「……どういう事だ?」
「言った通りです。本日限り、戦車道を辞めさせていただきます」
黒森峰女学園戦車道・隊長室。執務机に座ったまま、こちらを見据える少女。彼女からの訝しむような質問に吐き捨てるように返す。
「自分の実力ではこの先の黒森峰に貢献できないと思い知りました。これ以上、戦車道を続けようとは思えません」
「………」
「そんな、逸見さん……!」
机の傍らに立つ、もう一人の少女が一歩踏み出した。その胸には黒森峰戦車道の副隊長の徽章が光っている。
「そんな事無いよ。逸見さんがいなくなったら、黒森峰は……」
「……よくそんな言葉が出るわね」
引き留めようとする言葉。おそらくそれに悪意は込められていないのだろう。
「えっ?」
しかし、それが我慢できなかった。
「子供扱いで叩きのめした本人からそう言われて、誰が信じられるのかって言ってんのよ!」
「い、逸見さん……」
「馬鹿にして! アンタ等みたいな化物にもう付いてゆけないのよ、こっちは!」
「………」
何か言葉を続けようとして、そのまま沈黙する。
「分かった。今まで世話になったな」
正面の少女が静かに言った。これで話は終わりだ。
「……失礼します」
呼吸を整え、一礼して背中を向ける。ドアノブに手をかけた時、背後から声がかかった。
「これから、どうするつもりだ?」
「……戦車道の無い学校に行きます。どこか、適当なところに」
数分前まで自分の隊長であった少女、西住まほに顔だけ向けて答える。
それが、黒森峰で彼女たちと交わした最後の言葉だった。
『―――長い船旅、お疲れ様でした。間もなく当連絡船は茨城港に到着します。どなた様もお忘れ物の無いように……』
船内放送のアナウンスに逸見エリカは横たえていた身体を起こした。連絡船の二等客室の桟敷の床は固く、節々に軽い痛みが走る。
周囲を見回すと、既に他の船客は降りる支度を始めていた。家族連れ、大洗の制服を着た女生徒、スーツ姿のサラリーマン。様々だ。
まだ半分夢のような感覚の中、エリカは自分の服装を確かめた。ハーフパンツにシャツにパーカー。黒森峰の制服ではない。
「……酷い夢」
小さく呟くと、エリカは立ち上がりボストンバッグを肩にかけた。
カタクチイワシは虎と踊る 第二十六話 海辺の町に虎は濡れるか
その前日、大洗女子学園・生徒会長室。
「単独で?」
エリカの問いにアンチョビは頷いた。
「ああ。正直なところ、決勝の黒森峰戦まで訓練の時間を最大限まで取りたい」
「学校側にも話は通して5コマ以降の授業は戦車道訓練に当てていいって事になったんだけど、それでも一分でも惜しいからねー」
革張りの会長席に座る杏が口を挟む。言葉を続けるアンチョビ。
「とはいえ、決勝前に黒森峰の戦術を見れる最後の機会である準決勝だ。全くスルーって訳にもいかない」
「だから、私一人で準決勝を観に行けって事ね」
「そういう事だ。お前なら黒森峰の戦術や動きの変化とかも分かると思ってな」
「……仕方ないわね」
ため息を一つつくと、エリカは頷いた。
「日帰りの旅券は用意しておくよ。Ⅳ号の他のメンバーには別の訓練をさせておくから気兼ねせず行ってきて。あと、お土産よろしくー」
杏はそう言うと机の上の皿から干し芋を一枚取り、口に咥えた。
「戦車道準決勝会場への直通バスはこちらでーす!」
連絡船の待合室を出ると拡声器のノイズが混じる声が聞こえてきた。臨時バスを前に、戦車道連盟の帽子を被った係員が案内を行っている。
周囲を見回すと、聖グロの制服や黒森峰の制服を着た女生徒も何人か見える。やはり準決勝という事もあり応援に来ている生徒も多いのだろう。エリカはバッグから色付きのサンバイザーとサングラスを取り出し、身に着けた。気休め程度の変装だ。
バスの行列に並び、別の係員の持つザルに100円を入れる。ここのバス乗り場が込み合うのは年に数回の戦車道の試合の時のみで、その対応も昔ながらのものだ。
一本待ち、次のバスに乗り込む。適当な座席に座り、窓の外を見る。
まだここから試合会場は見えない。バスで30分ほど揺られた先の湾岸沿いの町が今回の試合の舞台となる。もう少し暑くなれば海水浴の穴場ともなる場所で、海岸沿いに横に長く広がる建築物とそれを見下ろすように小高い山が背面にそびえる、すり鉢状の地形だ。
