カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第三十二話 別れとイワシと作戦会議

「……これって」

 大洗女子学園・戦車道ガレージ。旅装のままの逸見エリカは眼前の大きく外観を変えたⅣ号戦車を前に驚きの声を漏らした。

 

 まず大きく見た目で異なるのは、左右に取り付けられたシュルツェンと呼ばれる補助装甲板。5mmほどの薄い鉄板ではあるが、対戦車銃対策や成形炸薬弾対策として有用だった装備だ。

 また、それだけではなく主砲も43口径75mm砲から48口径75mm砲へと換装されており、火力は更に強化されている。

 他にも各所に追加装甲が施され、耐久性も増しているようだ。

 

「せっかくだから、お前が戻ってくる前に換装を済ませて驚かせようって優花里の提案でな」

「マークⅣスペシャルです!」

 その背後、大洗女子学園のパンツァージャケットの上からアンツィオ高校統帥のマントを羽織ったアンチョビが言った。その横に立つ秋山優花里も誇らしげだ。

「……ん?」

 ふと、エリカは車体側面に描かれたマーキングに気が付いた。今までは描かれていなかったものだ。

 デフォルメされた吊り目の虎が、大きく口を開けて前足を掲げている。それ自体は分かるのだが、エリカの目を引いたのはそのカラーリングだった。普通の虎は黄色と黒だが、この虎は灰色と黒の二色で描かれている。

「ひょっとして、これ……」

「チームの皆の手書きだ……お前をイメージしたらしい。ついでに私のも描いてもらったよ」

 言われて、エリカはⅣ号の横に並ぶP40を見た。

「……ぷっ」

 エリカは少し噴き出した。そこに描かれていたのは、緑髪をツインテールに結えたカツラを被ったイワシだった。

「わ、笑うことはないだろ!?」

「ふふ、いいデザインじゃないの」

 笑いつつエリカは振り向き言った。

「……ありがとう、これで決勝でより戦えるわ」

「いえ! 喜ぶ逸見殿が見られて、光栄であります!」

 瞳を輝かせて敬礼する優花里。その一方でアンチョビは表情を改めて真剣なものに戻すと、エリカに言った。

「他にも見せたいものはあるが……エリカ、帰って早々だけどすぐジャケットに着替えてくれ」

「何かあるの?」

「……例の事を、皆に言おうと思う」

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十二話 別れとイワシと作戦会議

 

 

 その日、午前の授業を終えガレージに集まった大洗戦車道メンバーは整然と整列し、その前に立つアンチョビの言葉を待っていた。

 アンチョビの横にはエリカ、杏、桃、柚子が並ぶ。飄々とした杏以外は、皆緊張した表情だ。

「……あー」

 どう言い出したものか思案しているのだろう。手にした鞭を上下させながら、アンチョビは首をひねりつつ最初の一言を言い出せずにいた。

「んー」

 少し左右にうろうろと歩く。

「……隊長」

「あ、ああ」

 流石に見かねたのかエリカが言った。歩みを止め、アンチョビは改めてメンバーに向き合った。眼を閉じ、深呼吸して、眼を開く。

「……みんな、よくここまで付いてきてくれた。今日は練習の前に重要な話をさせてもらう」

 そこまで言って、皆の反応を伺う。集中する視線に緊張しつつも、アンチョビは言葉を続けた。

「いよいよ次は決勝戦だ。戦車道を始めたての我々、大洗女子学園戦車道が決勝戦に進んだだけでも快挙と言えるだろう」

 

 これは実際快挙であった。それまでの10年間、黒森峰女学院と優勝を争ったのは有力校と呼ばれるプラウダ、聖グロリアーナ、サンダース付属くらいしか存在していなかったからだ。

 そこに全国大会初出場の戦車道新設校が決勝まで躍り出たのは十分に誇るべき事だろう。

 ―――普通ならば、だが。

 

「黒森峰は今までとは別格の、プラウダ以上の強豪校だ。本来ならば、ここで皆に言うべき言葉は『胸を借りるつもりで挑もう』とかが正解なんだろう」

 ここでアンチョビはひとつ咳払いをすると、真剣な表情で顔を上げた。

「……だが、我々は勝たなければならない。何としてもだ」

 深呼吸をひとつ。

「我々が負けた場合……大洗女子学園は、廃校となる」

 

「………」

 

 アンチョビの言葉に、一同は僅かの沈黙の後―――

 

「……あー」

 

