渦を巻くように
その光景をただ地上から見やることしかできない。
伝説種がこのくらいでやられるだろうか、そんな俺の警戒を裏切るように闇へと変じたソレは地上へと落ちていき。
ぼとり、と地に落ちると同時にふわり、と
まるで衣類の糸が解けていくように、闇が解け、広がり、そして。
ぶわり、と
少しずつ、少しずつ、空間に溶けて、滲み、そして世界を包んでいく。
全てが黒に染まり、全てが闇に溶け、そして。
そして。
そして。
* * *
ふっと目を覚ました時、そこは見知らぬ場所だった。
「…………」
思わず無言になってしまう。周囲をきょろきょろと見渡すが、絶句するより他無い。
そこには先ほどまであった全てが無かった。
そこに赤い空は無かった。
窓の外から見えるのは青い空と白い雲。
そこに黒い森は無かった。
見覚えの無いその『部屋』の窓から見えたのは見覚えのある景色。
そこに暗く滲む闇は無かった。
あったのは照り付ける眩しい朝日。
そこは『部屋』だった。
見覚えの無い、見知らぬ誰かの部屋。
ここはどこか、なんて分からないけれど。
けれども、ここがどこか明瞭なほどに分かりきっている。
「ミシロだ」
窓から見えた光景にそう呟く。
森の囲まれたひなびた田舎町としか言い様の無いその景色は、まさしく自身も良く知るミシロの町そのものだった。
「なんだ、これ……何がどうなって」
直前までの記憶を思い出そうとして、けれどどうしてだろう、何も思い出せない。
レックウザがイベルタルを倒し、イベルタルが闇になって……それから。
それから、どうした?
まるで空間を、世界を塗りつぶすかのように闇が広がって、それからのことが思い出せない。
あの後どうなったのか、何故いきなりミシロにいるのか、分からないことだらけではあるが。
「……レックウザやシキが居ない」
それが何よりも問題だ。
正直な話、
少しばかりメタ読みな部分もあるが、こういう時お話で言うならば、というやつだ。
とは言えあの空間から突然ミシロにやってきた、と考えるには余りにも前後が繋がっていない。
だったらあの空間がこの一見するとミシロに見える風景に切り替わった、つまり俺たちは一切移動していないと考えたほうが自然ではある。
そう、自然ではあるのだ。
ただそうすると今度は何故シキやレックウザが居ないのか、という疑問に行きあたるのだが。
そんなことを考えていると。
こんこん、と『部屋』の扉がノックされる。
「っ?!」
咄嗟にベッドの上に立ち上がり、警戒をする。
そんな俺を他所に無造作に扉が開かれ、現れたのは。
―――自身も良く知る青いコートの少女だった。
「……エア?」
自身の声になんら反応を示すこと無く、エアが何気無い動作でこちらへとやってきて。
ぞぶっ、とその拳を俺の腹に突き立てた。
「はっ……あ……?」
腹部に走る痛みよりも何よりも、突然のエアの行動に理解が出来ず目を見開き、全身が崩れ落ちて。
そして俺の意識はゆっくりと消えていった。
* * *
「……エア?」
自身の声になんら反応を示すことも無く、エアは……
「…………」
思考が追いつかず絶句したままその背を見送る。
扉が閉められ、足音が遠のいていき、完全に聞こえなくなって。
呆然としたままそっと腹部に手を当てる。
何も無い。そこには、何も無い。傷一つ無く、着ている服には血痕の一滴たりとも見当たらない。
「どういうことだ、なんだこれ、なんだよここれ」
思考が回る、だが理解ができない。
ただ一つ分かることもある。
「あれはエアじゃない」
エアの姿をしているだけの別の何かだ。
それが理解できる、否、間違えるはずも無い。
俺だけは絶対にそれを間違えるはずも無いのだ。
だからこそ分からない。
アレは何だ。どうしてエアの姿をしている。
そして俺は今一体何をされた?
確かに今、腹を貫かれた記憶がある。だが現実には何も起こっていない。
何で俺は生きている? 何でエアの姿をしたアレは追撃してこない?
今の俺の傍にはシキもレックウザも居ない。
甚だ不本意ではあるが、現状俺は敵に遭遇しても『対抗手段』が皆無だ。
つまり敵の視点からすれば仕掛けるなら今がチャンス……のはずなのだ。
実際一度は……仕掛けてきた、のだろうか?
分からない、分からない、分からない。
「誘ってる?」
エアの姿をしたアレの背を追えと?
