ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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非日常編⑦ I Am The Killer!!

「出ました? 出ちゃいました? 長々長々長々長々と話してたけど、そろそろ流石に結論が出ちゃいましたよね?」

 

 俺達の議論を黙って眺めていたモノクマが、議論の終焉を察して口を出してくる。

 ただ、そんなちょっかいにかまっていられるほど、俺達に余裕など無かった。

 

「…………本当に、オマエがシロサキを殺したんだな」

 

 覇気をなくした大天へ、怒りに声を震わせてスコットが尋ねる。

 

「……そう言ったじゃん。聞こえてなかったの?」

 

 もはやどうでもいいとでも言いたげに、彼女は冷たく答えた。

 

「私が、城咲さんを殺したんだよ。ナイフで刺して、頭を叩き割ってさ。これで満足?」

「なっ……!」

 

 自嘲的に哀しく笑い声をこぼしながら、大天は挑発的に語る。

 

「……人を一人殺しておいて、その態度はあんまりではありませんか?」

「別に私が何を言っても私の勝手でしょ」

「オオゾラ! どうしてシロサキを殺した!」

 

 煽るような大天に、スコットはまたも疑問をぶつける。

 

「こんなとこから出たかったから。私は毒で殺されかけたんだよ? だから、正当防衛じゃん」

「何が正当防衛だ! シロサキがいつオマエを殺そうとしたんだ!」

「……これから私達を殺そうと考えてたかもよ?」

「シロサキがそんな事するか!」

 

 ドン、と証言台を拳で叩き、怒りの抗議を続けるスコット。

 

「それに、ここから出られるなら殺すのは誰でも良かったんだって」

「……ならば、なぜ城咲君を被害者(退場者)に選んだんだ? キミは一度、城咲君に犯行を妨害された経験(エピソード)を持っているだろうに。犯行を今回も止められる(打ち切られる)とは思わなかったのか?」

 

 すべてを諦めて素直に答える大天に、明日川が問いかける。……言われてみれば、そうだ。大天が殺人を決意した事はともかく、城咲を選んだ理由が判然としない。あの時は不意を突かれていたとは言え、城咲の体捌きをその身を持って知っているはずなのに。

 

「……別に。そんな大した理由なんてないよ。負けっぱなしが癪だっただけ」

「……そうか」

「もういい。もう、十分だ」

 

 淡々と殺意を語る大天の声を聞いて、スコットが強く睨みつける。

 

「オマエが毒の被害に遭った事については同情する。愉快犯はオマエを狙い撃ちにしたようだからな。だが、そんなものはオマエがシロサキを殺していい免罪符になんかならない」

「分かってるよ、そんなの。いいカッコして楽しい?」

「…………モノクマ、投票だ! 早くしろ!」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。何を言っても無意味だと判断したスコットが、玉座でくつろぐモノクマに向けてそう叫んだ。

 

「はいはい。学級裁判の結論が出たら投票だからね。じゃあ行くよ!」

 

 よいしょ、とモノクマは玉座の上で立ち上がる。

 

「はい! それでは投票タイムに移ります!」

 

 そして、もはや三度目となる投票のルールの説明を始めた。多数決で議論の結論を決定するという、今更聞く意味もないルールを聞き流しながら、俺は今回のクロである大天へと目を向けた。

 

 先程、彼女は犯行に及んだ動機をここから出たかったからと告げた。その言葉自体に嘘はないだろう。ただし、そこには悲願が隠されている。【言霊遣いの魔女】を殺すという、絶望的な悲願が。その、なんとしてでも叶えたい悲願が、彼女を凶行に走らせたのだ。

 ……大天が【卒業】を企むだけの理由があることを、俺は知っていた。彼女がその復讐を何より優先していることにも気づいていた。それでも、俺は彼女の犯行を止めることができなかった。

 

 ……いつ。

 いつ彼女は【卒業】を決意したのだろう。いつ、犯行を止めるチャンスがあったのだろう。

 それこそ、彼女の言葉通り、自分が毒で死にかけた時に【卒業】を決意したのだろうか。先に誰かに殺されてしまう可能性を危惧して【卒業】を考えた。そして、あの【凶器】を配るという動機がトドメになってしまった……そういう事だろうか。

 

 ……そうだとして。

 結局、俺は杉野のそばを離れられなかった。杉野すら予想できなかった彼女の犯行を止めることなど、どちらにしても出来なかったのかもしれない。

 

「……はあ」

 

 無力感に苛まれ、ため息をこぼす。

 大天が殺人に及んだのは、これで二度目になる。城咲は言うに及ばず、その他の誰にも邪魔されないように用意周到に計画が練られていたはずだ。

 実際、結局未遂に終わった前回の彼女の殺人は、無計画に個室を訪ねたり送られた手紙に便乗したりとかなり突発(アドリブ)的なものだった。それに比べれば、今回の犯行は事前によく考えられている。五つの凶器を手に入れ、それをすべて利用するために大迷宮を犯行の舞台とした。それにとどまらず、カードキーやナイフをシャワールームに放置することで犯人が外に逃げたという偽装工作まで計画して……。

 

「………………?」

 

 瞬間、俺の脳内を一つの些細な疑問がよぎった。

 小さな、けれども確かな疑問点。

 

「もう言わなくても大丈夫だと思うけど、投票放棄はオシオキだからね!」

 

 玉座の上では、モノクマが投票の説明を終えていた。

 

「さあ、それでは参りましょう!」

 

 眼前に、ウィンドウが浮かび上がる。十六人の、名が並ぶ。

 投票の準備が、整った。

 

「投票ターイ――」

 

 

 

 

「待った!」

 

 

 

 

 

 その疑問の答えが出るより早く、ほぼ無意識的に俺は叫んだ。

 投票の開始を告げようとしたモノクマは動きを止める。そして、全員の視線が俺に集まった。

 

「何さ、平並クン! 良いところなのに!」

 

 この疑問を無視してはいけないと、何故かそんな直感が働いた。

 

 なんだ、なんだ、どういう事だ?

 頭を巡らせてその答えを探る。大天は、どうしてそんな事をしたんだ。それで大天に一体何の得があるというんだ。そんな、自分で自分の首を締めるような行為をして。

 城咲を殺せただけで満足だったのだろうか。前回邪魔をされたその腹いせに城咲を殺したかった? いや、それをしたところで自分はオシオキされてしまうだけだ。そんなはずがない。彼女には悲願があるのだから。

 では、城咲が【魔女】だと勘違いしたのか? だから、彼女を殺しただけで大天は満足して……勘違いする要素がどこにある。それに、そうだったのならこんな複雑な事件を起こす必要など無い。犯人が外に逃げたように見せかける偽装工作など、無駄でしかない。

 

 

 ならば。

 

 あるいは。

 

 もしかして。

 

 

 突拍子もない、あり得ない発想が浮かぶ。けれども、辻褄は、合ってしまう。

 

 

 

「なんで無視するんだ! 何か答えろよ!」

 

 モノクマが叫ぶ。それに合わせて、投票のウィンドウも消えた。

 

「どうした、ヒラナミ。早く投票するぞ」

 

 困惑を顕にするスコット。他の皆も怪訝な表情をしていた。

 

「……投票の前に、大天に聞いておきたい事がある」

 

 そして俺はようやく口を開く。おそらくは、合理的な答えなど返ってこないだろうと思いながら。

 

「…………何?」

 

 冷たい声だった。嫌そうな顔で、俺を見つめている。

 

 

 

 

「……お前。どうしてスタンガンを捨てなかったんだ?」

 

 ピシリと、空気が引き締まった。

 

 

 

 

「…………」

 

 大天は黙り込む。

 

「い、言われてみれば……」

「……大天、どうなんだ。どうして、そんなクロを証明するようなものを持ち続けていたんだ」

 

