道や流鏑馬で鍛えられた眼力と観察力、それがしずかの武器のひとつだ。

「次は外さぬ、覚悟!」

 こちらに狙いが向いたと気付いたCV38はよたよたと後退してゆく。その先に見えるのはローマのコロッセオを模したスタジアム。そこに逃げ込むつもりか。だが、遅い。

「もらっ……」

 側面から銃撃音。こちらを狙ったものでなく牽制の銃撃か。そちらに視線を送ると、「02」とマーキングされたCV33。

「あれは?」

 しずかはそのCV33にある物を確認し、やがて、彼女は笑った。

 

「……成程、随分安い手を使うではないか、アンチョビ殿!」

 

 CV38に向けていた砲身をそちらに向け、狙いすました一撃を撃ち込む。

 フラッグ車を優先し、こちらに反応するとは思っていなかったのだろう。CV33は回避も間に合わず、37mm徹甲弾を正面から食らった。その側面には擦過痕。

「わぁぁ!」

 僅かに聞こえるペパロニの声。車体に貼られていた「02」と書かれたワッペンが剥がれ、風に舞った。

「え? え?」

 混乱する鈴。しずかが端的に説明する。

「何のことはない。我らは二両としか相手していなかったという事だ」

 

 アンチョビは一両のCV33に複数のワッペンを張り替え、何両も有るかのように見せかけていたのだ。何両待ち構えているか分からない状況でこちらが警戒し、動きが鈍るように仕向けたのだろう。実際の車両を幾つも用意しなかったのは、格下相手への彼女なりのプライドか。

 

「……つまらん」

 しずかは失望を込めて呟いた。優勝校の隊長が仕掛けるにしては余りに稚拙。この程度の相手と思われていた事への怒りと、底の浅さへの失望があった。

「鈴、このまま追うぞ。コロッセオでアンチョビ殿を仕留める」

「わ、分かった!」

 CV33を撃破する間にCV38はコロッセオ内に姿を消していた。それを追い、ゲートをくぐる。暗闇の先にフィールドからの光が見える。

「………」

 しずかはその光に目を細めた。入るなりの銃撃に警戒するが、攻撃は無い。

 

 果たしてCV38はそのコロッセオの中央に居た。まるで挑戦者を迎える王者のように。

 

「残念極まる、アンチョビ殿。貴殿がこの程度とはな」

 しずかは怒りを隠そうともせずに言った。CV38のハッチが開き、アンチョビが顔を出す。

「それはこちらのセリフだ。鶴姫しずか殿」

「何?」

「決着が着く前から勝ち誇る。その時点でお前の負けだ」

「……口先は最早通じぬぞ!」

 アンチョビの挑発に、しずかは一声吼えると鈴に指示を出した。高速で接近。相手を上回る機動性で回避を許さず、一撃で仕留める。

 同時にCV38が動いた。土煙を上げ、真正面からテケ車に突っ込んでくる。

「特攻か!」

 しずかは37mm砲を構え、発射した。狙いはCV38正面。

「!?」

 僅かにCV38がブレるように揺れた。紙一重で砲撃を回避し、20mm機関砲が火を吹く。何とかそれを回避するテケ車。

「これは!?」

 その動きは先ほどまでとは完全に別物であった。右回りでCv38の側面に回り込もうとしていたが先手を取られ、進行方向の先に弾幕を張られる。急停止して下がろうとするテケ車。それにCV38は急停止からの急加速で更に距離を詰めてくる。

「……いかん!」

 

 しずかの背に戦慄が走った。如何に機敏とはいえCV38の限界を超える動きではない。試合開始時からこう動かれていればしずかはその挙動を把握し、動きを予測できただろう。しかし今は──先ほどまでの鈍い動きに目が慣れてしまっている。

 CV38の動きを、狙いの先を予測しようとしても、どうしても先ほどまでの観察で得た情報が邪魔をする。更新すれば良いが、それを相手が待ってくれるかと言えば──

 

「どうしたと言うのだ、これでは、まるで……!」

 人が変わったようだ。そう言おうとして、しずかはある発想に思い至った。

「まさか、本当に!?」

 

 

「お疲れー」

「……全く、酷いじゃじゃ馬だったわ」

 階段状の観客席、疲れ果てた顔で戻ってきたエリカに杏は声をかけた。崩れ落ちるように空いた椅子のひとつに座るエリカ。

「正直、乗り換えもギリギリだったわ。二度は使いたくないわね」

 そう言いつつ、コロッセオ内で走り回るCV38を見下ろす。

「凄いですね、最後に乗ってからのブランクもあるのに……」

 その機敏な動きにカルパッチョが感心して呟く。近くにいた沙織が言った。

「まあ……彼女は色々と別格だから」

 

 

「……扱いづらいな」

 そのCV38の操縦席、冷泉麻子はそう言いつつも高速で操縦桿を操作し、ペダルを踏み込んだ。90度ターンからごく僅かに下がり、砲撃を回避してからの急加速。テケ車の側面が取れた。

「そうか?」

 銃座で狙いをつけるアンチョビの問いに麻子は少しだけ笑い、答えた。

「ああ、前と全く同じで、扱いづらい機体だ」

 全く変わっていない。操縦桿の感触も、自分の操縦にどう反応するのかも。

「これなら大丈夫だ。勝つぞ」

 右、左、ごく僅かに右、更に右。細かな動きで狙いを惑わせつつ走らせ、CV38はついにテケ車の至近距離まで迫った。しずかの反応とほぼ同時にテケ車がターンする。

 

「遅い」

 

 だが麻子はしずかの視線の動きでその動きを予測し、更にその先を押さえていた。急加速から急減速。接地力が弱まり、横滑りするCV38。操縦桿から一瞬完全に手を離し、直後に全力で握り再加速。ギリギリの所で履帯が地を噛み、テケ車の後方に回り込む。機関砲。

 

 

───テケ車から、白旗が上がった。

 

 

劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第九話 終わり

次回「加わるはムカデ、挑むは母虎」に続く


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