イギリス、ロンドン。
かつて七つの海を支配した帝国の首都である。
1999年にナチス親衛隊の残党である吸血鬼軍団「ミレニアム」、ヴァチカン、そして英国国教騎士団が繰り広げた三つ巴の争いにより、街は戦火に包まれ、人々はグールとなり、数百万人規模の犠牲者が出た。表向きにはバイオテロ事件として起こったその「戦争」はあまりの惨状に最早ロンドンの復興は不可能とみられていたが、しかしジョン・ブル魂を持った英国人たちにとってはそんなことすらも些細なことに過ぎなかったようだ。
英国人の不断の努力により十数年の時を経て、今ではかつての景観、勢いを取り戻しつつある。
そんな歴史と伝統、不屈さ溢れる街の一角、ダウニング街10番地、首相官邸である建物の一室で一人の男がじっと机に座っていた。
薄くなりかけている頭髪、太った体躯、鋭く強い意志を感じさせる眼光、ブルドックのような顔。
元英国首相ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルの姿がそこにあった。
不屈のリーダーシップを持った男もまた、現代に蘇り、英国の中枢で動いていたのだった。
「・・・まさかあいつまで蘇るとはな・・・考えられたことではあったが・・・」
チャーチルはとある資料を読みながら呟いた。
その資料・・・日本に派遣されていた英国の諜報員が作成した資料には一人の男の写真があった。
七三分けの特徴的な髪形に、何よりそれよりも特徴的なちょび髭。
ドイツ第三帝国総統にして、ゲルマニア鎮守府提督アドルフ・ヒトラーの姿があった。
「・・・ボヘミアの伍長め、勝手に蘇りおって。今度は何をやらかすつもりだ・・・?」
大のヒトラー嫌いであったチャーチルは吐き捨てるようにそう言い、さらに資料を読んでいく。
「・・・ヒトラーのみならず、ゲッベルスやデーニッツも蘇ったようだな。さらに問題なことには、あの男まで・・・」
チャーチルが睨み付けた写真には金髪に小太りの眼鏡をかけた男が写っていた。男の隣にはコートと帽子を着込んだ男と変わったレンズの配置の眼鏡に血まみれの白衣を着た男の姿もある。
ロンドンを壊滅に追いやった元凶、モンティナ・マックス、通称「少佐」。
ただでさえ、ヒトラーだけでも大変だというのに、さらに危険な、憎むべき人間が蘇った。
そしてそれが、極東の島国で深海棲艦と戦う艦娘の指揮を執っている。
これほど由々しき事態はないだろう。
これがムッソリーニとか他の人間ならともかく、よりにもよってヒトラー一味だ。艦娘の、鎮守府の提督という地位だけで満足はするまい。いずれは真の目標・・・第三帝国の、枢軸国の再興をやろうとするかもしれない。もちろん今ある戦力だけでは不可能だろうが、艦娘をうまく取り込んで戦力にするかもしれない。吸血鬼を製造して戦力を増強するかもしれない。最悪の場合、深海棲艦を味方に取り込んでこちら側に牙をむくかもしれない。
チャーチルをはじめ、事実を知っているイギリスの首脳陣にとってこれは誠に由々しき事態であった。
「・・・危険だ。それだけはなんとしても避けねば・・・」
可能であれば、戦闘員などをそこに送り込んでヒトラーたちを誘拐なり殺害するべきなのだろう。が、今ヒトラーが率いている鎮守府は極東では最大の規模で、太平洋における対深海棲艦戦闘における重要な地位を占めている。
うかつに手を出すわけにもいかない。
また、日本側もこの事実を知らないのか、知っていてヒトラーに指揮を取らせているのか、それもまた分かっていない。
いずれにせよ、何とかしなければならないことに変わりはない。
すでに英国国教騎士団も秘密裏に行動を始めているようだ。
いずれ、自分も本格的に動くべきときがくるだろう。
チャーチルが資料を睨み付けていると、執務室のドアが開き一人の女性が入ってきた。
「Admiral、調子はどうかしら?」
色白の肌に碧眼の瞳。方まで伸びた髪に、白い服。高貴さを漂わせるその女性はクイーン・エリザベス級戦艦、ウォースパイトであった。
「・・・君か。こんなところで油を売ってていいのか?深海棲艦の活動が沈静化しているとはいえ、海軍基地は色々と忙しいはずだぞ」
「大丈夫、今日は非番よ。久しぶりの休日だったし、Admiralのことが少し気になったから。そっちも色々と大変そうね」
「ああ、通常の執務だけでも大変だというのに次から次へと懸案が現れる。ホント、ウンザリしちゃうよ」
チャーチルは笑いながら持っていたヒトラーに関する資料を机にしまいこんだ。
「ところで、陛下は・・・ジョージ6世はどうなさっている?うまく艦娘たちとやっているだろうか」
「吃音のことなら問題ないわ。ライオネルもいるし、何とかやっているみたい。ただ・・・殿下は・・・」
「エドワード8世がどうなさった?」
「・・・相変わらず『王冠よりも愛だ!!』って言って執務放り出して遊んでいるわ」
「・・・はぁ」
吃音の国王や王冠よりも愛を選んだ国王のことや、他愛ないことを談笑しあい、雰囲気は和やかなものになっていく。
しかし、チャーチルの頭の中は和やかではなかった。
「そうだ、せっかくだからお茶にするか。いい茶葉がある」
「いいわ、そうしましょう」
(・・・さて・・・あのボヘミアの伍長と少佐・・・どうするか・・・)
ウォースパイトとティータイムの準備をしながら、チャーチルはヒトラー一味のことをどうするか、次の一手を考えていた。
ロンドンの一日は今日も静かに過ぎていく。