未来は、鬱屈とした気持ちだった。
今日一日響がいないだけで、こんなに不安になるとは思わなかった。
(大丈夫、大丈夫・・・・だって、約束したもん)
何度も自分に言い聞かせるものの、足取りは重い。
もしまた大怪我していたらどうしよう。
もしまた死にかけていたらどうしよう。
もし、また。
もし、もし、もし。
「・・・・っ」
いても経ってもいられなくて、なりふり構わず駆け出す。
幸い寮は目の前。
なのに、自室までの道が酷く長く感じた。
表にいた寮母への挨拶もおざなりに、階段を駆け上がる。
(ひびき・・・・)
陸上で走ることには慣れているはずなのに、呼吸がつらい。
胸中に巣食った不安が、喉を締め付けている。
(ひびき・・・・!)
溢れそうな涙を必死に抑えながら、走り続けて。
やっとのことで、自室にたどり着く。
大きく呼吸を繰り返し、脈を整えて。
意を決して、ドアノブを捻った。
部屋の中は、思ったよりも静かだ。
「――――」
いや、耳を澄ませば、鼻歌が聞こえる。
湧き上がった安堵を、不安が押し流した。
――――こんなかすかな声に、何を安心している?
――――これは本当に、響の声なのか?
油断は出来ないと、唇を結ぶ。
恐る恐る、奥に進んだ。
暗がりに留まっていた所為だろうか、夕暮れが眩しい。
庇った目が茜色に慣れてから、ゆっくり部屋を見渡して。
「あ、未来おかえりー」
キッチン。
鍋の火を止めた響が、呑気に話しかけてきた。
頭が真っ白になる。
言葉が出てこなくなる。
「未来ー?」
黙り込んだこちらをいぶかしんでか、響が困り顔で首をかしげる。
未来はその仕草で現実に引き戻されて、何か言わねばと口をぱくぱくさせた。
心配しつつも、急かすことなく待ってくれる響。
「・・・・ひびき」
「うん、わたしだけど?」
やっとのことで出たのは、たったそれだけだった。
情け無い一言にも、響はしっかり頷いてくれる。
反応が薄いのをまだ心配していた彼女。
しかし何かを思い立ったように相槌を打つと、満面の笑みで両手を広げた。
「みーく!ただいま!」
「・・・・ぁ」
堰が、切れる。
心がほぐされるのが分かる。
ゆっくりゆっくり歩み寄ると、昨日と同じように優しく抱き寄せられる。
温もりと鼓動を間近に感じて、やっと安心した。
―――響だ。
まごうことなき響が、約束どおり無傷で帰ってきてくれた。
「ひびき」
「うん」
「ひびき」
「うん」
呼べば答えてくれる声も、幻なんかじゃない。
しっかり鼓膜を震わせて、未来に聞かせてくれる。
「ひびきぃ・・・・!」
もう、限界だった。
温もりに安堵しながら、流すのは嬉し涙。
頬を濡らしたまま、精一杯の笑顔を向けて。
「おかえりなさい・・・・!」
「たーだいま!」
ぐしゃぐしゃの情けない顔にも、響ははにかんでくれたのだった。
◆ ◆ ◆
#月$日
情けヌェ。
いや、何事かと思うだろうけど、言わせてくれ。
情けヌェー・・・・。
不可抗力とは言え、確保したとたんにバーサクとか。
しかも抵抗できずに塗りつぶされたし・・・・。
みんなの話を聞く限り、リーゼさんのどっちかが止めてくれたみたいだ。
ということは、少なからず師匠の耳にも届いているわけでして・・・・。
むぁー!はーずーかーしーいー!!
あんな失態知られたとか、マジ、マジ・・・・!!
どちらにせよ、向こうに帰省したら特訓なのは決定ですね!
