捻くれた少年と恥ずかしがり屋の少女 作:ローリング・ビートル
あれから5分くらいで、俺達はその場を離れた。全て投げ出したい気持ちがないわけではなかったが、花陽から「いってらっしゃい……じゃなくて、お、応援してます」と送り出されては、さぼるのは夢見が悪くなりそうだ。
あっという間に閉会式が終わり、片づけに勤しんでいると、好奇や嫌悪が入り混じった視線が突き刺さる。だが自分でも、不思議を通り越して不気味なくらい、心を乱されなかった。いや、正しく言えば、別の事で心が満たされていた。
『私じゃ……だめですか?』
真っ直ぐすぎる問いかけ。
思い出すだけで、顔が熱くなる。
俺は……あの優しさに見合う奴になれるのだろうか。
気がつけば、作業は終わり、体育館は俺一人だけになっていた。俺の思考を中断しないように、あえて声をかけない皆の気遣いマジパネぇわ。
*******
「どうかしたの?」
部室へ行き、書類仕事を終わらせていると、雪ノ下が声をかけてくる。こいつが気遣うような声音になるのは珍しい。というか俺に対しては初めてじゃないか。あらやだ、何その記念日。
「何でもねーよ」
「顔赤いわよ」
「夕陽のせいだろ」
「……そう」
それきり会話は途絶える。あえて追及しない優しさに感謝しながら、書類仕事を終わらせる。これで文実の仕事も終わりかと思うと、やっぱり寂しい……わけねーだろ。バーカ。しばらく惰眠を貪り尽くしてやる。
そんな考えに耽っていると、またあの言葉が響いてくる。
『私じゃ……だめですか?』
あれは、つまり、その、そういう意味なんだろうか。また、昔みたいに自惚れてはないだろうか、花陽の優しさに甘えているだけではないだろうか。
日を追うごとに表面化していく感情は、そのうち弾けてどうにかなってしまいそうだった。
ガラリと開いたドアが思考を終わらせる。
由比ヶ浜だ。
「やっはろー!2人共、後夜祭行こーよ!」
「「行かない」」
今、学校内で誰かと関わるのは遠慮したい。しばらくは悪役のレッテルを貼られるだろう。それに誰かを付き合わせる事はない。
「え~、行こうよ~!」
「わり、用事があるんだよ」
書類を提出して、足早に校舎を出た。
*******
校門を通過すると、腰に衝撃が走る。
「おっにいちゃ~ん!」
我が最愛の妹がしがみついてきた。
「っと、小町、まだいたのか」
「ふふん、どうせなら皆で駅まで行こうと思って、近くで時間潰して待ってたんだよ!うん、今の小町的にポイントたっかいー♪」
「先輩行くにゃー!」
星空が適当な方向を指さす。そっちは九十九里浜の方だぞ。
「八幡さん」
タイミングを計ったように、今一番聴きたい声が耳に届く。
「おかえりなさい」
その言葉を聞いた瞬間、さっきまでの緊張感や責任感やらが、体から抜けて、どこかへと霧散していった。
この優しい笑顔が見れたなら、文化祭のきつい準備も報われたと思えた。
「……ああ」
照れくさい気持ちになりながら、短く返事して、ゆっくりと歩き出した。
*******
「かよちん!凛達もここに負けないくらい楽しい文化祭にしようね!」
「うん、頑張ろう!」
「絶対遊びに行くからね!」
「八幡さんも来てくださいね」
突然話を振られる。
「ああ、行けたらな」
「大丈夫だよ!小町が縄で捕まえてでも引っ張って行くから!」
小町ちゃん、乱暴はいけません……まあ、行くけどさ。
「μ,sの皆も会いたがってるにゃ!」
「……え、まじ?」
ど、どうしよう、東條さんや絢瀬さんがお、俺に……もしかして、目の前で踊ってくれるのかな♪
「八幡さん?」
「いや、な、何も変な事は考えてないにょ」
何なの、その黒いオーラ?怖い。怖い。あと怖い。
「先輩が専業主夫になりたいって話をしたら、海未ちゃんが根性叩き直すって言ってたにゃ」
「おい」
何てことしてくれてんだ。絶対プラス評価してる奴いないだろ。
「あ、でも絵里ちゃんが……か、かよちん、なんか怖いにゃ!」
ニコニコ笑う花陽のオーラがやばい。そろそろ枯れ葉が弾けてしまいそうだ。
*******
「二人共、気をつけて帰ってねー!」
「またにゃー!」
「気をつけて帰れよ」
「はい、送っていただいてありがとうございます」
さて、帰りますかね。
「あー!!」
いきなり小町が叫ぶ。
「はやく帰ってご飯つくらなきゃ!お兄ちゃん、小町先に帰るから!」
俺の返事など待たずに、さっさと走り去る。
「あー!!」
今度は星空が叫ぶ。
「こ、今度はどうした?」
「凛は駅の中探検してくるから!かよちん、少し時間潰してて!」
またもや返事など待たずに走り去る。探検ってなんだよ……。
「…………」
「……ふふっ」
それぞれの走り去った方を見て、苦笑する。あからさまなお膳立てだったが、その心遣いに素直に感謝する。今俺は花陽と話したかった。
「花陽、屋上での事なんだが……」
「あ、はい……」
屋上という言葉をスイッチに、お互いの顔が徐々に赤くなる。未だにこういう空気は慣れなかった。
「俺も……その……」
「…………」
口の中は特に乾いていないのに、さっきみたいに言葉が出てこない。
ほんの少し自分の足が震えている気がした。俺は何を恐れているのか。
本当に伝えたい想いがあるはずなのに……。
「八幡さん」
左手が花陽の両手に包まれる。雑多な人波もけたたましい騒音もフェードアウトしていき、世界は二人だけになっていく。
「……すぐに変わる必要なんてないです」
「…………」
「私、待ってますから」
「……ありがとう」
違う。俺が本当に言いたいのは……
「!」
花陽は左手を繋いだまま、右手を俺の肩に置き、胸にこつんと小さな額を当ててくる。
「待ってますから……」
友達以上、恋人未満という曖昧な人間関係が世の中にはあるらしい。友達すらいない俺には想像できなかった世界だ。
今日、俺と花陽はそんな曖昧だが、どこかで固く結びついた関係になった。
それと同時に、柄にもなく、変わりたいという衝動が、胸の中に燻っていた。