カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第四十一話 目覚める虎と空飛ぶウサギ

 商店街の裏町に響く20mm機関砲の砲声。

 CV38の車内に硝煙の焼けつくような臭いが満ちる。冷泉麻子はその臭いを堪えつつ眼前の光景を瞬きもせずに見つめていた。足はいつでも全速を出せるようにペダルに乗せたままだ。

 アンチョビは瞳を潤ませながらもトリガーを引く指を緩めなかった。今にも叫びそうな口元を強く引き締め、発砲の衝撃に耐えつつ撃ち続けた。

 西住まほは砲塔から身を出したまま、ティーガーの背後から撃ち続けるCV38を見ていた。転回も砲塔を回す事も出来ない状況において、戦車道の怪物と呼ばれた少女は全てを流れに任せた。

 

 

──やがて、音が止んだ。

 

 

 1マガジンを撃ちきり、アンチョビはゆっくりと顔を上に向けた。

 僅かの沈黙。機銃から手を離し、座席に崩れるように座り込む。

 

『黒森峰女学園・ティーガーⅠ、走行ふの──』

 

 放送が言い切るのを待たず、CV38は反転すると全力で走り出した。脱力していたアンチョビを急激なGが襲う。

「な゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ!?」

「余韻に浸るのは後にしろ。包囲される前にここを抜けるぞ」

「そ、そういうのは走る前に言え、麻子!」

 何とか姿勢を戻し、アンチョビは少しだけ背後を見た。

 白旗を上げたティーガーⅠと、その車上からこちらを見ているまほ。敗者と思えぬほど堂々と顔を上げ、アンチョビ達のCV38を見送っている。

 やがて、彼女は深々と頭を下げた。礼をするように。

 その光景を見つつ、アンチョビは呟いた。

「……ごめん、神様。さっきの呪いはこの試合が終わってからで」

「何の話だ?」

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第四十一話 目覚める虎と空飛ぶウサギ

 

 

 水を打ったような沈黙が観客席を支配していた。

 黒森峰側の戦力表示、隊長車として最上段に名前が書かれていたまほのティーガーⅠの上に×印が付けられる。

 そこでようやく、観客は自分たちが見たものが事実であることを知ったようだった。沈黙から小さなどよめきへ、どよめきは歓声へと変わってゆく。

 そして、歓声は大歓声となり場内を埋め尽くした。

 

 

「す、凄い歓声であります!」

 会場を震わすほどの歓声に、福田は思わず両耳を押さえつつ言った。

「それはそうでしょう。高校戦車道で無敗だった西住まほ、それを初めて負かしたのが豆戦車になるとは誰も思いません」

「ふふ、ひょっとすると私たちは『伝説の試合』に立ち会っているのかもしれないね」

 その中でも落ち着いた口調でノンナが言う。その横のミカも、どこか嬉しそうにモニターの走るCV38に目を向けている。

「そして、黒森峰にとってもここ二年で初めての状況……さて、どうなるかな?」

 

 

「まさか、こんな事が……!」

 歓声の中、来賓席に座る理事長は扇子を扇ぐ手を止めて声を漏らした。

 その驚きは当然である。そもそも決勝戦において、CV38のような豆戦車が出場した事自体が高校戦車道史上初めての事。更にそれが、西住姉妹の指揮するWW2最強ランクの戦車であるティーガーを撃破するとは誰が予測し得ただろうか。

