第四話 二匹の虎とサラミとイワシ
「大洗女子学園、8番!」
壇上のアンチョビが数字札を掲げ、中央に大きく表示されているトーナメント表の中央近くの空欄に「大洗女子学園」というプレートが掛けられる。
高校戦車道全国大会トーナメント抽選会場。参加者の大半はこの無名校のエントリーに無反応であり、その対戦相手のプラウダ高校の二回戦進出がほぼ確定したであろう事を察しただけだった。
「大洗女子学園……過去に戦車道をやってたみたいだけど、実質新設校ね」
その最後列に、小柄な少女を肩車する長身の女性―――年齢的には同じなので、本来は少女と呼ぶのが適切ではあるのだが―――という二人組がいた。上の少女がトーナメント表を眺めながら言う。
「これならば、初戦は戦力を温存できそうですね」
下の女性が落ち着いた口調で返す。上の少女は彼女を見下ろし、遠慮するように言った。
「ね、ねえ、ノンナ。それなら次の試合は……」
「分かっています……彼女らにも復帰の機会を与えましょう、カチューシャ」
「……お願いするわ」
「………」
客席、中央付近。こちらも二人組。
「統帥(ドゥーチェ)、やはり大洗に……」
「あいつを統帥なんて呼ぶな」
右に座るセミロングの金髪の少女の呟きに、左側のショートカットの黒髪の少女が切り捨てるように言った。肩に付けられたマントが微かに揺れている。
「……すみません、統帥」
「あ……いや、こっちこそ、悪かったッス」
謝る金髪の少女。それに対して黒髪の少女も素直に謝り返す。だがその表情は険しいままで、参加者席に戻るアンチョビを視線は追い続けていた。
「アンチョビ……!」
カタクチイワシは虎と踊る 第四話 「二匹の虎とサラミとイワシ」
戦車道連盟会館内、戦車カフェ。そこに大洗の制服を着た6人の少女がテーブルを囲んでいた。呼び出しボタンを押すと砲撃音が鳴り、パンツァージャケット風の制服に身を包んだウェイトレスが足早に来る。
「ご注文、お決まりでしょうか?」
「チョコレートケーキ二つといちごタルトにレモンパイ。ニューヨークチーズケーキにティラミス。全部セットでお願いします」
「セットのお飲み物は?」
「オレンジジュース4つとウーロン茶、あとカプチーノで」
「ありがとうございます。ご注文繰り返します……」
華が出際よくウェイトレスに注文を伝える。
「こんなお店があるんだねー」
「戦車道は女性の競技だからな。他にも戦車道レストランや戦車道料亭もあるぞ」
「聞いたこと無いんだけど、適当な事言ってないでしょうね?」
初めて見る戦車カフェに驚く沙織に、アンチョビが本当かどうか分からない話をする。
それにツッコミを入れるエリカ。やがてドラゴンワゴン型のカートに乗せられたケーキが届けられてくる。全員分揃ったところで、皆で食べ始める。
「……それにしても隊長。貴女、本当にくじ運が悪いわね」
エリカがチョコケーキにフォークを入れつつアンチョビに言った。その言い方は辛辣だが、「隊長」の響きは呼び慣れたそれだ。
「そうなの?」
「プラウダ高校は去年の準優勝校です……特に去年の決勝戦は接戦で、黒森峰側の車両の水没。それを救おうとしたフラッグ車長の西住みほさんが飛び込む等のアクシデント等もあって『あと数秒プラウダが撃つのが早ければ黒森峰10連覇は無かった』とまで当時は言われていました」
「そんなに強い所なんだ……」
沙織の質問に優花里が説明する。
「まあ、そんなに言う程悪くはないぞ」
良く冷えたティラミスを口に入れてからアンチョビは答えた。抽選会中に取った対戦の組み合わせのメモを広げて続ける。
