ミシロ南の森を抜ければ小高い丘に出る。
実機だと端まで森が続いているがどうやらその辺は違うらしい。
「良い天気だねえ、シア」
「そうですね、ハルトさん」
丘の端は崖になっており、丘からは果てしなく広がる海が見渡せた。
ざぱんざぱん、と波のさざめく音が聞こえる。
丘の頂上に立ち、広大な海を見下ろしながら潮風に吹かれる。
「気持ち良いね」
「そうですね……ミシロは森に囲まれてますから、余り風が吹きませんしね」
海に近い割にミシロタウンは四方を森で囲まれているせいか凪いでいることが多い。
だからこうして風に煽られて片目を瞑りながら髪を抑えるシアの姿を見るのは少し新鮮だった。
丘の斜面に二人で腰を下ろす。
土が見えないほどに雑草で覆われた丘は、座ってみればふんわりとしていて、日差しの穏やかさや吹き付ける風もあって、ここで昼寝したら気持ち良いだろうなと思わされた。
少しの間、無言の時間が流れる。
ただ波と風の音だけが二人の間を流れていく。
居心地は……悪くない、否、むしろ良い。
穏やかで、優しくて、温かい時間。
何よりも求めていたそれが、自身の心を満たしていくのが感じられて。
「シア」
「あ、はい」
瞑っていた目を開き、隣に座るシアに声をかける。
空の陽気のせいか、少しうとうとしていたらしいシアだったが、自身の声にはっとなって、こちらを向いて。
「頼んでたの、ある?」
つい、と視線をシアの隣に置かれたバスケットに向ける。
二人で出かけようと決めて、ここに来ようと決めた段階で頼んでおいたものがそこにあるはずだった。
自身の視線に気づいたのか、シアが苦笑しながら頷き、バスケットを取って。
「はい、お弁当、ちゃんと言われた通り、作ってきましたよ?」
「うん、ありがとう」
受け取り、蓋を開く。
綺麗な三角お握りと卵焼き、それにウインナーに唐揚げ、ブロッコリーにプチトマトとなんとも定番で彩りも良いメニューが入っていた。
「唐揚げなんてどうしたの?」
「今晩出す予定で昨日のうちに漬けておいたのを持ってきました」
内緒ですよ? なんて微笑するシアに、笑みが零れる。
普通の鶏肉の唐揚げだが、昔はこれにも酷く驚いた覚えがある。
いや、考えて見れば当然の話なのだが。
この世界の食事事情は、実のところ碓氷晴人の記憶の中とそれほど変わりが無い。
この世界にはポケモンがいる、ポケモンを食することもある。
だが考えて見て欲しい。
ポケモンには定義がある。
ポケモンがポケモンであるための条件があるのだ。
そうである以上、
人間だってその一つだし、それ以外にもこの世界には地球にいたような普通の動植物も多くいる。
まあポケモン図鑑の説明を見ればそもそもそういう概念があるのも分かるのだが、実機やアニメにも一切描写が出てこないのでいまいち判明していなかった事実ではある。
ただ昔の……自分を転生していたと思っていた頃の自分は、このポケモンの世界でポケモンではない普通の動物がいるという事実にかなり驚いた記憶がある。
とは言え、ポケモンという超常生物のせいで、自然界ではどうやっても食物連鎖の下に位置するらしいが。
そのため普通の旅をしていてもポケモン以外の生物というのは余り見かけない。
「うん、美味しい」
唐揚げは少し冷やしてしっとりさせたほうが好きだ……揚げたても美味しいが。
肉自体にしっかり下味がついているし、衣がしっかりと味を吸い込んでいる、一緒にお握りを食べれば最高の組み合わせである。
隣で一緒にお弁当を食べるシアも、出来に満足したのか顔を綻ばせていた。
そうしてシアの作ったお弁当を食べ終えれば、すっかり満足する。
「はー……食べた食べた」
「ふふ、お粗末様です」
「いやいや、ご馳走様。美味しかったよ」
「そうですか……うん、嬉しいですね」
最近ではもうすっかり母さんよりも料理が上手になったように感じる。
エアもエアで手習いにやっているが、まだまだ大雑把だ……まあ好みが似ているからか、美味しいのだが。
うちの中で炊事、洗濯、掃除、裁縫、それぞれ一分野ならやっているやつもいる、エアだとか、イナズマだとか、リップルだとか。
