「無理だよ」
一瞬の間も無いほどの即答だった。
そうして嫌々、と首を振りながらリップルは俺を拒絶する。
それでもさほど力も籠めず抱き留めた腕をほどかないのは……。
―――その体が震えているのは、それでも。
「無理じゃない」
「無理だよ」
否定に対してさらに否定を重ねる。
まるでそれは自分に対して言い聞かせるような言葉。
それはそうだろう、恋だ愛だがどうこう言う前の話。
俺とリップルは絆で結ばれている。
互いが互いを何よりも信頼し、何よりも尊敬し、何よりも信愛している。
故に俺はリップルを無条件に信じているし、リップルだって同じだ。
だからこそ俺は同じことだ信じてくれ、と言い。
けれど本当はリップルだって分かっているはずなのだ。
分かっていて、けれどなまじ分かってしまうからこそ、見て見ぬ振りをする。
視線を逸らし、態度をはぐらかし、そして気持ちに蓋をする。
「なあ、リップル……」
きゅっと唇を結び、口を閉ざしたリップルを見つめ、一度目を閉じる。
それはきっとリップルが気づいていて、目を逸らしていたこの話の『急所』だ。
それを突きつけることは果たして正しいのか否か。
そんなことは分からないけれど。
「分かってるだろ」
それでも、もう全て動き出してしまっているのだ。
手遅れだというならばそんなもの
何よりその引き金を引いたのは目の前の少女であり。
「俺はエアも、シアも、シャルも、チークも、イナズマも受け入れた」
「っ……」
歯を噛み締めるかのように口元が僅かに動く。
今にも泣き出しそうな、そんな表情に胸がきゅっと痛み。
けれどそんな痛みを押し殺して。
「もう無理なんだよ」
告げる。
「今まで通りなんて……もう無理だ」
告げる。
「分かってんだろ」
突き告げる。
「もう俺たちの関係はとっくに変わっているんだって」
突きつけた。
* * *
分からない。
分からない、分からない、分からない。
リップルにはどうしても理解できない。
どうしてそんなにも無垢に信じることができるのだろう。
愛を誓い合った夫婦ですら喧嘩一つで絆を失い、別れることだってあるというのに。
どうして恋なんて不安定な絆がずっと続くと信じれるのだろう。
一人は嫌だ。自分はずっとみんなと一緒にいたい。
だったら……良いじゃないか。
家族で良いじゃないか。家族という絆は切れない。愛だとか恋だとか、そんな複雑な感情よりもずっとずっと固くて、確かな絆だ。
だから……良いのだ。
そう、思っていたのに。
そう、
―――分かってんだろ、もう俺たちの関係はとっくに変わっているんだって。
分かっている、分かっているに決まっている。
でもだからと言ってそれを認めてしまうことなんてできるはずがない。
そんな『怖いこと』はできない。そんな恐ろしいことできるはずがない。
だってリップルにはそんなあやふやな関係を信じることができない。
それでも変わってしまったことが事実なのだとすれば。
そして変わってしまった関係性を信じられないのなら、認められないのならば。
リップルと主との絆はその時こそ断ち切れる。
待っているのは孤独だ。
嫌だ!!!
