ボーダー本部。その中の無機質な廊下を歩くこと約数分。ロングコート調の隊服を靡かせ、太刀川慶は自らが率いる隊の作戦室へたどり着く。
「おっ、来宮か?」
扉が開くと、最近訪れる機会の減った元部下が、いつもより整頓されたソファに横たわっていた。
かけた声への返答はない。どうやら寝ているらしい。
ふと隅に置かれた蟹型の時計に眼をやると、液晶は0:24を表示していた。
「徹ゲー強制参加、第1犠牲者ってとこだな」
独り言ちて、オペレータールームへ顔を覗かせれば、予想どおりの2人がゲームに興じていた。
「よお出水、国近、盛り上がってんなぁ」
「お疲れ太刀川さん」
「おかえり〜、太刀川さん、防衛任務お疲れさま〜」
2人が画面を注視しつつ挨拶を返す。国近の目元がやや赤い。プレイ中のソフトから、ソファに沈んだ人物にまた懲りずに挑んだらしい。
「はい、きまり〜」
「ちょっ、確殺コンボとか!?」
『You win』
アッサリ勝ちを決めた国近が、太刀川へコントローラーを寄越す。
「太刀川さん、ちょっとだけよろしくね〜」
「んあ?」
訳もわからぬままそれを受け取ると、引っ張り出した毛布を手に、国近はいそいそとソファへと足を向ける。
「……偶にじれったくなるんだよねー、あの2人」
出水が国近の背中を見やりそう零す。
「なにがどーしてだ?」
口にした太刀川の様子に、こういう所も残念だなと苦笑いをして、彼はソファの方を示した。
「あれ見ればわかりますって」
その言葉に倣い、太刀川はそちらへ視線を向けた。
*
毛布を抱えた国近は、それをそっと来宮へかける。
普段はしないであろうその行動に、彼女自身で違和感を感じ、しかし、この人なのだから別にいいかと、よく分からない納得をする。
「きれいだよねぇ」
掠れる様な小さな呟き。
自分の漏らした言葉にも気付かないまま、ジッと彼の観察を続ける。
ミディアムヘアの黒髪は、癖など一つもなく、部屋の明かりを仄かにはじくほど艶やかで、そこから覗く顔立ちは中性的。眠っているせいだろうか?普段の落ち着きが抜け落ちて、ほんの少しだけ幼く見える。
彼の髪に、彼女の指先がそっと触れた。
サラリとした心地よい手触りに、思わずトロンと表情が綻ぶ。
「今日は、ありがとうね」
自分と男の子を庇ったスラリとした背中。文句を漏らしつつ、困った様な笑みでゲームに付き合う横顔。それらを思い出しながら、返事のないお礼を一つ紡ぐ。
言葉に反応するように、不意に来宮が身じろぎをした。国近の肩がビクリと跳ねる。
「…………起こしちゃったかな?」
囁く問いかけに返されるのは、微かに聞こえる寝息だけで、国近はホッと息を吐いた。
*
「ね?」
出水の声に、あー、と間延びした声を漏らし、太刀川が続ける。
「国近のやつ、あんなだったか?」
「いや、わりと最近だったと思うよ、ほら、来宮さんが隊抜けた辺りから、あの人限定で偶に甲斐甲斐しくなるんだよねー柚宇さん」
気づかなった事実に太刀川は頬を掻く。
「食う、寝る、ゲームのあの国近が片思いとはなぁ〜」
「いやいや、逆だって太刀川さん」
「……なに?」
思わず部下に聞き返す。それに乾いた笑いを浮かべて隊長に答えた。
「少なくとも柚宇さんのあれは自覚がない、むしろ来宮さんのほうがいろいろ気にかけてる感じだね」
「マジか!」
「来宮さんはみんなに優しいけど、柚宇さんには輪を掛けてだからなー。自覚してくれるまで見守るね、あの人は」
「なぁ、出水」
「なに?太刀川さん」
微妙な空気が2人に流れる。
「…………自覚すると思うか?」
「…………見てる側としてはしてほしいかなーと」
そこへ問題の人物が戻って来る。
「およ?2人ともどうしたの〜?」
小首を傾げる国近に、2人は苦笑いで返すしかなかった。
*
「すいません、朝までソファを占領してしまって」
「無理言ったこっちが悪いんだし気にしないよ〜。それに用事あるんでしょ〜?」
明る日曜日の朝。眼を覚ました来宮は国近と言葉を交わす。
「槍バカの呼び出しでしょ、偶には無視してもいいんじゃないですか?」
「いやいや、米屋さんに悪いですよ」
「ま、休みは好きに過ごすのがいいだろ」
出水と太刀川も顔を出すが、3人とも眼を瞬かせている。どう見ても徹ゲー明けの様子に苦笑いして作戦室を後にした。
*
ラウンジで朝食を済ませ、隊服へ換装した来宮はランク戦室に顔を覗かせる。
「おーい、来宮さん、こっちこっちー」
するとカチューシャをした少年、米屋陽介がそれ目敏く見つけて呼び寄せる。
「さすがに早いっすね、来宮さん」
「そう言う米屋さんも早いじゃないですか」
「そりゃもちろん、久々にバトれるんだから待ちきれませんて」
「…………本当に好きですね、模擬戦」
ニンマリと笑顔を向ける米屋、その相変わらずのバトルジャンキー振りにやや呆れる。
「米屋さんはどのブースに?」
「俺は253で、弧月の9671、来宮さんは?」
「俺は、303にしましょうかね。アステロイドの10992です。始めましょう」
「リョーカイ」
言葉を交わした2人は互いにブースに入り、市街地を再現したステージへ転送される。
『個人ランク戦30本勝負 開始』
模擬戦の幕が上がる。
相対した2人が同時に構える。
米屋は右手に槍を持ち、来宮は無手のまま半身になる。機先を制するための数秒の膠着、弾かれるように踏み込んだのは米屋だった。
槍の一突きが空を切り裂き、一直線に来宮の首元へ迫る。来宮はわざと体を右へ振り、スローの視界で槍がグニャリと曲がる様を確認した上で、すぐさま左へ切り返しながら踏み込み掌底打ちを放った。
互いの攻撃が外れたことを確認するや、来宮はトリオンキューブを握り消して一歩下がり、米屋は槍を引き戻して連撃をくりだす。
怒涛の突きを前に、来宮は余裕を崩さない。迫る穂先を加速した知覚と感覚を駆使してユラユラと避け、それが無理となれば、手の甲で持ち手の先端を打ち軌道を逸らす。
幾度となく繰り返される突きの嵐に、不意に綻びができた。
すかさず来宮が足払いで米屋を崩し、間髪入れず掌底を打ち降ろす。
「終わりです」
確信を持った来宮の言葉。
「……と思うじゃん?」
返ってきたのは挑発的な笑み、
米屋の体の影から左腕が突き出され、その先には2本目の短槍が閃く。
「グラスホッパー」
鋭い突きがコートの胸を穿つ直前、グラスホッパーがその隙間に現れ、来宮自身を真上に打ち上げることで一撃を逃れた。
「逃がすかよ!旋空」
米屋が跳ね起き、追撃に伸びる斬撃を振るおうとしたそのときだった。
ドドドドッ
「は?」
真下から四肢をアステロイドに撃ち抜かれ、訳も分からぬまま崩れ落ちる。
グラスホッパーと同時に仕掛けた置き弾だった。
混乱から抜けきるその前に、アステロイドの掌底が米屋に突き刺さる。
弾けたトリオンの光が、胴を貫いて地を穿った。