カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第七話 ひとつの勝利、ひとつの敗北

【不肖・左衛門佐の戦国用語講座】

 

 

 皆の衆、久しぶりだな。今年の大河ドラマでおりょうがテンション高い姿を見て、去年の自分もこう見えていたのかと今更気恥ずかしくなってきた左衛門佐でござる!

 さて、今回は突如現れ、ペパロニ殿に戦いを挑んだ謎の少女。彼女の名乗った「百足組」、その元となった武田の「百足衆」について説明しよう。

 

 百足衆とは、武田信玄が有力武将の子弟で編成した伝令部隊の事だ。同じ名前で金山衆……金掘り人足を集めた工兵部隊も百足衆と呼ばれるが、前者を示す事が多いな。

 かの幸村公の父である真田昌幸が兄、真田昌輝もこの百足衆の一人で「使番十二人衆」の一人でもあったのだ! まあ、かの長篠の戦いで討ち死にしてしまう訳だが……むぐぐ。

 「伝令役」と聞くと使い走りめいたイメージが強いと思うが、携帯も無い当時、敵陣を抜けて味方に連絡する役目は武勇に優れたエリートの役割だった。馬に跨り、決死の思いで一言の指示を伝える為に走ったのだ。

 

 またトレードマークのムカデについてだが、これには重要な意味がある。

 ムカデは「後ろに下がらず、前にだけ進む」……また、素早く動き、猛々しい生き物という事で信玄公好みのモチーフだった。百足の旗は、信玄公の部下でもエリートにのみ差す事を許された名誉の旗指物だったのだ!

 これを堂々と冠するあの鶴姫しずかは、当然これを知って示しているのだろう……一度、戦国時代の事で話をしてみたいものだ。

 

 以上で説明は終了でござる。それでは5対1のこの戦、刮目して見て参ろう!

 

 

『おお~……!』

 左衛門佐の説明を聞き終え、1年生たちがぱちぱちと拍手を送る。

「……何やってるの、あれ?」

「『某の知識の役立つ時が来た!』と張り切ってるんだ。やらせてやってくれ」

 彼女の気持ちが分かるのだろう。思わず尋ねるエリカにエルヴィンが重々しく答えた。

 

 

 劇場版 カタクチイワシは虎と踊る  第七話 ひとつの勝利、ひとつの敗北

 

 

 イタリアの港町を思わせる、素朴な塗りの建物が並ぶ。

 アンツィオ高校構内と言ってもその面積は相当に広い。校舎や時計塔、コロシアムを含めた中心部、各選択科目の演習場等もあり、構内だけでちょっとした町ひとつの大きさだ。

「……と言っても、ヤツが動ける場所は限られる筈だ」

 アンツィオ側フラッグ車のCV33内でペパロニが呟いた。

 

 5対1というこの状況で相手にとって一番まずいのは遮蔽物の無い場所での包囲。テケ車の装甲は最大でも僅か12mm。大洗の戦車で最弱の八九式中戦車の15mmより更に薄く、CV33の8mm機銃でも貫通は可能だ。

 そう考えると、仙道や忍道の演習場のような広い場所には移動しない。おそらくはこの中心部から離れず、遮蔽物を利用した奇襲戦を仕掛けてくる筈だ。

 曲がりなりにもアンチョビが大洗に転校していた間、統帥を務めていた訳ではない。そこまではペパロニも読める所である。しかし、奇襲だけではしずか達は勝てない。5対1という数の差にはそれだけの重みがある。それを覆すのは何か。

 