否、何のためにだ。
そもそもそんなことに意味があるとは思えない。
ただこれで確信した。
ここはあの空間の続きなのだ。
つまり俺は何らかの『ポケモン』の力によってこの場所にいる。
そしてその『ポケモン』の力によってあのエアの姿をした何かは存在している。
「こんなことができるポケモン……いたか?」
コピー、となるとメタモン?
メタモンの変身技術は熟達すると本物との見分けがつかなくなる。
喋れないという難点こそあると思われているが、その実変身によって『声帯』を獲得するのだから会話の訓練をするとメタモンは喋れるようになる。
ただメタモンに空間をこんな風に改変する力はさすがに無い。
だったらなんだ……否、無理だ。
何が起きたのか分からないのにその原因を特定するなど不可能だ。
「……動くべきか?」
動けば良くも悪くも事態も動く……と思う。
動かなければ……果たしてどうだろう?
シキかレックウザが助けに来てくれる確率はいかほどだろう?
「手持ちが居ない以上迂闊に動けない……か」
だが同時に動かなければ事態が好転する、という保証も無い。
何せすでに一度は仕掛けてきたのだ。相手はこれっぽっちもこちらに友好的ではないのは分かった。
つまりどっちもどっち、どちらを選んだとて差異など無いように思える。
ならば後は好みの問題で良い。
「行くか」
呟きと共にベッドから降りる。
エアがいるならここは俺の家なのだろうかと思いつつも、けれど見覚えの無い部屋の謎に首を傾げる。
「ま、降りてみれば分かるか」
そんなことを考えながら、まだ違和感の残る腹部に手を置き部屋の扉を開いた。
* * *
「糞ったれが!!!」
吐き捨てるように毒吐く。
言葉遣いが悪いとは自覚しているが、それでもそれを抑えることもできないほどに今苛立っていた。
「分かったぞ! この世界の性質が、そしてこの世界の主も!」
家の中で
刺殺、撲殺、絞殺、毒殺、焼殺、感電死、溺死、失血死。
取り合えず思いつく限りの殺し方は一通り試したと言いたくなるようなラインナップであるが、その全てを自分で体験した身としては糞ったれとしか言いようが無い。
―――ここは夢だ。
三回目あたりの死でそれに気づけなければ発狂していたかもしれない。
この世界における死は『虚構』でしかない。精神を揺さぶる効果こそあれ、それを夢と認識していればその実あっさりと乗り切ることができる。
だが逆に夢だと理解するのが遅ければその間に起きた幾度物の死は『現実』として自らの身に降りかかる。
勿論夢である以上現実の体が死ぬなどということも無いのだろうが、夢である以上……否、夢だからこそそれを現実として認識すれば精神に死が刻まれる。
性質が悪いにもほどがある。
これは夢だ。
自らの記憶の中の『親しい』人たちが自らを殺しに来るという最悪に近い『悪夢』だ。
つまりこの夢の主はたった一人しかあり得ない。
「ダークライだろ!!!」
その言葉に反応するかのように。
* * *
目を覚ますと闇の中だった。
また悪夢の中かと一瞬思ったが、薄っすらと開いた視界の中で泣きそうな表情で俺を見つめる少女を認めて。
「……ここは現実か?」
「……そうよ、ただの悪夢みたいな現実よ」
少女から伸ばされた手が俺の頬に触れる。
手のひらから感じる熱に、少しだけ気持ちが凪いでいくのを感じた。
「シキ……レックウザは」
「いるわよ……今少し、手が離せないけど」
その言葉に疑問を抱き、同時に少し離れた場所で響いた爆音が耳に入る。
ゆっくりと顔を上げて視線を向ければそこには……。
全身から黒いもやのような何かを発するダークライと本来桃色だったはずの全身を黒に染めた
「悪夢を見せるやつと、悪夢から助けてくれるやつが結託してるとか、ありかよ」
まさに『夢』も希望も無い話だ。
とは言え、ダークライもクレセリアも所詮は準伝説種であり、その本質が『夢への干渉』である以上、イベルタルよりも戦闘能力で圧倒的に劣っているのは自明の理であり。
例え二対一だろうと、空の龍神が劣る道理も無い。
キリュゥゥアアアアァァァァァァァァ!!!
