「……うわ、寝過ごした」
目が覚めた時、窓の外に見えたのは高く高くに上った太陽だった。
随分とすっきりとしているので多分軽く十二、三時間くらいは寝たなと思いつつふと時計を見やれば午前十一時。十二、三時間どころか十六時間は寝ているらしかった。
元より船旅である。
一泊くらいはする予定だったのでホテルを取っていて良かったと本気で思った。
考えても見て欲しい、昨日一日で何度死にかけた?
デルタが守ってくれていたとは言え、荒れ狂う風の中をデルタの背に乗って上へ下への常時ジェットコースター状態である。
それもほぼ常時命の危険に精神を蝕まれながらである。
俺もシキももうくたくたで、シキに告白した物の、そこからすぐにホテル直行だ。
と言うとなんか別の意味に聞こえるが、チェックインを済ませて簡素にシャワーだけ浴びたらもう睡魔に身を任せてベッドイン一直線である。
飲まず食わずだったせいか夜に起きることも無く十六時間ぶっ続けで眠っていたらしい。
起きた瞬間から腹の音が激しく主張を繰り返していた。
「ルームサービス……いや、折角だしシキ誘って食べに行こうかなあ」
折角の二人旅なのだ、普段二人だけになる機会というのも少ないし旅先でくらいはそれも良いだろう。
一緒に二部屋取ったらシキの部屋はちょうど隣だったので部屋を出てそのまま隣の部屋の扉をノックする。
…………。
……………………。
……………………………………。
「うーん」
ノックはすれども反応は無い。
まだ寝ている、というのもあり得る話ではある。
俺が気絶していた間、俺が居なかった間、俺がデルタと話している間、ずっと俺の代わりにあの化け物たちと戦ってくれていたのはシキだ。
手順一つ間違えれば死に直結するようなあの状況でずっと気を張り詰め続けていたのだ。
溜まった疲労もまた想像を絶するだろう。
「これは出直したほうが良いかな?」
仕方ないから部屋に戻るか、と背を向けた……瞬間。
カチッ、と部屋の中で鍵が外れる音が聞こえた。
「……ん? シキ?」
振り返り、部屋のドアを見やるが開く様子は無い。
シキの名を呼んでみるがけれど返事も無く。
気のせいかとも思ったが。
こつん、こつん、と扉の向こう側で何かが小さく扉を叩くような音がする。
「開けるよ?」
一応問いながらもノブに手をかけ、ゆっくりと開き。
―――目の前に全長2m近い竜がいた。
「…………」
「ぐるぅぅ」
「……クロ?」
「ぐるぅぁぁ」
「シキはまだ寝てる?」
「るぅぅ……」
シキの手持ち、サザンドラの『クロ』だった。
普段から『クロ』のボールだけは自分で自由に出れるようにしているらしいので先ほどのノックを聞いて出てきたらしい。
扉の内側から鍵を開いたのもクロなのだろう、随分と器用なドラゴンだと感心するが良く考えればシキの家でティーポッドでお茶淹れてるの見たことがあるのでこれくらいならできるか。
いや、まああの狂暴さで知られるドラゴンであるサザンドラがシキのためにせっせととお茶淹れてる風景も中々にアレなものがあるのだが。
かなり昔から……それこそモノズの頃からの付き合いらしいのでこの二人、というか一人と一匹の距離感はまさしく家族のソレだった。
まあ入れよ、みたいな感じに三つ首にも見える腕で手招き(頭招き?)されたのでお邪魔する。
因みにポケモン図鑑などにも『三つの頭で全てを食らう』みたいなことが書いてある通り、あの腕には脳は入ってないが口を開けると喉がそのまま胴体の消化器官と繋がっているのでしっかりと物を食べることはできるらしい。
ただしトレーナーのシキ曰く『それは上品ではないからしっかりと躾けられたサザンドラなら真ん中の首でしか食べない』らしい。
ただ偶に見るが『げきりん』などで暴れ狂うとあの両腕の頭もしっかり噛みついてくる。