「装甲を抜くのは不可能ですから、エンジンの重要な箇所に被弾したか、駆動部をやられたか……いずれにせよ、運が無かったとしか言い様がありませんね」

「いいえ、それは違うわ」

 敗因を分析する島田千代の言葉に間髪入れず答えたのは、理事長を挟んで座る西住しほその人だった。千代の目が細められる。

「──運では無いと?」

「戦車道にまぐれ無し、有るのは実力のみ」

 しほはそう言うと、モニター上に映される、各所で奮闘する大洗メンバーの姿を見た。

「大洗の選手たちは、黒森峰よりも遥かに強い勝利への執念を持ってこの試合に挑んでいた。その執念が行動を起こし、勝利への流れを引き込んだ。それだけの事です」

 そう語るしほの表情は平時と同じであり、自分の娘が倒された事についての衝撃や感情の動きは全く見られない。

「………」

 千代は無言で視線をしほの顔から下に向ける。膝に置かれた彼女の手は、青白くなるほど強く握り締められていた。隠しきれてはいない。

 やがてモニターの映像が切り替わり、黒森峰側の動きを映す。

「……!」

 しほの眉が僅かに動く。画像の中、残されたもう一両のティーガーは砲火の中でその動きを止めていた。

 

 

 西側・陸橋跡付近。瓦礫による戦車壕で敵の攻撃を凌ぎつつ、Ⅳ号戦車とポルシェティーガー、そして針鼠の設置から支援に移ったB1bisと八九式。彼女らはみほの指揮する西側の部隊との交戦を続けていた。

 

『黒森峰女学園・ティーガーⅠ、走行不能!』

 

 放送が流れる。エリカは砲火の交差する中でアンチョビに通信を送った。

「……こちらトラ。やったわね、隊長」 

『こちら子イワシ。これでようやく半分だ、ここからはエリカ、お前たちに頼む。こっちは何とかそちらの支援に行けないかやってみるが、難しい場合は東側の敵を可能な限り引き付ける!』

「分かった。任せておきなさい」

 通信を終え、エリカは僚機に通信を送った。

「みんな、隊長はきっちり決めてくれたわ。これでようやく敵フラッグ車を倒すための準備が整った。各機、牽制しつつ散開。敵を引き付けつつ、こちらはフラッグ車との1対1に……」

『ちょ、ちょっと待って、副隊長!』

 エリカの言葉の終わりを待たず、レオポンチームのナカジマから声が返ってきた。

「どうしたの?」

『敵の動きがおかしい。フラッグ車だけど、砲撃を止めて動かなくなってる』

「何ですって?」

 エリカは咄嗟に砲塔から身を出した。ナカジマの言っていたフラッグ車の方に向けて双眼鏡を構える。

 みほの搭乗する敵フラッグ車。先程まで敵の中で一番激しい攻撃をこちらに浴びせてきていたその戦車は、交差点の真ん中で動きを止め、砲撃も行わずにいた。人間で言うならば棒立ちの状態だ。

「………」

 エリカはその様子に僅かの逡巡を見せたが、そのまま車内に戻った。

「予定変更、敵フラッグ車は動きを止めているわ。連携を待たず、今のうちに攻撃を一点集中させて!」

 車長席から各車と車内のメンバーに指示を送る。優花里がエリカに戸惑いつつ尋ねた。

「逸見殿、その、いいんですか?」

「……構わないわ」

 

 優香里の言いたい事は分かっていた。

 おそらく今のみほは、まほが撃破された衝撃から立ち直れていない。ここでそれを狙って彼女を倒しても、試合前にエリカが言っていた「みほを正しい戦車道に戻したい」という願いは叶わないのではないかという危惧だ。それは確かにそうだ。エリカは思う。

 しかし、それでもいいとエリカは決めた。もしこのまま撃破されてみほが戦車道から離れる事になったとしても、彼女が戦車に乗らない普通の少女になれるのならそれが良いと思った。

 また、それとは別の確信もあった。

 黒森峰のメンバーは、確かに大半が西住姉妹のイエスマンと化している。だがそれでも、気根が抜けきっていないメンバーが一人でも居れば───みほを間違いなく立ち上がらせる。

 自分が逃げ出したというのに、残った相手を信頼するというのも身勝手な話だ。エリカはそう内心で自嘲しつつも優花里に言った。

「装填完了したら待たずに発射、敵側面を狙って!」

 

