田舎全開の故郷が好きじゃなかった。
否、あれは田舎とすら言えない。
秘境だ。秘境に隠れ住む一族。
それが俺の故郷、『りゅうせいのたき』であり、俺の一族『りゅうせいのたみ』だった。
閉塞した狭い世界に閉じこもって、いつ来るのかも知らない未来のために延々と近親婚を繰り返し、同じ血を濃く、濃くする。
外部と交流することも無く、まるでそれが自分たちに与えられた使命であると言わんばかりに大上段から一から十まで、閉ざされた世界で生きることに役割を求める。
生まれてからずっとそれしか知らない他の子供たちはその生き方に何の疑問も持っていないのだろう。
生まれてからずっとそれしか知らない子供たちが大人になって、やがて何の疑問も持たずに今度は自分たちが求める側になる。
吐き気がする。
そんな一族にも。
そしてそれまでそんな生き方に疑問すら持っていなかった自分自身にも。
そう、俺自身そんな生き方に、それまで疑問すら抱いていなかった。
だからそのまま大人になれば、適当な一族の女と契って子を為し、一族のために生きていたのだろう。
そこに何の疑問すら抱くことなく、ただそうあるのだと、そういうものなのだと、理解していた。
理解、した気になっていた。
ある日、『りゅうせいのたき』にトレーナーがやってきた。
それ自体は良くある話だ。何せ『りゅうせいのたき』はホウエン随一の『ドラゴン』ポケモンの住処だ。
タツベイ、コモルー、ボーマンダ。
クリムガンにモノズ、ジヘッド、サザンドラ。
水辺にはギャラドスだっているし、洞窟の外ではチルタリスが飛んでいる。
ホウエンで最も『ドラゴン』の多い場所として『ドラゴン』を求めるトレーナーたちが多く集まって来る。
だからそれ自体はよくある話であり、本来『りゅうせいのたみ』である俺は外部のトレーナーたちと接触を持つことを禁止されていた。
『りゅうせいのたみ』は閉ざされた一族だ。
本当のところを言えば、あんな場所で完全に閉ざして生きていくことは不可能なので、極々一部の人間は外部と交流があるようだが基本的には一族の人間は外部の人間と接触することを禁じられている。
だが当時の俺は運悪く洞窟内で野生のポケモンに追われ、怪我をしていた。
そんな怪我した俺を、たまたま通りかかったトレーナーが助けてくれた。
光の差さない暗い洞窟の中で、孤独に震えながら痛みにうずくまっていた俺の元にやってきた彼は手持ちの道具を使ってテキパキと俺の治療を終えると、迷子だとでも思ったらしい、外まで送ろうか? と聞いてきた。
何度も言うが、『りゅうせいのたみ』は基本的に閉ざされた一族だ。
だから『りゅうせいのたき』の外、というものを俺はそれまで見たことが無かった。
本来ならば禁止されていること、だが。
頷いた。頷き、洞窟を出て。
―――眩しいほどの世界がそこに広がっていた。
* * *
目を覚ます。
ベッドの上で上半身を起こすと、上から被っていた掛け布団が滑り落ちる。
「……う、さむっ」
肌着の上から突き刺すような冷気に身を震わせるとベッドから降り立ち、脇に置いた丸机の上に畳んで置いていた着換えを取り、手早く着替える。
長袖二枚、重ね着すれば多少マシになった温度にほっと一息吐いて、靴を履く。
「ふわ……ぁ……」
大きな欠伸をしながら洗面所へと行って顔を洗う。
ふかふかのタオルで顔を拭いたらようやく意識が冴えてくる。
「今日は……そういや、大会だったな」
わざわざキナギタウンからミナモくんだりまで来てホテルで一泊したのはそのためだったと思い出す。
鏡に映った自分の顔を見て髭の伸びを確認する。
自称ワイルド系の髭を伸ばし放題にしたトレーナーというのもいるのはいるが、やはり自分はこういうのはきっちり剃っておかないと気になってしまうタイプだった。
少し伸びているようだったので、お湯を出してもう一度顔を洗う。冷えた水で顔を洗ってから剃ると髭剃りの刃が引っかかってしまうのだ。引っかかるとそこから血が出だす。
今日の大会はそれなりに規模も大きいので観客の人数もかなりのものになるだろう。
