カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第二話 イワシは虎と喧嘩する

「逸見……エリカ?」

 大洗女子学園生徒会室。角谷杏はアンチョビが探し当てた生徒名簿を広げた。

「ああ。昨日のオリエンテーションで、ひとり反応が変だったから気になってたんだ。去年の決勝戦の映像にちょっとだけ顔が出てたから分かったけど、見落とす所だった」

 アンチョビが私物の月刊戦車道・第62回全国高校生大会特別号を広げる。

 

 

 そこには優勝旗を掲げる西住まほとみほの姉妹の写真が大判で掲載されている。

 その背後に整然と並ぶ黒森峰メンバー。その中に一人、薄灰色の髪の少女がいる。

 立っている位置が中央に近い所からして相応のポジションに就いているのだろう。写りが小さいから断定こそできないが、確かにオリエンテーションで険しい表情で戦車道の映像を見ていた少女にも見える。

 

 

「……逸見エリカさん、確かに黒森峰からの転校生です。時期的にも去年の大会の一か月後に大洗に来ていますから一致しますね」

「だが黒森峰での選択科目は華道になっているな。戦車道をやっていなかったのか?」

 柚子の捕捉に桃が疑問を投げかける。それに答えたのはアンチョビだった。

「おそらく……黒森峰にいた頃に、戦車道で何かあったのかもしれないな。転校前の選択科目とか、わざわざ先方に確認する事でもない。偽装は可能だ」

「……だとすると、素直に戦車道は選んでくれなさそうだね」

 杏は干し芋を一枚咥えると、腕を組んで天井を見た。

「とはいえ戦車道経験者は一人でも必要です。この際、本人の希望を無視してでも……!」

 桃が身を乗り出して言う。優勝しなければ廃校になるという切羽詰まる状況の中、少しでも勝率を上げたいと考えるのは当然だ。そこにアンチョビも異議はない。だが……

「それなら最初から入れない方がいい。無理矢理に戦意の低いのを強制参加させても周辺に戦意の低下を波及させるだけ。結局はマイナスの方が大きくなる」

 アンチョビはそう言ってひらひらと手を振った。

「それじゃ、諦めるんですか?」

「誤解するな」

 柚子の質問に、アンチョビはニヤリと笑みを浮かべた。

「要はその気にさせればいいんだ。アクが強くて食えない素材も、アクを抜けば食える……まあ、ひとつやってみようじゃないか!」

 そう言うとアンチョビは立ち上がり、エリカの名簿を懐に入れた。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第二話「イワシは虎と喧嘩する」

 

 

 同日放課後、大洗学園の戦車ガレージに十数名の統一感の無い服装の少女達が並んでいた。昨日のオリエンテーションの結果、戦車道履修を選んだ生徒たちである。

「えーと、何人だ?」

 ガレージ前に揃った一同を眺めながら、アンチョビが隣の杏に聞いた。

「私や河嶋や小山を含めてちょうど20人……思ったより少なかったね」

「まあ、そこは車輌数も少ないから丁度いいさ。多すぎても溢れてしまうしな。さてと、それじゃ誰をどれに乗せるか……」

「あのー!」

 早速割り振りを考え出したアンチョビに対し、一団の中のウェーブがかった髪の少女が手を挙げた。二年の武部沙織だ。

「会長、その隣の娘って誰? 見たことない感じなんだけど……?」

「ああ、そういえばまだ紹介してなかったね。そんじゃチョビ、自己紹介」

「チョビと呼ぶな! というか軽いな……まあ、いいか」

 沙織のもっともな質問に杏が頷くと、アンチョビの肩を叩きながら促した。呼ばれ方に文句を言いながらも、アンチョビは改めて一同の前に立った。咳ばらいをひとつ。

 

「コホン……えー、戦車道の履修を選んでくれた諸君、よく来てくれた! 私はドゥー……じゃなかった。私は本日、戦車道経験者としてここ大洗に来させてもらった安斎千代美と言う。今後は教官兼隊長を務めさせてもらうが、アンチョビ隊長と呼んでくれ!」

