カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第三十一話 虎の茶会、虎の見る夢

 沈みかけの夕日が、大洗女子学園戦車道のガレージに長い影を作る。

 光が漏れるそのガレージからは複数のせわしない足音と金属音、少女たちの声が聞こえてくる。

 

「隊長殿! Ⅳ号の塗装、完了であります!」

 あちこちに塗料の跳ねが残るツナギ姿の秋山優花里は、同じくツナギ姿のアンチョビに報告した。その二人の前には外観を大きく変えたⅣ号戦車がある。

「エリカが普通に帰ってきてたら、間に合わなかったねー」

 ペンキ缶を片手に持った沙織がその後ろから言う。

「お疲れ。まあ、不幸中の幸いってところだな……ナカジマ、シュルツェンの取り付けはどうだ?」

 アンチョビは首を傾け、Ⅳ号側面で作業を行う自動車部のナカジマに声をかけた。ハンマーを片手に仕上がりを確認しつつ答えるナカジマ。

「今さっき終わったよ。ホシノ達に任せてる38(t)の換装も今晩中には終わるかな」

「すまない。何とか明日の練習には間に合わせてくれ」

「了解、あの子の初お披露目もあるしね!」

 そう言うとナカジマは楽しそうに笑った。

「それにしても逸見さん、西住みほさんと一緒との事でしたが、大丈夫でしょうか」

 砲塔から出つつ、華が言った。アンチョビがそれに問い返す。

「大丈夫って?」

「いえ、以前に戦車カフェで西住姉妹にお会いした時、かなり動揺されていましたから……」

「杏の話だと、エリカ本人から彼女を一緒に泊めるって言ってきたんだろ? それに、もしエリカがまだ苦手意識を持っているのなら、それと向き合ういい機会かもな」

 

 アンチョビはそう言いつつ考える。今までの試合でもエリカ達のⅣ号は決め手として働いてもらっていたが、今回は今までと比較にならない重責を負わせる事になる。高校戦車道最強の西住姉妹、その片翼の撃破を任せるという重責を。

 

「……まあ、私も同じか」

 無論、エリカに任せて勝てる勝負では無い。アンチョビも死力を尽くさねば勝てない―――否、死力を尽くしてもなお敗色濃厚な戦況を、覆して勝たねばならないのだ。

 アンチョビは小さく呟くと、ペパロニ達がマーキングを描き直しているP40へと向かった。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る  第三十一話  虎の茶会、虎の見る夢

 

 

 純白のクロスの上に置かれた高級感を思わせる陶製のカップ。そこに注がれているのは湯気を立てる澄んだ色の紅茶。傍らには銀色の手押しワゴンが控え、その中にはスコーン等の焼き菓子やサンドイッチが入っている。和風に統一されている旅館の風情の中で、この一角だけ英国式に塗り替えられているようだ。少なくともここが、浴場付近の休憩所のテーブルとは思えない。

 

 

「残り物の茶葉になってしまって申し訳ないわね」

 そう言いつつ、浴衣姿のダージリンは同じく浴衣姿の逸見エリカと西住みほに一礼した。

「い、いえっ! だ、大丈夫ですっ!」

 こうやって誰かと一緒にお茶をするのに慣れていないのだろう。湯上りの火照った肌を更に赤くさせてみほは緊張しつつ頭を下げた。

「……それじゃ、いただくわね」

 ダージリンは未だにカップに手をつけていない。客人が飲む前にホストが飲むのは失礼だからだ。

 それを察したエリカはそう言うとカップを手に取り、まず紅茶の香りを確かめた後に僅かに口に含み、口内に広がる風味を堪能しつつ嚥下した。みほもダージリンが待っている事に気付き、慌てて自身の前のカップから紅茶を飲む。

「うわぁ……!」

「……良い味ね」

 その味に驚くみほ。エリカも静かに感想を言いつつも紅茶の味に驚きを感じていた。家庭用ティーパックどころではない、喫茶店でもなかなか味わえないような茶葉の濃厚な香りと柔らかな苦み、そして砂糖を入れていないのに感じる甘み。

