山岳部東側麓。丘上からの攻撃を警戒し移動し続けるⅣ号戦車内、逸見エリカは各所に通信を送っていた。
「こちらトラチーム、ウサギさんチーム、状況は?」
『こちらウサギチーム! CV33は撃破しましたが、上のP40は車体の大きいM3から狙ってきています。動きが取れません!』
「了解、そのまま回避行動優先でP40の砲撃を引き付けて。狙いがそちらに向いている内にこちらの相手を仕留めるわ。隊長、そっちは?」
『こちらイワシ、もうすぐ山頂に着く。後方からの追撃無し』
『こちらカバチーム、その後方の三両のCV33と引き続き交戦中! 三両とも履帯を狙ってきてい……くっ!? や、やはり、こちらの足止めが目的のようだ!』
エルヴィンからの通信が割り込む。カンカンと後方からの音。継続的に機銃を撃たれているようだ。
エリカは眉をひそめ、アンチョビに言った。
「ねえ隊長……アンタ、まさか重戦車二両にCV38単騎で勝つつもりじゃないでしょうね?」
『流石にそこまで無謀じゃない……けど、そのつもりで粘るから、早めに来てくれ。こちらにも考えがある。上手くいけばペパロニの動きを制限できる筈だ』
「……了解。待ってなさい」
アンチョビの声は落ち着いている。エリカは息をつき、僅かに笑った。通信を切り、車内の優花里たちに号令をかける。
「P40の狙いがM3に向いている内にセモヴェンテを最優先で撃破、残りのCV33はB1bisに任せて私たちは山頂へ向かいましょう。特急便で行くわ! パンツァー・フォー!」
カタクチイワシは虎と踊る 第二十三話 叫べサラミ、吼えよイワシ
「……で、どうする?」
山岳中部、山頂へ向かう道をCV38は最高速で進む。軽い車体は時折浮き上がるように跳ね、CV38の低い天井に頭をぶつけそうになる。
「エリカに言った通りだ。倒すつもりで時間を稼ぐ。私たちが山頂に着けば、麓を狙っているP40もこっちを狙わざるを得ない。麓の敵で警戒が必要なのはエリカ達が相手をしているセモヴェンテ二両だけ。まだ勝算はある」
麻子の問いにアンチョビは返す。
「今回も一発食らえばアウトか。一度くらい、もっと固い戦車を動かしてみたい……」
ため息をつきながらも、その手足は別の生き物のように素早く動き続けている。比較的起伏の少ないルートを選び、一秒でも早く山頂に着こうとしている。
アンチョビは揺れる車内で体を起こし、ハッチから顔を出して双眼鏡を構えた。
傾斜が次第に緩くなってきている。そろそろ山頂だ。木々の先、アンチョビの視界に開けた草原が見える。そこに位置するのは―――
「麻子、右だ!」
咄嗟にアンチョビは麻子に指示を飛ばした。直後に強烈なGがかかり、体が左に持っていかれるのを何とか堪える。
直後、一車両分左の土が跳ね上がった。P40の75mm砲の砲撃だ。
「もう撃ってきたか! ええっと……」
片手で体を支えつつ、アンチョビは更に確認しようとする。こちらに砲塔を向けているP40が一両、背中を向け、下に向けて撃っているP40が一両。どちらもその車体にはフラッグが付けられている。
「まだ偽装を外していないか……」
アンチョビも可能とは言ったが、実際、ペパロニのこのフラッグ車の偽装は相当にグレーゾーンの戦法である。「フラッグ車の偽装をしてはいけない」と明文化されていないだけで、おそらくは運営に抗議をすれば通るだろう。
だが、アンチョビはそれを正面から受け止めようと思った。
ペパロニは、明るく馬鹿な後輩は統帥となり、アンチョビ率いる大洗を倒すため渾身の策を練り、勝とうとしている。
その執念を受けきり、打ち破る事が出来ずに勝っても決勝戦で黒森峰に勝つ事は出来ないだろう。そう考えた。
『アンツィオ高校・M41セモヴェンテ、走行不能!』
放送が流れる。エリカ側で交戦していた一両を撃破できたか。
「エリカはこれで来てくれるか……なら、私もしっかり仕事をしないとな」
そう呟き、アンチョビは双眼鏡を外して車内に戻る。
「ペパロニ、カルパッチョ、回線を開け! 周波数は『いつもの奴』だ!」
大きな深呼吸をひとつした後、アンチョビは通信を全方位に開くとそう言った。
その間にも麻子は操縦桿を動かしCV38を山道から横の雑木林に入れ、敵の射線を避けつつ山頂に迫る。
数秒の後、CV38に聞き慣れた声が響いた。
『……どうしたんスか、降伏ッスか、アンチョビ?』
『……ご無沙汰しています』
ペパロニ、そしてカルパッチョの声。
その声にアンチョビは、過去のアンツィオで自分が指揮を執っていた時の事を思い出した。敵の戦術で窮地に陥った時、部下に動揺を悟られないよう三人で話し合った時の周波数。こうやって必死に語り合い、窮地を脱する策を練り合った。
