ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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非日常編⑥ 善き人のためのカノン

「今、なんとおっしゃいました?」

 

 珍しく困惑した声色で、杉野が俺に問いかけてくる。その声色は、きっと(ブラフ)じゃないのかもしれない。

 

「火ノ宮は明日川の風呂を覗いたんだよ。大浴場で。それを隠したくて、火ノ宮は個室でシャワーを浴びていたと嘘をついたんだ」

 

 そんな杉野に、俺は導き出した結論を告げた。

 

「何を、バカなことを……」

 

 そう告げて顔をしかめたのも一瞬で、すぐに杉野は諭すような表情を作る。

 

「……平並君。あなたが火ノ宮君の事を信じたいのは分かります。もちろん、僕だってそうです」

 

 聞こえてくる声色は、認めたくない真実に心を痛めているかのようだった。

 

「ですが、真実から逃げた先に何があるというのです。……あなたが言わないのなら、僕が言いましょう。火ノ宮君は、城咲さんを殺したのです。その罪から逃れようと、彼は嘘をついていたのです」

 

 

「それは違うぞ!」

 

 

 確信を持って告げる杉野に、それでもNOを叩きつける。

 

「火ノ宮は城咲を殺してなんかない!」

「……強情ですね」

「コイツらはこう言ってるけど?」

 

 俺達の言い合いを見て東雲が疑問を投げたのは、渦中の火ノ宮だった。

 嘘が暴かれ、何かを隠していることが明らかになった彼は。

 

「……オレは」

 

 ポツリと、本心を漏らした。

 

「オレは、明日川の風呂を覗いた……」

「……!」

 

 やはり、そうだったのか。

 

「火ノ宮君、本気で言っているのか?」

「……あァ」

 

 眉をひそめる明日川に、彼は力なく肯定を返した。

 

「ななな、何やってるの! 最低だよ! 範太ちゃん!」

「…………クレーマーの名が聞いて呆れるな。この性犯罪者め」

「ぐ……!」

 

 女性陣に驚愕と侮蔑の目を向けられ、苦しそうに胸を抑える火ノ宮。

 

「返す言葉も、ねェ……!」

「お、おまえ、ま、まじか……」

「覗きって……何、あの高い壁をよじ登ったってこと?」

 

 そんな彼の様子を見て、東雲が呟く。

 

「いや、そうじゃないんだ。……あの大浴場は、壁にうまく穴が開いてて、男子風呂から女子風呂が覗けるようになってるんだよ」

「何それ。聞いてないんだけど! ……皆知ってたの?」

 

 順に男子陣の顔を見渡す大天。それを受けて、彼らは一様にバツが悪そうに顔をそらした。

 

「どういう事?」

「……昨日、皆で大浴場に行っただろ。その時にモノクマが教えてきたんだ。そういう穴を用意したって。……俺達は覗いてないからな!」

「ふーん……」

 

 まるで信じてないとでも言いたげな目。

 

「章ちゃん、そんなものがあるってどうして教えてくれなかったの?」

「ど、どう言えって言うんだよ! い、言い出すきっかけなんかなかったし、そ、その覗き穴を使ったと疑われるのもやだったし……」

 

 と、根岸は大天の疑うような目線を見ながら答える。謂れのない疑惑を受けたままなのも癪と思ってなにか弁明をしようとしたところで、

 

「信用できないわね」

 

 と、東雲の声が聞こえてくる。

 

「そう言われても、覗いてなんか……一応、あの時は全員見張り合ってたから互いに証明は出来るぞ」

「そっちじゃないわよ。いや、そっちにしたって全員グルになってたら意味ないけど、一旦それは置いておくわ」

 

 グルって……そんなの変態集団だぞ。

 

「アタシが言いたいのは、火ノ宮の自白の事よ」

 

 つまり、火ノ宮が明日川の風呂を覗いたという事に関してか。確かに、俺も火ノ宮がそんなことをするとは思えないし、信じがたいという事には同意する。

 ただ、東雲が言いたいのはそう言うことでは無いようだった。

 

「明日川の風呂を覗いたって言ったけど、それこそ、自分の犯行を隠すための嘘でしょ」

「僕も同意見ですね」

 

 そして、その言葉に賛同する声が上がった。言わずもがな、杉野だった。

 

「でも、覗きなんて不埒な事、範太ちゃんは嘘なら言わないと思うけど」

「それが殺人と覗きの二択であれば、覗き魔の汚名くらい平気で被るでしょう。なにせ、自分が城咲さんを殺したと認めてしまえば、自分は『おしおき』されてしまうのですから」

『まあ、死ぬよりはマシだな』

 

 その言葉だけを聞けば、筋が通っているようにも思える。火ノ宮の自白は言ってしまえば口先だけだ。なんとでも言えてしまう。

 

「嘘を暴かれた彼は、どうここから弁明すべきかを考えたのでしょう。そこで、貴方が言い出した『覗き』という意見に便乗して僕達を欺こうとしているのです」

「と、というか……そ、そもそも、ど、どこから覗きなんて出てきたんだよ……ぼ、ぼくもてっきり、ひ、火ノ宮がクロだと思ったんだけど……」

 

 当然のように訝しむ根岸。俺がその結論に至った理由を説明できれば、【魔女】はともかく他のみんなは説得できるかもしれない。

 

「最初は、単に火ノ宮がクロって思いたくないだけだったんだ。だから、何か反証が無いか色々考えて、それで思い出したんだ」

『思い出したって、何をだ?』

「火ノ宮の言葉だよ」

 

 

 

──《「明日川はクロじゃねェよ。変なとこに拘るのはやめろ」》

 

──《「変なとこなんかじゃないでしょ。現に、大迷宮から更衣棟に繋がる隠し通路はあったじゃない。大浴場に隠し通路がないってどうして断言できるわけ?」》

 

──《「……仮にあったとしても、明日川は使ってねェ」》

 

 

 

「さっき明日川を容疑者から外すかどうかの話になった時に、火ノ宮は明日川をかばっただろ。明日川は無実だって。妙な確信もありそうな様子だった」

「そ、それがどうしたんだよ……け、結局明日川にはアリバイがあったんだから、その主張は当たってたってだけじゃないのか……?」

「だが、火ノ宮はその明確な根拠を言わなかったよな。アリバイの件はスコットから出た話だし、それを補強した隠し通路がこれ以上存在しないという話をしたのは杉野だ」

 

 実際の所は、杉野は火ノ宮がクロだと思い込んでいたから、そういう話をして主導権を握り、火ノ宮がクロだという話に誘導したかっただけかもしれない。けれども、コイツが何を考えながら行動したかはどうでもいい。

 

「自分自身も容疑者なのに、根拠もなしに明日川の無実を主張するなんてあり得ない。となると、火ノ宮が抱いていた根拠は人には言えないものだったんだ。じゃあ、その人に言えない理由は何か?」

「……その答えが、大浴場でボクの入浴場面(サービスシーン)を覗いていたから、というわけか」

「そういうことだ。だから火ノ宮は、嘘はついたがクロじゃないんだ。火ノ宮はただ、覗きを隠そうとしただけで――」

 

 

 

「そんな歪んだ声、聞きたくありませんね」

 

 

 

 俺の声をかき消すように、杉野の澄んだ声が響いた。

 

「……何が言いたい」

「あなたの推理が、到底聞けたものではないという事です。岩国さんの忠告を忘れたのですか? 今の貴方の言葉は『火ノ宮君がクロではない』という結論ありきで真実を歪めているようにしか聞こえませんでした」

「…………」

 

 事実、その結論を導くために頭を回したことを否定はしない。けれど、真実を歪めた気など毛頭ない。

 

「じゃあ、俺の推理のどこが間違っているかを教えてもらおうか」

「間違っているも何も、あなたの発想は突飛すぎるでしょう。岩国さんの言うところの、妄想というやつです」

 

 呆れたような声で、杉野は俺の推理を打ち崩そうとする。

 

「確かに火ノ宮君は明日川さんを無実だと判断した根拠を語ってはくれませんでした。しかしそれは、自分がクロだったからなのではありませんか?」

「……何?」

「自分がクロなら、当然明日川さんが無実ということも把握しています。だからこそ確信を持って明日川さんをかばうことができたのでしょう」

「バカ言うな。クロがそんな事をして何になる。自分から容疑者の枠を減らす事になるんだぞ」

「あの時点での容疑者は火ノ宮君を除くと明日川さんと東雲さんの二人……この状況下で、火ノ宮君がクロだと疑うのなら状況証拠を考えやすい東雲さんしかいないでしょう。後でその主張をするために、明日川さんの方に対しては無実を主張したのではありませんか? 実際、火ノ宮君はその後東雲さんを攻め立てましたよね?」

 

 

──《「そもそも、明日川が容疑者から外れるかどうかなんて関係ねェんだよ! 東雲がクロに決まってるんだからなァ!」》

 