バスは十二分に乗客を乗せるとドアを閉め、走り出す。
エリカは車内の黒森峰の制服を着た少女たちに少しだけ視線を送り、隠れるようにサンバイザーの鍔を下ろした。
試合会場、黒森峰側スタート地点。幾人もの黒森峰戦車道のメンバーが自身の戦車の最終調整に駆け回っている。その並ぶ戦車の中心に位置する隊長車のティーガーⅠの前に立つのは隊長の西住まほだ。
彼女はバインダーに止められた書類を厳しい目で読んでいた。その書類の文頭には「聖グロリアーナ女学院編成」と書かれている。
「隊長、ティーガーⅠの整備完了しました」
そこに、黒森峰のパンツァージャケットを着たみほが報告に来た。
「分かった……みほ、これを」
頷き、まほは持っていたプリントをみほに差し出した。
「え? えっと……聖グロリアーナのオーダー?」
渡されたそれを受け取り、上から読み進めてゆく。
「……えっ?」
その目線の動きは途中、相手の戦車の編成の所で止まった。
「M26パーシング 四両」
端的に書かれた内容。しかし、その文字の示す意味の大きさはみほにも容易に理解できた。
「お姉ちゃん、これって……」
「聖グロリアーナも思い切った手段を取ってきたな。みほ、この試合、今までの聖グロリアーナのデータや戦術は通用しないと思った方が良いだろう」
そしてこの情報を今まで二人が知らなかった事には、もう一つの意味があった。
彼女らの母、高校戦車道連盟理事長である西住しほは当然これを知っていただろう。しかし、試合会場に向かう二人にしほはヒントすら言わなかった。
「勝ちなさい」
それだけだ。
それはつまり、この程度の想定外の事態など乗り越えてみせろという無言のメッセージ。
「……どう使ってくるかな?」
みほの問いに、まほは眉一つ動かさず答えた。
「パーシングの90mm砲ならば1000m先からでもティーガーの正面を抜ける。旧来のチャーチルやマチルダ等を前面に出して盾として、パーシングで後方から砲撃。これが最も相手にとっては有効な戦術だろう」
みほから返されたバインダーを受け取り、まほは言葉を続ける。
「……だが、マチルダの足は遅い。おそらく前進して戦線を構築するまでには時間がある。相手が攻勢を整える前に叩こう」
その言葉にみほも頷く。
「分かった。じゃあ私が先陣の指揮をするね」
「……気を付けて、みほ」
「うん、お姉ちゃんも」
そう答えるとみほは自身のティーガーⅠへと戻ってゆく。それを見送るまほの顔には、副隊長としてでなく妹を心配する姉の表情が浮かんでいた。
「……もうちょっと早く来るべきだったかしらね」
会場に到着したエリカは、既に満席に近い客席を見て呟いた。黒森峰の灰色の制服と聖グロリアーナの紺色の制服が綺麗に分かれており、客席にツートンカラーを作り上げている。
夏の近づきを感じさせる日差しは強く、空を見上げれば入道雲が高く作られていた。今は晴れだが、荒れるかもしれない。滲む汗をタオルで拭い、エリカは自分の座る場所を探した。
出来るだけ黒森峰の客席から離れて座ろうと聖グロ側の客席へと向かう。応援席からやや離れた、一般客が座っている辺りで空席を探す。
「ここ、空いてますよ」
探しているのに気付いたのだろう。エリカが見回していた場所の近くに座っていた女性が、その横の空きスペースを示した。
「どうも、ありがとうございます」
一礼してエリカはそこに座った。高過ぎず低すぎず、モニターを眺めるには丁度良い位置だ。
「さて両校の編成は、と……」
ボストンバッグを足元に置き、一息ついてからエリカはモニターを眺める。
「……って、何よアレ!?」
そして、その表情はモニター横の戦力表示を見て驚きに変わった。
黒森峰女学園
ティーガーⅠ(フラッグ車)×1 ティーガーⅠ×1 ティーガーⅡ×1
パンターG型×8 Ⅳ号駆逐戦車×3 Ⅲ号戦車J型×1
聖グロリアーナ女学院
チャーチル(フラッグ車)×1 マチルダⅡ×7 クルセイダー×2
M26パーシング×4 シークレット枠×1
黒森峰の編成にエリカは疑問は無かった。準決勝ならば、まほはこう出してくるだろうという予測通りのオーダーだ。問題は聖グロリアーナ。
「どうしました?」
