カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第三十四話 探るはイワシ、出会うは虎

 閑散とした平原に作られた街道。まばらに立つ街路樹と民家、畑、雑木林。

 そこを進む二両の戦車。前方を進むCV38とその後ろを進むⅣ号戦車。Ⅳ号戦車には虎のマーキングが施されている。

 

 街道はやがてなだらかな坂になり、小さな丘の上へと向かう。

 CV38の銃座側のハッチが開き、中から灰緑色の髪をツインテールに結わえた少女が顔を出した。きょろきょろと周辺の状況を確認し、車内に戻る。

 狭い車内の中で通信機を手に取り、彼女、大洗戦車道隊長のアンチョビは後方のⅣ号に向けて発信した。

「試合会場の境界線を越えた。この先の丘の頂上がスタート地点になる」

『町の中からスタートじゃないの?』

 通信機から聞こえる逸見エリカの声。

「主要都市の制圧を巡り、南西・南東からそれぞれ進軍する両軍が激突する……というコンセプトだそうだ」

『色々と連盟も考えるものね……』

 そう言葉を交わす内に、早くも二両は丘の上にたどり着いた。さほどの高さは無いが、木々の低さもあり遠くまで見通せる。

「……あれか」

 丘の上からの景色に、アンチョビは声を漏らす。

 街道沿いの建物は丘を下りだした所から次第に増えてゆき、まるで川の流れのように次第に車幅を広げてゆく道路はそのままビルが立ち並ぶ都市へと続いていた。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十四話 探るはイワシ、出会うは虎

 

 

「うーむ、これは全員で来るべきだったかなあ」

 ゆっくりと走るCV38、その屋根の上で胡坐をかきつつアンチョビは手元の地図と周囲の光景を見合わせながら呟いた。地図でイメージした以上に広い町だ。

「そう言おうとする前に出てきたのはアンタでしょうが! 私たちだけで全体を見て回るのは無理ね。今日は要所だけ見て、全員でもう一度来るとしましょう」

 横を並走するⅣ号戦車から身を出すエリカからの声。アンチョビは頷いた。決勝戦まで残された日数は僅かだが、練習よりも優先すべき事項だ。

 

 

 例年使われ、今年もそこで行われる予定だった決勝戦会場の変更の知らせが届いたのは、学園艦に島田流家元・島田千代が訪問した次の日の朝の事だった。

 これが彼女の言い残した「援護射撃」である事は容易に想像できた。黒森峰が最も得意とするのは平原や砂漠などの遮蔽物が少ないフィールドでの、独戦車の機動性と砲性能、そして生徒たちの高い練度を活かした突撃戦である。もし決勝戦場がそういったフィールドで行われるものだったなら、大洗は作戦展開も許されず負けていただろう。

 元々の予定地だった東富士演習場にしても、市街地こそあれメインとなるのは草原と森、そして山岳地帯だ。加えて黒森峰にはその試合場で過去10回以上戦ってきた経験がある。そちらでも不利は否めなかった。

 それが開始数日前になり、より市街地中心の、それでいて黒森峰にとっても未経験の試合場に変わった。これが大洗に与えるものは少なくない。

「いいプレゼントだ」

 アンチョビはそう言うと即座にエリカらを連れて下見の準備に取り掛かり、地図を片手に輸送船に戦車を乗り込ませた。

 そして、今である。

 

 

 

 町の中心に近づくにつれて高層建築物が多くなってゆく。大通りこそ車線は広いが、一歩そこを外れると細い路地や遊歩道が入り組んだ箇所が目に付く。各方向に広がる大通り同士を細い道で結ぶ、極端な造りだ。

「高い建物ばかり……見通し悪そうだね」

 通信席から周囲の景色を眺めつつ沙織が言った。

「でも、やはり舗装された道というのは走りやすさが違いますね。ここなら最大速度で飛ばせそうです」

「嬉しそうですね、五十鈴殿」

 操縦の感触を楽しむ華に優花里が言う。今までの三試合は砂漠・森・山岳と未舗装の場所を走らせるのが大半だった。舗装された道での試合は公式戦では初めてとなる。

 