 

 確かに、そういう流れにはなった。なったが。

 

「お前だって気づいてないわけじゃないだろ。容疑者が残り二人だけになったら、互いが互いをクロだと主張するしかあり得ないんだよ」

「そうですね。自分がクロだということを隠さなければなりませんから」

「そうじゃない! 自分がクロじゃないんだから、相手をクロだって指摘するのは自然なことだって言ってるんだ!」

 

 と、わずかに反論を試みるものの、本質的な反論にはなっていない。俺は杉野が口にした可能性を何も否定できていないし、火ノ宮が風呂を覗いたという自分の主張も何一つ証明できていない。

 

「いかがです? 自分の主張がどれほど荒唐無稽なのかが理解できましたでしょうか」

「…………」

 

 ……厳密に言えば、致命的に俺の主張が否定されたわけじゃない。杉野の主張だって不十分のはずだ。まだ、互いに自分の意見を言い合っているだけに過ぎない。けれども、俺と杉野の口論になれば、他のみんながどっちを信用するのかはなんとなく肌でわかる。

 互いにロジックが完璧でないのなら、あとは口八丁の杉野の言葉のほうが説得力が強く聞こえてしまう。火ノ宮がクロでないと信じている俺でさえ、杉野の言葉に揺さぶられているのだから。

 まさか、本当に、火ノ宮が……そんな想像が脳裏をかすめる。

 

 違う。惑わされるな。信じろ、火ノ宮を。……覗きをしたやつを信じるというのも、おかしな話だが。それでも、人を殺すという行為の前には遥かなる壁がある。火ノ宮はその壁を飛び越えるようなやつじゃないはずなんだ。

 

 とにかく、なんでもいいから確実に火ノ宮が覗きをしたという証拠が必要だ。俺が根拠にしたような台詞回しを捉えたようなものじゃなく、もっと確定的な、何かが。

 けれども、何も思いつかない。男子風呂の床でも濡れていれば話は別だが、誰もそんな所を捜査などしていないだろう。

 

 考え方を変えよう。要は、覗きそのものを証明できなくとも、火ノ宮と明日川が同じ時間に大浴場にいたことさえ証明できればいいのだ。その証拠を今俺が持っていなくとも、渦中の明日川か火ノ宮から引き出せればいい。

 そうだ、音はどうだろう。明日川に聞いて、男子風呂から音や声が聞こえなかったかを質問すれば……いや、聞こえていたのならもうとっくに言っているか。洗い場のシャワーの音が向こうまで届いているかは定かじゃないし、火ノ宮が覗きのために大浴場に来たのなら、下手に音を立てて明日川に気取られるのは避けたはずだ。

 となると、他に証明できそうなことは……。

 

「……明日川。お前が大浴場で風呂に入っている時、何か独り言を喋ったりしたか」

 

 そう考えて、次に思いついたのはこれだった。

 

「いや、すまない。ボクは地の文は多いが独り言を語るキャラクターではないのでね。大浴場で独りごちてなどいないんだ」

「そうか……」

 

 返ってきたのはそんな台詞。

 明日川が女子風呂で呟いた台詞を火ノ宮が言い当てることができたのなら、火ノ宮が明日川と同じ時間に大浴場にいたことになり、すなわち、火ノ宮にもアリバイが成立する。これなら、火ノ宮の無実を証明できる。そう思ったのだが、そもそも喋っていないというのなら言い当てるも何もない。

 言われてみれば、至極当然である。湯船に浸かる音くらいは聞けたかもしれないが、一人でべらべらと喋り続けるやつはいな……いても露草くらいだ。皆で大浴場に行った時に破廉恥な話を明日川は楽しそうに喋っていたが、アレも皆がいてこそだろうし。

 

「……あ」

 

 と、あの時の会話に思いを馳せた瞬間だった。

 あるじゃないか、明日川の風呂を覗いた人間しか知り得ない事実が!

 

「……ほくろだ!」

「え?」

「明日川のほくろだよ! 明日川は確か、服の下にほくろがあったはずだろ? その位置を火ノ宮が正確に言い当てられたら、火ノ宮が明日川の風呂を覗いた証拠になるんじゃないか!?」

「そ、そっか……!」

 

 俺のひらめきに賛同した根岸とともに、バッと明日川の方を見る。そんな俺達に突き刺さるのは、女子勢の冷たい視線だった。

 あれ?

 

「あったはずだよな? あ、細かい位置を言うと確かめられなくなるから、あったかどうかだけ教えてくれればそれでいいが」

「いや、確かにボクの胸部には、素肌(カバー下)の、入浴時でなければ見つけられない(読めない)位置にほくろがあったけれど……」

「そうだろ? だったら、それを……」

「アンタ、なんでそれを知ってんのよ」

「えっ?」

 

 …………あ。

 

「おい、凡人。やっぱりお前あの時俺達の事を覗いたのか!」

「そういえばさっき章ちゃんも知ってたみたいだけど、もしかして、章ちゃんも……」

「違う違う!」

「ご、誤解だ……!」

 

 二人揃って手をブンブン振って、あらぬ疑惑を否定する。

 そうか、そういう勘違いをされるのか……!

 

「ええと、別に覗いたんじゃなくて……」

 

 一瞬、口ごもる。しかし、まあ、言わないといけないか。気恥ずかしくて黙っていたことだったが、黙り続ければ根岸ともども覗き魔の汚名を被る事になってしまうし。

 

「覗いたんじゃないなら、どうして図書委員のほくろの事を……ああ、そうか。聞こえたのか?」

「ああ……ほら、皆で風呂に入った時に、お前たち色々騒いでただろ。その時に、岩国が明日川の胸のところにほくろがあるって言ったのが聞こえたんだよ」

「聞こえたって……ちょっと待って。あの大浴場、声が届くの?」

 

 眉間にシワを寄せる東雲。

 

「アタシ達が入ってる時は、別に男子風呂の声なんて聞こえなかったけど」

「オレも初耳だ。何だァ、その話は?」

「……女子が来てからは、俺達は喋らなかったからな。火ノ宮は、女子がいる間はずっとサウナにいただろ。だから知らなかったんだよ」

 

 途中でサウナから戻ってきた根岸も当然知っている。スコットも知っているはずだが、彼は途中でサウナに行ったからほくろのことまでは知らなかったかもしれない。

 

「ああ、だから数行前、ボクに独り言の有無を聞いたのか。それを火ノ宮君が聞いて(読んで)いれば、証言することが可能になるからな」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! じゃ、じゃあ、あの会話、全部聞かれてたの!?」

 

 顔を赤くして露草が叫ぶ。

 

「だ、だからお風呂から上がってからの章ちゃん、様子がおかしかったんだ!」

「う、うう……し、仕方ないだろ! あ、あんな話聞かされてたんだから!」

「ていうか、黙ってたって事は私達の会話をじっくり聞いてたってことでしょ!? それって盗み聞きじゃん!」

「盗み聞きというか、いや、まあ、そうなんだが、じっくり聞いてたというよりは、話すことが無かったと言うか……」

 

 大天の指摘に、しどろもどろになりながら返答する。

 

「不可抗力、そう、不可抗力みたいなもので」

「何が不可抗力よ。聞こえてるってそれこそ壁越しに叫んでくれたら済む話じゃない」

 

 呆れたように白い目で睨みつけてくる東雲に反論される。返す言葉もない。

 

「うう……」

「まあ、皆、そう言ってやるな。彼らは皆たぎる情熱を溜め込んだ現役男子高校生なんだ。猥談に台詞を挟み込む余裕などなく、脳内をピンク色(官能的表現)に埋め尽くされたのだろう。まともな性的発散もできずにもう10日も経っているのだから、健全な男子にはさぞ辛かろう」

「アンタ、どの立場で言ってんのよ」

「全部お前のせいだろ、変態!」

「その呼び名の(くだり)、まだ終わっていないのか!?」

「棗ちゃんが変なこと言うから思い出したんでしょ!」

「て、ていうか、そ、そこまでやましい事考えたわけじゃないからな!」

『そこまで、ってことはちょっとは考えたのか?』

「………………べ、別に、そういうわけじゃ……」

『顔真っ赤だな』

「う、うるさい……!」

 

 猥談の盗み聞きを巡って、口論が激しくなる。

 そのやかましい声が飛び交うさなか、今までそれを黙って聞いていた杉野が口を開いた。

 

「いい加減にしてください。岩国さんまでどうしたのです。今は学級裁判中ですよ?」

「……ふん」

「わ、わかってるよ……」

「はあ。ま、それもそうね」

「……その、盗み聞きして悪かった」

「もういいわよ。アタシはそんなに恥かいてないし、悪いのは変な話してた明日川だし。それよりどうなのよ、火ノ宮。ほくろの場所、答えられるわけ?」

 