「5号車、状況はどうだ?」

 通信機を手に取り、ペパロニが言った。

 現在、アンツィオの部隊は屋台の並ぶ構内中心部を4点で囲むようにして正方形の陣形を描いている。その内側を走るCV33が5号車だ。

『こちら5号車、現在大通りを南に走行中。ペパロニ姐さん、まだ敵影は見えません』

「分かった。中央広場に出たらそこから右回りで進め」

『りょうか……』

 ペパロニの指示に応答しようとした時、砲撃音が通信機の向こうで響いた。

『攻撃来ました! 屋台の影からの奇襲です!』

 それを聞き、ペパロニの口元に笑みが浮かぶ。

「思った通りだ! 各機目標、中央広場北側の通り! 挟み撃ちで仕留めるぞ!」

『了解!』

「アタシらは北側から行くぞ!」

「分かりました!」

 間髪入れず威勢のいい返事が返ってくる。操縦手はペパロニの指示に合わせ、フラッグを立てたCV33を加速させた。

ハッチを開けて身を出し、ペパロニは耳を澄ます。遠くから聞こえる砲声と機銃音。それは次第に大きさを増してゆく。交戦している場所まであと少し。

 

 その時、砲声に異音が混じった。聞き慣れた音。砲撃が車両を捉えた音。

 

『す、すみませんペパロニ姐さん! 5号車やられました!』

「ンだとォ!?」

 驚くペパロニ。彼女も他4両のメンバーを決して適当に選んだ訳ではない。数十人在籍しているアンツィオ戦車道メンバー、その中でも射撃スキル、操縦スキル共に優秀な面子で今回の試合は編成していた。増援到着まで粘れると見越していたが……

「仕方ねえ、このまま進め! まだ挟み撃ちには間に合う!」

 ペパロニは歯噛みしつつも指示を飛ばす。この試合はフラッグ戦方式。一発アウトのしずか側と違い、こちらはまだ戦力に余裕がある。

「おー、こっち来た!」

「頑張れよペパロニー!」

「ありがとよ! そろそろこっちにも砲弾が飛んでくるから気をつけてな!」

 街道沿いに並ぶ観客が歓声を送る。アンツィオの生徒以外にグルメ目的の乗船客もいるようだ。手に手に飲み物や食べ物を持ちつつの応援に、ペパロニは手を振りつつも注意喚起を返した。

「(……やり辛えな)」

 公式の戦車道の試合でここまで近い距離で観客が居た事はない。応援そのものには嬉しさもあったが、慣れないギャラリーの存在がペパロニの心をざわつかせる。

 その心の波をペパロニは抑え込んだ。ぶれるな。観客が気になると言うなら、それを巻き込む前に始末をつければいいだけだ。

 心を定め、ペパロニは前を見た。しずか達が交戦していた広場が近い。

『姐さん、こちら南側3号車! 敵車両、こっちに向かっています!』

「南から逃げる気か、足止めいけるか?」

『やれます!』

 迷いの無い応答。そうだ、ノリと勢い、そして少しの考える頭。迷いの無い勢いこそアンツィオ最大の武器。

「3号と4号が止めてるのに間に合わせる! 2号車行くぞ!」

『了解!』

 前方から向かってくるCV33。2号車を確認し、ペパロニは共に大通りに入った。

 

 

『4号車、合わせて行ける?』

「大丈夫! ペパロニ姐さんが来る前に始末つけようじゃない!」

 南側から迎え撃つCV33・4号車。車長のショートカットの少女が3号車車長からの言葉に勢いよく答える。戦意は十分だ。

 とはいえテケ車とCV33では、正面からの勝負では流石にテケ車に軍配が上がる。ここは自分たちにとって歩き慣れた場所である。その地の利を活かしての奇襲を彼女らは選んだ。

 メインである大通り。そこから筋ひとつ離れた横道を3号車が進む。反対側の横道には4号車。テケ車の走行音が近づく。

『停まって。私が先行して引き付けるから、4号車はその後ろを』

「了解!」

 エンジンを止め、息を潜める。相手はこちらの存在自体には気付いている。音が無くなれば警戒する筈だ。

それでも後方から追ってくるペパロニからの挟撃を避けたいのだろう。速度を落としながらも、音はこちらに近づいてくる。

『攻撃開始!』

 3号車からの声。4号車長は横の操縦手に即座に指示を出した。

「発進、回り込むよ!」

「任せてください!」

 路地から大通りに出る。前方にテケ車、それを挟んで3号車。テケ車の砲塔からはしずかが身を出している。

「もらっ……!」

 4号車長は銃座に構え、8mm機銃を撃ち放とうとした。

 

