カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第三十九話 虎と、虎

 ヤークトパンターの88mm砲がビルのコンクリートを穿つ。

「おっとと!」

 レオポンチーム操縦手のツチヤは、慌ててポルシェティーガーをビルの隙間に引っ込ませた。

「流石は黒森峰、市街戦も慣れたもんだ」

 車長席のナカジマが落ち着いた口調で言う。そこにⅣ号戦車のエリカからの通信。

『こちらトラ。レオポン、大丈夫?』

「何とか持ちこたえてるって所かな。ただ、やっぱり2両で5、6両の相手はしんどいねー」

 

 都市中心部・西側。陸橋破壊前に西側に移っていたⅣ号戦車とポルシェティーガーはそこに陣取り、進攻してきた黒森峰の西住みほの部隊と交戦していた。瓦礫を利用した即席の戦車壕を作り、そこで迎撃を行っている。

 相手は少なくとも5両以上。だが、遠距離からの砲撃のみで突撃してくる気配はない。

 

「何で一気に攻めてこないんだろう?」

 ナカジマの疑問にエリカが推測を返す。

『相手からすれば焦る必要は無いわ。多分、東側からの増援を待ってる』

「そうなったら一斉に突撃か……」

「こっちの作戦を展開するどころじゃ無さそうだね」

 車内のホシノとスズキが言った。その口調はナカジマ同様に落ち着いているが、額に浮かぶ汗までは抑えられないようだ。

『今は耐えましょう、作戦通りならあと少しで……!』

 エリカがそう言った時、周囲に放送が響いた。

 

『黒森峰女学園・Ⅳ号駆逐戦車、走行不能!』

 

「……隊長?」

 ナカジマの呟き。それからさほどの間を置かずに更に放送。

 

『黒森峰女学園・パンターG型、走行不能!』

 

『黒森峰女学園・パンターG型、走行不能!』

 

 それは攻撃側の黒森峰の部隊にも動揺を与えたようだ。砲撃が一時止み、僅かの休息をナカジマ達に与えてくれる。

『……頑張ってくれているみたいね、隊長も』

「私たちも負けてられないね」

 ナカジマは唇を湿らせ、不敵に笑った。アンチョビから通信が入る。

『こちらイワシ、これから西住まほと交戦に入る! そっちにアヒルとカモを増援で送るから、あとちょっと持ちこたえてくれ!』

『こちらトラ、了解。早めに頼むわよ』

「レオポンも了解! 隊長、頑張ってね」

『そっちもな……それじゃ、行ってくる』

 アンチョビの静かな、しかし決意の込められた言葉。通信を終え、ナカジマは車内の皆に言った。

「相手が動揺している内に少しでも削るよ、砲撃準備!」

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十九話 虎と、虎

 

 

『こちら二号車! お姉ちゃん、そっちの状況は!?』

「敵は対戦車障害物を用意していたようだ。住宅街の各所にそれを配置して我々の進攻を防ぎ、足止めされたところを狙い撃ちされた」

 市街地の住宅街周辺。ティーガーⅠは交差点の中央に停止していた。その砲塔から身を出して周囲の状況を確認しているのは西住まほだ。

 放送を聞いたみほからの焦りの混じる通信に、まほは平時と変わらない口調で答えた。

『そんな物、どこから……?』

「事前にどこかに隠していたか、あるいは資材置き場なりに置かれていた物を即興で利用したか……いずれにせよ、こちらからの増援はしばらくかかりそうだ」

『なら、私たちだけでフラッグ車に……』

 そうみほが言いかけた時、まほの耳に通信機越しに砲声と衝撃音が届いた。さほどの間を置かず放送が流れる。

 

『黒森峰女学園・Ⅲ号戦車J型、走行不能!』

 

「………」

『申し訳ありません隊長! ポルシェティーガーの砲撃に抜かれました!』

 

 Ⅲ号戦車車長からの通信。

「(これで残り13両……随分と減らされたものだ)」

 まほは胸中でそう自嘲すると、二手に分かれた部隊の編制を改めて整理した。

 

 東には―――

 ティーガーⅠ(まほ搭乗) ティーガーⅡ(直下搭乗) 

 パンターG型×1 Ⅳ号駆逐×4両 エレファント×1

 

