これはまだカルデアに人理を救うマスターとなる青年、久世大地君が来る前の話。
私はカルデアの通路を上機嫌で歩いていた。私が上機嫌であるのは医療部門への異動が決まったからだ。
最初私はマスター候補者としてオルガマリー所長にスカウトされてこのカルデアへやって来た。しかし転生者である私は、マスター候補者達がレフ・ライノールの爆破テロによって瀕死となり冷凍睡眠状態になる事を原作知識で知っていて、それを避ける為にマスター候補者から最も危険が少なそうな医療部門に異動を希望したのだ。
マスター候補者から医療部門へ異動する為の交渉は本当に大変だった。オルガマリー所長は当然のように烈火の如く怒って私の希望を否定したのだが、そこをレフ・ライノールが口添えしてくれたお陰で医療部門へ異動する事が認められた。
私が一番警戒しているレフ・ライノールのお陰で医療部門に異動できた事に関しては少々複雑ではあるし、「何か罠があるのでは?」という不安があるが今は気にしないでおこう。
何はともあれ今日から私は医療スタッフだ!
これでもうレフ・ライノールの爆破テロに巻き込まれる心配もないし、レイシフトをして人理を救う戦いに出なくてもいいんだ! もう私は安全なんだ! 今、私の心は自由……。
「おい! 薬研征彦!」
私が通路を歩きながら内心でハイになっていると、後ろから私のフルネームを叫ぶ声が聞こえてきた。何事かと後ろを振り返るとそこには、カルデアの制服ではなく自身の私服を着た七人の男女の姿があった。……って、あれは。
カドック・ゼムルプス
オフェリア・ファムルソローネ
芥ヒナコ
スカンジナビア・ペペロンチーノ
キリシュタリア・ヴォーダイム
ベリル・ガット
デイビット・ゼム・ヴォイド
私の前にいたのはマスター候補者の中の精鋭。人理修復ミッションを最初に実行する七人のマスター、Aチームのメンバーであった。
え? 何でAチームのメンバーが勢揃いしているの? もう私は医療スタッフだ。マスター候補者じゃない。それなのに何で私の前に来ているの?
「薬研征彦! お前! どういうつもりだ!」
私が困惑しているとカドックが怒った顔で私の名前を呼ぶ。さっき私に声をかけたのも彼なのだが、何で彼はあんなにも怒っているのだろう?
ええっと……。カドック君? 何をそんなに怒っているのですか?
「何を、だと? そんなの決まっているだろ! 薬研征彦、何でマスター候補者を辞退して医療部門へ異動した!」
「ちょっとカドック? 落ち着きなさいよ」
「そうだぜ。コイツがマスター候補者を降りたお陰でお前もAチームになれたんだろ?」
私の質問が気にくわなかったのか、カドック君が更に声を荒らげたところをペペロンチーノさんとベリルさんに止められる。
そして今のベリルさんの発言から分かるように、私はベリルさん達と同じAチームに配属させる予定だったのだ。
そうAチーム。人理修復の先鋒を担う七人のマスター。そしてレフ・ライノールによる爆破テロの最優先対象。
これが私が一刻も早くマスター候補者から医療部門へ異動したかった理由であり、そして私が医療部門へ異動したことによってカドック君が代わりとしてAチームに配属となったのであった。
「でもカドックの言う通りね。一体どうして一度はAチームに選ばれておきながら医療スタッフになることを望んだの?」
「そうだね。その点は私も気がかりだ。よかったら訳を聞かせてもらえないかな?」
オフェリアさんとキリシュタリアさんまでもが私が医療スタッフになった理由を聞いてくる。
いや、何で貴方達まで私のことを気にするの? 今の私は単なる一医療スタッフだ。貴方達と違ってただの一般人なのだからもう気にしないでほしいのに。
医療スタッフになった理由、ですか……。私のような非才の身では人理を救うミッションには役者不足だと思ったからですよ。
「はい、嘘」
私が医療スタッフになった理由を言うと即座にヒナコさんがそれを否定する。
「八代続く魔術の名門の出身で、時計塔にいた頃は植物科の麒麟児とまで言われた君が『非才』だって言うのなら他の人達は一体どうなるのさ? 下手な嘘はやめて」
私とヒナコさんは時計塔に在籍していた頃は同じ植物科に所属していて、彼女は私がどの程度の実力を持っているのかをある程度知っている。だからヒナコさんは私の言葉が信じられないようだ。
でも嘘ってなんですか。嘘って。私なりに正直に答えたつもりなんですよ?
