カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第五話 英雄はイワシに嘆く

 乾いた風が吹き、砂塵を舞い上がらせる。

 空はどこまでも青く、飛散する砂粒以外に見える物は無い。

 空気が歪んで見える暑さの中、砂漠を進む二頭のラクダ。

 その上にそれぞれ乗る人影がふたつ。アバヤと呼ばれる、目元以外を隠すゆったりした民族衣装を着込んでいる。

「あ”づ”い”……砂漠って、鳥取砂丘や猿ヶ森砂丘でいいじゃないか……」

 二頭のうちの前方の人影が、口元を緩めて声を発した。アンチョビだ。

「口を開くと、砂が入るわよ」 

 後方のラクダに乗る逸見エリカが冷静に返す。先日の戦車カフェで見せた激しい動揺は何だったのかと思う程に普段通りの反応だ。

「……調子は戻ったみたいだな」

「うるさいわね。そろそろ試合会場の境界に入るわ」

「って言われても、どこから境界線なんだか……」

 二人は今、学園艦に先行して戦地の下見に来ていた。砂漠での戦闘は大洗も未経験。少なくとも現地の地形や環境を知る必要があった。ラクダは更に砂漠を進む。

 

 ―――その遥か後方にもう一頭のラクダ。

「あれは……大洗?」

 ずり落ちないように小柄な体を支えつつ、赤い布に全身を包んだ少女は双眼鏡で二人の姿を確認して呟き、ラクダの歩を進めた。

 

 

 カタクチイワシは虎と舞う 第五話 英雄はイワシに嘆く

 

 

 砂漠のオアシスに設置された、戦車道連盟協賛の休憩所。

「ンッ……ンッ……プハーッ! ヴォーノ! ただの麦茶がここまで美味いとはな!」

「高いんだから、もうちょっと丁寧に飲みなさいよ……」

 一息に氷入りの麦茶を飲むアンチョビに、少しずつ口に含みつつエリカが言った。

 味はパック麦茶のそれだが、発電機の燃料代やサービス料金が乗って価格は喫茶店のドリンクの数倍である。

 二人を挟むテーブルには、一通り周辺を見て回った上での地形が描かれている。砂漠は風によって頻繁に地形は変わるが、48時間以内であればこれで十分だ。

「さて、と……それで、どう見る? 砂漠戦は黒森峰の方が慣れてると思うんだが」

 「黒森峰」の名前にエリカの眉が微かに動く。しかし、口調は平静のまま彼女は答え、地図上のポイントを何点か指した。

「ここと、ここ……あと、ここの丘。待ち伏せで車両を隠すとしたらここでしょうね」

 砂漠というのは遮蔽物の無い平坦とした場所と思われがちだが、実際はそんな事は無い。縦横無尽に吹きすさぶ風は砂を寄せ丘を作り、時として数十メートルの高低差を作る。所々に残る岩場も重要なポイントだ。

「……プラウダはどの車両を使ってくるだろう?」

「主戦力をT-34/76とT-34/85で編成してくるのは間違いないわね。KV-2は使えない。砂地であのバランスの悪さは一発撃てば倒れるでしょうね」

「IS-2は?」

「あの車体も相当にバランスが悪いから、普通なら砂漠で使わないと思うけど……隊長のノンナはあの車体を指揮力と練度、あと本人のずば抜けた狙撃力で補ってる」

「可能性はある、か」

「うちの戦力でT-34シリーズをまともに抜けるのはⅢ突とLee。私のⅣ号も成形炸薬弾を使えば抜けなくはないけど、安定性に欠けるし何発も撃てる訳ではないわ」

「零距離なら38tでもどうにか抜ける。まあ私のCV33と89式では流石に無理だがな」

「……本当、よく貴女アンツィオで一回戦突破できたわね」

 

