背後に佇む三日月と   作:303

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空閑遊真①

 

 

わけがわからなかった。

 

 

 

それは、とある休日のことだった。

 

リビングで読書に耽るなか、帯電する音に視線を上げれば、真っ黒な穴が天井に空いていた。

 

そこから目と鼻の先へ、浅黒い異形が滑り落ちる。

モールモッド。そんな名も知るはずのない怪物に、テーブルと対面のソファが押し潰された。

視界の隅に赤がハジける。

 

 

そこで 一瞬前まで、妹がテレビを眺めていたはずだった。

 

 

呆然としていれば、ドタドタと二階から駆け下る足音が2つ。

地響きに何事かと両親の声がした。

 

……いけない。

 

此処に来てはいけない。

 

そのたった一言が口に出せなかった。

 

扉を開く音に異形が振り向き、現実離れした光景に父と母は立ち尽くす。

ゆっくりと、背に畳まれたブレードが展開され、瞬きの間に風を切る。

再び赤が散り、水気のある落下音が4つ鳴った。

 

 

畳み掛ける惨状に恐怖が爆発した。

 

全身で突っ込み窓を破り、切り傷も気にせずに無我夢中で街を走る。

 

行き過ぎるそこは、すでに地獄絵図だった。

巨大な怪物の群れが家屋をハリボテの様に薙ぎ倒し、いくつもの悲鳴や怒号が飛び交う。

 

見知った姿を置き去りにして、聞き慣れた声を振り切って、只々ひたすら走り続けて……。

 

 

 

いつの間にか気を失い、目が覚めれば病室のベットの上だった。

 

 

君だけがあの地区で生き残った。

 

 

命の恩人から、後に師となるその人から、そう聞かされたとき浮かんだ感情は、怒りでも悲しみでもなく、ましてや恐怖でさえなかった。

 

 

 

 

 

 

重い瞼が持ち上がり、灰色の瞳が、ロフトゆえの近い天井をぼんやりと眺める。額に手を当てればジットリと汗が滲んでいた。

 

「…………少々寝すぎましたか」

 

カーテンから陽の光が漏れる。あの日の夢の余韻にため息を吐きつつ、独り言ちた来宮静間は、ノロノロと起き上がりロフトを降りた。

 

顔を洗い、黒いハイネックのセーターと紺のスキニーに着替え、無い食欲を考慮してトーストを焼き、オニオンスープを手早く温め朝食を済ませる。

 

壁に掛けたモッズコートをいつもの様に羽織り、ブーツを履いて爪先を鳴らせば、待ち合わせの場所へと足を向けた。

 

 

 

 

白く染まる自らの吐息。それ越しに何気なく町並みを眺めながら、コートを揺らして歩みを進める。

 

肌寒さを感じる空気はけれども澄んでいて、今朝の目覚めの悪さとのギャップも手伝い、なんとも言えない心地よさに満たされる。

 

 

 

 

「おはよ〜、キノさん」

 

そのまま淡々と歩くこと数分、望ヶ丘公園。

よく趣味に使うその場所に踏み入れば、耳に馴染んだ緩やかな声がかけられる。

 

目を向けた先には、ダッフルコートを着込んだ国近がすでに待っていた。

 

「おはようございます、ユウさん」

 

目元を緩め、右手を軽く上げて来宮が挨拶を返す。

 

「いや〜、今日も冷えますな〜」

 

「すみません、待たせてしまったようで」

 

両の袖からちょこんと指先が覗く。それを白い吐息で暖める国近の様子に、来宮はすまなそうに眉を下げる。

 

「いいよいいよ〜、わたしが早く来ちゃっただけなんだし」

 

たいしたことないと振る舞う彼女に苦笑いを浮かべ、左のポケットからカフェオレを差し出した。

 

「いいの?」

 

「待たせたお詫びです、受け取ってもらえればありがたいのですが?」

 

小首を傾げる国近に、待ち時間にこっそり飲むはずだったそれを悪戯っぽく勧める。

 

「ん、ありがとね」

 

ニヘラと笑みを浮かべて彼女はカフェオレを受け取り、袖越しにポカポカと伝わる熱にホッと息を吐く。

 

「では、行きましょうか」

 

「りょーかーい」

 

そんな様子を横目に見て来宮が歩を進めれば、国近もそれに倣い、後に続いた。

 

 

 

「それにしても珍しいですよね?」

 

歩調を合わせ、隣に並んだ来宮が疑問を浮かべる。

 

「うん?何が?」

 

「玉狛へついてくることなんて、今までありましたか?」

 

その問いに、ああ、と、国近が頷く

 

「年中ゴロゴロしてないで、たまには身体を動かしなさい、って」

 

「……その言い方、今さんですね」

 

どこぞの母親のような口調。失礼とは思いつつ、面倒見の良い彼女のクラスメイトの顔が浮かんだ。

 

「で、たまには出かけようかな〜、と思ったところにキノさんの用事を聞きつけたわけだよぉ」

 

「ほとんど模擬戦と考察になるかと思いますが?」

 

暗に退屈になるのではと問えば、彼女はユルユルとかぶりを振る。

 

「そこそこ以上の模擬戦なら、下手なアクションモノより見応えあるし、試合の考察はゲームの攻略みたいで面白いからね〜」

 

「……言われてみればそうですかね」

 

思い出し、納得して一つ頷く。

来宮自身、入隊間もない頃は上級者達のログに心を躍らせていた記憶がある。後者にしてもゲーマー気質の彼女だ。退屈するしないは杞憂なのだろう。

 

「ごちそうさま〜」

 

歩きながらカフェオレを飲み終え国近が告げる。

 

「それ、もらいますね」

 

空き缶をスッとその手から抜き取る。

 

