ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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非日常編⑤ 凡人は残酷な弓を射る

 三度目の学級裁判は、未だ混迷を極めていた。

 

 議論を重ね、クロが城咲の死後にわざわざチェックポイントに戻ってきた、という事まではたどり着いた。だが、そうまでしてクロが城咲に斧を振るいたかった理由まではまだ解明できていない。

 

「で、次は何の話をする?」

 

 相変わらず楽しそうな東雲が、誰に宛てるでもなく語りかける。

 

「城咲君に関する議論(エピソード)はまだ尽きていないだろう。大半(大筋)は語られただろうが、所持品など些細なストーリーも確認して(読んで)おきたい」

「あァ、分かった」

 

 七原を救うべく手術をしていた明日川、そしてスコットが必要なのは、とにもかくにも情報だ。現場を一瞥しただけでは得られない情報を手にしておかなければ、彼女らは議論に参加する権利を得られない。

 

「つってもそんな多くねェぞ。口にタオルが突っ込まれてたのは気づいたか?」

「ああ。倉庫のタオルだろう?」

「あれは猿轡の代わり、と判断していいのか?」

 

 そう疑問を投げるスコット。

 

「その判断で問題ないと思います。僕達が事件に気づいたきっかけは【運動エリア】に響いた悲鳴を聞いた事ですが、聞こえてきたのは城咲さんのものでなく七原さんのものでしたから」

「……ん。シロサキの悲鳴は聞こえなかったのか?」

「はい。七原さんの悲鳴が聞こえるまでずっと体育館にいましたが。おそらく、城咲さんを襲った時点で、同時に口をタオルで抑えたのでしょう。多少声が漏れることはあったかもしれませんが、少なくともドーム中に響き渡ったりなどはしていません」

「そのまま城咲の方は声を抑えたまま殺せたのね」

「……わかった」

 

 彼らの説明で納得した様子のスコット達。それを見て、火ノ宮が話を続ける。

 

「あと一つ、城咲に関して言っとかねェといけねェ事がある」

 

 その言葉とともに、彼は血に染め上げられた紙切れを取り出した。当然、それには見覚えがあった。

 

「それは何だ、火ノ宮君? 百億円札(超高額紙幣)のようだが」

「コイツが城咲のポケットに入ってたんだ」

「それがどうした……ん? それ、破けてないか?」

 

 スコットが指摘したとおり、その百億円札は角が欠けている。

 

「破けてる。切れ端は、城咲が握りしめてた。多分、クロともみ合って、城咲が百億円札の一部を破り取ったんだ。偶然そうなったのか意図してそうなったのかは分からねェが、少なくとも、一糸報おうとしたんだろォな」

「ん? だが、その破いた百億円札がシロサキのポケットにあったんだったら……」

「あァ。城咲を殺した後にクロが城咲が元々持ってた百億円札と入れ替えたんだ」

 

 そう、確か捜査中にもそんな話になったはずだ。結局、ここから犯人の特定には繋がりそうにない。

 ……ん? 本当にそうか?

 

「明日川。ちょっと確認してもいいか」

 

 火ノ宮の持つ百億円札を見ているうちに、あるアイデアを思いついた。

 

「お札には識別番号が載ってるだろ?」

「識別番号……記番号の事だな?」

「いや、正式名称までは知らなかったが……」

 

 今明日川が記番号と答えたのは、お札に印字されているアルファベットと数字で構成された文字列の事だ。

 

「この番号って、確か同じ番号はなかったはずだよな?」

「ああ。数行前のキミの台詞にあった通り、識別するための番号だからね。昔は重複も許していたようだが、【絶望全盛期】以降に発行された紙幣は記番号の桁を増やして完全に重複をなくしている」

「……あ。も、もしかして……」

 

 俺の思いついた考えを、根岸も察したらしい。

 

「お前、あの血のついた百億円札の記番号に見覚えはないか? あれは元々クロに配られた百億円札だ。あれと同じ記番号の百億円札を事件前に持っている奴がいれば……」

「そ、そいつが犯人だ……!」

 

 俺の言葉尻を根岸が奪う。

 

「何、これで終わっちゃうわけ?」

「明日川が答えられればな」

 

