この世界において成人とは『十歳』からと法律で規定されている。
正確には地方ごとに微妙に異なるのだが、一番早くて十歳、遅くとも十二歳くらいには成人認定されるので、二十歳で成人とされていた前世よりも随分と早いことには変わり無い。
ただしこの場合の成人とは『社会的に庇護されること無く独立しても許される年齢』であって前世での成人とは少しばかり意味あいが変わる。
簡単に言うと、この世界において成人するまでは親など保護者に子供への保護監督義務があるのだが、成人することによってこれが無くなる。
もっと分かりやすく言うと、トレーナーになって旅に出たり、ジムに挑戦したりという『本人の意思に寄る決定』に保護者の同意が必要無くなるのだ。
勿論これはトレーナーにだけ適用されるようなものではなく、小学校卒業からそのまま進学したり、或いは何らかの企業に就職したり、そういう法令上における個人の独立を認めることである。
ただ実際のところ、成人したからと言ってすぐに家を出て独立できるか、と言われると余りそう言う事は無い。成人したての十歳の子供がいきなり就労できるか、と言われればまあ無理だろうし、当然の話である。
故にこの世界ではポケモントレーナーとなって旅をする子供が多くなる。
それまで何をするにも保護者の同意が必要だった立場から一転して、自らが何もかも決められる立場になるのだ。
そうなると何でもかんでも自分で決めたくなるのが子供というもので、そんな子供が親の目から離れるとなると地方を旅するのが一番手っ取り早い。
この辺りのトレーナーになるための敷居の低さ、みたいなのが今ちょっとした問題になってたりするのだが、それはまあおいておいて。
前世と違ってこの世界において『成人』とはそういう社会的に立場、或いは権利を保障する類のものであって、それ以上のものではない。
何が言いたいかというと、成人であるということはイコールで大人である、ということにはならないのだ。
例えば飲酒、或いは喫煙。
現代日本で二十歳未満におけるそれらの行為を禁止されていたように、この世界においても大人になるまでは制限がされている。成人だから、なんて理由では解禁されないのだ、それは。
ただしこの大人の基準というのも地方ごとに違ってきてややこしい話ではあるのだが、それ以上にこれらの法律はあくまで『人間』を対象とした法律であり、ポケモンに関してはそれらの法律が存在しない。
故にタマゴから産まれたばかりのポケモンに酒を飲ませたとしてそれが何か法に反するかと言われると別にそんなことはないのだ。
ただ同時にトレーナーには手持ちのポケモンの監督義務が存在するので、酔ってポケモンが暴れて被害が出たらそれはトレーナーが負うべき責任となる。
なのでうっかり伝説のポケモンが酒に酔って海底火山を噴火させたり、陸地に勝手に川を一本増やしたりするとそれで怒られるのは俺なのだ。
―――なので、この一言も止む無しである。
「お前ら、今後一切禁酒」
「うぁー」
「うぼぁー」
「何ともまあ」
呆れたようなデルタを前に、リップルとアクアが片づけ忘れたらしい酒を間違えて飲んでしまった二体の伝説のポケモンはアルコールにやられたような青い表情で言葉にもならないうめき声をあげていた。
「それからリップルとアクアは後で話があるからな」
「う”ぇ”っ!?」
「ぬわっ?!」
あ、やべえ、みたいな表情しながら遠くからこちらを伺っていた二人が顔を引きつらせる。
そもそもこいつらがしっかりと管理していれば良かっただけの話なので、当然である。
「デルタ、悪いけどこいつら布団に投げといてくれるか」
「ああ、分った」
やれやれ、と嘆息しながら二体の伝説の襟元を掴んで引きずっていくホウエン三体目の伝説。
平和な光景だなあ、と思うのだがさっき酔った勢いで二体の伝説がとんでもないことやらかしてくれたので実情的には全く平和では無かった。
* * *
温泉というのは素晴らしい文化だと思う。
遥か昔、まだ野生環境にいた頃のアクア……ラグラージには『風呂』という文化が無かった。
まあ野生のポケモンだから、とかそれ以前にラグラージは『みず』タイプのポケモンだ。
その生息域は基本的に水辺ではあるが、下流寄りになる。
進化前のミズゴロウやヌマクローは生態の一部として『泥』を必要とする。泥というのは川に流された小石や砂が流れている内にさらに細かく削られて出来上がるものなので、必然的に流れの下のほう、つまり下流域に出来上がる。必然的にラグラージたちの住処というのもそちらに寄るのだ。
逆に温泉というのは火山が必要になるので山の周囲に出来上がるものだ、故にミズゴロウとして生き、ヌマクローへと進化し、ラグラージへと至るまで一度たりとも見かけることも無くその存在すら知らなかった。
