ヒガナという少女との関係性を一言で表すならば『幼馴染』或いは『親戚』と言うのが一番しっくりくるだろうか。
否、あの狭すぎるコミュニティの場合、近い世代はみんな『幼馴染』だし、そもそもその狭いコミュニティの間で混血を重ね続けたせいで『親戚』なんて言うなら全員『血縁』だ。
基本的にあの隠れ里に良い思いを持っていないライガではあるが、けれどそこに住む人々の全てを否定したいわけでも無ければ幼少の頃より親交のあった人々との繋がりを消し去りたいわけでも無い。
ただ驚きはあった。
ヒガナはライガより年下の少女だった。
故にライガが里を飛び出した時、まだ本当に幼かった頃の姿しか見ていなかったので十年ほどぶりに出会った少女の姿に既視感を覚えながらもそれが記憶の中の少女と一致しなかった。
そして何よりも。
「『りゅうせいのたみ』が何でミナモに……」
「え……?」
思わず漏れ出た声に、ヒガナが驚いたような表情をする。
そしてそのヒガナの反応にこちらとしても違和感があったわけで。
「去年のこと……知らないわけじゃない、よね?」
「去年? ああ、何か大変だったらしいな」
残念ながらライガは去年、シンオウ地方へ遠征に行っていたので知らないのだが、ホウエンでも大きな事件があった、というのは知っている。
だが残念ながら去年の暮に戻ってきた時にはすでに事件は解決されていたし、何か凄いポケモンが暴れ回った以上の情報はライガも知らなかった。
「龍神様、だよ」
だからヒガナの言葉の意味が一瞬理解できずにぽかん、と間抜けな顔を晒した。
そしてその一瞬の後、言葉の意味を理解すると同時にその表情を驚愕に染める。
「な、なな、な! う、嘘だろ?!」
里を飛び出したとは言え、ライガも『りゅうせいのたみ』の一員だったのだ。
龍神様、その言葉が指し示す意味を知らないはずも無い。
とは言え『りゅうせいのたみ』だったとは言えライガはまだ子供の頃に里を飛び出した身だ、大人たちから知らされていない部分も多いだろう。
だからどうしてそうなったのか、ライガには分からないが。
「ヒガナ……お前がこうして外に出て来てるのもその一件が原因ってことか」
「まあ……うん、そうだね、そんな感じかな」
ライガの言葉に一瞬表情を固まらせ、どこか濁したように続けるヒガナに、けれど追求はしない。
例えどんな理由があったとしても、ライガはすでに『りゅうせいのたみ』ではないのだから。
嘆息一つ。
「それで、龍神様は?」
気になったのはそれだった。
元とは言え『りゅうせいのたみ』としてその存在の重要性も知っているし、畏敬の念だって無いわけじゃないのだ。
ライガは竜使いだ。
『ドラゴン』タイプの使い手だ。
故に『龍』神様には強い敬意がある、畏怖もある。
だから。
「あーうん……まあ、その」
どこか言い難そうなヒガナの様子に首を傾げて。
「今、チャンピオンに捕獲されて仲間になってるらしい……よ?」
告げられた言葉に思考が止まった。
* * *
―――キリュウウウゥゥゥゥァァァアァァァアアアア!!!
世界を震わさんばかりの咆哮がスタジアムに響き渡った。
とてつもない声だ。
何せその咆哮だけで半数以上のポケモンたちは戦意を失った。
なまじ実力を備えたポケモンたちだからこそ、余計に理解してしまっていた。
純全たる世界最強たるポケモンのその力の程を。
ポケモンだけではない、トレーナーも、そしてそれを見ていた観客たちすらも声を失っていた。
空の龍神。
ホウエンに太古より語られる伝説の存在。
空想、或いは幻とされた伝承の存在が、現実として目の前に存在するという事実に誰もが一目見んとこのスタジアムに集まり、そしてその圧倒的存在感に言葉を失う。
元よりポケモンバトルの大会の後の余興として開かれたエキシビジョンマッチだったが、誰もが大会に参加したトレーナー全員対一というその戦いを無茶だと笑った。
どれだけ強いポケモンだろうと、どれだけ強いトレーナーだろうと、たった一体でできることには上限がある。
大会に参加したのは誰も彼もが腕に覚えのあるトレーナーとそのトレーナーたちが鍛え上げた強いポケモンたちばかり。
そしてだからこそ、ポケモン一体の力では程度があると誰もが理解している。
例え伝説と謳われるポケモンだろうと、ポケモンである以上限度があると誰もが思っていた。
伝説とは誇張される物であり、本当はそこまで大袈裟な存在ではない、少しばかり特殊な力を持った強いポケモンに過ぎないと、誰もがそう思っていた……その時までは。