「どの道、優勝しようと思ったらいわゆる四強……黒森峰、サンダース付属、プラウダ、聖グロリアーナ、彼女らのうち二校との勝負は避けられない。むしろ数を揃えられない我々からすれば、準決勝の15対15ルールでかち合うよりはマシだったとも言えるな」
「……せめてもう少し、練度を上げてからぶつかりたかったわね」
メモを見つつエリカが呟く。大洗のメンバーの吸収力はエリカ自身も驚くほどだったが、それでもまだ、ようやく戦略的な連携ができるようになった程度だ。不安は否めない。
「それに、これなら黒森峰とは決勝戦までかち合わない。ギリギリまで備えができる」
トーナメント参加校は16校でシードは無し。昨年優勝校の黒森峰も一回戦から勝ち上がるシステムで、4回勝てば優勝となる。
右側のAブロック8校の組み合わせは―――
第一試合・知波単学園 VS ヴァイキング水産
第二試合・アンツィオ高校 VS ワッフル学院
第三試合・継続高校 VS BC自由学園
第四試合・大洗女子学園 VS プラウダ高校
左側のBブロック8校の組み合わせは―――
第五試合・サンダース付属 VS ヨーグルト学園
第六試合・聖グロリアーナ VS 青師団高校
第七試合・ボンプル高校 VS マジノ女学院
第八試合・黒森峰女学園 VS コアラの森学園
確かにこう見れば、アンチョビのくじ運は悪くなかったと言えるだろう。下手をすればサンダース、聖グロ、黒森峰との三連戦も有り得た訳だ。
とはいえ、ではプラウダ以外のAブロック校が弱小かと言えば決してそんな事も無い。
「名無し」を自称する謎めいた隊長の強さで知られ、個人戦ならば西住姉妹すら上回ると噂される継続高校。近年は低迷化が続くが、突撃力と士気の高さでは全校屈指と称される古豪・知波単学園。他の中小校にしても隠し戦力が無いとは限らない。そして―――
「……アンツィオと当たるとしたら準決勝か」
アンチョビが呟きつつ、メモの校名の箇所をペンで叩く。その表情は普段の彼女には似つかわしくない苦悩の影が見える。エリカはそれに気付きながらも、あえて言った。
「手を抜いたら、アンタから隊長の権利を迷わず奪うわ」
「お、おっかないな、もう……大丈夫だ。こっちだって本気で勝たないと、だからな」
少したじろぎながらもアンチョビは明確に答えた。そこに迷いは感じられない。
「ならいいけど……」
更にエリカが言い募ろうとした時、彼女らのテーブルの横に一人の少女が立った。
「あの、えっと……逸見さん、だよね?」
「!?」
その瞬間、エリカは自分の心臓が止まったかのような感覚に陥った。息が詰まり、顔から血が引く。何か言葉を発しようと口を開いても、声が出ない。更に無理矢理に声を出そうとして、ようやく出たのは一言だけだった。
「西住……さん……!?」
そこに立っていたのは平凡な少女だった。
肩口で短く切られた亜麻色の髪と丸みある瞳、やや垂れ気味の眉は彼女に穏やかな印象を与えている。シンプルな大洗の制服でも着ればそれこそ何処にでもいる女学生の一人としか見えないだろう。少なくとも、今の彼女が身を包んでいる黒森峰のパンツァージャケットよりは異質ではない筈だ。
「良かった……会場で見かけて、もしかしたらと思って」
エリカの返答に人違いではない事が分かったのか、彼女、西住みほは安堵の息を吐いた。
「に、西住さん……その、わ、私は……」
一方、エリカは未だに満足に声を出せなかった。言いたい事が無い訳ではない。思っていた事が無かった訳もない。むしろ逆だ。だが余りにも一度に自身の中に生まれた感情が多すぎたため、急な遭遇にそれを発する事ができなくなっている。