 

 そう言いつつアンチョビはマントを翻すような素振りをした。数秒後、誤魔化すようにパタパタとスカートを叩く。昔の名残がまだ取れていないようだ。

「アンチョビ?」

「彼女もまた、ソウルネームの持ち主か……」

 軍服の少女エルヴィンの呟きに、トーガを巻いた少女カエサルが頷く。

「しかし食べ物のソウルネームとは変わってるな……」

「食べ物、先生といえば、甘藷先生こと青木昆陽ぜよ」

 その横に立つ左衛門佐が左目を閉じつつ言うと、更にその横のおりょうが返した。

『それだ!』

 前の三人が一斉におりょうを指さす。

「……話を続けていいか?」

『すみません!』

 アンチョビの言葉に一斉に頭を下げる四人。

 

「さて、これから諸君には実際に戦車に乗ってもらう訳だが、その前に一つ言っておく……難しい事は考えなくていい、まず楽しめ! 楽しめれば強くなる。強くなればもっと楽しくなる、それが戦車道だ!」

「楽しまれるだけでは困るんだがな……」

「まあ、最初から厳しく言っても嫌がられるから……」

 後ろで話を聞く桃が小さく言う。それをやはり小声でフォローする柚子。

 

「肝心なのはノリと勢い、そしてちょっとの頭だ!」

「キャプテンと同じような事を言ってますね……」

「勢いが試合の流れを変えるのは同じって事だね。同感だ」

 元バレー部勢の近藤妙子が隣の磯部典子に言う。典子はシンパシーを感じたのか深く頷いている。

 

「あと欠かせないのは食事だ! 練習のあと、試合のあとの飯は美味いぞ!」

「ご飯出るんですか!?」

「食べ過ぎないようにしないと……」

 一年生の坂口桂利奈が目を輝かせる。その横の宇津木優季は体重が気になるようだ。

「まあ、後は実際に戦車に乗って覚えてもらうとしよう。じゃあ早速……」

 

「随分と景気のいい事ばっかり言っているわね?」

 

 話を締めようとしたアンチョビの言葉を遮るようにして、鋭い声がガレージに響いた。

 声の方向を見れば、一同よりや後ろ、入り口の鉄門の傍に一人の少女が立っていた。

「(来たか)」

 アンチョビは不敵な笑みを浮かべたまま彼女を見た。薄灰色の髪の、こちらを強く睨みつける少女、逸見エリカを。

「やあ、よく来てくれたね」

「校内放送で呼び出したのはそっちでしょうが……」

 笑顔で迎えて進み出た杏に対し、エリカの表情はあくまで固い。

「あはは、まあそうなんだけどね……ねえ、逸見さん。戦車道を履修してくれない?」

「断るわ」

 単刀直入な杏の申し入れに、エリカはやはり一言で返した。

「……また随分とバッサリとした断り方だね」

「というか、意味が分からないわ。何で素人の私を捕まえてそんな話を? それ以外の用件が無いのなら帰らせてもらうけど」

「……素人じゃないよな。元黒森峰女学園ティーガーⅡ車長、逸見エリカ?」

 既にエリカは身を翻そうとしていた。その背中にアンチョビが言葉を投げかける。ガレージを出ようとしていた足を止め、背を向けたままエリカは答えた。

「……詳しいのね。それより貴女、アンツィオ高校はどうしたのよ?」

「ま、そこは色々とあってな、色々と……それより私を知っていたのか。光栄だ」

 静かな緊張感が流れる。腕を組みエリカを見詰めるアンチョビ。

 

「アンチョビ……黒森峰の逸見エリカ……見覚えはありましたが、やっぱり……!」

 その二人を見つつ、今まで黙っていた癖毛の少女が驚きを隠さず言った。

「ご存じなんですか? えっと……」

 その横の黒髪長髪の少女、五十鈴華が彼女に尋ねた。

「あ、どうも、秋山優花里と言います……その、高校戦車道には、黒森峰の西住姉妹を初めとして名選手・名隊長と言われる人が何人かいるんですが、あの二人はその中ではそれなりに名の知れた人物です……まあ、戦車道マニアの中での話ですけど」