 結局、東雲がそう火ノ宮に質問を振る。

 火ノ宮が明日川のほくろの位置を答えられれば、火ノ宮の潔白が……いや、覗きはしたから潔白とは言えないが。とにかく、火ノ宮がクロじゃないということが証明される。

 

 視線を一身に浴びる火ノ宮はしばらく黙りこくっていたが、意を決したように口を開いた。そして聞こえてきたのは、彼らしくない細く弱い声だった。

 

 

 

「…………向かって右…………だから、本人からすれば左の乳首の一センチ下。そこにほくろがあった」

 

 

 

 それは、自らの覗き行為を証明する決定的な自白だった。

 

「ふむ。確かに火ノ宮君は、ボクの入浴シーン(サービスシーン)を覗いていたらしい。彼の台詞に校閲すべき所はないな」

「……そうか」

 

 明日川本人も、それが口から出任せでないことを認めた。

 

「決まりだ」

「………………」

 

 そのやり取りを受けて、杉野はついぞ黙り込んだ。彼自身も理解したのだ。自分の主張が間違っていた事を。【魔女】として、火ノ宮に犯行を行わせる事に失敗したという事を。

 それがショックだったのか、彼は苦い顔をしながら問いかけた。

 

「……なぜ、覗きなんてしたのです」

「……………………魔が、差したんだ」

 

 その問いに、火ノ宮はたっぷり間を開けてから答える。

 

「元々、目ェ覚ました直後だったから個室でシャワー浴びようと思ってたんだよ。ただ、宿泊棟で明日川と会った時に大浴場に行くっつー話を聞いて……今なら覗けるかもしれねェって思っちまった」

「そ、それで、あ、明日川の後を追って大浴場に行ったのかよ……?」

「……あァ」

 

 力なく頷く火ノ宮。

 

「食事スペースにいた城咲には見つかったけど、普通に風呂に入るっつったら何も疑われなかった。……話を聞くに、ちょうどスコットがトイレに行ったタイミングだったんだろォな」

「……それで、覗きをしたというんですか」

「…………あァ、そうだ」

「……ちょっと待て、ヒノミヤ」

 

 杉野に肯定を返す火ノ宮に、スコットが待ったをかける。

 

「タイミングからして、お前も明日川と同じように大浴場であのアナウンスを聞いたんだよな」

「あァ」

「……だったら、なんで個室でシャワーを浴びたなんて嘘をついたんだ。だって、オマエが大浴場に行ったことはシロサキが知ってるだろ。嘘なんてついたってすぐにバレるとは思わなかったのか」

「…………」

 

 そう、スコットに問われて。

 

「…………明日川から少し遅れて大浴場を出た時に、お前達が中央広場で話してるのが聞こえたんだ。さっきから、城咲がいねェって」

「……おい、火ノ宮。お前まさか……」

「そん時、思ったんだ。俺が大浴場に行ったことを知ってるのは城咲だけだっだから……もし死んだのが城咲だったら、覗きどころか俺が大浴場に行った事自体隠し通せるかもしれねェって、思ったんだ。それなら、万が一にも覗きなんかバレねェかもって、思っちまったんだ……」

「……オマエっ!」

 

 バン、と証言台を叩く音。

 

「シロサキが死んだかもしれないって時に、そんなくだらない保身を考えてたのか! ふざけるな!」

「…………ぐゥ……」

 

 スコットのその叫びを、火ノ宮はただうなりながら聞いていた。彼の正論に返せる言葉なんて、なにもなかったのだろう。

 

「……なあ、火ノ宮」

 

 そんな、覇気のない姿に失望を覚えながら、彼に問いを投げかける。

 

「その状況で覗きができるかもって考えてしまうのは、なんとなく、分からないでもない。だが、それにしたって、どうしてよりによってお前が覗きなんて実行に移してしまうんだ。モノクマが覗き穴のことを教えてきたときだって、誰より一番に食ってかかってたのはお前じゃないか」

 

 

 

──《「覗きはれっきとした犯罪だろォが! 施設長が犯罪を推奨してんじゃねェ!」》

 

 

 

「ルールや規則を絶対的に守ろうとするのが、お前の一番の個性(才能)だろ……? そんなお前がどうして……」

「……別に、オレァそこまでできた人間じゃねェよ」

 

 返ってきたのは、そんな自嘲的な言葉だった。

 

「ダメな事はダメだって、自分にそう言い聞かせて清廉潔白な人間であろうとしてただけだ。…………もう今更だから言うけどよ、普段から女子連中の裸を見てェって思ったり、四六時中服の下の胸や尻を妄想したりしてるような人間なんだよ、オレは。そりゃァ、裁判や処刑の直後とかまで考えてるわけじゃねェけどよ」

「……!」

「そ、そういえば、み、皆で風呂に入った時に、い、意味もなく見張りとか言って覗き穴の前に立ってたけど……」

「……あァ。覗き穴があるっつーからどんなもんか気になって……んで、調べようとしたところにてめーらが来たから、とっさに適当に言い訳付けただけだ」

「…………」

「……何、男子って皆こうなわけ?」

「一緒にするな。それに、覗きだってやろうとは思わない」

 

 呆れながら軽蔑の目を向ける東雲の嘆きに、スコットが即答した。

 

「……オレだって、覗きがやりたくて生きてるわけじゃねェよ。いつも我慢してっし、覗きなんて初めてやった」

『我慢が必要なのかよ』

「あれ? でも、なんで今日は我慢できなかったの? そんなに棗ちゃんの裸が見たかったの?」

 

 素朴な露草の質問。それに、火ノ宮は明日川を一瞥してから答えた。

 

「……別に、そういうわけじゃねェよ。裸が見てェのは明日川だけじゃねェし。……もっと胸のでかいヤツは多いし、そうじゃなくても皆美人揃いだろ」

「…………胸があるのがそんなに偉いの……!?」

 

 小声でぼそりとつぶやく大天を無視して、火ノ宮は話を続けた。

 

「……人のせいにするワケじゃねェけどよ。明日川の風呂を覗けるかもって思った時に、杉野に言われた事を思い出したんだよ」

「…………僕は、どんな事を言いましたっけ」

「昨日の晩、少し話したよな。そん時に、あまり神経質になっても仕方ねェ、もっと自分に素直になってもバチは当たらねェ……んな事を言ってくれただろ。それを思い出して……我慢できなくなったんだ」

 

 その返答を聞いた杉野は、顔をしかめて頭を抑えた。

 

「…………僕が言いたかったのは、そういうことじゃありませんよ……」

「あァ、わかってる。……てめーは俺をねぎらっただけだ」

 

 違う。

 おそらく杉野は、【言霊遣いの魔女】として火ノ宮に語りかけたのだ。本当はもっと緻密な会話の誘導があった上で、誰かに敵意を抱くような、そんな過程(フェイズ)を経て、殺人を犯させるきっかけとして杉野はその言葉を火ノ宮に送ったのだ。

 『僕が言いたかったのはそういうことではない』という杉野の言葉は、きっと【魔女】としての本音だったのかもしれない。

 

「………………」

 

 沈黙を経てから、杉野は一つため息をつく。

 

「平並君」

 

 そして唐突に俺の名を読んだ。

 

「……なんだよ」

「先程お渡ししたアレ、無かったことにしてください。どうやら、この事件は僕が思っているものとはどうも異なっているようですから」

 

 自然、ズボンのポケットに意識が向かう。杉野が告げているのは、あの忌まわしきジョーカーの事だ。【言霊遣いの魔女】として他人に殺人を犯させた、その宣言となるカード。

 そんな悪魔的な物を、うまく行かなかったから無かったことにしろなどと都合のいいことをよくぞ言えたものだ。

 

「…………ああ、そうかい」

 

 取り消すのなら勝手にしろ。今更、お前の図々しさに腹も立てない。そんな思いを込めながら、俺はぶっきらぼうにそう返した。

 

「……な、何の話……?」

「ちょっとした、個人的な話です。お気になさらず」

「そ、そう……」

 

 軽く眉をひそめながらも、根岸はそれ以上問い詰めてきたりはしなかった。杉野の堂々とした返答に、妙な納得を覚えたのかもしれない。

 

「それにしても、火ノ宮君には悪い事をしたかもしれないな」

 

 杉野のそつのないふるまいに内心ため息をついたところで、そんな明日川の台詞が聞こえてきた。

 

「あァ? なんでてめーがんな事言い出すんだ。悪ィのはどう考えても覗いたオレの方だろ」

「その台詞は間違っていないし、キミは十分に反省すべきだとは思うが。しかし、キミも数ページ前に述べたとおり、この物語には魅力的な女の子(ヒロイン)が大勢いるだろう? せっかく訪れた覗きの機会(チャンス)だというのに、その相手がボクみたいな魅力の薄いサブキャラだったなんて、キミとしても不満のある所ではないかと思ってね」

 