そんなのは、絶対に嫌だ。
だから目を覆い隠した。
口を閉ざし、耳を塞ぎ、のらりくらりと躱し続けてきた。
それでもそんなこと何時までも続くはずがない、それもまた理解できてしまっていた。
でもだからって、リップルに何ができるのだ。
失くしたくない。
でも認められない。
それでも嫌だ、嫌だと言い張ることしかリップルにはできないのに。
なんて容赦の無い人だろうかと自身の主を見つめる。
好きだ。
リップルは彼が好きだ。
どうしようも無いくらい好きだ。
何時からとか、どうしてとか、そんなこと分からないくらい当然のように、まるで最初から決められていたかのように。
気づけばリップルはハルトに恋していた。
自分の他の仲間たちもまた同じであることリップルは知っていて。
けれど他の仲間たちと違うのはリップルは求めなかった。
自らの内で感情を完結させようとした。
こんなあやふやで不安定な気持ちが今すでにある絆を壊してしまうことが怖かったから。
だからリップルは求めなかった。
そして当時の主もまた自分の中の感情を上手く表現できず、持て余していた。
だからリップルに求めなかった。
それで良いと思った。そのまま一年、二年と時が経つに連れて自分たちは家族として安定した関係を築いていけたから。
リップルにとって何よりも大切な家族たち。
だからそれを壊すもの……壊してしまうかもしれないものをリップルは嫌った。
―――そのはずなのに。
* * *
「何で……今更そんなこと言うの」
声が震えていた。
「家族で……良いよ。私たちは……家族が、良いんだよ」
かちかちと歯を鳴らして。
「家族ならずっと一緒なんだよ……なのに、何で、何で今更変えようとするの」
涙を堪えるように、それでもしっかりと俺を見つめて問うたリップルをぎゅっと抱きしめ、その背をゆっくり、優しく撫でる。
「違うんだよ……リップル」
泣く子をあやすような手つきで、ゆっくり、ゆっくりその背を撫でる。
「そうじゃないんだ」
震えるその体を包みこむように、小さく聞こえる嗚咽を鎮めるように、頑ななその心を溶かすかのように。
必死になって頭を回し、一つ一つ、リップルに届けるための言葉を紡ぎ出す。
「家族だからずっと続くなんて幻想なんだ」
「っ!」
それは否定。絆の否定。リップルの在り方の否定。
それはきっとリップルを傷つけるだろう、そう分かっていて。
そして絆を通して伝わってくるリップルの衝撃が分かるからこそ、ずきりとまた胸が痛みを叫んだ。
「恋人だからとか、家族だからとか、関係性自体に意味は無いんだよ」
けれどリップルの言っていることもつまり『そういうこと』なのだ。
家族だからずっと一緒にいられるなんて、そんなことは
俺たちの関係は家族だったけれど、俺たちは家族だからずっといたわけじゃない。
「絶対に変わらない物なんて無いんだ。それはこの『絆』だって同じだ」
『絆』はリップルにとっても、そして俺にとっても拠り所だ。
けれど俺はそれを絶対だなんて思っていないし、それが永遠なんてことそれこそ『絶対』にあり得ないと思っている。
そんな俺の考えが伝わったのか、リップルが僅かに口を開き、何か言葉を紡ごうとして……けれど閉ざす。
「俺たちがずっと一緒にいられたのは何でだ。『絆』があったからか? 仲間だったからか? 家族だったからか? そうじゃないだろ……
七年だ。
俺が生まれてから五年。そこからさらに七年。
人生の半分以上をこいつらと一緒に生きてきた。
けれどそれは『仕方なく』ではない。ただ一緒にいたから『一緒』だった、なんてそんなつまらない理由じゃない。
それは。
「俺たちが努力してきたからだろ。ずっと一緒にいられる努力、この絆がずっと続くように、俺たちが努力したから七年も一緒に生きてこれたんだろ」
努力すること。
人に好かれることはそう難しいことじゃない。
ちょっとした好意で人は人を好きになれる。
けれども、好きでいてもらい続けることは難しい。
だってそこにいるのは自分じゃない他人なのだから。
当然自分とは合わない部分の一つや二つは出てくる。
「だからこそ俺たちは努力するんだ」
それは言うなれば。
―――好きな人に好きでいてもらい続ける努力、とでも言えば良いだろうか。
「それを怠れば待ってるのは破局だよ。でもそれは家族だって同じだ。俺たちは仲間だ。俺たちは戦友だ。俺たちは家族だ。でも俺たちは他人だ。種族すら違う別の生き物だ。それでも俺たちは仲間で、戦友で、確かに家族だ。けどそれは俺たちが自分たちをそう定義したからだ。そしてそれを続けようと努力したからだ。何の努力も無くそうあったわけじゃない。何の努力も無くそうあり続けたわけじゃない。それはお前だって分かるだろ。他ならない、お前だからこそ、分かるだろ?」