強いポケモンなので使うトレーナーもそれなりに多いがテレビなどで見るとインパクトの強い光景である。
傍から見ると完全にサザンドラが悪役っぽいので、トレーナーじゃない一般人から見たサザンドラのイメージというのは怖いポケモンというのに寄っている。
というか実際『きょうぼうポケモン』なんて学名を付けられるくらいには荒っぽい種族なので何も間違っていない。
どちらかと言うと、ベッドの上で眠る
性別的には♂らしいのだが、甲斐甲斐しく主人を世話するその姿はまさしく母親のそれである。
もしこれがヒトガタだったならば着換えを手伝ったり、代わりに荷物をまとめたり、洗濯物を畳んだり、アイロン掛けしたり、朝食や夕食の用意をしたりとかしてたのかな、と思って完全に主夫じゃん、と内心で突っ込む。
因みにシキは割と家事とかできるタイプだ。
というか基本的に才媛なのだこの少女は。
寝起きがひたすら悪いのと、理が歪みそうなレベルの方向音痴を除けば。
熟そうと思えば何でそれなりにできる、を素で行くタイプだが必要なこと不必要なことを割り切りやすい性格でもある。とは言えそれは今まで必要だったから、であるのだが。
それはさておき。
「良く寝てるなあ」
すやすやと安らかに眠る少女の顔は普段の表情筋が死んでるんじゃないかと思うような無表情とは違う、随分と安らいでいて幾分か幼く見えた。
このまま寝かせておいてやっても良いのではないだろうか。
どうせ今回の旅に時間制限などは無い。今回のごたごたの報告に後でポケモン協会へ伺う必要があるかもしれないがそれは今日明日出なくても良い話だ。
そんなわけで、また後で来ようかな、と思ったのだが。
「ぐるぅぅぅ……」
一体何をどう思ったのか、クロがゆっくりゆっくりベッドの端まで『ふゆう』しながら移動していく。
シキ自身小柄なのでベッドの端、足元側は余剰スペースが大きい。
その真上までサザンドラはふわふわと浮かんでいって。
落ちた。
どん、と凄い音を立てながらベッドが跳ねた。
一応言っておくとサザンドラという種族は体長自体は足から頭までで180センチ前後と成人男性と同じかそこらのサイズではあるが、その体重は160kg以上と成人男性二人分は軽く超す。
それが空中から一気にベッドの落ちたのだ。ベッド自体はかなり頑丈かつ柔軟だったらしく、ヒビ一つ入っていないようだったがそのベッドの上で眠っていた少女からしたらその衝撃は凄まじい。まして寝入っている真っ最中の出来事である。
「なな、何?! え、何? ホント何? え? え?」
自分の体が10センチ以上浮き上がったような衝撃にさしものシキも寝ていられなかったらしい、飛び起きて何事かと慌てていた。
そうして今の状況に少しずつ理解が追いついてきたのか、ベッドの端で佇むクロへとゆっくりと視線を彷徨わせて。
「クロ……もう少し優しく起こして…」
ため息を吐きながら片手を顔を抑える。
そうして空いたもう片方の手をベッドの脇に彷徨わせながら何かを探す。
よく見ればベッド脇に置かれたテーブルの端に眼鏡を置いてあった。
多分これを探しているのだろうけれど、先ほどの衝撃のせいで思い切りベッドとは反対方向に寄っていたので手探りでは中々見つからないのだろう右へ左へとシキの手が彷徨うが肝心の眼鏡までたどり着けていない。
「はい、これ眼鏡」
「あ、ありがとう……はる……と……?」
仕方ないので眼鏡を手に取り、彷徨う手に渡してやればほっと一安心したかのように息を吐きながら眼鏡をかけて、視線がこちらを向き……眼鏡の奥で目を大きく見開かれる。
「あの……何でいるのかしら」
「ん? 起こしに来たらクロが鍵開けてくれたからかな?」
「…………」
「……ん?」
ぼん、とその顔が真っ赤に染まりその場にあった掛布団を手に取るとそのまま自分の覆い隠すようにして被る。