「戦車道、まだ続けてくれてたんだ……その、黒森峰を転校して、止めたと思ってたから」
そう話すみほは心から嬉しそうだった。しかし、エリカの様子はまるで逆だ。
「(おいおい、このまま死なないよな?)……いや、本人はあまり乗り気じゃなかったけど、私がお願いしてウチの戦車道に参加してもらったんだ」
「貴女は? えっと……」
「アンチョビだ。この大洗女子学園で隊長をやらせてもらっている」
見かねたアンチョビが横から助け舟を出した。尋ねるみほに誇らしげに名乗る。
「初めまして。西住みほです……あれ? でも確かアンチョビさんって……」
「……元アンツィオ高校の隊長。入学後の二年でアンツィオの戦車道を復活させた立役者」
彼女の名乗りと記憶の食い違いにみほが質問しようとした時、彼女の後ろから別の声。
「は……はわ……!」
みほを後方から憧れの目で見ていた優花里が衝撃で声を漏らす。
黒森峰のパンツァージャケットを着た少女が一人。髪型こそみほに近いが、細い眉と吊り目がちな瞳は彼女と逆の鋭利な印象を見る者に与えている。その襟には黒森峰の隊長である事を示す徽章が付けられている。
常勝無敗。高校戦車道最強の黒森峰の更に頂点に立つ存在。西住まほ。
「数か月前に突然アンツィオから姿を消したと噂で聞いたが……大洗に行っていたのか」
「……ご存じとは光栄だな。西住まほ殿。まあ、色々とあってな」
まほから差し伸べた手を丁重に握り返す。握手を終えたまほは、血の気の引いた顔のままのエリカを見て言った。
「ただ……まさかエリカまで大洗に行っていたとは予想外だったが」
「た、たい、隊長……」
震える唇で言葉を発する。違う、彼女は黒森峰の頃の元隊長だ。今の自分にとっての隊長はアンチョビだ。分かる。分かっているのだ。
「……まだ戦車道を続けているとは思わなかった」
「っ!?」
エリカの脳裏に黒森峰戦車道を辞めた日の事がフラッシュバックする。叫ぶ自分、横でオロオロとするばかりのみほ。それを見つめる、今と同じ視線のまほ。
違う、二人とも悪くない。悪いのは―――
「隊長、私は……!」
「ちょっと待ったぁー!」
エリカが何か言葉を発しようとしたその時、カフェ内に第三者の声が響いた。
「申し訳ありません、お客様。他のお客様のご迷惑になりますので大声は……」
「あ! すみませんッス……」
店員に注意され、その人物は素直に謝った。改めてその場の8人の前に立つ。
跳ね気味の黒髪を左でのみ結んだ少女。ベレーと白タイツが特徴的なアンツィオ制服の上からマントを羽織り、手には乗馬用の鞭。
その後ろにはもう一人、艶やかな金髪を肩口まで伸ばしたやや長身の少女。
二人を見て、アンチョビは安心したような、それでいて寂し気な口調で言った。
「……やはりお前が次の統帥(ドゥーチェ)になったか。ペパロニ」
「気安く呼ばないでほしいッスね!」
鞭をアンチョビに向け、険しい表情で彼女、アンツィオ高校元副隊長にして現統帥のペパロニは言った。その後ろの副官、カルパッチョが申し訳なさそうに頭を下げる。
「金目当ての裏切者に、先輩顔をされたくはないッスよ」
「………」
ペパロニの言葉にアンチョビは何も返さない。ただ、彼女の敵意の込められた視線を正面から受け止めている。眼を逸らさず、口元を引き締めて。
「……金目当て?」
眉をひそめるまほに、ペパロニは更に言葉を続けた。
「そうッスよ。姐さ……いや、こいつは、大洗の生徒会長に金を積まれてアンツィオを捨てて大洗に行った裏切者ッス!」
「……で、それだけを言いに来たのか? ペパロニ?」