 そして、俺達の視線が一箇所に集まる。

 

「どうなんだ、アスガワ」

「……生憎だが」

 

 しかし、返ってきた台詞は望んでいたものではなかった。

 

「確かにボクは完全記憶能力を有している設定だが、視界に入ったもの(ページに書かれた文字)を正確に読み解けるかはまた別の話だ」

「えっと……棗ちゃん、どういう事?」

「ボクの視力は常人並、という話さ。現に、数ページ前から火ノ宮君が掲げている赤く染まった百億円札の記番号も、ボクには読めていない」

「……そうか」

 

 言われてみれば、至極当然の話ではある。実際、俺も読めていないわけだし。明日川の完全記憶能力も何にでも使えるようなものじゃないということか。

 

「力になれず、すまないね」

「いや、こっちが無理を言ったんだ」

 

 しかし、そうなると本当にあの百億円札から犯人にたどり着くのは厳しそうだ。

 

「んなら、城咲に関連して話せる内容はもうねェな」

「そうか、ありがとう。ならば、次の議題(テーマ)に本を移すとしよう」

 

 殺された城咲についての情報共有が済んだのなら、次は当然、もう一人の被害者についての話になる。

 

「なら、七原について話をしよう。明日川。七原について何か情報があれば教えてくれ。七原の傷についてとか、一応確認しておきたいからな」

「わかった」

 

 彼女はそう短い返事で了承し、手術で得た情報を語りだした。

 

「七原君がクロにつけられた傷は、右の脇腹後方付近の一つだけだった。その位置から推察するに、逃げている最中に後ろから刺された、という物語が彼女にはあったのだろう」

「一つだけ? 城咲には何度も刺したのに?」

「ああ。ただ、その一つの傷が致命傷になりうる傷だった。内蔵を大きく傷つけたわけではないが、激痛が彼女を襲ったのは違いないし、出血量があまりにも多い。忌憚なく所見を述べさせてもらうならば、病院に運んだ(シーンを移した)時点で彼女は息絶えていても(本を閉じていても)おかしくはなかったほどだ」

 

 事実、自らの血にまみれた七原を俺達は目撃している。その時点で、彼女は死線をさまよっていた。

 

「さっきも、んな話をしてたけどよォ、七原はまだ確実に助かったワケじゃねェって認識でいいんだよなァ?」

「ああ。無論、ボク達も最善を尽くしたが……意識はまだ取り戻せていないし、このまま終章を迎えてしまう可能性(プロット)も、否定はできない」

「……こうやって話しているうちに目を覚ましてくれれば、オレもクロにならずに済むんだがな」

 

 話題の中心となっている七原に視線が集まっても、彼女が意識を取り戻す気配は未だに感じられない。

 それでも、彼女は必ず目を覚ますはずなのだ。

 

「大丈夫だ。七原は【超高校級の幸運】なんだ。きっと、目を覚ますさ」

「そうですね。今は、彼女の才能を信じるしかありません」

「……明日川。七原の持ち物はどォだ。妙なもんはなかったか」

 

 彼女から視線を外して、議論を再開する。

 

「特筆する内容はないが、一応説明して(書き記して)おくとだ。彼女のパーカーのポケットからは、賽子(サイコロ)やダブルクリップ、洗濯バサミといった小物が多数出てはきたよ」

「あ、それ私知ってる。なんとなく手でいじってると落ち着くとか……」

 

 そういえば、最初の事件が起きる前に皆でカレーを作ったあの日、持ち物検査と称して七原のポケットの中身を確認した時にそういう小物が色々出てきたか。

 

「ボクも随分昔(何章も前)に彼女本人からその話を聞いていたよ。その他には、それこそ彼女に配られた百億円札があったくらいだな」

「まあ、持ち歩いていてもおかしくはありませんね。僕も持ち歩いていますし」

「翡翠もなんとなくポケットに入れたままだなあ」

『別に持ち歩く必要はねえんだけどな』

 

 聞こえてくる話からすると、大半の人がそうしているらしい。

 