 

 西側外周部。まほのアンチョビ撃破と合わせて一斉攻撃を仕掛けようと目論んでいた黒森峰の部隊は、隊長撃破の放送でパニック状態に陥っていた。

「こちら3号車! 4号車、何が起きたの!? 隊長は!?」

『こちら4号! それが、何が起きたのかこっちもさっぱり……P40は隊長が撃破したし、増援が来ないかも見張ってたのに……!』

 3号車ティーガーⅡの車長、赤星小梅は4号車のティーガーⅡ車長の直下に焦りを隠さず状況確認を行っていた。しかし、直下の答えは要領を得ない。向こうも状況を把握出来ていないのだ。

 

『……敵の作戦にやられた。P40から搭乗員を何名か降ろし、近くに伏せていた機関砲搭載型CV38に乗せて私の後背を狙ってきたようだ』

 

 そこに別の通信が割り込んできた。間違えようもない落ち着きのある声。

『隊長!?』

「隊長、怪我はありませんか!?」

『怪我は無い。だが……すまない。不覚だった』

 まほは敗北の苦渋も悔しさも感じさせない、平時と同じ声で言った。

『私が通信できるのもあと僅かだ、必要な事だけお前たちに伝えておく。敵隊長のアンチョビはCV38に乗り換え、商店区画を抜け出ようとしている。これ以上何かを起こす前に押さえろ。時間が経てば次の策を許す。西側は増援を待たずに攻撃を』

「わ、分かりました!」

『それと……副隊長、聞こえているか?』

『………』

 まほの声の僅かの変化を小梅は感じ取った。妹を気遣う姉の声。それに応える声は無い。

 

『……私のようにやる必要は無い。みほの思うままに動け』

 

 応答を待たずまほは言った。白旗が上がってから自身が撃破された事を状況報告含めて伝える事は許されているが、それは精々数分程度しか無い。

 果たしてまほの通信はそこで終わり、それ以上聞こえてくる言葉は無かった。

『こっちは敵隊長の追撃を行います! 西側に送った戦力の運用は、副隊長にお任せします!』

 直下も強い口調でそう言うと通信を切った。まほの撃破を防げなかったことで、相当頭に血が上っているようだ。

「………」

 小梅は大きく息を吸い、そして吐いた。

 

 まほが負けた事についての衝撃は小梅にも当然あった。

 しかし、皆が動揺している中で車長が取り乱してしまえばその戦車の士気は崩壊する。

 焦る気持ちを懸命に抑え、努めて平静な声で再び通信を行う。みほの搭乗するティーガーⅠに向けて。

 

「こちら3号車。副隊長、指示をお願いします」

『こちら2号車……3号車、副隊長ですが、その……』

 小梅の声に応えたのはティーガーの通信手だった。戸惑いの混じる声からも、良くない状況となっている事が容易に受け取れる。

「どうしたの?」

『副隊長が、話ができない状態で……どう説明したらいいのか』

「……!?」

 咄嗟に小梅は車長席の窓からティーガーⅠを見た。放送前まで前面に立ち砲撃を行っていたティーガーⅠは砲撃を止め、交差点の中央でまるで棒立ちのように停車したままとなっている。

『隊長撃破の放送を聞いた途端、車長席に座ったまま何も言わなくなってしまって……!』

「今、そちらに行きます! 砲手は車長の指示を待たず、牽制の砲撃を!」

 一旦ティーガーⅠへの指向性通信を止め、周囲の僚機に指示を出す。

「緊急により3号車より指揮を行います。全車両、2号車の前面に回って防衛をお願いします!」

 フラッグ車の異常に他の車両も気付いていたのだろう。小梅の指示に合わせ周囲の建物に隠れつつ攻撃を行っていたパンターやⅣ号駆逐、ヤークトパンターがティーガーⅠの前面に回り込んだ。小梅のティーガーⅡはその後ろに下がり、ティーガーⅠの側面に添うように停車した。