―――だが、今は倒すべき相手だ。
「ペパロニ! フラッグ車の偽装とは、随分とらしくない手段を使うじゃないか!」
『心外ッスね! これはアンタも考えていた作戦だった筈ッスよ!?』
『………』
即座に言い返してくるペパロニの声。対してカルパッチョは無言だ。
その間にもCV38は速度を緩める事無く進み、雑木林を抜けて山頂の草原に出た。双眼鏡無しで視認できる距離。CV38の右前方、砲塔を回しつつあるP40が一両。左前方、崖付近で下方に向けて砲撃していたもう一両のP40も車体を転回させつつある。
どちらかが本物のフラッグ車、ペパロニはそこに居る。それはどちらか。
「下への狙いが逸れた! 皆、上からの攻撃は気にせず一気に動け!」
『りょ、了解しました。ウサギチーム、山頂への支援に向かいます!』
『トラチーム、もうそっちに向かってるわ。ちょっと持ち堪えなさい』
『カモチーム、了解です!』
『カバチーム了解! こいつらは絶対に向かわせない!』
味方の全車両に通信を送る。それに応えてくる味方の士気は高い。
「で、どう動く?」
操縦を続けながら、麻子は横目でアンチョビに尋ねた。
「まずカルパッチョ車の足を潰す。それからペパロニ車を狙っていこう」
「……どっちだ?」
「それは……っ!」
急激な減速にアンチョビは危うく頭をフロントにぶつけそうになった。直後にその眼前に着弾するP40の徹甲弾。そのまま前進していれば一撃で白旗が上がっただろう。
「言っておくが、あまり余裕は無いぞ」
右のP40からの砲弾を回避したとはいえ、左のP40も転回を完了させてこちらを狙いつつある。この調子で連続砲撃を食らえば、回避し切れず撃破されるのは時間の問題だろう。
「分かってる……二発だけ耐えてくれ。それまでに判別させる」
「判別?」
麻子の疑問に答えず、再びアンチョビはペパロニ達との通信を開いた。
『……またッスか。今更思い出話でもしようってのなら遅いッスよ?』
挑発的なペパロニの声。それを聞きつつ、アンチョビはマイクを持ったまま車外に顔を出して二両のP40を見詰めた。
「安心したよ! ペパロニ、お前にアンツィオを任せたのは正解だった!」
『何?』
右のP40の砲塔が止まった。砲撃は来ない。
左のP40の砲塔が回る。こちらを狙う。
左のP40からの砲撃、紙一重で避ける。
「みんなもお前に付いてきてくれている。私が居た頃より、戦術だって自在に立てられるようになった! これはお前のアンツィオ戦車道だ、ペパロニ!」
更にペパロニに言葉を送る。その言葉と思いに嘘は無い。嘘の混ざる言葉で、相手の心は動かない。
『まだ……まだッスよ! アンタを叩き潰すまで、アンツィオはアンタのアンツィオのままだ!』
その言葉は、アンチョビの思っていた以上に彼女を激昂させたようだった。怒鳴り声に近い声が聞こえてくる。
右P40の砲塔が回った。こちらの走るやや先に向けられる。予測射撃。
「麻子、右がペパロニだ! 左のカルパッチョの方に向かえ!」
一旦通信を切り、アンチョビは麻子に指示すると車内に戻り銃座に着いた。
右P40からの予測射撃をCV38は咄嗟に左に曲がって回避する。右P40の装填の間に左P40に向かって急激に接近を図る。左P40の射線上に右P40が入るようにして砲撃を防ぐ。誤射による同士討ちを警戒して左P40は撃ってこない。再びペパロニに。
「そんな事は無い! お前は……」
『アンタは自分が作ったものがその程度だと思ってるんスか!』
アンチョビの言葉を遮るペパロニの怒声。
『アタシも! カルパッチョも! 他の連中も! みんな、みんな、アンタが集めて築いたモノだ! それをそんな、軽い言葉だけで片づけられたら苦労しないんスよ!』
悲痛なペパロニの言葉。それはアンチョビの心に突き刺さる。だが、アンチョビはその心を懸命に横に置き戦場に意識を集中する。背後の右P40を警戒。砲撃は来ない。
「(……やはり、ペパロニは右か!)」
アンチョビが二両のP40を判別できたのは、実際恐ろしく単純な理由による。
それは「普通の戦車は車長が通信を行いながら自在には動けない」という事だ。
車長とは戦車の脳にあたる存在であり、それを無視して砲手が勝手に発砲したり操縦手が勝手に動きだしたりしては戦闘にならない。無論、咄嗟の判断は各員に必要とされるスキルではあるが、それはあくまで緊急時での話だ。
結果、車長が通信を行う場合は戦車の指示に手が回らなくなる。それを軽減するために通信手が存在する訳だが、ペパロニは自身が直接通信する事にこだわり、それを戦術に利用していた。それを逆手に取った格好だ。