というか『みず』ポケモンは基本的に水温に適した生態をしている、つまり水の冷たさには比較的強いので水をわざわざ温めるという発想が無かった。
そもそもホウエンは比較的南のほうの地方であり、一年を通して温暖な気候が続く。
さすがに冬にもなれば寒さも感じるが、基本的に水温も高く言うなればプールで遊んでいるような心地よさがあるのだ。
だからアクアがハルトの手持ちになって風呂という文化を知った時、何でわざわざそんなことを、という疑問が出てきたのは当然のこと。
けれど一度その文化に浸ってみれば最早抜け出すことなどできるはずも無かった。
あの伝説と称される、自身よりもさらに過去より生き続けるポケモンたちを見て思うのは、長く野生に生きるポケモンほど文明に浸ると『ハマる』のではないか、ということだった。
ポケモンとは人と同レベルの感受性と情緒を持った生物だ。
故に人間が長い時の中で研鑽し続けてきた『娯楽』という名の文化は、その長い時を生き続けてきたポケモンたちにとってまるで麻薬か何かのように一瞬で浸透した。
あの大海の王が、それと同列に語られる大地の化身が、これほどまでに平和を甘受するなど、誰が予想できるのだ。
「カイオーガ、か」
かつて戦った強大な敵の名。
今となっては同じトレーナーに、同じパーティ……群れに属する仲間となったポケモンの名。
「大したものよ……」
本当に、真実、心底そう思う。
かつてアクアは、まだラグラージだった頃の自分は荒れ狂う大海の王に戦いを挑み、完膚なきまでに敗北し、氷漬けにされた。
間違いなくアクアは当時の……ゲンシの時代と呼ばれていたあの時代のホウエンで最強格のポケモンだったと自負する。
海で荒れ狂うゲンシの時代のギャラドスの群れと戦いその親玉を水底にまで沈めてやったこともあった。
陸からやってきた狂暴な一匹狼気質のバシャーモを叩きのめし、空より襲いかかる巨大なボーマンダの頭を砂浜に埋めてやったこともあった。
今と違い、ポケモン同士の野生環境での戦いがさらに過酷だった当時においてすら、アクアは最強だった。
けれどそれは結局、同じ規格の生物の中では、という言葉が付く程度のものでしか無かった。
カイオーガと当時の人間たちに名付けられた海の怪物を相手にけれどアクアは敗北した。完敗した、一分言い訳の余地も無く負けた。圧倒的な力の差を思い知らされた。
そうしてアクアはあの海底洞窟の中で長い時を過ごした。
「そうして目が覚めれば、またやつと戦うことになるとは、何とも不思議なものよな」
―――手を貸してくれ、お前が必要だ。
そうして差し伸べられた手を取ったその時から、ゲンシの時代より眠っていたはずのラグラージはアクアという名のハルトの手持ちとなり、カイオーガと戦うことになり、打ち勝つ。
「本当に、大したものよ」
あの時の自分にできなかったことをハルトは成し遂げた。
あのゲンシの時代に、今よりも強大なポケモンが多く存在していたあの時代に、アクアたちが力を結集し、それでも一蹴した存在をかつてより平和な時代で、かつてより少ない数で見事倒したのだ。
最早帰る場所も無い身ではあるが、けれど真実ハルトを自身のトレーナーとして認めたのは間違いなくあの瞬間だっただろう。
元よりそうプライドの高い性格ではない、と自分では思っているがそれでも元は野生のポケモンで、多くの『みず』ポケモンたちの群れの長だった身なのだ。
洞窟の中で助けられた時、利害が一致したし、自身にも劣ることのない強大なポケモンたちを率いるハルトに従えられることを一時認めはしたが、それでも容易く頭を垂れるつもりは無かった。
「まあそれも今は昔のことよ」
今の自分はハルトという長を頂く群れの一員であり、トレーナーという人の社会におけるポケモンのエキスパートの下についた仲間であり、この大きなねぐらの家族の一人でしかない。
最早自分たちが全力で生きてた時代は当の過去。その頃の因縁をどうこう言ったところで後の祭り。
元より野生の中で生きていたのだ、カイオーガとのことも敵意はあっても恨みはない。そのカイオーガとの決着もついた以上、最早それを引きずることも無い。
「何より今は温泉で酒が美味い」
危うくハルトに没収されそうになったのを必死に謝って取り返した徳利にたっぷりと注がれた白く濁る『いのちのしずく』をお猪口に注ぎ、一気に飲み干す。
「くはあ~、やはり濁り酒は冷酒が一番よなあ」
温泉で体を温め、酒で冷やす。
何とも矛盾した話、けれどそれが何とも言えない贅沢なのだ。
「リップルのやつはしばらくこれまい。しからば、一人で楽しむとさせてもらおうか、カカカ」