 ―――納得したような声を発した。

 

「……え?」

「な、何だお前ら? その『あー、やっぱりかー』みたいな反応は?」

 逆に戸惑うアンチョビ。横の桃が一同に尋ねる。

「え!? えっと、その……」

 一番近くにいた澤梓が言いづらそうに周囲を見回した。隣の列のカエサルが目を逸らしつつ答える。

「つまり、だな……」

「うむ、まあ、何というか……」

「不確定だが、既に知っていたというか……」

「……ぜよ」

 続けてその後ろのエルヴィン、左衛門佐、おりょうが言葉を続ける。

「だ、誰からだ?」

 当然のアンチョビの質問。カバチームの4人は一斉に視線を一か所に送った。

「……ペパロニ?」

 必死に我関せずを装っていたペパロニは、声をかけられると跳ねるようにアンチョビに向き直り訴えた。

「い、いや、違うんスよ姐さん! 本当に知らなかったんスよ!」

 

 

――― 以下回想 ―――

 

 

「マジっすか!?」

 戦車道の練習を終えての整備の合間のひと時、ペパロニは大洗メンバーの話に驚いていた。

「ああ、ここにいるメンバーはアンチョビ隊長と逸見副隊長以外、全員初心者だ」

「それにしては見事な練度ですね……うちのアンツィオの皆にも見習わせたいです」

 カエサルの説明に、カルパッチョが感心して言う。

 ペパロニは腕を組んで唸った。

「うーん、やっぱりアレっすかね。廃校とかがかかってると、それだけ気合が違うって事なんスかねー?」

「……廃校?」

 場の空気が止まった。ペパロニの発言に、一斉に視線がそちらに向けられる。

「……え?」

 

 

――― 回想終了 ―――

 

 

「おーまーえーなー!」

「だって準決勝まで進んでて、姐さんと生徒会以外知らないとか思わないじゃないッスか! 事故ッスよ事故!」

 顔を近づけて怒るアンチョビに、ペパロニは必死に弁明した。

「いやー、不安を煽らないために情報管理してたつもりだけど、思わぬところから漏れてたねー」

 その後ろで杏が呑気に言う。

「まあ、それ以前に生徒会の急な戦車道推しにも何かあるとは思っていたがな」

「うむ。特典の単位三倍、食堂無料券、遅刻見逃し200日。とても単なる選択科目とは思えなかった。それに隊長、水臭いのは隊長の方ではないか?」

 エルヴィンの言葉に頷くカエサル。その言葉はアンチョビに向けられた。

「わ、私か?」

「廃校という責任を感じさせないために隊長が今まで伏せていたのは分かる。だが、そこはもう少し我々を信用して欲しかったな」

「そうですよ! 出場するからには優勝を目指す、それはどんな大会でも、初参加だろうと関係なく同じです!」

 磯辺典子が拳を突きあげて同意する。

「私たちも、まだ満足に戦えてないかもしれませんけど、全力で頑張りますから!」

 梓が訴えかける。

「学園を守るのが風紀委員の役目! 廃校から学園を守るのも風紀の務めです!」

 園みどり子が背筋を伸ばしつつ言った。

 

 カタカタカタ……

 

「お前ら……」

 アンチョビは驚きつつも向き直った。ほんの三か月ほど前まで初心者だった筈の勇士たちに。

「私たちは生徒会からの依頼で色々やってたから知ってたけど……ここまで来たら『伝説』を作りたいよね」

 ナカジマはそう言って笑いかけた。

 

カタカタカタ……

 

「……どうやらアンタが思っていた以上に、皆覚悟は決まってたみたいね」

 エリカがアンチョビの肩に手を置く。

「みんな……すまない。そして、ありがとう。大丈夫、これなら勝て……」

 その時、アンチョビの袖を誰かが引いた。

「ん?」

 そちらを見ると、引いていたのは丸山紗希だった。アンチョビが気付いたのが分かり、ガレージの一角を指す。

「……あ!」

 

「は、廃校……」

「おまけに決勝戦……とんでもないタイミングで来たナリか?」

「ほ、本当にここに居ていいぴよ?」

 三式中戦車に今日から搭乗予定だったねこにゃーと彼女が呼び集めた二人―――桃の形の眼帯を付けたももがー、銀色の髪とそばかす顔が特徴的なぴよたん―――が、カタカタと身体を震わせつつそこで凍っていた。

 

 