そんな中で髭を伸ばしっぱなしにするのも、顔面からたらたらと血を流しながらバトルするのも余りにも恰好が付かない。
「うし、これでオッケー」
綺麗に剃り終えて滑かになった顎に手を当てて満足気に頷く。
一日の始まりである。
それが好調な滑り出しを見せれば今日一日も好調であると信じることができる。
それが自身、ライガにとってのちょっとしたジンクスのようなものだった。
* * *
ミナモはホウエン最大規模の都市だが、その中でも観光業をメインにした街でもある。
故にミナモシティでは毎月のように大小様々なポケモンバトルの大会が開かれている。
その中でも今回のは中々に規模が大きい。勝ち上がった際の賞金も相応だ。
「問題は試合形式だよなあ」
海の上に浮かんだ足場を使った変則フィールドバトル。
海に隣接しているミナモシティだからこそのアイデアなのかもしれないが。
「うーん……手持ちの半分が使えないなこれ」
あいつらの場合、フィールド上に出しただけで足場が崩れてそのまま沈む。
「使えそうなのはドゥルにピンス、それとベイに……あとはまあラブとギリギリでノアか」
五体は確保できているならまあまだマシだろう。
トレーナーによっては使えそうなポケモンがいないということだってあるのだろうから。
まあそれなら最初から大会にエントリーしないのだろうが。
ぶっちゃけた話ライガだって可能ならば不参加でいきたかった。
「くう……金がねえのは辛いなあ」
貯蓄が無いわけではないが、出費の額を考えれば後どれだけもつやら、と言ったところ。
基本的にトレーナー業というのは金食い虫なのだ。
ポケモンというのは生き物である以上、社会の中で生きるためには金がかかる。
そんなポケモンを最低でも6匹、ないしそれ以上揃え養うだけでも単かなりの負担になるし、さらにそれをバトルで使うために育成しようとするとそこにかかる金額は跳ね上がる。
しかも育成とは一度育ててそれで終わりではないのだ。
当たり前だがポケモンだって生物である以上衰えというものがある。
一度強くなったら永遠に強いままのゲームキャラクターじゃないのだ。
現実の生物と同じ、怠惰に過ごせば体が弱る以上、その強さを維持するためには適度なトレーニングは必須となる。
つまりそれでまた継続的に金がかかる。
ライガはエリートトレーナーだ。
つまり職業としてトレーナーを選んだ人間だ。
故に基本的にポケモンバトル以外で金を入手する手段が無いし、それ以外の方法で金を得るのは色々な意味で無理だ。
理由としては……まあ一つはシンプルにプライドの問題というのもある。
トレーナーというのは別に職業ではない。
例えば今ライガがこのホウエンのチャンピオンになったとしても厳密にはチャンピオンという『地位』はあっても『無職』である。
リーグに雇われたリーグトレーナーや企業に雇われた企業トレーナーなら『職』として扱われるが、基本的にトレーナーというのはポケモンを『所持』した人間の総称であり職名ではない。
故に単純に『トレーナー』と呼ぶだけの人間ならホウエン中に無数に存在するが、その中でも『エリートトレーナー』と呼ばれるのは本当に限られた人間だけだ。
エリートトレーナーの定義は簡単で『トレーナー』として
つまり『トレーナー』として金を稼ぎ、生活する人間。
各地で開かれるポケモンバトルの大会などで賞金を獲得し、その金で生活し、育成し、次の戦いに備える者たち。
だからバトルの賞金以外で稼ぐのはエリートトレーナーにとっては『邪道』なのだ。
バトル外で手に入れた金などエリートトレーナーとしてのライガのプライドが許さない。
とは言えそれだけならば涙を呑んで矜持を抑えていたかもしれない。
金が無いのは命が無いのも同然だ。だから金のためなら矜持くらい抑えても良い。大事なのは手持ちたちを困窮させないことだ、矜持のために生活費すら困窮して手持ちたちに食うに不自由させるわけにもいかない。
だがもう一つ、理由があるのだ。
それは時間だ。