「強いんですか?」

「安斎さん……アンチョビさんは、去年までアンツィオ高校で戦車道を率いていた隊長で、それまで全く無名だったアンツィオの戦車道を育てあげ、昨年の大会では一回戦を突破しベスト8まで上がりました」

「……失礼ながら一回戦を勝っただけで、そこまででは無いような……」

「凄いのはその戦力です。普通は戦車としては戦力にならないCV33、あ、あそこにある、通称豆戦車って言う、只の自動車に薄い鉄板と機銃を付けただけのような戦車なんですけど、それが大半と僅かの突撃砲だけで突破したんです」

「そうなんですか……それで、もう一人のエリカさんと言うのは?」

「それは……」

 優花里が説明しようとした時、アンチョビの声が響いた。

 

 

「……何故やらない?」

「無駄な事をするつもりは無いわ」

 エリカはアンチョビに背を向けたまま、顔だけを傾けて答えた。

「無駄?」

「練習して、それなりに戦車を扱えるようになっても、そこには厚い壁があるだけ。凡人の努力じゃ絶対に越えられない壁がね。私は貴女より先にそれを知った。それだけよ」

「越えられない壁か」

 アンチョビはエリカの瞳を見た。心折れた者特有の淀みと濁り。

「(だが、まだ完全に折れてはいない……かな)」

 その口元は固く結ばれている。心の底の悔しさを示すように。

「それじゃ、試してみようじゃないか」

「試す?」

 怪訝な顔をするエリカを見たまま、アンチョビは傍らのCV33の上に乗り、胡坐をかいた。

「私はこのCV33に乗る。お前はそこのⅣ号戦車に乗る。それで勝負をして私が負けたら、これ以上の勧誘はすっぱりと止めるよ。その代わり、私が勝ったら戦車道に入ってくれ」

「……本気で言っているの?」

 エリカが呆れたようにアンチョビに向き合った。

「ねえ、えっと、秋山さん、それってどうなの?」

 彼女が戦車に詳しいと見た沙織が優花里に聞いた。難しい顔で優花里が答える。

「正直、1対1で勝負になるというレベルではありません……Ⅳ号戦車も戦車としては重装甲ではありませんが、それでもCV33の8mm機銃で抜けるかと言うと厳しいです。逆にⅣ号の75mm砲は、一撃でCV33を戦闘不能にできます」

「……厳しいどころじゃないのね」

 沙織は納得した。そしてそれは当然アンチョビ達も知っている事だろう。実際エリカはアンチョビの思惑を図るように彼女の顔を見た。不敵な笑みを浮かべる顔を。

「………」

「………」

「……分かったわ。そんな簡単な条件で今後の面倒が無くなるなら、一度だけ乗るのを

我慢しましょう」

「そう来なくてはな。勝負開始は30分後、範囲は学園敷地内。搭乗者はお前が選んでくれ」

 アンチョビは膝を叩くと立ち上がり、杏に言った。

「杏、今日の練習は見学としよう。中継とかできるか?」

「んー……放送部のドローンを借りればできるかな? 河嶋、ちょっと借りてきて」

「はっ、すぐ調達してきます」

 桃が素早くガレージを出てゆく。杏はCV33に乗ったままのアンチョビに近づいた。他に聞こえない程度の声で囁く。

「大丈夫なの?」

「まあ、任せてくれ」

 そして、アンチョビはエリカに手を振りかざして言った。

「……見せてやろう。越えられない壁の越え方をな」

「………」

 エリカは答えず、無言でⅣ号戦車の状態を確認に向かった。その背中を見ながら、

アンチョビは内心で呟いた。

 

 

「(さて……勢いで言っちゃったけど、どうやって勝とう……)」

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第二話 終わり

次回「虎の涙とイワシの牙と」に続く


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