『よろしくお願いします!』
審判長である蝶野亜美を挟み、左右に綺麗に分かれて並ぶ少女たちが一斉に礼を行う。
黒森峰戦車道隊長・西住まほは頭を上げると眼前のアンチョビを見た。
「今日はよろしく頼む……ところで、その格好は?」
アンチョビは大洗の紺色のパンツァージャケットの上から黒いマントを羽織っていた。
これから試合開始という中で、いささか仮装めいた姿である。
まほの質問に、アンチョビは軽く答えた。
「気にするな、これが今日の私の戦闘服だ」
「……そうか」
それ以上まほは何も言わず、次にその横のエリカを見た。背筋を伸ばし、こちらの視線を正面から受け止め、一礼する彼女を。
「……よろしくお願いします」
「ああ、良い試合にしよう」
変わったな、とまほは思った。
黒森峰にいた頃の彼女は優秀で、車長としての能力と責任感と併せ持っていた。
しかし、一般のメンバーやみほに対しては常に自信に満ちた態度で強気で接する彼女もまほの前では緊張を解かず、どこか一歩引いた姿勢を崩さなかった。
それが今、こちらを倒すべき敵として見据え、臆さず挑もうとしている。
どういう経緯でエリカが大洗で再び戦車道を始めたのかは分からない。だがそこで、彼女が確かな自分の戦車道を見つけた事をまほは確信した。
「みほ、行くぞ」
「あ、うん! アンチョビさん、逸見さん、お互い頑張ろうね」
傍らの西住みほに声をかけ、まほは大洗勢に背を向けた。みほも挨拶を残してそれに合わせて戻る。まほは歩きながら言った。
「みほ……この相手は、思った以上に手強いかもしれないな」
「……大丈夫、勝てるよ。私たちなら」
みほの返事を受け、まほは横の妹を見た。
既にその表情には先ほどまでの微笑みも無い。おそらくはもう、如何にして相手の戦車を撃破するかについて思考は向かっているのだろう。
「……そうだな。西住に負けは無い。今までも、これからも」
まほは内心の僅かな寂しさを抑え、無表情に答えた。
カタクチイワシは虎と踊る 第三十六話 逃げるイワシと河馬の射手
エリカは自分の車両、Ⅳ号戦車の前に佇んでいた。
「………」
最初にアンチョビと戦車道履修をかけた勝負をした時に嫌々ながら乗り込んでから数か月。改装を重ね、その時と今とで外観こそ大きく変わったが、ここまで幾つもの戦場を共に駆けてきた戦友であり、今となっては愛着ある存在となっていた。
「……頼むわよ」
呟きつつ、その車体を撫でる。
そのエリカの手に、誰かが手を差し伸べてきた。
「優花里?」
横を見ると、はにかんだ笑みを浮かべた優花里がいた。更にそこにもう二つの手が重ねられる。
「沙織、華……」
エリカは左右の三人を見た。頷く沙織と華。
彼女らの決意の表情にエリカは苦笑した。
「全く、こういうのはガラじゃないんだけど……」
そう呟いてから真剣な表情に戻り、号令をかける。
「……行くわよ!」
『おー!』
三人の息の合った声が周囲に響いた。
「あっちも気合が入ってるな。そんじゃ、こっちもやるか」
エリカ達の様子を見つつ、P40とその搭乗メンバーを前にしてアンチョビは言った。
「同じようにやるのか?」
「それだとそのままマネしたみたいだし、こっちはこれで行こう」
麻子の問いに、拳を軽く握って前に出す。
「了解ッス。冷泉麻子、アンタにこのP40の操縦、任せたッスよ」
「任された。足回りは気にせず砲撃に集中してくれ」
アンチョビに動きを合わせるペパロニの言葉に口元を僅かに上げ、麻子が拳を突き出した。
「……やりましょう」
最後にカルパッチョが拳を出す。アンチョビは皆の顔を見つつ言った。
「速度が勝負だ。打ち合わせ通り、開始から一気に行くぞ……アーヴァンティ!」
『アーヴァンティ!』
かけ声と共に、四人は拳を突き合わせた。
ティーガーを中心として、整然と20両の戦車が並ぶ。
黒森峰側のスタート地点には大洗側のような賑やかさは無い。全員がこの後の試合に備え静かに、だが綿密な点検を行い、そして今は開始を待っている。
「これより決勝戦だ」
ティーガー隊長車内。まほは全車両に通信を送った。