 一方、エリカは砲塔から身を出したまま周囲の光景をデジカメで撮影していた。一旦カメラをポケットに入れ、横のアンチョビに言う。

「この先が駅ターミナル。そこで東西に大きく分かれるわ」

「大通り以外で東西のエリアを行き来するのは可能か?」

「住宅街は両エリアに繋がってる。1車線か2車線の細い道だけど、行き来は可能ね。商店が密集している所も無理すれば通れなくはないけど、相当入り組んでいるわ」

「ふーむ……」

 エリカの顔に影がかかる。見上げると高架の下を通る所だった。高速道路も通っているのだろうか。

 やがて前方に大きな陸橋と、その奥にそびえるターミナルビルが見えてきた。駅舎を兼ねたしっかりした造りだ。

「……ん?」

 アンチョビが眉を寄せる。ターミナル周囲を移動する幾つかの影。

「やはり、来ていたか」

 鉄十字を思わせる黒森峰女学園の校章がマーキングされた数両のパンターと、その駅ビルの前に位置する1両のティーガー。

 そのティーガーから身を出し、周囲の車両に指示を出す少女。

「………」

 その姿を見て、無意識にエリカは息を呑む。

 黒森峰戦車道隊長・西住まほはこちらに気が付くと折り目正しく一礼した。

 

 

 ターミナル周辺のパンターは各所に向かい、ビル前にはティーガーとまほのみが残った。それに接近して停車するⅣ号戦車とCv38。

「来ているとは思っていた。お互い大変だな」

「……ご無沙汰しています」

 アンチョビとエリカは車体から身を出すと、それぞれ挨拶を返した。落ち着いた口調でそれに頷くまほ。

「そちらも偵察に来ていたか。戦車カフェ以来だな……」

「あの時はどうも。お蔭様で、準決勝でアンツィオとちゃんと戦えたよ」

「そうか……ああ、少し待っていてくれ」

 その時、まほのティーガーに通信が入ったようだった。喉頭マイクに手を添え、指示を飛ばす。

「……分かった、測量班をそちらに送る。戻れなくなると厄介だ。それまでは待て。12号車から14号車までは予定通り東側商店街の確認を……すまない。皆の指示を行っていてな」

「随分と大所帯だな。副隊長も来てるのか?」

「来ているのは二軍メンバーだ。みほは学園艦で皆と練習を行っている」 

 そう言う間にも、まほの許には幾つかの伝令と確認の連絡が来ているようだった。

「忙しいようだな。ま、お互い良い勝負になるよう頑張ろう」

 その状況を察し、アンチョビは手を振ると車内に戻った。

「……失礼します」

 少し遅れてエリカも一礼してⅣ号に戻る。まほは会釈を返すと再び他車両への指示に戻った。 

 

「なあ、エリカ」

 CV38の車内でアンチョビはエリカに通信を送った。少し疲れたようなエリカの声が返ってくる。

『何?』

「黒森峰がこういった試合場の下見をする時は、どんな感じでやるんだ? お前の経験からでいい」

 数秒の沈黙の後、思い出すようにゆっくりとエリカは言った。

『……西住まほが言った通り、今日来ているのは試合には出ない二軍の子たちよ。戦車を動かす経験を積むのと同時に、その会場のポイントの確認や戦車が進める道、進めない道の確認を行うの。細かな情報が必要な場合のために測量班もいるわ』

「流石だな……」

『調査は徹底的に行われるわ。おそらくは各ポイントを結ぶための裏道とかも見つけると思う。試合で十全の能力を発揮するためには戦場を知る事が必須。そのノウハウが黒森峰にはあるから』

