カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第二十八話 二匹の虎の牙と爪

 クロムウェル巡行戦車。

 カヴェナンター、クルセイダーに連なる巡行戦車の発展強化型として開発された機体である。

 航空機エンジンを転用した複雑なエンジン搭載のため開発は遅れ、実践投入時には既に独戦車の性能に一歩後れを取る戦車となってしまったが、75mm砲に増加装甲を含む最大101mmの装甲、そして最大速度64㎞/hという性能は当時のイギリスではハイスペックと呼んで差支えないものだった。

 この戦車を聖グロリアーナが出さなかった―――否、出せなかった理由は二つ。ひとつは整備の複雑さ。もうひとつはその足の速さである。

 前述したとおりクロムウェルには航空機に本来使われていたエンジンが改造されて使われているのだが、これの構造は非常に複雑で毎試合出すには整備が追い付かない代物だった。

 また、行進間射撃によって攻撃を休まず行いつつ敵陣深くに攻め入る、いわゆる浸透強襲戦術が聖グロ戦車道で最も使われる戦法である。だがこれには、各車両の足並みが揃う必要がある。クロムウェルは足が速すぎ、チャーチルやマチルダと足並みを揃えるのが困難だったのだ。

 だからこそこの場面でクロムウェルは投入されたのだ。浸透強襲戦術でない、最大の速度を許される場面で。負けが許されない決戦の場面で。

 

 

「西住みほ……西住姉妹の妹か……」

 クロムウェル車長席から遠方のティーガーを見据えつつ、車長のニルギリは眼鏡の奥の瞳を輝かせつつ呟いた。高校戦車道で幾度も耳にし、戦いぶりを観戦してきた「伝説」が眼前にいる。

「ダージリン様、ティーガー発見しました。これより会敵します」

『声が力んでいてよ、ニルギリ。相手は怪物。スナーク狩りに必要なものは?』

 穏やかな口調でダージリンは謎かけを言ってきた。一瞬戸惑うが、これがルイス・キャロルの一節だとニルギリは思い出して答えた。

「『何よりも勇気。そして指貫と配慮とフォークと希望』です」

『よろしい。そこから指貫とフォークを抜くだけよ。簡単でしょ?』

「……はい」

「……頼むわね」

 おどけるようなダージリンの声に、ニルギリは微笑んだ。こうやって語っている間にも絶えず町へ向けての砲声が聞こえる。矢面に居てなお優雅さを崩さない。これが聖グロリアーナの隊長なのだ。

 通信を終え、ニルギリは搭乗員に指示を出した。

「全速前進、僚機のクルセイダーと連携して三方から攻撃を仕掛けます!」

 クロムウェルのミーティアエンジンが、一際大きな音を立てて唸った。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第二十八話 二匹の虎の牙と爪

 

 

 パーシングの砲撃で崩れかけていたビルの一角が崩落し、瓦礫が音を立てて落下した。

 その付近に展開していたラング(Ⅳ号駆逐)が慌てて回避する。

「損壊が進んでいる。建物に近づき過ぎるな」

 フラッグ車から半身を出して周囲を警戒したまま、まほは僚機に指示を出した。

 

 聖グロリアーナのパーシング部隊は、その装填速度を大きく落としてからは突撃戦法から中距離からの一撃離脱に切り替えていた。一定の距離を空けたまま旋回するように走り、交差点で射線が一致する時に攻撃を仕掛けて止まらずに消え、次の機会を伺う。

 まあ、パーシングで突撃戦法を仕掛けてきていた今までの戦法が普通ではなかったのだが。

 

『お姉ちゃん、敵三両が接近中。多分、クロムウェルとクルセイダーが二両』

 包囲攻撃部隊を単騎で叩いていたみほからの通信が来た。

「分かった。まだそちらに支援を送る事は出来ない。いけるか、みほ?」

『大丈夫。それに、天気が味方してくれそう』

 そう返事をするみほの声には緊張も焦りも無い。まほは空を見上げた。灰色の雲は低く下がっており、何時降り出してもおかしくない気配だ。

「……分かった。こちらも部隊を包囲から突破させる。無理はするな」

『うん、お姉ちゃんも』

 短い通信を終え、まほは今度は僚機に通信を行った。

「みほが二両撃破して東側に隙が出来た。私がパーシングと上からの砲撃を引き付ける。その間にお前たちは包囲を抜けて敵包囲の側面を突け」

『りょ、了解しました!』

 ティーガーⅡの車長を務める赤星小梅からの返答。

「次のパーシング部隊の攻撃の直前に合わせて突撃する。パンツァー・フォー!」

 