「相手の大洗女子学園は初めて戦う相手だが、決して油断をするな。その緩みからプラウダは敗れた。相手が決勝戦まで勝ち抜いてきた強豪である事を忘れず、各自が本分を尽くせ」
言葉をそこで一度区切り、少し言い方を強める。
「……迅速に行動しろ。グデーリアンは言った、『厚い皮膚より速い足』と」
試合開始のサイレンが鳴る。同時にまほは号令を飛ばした。
「行くぞ! パンツァー・フォー!」
「おお、これはこれはプラウダと継続の隊長殿ではありませんか! 試合観戦お疲れ様です!」
「お、お疲れ様であります!」
大洗側観客席の一角で並んで観戦するノンナ達に気付き、知波単学園副隊長の西絹代と部下の福田はそちらに歩み寄って敬礼を行った。
「相変わらずうるさいわね、アンタ達……」
「……貴女方も大洗の応援を?」
自分の頭上でぼやくカチューシャをあやすように揺らしつつ、ノンナは絹代に尋ねた。
「は! 我々知波単に勝利したアンツィオ高校のペパロニ殿とカルパッチョ殿が大洗に短期転校されていると伺いましたので、応援に馳せ参じた次第であります!」
「自分は後学のために副隊長殿に随行させていただきました!」
「ふふ、元気なのは良い事だね」
ノンナの横に座る継続高校隊長・ミカが微笑みつつ膝上のカンテレを鳴らした。
「光栄であります!」
「あ、あります!」
「……まあ、そこで立ってないでこっちに座ったら?」
『恐れ入ります!』
ミカの横、ミッコを挟んで座るアキが誘導する。直角に礼をしてから知波単の二人は座った。
「さて……それで皆様方、戦況としては如何なものでしょうか?」
「見たら分かるでしょ? 戦力的には圧倒的に黒森峰が優勢よ」
絹代の質問にカチューシャが素っ気なく返す。それを補足するようにミカが言う。
「まあ、正面から撃ち合って勝てる勝負では無いだろうね。何かしらの戦術が必要かな」
「突撃ですか?」
「………」
真顔で言う絹代に対し、ミカは暫しの沈黙の後にカンテレを鳴らした。返事に困ったのかもしれない。
その時、設置されたスピーカーからサイレンが鳴った。
『決勝戦・大洗女子学園対黒森峰女学園、試合開始!』
直後、蝶野審判長の声が響く。モニター上の両戦力の表示を示すマーカーが動き始め、俄かに観客席が沸く。
「………?」
双方の動きを見ていたノンナの眉がひそめられる。
「……突撃?」
同様に絹代が呟く。
「これは案外、どう転ぶにせよ決着は早く着くかもしれないね」
ミカはそう言いつつモニターを見上げた。
試合開始直後とは思えない程の、隊列をギリギリ維持できる速度でまっしぐらに丘から都市部に向かう大洗の部隊。それはまるで突撃と言うよりも全力で逃げているようにも見える。
そして、黒森峰の動きは―――
幾つものエンジンが唸りを上げ、履帯が軋みつつも地面を抉る。
「各車両、状況報告!」
一団の先頭を進む揺れるP40の車内でアンチョビは通信を送った。間髪入れず応答が返ってくる。
『こちらアヒル。根性で最高速度維持してます!』
『ウサギチーム、大丈夫です!』
『トラチーム、今のところ大丈夫』
『レオポン、今は下り坂だけど平地になったら速度が落ちるよ。把握しておいて!』
『アリクイ! な、何とか合わせてるにゃ!』
『カバチーム、準備完了!』
『こちらカメ、もうちょっと待っててー』
『ええっと、こちら最後尾のカモチーム! 今のところ異常ありません!』
各車両からの返信を確認し、アンチョビは麻子に指示を送った。
「麻子、速度はこのまま。平地になったらレオポンに合わせてギアを落とせ!」
「しっかし姐さん、本当に来るんスか!?」
激しい揺れに辟易しつつ砲手席のペパロニが言った。アンチョビが頷く。
「エリカの読みが正しければ、もう来るはず……っ!?」
その瞬間、後方から爆音が聞こえた。カモチームからの通信。
『こ、こちらカモチーム! 後方に弾着あり!』
「了解した。敵影は見えるか?」
『林の中からなのか、まだ視認できません。かなり遠くからかも……』
「だとしたら、おそらくこちらを威嚇するための牽制だな。速度そのまま。敵影が見えたら報告を頼む」
『分かりました!』
「『アドック・クローチェ』作戦を発動する! 全員、ここで逃げ切れ!」