 そう催促して、ようやく彼女は口を開いた。

 

「……捨てたいけど捨てられなかったんだよ。火ノ宮君がずっと近くにいたし、かなり私を怪しんでたでしょ。こっそり捨てられるような隙なんて無かったから、それなら自分で持ってた方が安全だと思っただけ。靴底の仕掛けに気づく人なんているわけないし」

 

 少し間を開けてから、大天はスラスラと喋りだす。けれども、俺の耳にはどうにも胡散臭い建前のようにしか聞こえなかった。

 

「俺が聞きたいのはそのずっと前だ。七原を刺したあとに向かったシャワールームに、ナイフや白衣を放置しただろ。どうしてそのタイミングでスタンガンを手放さなかったんだ。スタンガンもそこに放置すれば良かっただろ。その存在がバレて困ることもなかっただろうに」

 

 なぜ、スタンガンだけを大天は持ち続けていたのだろう。他の【凶器】と一緒に捨ててしまった方が、メリットはずっと多いはずなのに。

 

「…………忘れてたんだよ」

「……忘れてただァ?」

「その台詞は推敲の余地があるな。今回の事件は緻密にプロットが組まれていただろう。順当(ベタ)に考えれば忘れる(落丁する)などとは考えにくいが」

 

 その様子に、他の皆も疑いを覚え始めたようだった。

 

「私だって忘れたくて忘れたんじゃないよ! こんな頑張って考えたのにさ! でも、人を殺した直後にそんな思い通りに出来るわけないじゃん!

 大迷宮まで戻ってきた時にやっとスタンガンを置き忘れたことに気付いたの! でも、もう誰かが来るかもしれないから戻れなかったし、靴の中ならバレないからずっと持ってただけ! なにも変なことなんてないじゃん!」

「……本当に?」

 

 忘れただけ。

 そう主張する大天は、なぜか焦っているように見えた。

 

「本当に決まってるじゃん! さっきから何が言いたいの!?」

 

 叫び続ける彼女にそう問われ、俺はその答えを口にする。

 

「お前がスタンガンを捨てなかったのは、最後の最後で自分がクロだと主張するためだったんじゃないのか」

「……っ!」

 

 大天が、顔をひきつらせた。

 

「……どォいう意味だ」

「そのまんまの意味だ。学級裁判でスタンガンを見せればそれが何よりの証拠になる。それが目的で、大天はスタンガンを持ち続けていたんじゃないか?」

「な……何を根拠にそんな事!」

「お前、最初からあの首筋についた傷を『スタンガンの傷だ』って言ってたよな。それって、最後にクロの証拠としてスタンガンを見せるための布石として言ってたんじゃないのか?」

「そんなの平並君の妄想じゃん! 勝手に決めつけないでよ!」

「そ、そうだよ……! じ、自分で何を言ってるのか、わ、分かってるのか……!? こ、こんな事件を起こしておいて、そ、【卒業】する気なんて無かったってことになるんだぞ……!」

 

 根岸が叫ぶ。

 確かに、俺もこの疑念を抱いた時に一度はそんな結論が出た。クロが自分で証拠を持ち続けていたのなら、そういう意味になってしまう。

 

「オオゾラが回りくどい自殺のためにシロサキを殺した……なんて言うつもりじゃないだろうな」

「違う。俺がいいたいのは、そんなことじゃない」

 

 それが違うと言える根拠はある。彼女が悲願を達成できないまま、死になどしないだろうから。

 それでも、彼女がスタンガンを持ち続けていたのだから、彼女の目的は、たった一つしか無い。

 

 

 

「……大天。お前、本当に城咲を殺したのか?」

 

 そして、俺は静かに核心をついた。

 

 

 

「…………」

 

 大天は、何も反応しなかった。スタンガンの事を言及された時点で、俺がその可能性に思い至っている事に気づいていたのかもしれない。

 

「……もしかして、てめーが言いてェのは」

「ああ。大天は、クロじゃない。クロのフリをしているだけだ」

「……っ!」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

 誰かの息を呑む声を切り裂いて、東雲が叫んだ。

 

「そんなのありえないわ! さっきから黙って聞いてれば……大体、大天は自分が城咲を殺したって認めたのよ!? じゃあ、コイツがクロで決まりよ!」

「……だが、スタンガンが」

「だから、捨てるのを忘れたって言ってたじゃない。あの靴の仕掛けなら誰も気づきようがないし、そこに入れておくほうが安全だって考えるのは何もおかしなことじゃないわ。それより、クロじゃないのにクロだって言う方がよっぽど異常よ! そんな事してなんのメリットがあるって言うのよ! 自分が死ぬだけじゃない!」

 

 メリットなら、ある。

 彼女がなぜそんな結論に至ったかは分からないが、それでも、大天にだけは、自分がクロのフリをするメリットが存在する。それが東雲の想像の及ぶものでは無いと思うが。

 

「……メリットについては、考えても仕方ないでしょう。彼女が僕達の常識では計れない狂人であれば、そんなものは考えるだけ無駄ですから」

「そうでしょうけど……」

 

 納得の行かない様子の東雲に向けて、杉野はさらに言葉を続ける。

 

「それよりも、考えるべきは犯行の合理性です」

『合理性?』

「ええ。本人が罪を認めるのならと見逃していましたが、今回の犯行には違和感がありましたよね。それこそ、スタンガンに関連して」

 

 違和感。大天がクロのフリをしていると思える今なら、その違和感もすぐに思い至る。

 

「凶器の数の話だろ」

「流石ですね」

 

 うるさい。

 

「クロは新家君に配られた配布凶器を偽装することで、四つしか凶器を使えないはずなのに五つの凶器が使われている……そう主張できる状況を作り出した、というのが今回の事件に対する推理でした。これがトリックとして機能していないことは、これまで幾度となく述べたとおりです」

 

 死人の部屋から持ち出した凶器が本当に三つだったのなら、自分に配られた一つの凶器を加えても五つには届かない。クロが身を守るためにそんなトリックを仕掛けたとしても、それで犯行が不可能になるのはクロだけでなく全員である。全員に不可能ならば何らかのトリックが使われた事は明らかなのだから、だからこそトリックとしては成立していないのだ。

 

「配布凶器を偽装して、城咲さんの頭に斧まで振るって、その結果がこの無意味なトリックなんてあまりに合理性に欠けるじゃありませんか」

「た、確かに……」

「しかし、もしも大天さんがクロでなく、クロのフリをしているだけというのであれば……この疑問は解決することになります。

 つまり、元々犯行に使われた凶器は死人に配られた四つだけだったのです。そうであれば、犯行には死人の三つと自身に配られた一つだけが使われた、という偽装が成立します。その状況でクロが自分の配布凶器を見せれば、配布凶器を見せていない人物か見せても偽物だと疑われるような人物に容疑を被せることができるでしょう」

 

 これなら、トリックに合理性が生まれる。トリックを仕掛ける、意味がある。それに、もしもトリックを看破されたとしても、自分に配られた凶器は未使用なのだから、そこからクロだとばれることはない。

 

「ところが、大天さんが現場にやってきて、自身に配られたスタンガンを押し当てた……これで傍目には五つの凶器が使われたように見えたのです」

「スタンガンをわざわざ押し当てたのは、こうして犯行に利用した凶器を見せつけて自分をクロだと思わせるため。そうなんだろ」

 

 杉野の説明を受けて彼女に問いかける。

 間違っては、いないはずなんだ。

 

「さっきからなに言ってるかわかんないんだけど! 考えすぎだって! 城咲さんを殺したのはホントに私なの!」

「おや。妙な台詞だな、大天君」

 

 慌てたように叫ぶ大天に、静かに明日川が語りかける。

 