 ねこにゃー達三人が他のメンバーと異なり知らなかった事は誰を責める事も出来ないだろう。そもそも彼女らはこの日が戦車道初日であり、他のメンバーとの交流もこれからだった面々だ。

 無論アンチョビも廃校の事で衝撃を受けるかとは思っていたが、他のメンバーとその衝撃を共有することで当人のショックを和らげ、またメンバー交流の糸口になるのではと考えていた。

 だが、結果として彼女らだけ情報に取り残されてしまった形となってしまったのだ。

 

「い、逸見さん、その、ボク等……」

 生徒会や沙織たちに他メンバーへのトレーニングメニューの指示を頼み、アンチョビ達はねこにゃーと共にガレージ隅の机を囲んでいた。

「………」

 エリカは無言でねこにゃー達の顔を見た。その顔には深い影が差している。

 無理もない事だとエリカは思った。決勝戦前で戦車道履修を申し入れてきた以上、彼女らもそれなりの責任感を持って門を叩いてきただろう。しかし、大会の優勝どうこうと学園艦の廃校とでは重みが違いすぎる。その重みが急に圧し掛かり、心が耐え兼ねているのだ。

 目線が自分に向けられている事に気付き、ねこにゃーが顔を上げた。

「えっと……ボクら、このまま参加していいのかな?」

「『決勝前からでも始められる』って聞いたから来てみたけど……」

「その、負けたら廃校なんだっちゃ?」

 ももがーとぴよたんもそれに続く。

「それは、だな……」

 アンチョビが何とか彼女らを思い留まらせる言葉を探そうとする。

「その通りよ。ここで負ければ廃校になる」

 その時、エリカが鋭く答えた。一切隠し立てのない言葉。

「だからこそ、貴女達が必要」

「で、でも……」

「貴女達には、それが出来る。確かに実践は無いかもしれないけど、どう戦車を動かせば勝てるか、その知識がある」

 アンチョビは小さな驚きと共にエリカを見た。その目線は真っ直ぐにねこにゃーの眼鏡越しの瞳に向けられている。

「……貴女が知っているのはゲームの世界だけかもしれないけど、一両の戦車が戦力として有るか無いか、その存在の重要さは分かるのじゃない?」

「それは……うん、そうだね」

「その一両になれるのは、貴女たちしかいないの」

「………」

「でも、私に決定権は無いわ。このまま普通の生徒として私たちの試合を見届けてもいい。負けを覚悟で私たちと共に戦ってもいい。猫田さん、最後は貴女達に任せる」

「………」

「私たちには、貴女が必要。それだけは信じて」

 ねこにゃーは無言で頭を下げ、膝に置いた両の手を固く握った。ももがーとぴよたんも同時に考えこむ。どうすべきか、彼女らの中で気持ちが争っているのだろう。

 

「………」

「………」

「………」

 

 数秒の、しかし異様に長く感じる沈黙の後、最初に口を開いたのはももがーだった。

「……『退かば老いるぞ、臆せば死ぬぞ』ナリ!」

 続けてぴよたん。

「……『あとは、勇気だけだ』っちゃ!」

「……めだ」

 ねこにゃーは何かを呪文のように唱えていた。それが次第に大きくなる。

「『……げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ!』」

 髪を振り上げつつ、ねこにゃーはその顔を上げた。

「分かった。やるよ、逸見さん! ボクらも力になってみせる!」

「……ありがとう」

 エリカは感謝の微笑みを浮かべ、丁寧にねこにゃー達に礼をした。

「おー、どうにか纏まったみたいだねー」

 タイミングを見計らったように―――実際見計らっていたのかもしれないが―――トレーニングの指示を終えた杏が来た。

「こっちもとりあえず手が空いたし、折角だから逸見ちゃん、準決勝の話を聞かせてもらっていい? 河嶋と小山はこの子ら達を戦車に案内して、操縦とかを教えてあげて」

「は、承知しました!」

「えっと、それじゃねこにゃーさん……でいいのかな? こっちに来てもらえるかな?」

「分かりました。そ、その、よろしくお願いします!」

「頑張るナリ!」

「やってやるぴよ!」

 気炎を吐きつつねこにゃー達は立ち上がった。三式の操縦そのものは決して難しくはない。今の集中を持続できるのであれば、今日中に動かす程度までは覚えられるだろう。

 ねこにゃー達が連れて行かれ、机にはアンチョビとエリカ、杏のみが残った。

「……変わったもんだな」

 アンチョビがエリカに言った。怪訝な顔で答えるエリカ。

「何がよ?」

「お前がだよ。まさか戦車道で他人を引き留める側になるとは思わなかった」

「……うるさいわね」

 少し恥ずかしいのか、エリカは目線を逸らす。

「色々とあるのよ、私にも。色々とね」

 脳裏に今朝の茨城港での景色が浮かび上がる。それを思い返しつつ、エリカは呟いた。

 

