ポケットモンスタードールズ   作:水代

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バレンタインドールズ②

 

 

 まな板の上に置いたチョコレートを包丁を使ってリズミカルに刻んでいく。

 チョコレート自体がやや硬いので少しばかり勝手は違うが、包丁を使っての作業などすでに慣れたものであっという間に細く細く刻まれたチョコレートを鍋に落とす。

 

 少量のチョコなら普通に塊で湯煎すれば良いのだが、さすがに鍋一杯になるほどとなるとこうやって刻んでやらなければ中々溶けない。

 特に今日はそれほど時間がかけられないので少しばかり急ぎめに作業を進めていく。

 

「買っておいてなんですけど使う機会があるとは思いませんでしたね」

 

 棚を開いて奥から引っ張り出すのは以前に興味を惹かれて買ってみたは良いもののついぞ使うことの無かったフォンデュ鍋。

 とは言えまだチョコを流し込むには早いので、先に具材の用意。

 料理などにも良く使う木の実を初めとして、果物やお菓子などもいっしょくたにして串に刺していく。

 木の実や果物の皮を剥き、お菓子などは大きいものは小さく、小さなものはいくつかまとめて串の刺す、それだけの単純な作業だが恐らくこれを食べるだろう人数が人数だけに量自体はかなりあって、それなり以上の時間がかかる。

 

「誰かに手伝ってもらうべきだったかしら」

 

 下処理を済ませたものに串を刺すだけなので手間自体はそれほどでは無いが、純粋に量が多い。

 こればかりはどうしても時間短縮とはならないのが困ったもので。

 まあ別にこれでお腹を満たす必要は無いただのデザートなのだから量を減らしても良いのだが……。

 

「それもそれで……ですよね」

 

 どうせなら手間をかけて作るなら美味しいと言って満足してもらいたい。

 それは料理をする者なら誰だって抱く思いだろう。

 基本的に手間を省いていくのが家庭料理だとは言え、どうやってもそれなりの手間はかかるのだ。

 どうせ手間をかけるならば満足してもらったほうが嬉しい。

 当然と言えば当然の話。

 

 それが大好きな家族相手ならばなおさらのこと。

 

 甘い物好きなシャルなど目を輝かせて喜んでくれるだろうし、サクラやアルファも同様である。

 ハルトやエアやアース、アクア、オメガなどは甘すぎるのが苦手なのでビターチョコ、ただし渋いのも苦手なのでミルクを加えたまろやかな風味の物を別で用意しておく。

 シアやチーク、イナズマ、リップルは通常のもので良いとしても問題はルージュだ。

 苦味が特に苦手なルージュはチョコレートのほのかな苦味すらも厭うのでホワイトチョコレートを使う。

 そうやって個々人の好みの味付けというものを考えるとだったらもういっそ複数種類チョコのバリエーション作ってしまおう、となって余計に手間取っていた。

 

「後それから」

 

 最近新しく仲間になったばかりのデルタに関しては良く分からない、というのが正直なところ。

 基本的に何でも好き嫌いなく食べるし、味付けに何か言うことも無い。

 何を食べても美味しいとしか言わないのは逆に何を食べても同じでしかない、と言われているようでそれはそれで困るのだ。

 

「デルタ……ね」

 

 正直言えば戸惑いはある。

 空の龍神との戦いは熾烈な物だった。

 伝説が何故伝説と言われるのか思い知った戦いであった。

 シアはグレイシアという種族の中で至上の才を持つが根本的に種族として格が劣るというシンプルな事実の前に才能の多寡など誤差でしかないと思わされた。

 例えシアと同じ才を持つグレイシアが100体いようとアルファやオメガ単独にすら敵うことは無いと言える。

 デルタ……レックウザとはそんなアルファとオメガの両方を纏めて相手にして、なお圧倒できるほどの絶対的な強者である。

 そんなデルタがアルファ、オメガと共に仲間になって同じ家で暮らしているという状況に戸惑いを覚えないほうがどうかしている。

 これに関してはエア以外は皆同じ気持ちだろう。

 

 エアは……恐らくだが死に体だったとは言え一度自力で倒しているからなのだろう。まあそんなこともあるだろう、と普通に受け入れていた。

 

 結局問題はそこなのだろう。

 

 アルファやオメガは同じ伝説の力を借りたとは言えシアたちも参戦して倒した。

 だがデルタに関してはシアたちはほとんど何もできなかったに等しい。

 ハルトはきっとそれを否定するだろうが、少なくともアルファとオメガを抜きにすればほんの一瞬であの伝説の暴威に消し飛ばされただろうことは間違い無い事実で。

 

 だからこそ本能的に恐れている。

 

 デルタと名を変えた伝説を、世界を塗りつぶす空の龍神を。

 

「まあ、それはそれ、だけど」

 