 「聖グロリアーナでは紅茶の淹れ方も授業で教わる」とは他校で言われるジョークのひとつだが、存外本当なのかもしれない。そう思いつつエリカはもう一口飲んだ。

「恐縮ですわ」

 二人が飲んだのを見届け、ようやくダージリンは自身のカップを手に取り紅茶を口にした。まだ持ち慣れなさを感じる二人とは対照的な、音ひとつ立てない淀みない動き。

「まずは先の試合、お疲れ様でした。見事な戦いぶりでしたわ」

 カップを戻し、ダージリンはみほに微笑みかけた。緊張しつつ頭を下げるみほ。

「い、いえ、聖グロリアーナの人たちこそ、良く動いていたと思います」

「それでも負けは負け。決勝戦での健闘を祈らせていただきますわ」

「それなんだけど……あのパーシング、聖グロのじゃないわよね」

 横からエリカが尋ねる。ダージリンはほんの僅かの間動きを止め、穏やかな口調のまま答えた。

「ええ。『さる所』からのご厚意ですわ」

「……『さる所』ね」

 エリカの脳裏に観客席で会った島田千代の姿が浮かぶ。それ以上問い詰める事無く、エリカはワゴンに控えるオレンジペコが差し出してきたスコーンを受け取り、それを割りつつ言った。

「それにしても……西住さん? 貴女、随分と危険な事をしたものですわね」

「危険……ですか?」

 きょとんとするみほ。ダージリンは言葉を続ける。

「ええ。あの崖への砲撃は驚かされましたわ。土砂崩れに巻き込まれるとか思いませんでしたの?」

「え? ああ、その事ですか」

 エリカの時と同様に、みほは初めてそこで「危険」が何を示しているのか気付いたようだった。

「えっと、あの時はそうするしかないと思って。それに、戦車なら多少埋もれても大丈夫だから……」

「普通、そう考えたとしても実行はしませんわ」

 再度の説明をしようとするみほに、ダージリンは目線を向けつつ切り込むように言った。

「そ、そう……かな?」

 戸惑うみほ。ゆっくりと頷くダージリン。

「……戦いぶりは試合後の画像と、直接戦った隊員からの話で伺いました。戦闘中、砲塔から体を出したままだったとか」

「は、はい」

「確かにあの雨の中で戦況を把握するにはそれが最適手でしょう……でも、怖くありませんでしたの?」

「(……随分と突っ込んでくるわね)」

 エリカはそう考えつつ、スコーンを口に含んだ。ダージリンはみほから何を引き出そうとしているのか。

 

「怖い……ですか?」

 

 そう問われて浮かんだみほの表情は、困惑だった。

「………」

 エリカはその表情に見覚えがあった。第62回高校戦車道全国大会、水没した戦車の搭乗員を彼女が救おうとした後、同様に「危険だと思わなかったのか」と言われた時と同じ表情。