先ほどからの敵への通信でアンチョビが見定めようとしていたのは、自分からの通信に対しての反応と戦車の挙動。右のみ、ペパロニの通信が終わってから動いていた。
とはいえこの戦法はこちらも同様の戦車ではお互いに動けず意味が無い。CV38という小回りの利く車両と、アンチョビが指示を出さずとも的確な動きを行える麻子という破格の操縦手がいてこそ可能だった手段でもあった。
「……来るぞ」
麻子が呟き、極僅かに操縦桿を右にやった。至近に着弾。巻き上がった土砂がCV38に被さる。
「一撃離脱で脚を壊す。銃撃後に即離脱!」
「外すなよ」
アンチョビは20mm機関砲を構え狙いを定めた。火力が強化されたCV38だが、それでもP40の正面装甲50mmを一撃で抜ける程の威力は無い。狙うのは履帯の一点。
「悪いな、カルパッチョ!」
20mm機関砲が火を放つ。数発弾かれた後、左P40の履帯は耐え兼ねたように弾け飛んだ。バランスを崩し、やや斜めになる左P40。
「すぐにペパロニを狙う! 何とか後ろに回り込め!」
「人使いが荒い……!」
左右の操縦桿を逆に動かし、走りつつその場で180度ターンを決めるCV38。右P40は砲塔をこちらに向けたまま、射線上に左P40が来ないように位置を変えようとしている。それに追いすがるCV38。
『やってくれたッスね! それでこそアンタを倒す意味がある!』
ペパロニからの通信。向こうからの通信に意外に思いつつもアンチョビはそれに返した。
「それは私も同じだ! この位手応えが無いと倒す意味が無いからな!」
『はっはー! 勝つつもりッスか、ここから!?』
「……負けない、いや、勝つ!」
『……!?』
僅かな会話の間を利用し、CV38は右P40の懐まで潜り込んでいた。ここまで至近距離に近づけば、砲塔の生きている左P40からは狙えなくなる。
CV38の銃撃が右P40の正面に火花を起こす。やはり貫通はしない。
「くっ!?」
麻子の操縦桿捌きの速度が上がる。付近への着弾。
「近いぞ」
「CVの性能をペパロニは完全に把握している。予測射撃も正確だ」
弾倉を交換しつつアンチョビが言う。
「だが、正確だけに撃ってくるところはこちらも予測しやすい……機関部を狙う。麻子、頼むぞ」
「練習で一回も成功しなかったものを成功させるのか、大変だな」
皮肉めいた言葉と裏腹に、麻子の口元に不敵な笑みが浮かぶ。
CV38と右P40が正面から向き合う。100mも無い至近距離。
「……アーヴァンティ!」
アンチョビの叫びと共にCV38が唸りを上げた。真正面からP40に向かう。
75mm砲が放たれた。麻子は僅かに操縦桿を動かす。紙一重でCV38の左側面を抜ける砲弾。塗装が削られる。更に接近。
「行くぞ」
麻子は操縦桿を右に最大まで動かし―――直後、ギアをニュートラルに戻し、操縦桿から完全に手を離した。
横滑りするようにP40の側面を抜けるCV38。激しい揺れの中、銃座で構えるアンチョビ。
履帯が外れる寸前まで堪え、麻子は再びギアを戻して操縦桿を握った。
CV38が停止する。位置はP40の真裏。機関部直前。
アンチョビはトリガーを引いた。放たれる20mm徹甲弾。
激しい銃撃音、マズルフラッシュがアンチョビの視界を遮る。
「………」
「………」
最後のドリフトで集中力を使い切ったのか憔悴しきった表情の麻子と、1マガジン分の弾を撃ち切り険しい顔のままのアンチョビ。
攻撃判定装置が白旗を上げるか判別しているであろう数秒間。それが異様に長く感じる。
―――やがて、P40から白旗が上がった。
「……私の勝ちだな、ペパロニ」
大きく息をつき、アンチョビは言った。
『……いいえ、貴方の負けです。統帥』
それに返事を返したのは、カルパッチョの声だった。
『アンツィオ高校・P40、走行不能!』
放送が流れる。勝利の放送ではない。アンチョビは車外に出て背後を見た。
左P40の砲身が、向けられている。
「……苦労したッスよ、ハンドサインでウチの連中に動いてもらえるようにするには」
履帯を切られたP40車内、ペパロニはアンチョビに通信を送りつつ砲手にサインを送った。狙いを定めるP40砲手。
「待った! 姐さん、Ⅳ号です!」
操縦手の報告。ペパロニはそちらの方向を見た。確かにCV38を挟んだ対角線上にⅣ号戦車が見える。セモヴェンテを抜けて上がって来たか。
「構わねえ、そのまま撃て!」
だが、遅い。P40からのCV38までの距離とⅣ号からP40までの距離とでは前者の方が短い。仮に同時に撃ったとしても、先にCV38の白旗が上がる。
「楽しかったッスよ、アンチョビ姐さん!」
二つの砲声が、同時に響いた。
カタクチイワシは虎と踊る 第二十三話 終わり
次回「統帥」に続く