 西には―――

 ティーガーⅠ(みほ搭乗) ティーガーⅡ(小梅搭乗)

 パンターG型×1 Ⅳ号駆逐×1 ヤークトパンター×1

 

 対して大洗側は都市への突入前に二両が撃破され、西側に確認できているのはⅣ号戦車とポルシェティーガー。それ以外の車両は隠れつつ動き回っているようだ。散発的な目撃情報こそ僚機から入るものの、具体的な場所を特定するまでには至っていない。

「……相手が何を仕掛けてくるか分からない状況だ、ここは確実に攻めていこう。こちらは西側へ抜ける道を探りつつ近辺の敵を掃討する。みほはそれまで足止めを優先して、敵の行動を妨害してくれ」

『分かった。攻められそうなら仕掛けてみるね』

「無理はするな」

 みほの言葉に気遣いの言葉をかけた後、まほは少し考えてから言った。

「……みほ」

『何、お姉ちゃん?』

「万一の際は、指揮を頼む」

『え?』

「……いや、何でも無い」

 らしくない感傷だ。まほは少し頭を振り、自身の中に沸いた感情を払った。

 みほとの通信を終え、改めて周辺の僚車に指示を送る。

「この周辺の建築現場、資材置き場などのどこかに敵の障害物を隠している場所があるはずだ。4号車・直下は15号・19号車と共に捜索にあたれ。残りの4両は警戒しつつ西側への突破ルートを探れ。敵も移動が必要な以上、抜ける道は必ずある」

『了解しました! その、隊長は?』

 直下からの質問に対し、まほは静かに答えた。

「ここで迎え撃つ」

『……はい!』

 まほの意図を察し、直下は短く答えるとティーガーⅡを町郊外へと向けた。それに随行するⅣ号駆逐とエレファント。

 一旦撤退し再集結していたパンターとⅣ号駆逐3両も、今度は分散せずに編隊を汲みつつ西側へと向かってゆく。

「………」

 その様子をまほは無言で見送った。やがて各車両の姿が消え、交差点には彼女のティーガーⅠだけが残る。

「………」

 まほは無人の交差点で、砲塔から身を出したまま眼を閉じた。弱い風が髪を揺らす。

 

「……来たか」

 

 履帯音が耳に届く。右を見る。

 P40がその先にいた。まほと同様に砲塔から身を出す、マントを羽織ったツインテールの髪型の少女。

「……随分と分かりやすく誘ってくれるじゃないか」

 その少女、アンチョビは口元に笑みを浮かべつつ言った。それは虚勢か、あるいは勝利への確信か。まほはそれに眉一つ動かさずに答えた。

「だが、お前たちが勝つにはそれに乗るしかない」

「ご明察だ。そして、乗った上で私たちが勝つ」

 姿は見えないが、必勝を期すためにヘッツァーもどこかに潜んでいるだろう。これでティーガー以外の僚車への攻撃リスクは大幅に減らす事が出来た、あとは―――倒すだけだ。

「敵に先に撃たせてから全速で距離を詰める。行くぞ」

 喉頭マイクで搭乗員に指示を出し、肉眼でその動きを伺う。

 P40の75mm砲が火を吹き、戦闘が始まった。

 

 

 観客席からやや離れた一角に奇妙な空間があった。

 豪奢な衝立と二つの肘掛け付き椅子、小さなテーブルには白磁のティーセットが置かれている。そこに座りつつ試合観戦を行う二人の少女。

「黒森峰の隊長、大胆な誘い出し方をしますね」

 向かって右の椅子に座る、亜麻色の髪の小柄な少女。聖グロリアーナ学園隊長車砲手・オレンジペコはモニターを眺めつつ言った。

「お互いにここで決めておきたい、そんなところでしょうね」

 向かって左側に座る金髪の少女が音も立てず紅茶を飲み、カップを置きつつ答える。聖グロリアーナ女学院戦車道隊長・ダージリンである。

 ダージリンは人差し指を立て、ペコに講義するように言葉を続けた。

「黒森峰は今、浮足立っているわ。格下と思っていた相手からの立て続けの奇襲と奇策によって、既に準決勝以上の7両の撃破を許してしまった。隊長のまほさんは、ここで大洗の司令塔のアンチョビを叩く事で勝負の天秤を戻したいのよ」