 大洗の車両は現在6両。引き続き有志が戦車捜索を続けているが、少なくとも一回戦に間に合う車両は無い。対してプラウダは規定最大の10両で来るのは間違いない。

 それに加えてプラウダの車両はWWⅡで猛威を振るった名戦車・T-34シリーズを中心とした強力な編成。対して大洗の車両は戦争初期の戦車や豆戦車を含む低火力。数と火力で劣る大洗が勝とうと思ったら、機動力と作戦で上回るしかない。

 寒冷地や雪解けの泥濘地での戦闘を前提としたソビエト戦車は足回りは強いが、KV-2に代表されるバランスの悪さや砂漠戦への適応の低さなどもあり、地形では有利だ。

 だがそれでもプラウダ高校の生徒は精強であり、何より前大会後のノンナが隊長に就任してからの「ある変化」が、アンチョビに不安を抱かせていた。

 

「変化?」

「ああ。昨日あの後、改めてプラウダの大会後に行ったエキシビジョン・練習試合を含む対外戦のデータを集めてみたんだが……どうもおかしい」

 そう言ってアンチョビは鞄から数枚の書類を取り出し、エリカに渡した。

 対ハイランド高校、8対0で勝利。対マズルカ学園、6対0で勝利……

「……殲滅戦の練習?」

「いや、それは全てフラッグ戦の練習試合だ」

「それって……フラッグ戦なのに敵を全滅させているって事?」

 エリカは他の数枚も見た。確かにフラッグ車が設定されている。しかし、それらの試合は全ての敵を全滅させていた。

 フラッグ車戦は代表車であるフラッグ車を撃破できれば勝利となる。その性質上、双方それなりに車両を残して決着するのが基本だ。勿論最後にフラッグ車が残り、結果的に全滅となるケースも無くは無いが、ここまで毎回とは考えにくい。

 

「それで次がこれ。戦車道連盟公認のエキシビジョン戦」

 また数枚の書類を渡す。6対8で勝利。7対5で勝利。9対9で勝利……

「……普通の試合ね。相手より数が負けていても勝っている試合もあるじゃない」

「ただ、これもこれで奇妙なんだ……よく見てくれ」

 そう言われて改めてエリカは読み直した。そこに感じる違和感。

「……フラッグ車を撃破しているのが、必ずカチューシャ?」

「そうだ。まるでカチューシャに殊勲を取らせるような敵の誘導と展開を行っている」

 確かに、プラウダのカチューシャといえば前大会の頃はプラウダの次期隊長候補と目されていた実力者であり、彼女に敵を送り込み確実な勝利を狙うのは間違っていない。しかし、それが毎回と言うことは有り得るだろうか。

 殲滅戦めいた練習試合と、公式戦でのカチューシャの活躍。

「……何だか気味が悪いわね」

「おそらく、隊長のノンナに何らかの思惑があると思う。これは私の推測だが……」

「この短時間で、随分と調べたようね」

 アンチョビが話そうとした時、突然横からの声が割り込んだ。

 

「……ん?」

 目線を横に向ける。誰もいない。

「………」

 少し目線を下げる。赤いターバンを巻いた、小柄な少女。

「……カチューシャ?」

「貴女たちも試合場の下見に来ていたなんてね」

 休憩所の店員が子供用のかさ高の椅子を持ってきた。それに座り、二人より高い目線を得たカチューシャは彼女らを見下ろしつつ言った。ターバンを解き頭を振る。

「そっちこそ部下を連れず単独で下見か?」

「……まあ、その辺りはどうでもいいわ。それより貴女達に言っておきたい事があってね」

 アンチョビの質問を流し、カチューシャは腕を組み高圧的に言った。

「言っておきたいこと?」

「ええ! 次の試合だけど、絶対に降伏しないで最後まで戦いなさい!」

「どういう意味?」

 カチューシャの言葉に、エリカは眉を寄せた。

 

