かつて『海底洞窟』と呼ばれている洞窟は海上にあった。
そこは様々な『みず』ポケモンたちが暮らす一種の楽園だった。
あの日、あの時、カイオーガが現れるまでは。
荒れ狂う海、降りやまぬ雨、吹き荒ぶ風。
その圧倒的暴威を前に、多くのポケモンたちが逃げ出し、けれどホウエン全土を包む天候異常に、誰もが死を覚悟した。
故に、少女は動いた。
少女はその洞窟に住み着いていた。少女は強かった。誰よりも、何よりも強かった。
ゲンシの時代、現代よりも野生的で凶暴で、そして強大なポケモンたちが多かった時代において、けれど少女は頂点だった。
故に、少女がそうしたかったわけではないが、少女を頼って多くのポケモンたちが集まった。
だから少女は動いた。
分かっていた、いくら強い、と言えどもそれは他のポケモンたちに比べれば、という程度だ。
分かっていた、あの圧倒的暴威を前にすれば屈せざるを得ないだろうことを。
分かっていた、この戦いに勝ち目など無いことも。
それでも、少女は戦った。
吹き荒ぶ嵐の海を泳ぎ、海面下よりカイオーガを急襲し、その力を削いでいく。
行ける、そう思ったのは決して慢心ではなかったはずだ。
野生の中で生き続けてきた少女は敵を前に油断をすれば即座に死を招くことを知っていた。
だから、それは油断ではなかったはずだ。
“いてのしんかい”
放たれたのは水だ。他の技と変わらない水の噴流。
半減できるほどではないが、けれど決して相性が悪くは無いはずの攻撃で。
それが致命打となった。
ごっそりと、少女の体力をえぐり取られたのを感じた。
言葉すら出ないままに、直後に感じたのは。
体が凍り付いていく感覚。
冷たい深海の凍水。
動かない体、重ねるようにカイオーガがもう一度同じ技を繰り出して。
少女の意識はそこで終わっていた。
* * *
目を覚ます。
僅かに開いた瞳から流れ込んでくる光に、思わず目を閉じる。
一瞬だけ見えた誰かの姿に。
「…………なんじゃ主は」
そう問うてみる。
「…………起きたみたいだね」
聞こえた声に、僅かに全身に力を込めて。
動かそう…………として、動かない。
体が錆び付いたように軋み、重い。
「…………なんじゃ、これは」
ゆっくりと、目を開く。
先ほどよりも灯りに慣れた目が目の前にいる少年の姿を見出し。
「…………放すよ?」
自身を床に横たえ、手を放す少年。どうやら敵…………と言うわけではないらしい。
いや、今更そんなことを認識してどうするのだ…………どうやら眠っている間に随分と勘が鈍ってしまっているらしい。
「…………体が動かん、なんじゃこれは」
口は、動く。だが体が動かない。全身が虚脱しているかのように、ぴくりとも力が入らない。
「…………氷の中で弱ってた? それとも…………ふむ」
視界の中、薄暗くてよく表情は見えないが、ぼそぼそと呟く少年がこちらを見ているのは分かった。
たん、と床を踏む足音。少年が一歩、一歩とこちらへと歩いてくる。
体は動かない、ただそれを呆然と見つめながら。
「これ、口に入れてみて」
少年が差し出した星型の何かを見つめる、しばし躊躇していたが、このままではどうにもならないことを理解し、言われるままに口を開き。
ぽとり、と少年が手を放したソレが口の中に落ちてくる。
少しだけ甘い、何だろうこれは、そう思いながら。
じわじわ、と溶けては喉の奥に消えていく。
じわじわ、と流れ込むほどに体の内側が活性していくような感覚。
「…………なんじゃ、これは」
「『げんきのかけら』だよ。ポケモンの体を活性化させて『ひんし』から戻すための道具、知らない?」
「…………知らぬなあ」
そうこう話している間にもどんどん活力が戻って来るような感覚がある。
ぐっ、と体に力を込めれば、ゆっくりとだが体が起き上がる。
手を動かそうとすれば動き、指もぐーぱーと曲げることができる。
足は…………まだ完全には起き上がるほどではないが、それでも動く。
「お、おお…………? なんじゃ、凄い効果じゃの」
「う、うーん…………? ま、まあこっちも使っておこうか」
「ん? おお、なんじゃこれ」
『かいふくのくすり』とかいう薬を吹きかけられる。
直接飲んでも良いが、肌にかけてもじんわり吸収されるらしい。全身の痛みが引いていく。
――――痛み?
こんなもの、自身が知る限り存在しない。効果が劇的過ぎる。
どうやら自身が意識を失っている間にけっこうな時間が流れたのだろう。
あの頃の人間にこんなものがあった様子など…………。
――――あの頃?