 

 茨城港、学園艦連絡船の搭乗口。先に来た大洗行連絡船に乗ろうとするエリカは、みほと向き合っていた。

「本当にありがとう、逸見さん」

「気にしないで。持ちつ持たれつってやつよ」

 礼をするみほに対し、エリカは気軽に答えた。頭を上げたみほが言う。

「……次に会う時は、決勝戦だね」

「……そうね」

 エリカは少し目を閉じ、考える。

 今のみほに言いたい言葉は幾らでもあった。今の彼女の戦車道が間違っている事を教えたかった。自分が一度捨て、再び見つけた戦車道の楽しさを知って欲しかった。

 

 しかし、それが今の彼女に通じない事も分かっていた。

 

 十数年に渡り勝利絶対の戦車道を教えられ続けた人間が言葉だけで変わるのであれば、そもそもエリカは黒森峰から離れる事も無かっただろう。ニルギリがあそこまでみほに恐怖する事も無かっただろう。

 ならば、今の自分が出来る事は何か。

「西住さん」

 汽笛が鳴る。エリカはみほに最後の言葉を投げかけた。首を傾げるみほ。

「え、何?」

「次の試合……私は全部を貴方にぶつける。逃げずに、受け取ってもらうわよ」

「……うん、分かった」

 少し戸惑った後、みほはそう言って頷いた。

 本当は分かっていないだろう。今はそれでいい。

 みほに背を向け、タラップを上がってゆく。

 

 ―――勝とう。

 

 そのシンプルな、しかし強靭な意思が自分の中に生まれたのをエリカは感じていた。

 

 

「……どうしたの、逸見ちゃん?」

 覗き込むように顔を見る杏に気付き、エリカは少し頭を振って答えた。

「何でもないわ。それより、準決勝の話だったわよね?」

「ああ。ダイジェスト放送は私たちも見たけど、実際に観戦した限りではどうだった?」

 アンチョビが戦車道新聞を広げつつ言った。

 

【高校戦車道全国大会・準決勝第二試合決着】

【西住姉妹、強さ見せつける。聖グロ秘蔵のパーシング&クロムウェルを撃破】

【聖グロ米戦車レンタリースの謎。OG会に外部からの介入?】

 

 新聞には、複数の見出しと共に何枚かの写真が掲載されていた。聖グロリアーナの投入したパーシングや、捨て身めいたみほの戦法がやはり注目を浴びているようだ。

「良くも悪くも、ここに書かれている通りよ」

「って言うと?」

「今の黒森峰は、文字通り『西住姉妹に支配されている』って事」

 杏の質問にそう答えると、エリカは机に置かれていたペンを取ると新聞上の両陣営の動きに幾つかの矢印を加えた。

「もともと黒森峰は上下関係を重視した、規律ある動きを重視しているんだけど……聖グロリアーナに先制を許した時まともに動けていたのは、西住隊ちょ……西住まほとみほの二人しか居なかった」

「それ以外のメンバーが判断できてないって事か?」

「判断できていても、動けないでいるのよ」

 聖グロのパーシングの動きを示す印を書き加える。

「例えばここ。相手の動きからまほのフラッグ車を守ろうとするなら、率先して大通りを押さえて敵の動きを牽制するのが定石。でも彼女が動くまで、後続はまともな反撃すらしてなかった」

 

 エリカが最初に気付いた黒森峰の弱点がそこ、黒森峰メンバーの判断力と行動力の劣化だった。

 確かに西住姉妹は強く、その判断や行動も的確だろう。しかしその存在が余りに大きく、結果として部下の判断の放棄に繋がっているのだ。

「自分が考えるより、彼女らのより優れた判断に任せる」―――戦場での一兵卒ならばともかく、車長がそういった思考に捕らわれてしまっては全体の動きは当然鈍化する。

 本来ならば取返しがつかないほどの鈍化を、西住姉妹の素早い判断力でどうにか形として動かしているのが今の黒森峰だと、エリカは判断した。

 