「空っぽなんかどうするの?」

 

「こうします」

 

言うが早いか、歩く速さはそのままに道の反対側へと缶を投げる。

放物線を描いた缶は、自販機横のゴミ箱に、小気味良い音を鳴らして収まった。

 

「お〜、ナイスシュー」

 

「まだ俺の間合いですからね」

 

「いやキノさん、君は何と戦ってるのかね?」

 

「自分です」

 

「……まさかのノータイムで断言だよ」

 

くだらないやり取りに来宮がクスリと笑い、つられるように国近もプッとふきだす。

 

肩肘張らぬ緩い雰囲気。彼女のそんなところに安らぎを覚え、やはり惹かれたのだろう。

 

互いに笑みはそのままに、来宮と国近は雑談を交わしていく。

玉狛支部へと続く道中、2人はゆったりと会話を楽しんだ。

 

 

 

 

「いらっしゃい。来宮さん、国近先輩」

 

お邪魔しますと玉狛支部の扉を開けば、宇佐美が2人を出迎えた。

 

「やあやあ、久しぶりだね〜宇佐美ちゃん」

 

「どもども、国近先輩。ほんと久しぶりだね〜」

 

国近と宇佐美の緩いやり取り。2人が挨拶を交わすのに続き、来宮も会釈する。

 

「今日はお世話になります」

 

彼の言葉に、宇佐美はとんでもないと両手を振った。

 

「いやいや来宮さん、むしろこっちがお世話になる側な感じだし。そんなに改まって言われると、逆に困っちゃうよ」

 

「それはすみません。俺の提案から、場所をお借りするのは確かなわけですし、つい…………」

 

 

 

「お?……おはよう、シズマさん」

 

恐縮する相手に苦笑いを浮かべれば、不意に別の声がかかる。

目を向ければ、奥の扉を開き、空閑が白い頭を覗かせていた。

 

「これで今日のメンバーはそろったね。せっかくだしまずお茶にする?それとももう始めちゃう?」

 

約束の面子がそろい、宇佐美がどっちにしようかと意見を求める。

 

「おれはどっちでもいいよ?」

 

「わたしはクガくんの戦闘みてみたいかな〜。噂によればすごいって聞いたし」

 

空閑と国近に来宮が頷く。

 

「では、さっそく始めてしまいましょうかね」

 

「リョーカイ。ちゃっちゃと訓練室の準備しちゃうね」

 

キラリと眼鏡を光らせて、宇佐美は準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「トリガーオン」

 

トレーニングルームに落ち着きはらった声が一つ。

黒いスパークと共に来宮の姿がダークブルーのロングコートに置き換わる。

 

 

「トリガーオン」

 

相対する空閑もトリガーを起動、黒を基調とした隊服に姿を変えた。

 

 

「今日はよろしく、シズマさん」

 

「ええ、こちらこそよろしくお願いします、遊真さん」

 

緩い表情の空閑に、穏やかな表情で来宮が返す。

 

「むう、遊真でいいよ?」

 

「こんな性分なもので」

 

不満を漏らす少年に、苦笑いして頬をかいた。

 

『001号室、仮想戦闘モードOKだよ』

 

「っと、しおりちゃん、了解だよ」

 

「了解、俺も万全です」

 

宇佐美からのアナウンスに互いに表情を引き締める。

 

ピンと空気が張り詰め、研ぎ澄まされる集中力に思考が凍てつく。

 

 

 

『戦闘開始!』

 

 

 

コールの瞬間、2人が交差した。

 

アステロイドの掌底が空閑の右肩を掠め、スコーピオンの一閃が来宮の髪を数本散らす。

 

小柄な身体がクルリと空中で回転、軽やかに着地した反動をバネに、未だ背を向ける来宮へと襲いかかる。

地を這うような低い突進。足を刈り取る斬撃は跳躍一つで回避されコートが靡く。

 

宙に浮いた来宮は、逆に背を向ける形となった空閑へ右手を向けてキューブを形成、撃ち降ろされる散弾を空閑はスライディングで掻い潜り、ちょうど着地し片膝を着く来宮の背後へ回り込む。

 

死角から斬りかからんと振り向き、足に力を込める。逆手に刃を構え追撃に移るその瞬間だった。

 

 

 

「アステロイド」

 

 

 

来宮の背面に、3の3乗に分割された、光のキューブが出現する。

ゾクリと警鐘を鳴らした勘に従い、空閑が身を投げ出すようにその場から跳んだ。直後に散弾が放射状に放たれる。

 

弾丸の数割が床を穿つ最中、受け身を取り、立ち上がろうとする彼に影が差す。

 

回避に気を取られ過ぎた。

 

空閑は自らのミスに舌打ちし、咄嗟にバックステップを踏む。一瞬遅れてそこにトリオンを迸らせた掌底が刺り、辺りを爆煙が包み込む。

 

揺らぐ白煙目掛け、2本に枝分れさせたブレードを切り離し投擲、極端な前傾姿勢でそれを掻い潜り煙から飛び出す相手へ、()()()()()()()()()()()

 

 

 

再びの交差。来宮の首筋に亀裂が走る。

 

 

 

「…………浅いか」

 

 

零れる空閑の冷淡な呟き。

首は落ちず、伝達系にも届かない。敢えて隠した最速の一閃。それでこれでは……

 

「埒があきませんか?」

 

向き直り発せられるのは、相変わらずの落ち着いた声。思考の先を言い当てられ、空閑が目を見開く。

 

徐に来宮が手をかざした。射撃に備え身構える。

 

 

 

 

ドォン

 

 

 

 

重い破裂音が轟く。

 

晴れかけた爆煙を突き破り、1つ置かれていた大弾が、空閑を背中から撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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