「将来って考えてる?」
船内食堂で二人で机を囲んでのティータイムの最中、ふと思い出したかのようにシキがそんな話題を出した。
「将来?」
「進退、って言ってもいいわね。ハルト、前回リーグでチャンピオン辞めたじゃない」
「そうだね」
すでに自分はチャンピオンではない。
前回リーグ……ミツル君とのバトルを最後にチャンピオンの座を返上している。
まあこれ自体は前々から決めていたことなので今更な話だ。
母さんはともかく、父さんは少し微妙な顔をしていたが、何か言うことも無く俺の意思を尊重してくれた。
「トレーナー業、辞めるの?」
「んー、そこは少し考え中なんだけどね」
個人的にはトレーナー業も引退しても構わないと思っている。
この場合の引退というのはつまりトレーナーカードの返上だ。
ホウエンのみならず、全国のポケモン協会管理のトレーナーは必ず協会直轄の施設(ポケモンセンターなど)でトレーナーカードを受け取る必要がある。
これはポケモンの保有資格とはまた別の物であり、簡単に言えばポケモン協会から認められた『正規トレーナー』であるという証明になる。
正規トレーナーじゃないと何か困るのかと言われると第一にトレーナー御用達しの施設の機能がいくつか使えなくなる。
例えばポケモンセンターで言うならば正規トレーナー以外は宿泊施設の使用ができない。さらに通信交換施設の使用もできないし、ボックス預かり機能も使えない。基本的にポケモンの回復、以外のサービスが受けられなくなる。
さらに言うなら各地のジムに挑戦することもできなくなる。
正確には協会公認ジムへ挑戦できなくなる。ジムリーダーがバトルしてくれるかどうかはまた別としても少なくとも勝ってもバッジはもらえない。
当然ながらポケモンリーグへの挑戦もできない。ホウエンは基本的にリーグ挑戦者にバッジ数の制限をかけていないが、それでも『最低限』の資格として正規トレーナーである必要はある。
単純にポケモンバトルをする、というだけなら正規トレーナーでなくとも野良試合などをすることはできるが、協会関連の『公式試合』となるととにもかくにもこの『正規トレーナー』の資格が必要になる。
とは言えだ、この正規トレーナー資格であるトレーナーカード、割と簡単に手に入る。
十歳以上であること、それから簡単な講習とペーパーテスト。
基本的にそれだけだ。
事前にポケモン使って何か犯罪起こしたとか、そんなことが無い限りそれでトレーナー資格は手に入る。
というか十歳で資格取りに行くような子供が犯罪なんて起こしてるはずも無いので実質的にはそれだけの話だ。
そんなこんなで割と簡単に資格自体は取れてしまうので取ってる人自体は結構いる。
その中の何割が本気でジムチャレンジ目指しているのか、プロトレーナーとなる覚悟があるのか、恐らくそんな物はほんの一握りだろう。
大半の人間が『地元のジム』の一つでも攻略して終わるのが大半だ。バッジ0が相手ならジムリーダー側としてもかなり配慮しなければならないので初心者でもある程度ポケモンを育てバトルの基礎を学べば案外勝てたりする。そしてそれで満足して終わってしまうのだが。
とまあそんなわけで、各地の町に行くと『正規トレーナー』というのは結構な数がいる。
そしてその辺から察することもできると思うが
正確にはあるにはあるのだが、実質的には無い、というべきか。
正規トレーナーは必ずポケモン協会に登録され、管理されることになる。
なのでポケモン協会から緊急時に要請を受けたならそれに従う義務のようなものが発生する。
昨年の伝説との戦いでリーグ越しに協会に要請してエリートトレーナーたちに協力してもらったように、だ。
さらに言うなら滅多にないことだが、二年前の自身のように使用するパーティに口出しされることもある。
要するに強くなればなるほど恩恵も大きいのだが、しがらみもまた増えるのだ。
そしてすでに元、と付くとは言えホウエンチャンピオンというのはそれなり以上に大きなしがらみを呼ぶ。
だからこそ、いっそのことそのしがらみを断ち切るのもありではある。
何せこれからの自分はポケモンの研究者としての道を歩くのだ、バトルする機会も減るだろうし別に正規トレーナーでなくなったとしても困ることはそれほど無い。