「副隊長の確認に行きます。角度を付けたまま任意に砲撃を行ってください。細かく狙う必要はありませんから、敵を近づけさせないで」

 砲手と装填手にそう指示を出すと、ハッチを開けて外に出た。激しい砲声が耳に刺さる。

「………」

 小梅は呼吸を整え、ティーガーⅡから身を出した。周囲を警戒しつつ降車し、小走りに戦車の間を駆ける。大洗側の攻撃は激しい。相手もこちらのフラッグ車の異常に気付いているのだろう。

 近くの建物に着弾。身体を竦め、足を止める小梅。だが自身の怯えを振り払うように首を振り、再び走り出す。

 僅かの距離が非常に長く感じ中、ようやく小梅はティーガーⅠに到着した。

 

「黒森峰女学園・ヤークトパンター、走行不能!」

 

 放送が流れる。ティーガーⅠと大洗側との射線を防いでいたヤークトパンターから白旗が上がっていた。

「んっ……」

 側面から砲塔へ登り、ハッチを叩く。程なく中から開かれ、ティーガーⅠの通信手の少女が顔を出した。

「すみません、小梅さん……」

「大丈夫。副隊長……西住さんは?」

「……さっきのままです」

 目を伏せてそう言うと、通信手は中に下がって小梅を促した。ティーガーの中に小梅も入る。

 

 

 決して広くはない戦闘室である。小梅が下りた眼前に、みほは座ってそこにいた。

 その顔は伏せられ、視線はひたすら自身の足元に向けられている。いや、外の世界を見ないようにしているだけか。

 

 

「赤星さん……どうして?」

 顔を上げないまま、みほは尋ねた。

「副隊長の具合が悪いと聞きましたから……」

「そう……ごめんね」

 至近弾が車体を僅かに揺らす。仲間が必死に防いでくれているとはいえ、止まったままのティーガーの巨体を庇い切るのは困難だ。内心の焦りを抑えつつ、小梅はみほに言った。

「副隊長……その、隊長が負けてしまった事がショックだったのは分かります。私たちも同じです。でも……まだ、試合は続いています。どうか指揮を……」

「……そうじゃないの」

「え?」

 みほは小梅の言葉を否定すると、顔を上げた。

 

 その瞳には、何も映ってはいなかった。

 確かに向きだけは小梅の方を向いているが、明らかに焦点が合っていない。

 そのままみほは、まるで自身に言い聞かせるかのように言った。

「試合とかじゃなくって……もう、戦えないから」

 

「ど、どうしてですか?」

 予想外のみほの返事に戸惑いつつも小梅は問い返した。みほはそれに対して、困ったように眉を少しだけ寄せると言葉を続けた。

「このまま戦って、勝っても、お姉ちゃんが負けた事に変わりはなくって……それって、私が、その、勝つ意味が無くなっちゃったって、事だから」

「……勝つ意味が、無い?」

 小梅は息を呑み、みほの顔を正面から見た。

 

 ひょっとすると自分たちは、何か致命的な思い違いをしていたのではないか?

 この姉と共に無敵を誇っていた副隊長は───黒森峰の勝利に貢献し続けてきた、そして、前大会で身を挺して水没した戦車から自分を救おうとしてくれたこの少女は───今まで、何のために戦っていたのだ?