 魅力の薄い、ねえ……思い返せば、女子風呂から聞こえてきた会話でも、明日川はあまり自分の体に良い印象を持っていなかったような気がする。皆を物語の登場人物として見る明日川は、反面自分を主役の一人とは思っていないようだ。

 それは、卑下しているからというよりは、そんな価値観を持っているから、そういう台詞を告げるのかもしれない。

 

「あァ!? 何言ってやがる!」

 

 そんな明日川に向けて、火ノ宮が吠えた。

 

「魅力が薄いだァ? んなわけねェだろ! あんだけイイ体してるくせにとぼけたこと言ってんじゃねェぞ! インドア気質のおかげで全身卸したての絹みてェに真っ白な肌してんじゃねェか! そんだけで芸術品みてえな目を奪う魅力があんだろ! 幻想的っつーか神秘的っつーか、その綺麗な肌のおかげで胸もでかい真珠みたいに輝いてたしよォ、そのくせ腕が胸に当たるたびに擬音が聞こえて来るかと思うぐれェ柔らかそうに潰れてたし魅力満点どころじゃねェんだよ! てめーは体型が華奢なんだからコントラストで余計立派に見えて湯船に入ってねェのに逆上(のぼ)せるかと思ったんだよこっちは! それにその先端にある遠目からでもはっきり分かる薄紅色! 恥じらうみてェに小さくぽつんと存在してっから余計に目を引いて視線が釘付けになっちまうんだって! その直ぐ下にあるくっきりとした黒子(ホクロ)が淡い色の乳首のエロさと美しさを増幅させてんだよ! 尻だってそうだ! 真っ白で滑るような肌に包まれて丸く光ってただろォが! 小ぶりな癖にちゃんと柔らかそうな上にハリがあったしよォ! あとやっぱ何と言っても鎖骨だろ! 真っ白で綺麗な素肌から浮き出るまっすぐな鎖骨! けど浮きすぎてるわけでもなくて、首元にできる浅い三角形が全身の中で良いアクセントになってんだよ! ちょっと力を加えたら折れちまいそうなくらい細いのに確かにそこに影を落とす存在感が、柔らかそうなまんまるの乳と相まって裸のお前の立体感を強調させてんだ! 全身くまなく天使みてェに綺麗で濃艶な体してんだから魅力が薄いとかなんとかふざけたこと言ってんじゃねェ! 意味分かんねェ謙遜なんかしてんじゃねェよ!」

 

 その叫びは中空に吸い込まれ、裁判場には静寂が訪れた。

 

「…………」

 

 沈黙と共に、皆一様に火ノ宮を見つめていた。嫌悪とも幻滅とも軽蔑ともつかない目を向けて。少なくとも、驚愕という想いがその大部分を占めていることに間違いはなかった。

 

「………………ハッ!」

 

 そして一瞬黙り込んだのち、自分が何を口走ったのかを理解して火ノ宮は口を抑えた。

 

「ふむ。キミに覗かれたことに対しても恥じらいは覚えていたが、こうして公衆の面前でボクの裸体について描写されるのもとびきり恥ずかしいものだな。それほどの長台詞を、これほどまでに熱を込めて言われたのなら、なおさらね。それにしても、キミもこうして他のキャラクターの艶姿を広く知らしめんとする趣味を持っていたとはな。いやはや、キミの意外な側面(設定)をこうも立て続けに知ることが出来るとは、思ってもいなかったよ」

「ちげェ! 誤解だ! んな意図なんざねェ! 悪かった!」

「意外ではあるが、キミは博識だ。先程のキミの台詞を鑑みても、キミはさぞ多くの官能小説を読んできたことなのだろうな。描写がやけに詳しいじゃないか」

「読んできてねェよ! まだ七冊だけだァ!」

「そ、そんだけ読んでれば十分だろ……! ふ、普通は一冊もないよ……!」

「というか火ノ宮君、鎖骨って……趣味がすごいニッチじゃん」

「うるせェ! 良いだろ好きなんだからよォ!」

 

 恥ずかしい、と口にする明日川は流石に頬を少しだけ赤らめていたが、対する火ノ宮は彼女以上に顔を真っ赤に染め上げて叫び倒している。覗き覗かれた関係としては逆じゃないのか、と思わなくもない。……キミ『も』って事は、明日川自身もそういう趣味があるのか。

 呆れながら明日川の様子を眺めていると、先程火ノ宮が口にした言葉が脳裏によぎる。自然とそれを映像に組み直すように、彼女の……彼女の言うところの『カバー下』に想像が及ぶ。天使と称されるほどの白い肌に包まれた膨らみの先端に、一つほくろを添えた乳首が

 

 

 

「あー! 変なこと考えてる!」

 

 

 

 露草の叫びで、ビクリと体が震えて意識が現実に帰ってくる。

 

「琥珀ちゃん! 今棗ちゃんの裸想像してたでしょ! そんな事しちゃダメだよ!」

『そ、そんなこと考えてねえよ! なあ、凡一!』

「なんでこっちに振るんだよ! 当たり前だろ!」

 

 と、嘘をつきつつ、変な妄想を振り払う。明日川に失礼だし、そんな事をしている場合じゃない。

 

「……もう覗きの話はどうでもいいわ」

 

 軽蔑するような目を俺にも向けて、ため息と共に東雲がそう口にした。俺は覗きなんてしていないのに、そんな目で見ないでほしい。

 

「学級裁判中よ? クロを見つけ出す話をしましょう。火ノ宮のことは覗かれた明日川に任せるわ。アンタ達似た者同士みたいだし、変態にこれ以上関わりたくないもの」

「ぐっ…………」

「俺もそれには賛成だ。ただ、クロを見つけ出すと言ったが、お前、今の状況がわかってるのか?」

「わかってるわよ? もちろん」

 

 そう答える東雲は、なぜか挑戦的な笑みを湛えていた。

 

「火ノ宮が明日川の風呂を覗いてたってことは、火ノ宮は無実ね。姿は見られてないけど、明日川と一緒のタイミングにいたんだからアリバイが成立するもの」

「……ああ。そうなると、容疑者は……」

「アタシ一人、って事になるわね」

 

 俺の台詞を途中で奪ってまで、現状の窮地を告げる東雲。

 

「じゃ、じゃあ、お、お前がクロってことに……」

「そうなるわね。けど、当然アタシはそんなの認めないわ。だって、アタシはクロじゃないんだもの」

 

 彼女の言葉の真偽がどうあれ、容疑者に一人取り残された時点で彼女はかつてない窮地に立たされているはずだ。

 

「それじゃ、議論を始めましょうか!」

 

 それでも尚、その彼女の声は喜悦を孕んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロを突き止めるに当たって、アタシとしては容疑者の考え直しからしたいところだけど」

 

 東雲は、そう議論を切り出した。東雲がもし本当にクロでないのならば、彼女からすれば容疑者の絞り込みの時点でミスがあったという事になる。

 

「その前に、あなたがクロなのかそうでないのか、という議論が必要でしょう。その他の可能性を考えるのは、東雲さんがクロでないと証明できた後です」

「そうなるわよね。さて、どうしたもんかしら」

 

 ただ、そうするには自らの無実の証明が必要だと本人も最初からわかっていたのだろう。東雲は、顎に手を当てて考え出す。

 

「凶器の数の問題はあるけど、どうせ何かトリックが使われたに決まってるんだからこれは言ってもしょうがないし……」

「ど、どうせ証明なんか無理だろ……お、お前がクロなんだろうし……」

『それをこれから話し合うんだろ?』

「で、でも、も、もう東雲しかいないじゃないか……あ、明日川も火ノ宮もクロじゃなかったんだし……そ、それに、い、一番怪しいのは東雲だって言っただろ……?」

「そんな事言うなら、犯行を完遂する時間がアタシにはなかったってのも言ったはずだけど。けどまあ、それじゃアンタは認めないのよね」

 

 現在、容疑者として疑われているのは東雲ただ一人。髪を濡らして大迷宮に現れた三人のうち、明日川と火ノ宮は犯行時間に大浴場にいた事が証明されたからだ。

 その東雲は、事件が発生する直前まで俺達と共に体育館にいた。そこで彼女と別れてから七原の悲鳴を聞くまでそう時間は経っていない。それを東雲が無実である根拠と見ることもできるが、どうにもそれ以上に東雲がクロだと思える根拠が多い。何より、火ノ宮とは違って『コイツならやりかねない』という疑惑が全員の共通認識に刻まれている。

 

「だから、他にもっとはっきりとした証拠が見つけられたらいいんだけど……」

 

 つぶやきながら視線を上げ、東雲は何かを思い出そうと脳を絞る。

 

「……あ」

 

 そして、その何かに思い至った。

 

「何か見つかりましたか?」

「そうね……いや、んー……」

「なんだい、その煮え切らない台詞は」

「思いついた事はあるけど、反論になってなかったのよ。だから言わないでおくわ」

 