「なるほど、徹底的にか……」

 座席にもたれかかり、アンチョビは考える。今はターミナルの外周を回っている。まだまほのティーガーは視界の範囲内だ。

「……それなら、いけるかもしれないな」

 そう呟くと、アンチョビはエリカに言った。

「エリカ、ちょっと調べたい事ができた。お前はターミナル周辺の建物や道路の確認と、黒森峰の動きを観察しておいてくれ」

『いいけど……何をするつもりなの?』

「それはまだ何ともだ。条件が揃ったら話す。ああ、あと、この陸橋の写真を撮っておいてくれ。各方向から、全アングルが後で分かるように」

『陸橋の?』

「できれば、直接上がっての写真もあると有り難いな」

『……了解』

 それ以上エリカは何も聞かなかった。聞いても明確な答えが返ってこないと分かってきたのだろう。アンチョビが通信を終えると、横で運転しつつ聞いていた麻子が短く尋ねた。

「どこ行く?」

「大通り周辺を進んで、途中放棄された建設現場や資材置き場が無いか探してくれ。建物は何でもいい」

「ほーい」

 軽い返事と共に麻子はハンドルを切る。

「それともう一か所。どこか、建物に囲まれた中庭がある場所」

「病院とか、学校とかか?」

「そうだな。それで入り口が一つしか無ければベストだ」

「とすると、まずはこの先の高校辺りを見てみるか」

 そう言う麻子の周りに地図は無い。本人曰く「船の中で地図を見て覚えた」との事だ。実際それはハッタリでなく、的確な操縦で迷いなく進んでゆく。

「アンチョビ、見込みはどうだ?」

 珍しく麻子が聞いてくる。それに対しアンチョビは苦笑めいた笑みを浮かべた。

「とりあえず、勝率10%以下から30%に持って行ける程度のアイデアは浮かんだ……と思う」

「今まで10%以下と思ってて『勝てる』とか言ってきたのか?」

「……まあ、何だ、まず『勝つ』と決める事が大事だからな」

「……学校、見えて来たぞ」

 呆れとも感心ともつかない麻子の声に外を見ると、確かにCV38の先に白塗りの校舎が見えてきた。町の規模に相応しい、それなりの大きさと頑強な造りの学校のようだ。

「ここならいけそうだな……麻子、先にここを見よう」

「分かった」

 麻子は頷くと、CV38を校内に滑り込ませた。

 

 

 陸橋の階段を上がり切り、エリカはそこからの景色を見た。背後には駅ビル。正面にはホテル。左右には大通りが伸びている。本来ならば多数の人々が行き来するであろう場所に自分たち数人しかいない状況に、エリカは知っていても僅かに寂しさを感じた。

「それにしても、何でこんな大きい町を使えるのかな?」

 後から上がって来た沙織が言う。その後ろの優花里が説明を始めた。

「何でも、首都機能の分化を目的として強引に開発が進められたんですけど、人も機能も言う程集まらなかったそうで……戦車で壊した分の改築費が貰えるからって、自治体は大歓迎だそうですよ」

「……何だか、生々しい話だね」

「まあ、そんなもので……」

 そこまで言ったところで優花里が止まった。視線がある一点に向けられている。

 エリカはその視線の先を追い、同様に足を止めた。

「……どうも、お疲れ様です」

「ああ、そちらもな」

 いつの間に戦車を降りていたのか、陸橋の上から町を見下ろしていたまほは一同に声をかけた。エリカの後ろの沙織たちにも気付いたのか、そちらにも声をかける。

「確か……君たちとも戦車カフェで会っていたな。次の試合、よろしく頼む」

「はははっ、はいっ! よっ、よろしくお願いしますっ!」

 興奮と緊張で顔を赤くしつつ優花里が頭を下げる。

「よろしくお願いします」

「よろしく、でも負けないからね!」

 同様に華と沙織も返事を返す。まほはそれに頷くと、改めてエリカに向き直った。

「……先日はみほが迷惑をかけたな。寝る所まで用意してもらって、本当にすまなかった」

「い、いえ、それは……」

 詫びを言うまほに、エリカはぎこちなくも礼を返す。

 エリカは迷った。言うべきか、言うべきでないか。

「私は気にせず下見を続けてくれ。私も休憩を終えたら自分の……」

「あ、あの!」

 エリカは顔を上げた。その口元は固く締められ、瞳は真っ直ぐにまほを見ていた。

「……どうした?」

「たい……」

 呼び慣れた言い方が出かけ、それを留める。

 

 この呼び方ではいけない。彼女と、正面から向き合わなくてはならない。

 