 

 自分が今から言おうとしている言葉の重大さを分かりつつ、小梅は聞いた。

「副隊長……いえ、みほさん、教えてください」

 階級でなく、名前を呼んで小梅はみほに向かい合った。

「もしかして、みほさんは今まで……黒森峰のためでなく、隊長の、お姉さんのためだけに戦っていたんですか?」

「……うん」

 僅かの沈黙の後、みほは頷いた。

「お姉ちゃんのためと……西住流のため、かな」

「………!」

 その言葉で、小梅は何故みほが戦意を喪失しているのかを理解した。

「仮にここでみほさんが指揮を執り、試合に勝ったなら……撃破された隊長よりみほさんが優れていると思われかねない。そう、思っているんですか?」

「……うん」

 膝に置かれた、小さなみほの手が震え始めた。

「お姉ちゃん、西住の家を継がなくちゃいけないって事が決められてて……それの、少しでも支えになりたくって、戦車に乗ってきて……だから、だから、ここでもし、私が勝ったら、お姉ちゃんが……!」

 光を宿さない瞳に、涙が滲み始める。

 

 

 戦車道とはスポーツである。

 それは同時に、実力がそのまま問われる世界であるという事でもある。

 如何に相手の奇策が想定外のものであったとはいえ、一敗地に塗れたという事実は動かせない。

 だからこそ、みほは姉のまほよりも無様に負けようとしているのだ。

 そうしなければ、心無い者がまほを謗ると彼女は確信しているのだ。

 

 

「だ、だから、ここで、負けない、と……!」

 言葉を続ける事もできなくなり、そのままみほは嗚咽を始めた。小梅の問いに答えた事で、必死に自身の中で押さえていた感情や、混乱や、衝撃が一度に彼女の中に押し寄せているのだ。それを自身でも制御できなくなっているのだろう。

 車内にまで響く衝撃音と共に車体が揺れた。防盾に食らったか。

 一斉射撃を仕掛けてきたようだ。立て続けの着弾音。一際大きな音。

 

『黒森峰女学園・Ⅳ号駆逐戦車、走行不能!』

 

 放送が流れる。

 小梅は息を吸い、最後の質問を言った。その答えによっては、今まで築き上げてきた様々なものが崩れると分かっていても。

「みほさん……戦車道、好きですか?」

「……大嫌い。戦車も、西住流も」

「……そうですか」

 小梅は息を吐き、瞳を閉じた。予想していた答え。聞きたくなかった答え。

 

 この眼前で嗚咽する少女は、姉のためにという一心で、乗りたくもない戦車に乗り続け、勝ち続けてきたのだ。ただ戦車道の名家に生まれ、卓越した才能を持っていたというだけで。

 みほとまほの仲が悪ければ、あるいはみほが自分を優先する程度に融通の利く性格だったならば、ここまで彼女を追い詰める事は無かっただろう。だが───二人の姉妹は仲良く、彼女は自分を捨ててでも助けようとする、優しすぎる性格だったのだ。

 そして同時に、小梅は自身への怒りを覚えた。中学から何年も戦車道を共にしてきて、何故彼女が抱えていた重みに気付けなかったか。何故その重みを欠片でも軽くする事ができなかったか。それで友人面をしていた自分が情けなく、また腹立たしかった。

 

 しかし、それでも───

 

「……それでも、私はみほさんと一緒に勝ちたいです」

 

 小梅はみほの膝に置かれた手を握った。

「赤星……さん?」

「みほさん、覚えていますか? 去年の大会で、私たちが水没した時のこと」

「……うん」

 戸惑いつつもみほは頷いた。小梅はみほの瞳を見詰めつつ言う。小手先の言葉でなく、隠し立てない自分の言葉が僅かでも彼女の心に届くように。

「あの時、本当に怖くて、不安で……助けに来てくれた事が、本当に嬉しくて。でも、それからみほさんは色々な人に怒られて……だから、私も決めていたんです。今年こそは、みほさんに笑顔でお姉さんと一緒に優勝旗を持ってもらいたいって」

「………」

「まほさんが隊長として優れているのは、私たち黒森峰全員が証人です。誰かがそれに物を言おうと、絶対に認めさせません」

「赤星さん……」

 声が震える。小梅は自分を奮い立たせつつ更に言った。

「お願いします……今だけでいいです。みほさんが戦車を嫌いで、自分から戦う理由が無いと言うなら……今だけ、私たちのために戦ってください」

「………」

「お願いします……!」

 