「他はァ?」

「いや、もう無い(これで在庫切れだ)。ああ、彼女の持ち物がどれも血まみれだったことは告げておこう」

「そんなのわざわざ言われなくても分かるわよ。あんな血まみれで倒れてたんだし、城咲の百億円札があんな真っ赤だったんだから」

 

 明日川の親切心から出た台詞を煽られているとでも受け取ったのか、東雲が口を尖らせて文句をつけた。どんな勘違いがあるかわからないんだから、一応付け足したっていいだろうに。

 

「それでは、七原さんの身に何が起きたのかを議論してみましょうか」

 

 明日川達からは必要な情報を得られたと判断して、杉野が議論の音頭をとる。

 

「な、何が起きたのか……な、七原は後ろから刺されたんだったよな?」

「ああ。傷から読み解くとね」

「じゃ、じゃあ、な、七原はクロから逃げようとして、に、逃げてる途中に刺されたんじゃないか……?」

「逃げる途中に? シロサキはクロの思惑通り襲われたはずだろ。なぜナナハラは一度逃げられているんだ」

「し、知らないよ……! く、クロが何か失敗したんだろ……!」

「そんな適当な……」

「いや、根岸の推理であってると思う」

 

 七原は犯人から逃げる途中に襲われた。きっと、それが真実のはずだ。

 

「さっき、クロは元々七原を殺すつもりじゃなかったって話になっただろ。そもそも、クロにとって七原を襲うことはアクシデントだったんだよ」

「そう断言できる根拠を語ってもらおうか。元々七原君を殺さない程度に傷つける計画(プロット)だったという可能性(シナリオ)もあるだろう?」

「……いや、その可能性は限りなく低いと思う」

 

 明日川の疑問に、少し考えてからそう答えを出す。

 

「もし最初からそんな風に七原を襲うつもりだったら、七原は確実に生かして何か自分に有利な証言をさせるとか、そういう目的があったはずだろ。それなのに、死にかけるほどの傷を負わせてるのは筋が通っていない。二人も殺す必要なんかないわけだし。それに、大迷宮に七原が残したメッセージも『白衣』っていう更衣棟を調べればすぐに分かる情報だけだ。初めから七原を襲う計画だったとすれば、リスクに対してメリットが少なすぎないか?」

「……ふむ。確かに一理あるな」

 

 無事に明日川を説得できたようだ。

 

「推測だが、七原は犯行現場を目撃して、だからクロに襲われたんじゃないかと思う」

『まあ、真っ先に思いつくのはそれだよな』

「一応そう思った理由もある」

 

 そう前置きして、俺は推理の根拠を語る。

 

「そもそも前提として、七原は城咲の死体を見てるんだ」

「死体を?」

「ああ。俺と東雲が迷宮に入って最初に七原を見つけた時、まだ七原は少し喋れるだけの元気があったんだ」

 

 

──《「しろさき……さんが……お……斧で……!」》

 

 

 弱った小さな声で、それでも確かに彼女はそう告げた。

 

「その時に、城咲が斧で襲われたって事を言ってたんだ。斧のことまで知ってるんだから、七原が城咲を見つけた時点で城咲は死んでいたはずだ」

「そういう事になりますね。城咲さんに斧が振るわれたのは、彼女の死後ですから」

 

 その前提の元、七原がクロに襲われた理由を考える。

 

「だから七原は、犯行現場を……いや、犯行現場と言うより、犯行後に斧で城咲の頭を割っている所を目撃したんじゃないかと思う。その時にクロが七原の存在に気づいて、慌てて追いかけた……こういう流れが自然だと思う」

「そうね。チェックポイントから出口までの途中に血溜まりがあったでしょ。そこから出口まで七原が這った跡もあったし、チェックポイントから逃げようとしてあそこで追いつかれたんでしょうね」

 

 東雲も彼女なりの推理を語る。その内容は、俺の想像している通りだった。

 

「加えて説明するなら、チェックポイントからその血溜まりまで、そしてそこから隠し通路を通ってシャワールームまで点々と、滴り落ちたような血痕が続いていました」

「ああ、さっきシノノメが血痕が残ってたって話をしてたな」

「ええ、その血痕です。おそらくこれが犯人の通った経路なのでしょう」

「だったらなんで犯人は菜々香ちゃんにトドメを刺さなかったんだろ。菜々香ちゃんに見られてまずいと思ったから慌てて追いかけたんだよね?」

「と、とどめを刺す必要は無いって思ったんじゃないか……?」

 