それでもその全てを母さんとやっているのは、シアだけだ。
そう考えると本当にありがたい。
何せサクラやアース、アクアにアルファ、オメガと本当に家の人口が急増した。
特に俺は基本的に平時はボールからポケモンを出しているので朝や夜が大忙しなのは知っている。
母さんだけならとてもじゃないが手が回らないだろう家を一緒になって回してくれているのがシアだ。
「いつもありがとう」
そんな感謝の言葉を、けれど平時だと言ったことも無かったと気づく。
今頃になってようやく出てきたそんな言葉に、けれどシアは嬉しそうに笑みを浮かべ。
「いえ……構いませんよ、好きでやってることですから」
本当にできた仲間だ、家族だ。
どうやって返せばいいのか、分からないくらいに。
* * *
「シアはさ……将来のことって何か考えてる?」
中身の無くなった空っぽのバスケットを脇に置き、ごろんと草の絨毯の上に寝転がれば、高くは無いが厚く茂った草がふわふわとしていて、中々に心地が良かった。
「将来……ですか?」
「うん、まあ十年後二十年後、なんて言わないけど例えばこれからどうする、とか来年どうしてるだろう、とかそんな予想図ある?」
問いかけた言葉にシアが少し考え。
「私は……ハルトさんが決めた道をついていくだけですね。例えそれがどんなものでも」
ずっと一緒ですよ?
暗にそう訴えかけてくる満面の笑顔に、そっかと呟き。
「ハルトさんは、何かやりたいこと、見つかりましたか?」
そんなシアの問いに、ああ、と頷く。
「見つかったよ、やりたいこと、と言うか……なりたいもの、かな?」
「将来、ですか?」
「うん……俺さ……研究者になるよ」
告げた言葉にシアが一瞬きょとん、として。
その言葉の意味を理解すると同時に目をぱちくりとさせる。
「研究者……ですか? えっと……こう言っては何ですが、随分とその意外、ですね?」
「そう?」
まあずっとトレーナー一筋でやってきたのだから、そう思うのかもしれないが。
実のところこれは別に昨日今日で急に思いついたことでは無かったりする。
研究者になるとまでは明確に考えてはいなかったが、それに類する物が必要だとは以前から思ってはいたのだ。
「ヒトガタって何なんだろうね?」
「えっ?」
「ヒトガタはポケモンだ……けどさ、なんで人と同じ姿をしてるんだろう?」
それは自身がこの世界で初めてヒトガタの存在を知ってからずっと抱いていた疑問。
最初は擬人化ポケモンがいるのだと、その程度の認識だった。
けれどよく考えればこの世界は別に二次創作ではないのだ、現実なのだ。
何故ポケモンが人の形をしているのか。
そんな当然の疑問に、けれど誰も答えることができていないのが今の世界の現状であり。
「
だって別にそんなことが知らなかったからと言って困ることは特段無い。
今目の前にいる彼女はポケモンであり、ヒトガタであり、だからそれがどうしたというのか。
今更彼女たちの何かが発覚したところで彼女たちへの見方が変わるわけでも無い。
「今俺の目の前にいるシアがシアであること、それ以上に欲しい事実なんて無いから。だからヒトガタとは何なのか、知らなくても困りはしない」
ただ、思い出すのはグラードン戦直後。
倒れ、発熱したエアを前に匙を投げたポケモンドクターの姿。
「ヒトガタは病気になるのかな? なるとしたらそれは人の病なのかな? それともポケモンの病? もし発症したらポケモンドクターに見せれば良いのかな、それとも人間の医者に? 怪我をすればポケモンセンターで本当に大丈夫なの? いつまで生きる? 元の種との違いがどれほどある?」
「……それは」
「そうさ、考えて見れば分からないことだらけなんだよ。何よりもヒトガタである本人たちすら分からない。今まで研究が進んでないからね」
ヒトガタ自体発見されてから十年以上経つというのに、ヒトガタは普通の種より強い、という事実以外に分かっていることなどほとんど無い。
その原因は酷く単純なのだ。
「ヒトガタなんて研究できるほどたくさんいないから」
普通のトレーナーですら数十人、或いは数百人に一匹、いるかいないかというレベルの希少性を持ち、その全てが優秀な個体である。