 それは数秒か、もしくはそれ以下の僅かな時間。しかしそれは小梅にとっては数時間にも感じる沈黙だった。

「………」

 みほは何かを言おうと口を開き、途中で止め、大きく息を吸った。

「……分かった、やってみる」

 

「……よろしくお願いします、副隊長」

 小梅はみほの手を握り締め、それを離すと頭を下げた。

 みほは改めて車内の搭乗員に言った。

「みんな、ごめんなさい……その、酷い事を言っちゃったけど、まだ一緒に戦ってくれるかな?」

「もちろんです、副隊長!」

「砲撃準備は整ってます!」

 静かに二人の話を聞いていたティーガー砲手と装填手が即座に答えた。

「戦車道が嫌いってのは驚きましたけど、私たちはどうなんですか?」

「え!? う、ううん、みんなは大好きだよ!?」

 通信手からの質問に慌てつつ、みほは答えた。

「それなら問題ありません! すぐに全車両に通信を開きます、指示を出してください!」

 そう言って通信手は機材を手際よく操作し始めた。

「履帯、転輪共に被害なし、何処でも行けます!」

 車長席から一番離れている操縦手が大声で言う。

「……分かりました!」

 各員の返答に、みほは頷いた。

「では、副隊長。私は3号車に戻ります」

 小梅はその姿を見届けると、一礼してハッチに上がっていく。みほは小梅がティーガーⅠから安全な距離まで離れた事を確認すると、今度は自分が砲塔から身を出した。周囲の状況を確認し、喉頭マイクに手を伸ばした。

 

「ごめんなさい、私の迷いから被害を広げました。改めて隊長に代わり、2号車副隊長が指揮を執ります。台数で相手が上回りましたが、もうすぐ東側からⅣ号駆逐3両とパンターの増援が到着します。私と3号車で前衛を張りますから、11号車は後退して合流、後方支援の態勢を整えて下さい!」

『3号車、了解です!』

『11号車、同じく了解!』

 残った二両から間髪入れず応答が来る。みほは口元を引き締め、敵方向を見た。

「落ち着いていけば、私たちは必ず勝てます! パンツァー・フォー!」

 

 

 西側の戦況が動く一方、東側ではカーチェイスが繰り広げられていた。

 

「ええい! しつっこいったら無い!」

「パンターが撃破されていたのが救いだな。アイツが居たらとっくに追い抜かされている」

 後方を確認しつつ毒づくアンチョビに、麻子はあくまで冷静に返す。

 彼女らのCV38は東側の大通りを今までとは逆向き、郊外に向けて走らせていた。それを後ろから追うのはティーガーⅡ、Ⅳ号駆逐、エレファントだ。

 CV38の上には何か板らしき物が括りつけられ、それがバタバタと風で煽られている。だが、速度を出し切れていない理由はそれでは無かった。

「!? エレファントが止まった、来るぞ!」

「ほーい」

 アンチョビの警告に合わせ、麻子はCV38の速度をやや落とし左右に車体を揺らした。直後にそのやや前方に88mm徹甲弾が撃ち込まれた。アスファルトが弾けるように砕け、砕片がCV38にも降りかかる。

「どうする? このままだと西側どころか都市部から追い出されるぞ」

「ちょっと待ってくれ! 何とか逆転の手を考えてるから……!」

「で、何か思いついたか?」

「………」

「……急いでくれ」

 

 遮蔽物の無い郊外まで追いやられれば、装甲も火力も無いCV38では容易に撃破されてしまうだろう。とはいえ、3両に追いかけられ絶えず砲撃を受けているこの状況では横道に隠れる事も出来なければ反撃の糸口を掴むことも出来ないでいる。