「なぜキミは今、自分がクロであることを主張した? 黙って彼らの主張を受け入れれば、自らが投票先になることは避けられるだろうに」

「……!」

 

 直前まで懸命に無実を訴えていた彼女が、今では必死に自分がクロだと叫んでいる。その歪な言動が、彼女への疑いを加速させる。

 

「…………アンタ、まさか、本当に」

「違う!」

 

 それでも、彼女は叫びを止めない。

 

「今のは言葉の綾って言うか……ほら、口が滑る? ってやつだよ! いきなり変なこと言われて急に嘘つくなんて、そんな頭の良いこと私には無理だし!」

「ですが」

「だったらさ! そう言ったらホントに私に投票しないでくれるの!? 私がクロじゃないとかなんとか言ってくるけど、そんな証拠もない話に命張れるワケ!? 平並君たちが勝手に言ってるだけだよ!?」

 

 杉野の声すら封殺し、彼女の声が裁判場に響く。

 

「そ、それは……」

「犯行を全部暴かれて、自白までしちゃったのに今更ひっくり返せるなんて思うわけないじゃん! 私の命を弄ぶのがそんなに楽しいの!?」

「……そうじゃない。そんなことがしたいわけじゃない」

「うるさいうるさいうるさい! そうやって平並君が変なことを言う度に、もしかしたらまだ行けるかもって思っちゃうんだよ!? そんなこと、できるわけないのに! 殺すなら一思いに殺してよ! 余計な希望なんて持たせないで!」

 

 ……どっちだろうか、これは。

 

 俺達から思考を奪うような大天の叫びに引っ張られそうになる。本当に彼女は城咲を殺して、その罪から逃れられないと自覚しているために投票を煽っているのではないかと。

 しかし、論理的にはやはりそれを認めるのは難しい。何より、彼女がクロを主張する行為そのものが彼女がクロでない証明に思えてならない。もしも彼女に票が集まりそれが不正解だったのなら、彼女の【悲願】は達成することになるのだから。

 

「モノクマ! 学級裁判は終わったはずじゃん! 早く投票を初めてよ!」

「うーん、ボクとしてもいい加減話を進めたいところだけどさ。こんな中途半端な状況で投票タイムに移るのは、ボクのゲームマスターとしてのプライドが許さないっていうかさ」

「なっ……なにそれ!」

「大天」

 

 モノクマの言葉に目を見開く彼女に、火ノ宮が声をかける。

 

「……なに?」

「てめーは捜査中、オレと一緒に行動してた。チェックポイントを調べた後は直接宿泊棟に向かって、その後もずっと【宿泊エリア】にいた」

「わざわざ確認されなくても分かってるよ。それがどうしたっていうの?」

「だから、オレ達は更衣棟のシャワールームには行ってねえ。隠し通路もそこに捨てられた凶器も、全部平並達から聞いただけだ。……それでも、てめーがクロなら答えられるはずだよな。犯人が凶器を捨てたシャワールームの、タイルの色を」

「…………!」

 

 火ノ宮は当然それを知らない。けれども、大天は知っているはずなのだ。本当に、城咲を殺してシャワールームの偽装工作を行ったのならば。

 

「……え、えーと。……あれー……思い出せるかなー……」

 

 両目をせわしなく左右へ泳がせる。火ノ宮はそれをじっと見つめ、急かすことなく彼女の答えを待っていた。

 やがて、彼女は何かに思い至ったように目を見開く。

 

「あ! そうだ! 水色! 水色だよ!」

 

 水色。それが彼女の答えだった。

 

「…………そォか。じゃァやっぱり、てめーはクロじゃねェんだな」

「……え? なんでそうなるの!? っていうか、正解が何色かは火ノ宮君には分からないじゃん!」

「あァ、分かんねェよ。けど、それが間違ってるっつーのだけは分かる。水色は、東雲が使ってたシャワールームのタイルの色だろ」

「ええ、そうね」

「何言ってるの!? だから、水色で合ってるじゃん!」

「……あ、そ、そうか……」

 

 焦る大天の様子を見て、根岸が何か気づく。

 

「お、お前、う、【運動エリア】の探索をしなかったから、こ、更衣棟のシャワールームのタイルの色が部屋ごとに違うって知らないのか……!」

「…………!」

 

 ハッと口を開き、失言に気づいて口を手で抑える。

 

「なるほど。確かに先程東雲君の台詞にシャワールームのタイル(装丁)が水色であるという話が含まれていたな。だから、キミは水色と答えたのか」

「ちなみに、正しい答えは黄緑色です。……これは決定的、ですかね」

「…………まだだよ。まだ終わってない」

 

 致命的な失言をしてもなお、彼女は視線を落としながら小さくつぶやく。

 

「あァ?」

「今のは嘘だよ! 知ってたよ、黄緑色なんて!」

 

 そして、イカれたように瞳孔の開いた瞳を晒して叫びだした。

 

「こうやって嘘をつくことで、自分が無実だってフリをしてるんだよ! だから騙されちゃダメだよ! 本当にクロは私なんだから!」

「それをアンタが言ってる時点で破綻してるじゃない! さっきから何がしたいのよ、アンタは! 自殺行為の何が楽しいわけ!? アンタが本当にクロでもそうじゃなくても、議論が続いてるなら無実の主張をしなさいよ! 自分でクロを主張するなんて、どう考えたっておかしいじゃない!」

「うるさいうるさいうるさい! これでいいの! これが正解なの! だから早く私に投票してよ!」

「……支離滅裂ですね。議論にもなりません」

 

 叫び続ける大天に、杉野がそんな評を告げる。同意だ。もはや答えは出ていると言っていい。

 それでも、そんな彼女をこれ以上見ていたくない。彼女を諦めさせる証拠を突きつけない限り、彼女は叫び続けるだろう。

 

 ……何か、彼女の無実を証明する直接的な証拠は無いだろうか。そう考えてすぐに結論は出た。同じ疑問を、全く違う意味でさっきしたばかりだったからだ。

 

「……大天」

「なに!?」

「お前がクロだって言うんなら。見せてみろ、お前の百億円札を」

「え? ……あ」

 

 クロは、犯行後に百億円札を城咲のものと交換した。だから、その百億円札は血に染まっている。百億円札が血に染まっていればクロ。そうでなければ無実。至極単純な証明だ。

 

「お前、さっき俺に百億円札を見せろって言われた時、結局ずっとポケットを抑えたままで最後まで見せなかったよな。あの時は、自分がクロであることを証明してしまうから見せなかったと思っていたが、違ったんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()見せられなかったんだ。そうだろ」

「そ……そんなわけ」

「だったら見せてくれ。お前の百億円札に血がついていれば、お前がクロだって認めてやる」

「…………」

 

 数秒、無言のまま視線をさまよわせた。

 そして、

 

「……嫌だ! 見せる必要なんか無いじゃん!」

 

 尚も彼女は抵抗することに決めた。

 

「だったら無理矢理にでも見せてもらうぞ、オオゾラ!」

 

 それを聞いて、スコットが証言台から降りて彼女の元へ駆け寄る。力ずくの手段の是非を悩むほど、彼に余裕など無かった。

 近づくスコットを拒否すべく、大天はそのスコットの腹を蹴り飛ばす。

 

「グフッ……!」

「こっち来ないで! ……ちょっと! 足掴まないで……きゃっ!」

 

 みぞおちに蹴りを喰らいながら、彼はその足を掴んで床に倒れ込む。それに引っ張られ、大天も同じく床に転がった。

 

「……悪い、大天」

 

 大天は荒事になれていると言っていた。一人で抑えきれるかは分からないと思い、俺も彼女を拘束すべく駆け寄ると、腕を掴んで背中に体重をかけた。

 