先も言ったらエリートトレーナーたちは『トレーナー』として生きることを選び、それを可能とした人間たちだ。
手持ちのポケモンたちを育成し、積極的に各地の大会に出場し賞金を獲得するために戦う。
当然ながらそう道中には多くのライバルたちが存在する。
ライガが『バトル以外』のことに時間を費すことは即ちその分ライバルたちに置いて行かれるということでもある。
その時間の差というのはライバルたちが歩みを止めない限り埋まることの無い深い溝となる。
残念ながらライガは自分がそんな余裕をかませるほど周りと差をあるとは思っていない。
ならばバトル以外の『無駄』な時間はそれだけ周りとの差を大きくすることにしかならない。
「……無駄かあ」
ふと立ち止まった。
* * *
幼い頃に良い思い出は少ない。
じめじめとした暗い洞窟の中で暮らす自分たちを、陽の光を嫌うかのように外へ出ることを禁じられた自分たちをまるでカビかキノコのようだななどと揶揄するくらいには昔が好きではない。
だが覚えている。
一つだけ、絶対に忘れないことがある。
『りゅうせいのたき』にやってきたトレーナーに迷子を
あの時、初めて見た『外』をライガは決して忘れない。
吹き抜ける風の感触。
そわそわと風に吹かれ音を立てる草原。
香る緑の匂い。
空に広がる青い空。
眩いばかりに目を焼く太陽。
ああ、そうだ。
『外の世界』はなんて眩しくて、美しいのだろうと感動したのだ。
―――果たしてそれは『無駄』なんて呼べるものだっただろうか。
否、否、否だ。
あの光景があったからこそ、今の自分はここにいるのだ。
あの瞬間があったからこそ、今も自分はここにいるのだ。
それを無駄と呼ぶのは今の自分の全てを否定するに等しい。
それにしたって。
―――あの時の感動を、今の自分はいつ忘れてしまっていたのだろう。
* * *
あまりにもフィールドが変則過ぎて思ったより人が集まらなかったらしい大会は一日で幕を閉じた。
だが設定されていた通りの賞金は払われたので、結果的に楽して金が手に入ったと言っても良い。
「いや、楽じゃなかったか」
よく他の大会で戦う
けれど……そう、なんというかとても調子が良かった。
ポケモンバトルをやっていて楽しいと思えたのは何だか久々のことで。
「無駄……無駄か。無駄じゃないよな?」
強くなるためにはストイックでなければならない、なんて思っていたわけではないのだが。
いつの間にか……勝つために、その一心で大事な物をぽろぽろと落としてしまっていたような気がする。
そうじゃないだろ、そういうことじゃないだろ。
心の中で反省するように呟く。
何のために自分は故郷を捨てたのか。
あの時『外の世界』を見て感動したのは確かにライガにとっての原動力であり、決して無駄などではない。
「少し休む、か」
ならそれだって無駄なんかじゃない。
羽を伸ばし、疲れを癒し、心を癒し、そして心機一転でまた戦うためにも。
まだ『本番』は半年近く先の話なのだ、ここらで一度休養するのだって無駄じゃないはずだ。
「金なら入ったしな」
残高が一桁、二桁増えたトレーナーカードを見つめ、笑みを浮かべた。
そうして前を向き直し、さあホテルに帰るかと足を進めて。
「―――ライガ?」
聞こえた声、誰かに呼ばれたような気がして振り返る。
すでに夕刻、行き交う人の数は減り、だからこそライガはすぐに声の主を見つけて。
「―――は?」
そこに見覚えの無い……けれど見覚えのある少女の姿を認める。
いや、少女自身に見覚えは無いのだ。
ただその恰好、そしてその姿に既視感のようなものはある。
矛盾したような発言だが、そうとしか言いようが無い。
例えるなら、そう。
昔出会った人物が十年くらい成長したようなそんな……。
「え?」
瞬間、気づく。
同時にまさか、とも思う。
そうして、その名を呼ぶ。
「―――ヒガナ?」
彼のことを覚えている人がいるのだろうか、いやいまい(反語
ディスコでポケモンブームが再発してたから前に書きかけだった話ついでに書いてみた。