 とは言えデルタが本心から自分たちの主を……ハルトを慕っているのはこの家で一緒に過ごしていれば分かる。

 デルタ自身、別に性格が悪いというわけではない。少しばかり人見知り、というか引っ込み思案な部分はあるが共に暮らす家族として馴染もうとはしてくれているのだから受け入れるのに否は無い。

 

 自分たちはポケモンで、人ではない存在ではあるが。

 

 自分たちはヒトガタで、本能を理性で塗りつぶすくらいの分別は持っているのだから。

 

「楽しんでくれると良いのだけれど」

 

 シアにとって、家族が増えることは素直に嬉しいのだから。

 

 

 * * *

 

 

「ど、どうしよう」

 

 自室のベッドの上にちょこん、と座り込みながらシャルが悩まし気に唸る。

 目の前に置かれているのは綺麗にラッピング包装された箱。

 中はバレンタインらしくチョコレートだ。と言っても渡す相手のハルトがチョコ単体は苦手だと言っていたのでチョコマシュマロを用意した。

 後はこれをハルトへと渡すだけ、なのだが。

 

「むむむ、無理! 絶対無理だよぉ……」

 

 顔を真っ赤にしながらぶんぶんと首を振る。

 考えただけで恥ずかしい、恥ずかしすぎて悶え死んでしまう。

 

 ―――いや、毎年あげてたじゃん。

 

 と言われればその通りなのだ。少なくとも去年までは多少の気恥ずかしさはあれどそれでもバレンタインという口実に素直に受け取ってください、と言うことができた。

 なら何で今年に限って、と言われれば単純な話。

 

 関係性が変わったからだ。

 

 否、変わったという表現は正しくないだろう。

 

 シャルにとって今でもハルトは家族で、戦友で、仲間で、そして主だ。

 ただそこに恋人が追加されただけで。

 

「あわ、あわ、あわわわ……こここ、恋人って……いや、でもでも」

 

 恋人、なんて甘美な響きだろうか。

 想像しただけで―――頭が沸騰しそうになる。

 

「っ~~~~~!!」

 

 ベッドの上でゴロゴロと転がりながら悶々とした感情をどうにか抑え込んでいく。

 そうしてしばらく転がっていると、とんとん、と扉がノックされて。

 

「シャルー? なんか騒がしいけどどうかしたか?」

「っな、なな、何でも無い、ですぅ」

 

 聞こえた声の主はまさに今シャルが心に思い描いていた人その人であり、思わず上擦ったような声が飛び出してしまう。

 そんなシャルの返事に、ハルトは一瞬沈黙したが、やがてそうか、とだけ呟いて去っていった。

 

「は、はふ……」

 

 息を吐く。

 それからごろんとベッドの上、全身を投げ出すように横になる。

 

「ああ……やだなあ」

 

 ずっと蓋をしていた気持ちが、長い間抱いてはならないと自戒していたはずの気持ちが溢れだしてきて止まらない。

 だからこそ余計に思ってしまうのだ。

 

 ―――自分がこんなにも幸福で良いのだろうか、と。

 

 ずっと叶わないと思っていた思いが叶ったのだ。

 ずっと昔から分かっていた。主……ハルトの隣にいる彼女の存在が余りにも自然だったから。

 そこに自分の立ち入る場所なんて無いと思っていたから。

 

 だから。

 

「ホント、やな子だなあ、ボク」

 

 ずっとずっと好きだった。

 それこそ出会った瞬間からずっと。

 けれど出会った時からずっと彼の隣には彼女がいて。

 

 だから、思わなかったわけではないのだ。

 

 もし、もしも。

 シャルがエアより先にハルトと出会っていたなら、何か変わっていたのだろうか、なんて。

 

 そんな()()をして、自分を慰めたりもして。

 けれど現実は変わらなくて、エアはハルトに受け入れられた。

 だからそれでお終い、それで終わり、そう思っていた。

 

 最初から叶うはずが無かったのだ、と諦めようとして。

 

 ―――好きだよ……だったらそれで良いよ。余計なこと考えて、気持ちを捨てるなんてもったいないだろ。

 

 そう言われた。

 あの時のハルトは自分たちが燻らせている感情の全てを見抜いた上で言ったわけではないのだろうが。

 それでも、それでも。

 諦めなくて良い、と他の誰でも無い、ハルト自身が言ったのだ。

 

 それは慰めだったし、希望だったし。

 

 ()()でもあった。

 

 だってそうではないか。

 それから実に二年。二年もの間シャルたちはもう諦めようと思っていたはずの感情を抱えさせられたままずっと待たされていたのだから。

 

 それでも叶ったのだから、良かったのだ、とも言える。

 

 二年……否、この感情を抱いた時から実に七年もの間この胸を焦がしてきた感情なのだ。

 それも偶に出会う相手に、とかでなく家族で、主で、同じ屋根の下に住んでいていつでも会える相手に七年だ。

 育まれ続けてきた恋心はもう抑えきれないほどにまで育っていた。

 