 まあ、学級裁判で色々考えているとそういうことはよくある。

 

『一応教えてくれよ。それがヒントになるかもしれねえだろ』

「……死体発見アナウンスよ」

 

 意味はない、と思っているのだろう。ためらいがちに、東雲は口を開いた。

 

「死体発見アナウンスが鳴ったのは、アタシが城咲の死体を見つけたときよ。その時はアタシ一人だったけど、そのすぐ後に平並が来たからそれは証明できるはずよ」

 

 東雲から送られる視線に、俺はうなずきを返す。タイミングを鑑みれば、確かに東雲が城咲を発見したことによってアナウンスは鳴ったのだろう。そうでなければ、誰かが名乗り出なければおかしいし。

 

「つまり、アタシは三人目の死体発見者ってことになるのよ」

「け、けど、そ、それって」

「無実の証明になんてならないって言いたいんでしょ。分かってるわよ」

 

 死体発見アナウンスは、三人が死体を発見した時に流される。けれども、そこからクロを特定することはできない。

 

「犯行を終えたシノノメがヒラナミと合流して、その後シロサキの死体を発見したところで発見者として数えられてアナウンスが鳴った……そう考えられるよな」

「本当にアタシがクロならね」

 

 飄々とした東雲の態度。タフと言うべきか図太いというべきか。

 

「そうですね……今回の捜査中にも念の為に確認しましたが、あのアナウンスが流れる条件である『三人の発見者』には、たとえそれがクロだとしても改めて死体を発見したのなら含まれるそうですから。アナウンスからクロの特定が行われないようにね」

 

 今杉野が口にした理由が、アナウンスがクロの特定に役立たない理由だ。

 

「改めて、か。辞書的な意味としては、一度現場を……今回であれば大迷宮を離れた後に、という解釈で誤植はないか?」

「ああ、問題ないと思う。モノクマは、クロに限っては犯行時は死体を見てもそれは見逃すと言っていた。そうしないとクロが必ず第一発見者に、なってしまう、し…………」

 

 そこで、口が止まった。

 自分の喋った言葉に、自分で妙な違和感を覚えた。

 

 ……本当にそう言っていたっけ?

 

「む? どうした?」

「…………」

 

 思い出せ、モノクマの言葉を。アイツは、なんと言っていた?

 

 

 

──《「まあでも基本的には、死んでるのを発見したら発見者としてカウントするってのがベースなんだよ。ただ、直接手を下したクロがそのまま死ぬ瞬間を目撃してもそこはスルーしてあげる、って感じかなあ。こんな答えで満足?」》

 

 

 

 ……『死ぬ瞬間を目撃』?

 

「……あ!」

「……何か、ひらめいたようだな」

「ニュアンスが違うんだよ! 勘違いしてたんだ!」

 

 俺のその言葉を聞いて、皆が眉をひそめる。

 これが勘違いなら、もしかして……!

 

「勘違いとは、どういう意味です?」

「杉野、お前がモノクマに聞いてただろ。発見者の条件だよ。さっき俺は、『クロに限っては死体を見ても見逃す』って言ったけど、モノクマの言葉は、厳密には少し違ったはずだ」

「…………ああ」

「ど、どういうこと……?」

 

 杉野は今の言葉でわかったようだが、他の皆には説明が必要だ。

 

「杉野がモノクマに発見者の条件について聞いたとき、モノクマはこう答えたんだよ。『直接手を下したクロがそのまま死ぬ瞬間を見てもそこは見逃す』って。だから例えば、古池が新家を殺した時にはこのルールが当てはまったはずだ」

 

 あの最初の事件で発見者となった三人は、根岸と七原、そして俺だった。この中にクロの古池は含まれていない。

 

「ああ、だから犯行時は発見者にならないという話だろ? シノノメがもう一度発見した時に発見者としてカウントされて――」

「今回の事件は、このルールが適用されたのか?」

 

 スコットの言葉を遮る。

 

「……え?」

「あ、当たり前だろ……し、城咲をナイフで刺して、そ、そのまま城咲が死ぬのを見てたはず………………あ」

 

 根岸も、気づいたようだった。

 

「違うよな。クロは城咲を刺した後、一度現場を離れてる。犯人が目を離したその隙に、城咲はダイイングメッセージを残して死んだんだ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ」

「……!」

 

 衝撃が走る。

 

「でも、それだって結局、瑞希ちゃんがクロかもしれないって話は変わらないんじゃないの? 犯行の時に発見者に数えられなかったって話なんだよね?」

 

 

 

「随分浅い考えね。もっと深く考えなさいよ」

 

 

 

 露草の言葉を、東雲がぶったぎる。

 発見者の条件と今回のクロの動きを突き合わせて考えれば、真実が見えてくる。それに、東雲自身も気づいているようだった。

 

「クロが斧を持ってチェックポイントに戻ってきた時、城咲はどうなってるかしら?」

「えっと……クロが戻ってくる前にかなたちゃんは死んじゃったんだから、もう、死体になってるってことで……」

「そう! それって、『クロが城咲の死体を発見した』ってことよね?」

「………………!」

「じゃ、じゃあ……ま、まさか……!」

 

 東雲の言葉で、その真実に全員が思い至る。

 

 

 

「ああ、そうだ。クロは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ!」

 

 

 

 誰かが息を呑む音が聞こえた。

 

「……モノクマ、実際のところ、そうなのですか?」

「『そう』って? 質問を明確にしてくれないと余計なヒントになっちゃうし、こっちも答えようが無いんだけど!」

「……クロが現場を離れている間に被害者が死亡し、そしてその後にクロが現場に戻ってきた場合は、死体発見アナウンスの条件となる発見者としてカウントされるのですか?」

 

 めんどくさそうに杉野は眉をひそめながら、それでも丁寧にモノクマに質問を投げかける。

 

「んー、その場合はそうなるかな。色々どうかとも思ったんだけどさ、やっぱルールは厳密に適用するべきだからね! これで変なことになったらまたルールを考えればいいし!」

 

 果たして返ってきた言葉は、俺達の推理が正しいことの証明だった。

 

「なら、クロは城咲の頭を叩き割った時点で、死体の発見者として数えられていたって事になるわね」

「だから、東雲はクロじゃない! 東雲が死体の発見者としてカウントされたのは、俺達と合流した後に死体を発見してアナウンスが流れた、あのタイミングなんだから!」

 

 そして、俺は彼女の無実を声高に叫ぶ。彼女がクロなら、彼女が死体を再発見してアナウンスが鳴るなんてありえないのだ。

 

「……じゃ、じゃあ、よ、容疑者がいなくなっちゃうじゃないか……!」

 

 東雲は、最後に残った一人の容疑者だった。その東雲が無実だったのなら、確かにそうなってしまう。

 

「いや、容疑者ならいる」

 

 けれども、今たどり着いた真実によって、俺達の推理の前提はひっくり返った。

 

「俺達は、容疑者の条件をシャワーを浴びた人間だと思っていた。だが、本当に考えるべきは、誰がアナウンスの前に死体を発見したのかだったんだ」

「で、でも、あ、あのシャワールームが……」

「全部、コイツの手の上で踊らされてたんだ。更衣棟にあった数々の証拠も、あのシャワールームの痕跡も、全部フェイクだったんだ。誰も、シャワーを浴びてなんかいなかったんだ」

 

 俺は、その人物を見つめながら推理を語る。東雲の前に城咲の死体を見たのは、誰だ。

 

「クロは城咲を襲った後、シャワーで返り血を流して外に逃げた……俺達にそう推理させる前提で、自分はあえて迷宮に留まっていたんだ」

 

 その人物へ、俺達の視線も集まっていく。

 

「だが、わざと迷宮の中にとどまるのなら、どうしても城咲の死体を東雲よりも先に見たと言わざるを得なかった。東雲より先に大迷宮に来たことは覆しようがないし、あの誘導のための血痕を付けてしまった以上『城咲の死体を見つけられずに迷った』なんて事も言えなかったから」

 

 自分が犯行の時点で発見者としてカウントされていることに気づいてはいなかっただろう。それでも、そう主張するのが一番自然だったはずだ。それが、モノクマの判定と一致した。

 

「だから、お前は城咲の死体を見ざるを得なかった。見たと主張しない訳にはいかなかった。それが、巡り巡って自分の首を締めるとも知らずに」

 

 そして、俺は遂にその名を口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなんだろ、大天」

 

「…………」

 

 射抜くような鋭い視線が、俺の視線とぶつかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何言ってるのかよくわかんないんだけど」

 

 彼女が絞り出したのは、そんな言葉だった。

 