ついでに言えば少しずるい話だが正規トレーナーでなくなったとしても『元チャンピオン』という肩書は消えないのだ。社会的信用及び、トレーナーとしての信用はそれだけで十分高い。
正直な話、グラードン、およびカイオーガ、そしてその先に続いてのレックウザ。
この三体の伝説の脅威を鎮めた時点で俺の役割とでも呼ぶものは終わっていると思っている。
別に主人公を気取っていたわけでは無いが、それでも俺がやらなければどうなっていたことか、と言ったところか。
事実は小説より奇なり、なんて言うが少なくとも現実に相対した伝説の脅威は、五歳の頃に想像していたものを遥かに超えていたのも事実だ。
天災とでも呼ぶべき
故にトレーナーを引退するというのも普通に考えている。
「と言っても、今すぐどうこうって話でも無いけどね」
この半年、何もかもが終わった『後日談』のようなゆったりとした半年。
仲間と触れ合い、絆を確かめ合い、愛を紡いできた半年。
「よく考えればまだ十二歳なんだよね」
「はい?」
「ずっと昔からホウエンの伝説をどうにかしないとって思ってたから、いざそれが終わってみると時間が凄く長く感じるんだよ」
伝説という名の災害、来るべきその時のために一分一秒すら惜しんで備えてきたつもりだ。
だからこそ、いざ過ぎ去って行った災禍に、じゃあ次どうしようか、というのが分からなかった。
持て余した時間、ふと過去を振り返ってみれば、まだたったの十二年だ。
特にエアたちと
これから先、まだ五十年、六十年と人生は続いていくわけで、その中のほんの何分の一かが過ぎ去っただけに過ぎないのだ。
「この世界における『成人』の定義は十歳からだけど、社会的に『大人』とみなされるのは十五を超えてからだ」
社会的就労規則に則るならば十歳からでも働くことは可能だ。
実際トレーナー業というのはある種就職と言えなくも無い。大半の人間は副業程度でしかないが、プロトレーナーとなれば普通に働く以上の金銭的収入が得られる。
けれどそれは現代日本での感覚で語るならば十五歳くらいの義務教育を終えたばかりの子供が就職するような話だ。日本の場合、学歴社会というかそういう社会的ステータスのようなものが就職に必要だったりしたので大半の子供たちは高校へ進学し、希望する進路条件へと合う大学を選んだり、或いは高卒のままどこかに就職したりしている。
つまり十歳から『成人』と言っても昨日まで九歳だった『子供』が翌日誕生日に突然『大人』になれるわけでは無い。
だがある意味『子供』だからこそトレーナーとして旅に出たりもするのだ。
少し余談になるが、先の『正規トレーナー』の話はこの辺にも大きく関係する。
有体に言って、トレーナーとして大成する人間の大半は十歳の時に旅に出た子供が成長した結果であることが多い。
というか十歳の時に『正規トレーナー』にならなかった子供は、そのまま生涯トレーナーとしての生き方を選ばないケースが圧倒的に多い。
理由としては簡単で『現実』を見てしまうからだ。
毎年たくさんの子供たちが十歳になると共に正規トレーナーとして旅立つが、その中でプロになれる…… エリートトレーナーとして大成できるのはほんの一握りに過ぎない。
その大半が旅の途中で挫折し、諦め、故郷に帰って行く。
つまりトレーナー一本で生きていくというのは非常に過酷なのだ。
それこそまだ十歳、十一歳、十二歳くらいの『夢』を追える年頃でなければ挑めないほどに。
歳を追うごとにトレーナーとしての現実が見えてしまう。そうすると挑戦することに臆病になってしまうのだ。
だからそれまでにトレーナーとして旅に出なかった人間の大半はそのまま一生トレーナーになることが無い。
とは言え十歳、十一歳、十二歳のまだ『子供』にとって旅とは過酷なものだ。
気軽に旅に出たは良いが、バトル以外の部分で挫折して帰って来る、ということも昔は多々あった。
特に寝床や食事の確保、これが問題になっていたのだ。
当然ならトレーナーの収入とはバトルの賞金だ。特に大会などが稼ぎどころなのだが、日常生活を過ごす分には野良試合でもして賞金を手に入れても生活できる。
逆に勝てなければ……金があるうちは良いが無くなれば野宿をし、サバイバル生活をしなければならなくなる。