「……まほさん、謝りたい事と、聞きたい事があります」

「………」

 エリカの真剣な様子にまほは向き合う。あるいは、自分が聞こうとしている事を既に見通しているのか。

「……何だ?」

 まほが聞く。エリカは拳を強く握りつつ、口を開いた。

「私が戦車道を辞めた時、彼女に……みほに、私は『化物』と言いました。その事を、謝らせてください」

「それを、何故みほでなく私に?」

「彼女自身に自覚が無いからです。自分が化物になってしまっている事に。私が謝りたいのは……私の言葉で一番辛い思いをさせてしまったのが、まほさんだからです」

「………」

 まほの瞳に僅かに影が差す。

 エリカは背中に視線を感じた。おそらくは優花里たちが心配そうに見てくれているのだろう。彼女らにも後で説明しなければ。自分が彼女の何を見て、何を決意したのかを。

「だからこそ教えてください。何故……みほをあのままにしているんです? 彼女があのまま戦車道を続ければどうなるか、貴女が気付いていない訳が……!」

「止められないからだ。最早、私でもな」

 訴えるエリカの言葉をせき止めるかのような返事。

 そう答えるまほの顔に浮かんでいたものは、苦渋だった。エリカはその表情に何も言えなくなった。

 エリカも苦しい表情をしていたのだろう。まほは言葉を続けた。

「……西住流は勝つ事を良しとし、犠牲を厭わず、ひたすらに前に進む流派。私とみほは、それを幼い頃から教えられ、そして勝つ事だけを求められてきた。どのような手段を用いようとも、どのような犠牲を生もうとも勝つ事だけを」

「……聞きました、彼女からも」

 力なくエリカは言う。

「みほの心根が戦車道に向いていない事は、母も幼い頃から気付いていた。それでもなお西住流の娘として、みほも育てられた」

「………」

「あるいはみほがそこで戦車道から逃げてくれていれば、私が逃がしていれば……ああはならなかったのかもしれない。だが、みほは周囲の期待や母の願いを正面から受けようとした。自分の心を抑え、私の後を追い、ひたすらに勝利を追い求めた」

「それが……」

 

 エリカは旅館でのみほの姿を思い出す。平凡な少女に見えて、どこかが致命的に抜け落ちてしまった彼女の姿を。

 

「いつしか……みほは、私を越えていた。私よりも強く、勝利を求めるようになっていた」

「それで……それでいいんですか?」

「………」

「来年の黒森峰が崩れてゆくのを、戦った相手に恐怖を植え付けてゆくのを、みほが……あのまま壊れてしまうのを、そのままで?」

 

「………」 

 まほは答えない。

 その沈黙が否定ではない事はエリカにも理解できた。肯定してしまえば、何かしらの行動を起こさなければならない。西住の家に反する事を。西住家という三百年の歴史を数える名家の伝統という、形なく、しかし人を縛るに足る鎖。

 

まほは一度瞳を伏せ、息を吐くと改めてエリカと視線を交わした。

「私は西住流そのものだ。だが、みほは違う」

「……はい」

「エリカ。次の試合、我々黒森峰は全力をもってお前たち大洗を叩き潰す」

「………」

「勝って見せてくれ。勝って、みほを救ってくれ」

「……お断りします」

 まほの言葉に、エリカは首を横に振った。

「エリカ?」

「私は……彼女に戦車道を楽しませたい。それだけです」

「……そうか」

「でも、勝ちます」

 エリカは口元に笑みを浮かべた。まほは少しの驚きを顔に浮かべ、そして微笑んだ。

「……そうか」

 深々と頭を下げ、まほは背を向けてティーガーへと向かって行った。

 エリカはそれを見えなくなるまで目で追い、そして振り返った。

「みんな、悪かったわね。待たせ……」

 言葉が途中で止まる。

 

「『でも、勝ちます』か……言うようになったじゃないか」

 嬉しそうなアンチョビの顔がそこにあった。

 他人に言われ、今更ながら自分がらしくない事を言った事に気付きエリカは赤面した。

「ちょ、ちょっと! 何でこっちに来たなら来たって言わないのよ!?」

「いや、階段上がってきたらあの雰囲気だろ? 流石に私でもそこに入るのは……なあ?」

「恰好良かったぞ、逸見さん」

 無表情のまま親指を立てる麻子。

「冷泉さんまで……ああもう、沙織たちも一言いってくれれば……」

「えっと、その、私たちも邪魔したくなかったし……」

 申し訳なさそうに答える沙織。彼女らなりの気遣いだったのは確かに間違いないだろう。

エリカが多少落ち着きを取り戻したところで、華が言った。

「……教えていただけますか? その、西住みほさんの事を」

 そう言われ、エリカは頷いた。

「……ええ。ちょっと長い話になるけど、聞いてもらえる?」

 

 

 そしてエリカは語った。

 一人の壊れかけた少女の話を、そしてそれを助けたいと思う気持ちを。

 初夏の遅い西日は、陸橋の上で語る少女らに長い影を投げかけていた。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十四話 終わり

次回「開戦」に続く


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