「ちょっ、痛……やめてよ!」

「ごめん」

「謝るくらいならしないで!」

 

 大天の尻ポケットが無防備になる。それを見て火ノ宮も彼女の元へ駆け寄ると、その尻ポケットに手を伸ばす。

 

「お尻触らないでよ! 変態!」

「ッ!」

 

 が、大天にそう怒鳴られてその手は止まった。

 

「何怯んでるんだバカ! そんな事気にしてる場合じゃないだろ!」

「もういい! オレがやる!」

 

 掴んでいた大天の脚に体重をかけて拘束し、スコットは大天の尻ポケットに手を突っ込んだ。

 

「やめて! 待って! ほんとに待って――!」

 

 彼女の叫びに耳を貸すことなく、スコットは尻ポケットから百億円札を引き抜く。そしてそれを、空中へと掲げた。

 

 

 スコットの指に挟まれたその百億円札には、血痕など微かにもついていなかった。

 大天が無実であることの何よりの証明が、そこにあった。

 

 

「あ……」

 

 大天から力が抜ける。もう抑える意味もない。俺も彼女の背中からどいて床にへたり込んだ。

 

「もはや言い逃れはできませんね。大天さんは、無実です」

「…………くぅ……」

「おい、オオゾラ!」

 

 悔しそうに声を漏らす彼女の胸元を掴むスコット。

 

「オマエ、どうしてこんな嘘をついた!」

「………………」

『だんまり、みたいだな』

「まあ、ここでその答えを言うのなら、嘘をついていた意味がありませんからね」

 

 杉野の言うとおりだ。彼女はもう何も言わないだろう。

 

「り、理由なんかどうでもいいよ!」

 

 そんな中、根岸が叫ぶ。

 

「ど、どうせ、だ、誰かをかばってたとかそんなだろ……も、問題は、そ、それが誰かってことじゃないのかよ……!」

「……そうですね。城咲さんを殺したのは誰か。大天さんの嘘を暴いたところで、その答えを見つけなければ結局僕達はおしおきされてしまいます」

 

 城咲を殺したのは誰か。

 

 ずっと大天の無実を証明することばかり考えていたから、今更ようやくその疑問について改めて考えた。

 

 

 

 

 

 

 その答えは、一瞬で出た。

 

 酷く冴えた頭が、たった一つの真実を導き出す。

 

 3から2を引けば1が残る。そんな簡単な算数が正しいかどうかなど、吟味する意味すら無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「……七原だ」

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことはあり得ないのに。そんな結論が存在して良いわけがないのに。

 それでも、俺の口からこぼれ落ちたのは、他の誰にも代えがたい彼女の名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………てめー、今なんつった?」

 

 火ノ宮が、俺の声に反応して問いかけてくる。

 

「………………七原なんだよ。……城咲を殺したのは」

 

 言いたくない。

 口にしてしまえばそれが絶対の真実になってしまうんじゃないかと、そう思えるのに、震える声は止まらない。

 

「なぜそんな結論(結末)になる? そんな奇妙な物語を、なぜ思いついたんだ?」

 

 奇妙。

 そうだ、おかしい。こんな結論は、間違っている。

 

 そのはず、なのに。

 

「……死体発見アナウンスだ」

 

 俺のたどり着いたあり得ない結論は、確固たる真相として立ちはだかっていた。

 

「クロは犯行中に死体を発見したと判定された。だから、死体発見アナウンスが流れる条件の、最初に発見した三人の中にクロが含まれているはずなんだ」

 

 大天がクロであると、そう判断したきっかけとなったロジック。それが、もう一つの結論を導き出す。

 

「最後に発見してアナウンスを鳴らした東雲はクロじゃない。大天も、死体にスタンガンを押し付けたんだから当然発見者には含まれているはずだが、大天もクロじゃなかった。…………なら、残った七原が、クロになる……」

 

 他に可能性はないか。そういくら考えても、そこに疑う余地など無かった。

 東雲と、大天と、七原。

東雲はアナウンスを鳴らした。大天はスタンガンを押し付けた。七原は斧に言及していた。だから、この三人が、最初に死体を発見した三人であることに間違いはない。

 つまり、クロは。

 

「け、けど、お、おかしいだろ……!」

 

 思考を、根岸の叫びが止める。

 

「だ、だって七原は、く、クロに襲われた被害者だろ……!? そ、それがなんで七原がクロだってことになるんだよ……!」

「…………そう思わせることが、七原の目的だったんだ」

 

 暗く澄み渡る頭脳が、反論を即座に切り捨てるロジックを作り出す。

 学級裁判が始まったときには何も見えなかった真実が、皆で語り尽くした議論によって鮮やかに暴かれていく。

 もはや、目を背けることなどできないほどに。

 

「まさか、体を刺された人間が人を殺してなどいないだろう――俺達がそう思うことを見越して、七原は自分で自分の脇腹を刺したんだ」

「…………!」

「……さっき大天をクロだって指摘した時、最初に疑われてしまえばその後は疑われにくくなるという話をしたよな。……自分から被害者の枠に入れば、そもそも容疑者として疑われることすらなくなるんだ。それが、七原の狙いで――」

 

 

 

「その糸、編み直せ」

 

 

 

 突如、俺の言葉に割り入って、スコットの声が聞こえてきた。

 

「七原はわざと自分の脇腹にナイフを刺した……そう言いたいんだよな」

「……ああ」

「そんなことが有り得るはずがない。オレとアスガワが証人だ」

 

 親指で彼女の方を指し示す。明日川も、険しい顔のままうなずいていた。

 

「手術をしたオレだから言える。あの傷は本物だ。オレ達の目をごまかすためだとか、そんな打算でついたような浅い傷じゃない。刺された時点で死んでもおかしくないほど深かったし、そもそもオレ達が手術をしなければナナハラは出血多量で確実に死んでいた。……いや、それどころか、手を尽くして手術をした今でさえ、ナナハラは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ。そんな傷が、自分でつけた傷? そんなこと、あり得るわけがない」

 

 まくしたてるように彼は語る。

 七原についた傷が、彼女の生死を左右するものだった事を否定はしない。スコット達の手術が無かったら七原が死んでいた事も。

 けれども、それは七原の犯行を否定する根拠にはなり得なかった。

 

「……だが、死んでない」

「は?」

「生きるか死ぬかの瀬戸際だとしても、七原はまだ死んでない。あれほどの血を流して気を失っても、アイツはまだ、生きている」

 

 ストレッチャーの上で眠る彼女に視線を送る。彼女はただ、静かに横たわっていた。

 

「ナイフは奇跡的に致命傷を避けた。大迷宮の悲鳴は図らずも俺達の耳に届いた。大迷宮の出口が開いた時は幸いにも手術のできる明日川とスコットが揃っていた。器具を持っていた火ノ宮も、仕組まれたように手術に間に合った」

「……そんなの、たまたまだろ」

「たまたまだ。全部偶然だ。……それでも、七原にとってはすべてが必然なんだ。だって、七原は【超高校級の幸運】なんだから」

 

 何もかもが彼女を中心に回る。

 それが、七原の才能だ。

 

「この狂言を成功させるには、中途半端な傷をつけることは出来ない。死線をさまようほどに、強くナイフを刺さなければ意味がない。それでも七原は、自分の脇腹を刺すことができた。アイツは、自分の幸運を何より信じていたから。自分が死ぬわけがないと、信じていたから……」

 

 ぽつぽつと、彼女がクロである理由を告げる。彼女がクロたり得る理由を告げる。

 

「……キミがそんな推理(シナリオ)を書いた根拠は理解した。しかし、なぜキミがそんな台詞を吐くんだ! 他のどのキャラクターが彼女を疑おうとも、キミだけは彼女を信じなくちゃいけないはずだろう!」