エリカの反応に、横の女性が尋ねてきた。
「あ! す、すみません、その、聖グロリアーナの編成に驚いて……」
余程驚いて見えていたのだろう。エリカは照れ隠しにサンバイザーを被り直すと女性に説明した。
「そうなんですか?」
「はい……その、聖グロリアーナは伝統を重視していて、今まで英国戦車以外の戦車の導入は全くしていなかったんです。それが米戦車を四両も使ってきたので、つい……」
「ふふ、お詳しいんですね。貴女も戦車道を?」
女性からの問いに、エリカは一瞬迷ってから首を横に振った。
「いいえ……昔、少しやっていただけで今は……」
「隠さなくて良いわ、逸見エリカさん」
背中に突然氷を入れられたような感覚。
跳ねるようにエリカは女性の正面を向き、サングラスを外した。
栗色の髪を後ろで括り、ベレーを被ったモダン風の服装の女性。
見覚えがある。誰だ? エリカは自分の記憶を必死に探った。直接会った事は無い筈だ。だとしたら何処で? 黒森峰メンバーの身内? いや、家族とまで付き合いのあるメンバーはいなかった。だとしたら戦車道関連の何だ? 思い出してきた。確か月刊戦車道の……
そこまで考え、エリカはようやく眼前の人物が何者かに思い至った。
「島田流……家元……!」
「ご存知とは光栄ね。黒森峰では島田の名前を出すのもタブーと聞いていたから、分かるか不安だったのだけれど」
島田流家元・島田千代はそう言うと微笑みを浮かべた。
「な、何で私の事を?」
「勿論知っています。全国大会初出場で決勝まで進出してきた新星チームの副隊長ですもの。貴女は自分の知名度を謙虚に捉えすぎているわね」
エリカは激しく混乱した。何故ここに島田流家元が? 自分に気付いて座らせたのか? いや、それより聖グロのパーシングは? 黒森峰は対策が出来ているのか? どれ一つとして答えの出ない考えが幾つも生まれ、頭の中で回り始める。
「―――安心して。私は只の観客として来ているだけですから。貴女こそ試合に集中しなさい。もう、始まりますよ?」
そう言うと千代は姿勢を戻し、モニターに顔を向けた。
「……は、はい」
動揺収まらぬまま、エリカも座り直して画面に向き直った。直後に試合開始のファンファーレが鳴り響く。決勝に進出する残り一校が、ここで決まるのだ。
『準決勝第二試合・黒森峰女学園 対 聖グロリアーナ女学院、試合開始!』
放送が響き、中央モニターの両陣営を示す矢印が一斉に動き始めた。
黒森峰はⅢ号を先遣して偵察に向かわせ、他は4車線の道路を利用して密集陣形を組んで前進を始める。おそらくは聖グロの態勢が整う前に電撃戦を仕掛け、パーシングの性能を発揮させる前に敵フラッグ車を仕留めようとしているのだろう。
「……相変わらず迷いのない選択をするわね、西住隊長」
モニターに意識を向けた事で多少落ち着きが戻ってきたようだ。エリカはそう呟き各戦車の動きを更に追う。フラッグ車のティーガーⅠは部隊の最後尾に、対してもう一両のティーガーは本隊の先頭に位置している。おそらく先頭のティーガーⅠに乗っているのがみほ。ティーガーⅡでないのは機動性と安定性を優先したからだろう。
そして、対する聖グロリアーナは―――
「……え?」
「……こう使ってくるとは、思わなかったわね」
絶句するエリカ。
その横の千代は、扇子を広げて口元を隠しながら静かに言った。
無人の町の大通りを進む14両の戦車。最後尾のティーガーⅠのハッチが開く。まほは喉頭マイクに手を添え、偵察に出しているⅢ号との通信を開いた。
「こちら隊長車。Ⅲ号、状況はどうだ?」
『こちらⅢ号。大通り突き当たるも敵影なし。このまま聖グロ側スタート地点の方に向かいます』
「了解した。警戒しつつ進め」
通信を切り、まほは自分の中に生まれた違和感について考えを巡らせた。
聖グロは大通りにいなかった。幾ら遅いマチルダとはいえ、来る気配すら無いと言うのは考えにくい。では別の動きをしているのか、それは何か―――
そこまで考えた時、突然まほにⅢ号からの通信が来た。
「こちらⅢ号! 敵戦車はっけ……うわっ!」
焦るⅢ号車長の声。衝撃音。
『黒森峰女学園・Ⅲ号戦車J型、走行不能!』
直後にアナウンスが流れる。
「……何?」
『こ、こちらⅢ号、申し訳ありません、やられました!』