「……そして、大洗もここで黒森峰の司令塔を叩きたい」

 ペコの言葉にダージリンは頷いた。

「そう。戦力に劣る大洗が黒森峰に……いえ、この場合は『西住姉妹に』と言った方が良いかしら。彼女らに勝つ為にはまず、まほさんを撃破するのが必須。彼女のバックアップがある限り、妹のみほさんに勝つのは難しい……だから、あれだけ露骨な誘い出しだろうと乗らざるを得なかった」

「では、誘い出した黒森峰は何か策を用意している?」

「いえ、それは無いでしょうね」

「はい?」

 あっさりとした否定。きょとんとするペコにダージリンは微笑んだ。

「真の王者と言うものはね、些末な策略や細工などを全て薙ぎ払い、部下の前に立ち矢面を進む者なの……ペコ、この試合、良く見ておきなさい」

 そう言うとダージリンはもう一度紅茶を飲み、モニターに視線を送った。

 最初の撃ち合いはティーガーⅠが制したようだ。状況は追撃戦に変わり、逃げるP40を追うティーガーの砲塔から身を出すまほの姿をカメラは映していた。

 

 

 轟音と共に、P40が走り抜けた直後のブロック塀が吹き飛ばされる。

「……今のは近かったな」

 P40操縦席の麻子が呟く。淡々とした口調だが、その手足は別の生き物のように操縦桿を動かしつつ背後のティーガーの攻撃を回避し続けている。

「装填完了!」

「野郎、こっちだってやられてばかりじゃないッスよ!」

 カルパッチョの素早い装填。砲手席のペパロニが砲塔を回転させつつ狙いをつける。

「撃て!」

 車長席のアンチョビの指示でP40の75mm砲が放たれる。それは命中したが防盾に阻まれ、僅かに装甲を削ったに留まった。

「流石はティーガー、堅牢ですね……」

 カルパッチョが呟く。ティーガーⅠの最大装甲厚は防盾込みで110mm。対してP40の主砲である34口径75mm砲の貫通力は500mの距離で92mm。並みの戦車相手であれば十分な火力ではあるのだが、ティーガーを正面から撃ち抜くには分が悪い。

「頑張ってくれ。あと少し、あと少しで……!」

 アンチョビはそう唱えるように言いつつ地図を広げた。何かを示す赤い線が複雑に引かれている。

 その時、通信が届いた。高速道路上で偵察を続けるM3Leeからだ。

『こちらウサギ。『動く壁』、まもなく大通りを通過します!』

 澤梓からの言葉に、アンチョビは顔を上げた。

「来てくれたか! カメチームはどうだ!?」

『こちらカメ、ポイントには着いてるよー』

「良し……!」

 アンチョビは頷くと車内のペパロニ達に言った。

「タイミングは一回切りだ。麻子、大通りに出ないようにしつつポイントまで全速で頼む!」

「分かった。揺れるぞ」

 ペダルが踏み込まれ、急激な加速に車体が揺れる。狭い車道を接触するギリギリで左右に振りつつ、P40は更に走り始めた。

 

 

「……いい腕だ」

 P40を追うティーガー車上でまほは呟いた。歩道を含めて二車線分あるかどうかの細い道にも関わらず、P40はスイスイと逃げてゆく。胆力と高い操縦スキルの両方が無ければ困難な操縦だ。黒森峰のメンバーでもあそこまでの腕前はそうそう居ないだろう。

「車長、4号車から通信!」

 車内の通信手からの声。ティーガーⅡ、直下からの報告を自身に回させる。

『こちら4号車、障害物の置き場を発見しました。建築現場の資材置き場に混ぜて隠していたようです』

「分かった。現場には15号車を残し、4号車と19号車は大通りを市街地中心に向かって進め。現在P40を追い込んでいる。挟み込むぞ」

『了解!』

 通信を終え、まほはティーガー砲手に指示を出した。

「機銃、敵右方向に斉射」

 主砲下の7.92mm機銃がどこか軽快な音と共に撃たれ、P40の走る右側のフェンスに弾痕を残す。これは損害を与えるものではない。敵の動きを誘導するための攻撃だ。

 果たしてP40は次の交差点で左に曲がった。その先は遮蔽物も無い大通りだ。

「ここで仕留める、次弾装填」

 淡々と言うその表情には興奮も余裕も無い。相手戦車に白旗が上がるまで何が起こるか分からないのが戦車道である事を、まほは知っている。

 左に同様に曲がり、やがて逃げるP40の更に先に広い通りが見えてくる。

 P40が通りに出た。咄嗟に隠れようとするそれの動きを制するため、まほは発砲指示を出そうと喉頭マイクに指を添えた。

 