「信じたいに決まってるだろ!」

 

 明日川の台詞に噛み付くように吠えた。

 

「アイツが殺人なんかするはずないって、そんなの俺が一番分かってる! ……けど、ダメなんだよ。いくら考えたって、もう、アイツがクロとしか、考えられないんだ……」

 

 皆の反論を切り捨てながら、何度も何度も考えた。七原がクロだなんて推理、絶対に何かが間違ってると、そう思ってどれほど思考を巡らせても結論は何故か変わらなかった。

 視線が、床に落ちる。どうして、こんな結論になるのだろう。

 

「凶器の数のトリックも、七原はとっくに配布凶器を公開していたんだから十分に成立する。クロが大迷宮の外に逃げたという偽の筋書きだって、七原が残した『白衣』の血文字が効いている。城咲と交換した百億円札も、自分自身が血まみれなんだから百億円札に最初から血がついていても関係ない」

 

 ここまで積み重ねた議論のすべてが、七原がクロであることにつながっていく。

 七原がクロだと、証明されていく。

 

「……まだ、そうと決まったわけじゃないんじゃないかな?」

「…………え?」

 

 その声に俺はふっと顔を上げた。希望にすがるように。

 

『菜々香がクロなら、ナイフはどうなるんだ? 自分で自分の脇腹を刺したんだったら、ナイフは大迷宮の中に落ちてねえとおかしんじゃねえか?』

「……い、言われてみれば……」

「でも、ナイフは更衣棟にあったよね。大迷宮には他におなかを刺せるようなものなんてなかったし……」

「……確かに、斧で脇腹を刺すことは出来ませんが」

『それに、そもそも七原の傷はあのサバイバルナイフでつけられた傷だって棗が言ってただろ』

 

 黒峰が、口をパクパクさせながら明日川に確認を取る。

 

「ああ。ボクの記憶に賭けて証言しよう」

「だから、菜々香ちゃんが自分で自分を刺したなんて、ありえないと思う」

 

 だから、七原はクロではないと。露草はそう主張した。彼女は、まだ七原の事を信じている。

 

「大天がやったんじゃないの?」

 

 そんな露草の推理に反論を唱えるのは東雲。

 

「どういう魂胆か知らないけど、大天は自分がクロだって嘘ついてたじゃない。事件をごまかすために、大迷宮に落ちてたナイフを拾って更衣棟に持っていったとか、そんなとこじゃないの?」

「そりゃァあり得ねェだろ。大天は更衣棟のシャワールームには行ってなかっただろォが」

「……そうだったわね」

「もしかしたら、大天君は隠し通路の存在自体知らなかったかもしれないな。事件(物語)の詳細を知らないまま、クロを演じたのかもしれない」

「………………」

「…………何も言わないつもりか」

 

 スコットが、口をつぐんでうつむいたままの大天に苦言を呈していた。

 

『とにかく、ナイフが更衣棟にあった以上、七原がクロで、自分の脇腹を自分で刺したって推理は間違ってるんじゃねえのか?』

 

 不安げに、けれども力強い黒峰の反論。

 それは、待望の反論ではあった。ああ、けれども、

 

「……それは違うぞ」

 

 それは、すでに自分でとっくに思いついていた反論だった。そして、俺はそれを切り捨てる推理すらも思いついていた。

 

「それでも、俺の推理は成立する。……七原が脇腹を刺したのは、大迷宮の通路の血溜まりの広がっていた場所だと思っていた。だが、違ったんだ。七原は、更衣棟のシャワールームで自分の脇腹を刺したんだよ」

『……!』

「……その後、大迷宮に戻る前にナイフを抜いて放置して、傷を抑えたまま大迷宮まで戻ってきたんじゃないのか」

 

 つまるところ、あの隠し通路に残る点々とした血痕は、更衣棟へ向かったときに返り血がこぼれ落ちてついたものではなく、大迷宮の中へ戻るときに七原の傷跡から流れ落ちたものだった……そう考えることができるのかもしれない。

 

「……大迷宮まで戻ってきて、そこでようやく手を離して悲鳴をあげたんじゃないか。そこで倒れ込んで通路に血溜まりを作った後に、出口まで這っていった…………」

 

 俺の推理を聞いて、黒峰は露草と共に黙り込む。

 

 裁判場が、重い静けさに包まれた。

 

 

 

 

 違う。

 

 

 違う。

 

 

 違う。

 

 

 

 

 

 永遠にも思える静寂の中で、俺は懸命にそれを否定する。

 

 

 

 

 

 俺は、こんな結論のために学級裁判に臨んだんじゃない。

 

 こんな苦しい思いをするために、推理を組み上げたんじゃない。

 

 七原が認めてくれた俺の才能は、こんな事のためにあるんじゃない。

 

「……なーんて、違う、違うよな。そんなわけ、無いよな」

 

 そんな言葉で何も変わらないなんてことは分かりきっていても、それでも、そんな寒々しい言葉を口にせずには入れらなかった。

 

「ずっと俺は何を言ってたんだろうな。七原が誰かを殺すなんて、そんな事あるはずがないのに」

 

 俺はずっと、間違っていた。謎を解くということに固執しすぎていたのかもしれない。証拠やルールのロジックとか、そんなものは何も重要なんかではないのだ。

 大事なのは、彼女を信じることだけじゃないか。

 

「だからさ、また誰か俺の推理に反論してくれよ。実を言うと、俺が考えた反証はさっきのでもう全部出尽くしたんだ。だから、次に出てくる反論を俺はきっと否定できない。それで、七原の無実が証明されるはずなんだ」

 

 俺はそう告げたのに、誰も、言葉を返してくれない。

 

 なぜだろう。

 

 なぜ、何も言ってくれないのだろう。

 

「……どうして、皆黙り込んでるんだ。まだ、何かあるだろ? なあ?」

 

 皆、視線をさまよわせている。思考を巡らせている。それでも、何も言葉は出てこない。

 

「……っ! おい、火ノ宮!」

 

 慌てるように、その名を呼ぶ。すがるなら、彼しかいないと。

 

「何か言ってくれ! 俺の推理を否定してくれよ! 超高校級の、クレーマーだろ!?」

「…………」

「なあ、火ノ宮!」

 

 俺の叫びを受けて、彼はためらいながら口を開いた。

 

「……今更、てめーの推理にケチのつけようはねェ。さっきの大天の時みてェな非合理的な部分がねェかも考えたけどよォ、七原がクロなら、全部の証拠が一本の線でつながっちまう」

「な……なんで、そんな事を言うんだよ」

「オレだって七原がクロだなんて思いたくねェよ! オレ達も皆、アイツにずっと励まされて来てんだよ。アイツが殺人なんかするわけねェって思ってんのは、てめーだけじゃねェ」

 

 悔しそうに、握りこぶしを震わせる火ノ宮。

 

「けど、もう認める以外にねェだろォが! 証拠も、何もかもが出揃ってんだよ! ……それを教えてくれたのは、てめーじゃねェか」

「な……!」

「てめーが証明したんだぞ、平並! てめーが、七原がクロだって突き止めたんだぞ! 皆の反論を、全部切り捨ててよォ! ……てめーの気持ちは痛いほど分かるけどよォ、あの推理の何もかもを無かった事になんざ、出来ねェだろ」

「…………ぐっ……」

 

 俺が、突き止めた。この残酷な真相を。

 どうしてだろう。どうしてこんな事になってしまっているのだろう。

 

「なんっで……なんで、なんで! なんでなんだよ! 違う違う違う、違う!」

 

 髪をかきむしって、グシャグシャになった頭と顔で叫び続ける。

 こんな物が真相? そんな事がありえるはずが無い。絶対、必ず、何があったとしても。

 

「七原がクロなわけがない! アイツは俺が誰かを殺そうとするのを止めてくれた! 俺が苦しんでる時に、優しく手を差し伸べてくれた! 俺と一緒に、殺人が起こらないように頑張ってくれた! こんな理不尽な世界でも、この日々が大切な日常だって、アイツは教えてくれたんだ!」

 

 

──《「たった数日だったかもしれないけど、狂ったルールがあったかもしれないけど、不安でいっぱいだったかもしれないけど! このドームで過ごした時間だって、大事な日常なんじゃないの!?」》

 

 

 七原がいたから、俺はここにいる。七原がいたから、俺は絶望せずにいられる。

 

 そんな七原がクロだと断じるなんて、たとえ死んでもそんなミスを犯すわけにはいかない。

 

「で、でも、お、お前が言い出した推理だろ……!」

 

 わかってる。

 さっきも火ノ宮に言われた。その推理を、最初に口にしたのは俺だ。

 

 ……だったら!