「言葉通りの意味よ。次の試合アンタ達は負けるわ。でも途中で諦めて勝負を捨てたり、降伏したりとかはせずに最後の一両まで戦いなさい。いいわね?」

「………」

 奇妙な要請である。「諦めず最後まで戦え」という言葉自体はおかしくはない。だが、「お前たちは負けるが最後まで頑張れ」とはどういう事か。

 カチューシャの言葉の意味を図りかね、エリカは黙って考えた。

 その反対側、アンチョビはグラスに残った氷を口に含んだ。噛み砕く数秒の沈黙の後、冷えた息を吐いてカチューシャに言った。

「……なるほど。今のお前の言葉で合点がいった」

「な、何よ?」

「私達が諦めると、お前のところの二軍が助からない……って事だな」

「ちょ、あ、貴女、何でそれを!?」

 アンチョビの言葉にカチューシャは激しく取り乱した。その反応を見てアンチョビは口元に笑みを浮かべ言葉を続けた。

「いや、今のは私の推測だ……ただ、正解だったようだな」

「カマをかけたのね!」

「勝手に引っかかったのはお前じゃないか」

「……うぅ」

 一言で切り返され、カチューシャは先ほどまでの高圧的な態度を失い下を向いた。

「どういう事?」

「まあ、それは本人に話をしてもらった方がいいんじゃないかな?」

 まだ理解できていないエリカがアンチョビに尋ねる。彼女は目線をカチューシャに向け、そちらに話を促した。

「今のカチューシャの話、殲滅戦めいた練習試合、エキシビジョン戦の結果……全部、ノンナとカチューシャの二人が糸となって繋がってるんだ。だよな?」

「……カチューシャの負けね。貴女たちを侮ってたわ」

 大きく息を吐きカチューシャは肩を落とした。先ほどまでの暴君めいた様子は影を潜め、金髪を揺らす、普通の少女の姿がそこにはあった。

「そもそもはカチューシャが悪かったの。あの決勝戦でね……」

 

 

 昨年のプラウダ高校の次期隊長決定については最後まで紛糾が続いた。候補は二人。

 一人は勇猛果敢な指揮と素早い決断、それを実践する行動力を持つカチューシャ。

 もう一人は戦場全体を俯瞰できる高い観察力と冷静な判断力を持ち、プラウダ屈指の狙撃力を誇るノンナ。

 決定権を持つ3年生の会議は回数を重ねても結論は出ず、最終的には第62回全国大会の結果を参考にして当時の隊長が最終決定を下すという結論が出た。

 そして大会は始まった。カチューシャとノンナのバランスの取れた連携は次々と敵機を撃破し、その戦いぶりは過去のプラウダの英雄たちを凌ぐとさえ言われた。

 一回戦、二回戦、準決勝を圧勝。決勝戦の黒森峰戦。

 ―――そしてプラウダは敗け、準優勝となった。

 試合最終盤、カチューシャは棒立ちとなったフラッグ車のティーガーを前にしていた。僚機が水没し、車長が救助のため飛び込んだのだ。絶好の機会。優勝が見えていた。

 だが、カチューシャの砲撃は後続の戦車のカバーに防がれた。あと数秒撃つのが早ければ果たして優勝できていたのか、それは分からない。しかし前隊長はこれを次期隊長の判断材料にせざるを得なかった。結果、ノンナが隊長に任命された。

 

 

 この事自体にカチューシャは悔みこそすれ異論はなかった。

 「モスクワは涙を信じない」という格言の通り自分が絶好の機会を逃したのは事実であり、それをカチューシャは正面から受け止め、ノンナを補佐し、より実力を付ける事で翌年の優勝を目指そうと思った。

 しかし、これに最後まで異論を唱えた人物がいた。他でもないノンナ自身である。

 ノンナは隊長を含む三年達にカチューシャが隊長として自分より遥かに適任であること、彼女が副隊長では本来の実力を発揮できないこと、自分がカチューシャを補佐する立場で初めて理想のプラウダが完成する事を強く主張した。