「!?」

 その瞬間、まほの耳にこの場に似つかわしくない音が僅かに届いた。ブザーめいた音。

 

「―――!」

 まほの口が動く。

 突如、P40とティーガーの間に巨大な鉄塊が割って入る。

 振り返るまほ。その視線の先、擬装されたヘッツァー。

 戦車道連盟所有の戦車回収トレーラー。それが通り過ぎる真横で二発の砲声が鳴った。

 

 

 戦車道の試合において、走行不能になった車両は回収されるようになっている。回収されるまでは障害物としての使用も許されているが、回収車が到着した場合はその指示に従い、走行不能時に搭乗していた搭乗員と共に待機場所まで移動しなければならない。

 無論、本来であればそういった回収車は試合の妨げにならないようなルートを辿り、大きく迂回して待機場所に向かうのが常である。しかし、戦場の只中で走行不能になった車両を回収する場合はそこまで行かざるを得ない。狭い市街地であればそのルートも自然と限定されてしまう。

 住宅地で走行不能になった3両を回収して戻るには、他ルートの選択肢は無かったのだ。

 

 

「………」

 アンチョビの目の前を、クラクションを鳴らしつつトレーラーが走ってゆく。最大5両まで乗せる事ができる巨大トレーラーだ。その車体は極めて長い。

「決まった……ッスよね?」

 ペパロニが息を呑む。

 

『黒森峰女学園・大洗女子学園、双方に注意。回収車付近での砲撃行為は慎むように』

 

 審判からの注意を示す放送が流れる。注意自体にペナルティは無いが、更に危険行為を行うようであれば警告となり、最悪の場合は走行可能でも失格となる。

 その放送を聞き、アンチョビの眉が僅かに動いた。

「(……双方?)」

 嫌な予感がした。二発の砲声。それが意味するもの。

 トレーラーが完全に通過する。視界が開く。

 

『大洗女子学園・38(t)改装型ヘッツァー、走行不能!』

 

『―――ごめん! やられちゃった』

 放送から一拍遅れて杏からの通信が届く。

 ティーガーは白旗を立てずにそこに居た。その履帯の辺りには、まるで焦げたような跡が残っている。

「……超信地転回」

 アンチョビが呟く。

 

 西住まほはあの一瞬、周辺の状況の確認を待たずに操縦手に咄嗟に信地転回の指示を飛ばし、正面装甲でヘッツァーの一撃を防ぎ、そのまま撃破したのだ。

 言葉で説明すれば単純な話だが、ヘッツァーの長砲身75mm砲は1000mでなお80mmの装甲を撃ち抜く。転回が遅くても、また早くても防ぎ切れなかったろう。更にそれを車幅のあるティーガーで、周辺の障害物に当てずに回るというのはどれほどの技量が必要か。

 そして、即座にその判断と指示を行える車長になるにはどれほどの経験が必要か。

 

 砲塔の上からまほはアンチョビを見た。

 一見その表情は平時と変わらないように見えたが、彼女の瞳には確かな言葉が込められていた。

 

 

『これで終わりか?』

 

 

 アンチョビは思い出した。忘れていたのが不思議なほどの当たり前の事を。

 『普通』というのはあくまで妹の西住みほと比べての話。

 自分が今相手をしている少女もまた、幼少から西住流を十数年に渡って叩き込まれてきた、戦車道の怪物であるという事を。

 

 砲塔から身を出し、彼女と向き合う。

 身が凍る。体が震える。今にも歯が鳴り出しそうだ。

 しかしアンチョビは自身の中を怯えを懸命に抑え込みつつ、必死の笑みを浮かべた。

「……いや、まだだ!」

 その言葉と共にP40から煙幕が噴出した。瞬く間に両者の視界を煙が覆ってゆく。

 

 

―――まだ策はある。最後の策が。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十九話 終わり

次回「さらば、イワシ」に続く


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