 商店区画を抜け出ようとしたCV38に対し、東側の部隊の反応は迅速だった。大通りに出てきた所を待ち伏せ西側への移動を防ぎ、そのまま追撃を開始してきたのだ。1発当たれば白旗のCV38では、それに対し逃げるしか選択肢は無かった。

 

 

 それを見下ろす高速道路の高架に1両の戦車があった。大洗側で偵察任務を行っていたM3Leeである。

「どうしよう……アンチョビ隊長、3両に追いかけられてる!」

 その様子を確認したM3Lee車長の澤梓は車内に戻り、ウサギチームの皆に相談した。

「高速を降りて助けに行こう!」

 操縦手の桂利奈の提案に、主砲砲手のあゆみが反論する。

「今から降りに行っても間に合わないし、間に合っても3両相手じゃ勝ち目無いよ!」

「ここから隊長を追いかけているヤツらを狙えないかな?」

 副砲砲手のあやが言った。梓は顎に指をあてて考える。

「それしか無いかな……あゆみ、大通りを垂直に狙えるところのフェンスを破壊して。桂利奈はギリギリまでそこに寄って」

「了解! 桂利奈、方向修正お願い!」

 手慣れた動作であゆみは砲手席に着き、車体の旋回を待った。M3Leeの主砲は左右への大きな狙いは車体を動かすしか無いのだ。

 フェンスに垂直になったのを確認し、主砲から榴弾が放たれる。薄いコンクリートで造られた壁は容易に破壊され、大通りへの射界が開く。

 梓はアンチョビへの通信を開いた。

 

「こちらウサギ、高架から敵を狙ってみます。そのままこちらに向かってください!」

『こちら子イワシ、助かる!』

 

 アンチョビからの安堵の声。梓は通信を終えるとあやに指示を出した。

「着弾位置を調整するよ。あや、一回撃ってみて。狙いはⅣ号駆逐、こっちに向かってきてるから少し前を狙って」

「りょーかい。えーっと……この位かな?」

 副砲の砲手席、あやは大凡で着弾位置を予測して狙いを付けた。

「おりゃ!」

 かけ声と共に37mm砲を放つ。タイミングを少し外したのか、砲弾は僅かにⅣ号駆逐の後方に着弾した。敵の速度は落ちない。多少のリスクを覚悟の上で、ここでアンチョビを何としても仕留めるつもりなのだろう。

「ごめん、外しちゃった!」

「大丈夫、次で当てるよ。あゆみ、主砲の俯角を10度下げて。タイミングは私が出すから」

「了解!」

 梓は車長席から慎重に狙いを定めた。高架を通過されれば攻撃のチャンスは無くなる。撃てるのは多く見積もっても数発か。

 Ⅳ号駆逐は狙いをかわすために蛇行しつつ進んでいる。しかしその動きは一定だ。梓は放たれる砲弾の弾道のイメージと動きのラインが一致するタイミングを測る。

 

「───撃て!」

 

 梓の攻撃の指示と共にあゆみがトリガーを引いた。

 放たれた75mm徹甲弾は、狙い過たず蛇行していたⅣ号駆逐の上面を撃ち抜いた。

 

『黒森峰女学園・Ⅳ号駆逐戦車、走行不能!』

 

「よしっ!」

「まだだよ。次、その後ろのエレファント!」

 小さくガッツポーズをするあゆみ。梓は気持ちを緩めず次の攻撃指示を出した。

 残る追手はティーガーⅡとエレファント。牽制役だったⅣ号駆逐が撃破されたからか、今までの躍進射撃ではなく行進間射撃で連続でCV38に撃ち込み始めている。

 重駆逐戦車であるエレファントはⅣ号駆逐に比べれば動きも重く、サイズも大きい。装甲こそ重厚だが、上面装甲であればM3Leeの短砲身75mmでも貫通可能なはずだ。

「装填完了!」

「了解!」

 あゆみからの報告。梓は再び狙いを定める。

 

「───撃て!」

 