 

 観客席で、逸見エリカは緊張した面持ちでモニターを眺めていた。

 モニターの各陣営の動きを示すマーカーのうち、まほの乗る黒森峰フラッグ車の向きが変わった。本隊から離れ、単騎で動き始める。

「……隊長、ここで決めるつもりね」

「黒森峰の元No.3としてはどう読むかしら、この戦況?」

 横の千代がモニターを見たまま尋ねてきた。エリカの顔に影がかかる。ふとエリカが横を見ると、何時の間にか千代の差していた日傘は大き目の雨傘に変わっており、本人だけでなくエリカまで覆っていた。

「これは?」

「降るわ。直に……」

 千代がそう言い終わる前に、雨粒がひとつ、ぽつりとエリカの足元に染みを作った。

 雨粒はひとつ、ふたつと増え、数秒も経たずに雨となり観客席に降り注いだ。慌てつつ雨具を広げたり咄嗟の物で雨を凌ぐ観客たち。客席に花のように傘が広がる。一瞬強い光が発したかと思うと、数秒後に激しい音が響いた。稲妻だ。

「うわっ!?」

「……それで、どう思うの?」

 驚くエリカに千代は平静を保ちつつ続けて尋ねた。モニターの画像はアップになり、移動するティーガーから雨に打たれつつも半身を出したままのまほを映す。エリカは少し考え、モニター上のまほに視線を向けた。

「その、知っているかと思いますが、西住流は守りより正面からの攻めに特化した流派です」

「ええ、知っているわ」

「西住隊ちょ……隊長の西住まほは攻めるタイミングの見極めは慎重ですが、一度攻めると決めたら相手を呑み込む程の徹底的な攻撃を行います。おそらく、ここで決めるつもりだと思います」

「……そう」

 千代はそう短く答えると、傘をエリカに少し寄せた。そこで初めてエリカは自分の左肩が濡れている事に気付いた。

「では……妹さんの方は?」

「………」

 エリカは無言で唇を嚙み締めた。

「……見れば、分かります」

 

 

 激しい雷鳴と共に稲光がパーシングの車体を一瞬照らす。

「うおっと!? い、今のは近かったですわね!」

 入れ替わった装填手席でやはり優雅とは言えない叫びをあげつつ、パーシング部隊長のローズヒップは既に半分以上零れている紅茶を飲んだ。

「この雨……どうやら、わたくし達ももうひと踏ん張り必要なようですわね」

 

 降り出した雨はたちまち豪雨となって町にも降り注いでいる。厚い雲に遮られた空は昼にも関わらず黄昏のように暗く、少し先を見通すのも難しい程だ。

 これは実際聖グロ側にとって不利な展開であった。現在のローズヒップ程の近距離での撃ち合いならばともかく、山上からの長距離射撃ともなれば視界の悪化と雨による影響で命中率は大幅に下がる。敵もこの雨を利用して包囲網からの脱出を図るだろう。

 