「……ええっと」

 みほは何かを考えるように口を閉じ、紅茶を一口飲んだ。言葉を探しているようだ。

「もちろん『危ないかな』とは思ったけど、そうそう事故が起こるものでもないのは知っていたし、何より勝つ為に必要な事だったから……怖いとは、思わなかったかな」

「……そう、失礼な事を言ってしまったわね」

 ダージリンが詫びの言葉を返した時、廊下の遠くからスリッパで走る足音が聞こえてきた。

「ダージリン様、お夕食の用意ができましたので座敷に……」

 エリカがそちらの方を向くと、自分たちと同様の浴衣姿の眼鏡をかけた少女が小走りに向かってきているのが見えた。聖グロリアーナの女生徒の一人だろうか。

「……え?」

 だが、その足は卓を共にするみほの姿を見て止まった。

「ニルギリ、落ち着きが無くてよ。逸見さん、西住さん。こちらは私たちと戦車道を共にしているニルギリ。先の試合ではクロムウェルに乗っていたわ」

「クロムウェルに……?」

「あ、は、はい」

 怪訝な顔をするエリカと、素直に礼をするみほ。

 一方、ニルギリは凍り付いたように足を止め、みほに視線を向けている。その瞳には明らかな怯えの色が見えた。

「あ……ああ……」

「あ、あの、ニルギリさん。西住みほです。よろしくお願いします」

 椅子から立ち上がり、みほはニルギリに歩み寄った。

「あ! は、はい……」

 更にニルギリの顔の怯えが増す。言葉を何とか返すものの、今にも震えだしそうだ。

「……ペコ、ニルギリは疲れているようだから座敷に付き添って行ってあげてもらえないかしら? 私もすぐに向かうから」

「……分かりました。ダージリン様」

 その様子を見ていたダージリンは、傍らのペコにそう指示を出した。その意図を読んだのか、ペコは優雅に一礼するとニルギリに歩み寄り、その手を握り緊張を解こうとする。

「行きましょう、ニルギリ」

「は……はい……申し訳ありません……」

 そこでようやくニルギリは我に返ったようだった。そのままペコに手を取られて廊下を帰ってゆく。

「……ねえ、西住さん。ちょっと大洗に電話しないといけないのを思い出したから、先に戻ってもらっていい? 夕食は部屋に運んでもらっておいて」

 ふとエリカは思い出したように言うと、みほにルームキーを差し出した。急な言葉に戸惑いつつも鍵を受け取るみほ。

「う、うん、分かった。ダージリンさん、紅茶ありがとうございました」

「ふふ、次はこのような急ごしらえでない、ちゃんとした席をご用意しますわ」

 ダージリンに礼を言うと、みほは席を立ちペコ達の後を追うように廊下に消えていった。

 

 

「………」

「………」

「……座敷に行かなくていいの?」

「……貴方こそ、大洗への連絡はよろしいんですの?」

 僅かな沈黙の後、残ったダージリンとエリカはそう言ってお互いの顔を見た。

「あの子……大丈夫なの?」

「ニルギリは強い子よ。今日は怖い思いをしたからちょっと参っているけど、すぐに立ち直るわ」

 ニルギリの様子を気遣うエリカに対し、ダージリンは涼しい顔で紅茶を飲んだ。その真意は表情からは伺えない。

「貴方こそ、大丈夫ですの?」

「大丈夫って?」

「次の決勝……あの『怪物』に、本気で勝つおつもり?」

「………」

 ダージリンの『怪物』が誰を指しているのかは明白だった。エリカは僅かに表情を曇らせて答えた。

「あの子、私が黒森峰から転校した時より悪くなってる」

「でしょうね。私も色々な戦車道の方々とお会いしてきましたが、『恐怖』を一切持たない戦車乗りにお会いしたのは初めてでしたわ」

「………」

 

 戦車道は確かに安全性においてルール面、技術面の両方で様々な対策が施された、学生でも可能なスポーツ競技である。しかしそれは「完全な安全」を意味するものではない。

 戦車という兵器を使い砲弾を扱う以上、その危険性は一般的なスポーツのそれを大きく上回る。そこで競技者に求められるのは各人の危機管理意識と用心だ。その意味において、試合中の恐怖心は必ずしも悪ではない。恐怖とは無茶をさせないためのストッパーであり、搭乗者に警戒を促すサイレンでもあるのだ。

 ―――だが彼女、西住みほにはそれが無い。いや、あるのかもしれないが、「勝利」への最適解であると判断した場合、彼女は容易に恐怖をコントロールして抑え込み、平然とそれを実行に移してしまうのだ。

 

「………」

「まあ、彼女が指揮する来年の黒森峰の戦術が崩壊するのは分かりましたから、我々聖グロリアーナとしては翌年をゆっくり待つつもりですが……大洗はそうはいかないでしょう?」

「知ってるの?」

「噂程度ですけどね」

 ダージリンは相変わらず本心を見せない。エリカはため息を吐くと、やや温くなった紅茶を飲んだ。否定したいが彼女の言葉は事実だ。あのみほの戦車道についてゆける黒森峰戦車道メンバーが何人いるか。

「……まあ、勝つしかない以上はやるだけやるつもり。ご忠告は感謝するわ」

「そうですか……では一つだけ」

 そこでダージリンは初めて真剣な顔になり、エリカを見た。

「次の試合、何があろうと西住まほから倒しなさい。心の支えがある限り、西住みほは倒れませんわ」

「……感謝するわ」

 その言葉を言い残し、エリカは席を立った。

「次の試合、期待させていただきますわ。ところで……」

 ダージリンは再び微笑みつつエリカに言った。

「何?」

「ペコが行ってしまって、茶会の片づけ役が居なくなってしまいましたの。一緒に片づけを手伝っていただけないかしら?」

「………」

 