 バレンタイン。

 

 それは好きな人にチョコレートと共に『愛』を伝える日だ。

 

 だからこそ困っていた。

 

 本当なら二年前に諦めていたはずの思いは初めてその思いを抱いた日から七年越しに成就してしまったから。

 今にもこの胸を突いて飛び出さんばかりの巨大な感情の波がシャルを悶々とさせるのだ。

 

「ばれんたいん……」

 

 そう初めての、恋人同士になってから初めてのバレンタイン。

 

「えへ……えへ、えへへへ」

 

 そう思えば顔が勝手ににやけてしまう。

 そんなつもりも無いのに笑みが零れて止まらない。

 ハルトに渡すはずのラッピングされた箱を手に取り。

 

「ハルトさん、だーいすき」

 

 小さく呟いた。

 

 

 * * *

 

 

 くるり、と姿見の前で一回転。

 ちょこちょこと気に入らない箇所を直しながら服装を整える。

 

「うん、バッチしだネ!」

 

 自分的には可愛くできたんじゃないだろうか、と心中で自画自賛しながらチークはポケットから小箱を取り出す。

 小箱ではあるのだがチークの体躯からすると相対的にそれなりに大きく見えるその箱には瓶詰めされた飴玉が入っている。

 バレンタインと言えばチョコレート、という印象ではあるが贈られる本人がチョコが苦手、となれば別の物で代用すべきだろう、というのがチークの持論。

 まあそこにはシアたちほど料理ができないチークなりの代案という意味合いもあったのだろうが。

 

「最近机の上で勉強ばっかりだからネ、こういうのもありネ」

 

 シシ、と笑みを浮かべながら主であるハルトと共にカントーに行った時のことを思い出す。

 酒の勢いを借りて色々と『ナニ』したことを思い出しかけたので首を振って邪な思い出を一旦掻き消す。

 頬を赤く染めながらも改めて思い出すのは携帯獣学の学者になるためにタマムシシティへと向かった時のこと。

 あの頃からハルトは自宅で勉強をすることが多くなったが、きっとそれもそのためのなのだろうと思う。

 男の将来の夢のためそれを支えるのも良い女だろう、と思いながらもそれにつけこんでどんなアピールができるかな、と並行して考えている辺りが強かだった。

 

 はっきり言えばエアが『妊娠』した頃……つまり去年の夏過ぎから少しずつエアが『成長』していた。

 恐らくポケモンで無くなったことが関係しているのだろうが人間と同じ歩幅で成長し始めたということはハルトの『嫁』の中でチークと並んで体格的に小さかったエアは人並み……或いはシアやリップルのようになってしまうということで。

 

 このままでは置いて行かれる、という思いはチークの中に常に付きまとっていた。

 

 自分の容姿は人の基準ならばそれなりに優れているとは思っている。

 だがどうしても主と比べると幼さが目立つのも理解している。

 そして自分の体がこれ以上成長することが無いのも分っている。

 

 確かにこの小さな体は愛らしいのかもしれない……だがそれはマスコットのような感覚での話。

 チークはそれが嫌だった。否、他の誰かに言われて一切気に留めないがハルトにだけはそう思って欲しくなかった。

 だってチークはハルトが好きなのだ。ハルトに恋をしているのだ。

 そんな相手に『女』として見てもらえないというのは余りにも悲しい。

 だからこそタマムシシティのホテルであんな暴挙に及んだのだが。

 

 結果的にチークはハルトと思いを通じ合わせることができた。

 

 無事、ハルトの恋人という関係性を結ぶことに成功したのだ。

 とは言えそれで満足していてはならないと分かっている。

 変化することを止め停滞した時、女は男に倦怠されるのだ。

 冗談ではない、倦怠期など起こさせて堪るものか、と思っているからこそチークはハルトへのアピールに余念が無いのだ。

 

「良い感じだネ」

 

 親友にして恋敵たるイナズマに作ってもらった衣装を着て姿見の前でもう一度くるりと回転する。

 スカートの裾が翻る。正直半ズボンばかりのチークの好みではないが、可愛らしい服で自分を着飾ることだってチークなりの精一杯の努力であり、アピールでもあった。

 

「う……やっぱ違和感があるネ」

 

 エプロンドレスとでもいうのだろうか、黒い生地にレースやフリルもついているのでどっちかというとゴスロリと言ったほうが良い気がする。

 正直言えばチークは動きやすい服装が好きなのでこういう女性らしい服装というのは好まないのだが。

 

「……ま、好きな人に好きでいてもらうための努力だよね」

 

 部屋の外に聞こえない程度にぼそりと喋りながら、ニシシ、と笑みを浮かべた。

 

 

 


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