「あ、あの……す、すぐ起きるから、ちょっと出ててもらって、良いかしら?」
「ああ、うん。分かった……ついでにご飯食べに行きたいからホテルの入口で待ってるね」
「あ、うん……分かったわ」
もぞもぞとベッドの上で動くミノムシを見やりながら苦笑して部屋を出る。
ばたん、と扉が閉まった音が響いて。
「クロォォォォォォ!!!」
部屋の中から叫び声が聞こえた気がした。
* * *
思いを伝えあった仲間たちと何度かデートした経験からいうならばデートに定番はあっても絶対というものは無い。
例えば『遊園地』などにカップルなどが良くのはそれは最初から『複数で遊んで楽しむこと』を前提とした施設であり、言うなれば決してハズレではないが絶対の正解でも無い、要するに初デートに失敗したくないなら安牌を選んでおけ、というだけの話なのだ。
恋人同士の絶対の正解など存在しないためそれはそれでありなのだが、『複数で楽しむこと』自体が不慣れな子というのも居るわけで、シキは絶対にそういうタイプだなと思っている。
変な話だがこういうタイプは恋人同士でデートに来ていても『独りでいること』を楽しめるのだ。
ただこういうタイプは同時に『独りでの時間』を誰かに共有して欲しいと心の底で思っている。
故にこの場合だと待ち合わせて同じ場所に行ったらそこで一度解散。それぞれが趣味の時間を思いきり楽しんだら帰り道にそれを語り合ったりすると結構盛り上がる。
因みにエアとかイナズマとかはこっちのタイプだ。と言っても別に複数でいること自体を嫌う性質でも無いので普通に『遊園地』とか言っても普通に楽しめるが。
要するに自分だけの『好き』を『共有』したがるタイプだ。
逆にシャルとかチークは『一緒に』という部分を重視する。
好きな人が隣にいてくれるなら別に何やってても楽しい、というデートする側からすれば一番楽なタイプでもある。
さらに言うならシアとかリップルはその辺りに拘りが無いタイプだ。
あいつらは行動そのものでなくそこに至る経緯、つまり『自分を思って考えてくれたこと』という部分に喜びを覚えるタイプだ。
だからどんなどんな形でのデートでもそれが『自分を思ってのこと』ならば何だって受け入れる。
逆に言えばちゃんと自分のことを考えていて欲しいと思っているタイプなのである意味束縛が強いとも言える。まあそこまで深く考えずとも恋人として当然の気遣いを忘れなければそれで良い。
シキの場合、その辺が少しばかり難しい。
今までの経歴からか余り『娯楽』というもの自体に興味を持っていなかったからだ。
デートするというのは要するに恋人同士で『楽しむ』ことを目的としているので『楽しむ』ことに必要性云々説かれると途端にややこしい話になってしまうのだ。
要するに『楽しみ方』が分からないのだ、シキは。
だから普通のデートしたって「これが普通のデートなのか、へー、ほー、ふーん」で終わってしまう可能性が高いなと思っている。
だからやるなら俺たちなりの楽しみ方ができる方法でなければならない。
幸いにしてとっかかりというものが俺たちにはあった。
* * *
「で、ここ?」
「そ、ここ」
とんとん、と木槌を叩く音と共に一つの商品が落札されていく。
カートに乗せられた商品が舞台袖へと一つ消え、また次の商品がカートで運ばれてくる。
「どうせ普通のお店見て回っても何も買わないで一日終わるのが目に見えてるしね」
「……まあ否定はしないわ」
シキの家というのはとにかく物が少ない。
というか趣味の類のものが皆無と言っても良い。
カロスから引っ越しくるのにまだ荷物が無いだけなのかとも思えばカロスのほうにあるらしい拠点もそんな感じらしい。
「シキが明確に興味持てるのってポケモンバトルに関する物ばっかでしょ?」
ミナモシティにはホウエンでも最大規模のデパートメントが存在する。