そんなバトルとは関係の無いところで労力を費やすことの無いようにポケモン協会がポケモンセンターでの無料の宿泊施設を提供し、無料の食堂を提供し、さらにはフレンドリーショップなどと提携して新人トレーナー(バッジ0個以下の正規トレーナー)に『きずぐすり』や『モンスターボール』などを割安での販売、提供ができるような環境を整えた。
そこまでしてトレーナーを増やそうとするのは結局この世界に『ポケモン』という存在がいるからに他ならない。
人類は常にポケモンと関わりながら生きている。これはどうやったって切り離せない繋がりだ。
そしてポケモンとは人類の隣人と呼ばれているが、その全てが人類に対して友好的と言うわけでは無い。
時には危険なポケモンも存在しており、人類に対して害となる存在も少なくない。
そしてそんな存在に人類が対抗するためには同じポケモンを使うトレーナーという存在が最も効率的で、最も確実な解決手段なのだ。
話を戻すが、この世界における成人とは『十歳』である。
だが現実には『十五歳』前後で一人の大人として認められる傾向にある。
つまり今の自分はまだ子供なのだ。
子供であると言って許される立場であるということだ。
「一応研究職のほうに進むつもりではあるんだ……ヒトガタという存在をもっと知りたい、そう思ってる」
「あら、良いじゃない。ポケモン博士……素敵な夢だと思うわよ」
逆に言えばそれ以外何も考えていない、ということでもある。
贅沢な話ではあるが、自分には選択肢が多い。
元チャンピオンという肩書一つで多くの選択肢があり、さらに手持ちのことを考慮すればさらに選択肢は増える。
ただ選択肢が多すぎて決め切れなかったのもまた事実だ。
その中で研究者という道を選んだのは結局家族のためだ。
「うーん」
「どうしたの?」
「いや、何というか……受動的かなあ、って」
「どういうこと?」
自分で選んだ道ではあるが、けれどそれは選んだだけであって
中々言葉にし辛い感情ではあるが……そう言うなれば。
「夢が無いんだよね、俺」
「夢?」
「将来こうなりたい、って普通の子供なら言うじゃん? でも俺はその将来を打算と必要で選んでしまっている。それが何かなあ、って思っちゃうんだよね」
別にそれが悪いわけでは無いのだ。
少なくとも『必要』としているのは事実なのだから、求めるのは間違っていないはずだ。
ただ必要なだけであって、やりたいこと、ではない。
それだけと言えばそれだけの話。
「あぁ……分からないでも無いわね」
「というか、シキは将来……というか進路どうするか考えてるの?」
シキは俺より三つ年上なのですでに十五である。
先ほども言ったように十五前後で社会的には『大人』として見られる。
ただシキはすでにエリートトレーナーとしての地位を築いているので、このままトレーナー業を続けても問題は無いと言えば無い。
「そう……ね。私の場合、トレーナー業は続けても、活動自体は縮小するかもしれないわね」
「何かやりたいことでもあるの?」
「…………」
問うた言葉に黙したシキに首を傾げ。
「少し、気になってることがあるのよ」
「気になってること? それって―――」
問おうとし、口を開いた……直後。
ぐわん
と。
一度、大きく船が揺れた。
「お、おおお?!」
「ななな、何!?」
まるで大津波に船が揺られたかのような傾き方に、机の上に置いていたカップがするりと滑り落ち、木目の床に叩きつけられてがしゃん、と割れた。
だがそんなことを気にしていられない。二度、三度と余韻のように揺れる船。すっ転ばないよう机を両手で持って机にしかみつくように態勢を固定しながら少しずつ揺れが収まるのを待つ。
「……シキ、大丈夫?」
「え、ええ……こっちはだいじょう……う……」
やがて収まった揺れに、ゆっくり体を起こしながらシキへと問いかければ、正面で同じように机にしがみついていたらしいシキが体を起こして。
その視線を向けた先で硬直した。
「どうしかした? 何か……あ……った……」
その視線の先へと、自身もまた視線を向け。
―――視界の中、窓の外に広がる『黒』が映った。
ひぇぇ……地獄の七連勤終わったので更新だよ!
ちょっと世界観説明が多くなったけど、次回作や次々回作なんかに(多分)関係してくる話だから頭の片隅にでも残しておけばいいんじゃないかな???