アンチョビの表情には苦悶も動揺も無い。それは本心からか、あるいはブラフか。
ペパロニはその言葉を受けて、改めて大洗のメンバーの方を向いた。
「勿論、それだけじゃない……宣戦布告ッスよ」
「宣戦布告?」
「『裏切者には死を』―――今大会、アンツィオは今までの勝者を応援する流儀を捨てて全戦力をもって準決勝で大洗を潰す事を宣言するッス! 優勝なんてどうでもいい。例え準決勝で全ての戦車が壊れても……アンタ達を刺し違えてでも倒すッス」
「……それがアンツィオ高校の総意ならば、それも一つの判断だろう。みほ、行くぞ」
両者の話が黒森峰に向けられたものでない事を察したまほは、みほに退出を促した。
「あ、うん、お姉ちゃん……エリカさん、またね」
「………」
エリカは答えない。まほは去り際、ペパロニとアンチョビに向けて言った。
「盛り上がるのは結構だが、まず足元を掬われない事だ……特に大洗は気を付けた方がいいだろう。今年のプラウダは去年と違うぞ」
「……ご忠告、感謝するよ」
視線はペパロニ達に向けたまま、アンチョビは礼を言った。改めてペパロニに言う。
「まあ、言うだけなら誰でもできる。まずはお互い準決勝を目指そう」
「……アンツィオも、アンタの記憶のアンツィオとは違うッスよ」
不敵な笑みを浮かべて、ペパロニはマントを翻して背を向けた。その数秒の間を使い、カルパッチョがアンチョビに駆け寄った。周囲に聞こえない、僅かのやりとり。
「(すみません。統帥)」
「(気にするな。予想の範疇だ……お前には負担をかけるな)」
「(いいえ)」
「(……買えたんだな?)」
「(……はい)」
「(良かった)」
カルパッチョは再度頭を下げると、店員に叱られているペパロニのフォローに戻った。
テーブルの上のケーキは変わらず残っていたが、場の空気はまるで嵐が過ぎたようになっていた。力尽きたように机に伏しているエリカ。半ば呆然としている沙織、いつの間にかケーキを食べ終わっている華、生の西住姉妹と遭遇できて恍惚とした表情の優花里、淡々とケーキを口に入れる麻子。
「……ケーキ、もう一つ頼みましょうか?」
「う、うん、そうしよっか!」
「私も貰おう。エリカは?」
「……いらないわ」
「私はまだ残ってるからいい」
「はわぁ……西住姉妹、凛とした姉のまほさんも、穏やかなみほさんも素敵です……!」
「……まだ戻ってこなさそうだな」
優花里を横目にアンチョビはぬるくなったカプチーノを一口飲み、沙織に聞いた。
「……聞かないのか? 私に」
「え?」
「ほら、さっきペパロニが言ってた事」
「うーん……いいや。アンチョビが理由も無しにそんな事する人じゃないのは分かるし」
「生け花には、その人の心が出ます……戦車道も同じだと思うんです。アンチョビさんの教え方や言葉には、私は悪意は感じません」
沙織は少し考え、あっさりと答えた。華もそれに同意する。同じく麻子も。
「それに、そんな器用に裏表を作れるほど複雑な事は出来無さそうだしな」
「酷いな!? でも……ありがとう。少ししたら言えると思う。それまで待っててくれ」
感謝しつつ、アンチョビはカプチーノを飲み干した。
その後大洗学園艦に戻ると、早々に戦車道連盟からの通達が届いていた。第一回戦の場所、ルーレットでランダムに決められる戦場が決定したのだ。決定後は72時間以内に開催地に寄港し登録申請をする必要があり、それまでは準備期間となる。
「……これは、面白くなってきたな」
封筒を開けたアンチョビは、楽しそうに笑った。
『第一回戦開催地 砂漠』
カタクチイワシは虎と踊る 第四話 終わり
次回「英雄はイワシに嘆く」に続く