 この主張は通らなかった。秩序と上下関係を重んじるプラウダにおいて隊長の決定権は絶対であり、それを覆す事はノンナには許されていなかった。三度の申請が却下され、ノンナは最終的に隊長就任を受け入れた。

 

 

 ―――ノンナが、プラウダが変わったのはそこからである。

 

 

 彼女はまず「より強きプラウダ」「敗北を許さぬプラウダ」という指針を打ち出した。その上で今まで隊長以外を同格として扱っていた履修者の待遇を分け、公式戦メンバーとなる上級メンバー「赤」と、下級メンバーの「灰」に二極化させた。「灰」は公式戦への出場は許されず、それ以外のあらゆる待遇でも「赤」と差別化された。

 「赤」のメンバーも油断は許されなかった。僅かなミスやエラーをノンナは許さず、試合を終えたその日の内に「赤」が「灰」に格下げされるのは当たり前だった。これは「粛清」と言われ恐れられた。

 逆に「灰」にとって練習試合は「赤」への昇格の唯一の機会だった。一両でも戦果を出そうと彼女らはフラッグ戦だろうと撃破を優先する事は珍しくなかった。

 アンチョビが違和感を抱いた試合の正体がこれである。練習試合の「灰」は戦果を求めて徹底的な撃滅をしようとした結果。公式戦での結果は「赤」が早々に試合を終えようとした結果の現れだったのだ。

 この強権的な方法は内外からの批判が無かった訳ではないが、実際にプラウダの練度は大きく向上し、対外試合において無敗が続いていた。その結果の前に批判は沈黙した。

 そんな中、カチューシャは必死に食いついていた。誰よりも訓練を重ね、素早い指示と決断を行い、「赤」であり続けた。副隊長としてノンナの負担を軽くしようと思っていたし、いずれこのシステムを改善させようと思っていた。

 だが、ある時カチューシャは気付いた。余りに自分がフラッグ車とぶつかる時が多い。包囲殲滅できるような戦況だろうと、敵フラッグ車は導かれるように眼前に現れるのだ。

 過去の試合記録を見て違和感が確信に変わったカチューシャはノンナに聞いた。

 

「何故カチューシャにばかり殊勲を上げさせようとするのか?」

 

 ノンナは淀みなく答えた。

 

「ご安心ください、カチューシャ。私が貴女を『英雄』にして差し上げます」

 

 その言葉にカチューシャは悟った。格差制の導入も恐怖政治もただの隠れ蓑に過ぎない。 ノンナの理想である「カチューシャ隊長」は生まれなかった。故にノンナは戦果を自分に上げさせる事で「英雄カチューシャ」の名をプラウダに残そうとしているのだと。

 返事をしたノンナの表情は穏やかで迷いなく、優しそうな微笑みを浮かべていた。

 それがカチューシャには、何よりも恐ろしかった。

 

 

「………」

「………えっと」

「その、何だ……流石に引くな、それは」

 カチューシャが話を終え、砂漠の真ん中の休憩所にも関わらずエリカは寒さを感じた。

アンチョビも流石に言葉が出ないようだ。

「次の試合、プラウダは主力を温存して『灰』のメンバーでオーダーを組むわ。だから貴女達に言ったの。一両でも撃破数が増えれば一人でも『赤』に上がれるから」

 カチューシャはそこまで言うと一息ついた。

「……なるほどな」

 アンチョビは大きく息を吸い、グラスに残った最後の氷を口に含んだ。次第に気持ちが戻ってきたのか、氷を噛み砕きながら口元に笑みを浮かび始める。

「プハーッ……だが、そのお願いは聞けないな」

「降伏するって事!?」

 焦るカチューシャ。だがアンチョビは首を横に振った。

「いや……今の話で勝ち方が思いついた。カチューシャ、お前には悪いが次の試合、『勝った』のは我々だ」

 その言葉には、エリカとの戦いの際には無かった確信が宿っていた。

 

カタクチイワシは虎と踊る 第五話 終わり

第六話「駆けるイワシと暴君の咆哮」に続く


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