#月К日
ベランダで黄昏ていたら、ロッテさんが来てくれた。
久々にモフりながら話してみたけど、ここのところちょくちょく介入していたのは、やっぱり師匠達だったようだ。
で、昨日のことに関して、師匠からの褒め言葉を伝えてくれた。
暴走については『不可抗力』ということで、見逃してくれたみたいだ。
この前の自爆特攻については怒られたけど・・・・。
いいのかなとも思ったんだけど、十分反省してるみたいだからいいよと言ってくれた。
よくよく考えたら、護衛対象は守りきれたんだし、むしろいい方向に持っていけたし。
何より、未来との約束を守れたんだから、結果オーライと結論付けてもいいかもしれない。
でも特訓はしたいので相談してみたら、『夏まで待ちなさい』と言われた。
そりゃそうか、師匠達も忙しいもんね。
#月㏄日
翼さんに、師匠がどんな人物かを聞かれた。
一緒にいた未来も興味津々だったので。
二つ名である『
大丈夫っすよ、わたしだって初めて聞かされたときはそんな顔になりましたもん。
だって突っ込みどころが多すぎるし・・・・。
ひとまず、巻き込まれた方々ご愁傷様ですとだけ。
◆ ◆ ◆
興味深い、と。
張り出した写真を前に、一人ごちる。
気になっているのはやはり、『融合症例第一号』たる、響だ。
『師匠』なる人物に叩き込まれた従手正拳と、発現させた雷の属性。
そして何より、彼女自身も初めて見る聖遺物との融合体。
『シンフォギア』は、纏えばノイズを駆逐するが、その一方で装者自身にも多大な負荷をかける諸刃の剣。
しかし、適合した聖遺物とのシンクロが高ければ高いほど、その負荷は軽減される。
それこそ、切り札たる決戦自爆機能『絶唱』を、何度も口に出来るほど。
逆に言うのなら、低ければ低いほど、動くたびに身を蝕む苦痛にさらされる事になる。
(司響・・・・シンフォギア装者にとって悩みのタネである、適合係数の概念を吹き飛ばす存在)
コーヒーを一口、思考を一区切り。
そもそも『適合係数』などという隔たりがあるのは、ひとえに聖遺物が人智を超えた物品だからだ。
製造当初は違ったかもしれないが、記録も記憶も失われてしまった現代となっては、そうもいかない。
一度間違えれば死にかねないその運用方法は、踏み外せば真っ逆さまな『綱渡り』と同意だ。
だが、響にはその隔たりが無い。
聖遺物が体の一部と成っているが故に、適合率などを気にしなくてすむからだ。
(あれがこれから先、どう変化していくのか・・・・見ものだな)
にやぁ、と。
薄ら笑いを浮かべる彼女。
だが、懸念材料もある。
意識を移す、先日の輸送作戦のデータに。
戦闘が集束してすぐのこと、『手駒』が呼び寄せた仲間に釣られたのか、ノイズが出現した。
交戦地点から大分離れた場所、ちょうど現場と住宅地の中間地点。
翼も響も消耗しており、到底間に合わないと思われたその時。
ノイズともシンフォギアとも違う、高エネルギー反応が検知されたと思ったら。
まばたきの間に、ノイズが殲滅されていた。
二課のオペレーター達には、そうとしか見えなかったという。
周囲の監視カメラは、ハッキングにより全てダウン。
該当する時間帯の映像は、記録されていなかった。
(唯一の手がかりは、復帰直後の映像・・・・)
彼女は一枚の写真を手に取る。
コンマ数秒にも満たない、ごく短い時間だけ。
監視カメラに映りこんでいた、それを行ったとされる存在。
尾を引く赤い光と、黒い残像。
かすかに確信できる四肢から、辛うじて人間であると判断できる。
映像の中から、比較的鮮明なものを静止画として現像したものには、そんな姿があった。
(何者かは知らないが・・・・私の邪魔をすると言うなら・・・・)
持っていた写真を、乱暴に握り締めて。
その瞳を怪しく揺らめかせた。
自分は猫派です。
犬は世話しきれる自信が・・・・。