 

 テーブルの片づけを終え、エリカが部屋に戻ってきた時には既に室内に夕食の用意が届いていた。漆塗りの膳に湯気を立てる料理の数々。港の近くだけあり、魚介料理が多い。

 エリカとみほは、それを向かい合って食べた。

「……相変わらずアンタ、骨の取り方が下手ね」

「そ、そうかな? お姉ちゃんに教わったんだけど……」

 やがて食事を終え、膳が下げられると再び沈黙が部屋を包んだ。

「………」

「………」

 手持無沙汰なみほが部屋の隅のラックに差さっていた新聞を取り、テレビ欄を見た。

「……あっ」

 何かに気付いたように、その目の動きが止まる。遠慮がちにエリカに声をかける。

「ねえ、逸見さん。テレビをつけてもいいかな?」

「いいけど……そのテレビ、今時コインを入れて見るやつでしょ? 何か見たいのがあるの?」

「う、うん、もうちょっとで放送が始まるみたいだから……」

 そう言うとみほはいそいそとテレビ横の機械に百円玉を入れた。最初にチャンネルが合わさっていたニュース番組から、チャンネルを切り替えてゆく。

 やがて探していたチャンネルに合わさったのか、みほはリモコンを置いた。エリカもその画面に視線を向ける。そこに映っているのは何かのアニメ番組のようだ。

 

 

「うぉー、これがアフリカか! 凄い広さだなー!」

 アフリカのサバンナを背景に、デフォルメされたデザインのクマがそう言って驚いている。

 その外見は一見普通のクマの着ぐるみだが、よく見れば体のあちこちに包帯が巻かれ、顔にも絆創膏が何枚も貼られている。

「おっと、あんな所にバナナが生ってるじゃねーか! 美味そうだなー」

 

 

「サバンナ編だー!」

 その時、みほはエリカが驚くほどの大きな声を上げた。

「ど、どうしたのよ!?」

「あ、そ、その、ごめんなさい」

 エリカの言葉に我に返ったのか、みほは赤面しつつ言った。

「えっと、逸見さん。『ボコられグマのボコ』って知ってる?」

「知ってるわよ。いつもアンタが持ち歩いていたマスコットでしょ?」

「そう、で、これはそのボコのアニメーションなんだけど、サバンナ編って一番ファンからの人気が高かったんだけど円盤収録されてない幻の回なの! 凄いんだよ、いつもは町で猫やネズミにボコボコにされるだけなんだけど、このシリーズはアフリカ旅行に行ったボコがゴリラやワニやライオンに、普段どころじゃなくボコボコにされるの!」

「そ、そう……」

 みほのテンションにたじろぎつつ、エリカは画面に目線を送った。

 

 

「おい、お前ら! それはオイラのバナナだぞ!」

 ボコが落としたバナナを食べるゴリラに、ボコがそう言って奪い返そうとする。

「何だお前、この樹は俺たちの樹だウホ!」

 怒ったゴリラたちがボコを包囲した。ゴリラの太い腕がボコを吹き飛ばし、そのままボコボコにされてゆく。

「ちくしょー! みんな、オイラに力をくれー!」

 ボコが画面に向かって叫ぶ。

「もっとだ、もっと大きな声で言ってくれー!」

 

 

「頑張れ、ボコ!」

 みほは拳を握り、画面のボコに応援を送った。

「……何やってんのよ、アンタ」

「これはボコファンのルールなの。画面でボコが応援してくれって言ったら、応援を送るの!」

「……ああ、そう」

 エリカは最早何も言う事ができず、ボコボコにされるボコと、それを応援するみほを見ていた。

 結局物語は、立ち上がったボコが再度ボコボコにされてバナナの樹に放り投げられるところで終わり、みほは満足そうだった。

 

 