「肉薄しますわ! ここまでのダージリン様の攻撃で敵も消耗してるはず! 次の交差点に出た所で一気に敵本隊に突っ込みますわよー!」

 拳を突きあげつつローズヒップは勇ましく指示を出した。

「しゃ、車長……もう大丈夫です。装填に戻らせてください」

 その時、車長席で腕の痙攣の応急処置を行っていた装填手がローズヒップに言った。

「駄目ですわ! そのままお休みなさって!」

「あと数発は大丈夫です! それに、ここで私が休んで負けたのではダージリン様に顔向けできません。車長は指揮に専念してください!」

 ぴしゃりと止めようとするローズヒップに装填手は強く言った。腕に貼られたままの湿布が痛々しい。

「……分かりましたわ。ただし! 無理と感じたらすぐ私にお代わりなさって!」

「すみません、車長!」

 ローズヒップは装填手に釘を差すと車長席に戻った。改めてそこから外の様子を見る。交差点まであと数十m。あと数秒で射線が通る。

「突げ……っ!?」

 瞬間、パーシングは激しい衝撃に襲われた。ローズヒップの手にしていたカップが床に落ちて割れ、僅かに残っていた紅茶をまき散らす。

「何ですのっ!?」

 しかしローズヒップは割れたカップに注意を向ける事も出来なかった。衝撃の方向を見ると、黒森峰の校章が刻まれた車体が一両。ティーガーだ。

 ローズヒップの先頭車を弾き飛ばしたティーガーは砲塔を旋回させ、後続の急停止したパーシング二号車に向けて砲撃を放った。雨の中、パーシングの車体から白旗が上がる。

 

『聖グロリアーナ・パーシング一両、走行不能!』

 

 その放送が流れるより早く、ティーガーから身を乗り出したままのまほは次の指示を飛ばしていた。2号車が障害になって進めなくなった3号車を先に狙おうというのだろう。突然の事態に対応し切れていない3号車の側面に回り込もうとする。

「クランベリー、お下がりなさい! 挟み撃ちにしますわ、撃つタイミングはまだですわよ!」

 3号車車長に指示を飛ばしつつ、ローズヒップは車内の状況を確認した。

「衝突の被害状況!」

「転輪が一個やられたようですが、まだいけます!」

「十分ですわ!」

 

 火力においてはティーガーを貫通できるほどの威力を持ち重戦車の名を冠するパーシングだが、その重量は同じ重戦車であるティーガーの約57tに対して約42tとやや軽い。

 まほはその15tの重量差を活かし、建物ギリギリの所まで車体を寄せて走りローズヒップのパーシングと衝突、弾き飛ばしたのだ。

 無論ティーガーの方も無傷とはいかない。パーシングと激突したティーガーの左側面には大きな傷が出来ている。その損害を覚悟の上で突っ込んできた理由は何か。

 ローズヒップは確信した。ここで西住の姉(結局名前は思い出せなかった)は我々を仕留めるつもりなのだと。

 

「……上等ですわね!」

 ローズヒップの口元に笑みが浮かぶ。3号車は既に急速後退してティーガーと距離を広げつつあった。それに狙いをつけるティーガー。態勢を立て直したローズヒップ車はその背面に回り込もうとする。彼女らの進んでいた4車線の道路は、白旗をあげた2号車によって半分が塞がれている。

 ティーガーが2号車を回り込んだ。転輪を軋ませつつもローズヒップ車は3号車を撃たせないための砲撃を行う。だが、双方旋回しつつの砲撃は当たらずティーガーを掠めただけに留まった。

 ティーガーの砲塔がローズヒップ車に向けて回転を始めた。

「今ですわ!」

 ローズヒップが3号車に指示を飛ばした。後退を止め、再び前進にギアが変わる。

 ティーガーからの砲塔を回しながらの砲撃。こちらを細かく狙っていない。挟撃を防ぐための牽制か。

「おほほほ! 単騎で来たのは失敗だったのでなくって!?」

 ローズヒップは言いつつ装填手に目をやった。まだ苦しそうではあるが、淀みない動きで次弾装填を進めている。

「とどめですわ、クランベリー!」

 発砲したばかりで砲塔もこちらを向いたままのティーガーでの3号車の迎撃は不可能。ローズヒップは次弾装填まで時間のかかる3号車の攻撃を、この好機まで待ったのだ。

 だが、まほの表情に焦燥も絶望も無かった。ただ真っ直ぐな戦意のみがあった。

「な!?」

 ティーガーの履帯が唸りを上げる。ローズヒップの眼前で、その重戦車の巨体は180度旋回した。それに合わせ砲塔も3号車の方に。直後に砲撃。

「超信地旋回!?」

 ローズヒップの声には二重の驚きがあった。

 ひとつは雨のアスファルトとはいえ完全な超信地旋回を行ったティーガーの操縦に。

 ひとつは激しく旋回する砲塔内で高速装填を行い、それを正確に射撃した砲手・装填手に。

 