その名もミナモデパート。
幼少の頃にも来たのだが、実を言うとドデカイほうのデパートは表向け、というか一般向け。
逆に極一部に需要を絞ったようないわゆる『マニアック』な品、というのを取り扱う一元様お断りなお店もあったりする。
その中でもトレーナー用品と来れば。
偶にとんでも無い掘り出し物が混じってたりするのがこの場所。
ミナモシティオークションである。
「さっき出てたのキーストーンよね?」
「一応やばいやつは無いから買っても捕まったりはしないよ?」
「そうじゃなくて……何であるのよ。あんなの研究所にコネでも無ければ手に入るようなものでも無いでしょうに」
「普通に手に入らないからこそ、価値があるんじゃないか」
そうして価値が高い物ならば何だって扱おうとするのがこの場所だ。
それからまた一つ商品が落札され、次の商品が出て来て。
「ちょっと?! あれ、ポケモンじゃない!」
「うん、ここはね。ポケモンすら商品になっちゃうんだよ」
「合法とか嘘でしょ?」
まあ普通ならそう考えるのも当然なんだろうけれど。
「ちょっと違うんだよね。この場所に限定すればあれは合法なんだよ」
「……どういうこと?」
最早訳が分からないと言った様子のシキに苦笑しながら答えを口にする。
「さっきのキーストーンとかもそうだけどね……引退したトレーナーの物だよ」
「……あっ」
その言葉に何か気づいたかのようにシキが短く声を挙げる。
「プロトレーナーの寿命って結構短いからね。十年、或いは二十年。いずれにしても限界はやってくる」
ポケモンバトルというものに際して、トレーナーに求められる能力は多い。
加齢と共に体が衰えていくとそれら求められる能力を満たすことが段々と難しくなっていく。
趣味でバトルを続けるのならばそれでも良いかもしれないが、プロとしてその道で食って行こうとするならばどこかで必ず限界が来る。
もう無理だ、自らの限界を理解した時、トレーナーは引退する。
問題だ。
トレーナーが引退する。
ならポケモンは?
「大概の場合は長年一緒にやってきたトレーナーに連れ添って生きてくよ? でもバトルが出来ない環境に『飢えて』しまうポケモンだっている」
ポケモンにとって闘争本能とは必須の物なのだ。
どれほど歳を取っても闘争本能が衰えることは無い。
種族的に穏やかな気質のポケモンもいるかもしれない、歳を取って多少それを抑える術を知ることができるかもしれない。
だが全員が全員そうではない。
「あそこでオークションにかけられてるのは別のトレーナーの手持ちとなって『戦いたい』と思ってるポケモンだ」
モチベーションというのはバトルにおいて重要な要素だ。
やる気が無ければ育成だって捗らないし、いざバトルをするにも信頼しきれない。
故にこの場に出てくるのはバトルにおいてモチベーションが非常に高いポケモンばかりだ。
勿論モチベーションだけあれば良いというものではないが、やる気満々のポケモンたちの中から磨けば光る原石はいないか、とこうして青田買いに来ているトレーナーもそれなりの数いたりする。
「船の上で聞きそびれちゃったけどさ。シキはこれからどうするの?」
そうして、あの時突然の事態に聞きそびれていた会話の続きをする。
「気になってることがあるって言ってたよね?」
「ああ……そのこと」
尋ねた言葉にシキが苦笑する。
髪先を指で弄りながら、どこか遠い目をし。
「そうね、敢えて言葉にするなら」
呟いて。
「悪夢を終わらせに、かしら」
困ったように笑みを浮かべた。
半ばシキちゃんの保護者面のサザンママ。
とても器用に両腕の頭を使ってお茶も淹れれるぞ。
尚シキちゃん味には無関心だけどそれでも少しでも美味しいの飲ませてあげたいと日々研究してるからそれなりに美味しい。
尚、♂であることには触れてはならない。