 その瞬間、しずかが振り向く。同時に戦車も旋回。

 

「え」

 まるでダンスのターンのように素早い回転をテケ車は行い、更に停車する前に37mm砲を放つ。

「うわっ!?」

 4号車操縦手が咄嗟にバックをかけ、辛うじて直撃を避ける。そのままテケ車は停まる事なく路地に逃げ込んだ。それを追う二両のCV33。

「……何、今の?」

 その動きに4号車長は違和感を覚えた。何か違う、自分の知る戦車の動きと異なる挙動。

「このまま挟んだまま追うわ! 速度上げて!」

 操縦手に指示を飛ばす。挟む状態を維持できれば、ペパロニ達到着までの時間は十分に稼げるはずだ。

「な!?」

 だが、そう考えていた矢先に横からテケ車が走り込んできた。

「速い……!?」

 こちらが態勢を整わせる前に片方を潰そうとする。その判断自体は分かる。しかしそれに移るまでの動きが速すぎる。

 砲塔上のしずかが4号車の方を向く。同時に戦車がこちらを向く。

 そこでようやく、4号車長は感じていた違和感の正体に気が付いた。

 

 このテケ車には、車長の指示から操縦手が反応するまでの時間差がない。

 

 戦車というものが複数の人間によって運用するものである以上、避けて通れないのが相互の言葉による伝達で起きるタイムラグだ。これは逆に言えば当然である。各自が車長の指示を無視して勝手に動き出しては話にならない。

 それ故に、技術的な練度の向上以上に重要なのが搭乗員間の迅速かつ円滑な情報伝達である。相手より1秒早く装填できれば、あるいは1秒早く操縦できれば。それは戦車道において大きな武器となるのだ。だがそれでも、当たり前だが完全なゼロには出来ない。

 しかしそれが、このテケ車は車長の反応と戦車の動きのラグが限りなくゼロに近い。実際、先ほどから砲塔上のしずかは口も開けず、言葉も発さずに戦車を操っている。

 これが意味する所は重要である。つまり彼女らは、自分たちより常に一手早く動けるという事になる。

 

「どうなってやがる、テレパシーでも使ってるってのか!?」

 それでも4号車は回避運動を取りつつ8mm機銃を放った。数発が命中するが、致命傷には至っていないようだ。

 しずかはこちらに僅かに視線を送ると、何故かキューポラを閉めて中に戻った。直後、大通りの側道に立っていた屋台のひとつに突っ込む。テントの資材やシートが吹き飛ばされ、4号車に降りかかる。

「おわぁっ!?」

 前方をテントの布で覆われ、堪らず迷走を始める4号車。直後、正面にテケ車の砲撃を受けてひっくり返る。

「こ、こちら4号車やられました! ペパロニ姐さん、すいません!」

 悲鳴めいた叫びと共に、4号車長は最後の通信を送った。

 もはや疑う余地はない。こいつは──強い。

 

 

 しずかは再度砲塔から身を出した。4号車の撃破確認の後、即座に横の路地へ再度逃れる。

 

「ンッ……」

 

 前方に3号車。後方から二両の走行音。追い付いてきた。おそらくこの近辺からは抜け出せまい。右、左、そして右へと細かく曲がり、かく乱を仕掛ける。

 

「ふあっ!? くっ、ンンッ……!」

 

 後方を見る。敵フラッグ車、早い。砲塔を回転させ、後方の屋台に撃ち込む。吹き飛ぶ資材が障害物となり、CV33の進路を塞ぐ。視界を切って再び左。速度上げ。

 

「ひあぁっ!? 」

 

 しかしCV33は速度を落とさず、降りかかるテント足場や寸胴鍋やらを回避してゆく。腕の良い操縦手を伴っているのだろう。急停止からターン。あえて交錯させ、今度は自分がその障害物を乗り越えて遮蔽にする。後方に打ち込まれる8mm機銃を蛇行して回避。