トレーナーなら誰でも欲しいものであり、エリートトレーナーたちなら己の力をフル活用して入手するだろう存在だ。
そんな優秀な個体を研究用に飼い殺しにするなど、世のトレーナーたちからすれば
故にヒトガタを研究する研究者というのは極めて少なく、そしていたとしても実際にヒトガタを所持している研究者など皆無に等しい。
ヒトガタ十匹。
正直世界的に見てもこれを超える記録はありはしない。
パーティに二匹いるだけで珍しいというレベルではないのに、パーティ全員ヒトガタは歴史上類を見ない。
つまり研究のためのサンプルなら自分が世界で一番多く所持している。
そして何よりも超古代ポケモンたる二匹がいる。
ゲンシの時代よりさらに以前から生きていた二匹から過去の世界を知っている。
ヒトガタが本当に十数年前より突如発生したのならば、超古代ポケモンたる二匹が人の形を取っている道理が無い。
何故グラードンとカイオーガは人とポケモンの姿を可変できるのか。
その辺りのこともさぞ研究し甲斐があるだろう。
「まあ結局……欲しいのは安心なんだ」
「安心、ですか?」
思考の果てに行きついた答え、ぽつりと零したその答えに、シアが首を傾げる。
そう、少々分かりづらいかもしれないが。
「これからもシアたちとずっと一緒にいられるという安心、俺はそれが欲しい」
エア、シア、シャル、チーク、イナズマ、リップルの六人。
今となってはそこにアース、サクラ、アクア、アルファ、オメガの五人。
みんな大事な家族であり、大切な仲間であり。
「だからこそ、これから先もずっと一緒だという確信が欲しい。お前たちがどこにもいかないと、何者にも変わらないという確信が欲しい」
もうエアの時のような思いはこりごりなのだ。
一本、辛うじて残せはしたが……これまでに紡いできた絆が次々と切れていく、仲間との絆の力で戦う自身にとって、あのレックウザとの最後の戦いの瞬間は正直トラウマに近い。
分からないからこそ、知りたい。
知ればまたどうにかしようと考えることができるから。
「私は―――」
シアが、自身を見つめる。
「アナタが望むのなら、いつまでも、どこまでも……ずっと一緒です」
見つめて、視線を固定する。
見つめ合ったまま、互いの視線を逸らさない。
「うん……ありがとう」
手を伸ばす。
―――伸ばした手に、シアの手が重ねられる。
「ずっと欲しかった、こんな時間が」
穏やかで、優しくて、温かい、こんな時間が。
そのために自身はここまで来たのだ。仲間を集め、仲間と共に戦い、リーグを制し、ホウエンを旅し、伝説を降し、世界の滅びを回避した。
その全ては結局、こんな時間が欲しかったからに過ぎないのだ。
だから。
「ありがとうシア……俺に、こんな時間をくれて」
ありがとう。
ただそれだけできっとキミは満足してしまうんだろうけれど。
「だから、ちゃんと言っておきたいんだ」
ずっと言えなかったことがある。
俺はずっとキミに不義理を働いていた。
一年前からずっと、キミを待たせていた。
ずっと言いたかったことがある。
でもようやく見つけたんだ。
もう去年までの俺じゃないんだ。
「答えなら……ちゃんと見つけてきた」
もう言うべき言葉は決まっている。
大好きで、愛しい彼女のその顔を見つめ。
―――俺は、キミが好きだ。
告げた言葉に、シアが大きく目を見開く。
そうして。
「――――」
そう呟き、泣きそうな顔で笑みを浮かべる。
手を引く。
重ねられた柔らかくて、小さな手を。
シアもまたそれに抗うこと無く。
二人の距離がゆっくりと近づいて。
そうして。
そうして。
そうして。
―――影が重なった。
この後、夜めっちゃ×××した。
さあ、次回はついにシャルちゃん編だあああああああああああああああ!!!!!!
いいいいいいいいいいいいいやっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
因みに研究者になろうかなってのは過去話にもあった。
https://syosetu.org/novel/92269/81.html
この辺伏線だったんだよ。