「謝罪はいい。何が起こった?」
『そ、それが……複数のエンジン音が聞こえてきたと思ったら、突然路地から出てきた数両の戦車が、全速力で走りながら一斉砲撃を……!』
まほの問いに、Ⅲ号車長は自分に起きた事が理解できないような口調でたどたどしく説明する。
「車種は?」
「その、はっきりとは見えませんでしたが、おそらくはパーシングかと……」
「………」
『お、お姉ちゃん?』
先導するティーガーⅠのみほからの声。
まほは考える。まず今まで構築していた想定をゼロに戻す。そしてそこから現在まで得た情報を元に再構築。それで出た答えがどんなに馬鹿げていても、それを迷わず受け入れる。
「みほ、パーシングだが、おそらく守りを捨てて四両とも突撃してきている。来るぞ」
『……分かった!』
みほの返事にも迷いは無かった。まほがそう判断したのならば、それが黒森峰の戦術なのだ。
通信を切り、前方のパンター達を見る。先制を取られた事で動揺しているのが、僅かな減速からも感じ取れる。
「全車両、速度を落とすな。小手先の技で確かな実力は崩せない事を教えてやれ」
『りょ、了解しました!』
動揺を見透かされていた事に気付いたのだろう。まほの激に各車両のメンバーも落ち着きを取り戻してゆく。
「些末な事に気を持っていかれるな。全車前進!」
その先頭を進むティーガーⅠから身を乗り出し、みほは肉眼で周辺を確認していた。
部隊の速度は上がり、既に隊列を維持できる最高速まで上がっている。このまま敵陣に突撃できれば聖グロの部隊は一撃だろう。
だが、そのように行かないであろう事をみほも理解していた。パーシングの運用、装甲を活かした浸透強襲戦術とはかけ離れた戦術。まほの言う通り、今までの聖グロとは何かが違う。
「……!?」
その時、みほの耳は味方と異なるエンジン音を捉えた。それはティーガーの音によって相当に聞きづらいものだったが、確かに異なる音。
「全車両、砲弾装填! 左から敵車両接近中!」
後続に指示を飛ばしつつ、更に音に集中する。左からの音が次第に大きくなってゆく。目の前の交差点、そこから迫ってくる。
「相手は高速です。交差点先の見切れる手前を狙って砲撃してください」
更に音が大きくなる。
「来ます!」
車内の砲手に発砲の指示するタイミングを計りつつ、みほは交差点を見つめた。
「……え?」
思わずみほの口から声が漏れた。
接近していた音は突然ターン音に変わり、今度は急速に離れ始めた。
「こちらに気付いて撤退した?」
だが、その呟きが終わる前にまた音が変わった。今度はみほ達の部隊と水平になり、まるですれ違うように反対方向に筋違いの道を走ってゆく。
「えっ、ええっ!? ほ、方向転換!」
後ろを取るつもりかと考え、みほは減速して転回の指示を飛ばした。すると今度はまた遠ざかっていた音が急速に戻ってくる。
「ま、また!? これって……!?」
『どうした、みほ?』
前方の減速に気付いたのだろう。まほからの通信。みほは懸命に動揺を抑えつつ言った。
「お姉ちゃん、このパーシング……動きが読めない!」
みほの額に汗が浮かぶ。
エンジン音はまた別方向に行ったと思いきや、再び接近しつつあった。
「おーっほほほほっ! ダージリン様、道に迷いましたわーっ!」
パーシング小隊隊長車。手にしたカップから大量に紅茶を溢しつつローズヒップは何故か自信に満ちた声で通信を送った。
『大丈夫、ローズヒップ。もう敵は目と鼻の先よ。その勢いで暴れておやりなさい』
「お任せですわ!」
「車長! 敵ティーガー、発見しました! 一本筋違いの道路です!」
同じ道路を行ったり来たりを繰り返していた操縦手が報告する。
「道理でこっちに居ないと思いましたわ! すぐにお向かいなさい!」
指示を飛ばし、最大速度のままパーシングは転回する。時速40㎞近い速度の中での転身は流石に優雅とはいかず、周辺の建物や電柱に削り跡を残す。しかしローズヒップはその揺れの中でも涼しい顔で紅茶を溢しつつ飲んだ。
「行きますわよ、西住姉妹ー!」
『何故か』減速していた先行部隊に、四両のパーシングは最大速度で突撃した。
カタクチイワシは虎と踊る 第二十六話 終わり
次回「二匹の虎に紅茶は嗤う」に続く