戦法や戦術というものは、突き詰めればシンプルな理屈にたどり着く。
敵がこちらより長い武器を使うのであれば、こちらは更に長い武器を使えば良い。
敵が固い鎧に身を包んでいるならば、それを撃ち抜けるだけの武器を作れば良い。
敵が作戦を立てているのであれば、その作戦を使わせる前に倒せば良い。
試合開始直後の黒森峰が取った行動もそれであった。つまり「市街戦が相手にとって有利なのであれば、市街戦に持ち込まれる前に倒せば良い」である。
試合開始後からの双方の動きは互いに把握できなくなるが、スタート地点は共有されており、更にそこから最短距離で向かうのであれば自然とルートは限定される。
その予測されるルートを側面から突く形で、黒森峰は動いていた。しかし―――
「……速いな」
ティーガーの砲塔から体を出して双眼鏡で周辺の状況を確認しつつ、まほは呟いた。想定していた速度よりも大洗の動きは遥かに速い。側面から突く予定だったのが、結果として後方から追う形になった格好だ。
まほは推測する。おそらくはエリカの判断だろう。彼女は黒森峰No.3として同校の戦術の全てを把握している。こちらの手の内を読んできたか。
―――だとすれば。
「みほ。エレファント、ヤークトティーガーと共に部隊後方に下がれ。おそらく……」
『……分かった、任せて』
まほのティーガーの右前方、同様に車体から身を出していたみほはこちらを見て頷くとその速度を落とし、部隊後方に下がって行った。部隊の中でも重装甲を誇る二両の重駆逐戦車もそれに続く。
その間にも大洗への行進間射撃は続いていた。下り坂を終え、平地を進むようになってからは大洗の戦車の速度は若干落ちていた。新たに導入されたポルシェティーガーの足回りは重い。黒森峰メンバーの練度であればこのままの速度を維持できれば追い付けるだろう。
敵の最後尾を進むB1bisの至近に弾着。噴き上げられた土砂が降りかかる。
その時、まほの耳に風切り音が届いた。位置は後方。
直後、まほのティーガーの周辺の守りを固めていたパンターの1両の背面に爆発が起こった。よろよろと速度を落とし、停止したパンターから白旗が上がる。
『黒森峰・パンターG型、走行不能!』
「やはり来たか。みほ、状況報告を」
先制を許した状況にも関わらず、まほは眉一つ動かさずみほとの通信を開いた。
『部隊後方から砲撃。多分、大洗のスタート地点付近から』
まほは地図を広げ、現在の自軍の位置とスタート地点の間隔を照合する。、約1500m強。
「この距離でパンターの背面を抜けるとすると、おそらくは三号突撃砲か」
『そうだと思う……今着弾から発射位置を探しているんだけど、擬装されていてまだ見つからない』
「……そうか」
おそらくはスタート地点で擬装を施して伏せ、こちらが大洗を追う動きと射線が一致するのを待っていたのであろう。だが―――
「全車両、速度を落とさず追撃しろ」
部下の動揺を抑え、そのまま追撃を継続させる。再度の砲撃音。しかし今度は後続のエレファントが盾になりそれを防いだ。
エレファントの装甲は背面でも80mmを誇る。三突の75mm砲でも簡単に抜けるものではない。そして、隠れ撃ちをしている三突から黒森峰を追って身を出す事が難しい以上は距離を開ける程に危険度は下がる。大洗の目的がこちらの速度を落として都市部に逃げ込む事であれば、ここで警戒して速度を落とすのは下策である。むしろ追撃が追い付かぬ程まで速度を上げ、撃滅すべし。
前方の大洗勢に砲弾が撃ち込まれる。こちらへの反撃を考えない回避に徹する動きでどうにか攻撃を回避しているが、それにより速度は更に低下してきた。
「距離が詰まってきた。榴弾装填。軽装甲の車両から撃破……」
だが、そこで黒森峰側に砲撃が撃ち込まれた。後方からではない。
「……側面だと?」
更に側面から二発目、三発目。うち一発がⅣ号駆逐の履帯に当たった。白旗こそ上がらないが、足回りを壊され動きが止まる。更にそこに放たれる後方の三突からの攻撃。
「………」
まほは無言で双眼鏡を再び装着し、前方を走る大洗の部隊を観察した。見えるのは7両。
「……ヘッツァーか」