「凄い頑張ってたね、ボコ」

「……そ、そうね」

 番組が終わり、まだテンションが高いままのみほにエリカはとりあえず答えた。

 部屋の置時計を見る。まだそこまで遅い時間ではないが、明日は朝イチの連絡船で帰らねばならない。早めに寝るに越したことはないだろう。

「明日は早いし……もう、寝ましょうか」

「あ……そうだね。五時には起きないと、明日の授業に間に合わないし」

 エリカの提案をみほは素直に受け、少し考えてから言った。

「それじゃ逸見さん、布団は逸見さんが使って。私は大丈夫だから」

 エリカは布団を見た。一枚だから遠慮しているのだろうか。初夏とはいえまだ夜は肌寒い。押入れの毛布一枚では不十分だろう。

「……構わないわよ。一緒に寝ましょ」

「いいの?」

「風邪をひかれても困るしね」

 言いつつエリカは立ち上がり、並んでいた枕をやや離した。右側の枕の側の布団を上げ、中に包まる。

「……うん、ありがとう」

 遠慮しつつ、みほは反対側から布団に入り込んだ。

「消すわよ」

 垂れ下がった室内灯の紐に手を伸ばし、明かりを消す。常夜灯の僅かな光だけがうっすらと部屋を照らすだけになり、エリカは体の力を抜いた。

「おやすみ」

「おやすみ、逸見さん」

 目を閉じ、眠りを待つ。

 

 

……………

…………

………

……

「……ふぅ」

 エリカは目を開けた。色々とあった一日だったからか、まだ目が冴えて眠くならない。

「眠れないの、逸見さん?」

 横からの声。エリカは顔を向けずに返事をした。

「アンタも?」

「……うん」

「何か話でもする? そのうち眠くなるかも」

「そう……だね」

 しかし、みほはそう言うと沈黙してしまった。

「……何も思いつかないなら、私の方から聞かせてもらっていい?」

「え? うん、いいけど……」

「西住さん、アンタにとって『戦車道』って何なの?」

 僅かな沈黙の後、みほはゆっくりと言った。

「何なの……かな?」

「まさか、分からないって言うんじゃないでしょうね?」

「そんな事は無いんだけど……子供の頃、気付いた時には横に戦車があって、お姉ちゃんは、もう自分で戦車を動かせるようになっていて……それで、お母さんや、周りにいた大人の人たちが言ったの。『戦車に乗りなさい』『戦車で勝ちなさい』って」

「………」

 次女とはいえ、西住流の後継となる事が決められた少女だ。実際周囲の戦車道関係者は期待したし、西住家の少女としての姿を求めたのだろう。

「お姉ちゃんも、お母さんも、凄く強くて、それに置いていかれないように頑張って……小学校の頃はまだそんな戦車道を変に思う事もあったんだけど……勝たないと、誰も認めてくれない。勝たないといけないって、分かっちゃって」

「……随分と早いわね」

「そ、そうかな? でも……そこからはずっと戦車に乗って、勝つ事だけ考えてきて……私にとって、戦車道が何なのかって聞かれたら、そういう事なのかな」

「……答えになってないわよ」

 エリカは寝返りをうちつつ言った。

「ええ?」

 困ったようなみほの顔が正面に来る。

 その時、ふとエリカの中で何かが繋がった。

 

 

 ―――ああ、そうか。

 この少女は知らないのだ。自分の牙の鋭さを。自分の爪がどれだけ深く、相手を切り裂けるのかを。

 黒森峰でのかつての紅白戦。あの時のみほの申し訳なさそうな表情は「本気を出したら圧倒してしまった」という後悔の表情ではなかった。あれは―――エリカの絶望を全く理解できない、困惑の表情だったのだ。

 戦車道を楽しむ事も、自分の腕を磨く事での充足感も知らず、育ってしまった少女。

 恐怖を自覚しないほど勝利だけを求める、自身の力の程度を自覚なく振るう虎。

 

 

 エリカは考える。この勝利だけを求められ続けた少女は、どこまでこのまま勝ち続けてしまうのだろう。

 そしてその過程で、あと何人のエリカやニルギリを作り出してしまうのだろう。

 

 そして―――その果てで負けてしまった時、彼女はどうなるのだろう?

 

「……逸見さん?」

 みほの心配そうな声がかかり、エリカは自分が固い表情のまま彼女を見据えていた事に気付いた。

「……何でもないわ」

 小さく答え、再び寝返りをうちみほに背を向ける。

 しかしその目は開かれたまま、何かを考えていた。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十一話 終わり

次回「別れとイワシと作戦会議」に続く


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