「なるほどねー」

 どこからか取り出した干し芋を齧りつつ杏が言った。

「聖グロのダージリンも、そこは把握していたと思うわ。だからこそパーシング4両を突撃させるという大胆な運用で、姉妹の分断と各個撃破を図った」

「……だが、それは失敗した」

 アンチョビがエリカの言葉を引き継ぐ。エリカは頷いた。

 聖グロリアーナ秘蔵のクロムウェルにクルセイダー、更に何処からか用意したパーシング4両。おそらくは聖グロが用意できたであろう最大戦力でも西住姉妹は止められなかった。

 そしてそれを、大洗は更に貧弱な戦力で迎え撃たねばならないのだ。

「いやあ、今更だけど厳しいなんてもんじゃないねえ」

 まるで他人事のように言う杏だが、その瞳は真剣だ。

 ふと、エリカが思い出したように言った。

「そういえば隊長、さっき『見せたいものがある』って言ってたのは何?」

「ああ。ねこにゃーの事でバタバタしてしまったけど、戦車二両を次の試合に加える事が出来るようになった。例の三式中戦車と、ポルシェティーガーだ」

「ポルシェティーガー? 何でそんなもの」

「学園艦最深部にパーツで眠ってたアレ、組み上げてみたらポルシェティーガーだったんだそうだ」

「……使い物になるの?」

 エリカの顔に疑念が浮かんだ。

 

 ポルシェティーガー、ティーガーの名を冠せられながらも黒森峰にも存在しないレア戦車である。だが、仮に存在したとしても黒森峰は編成にそれを加えないだろう。

 理由は単純、動力系に重大な欠陥を抱えているからだ。

 通常のティーガーと異なり、ポルシェティーガーはガソリン・エンジンで発電を行い、それでモーターを回して稼働させる独特の動力を搭載している。

 現代で言うハイブリッド車的な発想に基づいたそれはWWⅡ時代には余りにも早すぎるコンセプトだった。結果、その運用にはトラブルが多発。競合した本家ティーガーと競り負け、失敗兵器の烙印を押されたのだ。

 

「エンジンは弄れないから、自動車部がモーター系を中心に改修して強化してる。まあ、試運転で何回か火を吹いたがな」

「さらりと怖い事を言うわね……」

「実戦での運用も自動車部のメンバーにそのまま務めてもらう。本人たちからの希望もあったし、実際、扱えるのはアイツらしかいないだろう。88mm砲と前面100mmの装甲。今の私たちにとっては貴重な火力と装甲だ」

 そこで杏が手を挙げた。

「おっと、忘れてもらっちゃ困るけど、私たちの38(t)もヘッツァーに改装したからね」

「改装?」

「生徒のみんなからの支援金で、ヘッツァー改装キットを買ったんだ。砲塔こそ回らなくなったけど、火力は格段に上がったよ」

 

 ヘッツァー、大戦末期にドイツで作られた駆逐戦車である。小柄ながらその主砲はⅣ号と同じ48口径75mm砲を搭載。装甲も前面60mmの傾斜装甲を備え、防御力もそれなりの物を持ち合わせている。

 

「という事は……」

 エリカはそこまで聞いて、指を折った。

「Ⅳ号、Ⅲ突、ヘッツァー、ポルシェティーガー、P40。まともにティーガーの相手をできるのはこの辺りまでね」

 その表情は険しい。確かに戦力は多少は強化された。だが、これでも対等には程遠い。

「……十分だ」

 アンチョビはそう言うと不敵に笑った。その笑みに対し、エリカは冷静に聞いた。

「全く、相変わらず根拠があるんだか無いんだか分からない事を言うわね」

「贅沢を言っても仕方ないさ。まあ、本音を言えばあと少しは欲しい……」

 そこまでアンチョビが言った時、騒々しい足音がガレージに響いた。

「かっ、会長!」

 見れば、桃が片眼鏡を落としかけながらこちらに全速力で向かってくる。

 杏の姿を認め、桃は息を切らせつつ停止して机に手をついた。

「どーしたの、河嶋?」

「ゼー、ハー……か、会長、来客です!」

「あー、学園艦町内会の会長さん? それなら待たせておいてくれれば……」

「違います、会長!」

 呑気に手を振る杏に、桃が必死の形相で否定する。怪訝な顔をする杏。

「そんじゃ、誰?」

 桃はその一秒が惜しいように、焦りを隠さず答えた。

 

「島田流家元です!」

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十二話 終わり

次回「魔女とイワシと母虎と」に続く


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