捻くれた少年と恥ずかしがり屋の少女   作:ローリング・ビートル

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 朝の教室はまだ人もまばらで、耳を澄ませてもぽつりぽつりと会話の切れ端が聞こえてくるだけだ。ジョギングで頭が冴えているとはいえ、いつもより早く来た事を後悔してしまう。まあ、読書に集中してりゃあいいか。

 そこで、誰かが近づいてくる気配がした。

 

「八幡」

 

 柔らかなエルジェルボイスが耳朶を撫で、心を満たしていく。うん、俺はこの為に早く来たのだ。明日からも早く来よう。

「おう」

 戸塚はものすごいニコニコ笑顔だ。スクールアイドルばりに眩しく輝いている。そして、俺の前の席に腰を下ろし、勢いよく告げてくる。

 

「おめでとう!本当によかった!」

 

 何の事かは言わなくてもわかる。おそらく星空から聞いたのだろう。不思議と照れはなかった。

 

「あ、その……ありがとな。お前のおかげだ」

「いや、僕のおかげじゃないよ。八幡と小泉さんが……本当に好き合ってたからじゃないかな」

 

 戸塚が顔を赤らめながら言うもんだから、こっちまで顔が熱くなってきた。

 

「その……俺一人じゃどうにもならなかった」

「あはは、八幡は奥手だからね」

「お前もだろ……」

 

 まさか戸塚とこんな会話をする日がくるとは思わなかった。ああ、可愛い。控えめに言って可愛い。いや、浮気とかじゃないですよ、花陽さん。戸塚はほら、天使だから。

 

「あ、川崎さん。おはよう」

「おはよ」

 

 川崎がけだるそうに教室に入ってきて、戸塚と挨拶を交わす。

 

「……おはよ」

「……うす」

 

 珍しく俺にも挨拶をして、そのまま自分の席へと向かった。

 いつの間にか、教室の人口密度がだいぶ上がっていて、いつもの賑わいが室内を満たしていた。

 

「あ、おはよ……」

「おう」

「おはよう、由比ヶ浜さん」

 

 由比ヶ浜が気まずそうな顔で軽く手を上げる。わざわざ挨拶してくる辺りが律儀すぎるというか何というか。

 はやくこの状況を打破しないといけない。

 いつものグループに入り、お喋りに興じる由比ヶ浜を少しだけ見て、戸塚に向き直る。

 

「ちぃーす、ヒキガヤくん!戸塚くん!」

 

 誰だよ、朝のスイート戸塚タイムを邪魔するのは、と思いながら振り向くと、陽気な笑みを浮かべた戸部がいた。つーか声でけぇよ。皆びっくりしてんだろ。俺もびっくりしたよ。

 

「あ、おはよ。戸部君」

「……おう」

「二人共、元気ないじゃん!月曜からそんなテンションじゃマジやばいっしょ!」

「あはは……」

「お前が元気すぎんだよ」

「あ、あれだべ。かのじ……」

 

 咄嗟に戸部の首をホールドして黙らせる。普段ならあり得ない光景に、クラスメイトの視線が思ったより集中さしていたが、今は人目より大事なものがある。

 

「この事は他言無用な」

「わ、わかったって!」

「事情は後で話す」

「ん?じゃあ、昼飯一緒に食おうぜ!」

「あ、僕も!」

「あ、ああ……」

「じゃ、また!」

 

 戸部はそのまま、ポカンとしている葉山グループに交じり、いつものようにお喋りを始めた。

 一瞬だけ、意外そうな顔をした由比ヶ浜と視線がぶつかったが、それも一瞬だった。

 

 *******

 

「っべーわ。スクールアイドルが彼女とか、ヒキガヤくんマジやべーわ」

「やばいかどうかは知らんが、まああれだ。活動の邪魔したくねーから、伏せておきたいんだよ」

「おー、俺めっちゃ口かてーから!」

 

 口調だけ聞くと心配だが、戸部は意外と空気を読む事に長けているので、大丈夫だろう。

 

「いやー、μ'sのメンバーとかマジやばいわー。園田さんとか最高っしょ?」

「意外な推しメンだな」

「そう?ちなみに大岡は高坂さんで、大和は東條さんだから」

「何故それを発表した?」

 

 大和は…………雪ノ下に鈍いと言われた奴か。まあ、自分にないものを求めたのか。童貞風見鶏は納得。何なら二番目には絢瀬さんを選びそう。

 

「そういや、話変わるんだけどさ」

 

 戸部が急に真面目くさった顔になる。

 

「あの……俺のせいで今、奉仕部が空気最悪じゃん?何か俺に……」

「別にお前のせいじゃねーよ、それに……」

 

 俺はこの場にいる人間に、何より自分自身に向かって言った。

 

「やるべき事はわかってる」

「そっか」

 

 戸塚が安心したように微笑む。材木座も戸塚も黙って頷いた。

 あとは放課後を待つだけだった。

 

 *******

 

「一色」

 

 今回の依頼者である一色に声をかける。

 