「……薬研征彦。俺達の至らない点はなんだ?」
私がどうやって皆を納得させようか考えていると、突然デイビットさんが感情の読めない目で私を見ながら聞いてきた。
「至らない点? それってどういうことだ?」
「この男、薬研征彦は臆病なくらい慎重で機を見るのに長けた男だ。それがマスター候補者を辞退して医療スタッフになったということは、俺達マスター候補者に何か至らない点があって、今回の人理修復ミッションは失敗すると判断したからだろう」
カドック君の質問にデイビットさんは私から目を離すことなく答える。
……相変わらずだな、デイビットさんは。
正直な話、私はデイビットさんがあまり得意ではない。彼はその凄まじい頭の回転のよさで人の内心や物事の展開を瞬時に先読みして、彼と話をするときはいつ私が転生者であるバレないかと内心冷や汗ものなのだ。
でもデイビットさん、今の話は少し違いますよ? 私は臆病なくらい慎重ではなく臆病そのもので、機を見るのに長けているのではなくただ原作知識を知っているだけなのですから。
『『…………………』』
今のデイビットさんの発言は流石に無視できなかったようでAチーム全員の視線が私に集まり、私は彼らが人理修復ミッションに失敗する理由を話す事にした。
もちろんどこにレフ・ライノールの監視の目があるか分からないから「ミッション開始直前にレフ・ライノールの爆破テロで全員危篤状態になった」と馬鹿正直に言う訳にもいかず、原作知識を持つものとしてマスター候補者達を見て感じたミッション失敗する理由の方を言う事にする。
……私が今回のミッションが失敗すると思った理由は、私を始めとしてマスター候補者達全員が「根っからの魔術師」だからですよ。
「? それってどう言う事?」
「レイシフトやサーヴァントの召喚は魔術師じゃないとできないだろ?」
私の言葉にペペロンチーノさんとベリルさんが疑問を口にしてきた。それに私は頷きを返して説明をする。
確かに人理修復ミッションは人理が崩壊する原因となる時代にレイシフトして、サーヴァントシステムで召喚した英霊の力を借りてそれを解決するというもの。それは魔術師ではないとできない。
だけどこの世界は魔術師だけのものではなく、力を借りる英霊は人間の持つ可能性を極めた、言わば人間の理想だ。つまり人理修復ミッションは英霊と言う人間の理想の力を借りて、人間の世界と未来を救う戦い。
そんな戦いに人間の条理の外側に生きて、目的の為ならば人間の尊厳や心を切り捨てる私達魔術師が出る幕なんてあまりないんですよ。
「……驚いたわ。薬研、貴方って結構ロマンチストだったのね?」
私が説明をするとAチームのメンバーは驚いた顔をしており、ペペロンチーノさんが頰に手を当てながら言う。
しかしロマンチスト? 違いますよ、ペロロンチーノさん。これは前世で原作をプレイしたプレイヤーとしての感想ですよ。
原作の主人公はレイシフトとマスター適性を持つ一般人で、魔術師の私から見れば非効率的な人と人の繋がりを重視する行動を取って、そのせいで何度も命の危険に遭ってきた。しかし最終的にはそうして築いてきた人との繋がり、英霊達との繋がりで最後まで戦い抜いて人理を修復したのだ。
そういった意味では人との繋がりを重視せず、英霊を単なる使い魔としか見ていない魔術師ばかりの今のマスター候補者達では、人理修復ミッションをやり遂げる事は難しいだろう。
「何だよソレ? じゃあ魔術使いをマスター候補者にしろって言うのかよ?」
カドック君が苛立った目で私を見てくる。彼が言う魔術使いというのは、本来は「根源の渦」へと到達するための魔術をそれ以外の目的に使用する者の事で、魔術師の多くは魔術使いを私利私欲の為に魔術を使う落伍者と見下して嫌っていた。
そこまでは言っていませんよ、カドック君。……でもそうですね。今度やって来る一般人枠の四十八人目のマスター候補者。彼なら期待できるかもしれませんね。
「口ではそう言っているが、確信を持っているようだな?」
いや、だから私の内心を見透かさないできれませんか、デイビットさん?
「……ふん! 四十八人目のマスター候補者って、単なる数合わせだと聞いたぞ! そんなのに頼らずとも僕達が人理を修復してみせる!」
カドック君は相変わらず苛立った様子でそれだけ言うと立ち去っていき、他のAチームのメンバーもそれに続いて私の前から去って行く。私はそんなAチームのメンバーの背中を見送りながら心の中で謝罪していた。
ごめんなさい、皆さん。レフ・ライノールがここにいる限り、貴方達が人理修復ミッションに参加する事は出来ないのですよ。貴方達を始めとする四十七人のマスター候補者達は、レフ・ライノールによる爆破テロによって危篤状態となって冷凍睡眠に入っている間に、今度ここにやって来る四十八人目のマスターが人理を修復する。どうやらその未来は変わらないようです。
……そして四十八人目のマスター、いや、原作の主人公。貴方にも謝っておきます。勝手にマスター候補者から降りて、君に人理修復という戦いを押し付けてしまって本当にすみません。
でも私も医療スタッフとして貴方をサポートしますから許してください。
私はAチームとここにはいない四十八人目のマスターに心の中で謝罪をすると、新しい職場となる医療部門へと向かった。
……しかしこの時の私は知らなかった。
運命(Fate)の女神がそんなに甘くないことを。
マスター候補者から医療スタッフになったのに、何故か前線に送られて高位のサーヴァントと契約するという未来が待ち受けていることを。