 その瞬間、全速を出していたエレファントが僅かに速度を落とした。

「え!?」

 エレファント上面を狙った砲撃は、追加装甲を施されたエレファントの前面に吸い込まれた。砲弾は200mmの装甲に容易に弾かれ、損害は無いようだ。

「こっちの発射タイミングを読まれた!?」

「凄い、流石は黒森峰!」

「感心してる場合じゃないよー!」

 感嘆するあゆみとあやに梓が言った。

 そうする間にもエレファントは再加速を始めていた。高架を過ぎるまであと僅か。

「どうしよう……もう一度狙って、同じことをされたら今度こそ……」

 高速道路の車線は広く、中央はフェンスで区切られている。ここから反転して再攻撃の準備をする前に、彼女らは行ってしまうだろう。梓の額に汗が浮かぶ。

「………」

 その時、梓の肩を誰かが叩いた。

「ん?」

 振り向くと、装填手の紗希が無言でこちらを見詰めていた。

「どうしたの、紗希?」

「………」

 無言のまま、紗希は外のある一点を指さした。フェンスで破壊された箇所。その指先はやや下を指している。

「……まさか、紗希!?」

 彼女のその指が何を示しているかが分かり、梓は驚きを隠さず言った。

 

 丸山紗希。

 彼女をよく知らない者は「極端に無口で、何を考えているか分からない少女」と言う。

 しかしウサギチームの少女たちは言う。「彼女は誰より雄弁だ」と。

 紗希の行動や表情には僅かな変化の中に多彩なメッセージが込められており、それが読み取れれば普通にコミュニケーションは可能と言うのだ。

 例えば、お昼の弁当箱を開けて無表情に見つめているだけに見える様子でも、「今日のお弁当は昨日の夕飯の残りでがっかりだ」というのが彼女らには伝わるらしい。

 その挙動を理解できる梓が受け取ったメッセージは───

 

「マジですか!?」

「えーっと、それって大丈夫なの?」

「多分、大丈夫だと思うけど……」

 驚くあやと優季に、梓が自信なさげに答える。

 

「……隊長、助けないと」

 

 そう言うと紗希は猫のように体を丸めた。その様子を見て、梓は紗希が本気であると悟った。

 外を見る。既にアンチョビのCV38は高架の間近まで来ていた。迷う時間は無い。

「……分かった。行こう! 桂利奈、エンジンの回転を上げて! みんなは頭を守りながら衝撃に備えて!」

「……梓、アンチョビ隊長に似てきてない?」

「分かった! やったるぞー!」

 苦笑しつつ、あゆみは手近な物に摑まった。桂利奈は気合を入れつつペダルに足をかける。

 梓はアンチョビに通信を送った。

「こちらウサギ、頭上に注意しておいてください」

『な、何をするつもりなんだ?』

 アンチョビの問いに、梓ははっきりと答えた。

「……飛びます!」

 

 紗希が伝えたかったメッセージは非常に単純だった。

『ここから戦車ごと落ちよう』

 

 CV38が高架を通過した。既に俯角が足りない事を知っているのだろう。上のM3Leeに警戒する事無くエレファントと後方のティーガーⅡが向かってくる。

「……発進!」

 梓の指示で桂利奈はブレーキを離し、アクセルを踏み込んだ。急加速でアスファルトが割れる。

「梓! 技、技の名前!」

「え!? な、何!?」

「こーゆー時は必殺技の名前を叫ぶの!」

「わ、技の名前!?」

 M3Leeがついに高架の境界を超えた。

「え!? え!? えーっと……!」

 天地がさかさまになる。

「ラ……!」

 その中、梓は叫んだ。

 

 

「ラ、ラビット・アターック!」

 

 

 落下したM3Leeの27tの巨体は、完全なタイミングでエレファントの上面に突き刺さった。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第四十一話 終わり

次回「虎の覚悟と鴨の意地」に続く


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