「お前がクロだって言ってるんだ。お前が、城咲を殺したんだろ」

「……違う。私じゃない! どうして私がクロなんて話になるの!? クロは更衣棟でシャワーを浴びたんだから、髪が濡れてた三人のうちの誰かじゃなかったの!?」

「言っただろ、そう思わせることがお前の作戦だったんだ。偽装工作によってそう思わせておいて、自分自身は返り血を付けたまま堂々と大迷宮に残ることで、容疑者から外れることを目論んだんだ」

 

 そして、その術中に俺達はまんまとハマっていた。

 

「そんなのこじつけじゃん! たまたまそうなっちゃっただけだって!」

 

 俺の言葉に、大天は懸命に反論を返す。

 

「しかしだ、髪を濡らしたボク達は三人とも犯人(クロ)では無いんだ。ならば、少なくともあのシャワーの件が偽装工作(ミスリード)であることに反論の余地は無いはずだが」

「じゃあ、本当のクロもシャワーを使わずに逃げたんだよ!」

「しゃ、シャワーを使わずに、ど、どうやって返り血を処理したんだよ……! ち、血がついてたのはお前だけだぞ!」

「知らないよそんなの! ほら、白衣と目出し帽を着てたんでしょ? じゃあ、そもそも返り血なんてつかなかったんだよ!」

「あんな薄い布で返り血は防ぎきれないって、それこそずっと前に話したはずだろ。それでも返り血がつかなかったって言うなら、その返り血を防いだ方法を教えてくれ」

「つーかよォ、他のヤツにクロの可能性があるかなんて関係ねェんだよ。アナウンスの件が覆らねェ以上は、てめーがクロかどうかが問題なんだ」

「ぐぅ……」

 

 彼女の反論を俺達は次々に封殺する。

 尚も彼女は自らの無実を主張するが、それは疑いを晴らすほどのロジックを孕んでいなかった。

 

「じゃあ、凶器は? 凶器の数はどうなるわけ!? モノクマに配られた凶器が使われたはずなのに、数が足りないんでしょ!? じゃあ、私にも犯行は無理ってことじゃん!」

「それこそ何度も申し上げているでしょう。それは誰がクロであれ降りかかる問題です。あなたがクロではないと証明するものではありません」

「うるさいうるさいうるさい! そんなの詭弁だ! 屁理屈じゃん!」

『そうでもねえと思うけどな』

 

 ……凶器の数か。

 まるで意味のない反論の中に含まれた言葉に引っかかった。

 今回の事件で使われた五つの配布凶器。それを用意した方法が、未だ判明していないことは事実だった。

 

「……な、なあ……そ、その凶器の数の話を解決しないと、ほ、本当に解決とは言えないんじゃないのか……?」

 

 そして、根岸がそんな事を口にする。

 

「解決する必要がありますか? この大天さんの様子を見れば、彼女がクロである事はもはや決定的にも思えますが」

「わ、分かってるよ……い、言ってることはめちゃくちゃだし、あ、アナウンスの事もあるし……け、けど、き、気になるだろ……? そ、それに、も、もしもそこに何かがあったら……」

「……『何か』、とは?」

「わ、わからないけど……こ、これまでも、そ、そういうことがあっただろ……!」

「…………」

 

 無言になる杉野。確かに、謎を放置したまま学級裁判を終わろうとするのは危険だ。たとえクロが大天だという事に変わりがなくとも、見えてくるモノがあるのかもしれない。

 

「……わかりました。この謎について、話し合ってみましょう。答えを出せるかはわかりませんが」

「う、うん……そ、それでも、た、多分やったほうがいい……」

 

 それが、杉野が下した結論だった。

 

「では、この謎についておさらいしましょう。今回の事件で使われた配布凶器は、サバイバルナイフ、斧、スタンガン、隠し通路のカードキー、そして目出し帽の五つです。そして、亡くなってしまった遠城君達の部屋から持ち出された配布凶器が三つでした」

 

 六法全書がそのまま個室の机に残されていた新家以外は、三人共配布凶器が持ち去られていた。それが犯行に使われたのだ。

 

「つまり、他の手段で用意した凶器が二つある、という事になりますが……」

「大天に配られた凶器が写真だっつーのは嘘だろ。だから、一つは自分に配られた凶器だ。のこり一つの凶器の出所を考えればいい」

「ちょっと、どうして決めつけるの!?」

「今更てめーの言葉を信じるやつなんざいねェよ。そうじゃなくても現物がねェだろォが」

「…………」

 

 残り一つ。大天はどこから配布凶器を持ってきたのだろうか。

 

「……配布凶器じゃないものが混ざってるんじゃないか?」

 

 そんな推理を口にしたのはスコット。

 

「と、おっしゃいますと?」

「私物を犯行に利用した可能性かもしれない、と思ったんだ。これなら、俺達が勝手にそれを配布凶器と勘違いして謎にしている事になるだろ」

 

 確かに、斧に関しては新家の私物なんじゃないか、という話が上がっていた。結果としてそれは間違っていたが、そうであれば謎はそもそも最初からなかったことになる。

 けれども。

 

「いや、そりゃァねェな。さっき、これ以上隠し通路はねェって話の時にも出てきたが、モノクマは推理が成立するようにしてんだ。私物として凶器を持ってるって事はありえねェ。実際、大天は護身用に刃物を持ってたらしいが、ここに拉致られた時点で没収されたらしい」

『でも、スタンガンとか目出し帽なら凶器じゃねェよな』

「それだって、犯行にかなり活用できるはずのものじゃないか?」

 

 黒峰の意見には俺が反論する。

 

「睡眠薬や毒も全部出所が分かるようにしてるのに、スタンガンを一人だけ隠し持ってるなんてあまりにも有利すぎる。アンフェアだ。目出し帽はまだ可能性はあるが……それでも、そんなものを私物として持ってるやつがいるなんて考えづらいし、きっと七原に配られたフルフェイスヘルメットと同じように、覆面のために配られたってだけなんだと思う」

『うーん、そうか……』

「じゃあ、結局、五つ全部がモノクマに配られた【凶器】なんだね」

「ええ、それは間違いないと思われます」

 

 やはり、大天はどうにかして配布凶器を用意したのだ。

 となると、考えられるのは……。

 

「……誰かが、大天に自分の配布凶器をあげた、とか」

「あァ?」

「どうにかしてどこかかから配布凶器を持ってきたという事は、誰かの手元には配布凶器が無いはずだ。それなのに誰も何も言わないのなら、誰かが大天みたいに自分に配られた【凶器】をごまかしてるって事になるだろ。ごまかす理由は、自分も、犯行に加担しているから……」

「きょ、共犯って事……? で、でも、共犯の可能性は低いって……」

「共犯とは言ってない。……俺が言ってるのは、愉快犯だよ」

「……!」

 

 毒物事件を引き起こした犯人は、未だ判明していない。その愉快犯が、今回の事件にも関わっている可能性は、否定しきれないはずだ。

 そういう考えもあっての発言だったが、

 

「いえ、それは考えにくいと思います」

 

 寄りにも寄って杉野に否定されてしまった。

 

「……理由をきかせろ」

「僕なりに皆に配られた【凶器】を一つ一つ検証していたんですが、大天さん以外に嘘をついた人はいないように思えるんです。僕や平並君のようにその現物を見せてくれた人は嘘をついていないでしょう。それが、東雲さんが最初にしたように私物を凶器に見立てたとも考えられませんし。あなたも、考えれば同じ結論になるでしょう」

 

 杉野に問われ、配布凶器を思い出す。……反論はできない。

 

「………………」

「そして、唯一現物を確認できていない岩国さんの『秘密ノート』ですが、これに関してはその内容が他でもないあなたによって証明されています。もしもあなたが岩国さんとグルになって僕達を騙そうとしているのなら別ですが……」

「……そんな事、するわけないだろ」

「そうでしょうね。少なくとも今回の事件に関してはあなたを信用していますし」

「……ああそう」

 

 ぶっきらぼうに言葉を返す。何が信用だ、反吐が出る。

 

「は、話は分かったけど……で、でも、ひ、一つは誰かが配布凶器をごまかしてないと数が合わないだろ……! だ、誰かは必ず嘘をついてるはずなんだ……!」

 

 杉野の言葉に納得してしまう一方で、根岸の言葉も否定できない。元々、その事実が俺の推理の発端だったわけだし。

 この矛盾の答えは、一体……。

 

「……あ、分かったわ!」

 

 思考の海に潜りかけた俺の意識を、東雲の明るい声が呼び戻す。

 

「東雲さん、何かお気づきに?」

「本当に、大天以外は全員嘘なんてついていないのよ。アタシ達が勝手に勘違いしてただけだったのよ」

「か、勘違い……?」

「ええ――」

 

 俺達の注目が自分に集まるのを待って、東雲はその謎の答えを口にする。

 

 

 

「――『新家に配られた【凶器】が六法全書だった』っていう、勘違いをね」

 

 

 

 ……!