『聖グロリアーナ・パーシング3号車、走行不能!』

 

 車上のまほがこちらを見た。既に上半身はずぶ濡れだ。

「………」

 紅茶を飲んだばかりというのに口の中が乾いている。ローズヒップは唇を湿らせるとハッチに手をかけ押し開けた。少し開けただけで強い雨風が吹き込んでくる。

 そこから身を出し、ローズヒップはまほを見据えた。

「うわっ、何て雨ですの! えー、えーと! にし、西住……」

「……黒森峰隊長・西住まほ!」

 雨の中、通る声がローズヒップの耳に届く。

「そう、それでしたわ!」

「………」

「聖グロリアーナ女学院、パーシング部隊長ローズヒップ! 推して参りますわ!」

 まほは返事をしなかった。ただ、頷いた。

「前進!」

 ローズヒップが指示を飛ばす。旋回したままティーガーは止まらずに進む。ローズヒップ車からそれを追う砲撃。しかしそれは白旗を上げた2号車に阻まれた。

「全速移動しつつ装填! 次で決めますわ!」

 ローズヒップ車はあえてティーガーの至近側面を走り抜けた。まだ砲塔はこちらに向けられていない。ここで旋回しようとすれば砲身が車体に当たる。

 砲身が回せる距離まで離れてからティーガーは砲塔を回しローズヒップ車に攻撃を放つ。しかしこれはパーシングの速度がやや上回った。88mm砲がアスファルトを穿つ。

「転回!」

 砲声が聞こえた瞬間、ローズヒップは操縦手に叫んだ。急ブレーキのかかったパーシングは横に滑りつつその向きをティーガーに向ける。

「今度こそ!」 

 まだ砲撃直後。如何にティーガーの装填手が優秀でも次弾装填は間に合わない。

 ティーガーの前面が光った。雨音に交じり銃撃音が響く。

「機銃?」

 その時、ローズヒップの足元で破砕音が起きた。突如パーシングがバランスを崩す。

「なななー!?」

 優雅とは言えない悲鳴と共に、ローズヒップはこちらに向けられたティーガーの砲門を見た。

 割れかけていた転輪が機銃で破壊された。それに気付いたのは88mm砲がパーシングを撃ち抜いたのとほぼ同時だった。

 

『聖グロリアーナ女学院・パーシング一両、走行不能!』

 

 

 

 放送が流れる。白旗を上げるパーシング隊長車を見届ける事無く、西住まほはそこでようやく車内に戻った。

「あの、隊長。これを」

「すまない」

 即座に装填手がタオルと替えのパンツァージャケットを差し出してくる。まほは手早く重く濡れたパンツァージャケットを脱ぐと体を拭いつつ通信を行った。

「各機、状況を」

『こちらティーガーⅡ。脱出中にラングとパンターが一両ずつやられましたが、自分を含む七両が包囲網を突破しました。現在は副隊長が交戦されている方角から山へ接近中です』

「小梅、よくやってくれた」

 新しいジャケットに袖を通しながら、まほは労いの言葉をかけた。

「いえ、それより副隊長の支援を……」

「ああ、こちらも早急に合流を……」

 まほが言葉を続けようとした時、

 

『聖グロリアーナ・クロムウェル、クルセイダー二両、走行不能!』

 

 その放送は流れた。

 

 

「……これが、西住みほ」

 モニターの画像に、千代の口調は変わらなかった。ただ、傘を持つ手が僅かに震えた。

「……はい」

 その横のエリカは険しい表情を浮かべていた。そうだ。かつての自分もこうやって彼女に負けたのだ。

「姉の西住まほは、作戦として必要なら自分の危険を顧みず戦います。でもそれは、あくまで戦車道の試合の範疇」

 モニターにティーガーが映る。その車上から身を出したままの彼女も。

「―――みほは、自分の『命』を顧みない」

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第二十八話 終わり

次回「紅茶に誇りを、虎に寝床を」に続く


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