 露草がつぶやいた疑問に、根岸が答えを出した。

 

「な、七原を襲った時は口を抑えそこねて、ひ、悲鳴を上げられたんだろ……? そ、それで誰か来るかもって思って、す、すぐに逃げようと思ったんじゃないかな……」

「実際、その悲鳴を聞いて俺達が大迷宮まで来たからな」

「そ、そうだろ……?」

『犯人は目出し帽をかぶってたんだよな。なら、菜々香を殺せなくても正体はバレないと思ったのかもしれねえ』

 

 そういう自信があるからこそ、犯人は七原を襲うのをやめて更衣棟を目指したのだろう。

 

「そうかもね。実際、七原のダイイングメッセージにも『白衣』としか書かれてなかったわけだし」

「だ、だから、と、トドメを刺す時間も惜しんで逃げ出したんだと思う……へ、下手に大迷宮に長居するほうが、り、リスクが大きい気がするし……」

「最初から、誰かに見つかる可能性も考慮して目出し帽を被っていたのかもしれませんね。殺す相手から顔を隠しても、さほど意味はありませんし」

 

 微かに、あくまで微かにだが、事件の流れが明らかになっていく。

 この議論の先に出口があるかもしれないと、少しずつ、思えてくる。

 

「あと、もう一つ気になる事があるわ」

 

 そんな議論に、そんな東雲の声が拍車をかける。

 

「そもそも、どうして七原は大迷宮にいたのかって事よ。城咲と違って、七原が大迷宮に来たのはアクシデントだったわけでしょ?」

 

 そう告げて、東雲は皆の顔を窺う。犯人の思惑が絡んでいないのなら、なぜ七原はあんなところに。

 

「……それが一番の問題だよなァ」

「もしかすると、特別意味があるわけでは無いのかもしれませんよ」

 

 その疑問に、一つの答えを出したのは杉野だった。

 

「ただの気晴らしや、遊びの一環で大迷宮に行っただけかもしれません。この状況下で果たしてわざわざ大迷宮に向かう理由があるのか、という疑問も尤もですが、気まぐれに向かった先で事件に巻き込まれた可能性がゼロとは言い切れないでしょう」

「まあそりゃ、アタシも普通に大迷宮に遊びに行ったりはしたけど……」

「……もしかしたら」

 

 その会話を聞いて、ふと思いついたことがある。

 七原が気まぐれに大迷宮に向かったのなら、その要因に一つだけ思い当たるものがある。

 

「コイントスでもしたのかもしれない」

「コイントス?」

「前に教えてくれたんだ。何か迷った時は、コイントスで決めるって」

「ああ」

 

 何かに思い至ったように、明日川が声を上げる。

 

「確かに、七原君は硬貨(コイン)を握りしめていたな」

「そう、そのコインだ。七原は自分が【超高校級の幸運】だって自覚してたからな。何をして過ごそうかを考えたアイツは、そのコインの結果に従って大迷宮に向かったのかもしれない」

『ちょっと待て、凡一』

 

 そんな声とともに、露草がグッと左手にはめた黒峰を突き出した。

 

『別にコイントスの話を疑うわけじゃねえが、なんかおかしくねえか?』

「琥珀ちゃんの言うとおりだよ! だって、菜々香ちゃんは【幸運】なんだよ? それなのに、菜々香ちゃんがたまたま犯人を見ちゃって襲われちゃうなんて、なんか変じゃない?」

「…………」

 

 その露草の言葉は、確かに俺も抱いた疑問だった。彼女がコインに従って、その結果自分が刺されてしまうという不幸に陥るなんて、【超高校級の幸運】たる彼女らしくはない。

 けれども。

 

「…………この状況が、七原の【幸運】なんじゃないか」

 

 七原菜々香は【超高校級の幸運】である。その絶対的な前提の元この現状を解釈すると、浮かび上がってくる答えがあった。

 