 

「つまり、大天は新家の部屋からも配布凶器を持ち出したのよ! そして、それをごまかすために六法全書を机の上に置いたってわけ!」

 

 確かに、誰も嘘をついていないのなら、凶器を失ったのは嘘をつけない死人だけだ。筋は通る、辻褄はある。

 

「待て。じゃあ、その六法全書はどこから来たんだ?」

「そんなの知らないわよ。新家が元々持ってたんじゃないの? 本棚から適当に引っこ抜いて、配布凶器に見せかけたのよ。六法全書は凶器になりうるけど、私物として十分有りうる物でしょ?」

「いや、それは違うぞ」

 

 スコットの疑問に答えを出した東雲。けれど、その考えは間違っている。

 

「新家の部屋に六法全書なんか無かったって言っただろ。机の上だけじゃない、部屋のどこにもなかったんだ。あそこに三日もいた俺が保証する」

「あら、そう。じゃあ……」

「と、図書館は……? あ、アレだけ本があるんだから、ろ、六法全書だってあると思うけど……」

「それも却下(ボツ)だな。確かに図書館に六法全書(ルールブック)が一冊所蔵されていたが、それは今ボクの個室にある」

「そ、そう……」

「……てめー、なんでんなもん個室に持ってってんだよ。小説なら分かっけどよ」

「何を言うんだ。すべての法律は何かの悪や不平等を封じるために一つ一つ定義されているんだ。そう思えば、条文の背景にある経緯(物語)想像できる(読める)だろう?」

「いい加減ワケわかんないこと言うのやめなさいよ、めんどくさい」

 

 とにかく、新家の個室にあった六法全書は図書館にあったものでは無いらしい。

 なら、あの六法全書の出所は、どこだ。

 

「…………」

 

 『モノクマが用意したこの施設のどこかにあった』、というのがまず浮かんだ案である。

 それこそ、図書館に一冊あった。けれども、そこ以外に六法全書なんてものが置かれるべき場所があるだろうか。理学の参考書であれば、実験棟の各教室に置かれていたが……やはり、図書館以外に六法全書の似合いそうな場所はない。

 

 となると、残るは各人の個室……つまり、やはりあれは誰かの私物だった可能性だ。

 その可能性を検討してみると、クロの大天が自分の私物から凶器になりそうなものを見繕って新家の個室に放置した、というアイデアを思いついた。しかし、あの六法全書が大天の私物という点があまりにも不自然だ。似つかわしくない。

 けれども、それを言い出してしまうとそもそも私物として六法全書を持ってるヤツなんているのだろうか。だって、あんな大量に法律が書かれた本を持っていたところで、何の役に立つわけでも……。

 

「――!」

 

 そこまで考えて、とある光景を思い出す。一人だけ、可能性のある人物がいる!

 

「遠城だ!」

「あァ?」

「あの六法全書は、遠城の私物だったんだよ!」

「冬真ちゃんの?」

「な、なんでそんなことが分かるんだよ……」

「あいつの部屋には、大量に本があったんだ」

 

 根岸に問われ、俺はその根拠を語る。

 

「遠城の個室を調べたやつがどれだけいるかは知らないが……遠城の部屋は、なんと言うか、物があふれていたんだ。その一角に、山のように本が積まれてるスペースがあった」

「でも、沢山本があっただけじゃ、六法全書を持ってた根拠には弱いんじゃないかしら」

「それだけならな。ただ、その本の山が一つだけ崩れてたんだが、その崩れた本の内容は、経営学とか税金だとか特許法とか……そういう政経の関わるような物ばかりだった。杉野、お前も覚えてるだろ」

「ええ……確かに、そうでした。あのラインナップの中になら、六法全書が紛れていてもおかしくはないかもしれません」

 

 杉野からも言質が取れた。

 

「ということは、オオゾラはエンジョウの本の山から六法全書を引っこ抜いて、凶器に見立てたのか。わざわざアラヤの部屋まで持っていったのは……そのままエンジョウの机に置いたんじゃバレると思ったのか」

「ああ、そうだと思う」

 

 実際、新家と六法全書はあまりにも結びつかない。だからこそそれが私物である可能性を見落としていた。

 

「な、なんでそんな事……」

「それなら、もう答えが出てるじゃない。さっき、大天が言ったでしょ。『私がクロなら凶器の数はどうなるんだー』って。要は、そういう主張をするためにそういうトリックを仕掛けたのよ」

 

 根岸の疑問に、東雲が答える。

 

「クロが使える【凶器】は、新家以外の三人の死人の凶器と自分の凶器の四つだけ。そういう風にアタシ達に思わせた上で大天は手に入れた五つの【凶器】を使い切る事で、『凶器の数』に矛盾を生み出したのよ」

「……じゃあ、何か? シロサキが死んだ後に斧が振るわれたのは」

「城咲に恨みがあったわけでもなんでもないの。ただ、【凶器】を全て使い切るため。だからクロは……いや、大天は斧やスタンガンを死体に使う必要があったのよ。そうなんでしょ?」

「…………」

 

 そう問われた大天は、ただひたすらに沈黙していた。けれど、今更その答えを確認する意味など無かった。

 

「これで、謎は全部解けたよな」

「……そういう事になりますね」

 

 そして、俺達の視線は再び一点へ集まる。

 いくつもの凶器がどこから湧いて出てきたのか。今回の事件でずっと立ちふさがっていたその謎が解けた今、彼女の犯行を否定するロジックは存在していなかった。

 

「……違う。私じゃない」

 

 尚も否定を続ける大天。その声にもはや覇気はないのは、行く末を心のどこかで諦観しているからか。

 

「証拠は出揃っているでしょう。なぜ、認めないのですか」

「…………たまたま、そう見えてるだけだよ。ほら、状況証拠ってやつじゃないの」

「状況証拠も証拠だろォが」

「だ、だいたい、お、お前が血だらけだったこと自体が、しょ、証拠みたいなもんだろ……!」

「これは、転んだだけだって言ってるじゃん」

 

 ……状況証拠、か。

 

「なら、直接的な証拠があれば、認めてくれるのか?」

「……え?」

 

 パッと大天は顔を上げて俺の顔を見る。そんなに俺の言葉が意外に思えたのだろうか。

 

「平並君、何か心当たりが?」

「…………無いわけじゃない」

 

 この期に及んで犯行を認めない彼女を見て、何か根拠がないかと考える。そのために彼女の服に染み込む黒ずんだ血を見て、あのチェックポイントに広がる血の海を思い出して。そうして思い当たった事が、一つあった。

 

「百億円札だ」

 

 生き残っている特別ボーナスと称して俺達に配った、百億円札。

 

「クロは、城咲に百億円札を破られて、城咲と百億円札を交換したんだったよな」

「あァ」

「それって、いつ交換したんだ?」

「……無論、城咲君を刺した後のページだろう。刺しているページの中で交換する余裕(余白)など無いだろうからな」

「ああ、そうだ」

 

 明日川は、俺の思った通りの答えを返してくれた。

 

「つまり、クロが交換のために城咲の百億円札を手にした時点で、その百億円札は血だらけだった、という事になるんじゃないか?」

『……あ!』

 

 黒峰がそう声を上げた瞬間、大天もハッと口を開けて尻ポケットを手で抑える。

 

「だから、クロの手にしている百億円札は、血に染まっているはずなんだ。俺とは違ってな」

 

 そんな彼女に見せつけるように、俺はポケットから百億円札を取り出して掲げる。血などついていない、まっさらな百億円札を。

 

「大天。お前が本当に無実なんだったら、お前の百億円札に血なんかついていない……そうなるよな」

「………………」

「ちょ、ちょっと待てよ、ひ、平並……」

 

 待ったをかけたのは、根岸。

 

「お、大天はこんな全身に血がついてるだろ……! ど、どうせ返り血だろうけど、ま、万が一こいつが無実でも、ひゃ、百億円札には血がついてるんじゃないのか……? ちょ、直接的な証拠とは言えないぞ……!」

 

 ……あ。

 

「あんたねえ。どうせクロは大天なんだから黙ってりゃいいじゃない」

「う、うるさいな……し、仕方ないだろ、き、気になっちゃったんだから……!」

「その心配はありませんよ、根岸君」

 

 ダメか、と思ったその時、杉野が優しく口を開く。

 

「…………」

「これは僕達にとって幸運なことですか。今、大天さんは尻ポケットを抑えました。百億円札はそこにあるのでしょうが……彼女についた血は前面にしかついていません。もし彼女の主張に嘘がないのであれば、彼女の百億円札に血などつくはずが無いのです」

「あ、そ、そうか……」

 

 最後の逃げ道も、彼女にとっては忌まわしいことに、杉野によって封じられる。

 

「おい、オオゾラ。百億円札を見せてみろ」

 

 怒りを込めたそのスコットの言葉を聞いて、

 

「うう…………ぐうう……!!」

 