大洗の38(t)がヘッツァーに改装された事は相手のオーダーから把握していた。その姿が見えない。
前方への攻撃に集中していた黒森峰戦車に急な側面からの攻撃の対応は難しい。前方を進むパンターの周辺にも砲撃が来るようになり、流石に速度を落とさざるを得なくなる。
破砕音。やや後方を走るティーガーⅡの履帯が破壊されている。ヘッツァーはこちらの足回りの破壊を目的としているようだ。砲手の腕も良いのだろう。
『こちら3号車、すみません、履帯をやられました!』
3号車車長の小梅の声。1両ずつとはいえ、十字砲火となればこちらの被弾率は格段に上がる。このまま無視しての追撃は危険か。
『……お姉ちゃん、みんなをこのまま前進させて。後ろの三突は、私が相手するから』
次の策を思案する間も置かず、みほからの通信。
「頼めるか、みほ?」
『大丈夫。エレファントとヤークトもそっちに戻すから、ヘッツァーの攻撃を防がせて』
「……分かった」
まほは後方を振り返った。みほが身を出したまま、ティーガーⅠが丘に砲身を向ける姿が小さく見える。
不安は無かった。みほは「大丈夫」と言った。ならば、後ろに憂いは無い。
「このまま追撃を継続する。後方は副隊長が迎撃している。気にせず撃ち込んでやれ」
指示を出すと同時に、まほのティーガーの88mm砲が火を吹いた。
「よしっ、1両先制撃破!」
「鉄十字勲章ものだ!」
丘上に潜む、木々の間でネットと枝葉により擬装を施された三号突撃砲内。パンター撃破の放送を受け左衛門佐とエルヴィンは快哉を上げた。
「まだまだ! 隊長たちが都市部に達するまで攻撃を緩めるな!」
カエサルが再装填を行いつつ檄を飛ばす。街道沿いの建物は増えてきたが、まだ身を隠せるほどの場所ではない。本格的な都市部に達するまではあと2㎞はあるだろう。そこまでの数分間、何とかヘッツァーとの連携で黒森峰を足止めしなければ。
「任せよ、もう1両仕留め、今度こそ動きを止めてやる!」
意気高く左衛門佐は答え、再び砲手席から照準を覗いた。
「……ん?」
走ってゆく黒森峰の部隊の最後尾、1両の戦車が動きを止め、こちらに向かってきている。
「車長、1両だけ動きが変わった。あれは……ティーガーか?」
「何?」
エルヴィンが車長席から確認する。2000m近い距離では大きい戦車も豆粒ほどにしか見えないが、特徴あるフォルムは確かにティーガーのそれだ。砲塔から誰かが身を出しているようでもある。
「隊長が残っているとは考えにくい。とすると……副隊長?」
「フラッグ車を残すだと?」
エルヴィンの推測にカエサルが疑問を挟む。そのティーガーは、ゆっくりとだがこちらに向かってきているようだ。
「こちらを迎撃するつもりか……左衛門佐、攻撃は少し待て。こちらの位置を教える事になる。この三突はそう簡単には見つからない」
「承知」
短く答え、左衛門佐はティーガーの動きを観察する。
「……止まった?」
1500mほどの距離でティーガーは停止した。そこから身を出す、黒森峰のジャケットを着た人影もかろうじて左衛門佐には判別できた。
―――その時、視線が左衛門佐を射抜いた。
「!?」
半ば反射的に左衛門佐はエルヴィンに叫んだ。
「車長、攻撃だ!」
「ど、どうしたぜよ、左衛門佐!?」
「間違いない、あやつは既に我々を発見している!」
「何だと!? この距離から……」
突然の叫びに驚くおりょうとカエサル。
「……分かった、砲撃! 目標、ティーガー!」
日頃努めて冷静な態度を崩さない左衛門佐の動揺に、エルヴィンは只ならぬ気配を感じ攻撃指示を出した。内心の動揺を必死に抑えつつ、左衛門佐は照準を合わせた。
ティーガーの砲門は既に俯角を上げ、こちらに向けられていた。
(まずい)
短期間とはいえ高密度の鍛錬を積んできた左衛門佐の砲手としての経験が、ブレすら無くぴたりと止められたティーガーの砲口に諦めめいた警告を発した。
(これは、食らう)
「撃て!」
三突の75mm砲が放たれる。
88mm徹甲弾がその車体に撃ち込まれたのは、その半秒後の事だった。
『大洗女子学園・三号突撃砲、走行不能!』
カタクチイワシは虎と踊る 第三十六話 終わり
次回「逃げるイワシと蟻食いの爪」に続く