「……………………ふむ?」
そもそもの話。
いや、哲学的な話では無く。
自身の最後の記憶、というのがいまいち曖昧で、不透明だ。
「ところで、さ」
思い出せない記憶にうんうんと唸っていると、少年がこちらを見つめながらふと呟く。
期待と、不安が入り混じったようなその視線に目を細め。
「…………お前、種族は?」
「…………あん?」
問われた言葉に、眉をひそめた。
「ラグラージじゃよ…………見て分からんか?」
ぐっ!!!
顔を輝かせてガッツポーズする少年に、思わず首を捻った。
* * *
だからそれは、少女の知らない間の出来事だ。
そもそもゲンシの時代のポケモンというのは非常に頑丈だ。しぶとい、と言っても良い。
瀕死になるダメージを受けようと、驚異的な回復力で瀕死から復活する。
戦って倒すことは容易でも、殺すことは容易く無い。伝説のポケモンと言えども同じことだ。
故に、カイオーガは少女を封じた。
伝説のポケモンが、先ほどまで自身に立ち向かってきたポケモンを、明確に脅威だと断じ、対応が必要だと判断した。それだけで少女の強さが分かるというものだ。
凍り付いた少女を近くの洞窟…………楽園だったその場所に押し込め、氷漬けにした。二度と出て来れぬように念入りに封じ、そうして。
別の場所で荒れ狂っていたグラードンが現れた。
それは最早本人たちしか知らない勘違い。
ホウエンの陸と海が争った、と言われている。
ホウエン地方の覇権を賭けて、グラードンとカイオーガは太古に争ったと、そう言い伝えられている。
だが勘違いだ、そんなものは勘違いだ。
両者の認識はその程度だった。
初めて出会った同じ
だから、互いが全力を出した。天災に例えられるポケモン同士の戦い。まさしく神話の戦いと言えよう。
その結果、海が割れ、大地が鳴動した。
地殻変動が起き、海辺の洞窟は沈み、周辺の大陸ごと海の底へと降りていく。
海だった場所が盛り上がり、大地となる。
天変地異。
まさしく言葉にするならそれだろう。
最早人間にどうこうできる領域ではない。
ゲンシ時代最強の生物同士の殺し合いは、ホウエンを壊滅へと追い込み。
そうして、滅びゆく世界の願いに惹かれ龍が現れた。
* * *
思わずガッツポーズ。
こんな海の底の洞窟にいるのだから、多分『みず』ポケモンじゃないだろうかと予想はつけていたが、大当たりだ。
ラグラージ、しかもヒトガタ。
文句無い、少なくともこっちは。
「俺と一緒に来てくれないか?」
だから、何の前置きも無く、即決でそう告げた。
「…………あん?」
意味が分からない、とラグラージの少女が首を傾げる。
「今地上でカイオーガが暴れているんだ、それを止めなきゃならない」
「…………………………………………」
「そのためにも、この海底洞窟から出るために、お前の力を貸してほしいんだ」
「……………………………………待て」
少女が口を開いた瞬間、背筋が凍った。
「…………カイオーガじゃと?」
ごごごごご、と少女の背から気迫が漏れ出す。
怒り、の感情だろうか。そんなことを思うと同時に、少女の視線が自身を射抜く。
「そうじゃ…………カイオーガじゃ…………思い出した、思い出したぞ? カイオーガアアアアア!!!」
少女が咆哮で、洞窟内がビリビリと震える。
びっくりして、目を丸くする自身に少女が口を開く。
「主…………カイオーガと戦うつもりか?」
「……………………ああ」
「勝てるつもりか? 人間ごときが、あの怪物に」
「…………勝つよ、そうでなければ俺たちに明日は無い」
それに、と呟きながら全てのボールを解き放つ。
ぽんぽん、ぽんぽんぽんぽんぽん、ぽん
中から飛び出してきた自身の仲間たちに、ラグラージの少女が僅かに目を見開く。
「俺にはこいつがいる、だから絶対に負けない」
引かない、退けない、最早後ろに道は無い。
カイオーガを解き放ったその時から、伝説を降す。それ以外に生き残る方法など無いのだ。
だから、だから、だから。
「手を貸してくれ、お前が必要だ」
告げる言葉に、少女がにぃと口元が弧を描き。
「…………いいじゃろう、あの怪物ともう一度戦えるならば、こちらとしても願ったりよ」
そう答えた。
* * *
荒れ狂う波が凍り付く。
「止まれ、止まれ、止まれ」
氷上で舞うように、滑るように、くるくると回りながら、プリムが両手を広げる。
その度に、海が凍り付き、波が凍り、雨が凍る。
プリムの役割は他の四天王たちを守ること、そして足場を作ることだ。