自分たちのやらかしに対しての説教が終わった後も余罪があったらしいリップルはハルトに引きずられてさらに追加で『話し合い』をしているようだったので、先に一人で楽しませてもらっていた。
基本的にこの家で酒を嗜むのはリップルとアクアだけなので、その関係でリップルとは仲良くやっているのだが、自分たちのトレーナーであるハルトがまだ子供、それに他の面子に関しても外見的に幼かったり、酒に弱かったりで余り大っぴらに飲むのも悪いと普段からちびりちびりとしてか飲んでいないのだが、今年の正月からハルトから人目のないところでなら多少はハメを外しても良い、との許可が出たのでこうして温泉に浸かりながら飲むのがそれ以来の楽しみとなっている。
毎日ダラダラしながら自宅で温泉に浸かり、こうして一献。
一人で飲む酒も良いが、リップルと他愛無い話をしながら互いの杯を酌み交わし合うのもまた良い。
平和で、平穏で、退廃的な日常。
「なんとも贅沢よな」
ゲンシの時代という今よりもずっと争いごとに絶えない時代に、物騒極まりない野生環境で群れを守ってきたアクアだからこそ、この一時がどれだけ貴重で、贅沢なものかが分かる。
そしてそれは自分のトレーナーであるハルトが必死になって守ろうとし、アクアを含めたらハルトの仲間たちが命を賭けて勝ち取ったものなのだ。
「本当に、大したものよ」
今日三度目となる台詞に苦笑する。
けれど何度言っても言い足りない。大半の人間は分かっていないのだ、あの伝説に語られる怪物たちを鎮め、空の龍神を調伏させた自身がトレーナーの行いの偉大さを。
一つ間違えれば今この瞬間に世界が終わっていてもおかしくないほどの事態を、けれど見事に解決してみせた。そう思えば、何度だって言い足りなくなる。
なんてことを考えながらまた一献、とお猪口に手を伸ばして。
がらり、と風呂場の入口が開く。
視線を上げればやってきたのは幾分憔悴したリップルの姿。
「お勤めご苦労じゃったな」
「ホントだよー。ハルトってば、説教が長いんだよー」
珍しくちょっと元気のない顔、だがすぐに笑みを浮かべて手に持った大皿を見せつけた。
「おぉ!? もしやそれは」
「ぬふふー。シアに言っておつまみになりそうなものもらってきたから、一緒に飲もうよー」
「良いぞ良いぞ、ほれ、こっちに来い一緒に飲み直しじゃ」
「ぬふふふ~」
ちょいちょいとリップルを手招きしながら湯に浮かべた盆にひっくり返したもう一つのお猪口を手に取り、徳利の中身を注ぐ。
「ほれ、お主も飲め飲め」
「ぬふふふふー、それも良いんだけどー」
楽しそうに笑みを浮かべるリップルが大皿とは反対の手に持ったそれを見せてくる。
いつも飲んでいる清酒や濁酒の入った白い瓶とは違う、中身が良く分からない黒い瓶とガラスコップ。
「今日はこっちもどうかなー?」
「なんじゃそれは」
「まあまあ、ちょっと飲んでみてー」
そう言ってコップに黒い瓶の中身を注いでいくと、黄金色の液体が並々と注がれ、さらにシュワシュワと音を立てながら白い泡の層が出来上がる。
「なんじゃこれは、珍妙な……だが酒の匂いがするな」
リップルに渡されたコップを口元まで近づけ、匂いを嗅げばいつもの酒とは違った香りを感じる。
だがアルコールであることは確かなようで、酒なのは間違いなく、少し首を傾げながら口を付ければ。
「ん~! うまああああい!」
口の中に感じる豊かな風味とすっきりとした後味、そして喉を通り抜ける清涼感。
いつも飲む酒とは全く別の味わいながら、けれど非常に美味であることは確かだった。
「にひひひ、パパさんが良く飲んでるやつらしいよ、この間ハルトと一緒に実家に戻った時に少し飲ませてもらったんだー。ビールっていう種類らしいね」
「なんとまあ、これは止まらんなあ!」
喉越しが良いせいで、いくらでも飲める気がすると、がばがば飲んでいき、どこからともなくリップルが追加を持ってきて。
そうしてリップルと二人で初めて飲む酒を痛飲して、後々ハルトに大目玉食らったのは……まあ当然の成り行きだったかもしれない。
アルコールに速攻屈する糞雑魚伝説。
多分カイオーガとかアルコールの海に沈めれば簡単に勝てそうな気がする(
裏設定みたいなものだけど、ホウエンってモチーフが九州なので酒に関しては基本的に日本酒系、或いは焼酎みたいなのが多い(という設定)です。
あとサツマイモとかいっぱいありそうだし、芋焼酎もきっとあるよ。
でもパパさん(センリさん)ってなんとなくビールとか飲んでそうなイメージある。
因みにリップルとかアクアって酒飲みなのに、今までビール知らなかったの? と思われるかもしれないが、そもそもリップルたちが酒飲み始めたのここ二年くらいのことだし、大前提として二匹ともポケモンなので人間社会の酒のことなんて詳しくない。