 

「ンンッ!? ちょ、ちょっと姫、激しいって!」

「堪えよ鈴、ここが勝負所ぞ!」

 

 荒い息をつきながら、操縦席の鈴がしずかに言う。それに対ししずかは彼女の首筋に置いた脚を離さないまま、右足の親指を鈴の右の鎖骨に置くとゆっくりと撫でた。右折を大回りで。

「ンッ……!」

 しずかの足の動きに僅かに喘ぎを漏らしつつも、鈴は的確な動きでしずかの意思通りにテケ車を動かして見せた。小回りを予測していたであろうCV33の機銃が横を掠める。

 

 これこそが彼女ら、楯無高校百足組の反応速度の早さの秘密である。

 車長兼砲手のしずかは基本外に姿を出し、周囲の確認をしつつ砲撃を行う。その間、足先を鈴の首筋に置き、指の動きや触る箇所によって行動とその強弱を指示しているのだ。

 確かにこれであれば言葉も使わず、かつ車長の思考をダイレクトに送る事ができる。問題は絵面として些か倒錯的である事くらいだろうか。

 

 黒いタイツに包まれた指が今度は鈴の左の襟元に触れた。左前方に蛇行しつつ前進。

 あくまでその脚の動きは優雅。しかし、しずかの表情に緩みは無かった。豆戦車に乗り慣れているのもあるのだろうが、アンツィオ高校、予想以上に動きがいい。

 釣りで一両を先行させ、姿を現した所を叩くと言うアンツィオの戦術は定石と呼べるものであり、しずかもペパロニの意図を読んでいた。その上で釣りの一両を倒して相手が包囲を完了するまでにその網を抜け、一両ずつ仕留めてゆく。そうしずかは考えていた。

 しかしながら、アンツィオのCV33の動きは彼女の予測を上回っていた。ホームという事もあるのだろうが速度で勝るテケ車を相手に食いつき続けている。

 しずかは思った。やはりアンツィオ高校の戦車道は優秀だ。彼女らを鍛え上げたというアンチョビと戦ってみたいという気持ちが更に湧き上がる。

「ならば、ここは……!」

 乾き始めた唇を湿らせ、しずかは攻撃的な笑みを浮かべつつ足を動かした。

 

 

「……?」

 フラッグ車のCV33、ペパロニは相手のテケ車の動きが変わったのに気付いた。先ほどまでは何とかこちらの3両を振り切ろうとしていたが、今度は中央広場に戻ろうとしている。

「逃げるのを諦めたか?」

 ペパロニは通信機を手に取り、残っている2号車と3号車に指示を送る。

「どうやら向こうは広場で決着を着けたいらしい。こっちは三両。広場に到着後はアタシが正面を引き受けるから、手前らはその横と後ろを突け!」

『了解!』

 やがて、赤いテケ車に機銃に追われるように中央広場に戻ってきた。中央付近に先ほど撃破されたCV33の5号車が白旗を上げている。そして広場の外周から彼女らを観戦しているギャラリーたち。

「おお、来たぞー!」

「ここで大勝負か!」

「頑張れペパロニー!」

 一方、テケ車上のしずかは笑顔のまま無言でペパロニのCV33を見据えている。ペパロニはハッチを開け、彼女を見返した。

「なかなか手こずらせてくれたッスね……でも、ここまでだ」

 そう言われたしずかは表情を僅かに変えた。

「……残念だな」

「あ?」

「敵将の首を取る前から勝ちを語るか……ペパロニ殿。どうやら買い被っていたようだ」

 その笑いは、嗤いに変わっていた。こちらを下に見る嗤い。

「……面白え!」

 ペパロニは歯を噛み締めると車内に戻り、操縦手に指示を送った。

「行くぞ! アイツの正面から攻撃しつつ回避、敵の攻撃を他に向けさせるな!」

 しずかの嘲笑によって生まれた怒りこそあれ、ペパロニはまだ冷静さを残していた。自分の役割はあくまで牽制役だ。

 左右を見る。別の通りからCV33がそれぞれ向かってきている。ペパロニはCV33を走らせ、8mm機銃を放った。テケ車の正面装甲が火花を散らす。かなり装甲が痛んできているのが見て取れる。あと少しの攻撃で白旗が上がるだろう。