故に、他の四天王たちより、一歩、引いた目線で戦いを見ることができる。
「気のせい…………じゃないわよね」
だからこそ、それに気づくことができた。
少し、ほんの少しずつだが。
「さっきより強くなってないかしら」
視線の先の怪物が、先ほどよりも強大になっていっていることに。
手の中に一つボールを握る。
視界の中、カイオーガの頭上でゲンジの二体目のポケモン、チルタリスが荒れ狂う空でけれど懸命に羽ばたきながら戦っている。凍る海の上でフヨウのメガジュペッタが、カゲツの三体目のポケモン、ダーテングが戦っている。
すでに四天王全体で三体のポケモンが瀕死にされている。無論、即座に回収し『げんきのかけら』を与えてはいるが、回復しきるまでに全員にポケモンが残っているだろうか疑問は残る。
さらに四天王三人がかりで押しているというのに、カイオーガはまるで引く様子を見せない。
雨を降らせ、波を高め、海を叩きつけ、徐々にだがルネシティの方角に向かって進んでいっている。
四天王が結集し、それでもその侵攻を止めることすらできない、なんという怪物だろうか。
だが聞いている、先に聞いている。
この怪物がルネに…………『めざめのほこら』に到達すれば、さらなる力を得てしまう、否、
自身も戦闘に加わるか…………手の中のボールを何度となく見つめ、けれど何度となく手を降ろした。
異能を途切れさせればその瞬間、全滅する。それが分かっているからこそ、プリムは余計な手が出せない。
すでに三体瀕死と言ったが、カイオーガの攻撃の大半はプリムが異能で防いでいる。
そう…………命中したのは
では防ぐことを止めれば…………結果は明白過ぎる。
何か、何か無いのか。
手が出せず、徐々に押され、ジリ貧の展開である。
「…………チャンピオン」
呟いたその言葉は果たしてどちらを指しているのか。
その言葉が指すだろう二人はけれど今はどちらも居ない。
転機は訪れない、まだ。
ホウエンの頂点トレーナーたちと伝説の怪物の戦いはまだ続く。
* * *
――――『赤をロスト』『Ⅿに注意』
こつ、こつ、と『えんとつやま』の頂上、転がる石を避けながら、むき出しの石質の足場を歩く。
届いたメッセージを開けばそんな内容。
「…………失敗したのかい」
嘆息。呆れている、わけではない。正直自身だってこんな状況で全てが上手く行くなどと己惚れることはできない。
自身が完璧でないことをツワブキ・ダイゴはすでに知っている。
自身に敗北を教えてくれた少年には感謝している。
敗北を知り。
強さを知った。
齢二十半ばにして、自身が成長していることを理解する。
そしてまだ限界ではないことにも気づく。
ずっと蓋をしていたのだ、退屈だったから、これ以上強くなる
だから、負けて、上を知り、上を目指すことを思い出した。
「…………彼には感謝してるんだ。いっそ尊敬していると言っても良い」
ポケモンバトルにおいて、負けは無かった。
未だに彼以外に負ける気なんて無いけれど。
「勝ちたいとそう思えたのは久々だったよ」
負けたと悔しがったのは初めてかもしれない。
「まだまだこの世界も捨てたものじゃない。ああ、そうだね、こんな歳にもなってボクは子供のようにはしゃいでいるんだ」
手の中には一つのボール。
「もっともっと楽しく、激しく、彼と戦いたい。もしかすると彼以外にもこの世界には強いトレーナーはいっぱいいるのかもしれない」
戦いたい、闘いたい。
「キミはどうだい?」
問うた。
目の前の少女に。
「彼から聞いているよ…………ヒガナくん、だったかな?」
そうして、ホウエンの東側で伝説が暴れ回っているのと時を同じくして。
「元チャンピオン…………ダイゴッ」
ホウエンの西で天敵同士が出会った。
おかしい、五話でカイオーガ編終わるはずだったのに、なんでまだゲンシカイキすらしてないんだこいつ(
そうしてようやく正体を現した氷の中の少女はラグラージ。
感想欄酷く迷走してたね。
・なんでラグラージ?
⇒作者が好きだから。
・なんでこんなとこにいるの?
⇒ラグラージの図鑑説明に海の傍の岩に巣を創るみたいな説明、だったら洞窟の中でもありじゃね? そしてそもそもの疑問、なんで海底洞窟の中にポケモンいるの? もしかしたら昔は地上にあったんじゃね? それでグラードンのせいで沈んだんじゃね? とその辺りの妄想をドッキングしてこうなった。
因みにただのラグラージじゃないよ。
グラカイと同じく『ゲンシの時代』から生きてるラグラージさんですよ。
つまり…………分かるな?