肯定も無く、否定も無い。
けれど俯き、唇を噛み締めるその様子からして、答えは決まりきっていた。
「同じなんだよ。紡いだ絆を繋げて。繋いだ絆を確かにすること。それはお互いが思い合うことが何よりも大事だ。一方通行な絆は絆じゃない。俺たちは思い合っているからこそ絆が芽生えたんだ」
絆を紡ぐ。
思いを重ね。
心を繋ぎ。
縁を結ぶ。
何度となく繰り返してきた言葉だ。
「なあ、リップル。分かるか、リップル? 家族だろうと恋人だろうと夫婦だろうと変わらねえよ。続ける覚悟と、そうあり続ける努力。そして一歩進む勇気。俺たちに必要なのはそれだよ。エアは変わった、シアも変わった、シャルは受け止めた。チークも、イナズマも同じだ」
五人はその変化を受け入れた。
今のまま立ち止まることを、足踏みすることを良しとしなかった。
「お前だけそこで立ち止まるのか? 俺たちは歩き続けているのに、お前だけが」
抱きしめた腕の中でリップルがその背筋を震わせた。
それは孤独だ。
リップルが何よりも恐れているはずのもの。
「なあ、お前はどうしたい?」
問うた言葉にけれどリップルは答えない。
震える唇は未だに言葉を紡げない。
「俺はお前と共に在りたい。お前と一緒に生きて、お前と一緒に死にたい。お前が好きだ、そう言ったのは嘘でも偽りでも無いよ」
心からの告白。
たった一人、そう言えない時点でどうにも恰好が付かないが。
けれどそれは正真正銘の俺の本心だった。
目の前の愛おしい少女と共にこれから先も歩んでいきたい。
嘘偽りの無い、ただ一つの願い。
「わたし、は……」
* * *
―――いつまでも、みんなで一緒に……そう願うのは傲慢かな?
ふと、六年も前のことを思いだした。
喪失した胸の痛みが疼き、胸の奥でぽっかりと大切な何かが欠けていたことに気づいてしまったあの頃の話。
リップルは主と出会って、欠けていた物がすっぽりと埋まった気がした。
満たされた時間の幸福を味わうと共に、満たされてしまったが故に、それを再び失うことに恐怖していた頃。
そうして振り返ってみると今と何も変わっていないな、と自分でも思う。
ああ……そっか。
あの時、確かに主は言っていた。
―――この手だけは絶対に放さない。
六年も前から、答えは出ていたのだ。
主はずっと『努力』していてくれたのだ。
どうして今までそんな当たり前のことに気づかなかったのだろう。
そんな主だからこそ、大好きだったのに。
そんな主だからこそ、リップルは恋したのだから。
「あー」
そっか、と短く呟く。
ぐるぐると心中に渦巻いていた色々な感情が、すとんと胸に落ちた。
答えなんて最初からそこにあったのだ。
ただリップルが気づかなかっただけで……見ないふりをしていただけで。
「負けたなあ」
こんなの大負けだ、ぼろ負けだ、完敗だ。
胸の内で白旗を振るしか術が無いじゃないか。
負けだ、どう考えても。
どうしようも無いほどに、惚れてしまった自分の負けだ。
そっと手を伸ばす。
自身よりも幾分小さい、けれど少しずつ成長している小さな主の体をぎゅっと抱きしめて。
「大好き」
小さな呟き、けれどそれは確かに主へと届き。
「ああ、俺もだよ」
ぎゅっと、体を抱く手に力が籠る。
―――あったかいな。
単純な熱さでは無く、胸の内側がぽかぽかとして。
―――なんだか無性にくすぐったかった。
* * *
「あのね、
耳元で囁くように。
なんだ? と返すハルトに、リップルが少しだけ躊躇った様子で言葉を溜め。
やがて意を決するように口を開く。
「一つだけ、お願いしても良いかな」
「ああ、言ってみろ」
問に対して、一瞬の間も無くハルトが答えた。
その即断にリップルが僅かに苦笑し。
「『努力』して欲しいんだ」
お互いがお互いを『好き』で居続けるための、そんな『努力』。
「ずっと一緒だっていう『誓い』が欲しい」
ただ言葉を交わすだけじゃない。記憶に焼き付くような、そんな強烈な何かが欲しくて。
内心の動揺を押し殺し、覚悟を決めてリップルが目を閉じる。
『絆』を通し、リップルの求める物に気づいたハルトが少しだけびっくりしたように目を丸くして。
「……ああ、分かったよ」
くすり、と笑ってその頭を引き寄せる。
顎の下にそっと手をやり、クイと上を向かせて。
「約束する。ずっと……ずっと一緒だ」
呟きと共に、その唇に
というわけでリップル編はこれで終了。
6Vメタモンレイドに参加できたのでしばらく厳選のお時間となります。
注意事項:ハルトくんはホストではありません。ただの十二歳児です(