 

「そうだ、俺の推理だ。七原がクロだって、俺が言ったんだ。だったら、そんな推理、当たっているはずがないんじゃないか?」

「あァ?」

 

 もっと早くに気づくべきだった。どうして、こんな事に自信を持っていたのだろう。

 【超高校級の凡人】たる俺が推理の真似事をしたところで、価値も意味もあるはずが無いというのに。

 

「俺なんかの推理、間違ってるに決まってるんだ。それこそ、大天がクロだって推理だって外れてたじゃないか。七原がクロだって推理も間違ってるに決まってる」

「凡一ちゃん、一体何を……!」

「いつもいつもそうだった! 出来たと浮かれて調子に乗って、結局どこかで失敗してるんだ! 何をしたって、ダメだったんだ! 今回だって絶対そうに決まってる! 俺なんて才能のない人間が、殺人事件の真相を当てるなんてことができるわけないんだから!」

 

 

 

 

 

 

「それは違うよ、きっと」

 

 

 

 

 聞こえてくるはずのない声が、俺の言葉を否定した。

 優しく、穏やかな、声だった。

 

 

 

 

 

 その声は、証言台を囲む俺達の、更にその外から聞こえてきた。

 

「…………七原!」

 

 声につられて彼女の方を見ると、彼女はストレッチャーの上で患部を抑えながらゆっくりと体を起こしていた。

 

「いてて……やっぱり、痛むね」

「……七原君。目を覚まして(本を開いて)いたのか」

「いつから、僕達の話を聞いていたんですか?」

「えっと……火ノ宮君が疑われたあたり、かな」

「ず、随分前じゃないか……!」

 

 杉野の質問に答えつつ、彼女は体勢を整える。最終的にはストレッチャーに腰掛ける形になった。

 

「黙って聞いてるつもりはなかった……っていうと嘘になっちゃうんだけどね。でも、起きようとしても体に力が入らなくて、やっとこうやって喋れるようになったんだ」

「そんな事どうだっていい!」

 

 七原がいつ目を覚ましたのか。どうして今まで黙っていたのか。そんな些細な事よりも、聞かなければならないことがある。

 

「さっきのはどういう意味なんだ!」

「言葉のとおりだよ。平並君は、何も間違ってない。平並君は、色んな事を考えて、皆のことを思いやれる人だから。だから、君ならどんな事件の真相だってたどり着けるんだよ」

 

 そんな砂糖菓子のような優しい言葉をかけられて、頭がクラクラと揺れる。

 

 彼女は、なぜ、俺の推理を肯定するような事を言うのだろう。

 

「……おい、ナナハラ。自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

「分かってるよ、もちろん。全部、聞いてたから」

「じゃあ、認めるって事でいいのね。アンタがクロだって」

「……うん、そうだよ。私が城咲さんを――」

「そんな訳無いだろ!」

 

 何かを口走りかける七原を、ありったけの叫びで止める。

 ダメだ。それだけは言わせちゃダメだ。

 

「七原がクロなわけ、無い。何度も言ってるだろ」

「平並君」

「七原、お前は寝てろ。刺されたショックで記憶が混濁してるだけなんだ」

「違うの、平並君」

「俺がいくら間違えたって、皆がきっと正してくれる。だから、お前は何も言わなくていいんだ」

「自分を否定しちゃダメだよ。平並君は、何も間違えてなんかないんだから」

 

 俺の言葉は、七原には届かない。

 なんで。どうして。

 

「七原、頼むから、頼むから……!」

「聞いて、平並君」

「……!」

 

 それでも尚折れない彼女の声に、俺の口は止まる。

 

「今から、平並君の推理が正しいことを証明する」

「証明って、お前、何を」

「この事件を、最初から最後まで全部説明する。平並君なら、それできっと分かってくれるはずだから」

「……!」

 

 それは、かつて二度……いや、三度と俺がしてきたことだった。

 それを彼女は、自分自身でやろうと告げている。

 

「……何を考えてやがる。んなこと、自分ですることじゃねェだろ」

『まさか、菜々香まで翔みたいにクロのフリをしようっていうんじゃ……』

「あはは、そんなんじゃないよ。もしそうだったら、わざわざこんな事言わないほうがいいでしょ?」

「それはそうですが……では、なぜ?」

「……理由なら、もう言ったよ」

 

 そう告げて、彼女は一つ深呼吸をする。

 

「平並君、よく聞いてね。これが、君が暴いた真相なんだよ」

 

 その暖かな瞳は、困惑に揺れる俺の瞳をじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の朝、皆で【凶器】を見せ合うために宿泊棟から【凶器】を取ってくる時があったでしょ? その時に一人だけ遅れて宿泊棟に戻った犯人は、返り血を防ぐための白衣を取ってこようと遠城君の部屋に向かったんだ。元々は体育倉庫で硬そうなものを見繕って凶器にしようと思ってたんだけど、遠城君の机の上にサバイバルナイフが乗ってるのを見つけて……それで、遠城君達にも【凶器】が配られてた事に気づいたの。【凶器】の個数をごまかすトリックを思いついたのもこの時で、急いで四人分の【凶器】を自分の部屋に集めたんだ。隠し通路のカードキーとか、斧とかね」

 

他人事のはずの犯行を語っているにも関わらず、その口調はまるでそうでないかのように聞こえた。

 

「その後、その四つの【凶器】を見ながら犯行計画を練った犯人は、その【凶器】や、一緒に持ち出した遠城君の服を持って大迷宮まで向かったんだ。そこで始めて隠し通路の先が更衣棟に繋がってることを知ったんだけど、ああいう小さな密室に道が繋がってたことは犯人の立てた計画にとって好都合だったんだよね。いくらでも自由に偽装工作ができるし、犯行に使う道具も全部そこに隠しておけるから」

 

 俺が魔女の犯行を止めようと見張り続けているまさにその裏で、犯人は犯行の準備を着々と進めていた。彼女が語っているのは、そういうことである。

 

「夕方になって、犯人は事件を起こし始めたの。これまでの事件は二回とも夜に起きたけど、今回犯人が立てた計画では事件後すぐに大迷宮に駆けつけてくれる人が必要だったから、夜になる前に事件を起こしたんだよね。まあ、夜中は火ノ宮君がずっと見張る気だったみたいだから、そういう意味でもその時間しかなかったんだけど。ちなみに、昼間じゃなくて夕方だったのは、一番皆がバラバラの場所にいそうなタイミングを狙ったからなんだ」

 

 すべての行動の理由が、犯行に潜んだ合理性が、説明されていく。

 

