ランク戦室に足を踏み入れた黒江双葉は、普段と異なるざわつきに辺りを見回す。
「あれ、A級の米屋先輩だよな?」
側にいたC級隊員の会話が彼女の耳に入る。
「てか相手誰だよ、槍がほとんど当たらねーじゃん!」
「来宮さんよ、ほら元太刀川隊の」
「ああ、太刀川さんと出水先輩についてけなくてやめたっていう?」
「んなテキトーな噂真に受けんなよ、アレを捌く時点で来宮って人もバケモンだろ」
黒江もよく知る米屋の名前に、フロアの大型モニターを見上げた。
米屋が槍を構えるのに対して、来宮と呼ばれたロングコートの青年が無手で踏み込む。
「スコーピオンかな?」
自由に出し入れ変形が出来る軽量のブレード、その使い手と予想したが、あっさりと裏切られることとなる。
来宮はあろう事か、なんの武装も展開せずに槍の間合いに飛び込んだ。
黒江が無茶と思ったのも束の間、当の本人は次々と刺突を回避していく。さらにもう一歩踏み込むと引き戻される槍の持ち手を掴み取り、そのまま左手で掌底を叩き込む動きを見せた。
トリオン体に素手なんて馬鹿なと、黒江が思ったまさにそのタイミングだった。
掌が触れる瞬間、トリオンの光が迸り、米屋の胴が消し飛んだ。
「……何よそれ」
自分の呟きが、間の抜けたものに聞こえた。
「掌からトリオンの光……シューター?……!」
先程の光景を反芻し、ハタと思い出す。自分達を率いる隊長が再三勧誘した、アタッカーの間合いで戦う異質のシューター。それが彼、来宮静間だった。
*
「いやー、負けたのに奢ってもらって、悪いっすね〜」
「いえいえ、こういうのは年長者が持つものですから」
30戦もの戦闘を終えて、来宮と米屋の2人は缶コーヒー片手に席に着く。目を向けたモニターには22−8の表示、来宮の圧勝だった。
「まいったなー、幻踊が擦りもしねーし、知覚感覚加速でしたっけ?ずるくないっすか?」
「使える物は使ってこそです。それに、良いことばかりでもないんですよ?」
「例えば?」
愚痴をこぼす米屋の問いに、肩を竦めて来宮が続けた。
「このサイドエフェクトは、平たく言えば世界をスローモーションで感じとる能力です。そこまではいいですか?」
「まあ、そう聞いてますね」
「この能力を使うとその特性上脳が疲労します。意識の集中でオンオフが効くんですがね、そこが問題なんです」
「オンオフ効くのが問題っすか?寧ろ逆じゃ?」
「過度の疲労を避けるため、オンオフを繰り返す。高速道路から降りると車は遅く感じます。逆もまた然りです。ようはその繰り返しになるんですよ」
あー、と米屋は察して声を漏らし、来宮が頷く。
「ええ。体感速度に振り回されるので、戦闘中は切り替えなんてとてもできません。常時集中しっ放しですね」
「…………なるほど、それはしんどい」
ただでさえ集中する戦闘時、その中でさらに集中を強いられる副作用。息の詰まるその能力に、米屋は乾いた笑いを浮かべた。それを横目に来宮はコーヒーを一口含む。
「米屋先輩」
澄んだソプラノが耳に入る。
聞き慣れぬ声に顔を向けると、薄い色合いの髪を二つ結びにした少女が、2人に歩み寄ってきた。
「よお、黒江」
「どうも」
米屋が気の抜けた笑みで声を掛ければ、黒江と呼ばれた彼女もぺこりと頭を下げる。幼さを残す姿とは裏腹に、仕草から落ち着いた印象を受ける。
「米屋さん、彼女をご存知で?」
「ん?、あー、来宮さんシフト組みまくってるし、何気に今が初対面っすね、まず自己紹介だな」
「あ、ですね」
来宮の様子に納得した米屋が黒江に促し、彼女もそれに頷いた。
「加古隊所属の黒江双葉です、よろしくお願いします」
「これはご丁寧に、ソロ隊員、来宮静間です、こちらこそよろしくお願いします、黒江さん」
「あ、えっと、あたしの方が全然年下ですし……」
どう見ても年上の相手からの丁寧な対応。それに戸惑う黒江に助け船を出す。
「気にしないでください、俺はこれが素ですから、ね、米屋さん」
「あー、この人、俺より上だけどこんな感じだからなぁ、言う通り気にするだけ損だぜ?」
諦めが滲み出る米屋の言葉に、黒江は素直に従う。
「分かりました」
落ち着きを取り戻した彼女に、来宮が一つ問いかけた。
「こちらには何か用事が?」
「バトんならつきあうぜ?」
「こらこら、後輩まで獲物にしないでください」
便乗してニヤリと提案する米屋を嗜める。
「いえ、それで構いません」
そんなやり取りに黒江は静かに答えて、来宮に視線を向ける。
「来宮さん、あたしと模擬戦やりませんか?」
きょとんとした来宮が、思わず彼女を見返した。
「来宮さん、黒江のやつ、けっこー強いっすよ?」
横からの米屋の言葉に感心し、ほう、と声を漏らす。ボーダーきっての槍の妙手。その彼の評価だ、確かなのだろう。
来宮の表情が、普段の落ち着きはらったそれになり、改めて黒江へ視線を向けた。彼女の表情はいたって平静、その目にほんの僅かに好奇心が見え隠れする。
覗かせた年相応な部分にクスリと笑うと、手元のコーヒーを飲み干し、ロングコートを軽く払う。
「分かりました。受けて立ちましょう」
穏やかな声音で応えて、彼は立ち上がった。