闇の空間に咆哮が響く。
文字通りの勝利の雄叫びと言ったところか。
力尽き、倒れ伏した二体の体、その輪郭が崩れ闇へと溶けていく。
―――勝ったのだ。
それを理解し、安堵すると同時に。
「ごめん、シキ……もう限界」
『夢』と理解してもそれでも都合三十回以上も『死』を経験したのだ、精神的疲労は極度に達していて。
「少しだけ……頼む」
伸ばされたシキの手に『バトンタッチ』とばかりに手のひらを重ね、そのまま意識が闇へと落ちて行った。
* * *
ソレにとって『基本的』に自身以外のことというのはどうでも良いことだった。
一年の大半を空のさらに上で生き、時折地上で体を休める程度であるが故に、ソレにとって自分の以外の存在というのはほとんど未知に近い。
とは言え空の下には自分以外の生物がいることも知っていたし、ソレらが自分よりも圧倒的に劣る物であるというこも理解している。
空のさらに上……後の世で『オゾン層』と呼ばれる領域で生きることのできる存在というのはソレを除いて他にはいなかった。
故にソレは自分以外の存在を知りながらも、それらを関係の無い物として考えていた。
地上で、空で時折起こる生物同士の争いや繁殖、そうした変化はソレの住まう領域においては起こり得ないことであり、ソレはただ日々淡々と空のさらに上を泳ぎながら時折飛来する隕石を拾っては糧としていた。
生存領域が根本から異なっている以上、ソレがソレ以外の生物と関わることなど皆無に等しい。
はずだった。
遥か太古の時代に二体の怪物が地上を荒らしまわった。
それだけならばレックウザとて我関せずと無視していただろう。
だが寄りにも寄ってその二体の怪物は天候を……空を支配しようとした。
空は即ちソレの領域だ。
それを侵そうとするならば、いくらソレとて座して見ていることなどできるはずも無い。
故に
グラードンとカイオーガという自身と同格の怪物を相手に戦い、勝利し、二体の怪物を地の底深く埋め、海の底深くに沈めた封じた。
そうして地上の平和を取り戻したソレを神と崇める生命が生まれたがソレにとって地上のことなど知ったことでは無い。
二体の怪物が封じられた以上、最早ソレの安寧を脅かす存在は居なくなったのだ、ならば用は無いと再び空高くへと消えていったソレは再び長い安寧の時を過ごす。
だが長い時を過ごすうちに思ってしまったのだ。
地上は一体どうなっているのだろう、と。
それは以前までのソレならばあり得ない思考ではあった。
以前までのソレにとって地上とはただの止まり木。時折降り立って休めるだけの場所だったのだ。
ただ地上で怪物たちと戦うことで地上を『知って』しまった。
ほんのひと時とは言え、必要以上に地上に降り、そこに関わってしまったが故にほんの僅か、地上に心を裂かれた。
そうして裂かれた想いは長い年月をかけてソレの中で膨らみ続け、やがてソレに地上への興味を抱かせた。
そうして久々に見る地上の生物たちは相も変わらずであり。
けれどそんな地上の様子を見て、ソレはその変わらない様子に少しだけ感慨を抱いたのだ。
あの怪物たちがあれだけ地上を荒らしまわっても尚以前と変わらないままに生きることができる地上の命というのは随分と逞しいものだと。
ほんの僅かな興味は確かな思いとなって地上とソレを結びつける。
そうして。
かつて封じたはずの怪物たちが蘇る。
ゲンシの時代の出来事である。
因みに『本当の』悪夢世界は夢を自覚したところでガリガリ精神削ってきます。
ついでに言うと夢の世界の正体を看破したところで目覚めることはできません。
だって今回の『疑似』世界と違って『本当の』悪夢世界はすでに一つの世界として確立されてるからね。
なので生命が『眠る』という行為がキーとなって強制的に悪夢世界に招待されます。
そして眠っている間に夢の中で殺されまくってがりっがり精神を削られる。
まあ精神が削られても肉体は眠ってるので肉体は癒される。
前にも番外編に書いたけど『眠りは肉体を癒し、精神を削る行為』で『起床は肉体を削って精神を癒す行為』。それが『一周目の世界』の『世界法則』なのだ。
素晴らしきかなディストピア、人に真の安らぎは無い。
因みにハルト君がマジギレしてるのは殺されたこととかどうでも良くて「家族」を象られて悪意を向けられたこと。
他人に殺されても夢だからで済ますけど、自分の家族の姿を勝手に使われた挙句にその姿で自分を殺そうとしてきたことがマジ許せねえ、と思ってる狂人スタイル。