 大天は、尻ポケットを強く抑えながら呻き声を上げるだけだった。

 

「……見せられねェんだな」

 

 その行動が、すべての答えを示している。

 

「………………」

 

 正直なことを言えば、この追求は確定的なものじゃない。もしも百億円札に血がついていたとしても、まだ言い訳をする余地はあるはずだ。大迷宮で落としてしまった、とでも言えば、まだ()()()()はできた。

 

 けれども、もう、否定の言葉は出てこなかった。彼女の、心は折れたのだ。

 

 俯いた彼女の表情は見えない。

 

 大天が犯行に及んだ経緯は、想像がつく。

 彼女の胸中には【言霊遣いの魔女】への強い殺意が渦巻いている。過去に彼女の身に降りかかった悲劇によって、その復讐こそが自分の人生の本懐なのだと彼女は思い込んでしまっている。それこそが、彼女を凶行へと駆り立てる強い【動機】なのだ。

 

「……じゃあ、これからこの事件の全てを振り返る。それでもう、終わりにしよう」

 

 これまでの学級裁判でそうしたように。

 この推理が誤っていない事を証明するために、俺は半ばお決まりとなった事件の振り返りをもって彼女に最後通牒を突きつける。

 

 

 【魔女】への復讐に身を燃やす彼女に、最悪の選択を取らせてしまった事を悔やみながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回、【動機】としてモノクマから俺達に【凶器】が与えられた。直前に配られた百億円札の事もあって、はじめそれは俺達十二人だけに配られたものだと思っていた。だが、実は、その時点で死んでいた四人にも【凶器】が個室に配られていた……その事にいち早く気づいて犯行に利用したのが、今回の犯人だった」

 

 あの時点で、その凶器を回収することができていれば。そう思っても、もはや後の祭りだ。

 

「まず犯人は、死人に配られた四つの【凶器】を回収した。それと同時に遠城の部屋からは服の一式と六法全書を持ち出したが、そのうち六法全書は、回収した新家の【凶器】の代わりに新家の個室に残していった。こうすることで、新家に配られた【凶器】は未回収と思わせたまま、犯人は自分に配られたものを含めて五つの【凶器】を手にしたんだ」

 

 隠し通路のカードキー、斧、サバイバルナイフ、目出し帽、そしてスタンガンに準ずる何か。この五つの【凶器】を元に、今回の犯行計画は組み立てられた。

 

「犯人は、手にした【凶器】の一つである隠し通路のカードキーを目にして今回のトリックを思いついたはずだ。隠し通路とその先の更衣棟に犯人が逃げた痕跡を残すことで、犯人は大迷宮の外にいるはずだと俺達に勘違いさせるトリックをな。

 そのトリックのために、犯人は大迷宮に城咲を呼び出した。個人的に秘密を握ったのか、あるいは言葉巧みに騙したのか、それとも完璧に処分しただけで呼び出し状が使われていたのか……その方法はともかく、犯人は城咲を一人で大迷宮に呼び出すことに成功した。そして城咲は、犯人が事前に大迷宮に用意した血痕に従ってチェックポイントまでおびき出されてしまった」

 

 何を思って城咲は大迷宮を訪れたのか。もはやそれを知る術など無い。

 

「そこに、白衣と目出し帽を身に着けてやってきた犯人が、背中から城咲にサバイバルナイフで襲いかかった。傷の位置を考えると、きっと城咲は最初の一撃は避けられたのかもしれないが、結局犯人ともみ合って腹を、そして背中を刺されてしまった。その時に必死の抵抗として、犯人から百億円札をちぎり取ったんだろう。

 城咲を襲った犯人は、城咲を殺せたと判断して一度チェックポイントを離れた。おそらくは、斧を取ってくるために。そして戻ってきた犯人は、殺したと思った城咲がダイイングメッセージを残した事に驚いたかもしれない。けれども、犯人は慌てずダイイングメッセージを消した。

 もしかしたら、城咲に百億円札を破り取られた事に気づいたのもこの時かもしれない。ただ、城咲と百億円札を交換することでそれも意味の無いものにした」

 

 死にゆくさなか、俺達に犯人を伝えんとする城咲の行動は、全て犯人にもみ消されてしまう。けれども、その執念は、巡り巡って犯人の特定へと繋がった。

 

「自らの正体に繋がりそうな証拠を消した犯人は、今度は城咲の死体に手をかける。斧を振るって城咲の頭を叩き割り、スタンガンかなにかを首筋に押し当てる。その目的は城咲の死体を損壊する事自体ではなく、【凶器】を使った痕跡を城咲の死体に残すことだった。犯人が使える【凶器】は四つだと思わせていたから、手にした五つすべての【凶器】を利用することで不可能犯罪だと思わせたんだ」

 

 あの残酷な光景は、城咲への恨みによるものではなかった。すべての【凶器】を使い切る事が、犯人の計画にとって最も重要だったのだ。そうすれば、例え自分が【凶器】を公開できなくとも、それだけでクロだと決めつけられてしまう事はなくなるから。

 

「ところが、ここで犯人の思惑は大きく崩れる事になる。何の偶然か、七原に現場を目撃されてしまったんだ。犯人は慌てて城咲からサバイバルナイフを抜き取り、逃げる七原を追いかけると、大迷宮の廊下で追いついて脇腹を刺した。けれども、ここで七原に悲鳴を上げられてしまったために、最後の偽装工作を急いでしなくてはならなくなったんだ」

 

 ここで七原にトドメを刺さなかったのは、七原に『白衣』という強烈なイメージを残したかったからかもしれない。事実、七原はそうメッセージを残したし、そのイメージが更衣棟に残された白衣と強く結びついてしまった。

 

「七原を刺した後、犯人は隠し通路を通って更衣棟のシャワールームへ向かう。犯行に利用した白衣や目出し帽を捨てると、輸血パックの血で血だらけに染め上げる。遠城のシャツやズボンはもしかしたら犯行時は着ていなくて、一緒に血をつけることで白衣と同じくそれらが犯行時に身につけられていた、と思わせようとしたのかもしれない。そして、シャワー室の床を濡らしてシャワーを使用した痕跡を残した。

 こうして、『犯人は犯行後に更衣棟で着替えて外に脱出した』……そう思わせるための偽装工作を全て終えた犯人は、自分は血を付けたまま大迷宮の中に戻っていった。最初に敢えて最も疑わしい容疑者となることで、逆に最も疑われないポジションに身を隠したんだ」

 

 そして、犯人は俺達の到着を待つことになる。城咲を殺し、七原を刺した大迷宮の中で、こっそりと、その時を待っていた。

 これが、この事件の真相だった。

 

「この犯行を行ったクロは――大迷宮の中で発見され、敢えて最も疑わしい人物として振る舞い続けていた人物は――」

 

 もはや、疑いの余地など無い。

 俺は、覚悟を決めて彼女の名を告げる。

 

 

 

 

 

 

 

「――大天翔。お前だ」

 

 悪魔に人生を狂わされた、悲しき復讐鬼の名を。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 沈黙。

 その名を告げられた大天は、何かを言おうとして、けれどもハッキリとした言葉は出せずにいた。

 

 針のような無数の視線を受けて、遂に彼女は声を出す。

 

「……ここまで、なのかな」

 

 無念そうなその声は、事実上の降伏宣言に他ならなかった。

 

「認める、ということですね」

「……うん。こんなの、もう無理じゃん」

 

 悲しげに肩を落とした彼女は、しゃがみこんで自らの靴に手を伸ばす。

 

「な、何をする気だ……!」

「別に何も……もう、観念したってだけだよ」

 

 そして、彼女は右の靴のかかと部分に手をかけると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あァ!? んだそりゃァ!?」

「……これでも運び屋だからね。色々隠せるように靴や服には仕掛けがしてあるの。小物を隠せるように、靴底を厚くしてあるんだよ」

 

 そう告げながらその()()()()から、彼女は小さな黒いブロックのようなものを取り出すと、俺に向けて放り投げた。

 

「ちょっ……」

 

 慌ててそれを受け取る。小指ほどの大きさのそれの側面についたボタンを押し込むと、先端でバチバチと強い紫電が走った。

 

「……それはもしや、スタンガンですか?」

「…………そうだよ」

 

 これを彼女が所持していたこと。それが、すなわち彼女がクロであることの揺るぎない証明であった。

 

「…………」

 

 追い詰められて、全てを諦めた彼女は暗く俯いている。

 諦めの境地にいるそんな彼女を見て、数日前に俺を殺そうとして城咲に妨害された時の事を思い出した。あの時も、諦めの判断は潔かった。

 

「皆の、言うとおりだよ。…………私が、城咲さんを殺した」

 

 その、吐き捨てられた無念の言葉が、学級裁判の終了を告げていた。

 

 




長く続いた、議論の果てに。
火ノ宮の株が急下落する音が聞こえる気がする。

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