「あれ?どうしたんですか、先輩。今から奉仕部に行くところなんですけど」

「話がある」

 

 簡潔に内容だけを告げた。

 

「……どうだ?」

「あの……私はいいんですけど……先輩は大丈夫なんですか?」

 

 全て了承した一色は、どこか不安そうに聞いてくる。

 

「ああ、もう決めたんだ」

 

 *******

 

 奉仕部の部室に一色と連れだって入る。

 

「あ、ヒッキー。いろはちゃんも一緒なんだ!」

「…………来たのね」

「ああ」

「こんにちは~」

 

 とりあえず挨拶を終えて席に着くと、さっそく一色の生徒会長阻止の作戦会議に入ろうとする。だがあえて割り込んだ。

 

「平塚先生呼んでるから、それまで待ってろ」

「……どういう事かしら?」

「あとで話す」

 

 開いた文庫本から目を離さずに言う。

 雪ノ下からは反論はなく、「そう」と静かに応じた。

 予想通りに教室内は居心地の悪い沈黙に包まれた。時計の秒針がいつもより大きく聞こえ、グラウンドの喧騒も追従するように不規則な音の波を生んでいたが、どれも沈黙を引き立たせるだけだった。

 5分くらい経過して、ドアの近くに人の気配を感じる。

 

「すまん。遅くなった」

 

 平塚先生が騒がしく入ってきた。

 今日は雪ノ下もノックの事は咎めない。

 由比ヶ浜はどこか落ち着きがなく、視線をあちこちに彷徨わせている。

 一色はこの後の事を話してあるので、こちらを横目で窺ってくるだけだ。

 平塚先生は教室にいるメンバーを一人一人確認すると、早速本題に入る。

 

「それで、比企谷。話があると言っていたな」

「はい」

 

 俺は一色に軽く目配せして告げる。

 

「一色に生徒会長をやってもらいます」

 

 室内に動揺が走るのを肌で感じながら、それでも話を続ける。

 

「さっき一色と交渉しました。条件付きですが」

「…………」

「…………」

「なるほどな。そして条件というのは」

 

 黙ったままの雪ノ下と由比ヶ浜に代わり、平塚先生が先を促す。二人が反論しない事に感謝しながら、締めの話を始める。

 

「俺が生徒会を定期的に手伝う事です。庶務として。それで先生に話があります」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜は何かを感じ取った顔をしている。平塚先生も……おそらくは気づいているだろう。

 俺が今から何を言おうとしてるかを。

 

「本日で奉仕部を辞めます」

 

 水を打ったような静寂と呼ぶにふさわしい部室内。俺はあえて誰の反応も確かめず、平塚先生に頭を下げていた。

「ふむ……理由を聞こうか」

 

 その言葉は優しく、責めるようなニュアンスは感じなかった。

 

「なんつーか、その……」

 

 自然と砕けた態度に戻りながら、はっきり言ってやった。

「俺は変わります」

「ヒッキー…………」

「…………」

「俺は雪ノ下みたいに世界を変えるなんて言えない。由比ヶ浜みたいな人徳もない。だから……俺は変わります」

 

 昔、雪ノ下に変わる事は現状からの逃げだといった自分を思い出しながら言う。

 

「たとえそれが俺らしくなくても……」

 

 由比ヶ浜が何か言おうとしたが、結局飲みこみ、目を伏した。

 雪ノ下は意外なくらい呆気にとられていた。

 一色は初めて見せる真剣な眼差しを向けてきた。

 平塚先生はただ優しく微笑んでいた。

 四対の視線を受け、俺はただ一言だけ告げる。

 

「俺は変わってやる」

 

 大事な人を思い浮かべながら言う。

 これが今回の解決策だ。

 もう花陽を泣かせたくない。

 泣かせる可能性は極力排除してやる。

 ならまず、いつまでもスクールカースト最下層に甘んじているわけにはいかない。

 今から変えてやる。

 平塚先生の手が肩に置かれた。

 

「わかった。退部を認めよう」

「…………」

「…………」

「ありがとうございます」

「じゃあ、退部届は明日にでも渡そう。それじゃあ、私は戻るよ」

「あ、私も行きます」

 

 一色も白衣の後ろ姿を追うように出て行った。

 また、部室内が静寂に包まれる。

 だが俺はひと仕事終えたので、どこか清々しい気持ちになっていた。

 

「あのさ、ヒッキー!」

 

 由比ヶ浜が立ち上がり、声をかけてくる。

 

「この前の事なら……」

「違う」

 

 俺はかぶりを振って、由比ヶ浜の言葉を止める。

 

「ただ変わりたくなっただけだ」

 

 何度も繰り返したフレーズを呟き、俺も部室をあとにした。

 雪ノ下は俯いたまま、どこか空白を見つめていた。表情を見ても、感情は読み取れなかった。  

 

 *******

 

 翌日。

 廊下に貼り出された掲示板には、一番下に『生徒会庶務・比企谷八幡』と書かれていた。   

 




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