そのポケモンがバトルフィールドに現れた瞬間、誰もが声を失った。
そのポケモンが咆哮を上げた瞬間、誰もが戦意を失った。
そのポケモンに見つめられた瞬間、誰もが硬直した。
語り継がれる伝説の全てが事実であった、と理解すると同時にその伝説を従えるポケモントレーナーの存在に驚愕を覚える。
スペシャルバトル『蘇る伝説』と銘打たれたその戦いは、けれど実際には一切のバトルすら無く。
どこか詰まら無さそうに龍神をボールに戻し、去っていく『元』チャンピオンの姿が見えなくなるまで誰一人、語ることも無く、動くことも無かった。
尚、この約半年後にポケモンリーグから発布された『ポケモンバトルに関するレギュレーションの制定』に関して、一番割を食うはずのプロトレーナーたちからほとんど反対の声が挙がらなかったのは、一説によればこのエキシビジョンマッチの一件があったからではないか、と言われている。
* * *
ヒガナに連れられてミナモで開かれた大会の余興の一環として行われたエキスビジョンマッチにやってきたライガだったが、目の前で大空の支配者を見てその胸に浮かぶのはただただ感動の一言だった。
「あれ、が」
あれが、レックウザ。
『りゅうせいのたみ』たちが神として崇めた存在。
ただただひたすらに圧巻だった。
今まで自分たちが行ってきたポケモンバトルというものが児戯にも見えるほどに。
世界にはあれほどまでに規格外の存在がいるのだと、思い知り。
同時にそれが人の身で打倒した存在がいる、という事実にも驚愕するしか無かった。
理由は良く知らないが、あの龍神様がこのホウエンで暴れ回ったにも関わらずこのホウエンが滅びていないのは、あの元チャンピオンを含め数名のトレーナーが協力して龍神様を倒したから、らしい。
あれが人に討ち果たすことのできる存在か?
疑念に思う。少なくともライガでは無理だ、どうやっても無理だ、たった一目見ただけでそれを体の芯に刻み込まれてしまうほどに、ただただ圧倒的だった。
「すげえ」
渦巻いた言葉はただその一言。
凄い、凄い、凄い!
人とポケモンとは、ポケモントレーナーとは、そこまで強くあれるものなのか。
故に取った行動はシンプルだった。
「あ、ちょ、ライガ?!」
どこか憮然としたヒガナを置き去りにして足を進める。
直後にヒガナに呼ばれた気がしたが、けれどもう意識は完全にそちらに向いていなくて。
段々と歩いていることすら遅く感じ、その歩は早く早く、やがて走り出す。
スタジアム内の通路を先ほどまでのバトルの余韻に浸る観客たちの間を抜けて行きながら走り、やがて見えてくる関係者通路の奥にその背を見つけて。
「いたっ!」
そのまだ少年と呼ぶのがふさわしいだろう小さな背中を見つけ、走る。
「あの!」
遠ざかっていく背中に咄嗟に声をあげれば、前方にいた少年が声に反応し足を止めて振り返る。
少年が足を止めたことで距離は一気に縮まり、そうして少年の目の前まで来ると。
「あの、すみません!」
「ん……な、何か?」
荒い息を吐きながら、それでも少年の元へ詰め寄ると、やや引いた様子で少年がこちらを見やり。
「弟子にしてください!」
頭を下げて。
「え、やだ」
一瞬で切り落とされた。
* * *
「いや、悪いんだけど俺、これから研究方面に行くんだ……だからトレーナーとしてはもう引退ってことになる」
若いトレーナーが有力なトレーナーに弟子入りというのは意外と多い。
理由としては簡単でポケモンスクールに行かなくてもポケモントレーナーには簡単になれる、だがそれ以上は自力で腕を磨く必要性が出てくるからだ。
勿論ポケモンスクールに行ったからと言って必ずしも大成するわけではない。
だが平均的にポケモンスクールでしっかりと技術と知識を身に着けてから世に出たトレーナーのほうが大成しやすいのも事実である。
だがポケモンスクールというのは基本的に10歳以前の子供しか受け入れていない。
しかも入学にはそれなりに金がかかる。
となると入れる人間というのも限りがあるわけで。
そんな風にして、スクールから洩れたトレーナーの中で実力が足りない、実力を着けるための環境が整っていないトレーナーが有力トレーナーに対して弟子入りすることというのはそれなりにある話だ。
と言ってもこの場合、弟子を取る側に対してもメリットが必要になる。
一番多いのは血縁だから、という理由。
二番目が親が金を積んで、という理由。
後は引退間際のトレーナーが自らの後継を探す場合、なんてのも偶にある。
とは言えこうしてトレーナーとは別の道へ進むときっぱりと断られた以上、弟子入りするのも不可能に近い。