「どういう意味ですか、平並君」

「……七原は偶然クロを目撃して、それで襲われる事になったわけだが、それはクロにとっても()()な事だったはずだろ」

「そりゃァそォだろォな。隠し通路のカードキーを用意してたってことは最初から隠し通路で逃げる計画だったんだろォが、七原に悲鳴を上げられたもんだから慌てて逃げなきゃいけなくなったわけだ」

「実際、アタシ達が駆けつけたしね」

 

 賛同する声が上がる。

 

「そうだろ。こんな日中に事件を起こしたんだ。本当なら十分に凶器や血の処理をしてから合流するとか、何か綿密なクロの計画があったはずなんだ」

「それが、七原君の【幸運】のおかげ(せい)崩壊(落丁)した、というわけか」

「……ああ」

 

 犯人にとっての不幸は、すなわちその正体を明らかにする俺達にとっての幸運という事になる。この結果を引き起こすのに、七原自身が傷を負う必要があったかまでは分からない。けれども、七原が取った行動が、巡り巡って犯人特定へと繋がりそうであることに異論はなかった。

 

「何が【幸運】だ」

 

 そこに、憎々しげな声が放りこまれた。

 

「ナナハラが【幸運】だって言うなら、どうしてシロサキは殺されたんだ。後少しでも早く大迷宮に向かっていれば、犯行を止められたはずだろ」

「……スコット」

「ナナハラにとって、シロサキはどうでもいい存在だったって事なのか?」

 

 まっすぐに、彼と視線がぶつかる。苛立ちと不安が共存した瞳が、静かに揺れていた。

 

「……違う。それは違うぞ」

 

 その勘違いだけは否定しなくてはならない。七原がそんな薄情な人間だと、そんなことなどあり得るはずがない。

 

「そもそも、七原の幸運は何もかもがうまくいくようなものじゃないんだ。もし七原の幸運がそんな万能なものだったら、今回の事件どころかこれまでの事件だってきっと起きていないし、そもそもこんなコロシアイに巻き込まれてなんかいないはずだ」

 

 きっと、七原の幸運はもっと限定的なものなのかもしれない。例えば、彼女自身にのみ影響するような。

 彼女が奇跡的に回避したという飛行機事故も、その事故自体を止めたわけではない。彼女の幸運をもってしてもどうしようもないことだって、この世界には存在するのだ。

 

「スコット君。先程から何度か話されている通り、今回の事件において、七原さんが襲われたことはアクシデントです。その結果をもって七原さんを責めるような言い方をするのは、あまり好ましくはありませんよ」

「…………分かってる」

「一応聞きたいんだけど、城咲さんが大迷宮に来たのはクロの計画通りなんだよね?」

当たり前(たりめェ)だろ。こんだけ凶器も血痕も準備してんだから、殺す相手を呼び出してねェわけねェだろ」

「分かってるよ。だから『一応』って言ったじゃん」

 

 ぶっきらぼうな答えを返されて憤慨する大天だが、火ノ宮はそれを無視した。……今の彼が大天に抱いている感情を考えれば、それもやむなしか。

 

「でも、結局、呼び出し状は見つからなかったんだっけ?」

 

 そんな険悪なムードに気づいているのかいないのか、のんきな声で東雲が尋ねる。

 

「あァ。個室の方は調べてねェが……」

「俺と杉野が調べた。個室にも見当たらなかったぞ。焼却炉は火ノ宮が調べてたはずだし、今回は呼び出し状は使われてないんだろうな」

 

 火ノ宮に視線で問われたので、捜査の結果を答える。

 

「ってことは、城咲は口約束で大迷宮に呼ばれたのかしらね。ま、これまで二回とも呼び出し状で色々議論したし、呼び出し状を使っても無駄に証拠を残すことになるわけだからそうしたんでしょうけど」

「……そうなると、城咲さんはクロが誰なのか知っていた、という事になりますね」

「じゃァ、あのダイイングメッセージには、クロの名前が書かれてたのか」

「ええ、おそらくは。だからこそ、クロが塗りつぶしたのでしょうけど」

 

 呼び出された先で襲われたのだから、クロがどんな格好をしてようとも、彼女にとってその正体は火を見るより明らかだったはずだ。

 