「犯人は、一通り大迷宮で犯行の準備を終えると、食事スペースに向かって一人きりで座ってた城咲さんに声をかけたんだ。『大迷宮で東雲さんが刺されて死にかけてる』って。今から急いで救命措置を行えば助けられるかもしれないって話したら、城咲さんは顔色を変えて大迷宮に駆けて行ったの。城咲さんは犯人に他の人も呼ぶように告げたんだけど、犯人はすぐに城咲さんの後を追ったんだ。だって、城咲さんを大迷宮に呼び出すことが、犯人の目的だったから。

 城咲さんを追いかけて大迷宮に入ると、城咲さんはチェックポイントで立ち尽くしてた。通路の床には誘導のために血痕をつけたけど、余った血は目を引くようにチェックポイントにばらまいてたからね。そんな血を前にして立ち尽くす城咲さんに、犯人は隠し持ってたサバイバルナイフで襲いかかったんだけど、気配を感じ取られたのかそれは避けられちゃったんだ」

 

 城咲が一人で大迷宮に向かったのは、傷ついた誰かを死なせないために一刻も早く救命措置を行おうとしたから。そうと言われてみれば、他の何よりも納得の行く理由だった。そこに至る彼女の決意が、最悪の結果を呼び込んだ。

 

「犯行を思いとどまるように抵抗しながら犯人を説得してた城咲さんだったけど、床に広がった血溜まりで足が滑った隙に犯人にお腹を刺されて、床に倒れ込んじゃったの。これはまずいと思ったのか城咲さんは逃げだそうとしたけど、そんな城咲さんの背中に犯人はナイフを突き立てたんだ。

 動かなくなった城咲さんを見て殺せたと判断した犯人は、急いで更衣棟のシャワールームに向かって、斧をチェックポイントまで持ってきたの。戻ってきた犯人は自分の名前が血で残されていることに気づいて、それを血で塗りつぶしたんだ。その後、念の為に城咲さんが本当に死んでるかを確かめる時に犯人は自分の百億円札が破り取られた事に気がついたんだけど、その破られた百億円札と城咲さんが持っていた百億円札を交換することを思いついたの。城咲さんの百億円札は犯人がナイフで襲ったせいで血まみれだったけど、犯人は何も気にしなかった。だって、この後自分自身も血まみれになる予定だったから」

 

 そうでなくても返り血まみれなんだけどね、と付け足しつつ、彼女は更に喋り続ける。

 

「そして、犯人は更衣棟から持ってきた斧を城咲さんに振るったんだ。犯人は城咲さんに怒りも恨みも抱いてなかったけど、どうしても犯行に遠城君達の部屋から持ち出した四つの【凶器】を使う必要があったから。死んだ皆の部屋から持ち出した【凶器】の数を三つと思わせたまま四つの【凶器】を使う事で、配られた【凶器】を知らせていない人に疑いを向けさせること。それが犯人のトリックの一つだった。直接犯行には使わなかった目出し帽も、更衣棟のシャワールームに血まみれにして置いておくことで、あたかもそれも犯人が利用したように見せかけたの。遠城君の服や白衣と同じでね」

 

 つまり、最初から白衣も目出し帽も使っていなかったのだろう。それらはトリックのために使ったフリをしていただけで、だからこそ、城咲も犯人の名を残すことが出来たのだ。

 

「城咲さんに斧を振るった犯人は、城咲さんの体に刺したままだったサバイバルナイフを回収して更衣棟へ向かったの。さっき斧を取りに行ったときもそうだったけど、通路には血がつかないように気をつけてね。それで、更衣棟のシャワールームは、犯人が後処理をして逃げ出したように見せかけるために、犯行の前に血まみれにしておいてシャワー室の床も濡らしておいたんだけど、そこで最後の仕掛けが残ってたんだ。

 犯人は、城咲さんを刺したサバイバルナイフで自分の脇腹を……襲われたように見せかけるために少し後ろから刺したの。自分で刺したと疑われないように、死ぬかもしれないほど、強く。そしたら、サバイバルナイフを抜いて血まみれの棚の中に放り込んで、犯人は傷跡を必死に抑えながら大迷宮へと戻っていったんだ」

 

 被害者という絶対的な隠れ蓑のために、それは行われた。自分が死んでしまうなどとは、犯人は微塵も思わなかった。

 

「大迷宮の中まで戻ってきたら手を離して通路の中に血溜まりを作って、そこで初めて犯人は悲鳴を上げたの。今まさに、この大迷宮の中で犯人に刺されたと思わせるために。

 そして、犯人はそのまま出口まで這いずっていったんだ。誰かが、自分の悲鳴を聞いて大迷宮まで来てくれると、信じて。そして、その自分を見つけてくれる誰かに、犯人は最後のメッセージを託したの。城咲さんを殺した犯人が更衣棟へ逃げ出したって思わせるために、『白衣』の血文字をね」

 

 そうやって、長い時間を懸けて、彼女はすべてを語り終えた。

 

「これが、今回の事件の全容。君が暴いた、城咲さん殺しの真相」

 

 彼女が何を思いながら俺を見つめているのかなんて、俺にはさっぱりわからない。

 

「こんな事件を起こせたクロは――【凶器】の運搬を誰にも見られず、計画に利用できる隠し通路が用意されていて、呼びに行った城咲さんがちょうど一人きりで、襲う時には相手が血で足を滑らせて、あげた悲鳴が聞こえる位置に人がいて、気を失うほど血を流しても息絶えることもなくて、そして、自分以上に疑われる人が何人も出てきて……そんな、誰より運のいい犯人は――」

 

 けれども、そんな俺でも、理解してしまえる事は。

 

 

 

 

 

 

 

「――この私。七原菜々香しか、いないんだよ」

 

 彼女の言葉が、絶対的な真実であるという事だけだった。 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐう……うぐぅっ……!」

 

 否定したい。

 反論したい。

 論破したい。

 

 それでも、俺はただうめき声を上げることしか出来なかった。

 

 それが、七原の言葉だったから。

 

「なんで……なんでなんだよ……!」

 

 苦しみが、そんな言葉に乗って俺の口から溢れ出す。

 

「動機は……動機は一体何なんだ……! どうして、お前が城咲を殺さなくちゃいけなかったんだ!」

 

 滲む視界越しに彼女を見つめる。

 その絶望的な真実はもはや受け入れざるを得ない。けれど、どうしてもそれがわからない。あの七原が、どうしてこんな事を。

 

「……平並君なら、きっと、分かるはずだよ」

「は……? 分かるって、それ、どういう……」

「そんな事、悩むまでも無い。【卒業】するため。それ以外にあるものか」

 

 俺の困惑を遮って、聞こえてきたのは冷たい声。岩国だ。

 

「自分以外を死に追いやって、自分一人だけが【卒業】する。幸運がお前を助けた事も、お前達を励ますような言葉をかけた事も、そのための布石に過ぎなかったんだよ。結局、それが幸運の本性だった、というだけの話だろ」

 

 

 

 

 

「違う!!」

 

 

 

 

 

 自分でも驚くほど、大きな声が出た。

 

「っ……」

「七原はそんな事をしない……七原は俺を裏切るようなやつじゃない……七原は皆を見捨てたりなんかしない!」

「……なぜそう言い切れる?」

 

 眉をひそめて、不機嫌そうに岩国は尋ねてきた。

 

「凡人。お前だって、認めただろ。幸運がメイドを殺したのだと。どうして、それでもまだ幸運を信じられるんだ」

「だって、アイツは俺を救ってくれたんだぞ!」

「だからそれは、信頼を得るためにそうしただけだ。そんな嘘をいつまで信じているつもりだ」

「嘘……違う、嘘じゃない。嘘なわけがない」

「何の根拠がある。こうして幸運がメイドを殺したことこそが、幸運がお前に嘘を吐き続けていた証明だろ」

 

 妙にしつこく追求してくる岩国に違和感を覚えながら、反論を考える。

 信用を得たいなら、俺なんかよりももっと適役がいる……そんな事を告げようとして、直前ではたと思い直す。

 