失意の内にとぼとぼと踵を返し。
「あ、ライガいた、何やってんの」
そう道中でこちらを探していたらしいヒガナと出会う。
「元チャンピオンに弟子にしてくれって言ったら断られたところ」
「……いや、ホント何やってるの」
呆れたように半眼でライガを見るヒガナに、嘆息する。
いや、分ってはいたのだ。
元チャンピオンハルトとライガの間には何ら縁が無い。
そんなやつがいきなり弟子入り頼んだって受け入れられるはずがない、先の断られ方だって随分と優しい言い方だった。本当ならお前なんて知らないの一言で切り捨てられていてもおかしくなかった。
それでも、ライガは確かに今日、元チャンピオンハルトに憧れた。
一つ、世界を破壊されたのだ。
幼少の頃、ライガの世界はあの暗い洞窟の中が全てだった。
あの時出会ったトレーナーがライガを外の世界に連れ出してくれなければ未でもあの暗い洞窟の中で鬱屈した日々を過ごしていたのかもしれない。
それを思えば、あの日ライガを連れて洞窟を出たトレーナーはライガのちっぽけな世界を粉々になるくらいまで破壊してくれた。
だから、だろうか。
ライガが今こうしてポケモントレーナーとして生計を立てているのは。
きっとあの日の憧れに影響が無かったとは言えない。
そして今日、また一つ、ライガの知っていた世界は破壊された。
伝説に語られる空の龍神。
その圧倒的存在を降したトレーナーがいる。
それはライガが想像すらできないほどの領域であり、同時に今までライガが見てきた世界はまだまだ狭かった、そういう話なのだ。
あの少年が見る景色とは一体どんなものなのだろうか。
自分よりまだ年若いはずなのに、数年このホウエンの頂点に立ち続けた最強のトレーナーの見ていた景色。
それを知りたかった。
その一番の近道が間違いなく弟子入りだった。
だがそれも断られた。
ならば、もう一つの手段しかないだろう。
―――このホウエンのチャンピオンになる。
それでようやく元チャンピオンハルトと同じ目線に立てるのだ。
* * *
「ヒガナはこれからどうするんだ?」
龍神様は一人のトレーナーによって捕獲され、今はその仲間となっている。
それを龍神様自身が受け入れている以上『りゅうせいのたみ』がどうこう言える話ではない。
そして何よりすでに一族の予言は成就している。
つまり『りゅうせいのたみ』はすでに一族の悲願を果たしたのだ。
使命から解放された以上、『りゅうせいのたみ』であることに拘る理由も最早無くなっていて。
こうして彼女が表舞台に出てきたのもそれが理由なのかもしれないとライガは思った。
「私は……やることがあるから。このままホウエンを巡って旅をするよ」
少しだけ、自嘲染みた笑みを浮かべながらヒガナがそう言ってくるり、と反転する。
「それじゃあ、バイバイ、ライガ。久々に会えて嬉しかったよ」
「ああ……俺も。そうだな、何だかんだ里の人間に会えて嬉しかった」
里とヒガナの間に何かあったのかもしれない、そんなことを考えながらもけれど口には出さない。
所詮はすでに部外者でしかないライガに口を出せる話ではない。
だからせめて。
「『りゅうせいのたみ』という
去っていく幼馴染の背を見送りながら、そっと呟いた。
今回一番重要なのはレックウザが表舞台に一度出たこと。
未来編において、ホウエンはすでにレギュレーション制定されてるけど、こういうところに下地がある。
前も言ったけど、チャンピオンリーグ勝ち抜いたミツル君ですらグラカイのどっちか片方出せば6タテできてしまうくらいに強さに差がある。
元々ホウエンがそういう強さ重視だったのは野生のポケモン被害が大きかったからで、トレーナーを戦力としてアテにしてきた過去があったから。
でももう伝説の脅威も去ったし、トレーナーの戦力化にそこまで神経質になる必要も無いだろってハルト君が先導してホウエンもポケモンバトルにレギュレーションが制定されていくことになります。
因みにレギュレーションとルールは別ね。
簡単に言うと「ポケモンバトルはポケモンを使って戦う「使用ポケモンは6体まで」「トレーナーを直接攻撃してはいけない」とかそういうバトルの根本となる基本的な規定がルール。
「レベル50制限」「ポケモンの重複禁止」「持ち物の重複禁止」とかこういう大会ごとに付く追加ルールみたいなのがレギュレーション。
要するに「ポケモンバトル」という競技を成立させるための最低限の規定がルールで、ポケモンバトルに対して公平性を規すために追加されたルールがレギュレーションかな。