 テケ車も動いた。中央広場にはまだ幾つもの屋台が残ったままだ。それを遮蔽にしつつ走りながら砲塔を回し───

「な!?」

 

 ───最も密集していたギャラリーの一団に突っ込んだ。

 

「何い!?」

「わああ!?」

「何考えてやがる、楯無高校!?」

 口々に悲鳴をあげつつテケ車を回避するアンツィオ生徒たち。テケ車は180度ターンし、今度は反対側にあった屋台のひとつに37mm砲を撃ち込んだ。吹き飛ぶ資材。それがギャラリーに粉塵と共に降りかかる。

「ケホッ、ケホッ!」

「こっちにも来るぞー!」

 更にCV33を無視するように周辺に砲撃をまき散らすテケ車。

 忽ち広場は大混乱となった。非公式である強襲戦車競技ではギャラリーの至近距離での観戦も認められている。ましてやお祭り好きのアンツィオ生徒たち。その数は少なくない。それらが広場を逃げ回っているのだ。

『こちら2号車、広場への東入口、逃げる人で進入できません!』

『同じく3号車、進入不能!』

「………!」

 ペパロニは判断を迫られた。なるほど、これが強襲戦車競技──タンカスロンというものか。通常の戦車道では起こりえない状況、戦術。それを迷わず実行に移すしずかの胆力にペパロニは内心で舌を巻いた。

 だが、それで戦意が萎えるペパロニではない。

「やってやろうじゃねえか!」

 CV33が唸りを上げる。逃げつつ攻撃を仕掛けるテケ車。その先を追う。

「そこだァ!」

 テントとテントの僅かな隙間、そこにCV33は割り込むように車体を滑らせた。テケ車が過ぎ去った直後の位置。至近距離のテケ車の背面が正面に来た。

「もらった!」

 瞬間、テケ車が急ブレーキをかけた。前面に強烈なGがかかり、後部が浮き上がる。直後に履帯が逆回りを始めた。その先には無論、ペパロニのCV33がある。

「うっ、うわっ!?」

 テケ車はCV33を強引に乗り越えた。カーボンコーティングによって車内に被害は無いが、それでもミシミシと音を立てる。

 37mm砲がCV33後部に狙いをつける。頭を振りつつもペパロニは操縦手に指示を出そうとした。先程の隙間に行けばまだ回避は可能だ。

「……ヤベえ、停車!」

 だが、ペパロニは何かに気付くとその動きを止めた。そこに撃ち込まれる徹甲弾。

 

 

『そこまで! アンツィオ高校側フラッグ車、走行不能! よって、楯無高校の勝利!』

 

 

 大階段から戦況を確認していたカルパッチョが放送を流す。

「………?」

 しかし、勝負を決したはずのしずかの顔には怪訝な表情が浮かんでいた。

「あたたた……いやー、やられたな」

 CV33から這い出るペパロニ。彼女にしずかは問いかけた。

「ペパロニ殿……差し支えなければ、良いだろうか?」

「……何だ?」

 その問いかけは予測済みだったのだろう。ペパロニは砲塔上のしずかを見上げた。

「何故、今の一撃を回避しなかったのだ? こちらも今のが命中するとは思ってなかったのだが……」

「………」

 ペパロニは無言で親指を立て、自分の背後を示した。

 そこには撤収に間に合わなかったのだろう。露店で出す料理用のトマトが山積みで置かれたままになっていた。もしテケ車の砲撃を回避していれば、それは見事に砕け散り、台無しになっていただろう。