 そうじゃない。

 

 七原のあの優しさが嘘でないと、そんなロジックはきっといくらでも言える。けれど、そう言えてしまう理由は、何なのだろう。

 

「……信じたいからだ」

「は?」

 

 どの口が言うのだろう。

 古池の嘘も、遠城の嘘も、杉野の嘘も火ノ宮の嘘も大天の嘘も、そして七原の嘘も。今まで散々信じたい仲間の嘘を暴き続けてきた。

 それでも、それでも。

 

「……それでも、まだ、信じたいんだ」

「…………縋りたいだけか。ただお前が見たいだけの、幻想に」

「……分かってる、そんなこと」

 

 岩国は、どんな顔をしているだろう。きっと、軽蔑か、幻滅か……いや、そもそもそう思われるほど信頼されてなどいなかったか。

 

「け、けど……」

 

 次いで聞こえてきたのは根岸のためらいがちな声。

 

「お、おまえがどう思ったって、く、クロになる理由なんて【卒業】以外にないだろ……! な、七原は、お、おまえもろともぼく達のことを、こ、殺そうとしたんだぞ……!」

「…………」

 

 クロになる理由。城咲を殺した動機。殺人を決意した要因。

 それを七原は、俺なら分かると言った。

 俺なら分かる。つまり、俺だけが知っている……?

 

「……!」

 

 そして、思い至る。

 何も悩む必要なんか無かった。七原が殺人を犯したのなら、原因はそいつ以外にはあり得ない。

 

「杉野っ!!!」

 

 ありったけの感情を乗せて叫ぶ。

 

「どうしたんです、いきなり僕の名前なんて呼んで」

「お前だろ。お前がけしかけたんだろ!」

 

 ぴんと伸ばした指先を、突き刺すように悪魔へ向ける。

 

「何を言い出すんですか、急に。七原さんを信じたい気持ちは分かりますが……僕を疑ってどうするのです。僕がそんな事をする人間に見えるのですか?」

 

 困惑した表情を作って、戸惑う声で悪魔はそう答える。見えるぞ、その奥に、俺を嘲笑うその顔が!

 

「ふざけるな! 全部お前が仕組んだんだろ! カードだって俺に直接押し付けてきたくせに!」

「申し訳ありませんが、話が見えません。……それに、あの件は無かったことにしてくれと言ったはずですが」

「なんだと……お前!」

「……おい、平並。落ち着きやがれ。どォして杉野を疑う必要がある。意味わかんねェぞ」

「覗き野郎は黙ってろ!!」

「ゥグッ……!」

「杉野、お前だ! お前なんだ!」

 

 他の皆が何も分からなくても関係ない。こいつが、この悪魔が悪いのだと叫ぶ事ができればそれでいい。

 そう思って、いたけれど。

 

「それは違うよ、平並君」

「……え?」

 

 なぜ、彼女が否定するのだろう。

 

「私が殺人を決意したのに、杉野君なんか関係ない」

「そんな訳無いだろ! だって、それ以外に、お前がクロになる理由なんて!」

 

 瞬間、何かが脳裏をよぎった。

 

 薄い、小さな、黄金(こがね)色の円盤。

 

「まさか、お前…………()()()()()()()()()()()!?」

 

 どよめきが走る。皆の視線を一身に浴びて、彼女はあっさりと答えた。

 

「ほら。やっぱり、分かったでしょ?」

 

 ああ、もはや、揺るぎない。

 

 自分の幸運を信じる彼女が、コイントスの結果に従わない理由など、存在しないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ! 議論も終わったみたいだし投票と行きましょうか!」

 

 七原菜々香が城咲かなたを殺したクロであると。

 そんな絶望的な真実が暴かれたのを見て、モノクマは玉座から立ち上がりそう告げる。

 

「ま、待ってくれ。投票は、まだ」

「何言っちゃってんの! もう結論は出たでしょ?」

「そう、だが、けど、待ってくれ!」

「さっき一回待ったでしょ? これ以上は待てません! クマの顔も一度までって言うでしょ! 二度はないの!」

 

 二度目にキレるなら『二度まで』だろ、という火ノ宮の言葉も無視して、モノクマは喋り続ける。

 

「投票のルールはさっき説明したから今度は省略するよ! 多数決でクロを決定するよ! 投票放棄は問答無用でオシオキ! じゃあ、行くよ!」

「待て! 待ってくれよ!」

「ほらほら、自分の席に戻って。さあ、それでは参りましょう!」

「待てって言ってるだろ!」

「いざ! 投票ターイム!」

 

 俺がどれだけ叫んでも、モノクマは言葉を一切止めなかった。そして、証言台の手すりの上にウィンドウが浮かび上がった。

 

「ほらほら、平並君も投票しろって! さあ!」

 

 その言葉に背中を押されるように、俺はうつろな足で自分の証言台まで戻る。

 すでに五つもモノクロになったその名前の中で、ひと際目を引く『七原 菜々香』の五文字。城咲を殺したのは七原。だから、彼女に投票しないといけない。けど、けど、けど。

 

「そろそろ皆投票終わったかな? ……なんだよ! まだ終わってね―じゃん! 早く入れてよ、平並君!」

 

 そんなモノクマの声が届く。バッと周りを見渡せば、全員俺の方を見ていた。本当に、皆は投票を終えたのだろう。おそらくは、七原の名前に触れて。

 首をひねってその七原本人を見る。彼女の『システム』から何か画面が投影されているのを見るに、ストレッチャーの上から動けない七原はそれを使って投票をしろということだろう。そして、きっと彼女も投票を終えている。誰に票を入れたのかまでは分からない。

 

 とにかく、投票をしなくてはならない。さもなければ、死が待つのみだ。

 

「カウントダウンするからね! はい十! 九! 八――」

 

 画面の隅で数字が踊る。

 投票、しないと。

 

 揺れる腕が、震える指が、画面の一箇所に吸い込まれていく。

 そして、『七原 菜々香』の名に、まさに触れようかというところで、指が止まった。

 

「平並君?」

 

 位置関係のせいで、七原から俺の投票の様子はわからないはずだ。けれども、やまないカウントダウンに、彼女は違和感を覚えたらしい。

 他の皆が俺の名を呼ぶ声も聞こえる。

 

 押さないと。

 そう思っても、指は動かない。

 

 七原が必死に組み上げたトリックを全て暴いて、そして処刑台へと送り込んで。それでどうやって、俺はこれから生きていけばいいのだろう。

 俺なんかに、生きる価値があるのか。

 

 きっと、俺の一票で結果は何も変わらない。けれども、彼女がクロであると俺が突き止めたのなら、それは俺が彼女を殺すのと何も違わない。

 そんな事をしておいて、のうのうと生きていくくらいなら。いっそここで、七原と、一緒に。

 

「四! 三! 二!」

 

 カウントダウンが進む。

 皆の声も喧しく響く。

 それでも、俺の指は動かない。

 

 嫌だ。死にたくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 

「一!」

 

 けど、これで、いい!

 これが、きっと、一番、良い――

 

 

 

 

「――凡人! 押せッ!」

 

 突如、その鋭い声が、俺の脳を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

「ゼロ!」

 

 モノクマが、高らかにタイムアップを叫ぶ。

 

 俺の眼前に『投票完了』の文字が見えた、その一瞬後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第三回学級裁判】

 

 

閉 廷 !

 

 

 

 

 

 

 

 




これでホントに裁判終了。お疲れさまでした。
長かった……。

一応触れておくと、(非)日常編の時と同じ様にエンドマークを前回出さなかったんですが、これから先はエンドマークを打った後もこういう事があるかもしれません。無いかもしれません。その辺りは未来の自分が考えることなので。

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