「トマト?」

「『我々は、あらゆる所で食への熱意を失わない。例え戦場だろうと』……それがアンツィオの流儀だ。それを統帥代行のアタシが破ったんじゃ、姐さんにもあいつ等に顔向けできねえ」

 そう答えるペパロニの表情には負けた事への悔しさも滲んでいたが、同時に自身の矜持を守り抜いた満足感も浮かんでいた。

「はは、まあトマトひとつで勝ちを譲るとか、アンタからすれば下らない事だろうけどな」

「……そんな事はない」

 しずかは首を横に振った。ペパロニは自分の在り方を通したのだ。そこに嗤う所など無い。そう思いつつ、しずかは丁寧に頭を下げた。

「ここまでの非礼を詫びさせていただく。アンツィオ戦車道、見事であった」

「……アンタもな」

 そう言うと、ペパロニも頭を下げて礼を返した。

 

 

「何ていうか……凄い内容だったね。これがタンカスロン?」

「この程度は当たり前……らしいわね。試合によっては乱入や、途中で10両以上の増援を送り込んだりする時もあるそうよ」

 試合の観戦を終え、柚子は素直な感想を口にした。エリカがそれに答える。その横に座っていたみほが呟いた。

「でも……あの子たち、楽しそう」

「……そうね」

 その点においてはエリカも異論は無かった。明らかに普通の戦車道とは異なる競技。しかしそこで戦車に乗り、戦いを繰り広げる百足組の二人は確かに戦車戦を楽しんでいた。

 

「おいおい、出かけてる間に何があったんだ?」

 

 そこに後ろからの声。見ればアンチョビと桃が戻ってきている所だった。エリカが尋ねる。

「隊長? 戻りは遅くなるって言ってなかった?」

「思ったよりも色々と話が動いてな、私達だけ戻ってきたんだ」

 そう言われてエリカは二人を見た。確かに杏がいない。

「それで、会長は?」

「教導隊の蝶野さんと一緒に、熊本に向かった」

 端的に桃が言う。エリカはその言葉の意味を一度吟味し、改めて聞いた。

「ちょっと待って、熊本って……九州の熊本?」

「その熊本だ。輸送ヘリで日帰りで行って帰ってくるって言ってた」

 大真面目に答えるアンチョビ。その言葉に引っかかるものを感じ、みほが尋ねた。

「あの、戦車道で熊本って……もしかして?」

「ああ。西住流家元……彼女に文科省への口入れをしてもらう」

「……お母さんに?」

 そう答えるみほの顔には、不安とも期待ともつかない複雑な表情が浮かんでいた。

 

 

 

 九州・熊本、西住家邸宅。

 「……まずは先の大会の優勝、おめでとう。高校戦車道連盟の理事長として、新しい流れの誕生を祝わせてもらうわ」

「ありがとうございます、理事長」

 檜の大机を挟み、西住しほの言葉に杏は頭を下げた。

 

(まずい、見誤った)

 

 杏の背中に悪寒が走る。

 将棋の達人同士の勝負は、最初の一手でその趨勢が見えるという。杏が感じたのがそれだった。

 

 なるほど、確かに戦車道連盟理事長としては高校戦車道が盛り上がる事は歓迎すべきことだし、ここ10年の黒森峰の連続優勝で少なからず硬直化していた大会も過去最大の反響だった事は喜ぶべき事だろう。しかし、ひとりの母親としては?

 

 もっと交渉の武器を用意してから来るべきだった。表面上の笑顔を崩さないまま杏は後悔していた。

 高校生ながら杏は3万人の学園艦を管理する生徒会長として海千山千の相手と交渉を繰り広げてきた。その嗅覚ゆえに彼女は感じ取ってしまったのだ。眼前のしほが理事長としての落ち着いた姿勢の影に、苛烈なまでの怒りを抑え込んでいる事に。

「……では、話を伺いましょうか」

 しほは静かに、そう言った。

 

 

劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第七話 終わり

次回「イワシとムカデ、虎と母虎」に続く 


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