「そ、それにしても……な、なんでそんな誘いに乗ったんだろ……? わ、わざわざ大迷宮に呼び出すなんて、さ、殺害予告と同じようなもんだろ……!」

「……城咲さんだから、じゃないかな。罠だって分かってて犯人を止めるために呼び出しに応える人だから。もしかしたら、城咲さんを狙ったのも、そういう理由があるのかも」

 

 と、大天は実体験を想起させるような口調で根岸の疑問に答えを出す。

 

「ああ、俺もそう思う。城咲が護身術に優れてることなんて、俺や大天以外にも周知の事実だったはずだ。それでも城咲を狙った理由が気になっていたが、今回の事件は、大迷宮に殺す相手を呼び出すことが前提だ。だからクロは、城咲の優しさにつけ込んで――」

 

 

「違う」

 

 

 瞬間、俺の思考を止める呟き。

 

「…………違う、違うんだ……」

 

 その声の主、スコットは、床に視線を落としながら、うつろにそう呟いていた。

 

「……スコット君。その台詞に至った背景(地の文)は何だ?」

「約束、したんだ……」

 

 明日川に促され、彼は語りだす。

 

「……アイツは、一人で抱え込みすぎるきらいがある。皆に奉仕するのが自分の幸せだって思ってるのはいいんだが、いつも自分のことが誰かの二の次になってる上に、誰かに頼ろうって想いが少なすぎるんだ」

「…………」

「この前の事件で呼び出し状に応えた事だってそう。毒物事件の後に思いつめてた事だってそうだ。悲劇を止めるのは自分一人の役目だと、アイツはなぜか勘違いしていた」

「それで、約束を?」

「ああ。『一人で無茶はするな』と。『何かがあった時はオレを頼れ』と。『これ以上事件を起こしたくないのは、お前だけじゃない』と」

 

 城咲との会話を思い出しながら語る彼は、悔しそうに右手を握りしめていた。

 

「だから、もしも大迷宮に呼び出されたとしても、一人で向かうはずがないんだ! 犯行を止めるために呼び出しに応えようとしたんだったら、オレを引き連れて大迷宮に行ったはずなんだ!」

「……そうだったんですか」

「け、けど、実際、し、城咲は一人で大迷宮に行ったんだろ……?」

「…………それが、謎なんだ。オレに何か言ってくれたって良かったのに」

 

 急浮上した、城咲の謎。なぜ城咲は、一人きりで大迷宮にむかったのか?

 その理由を考えてみる。あれ程の事を言われ、それでもスコットに相談しなかったのは……。

 

「……言わなかったんじゃなくて言えなかったんじゃないのか?」

「……何?」

「一人で来るように、クロに指示されたから。そのクロが誰かってことが分かっていたのに、それでも相手が誰かを言うことすらできなかったんじゃないのか」

「……脅されてたって言いてェのか?」

「…………ああ」

「お、脅されてたって……じゃ、じゃあ、クロは……!」

 

 何かに思い至った様子の根岸。その彼の視線の先には、ため息をつく岩国がいた。

 

「その短絡的な思考をやめろ。大方俺が『秘密ノート』を受け取ったからそう考えたんだろうが、そもそもメイドが脅されていたかどうかすら今凡人が語った推理の一端に過ぎない。確証のない根拠で他人を疑うな」

 

 根岸の暴論に、岩国は静かに正論を返す。実際、他人を脅す『秘密』を知っている岩国は疑わしいが、それだけで岩国をクロと決め付けてしまうのはあまりに雑なロジックだ。

 

「は、はぐらかすなよ……!」

「確実性のある話をしろと言っているんだ。現状確実なことは、『メイドが脅された』という事じゃない。『メイドが一人で大迷宮に向かった』という事だ」

 

 現状でどこまで断言できるのか。学級裁判では、それを履き違えないように慎重になる必要がある。

 

「だが、城咲はスコットと約束したんだろ。その約束を破る理由なんて、脅されたから以外に何があるんだよ」

「そもそも、メイドが手芸部の事を信用していなかった可能性は?」

「……そんなはず!」

「無いと言い切れるのか? 手芸部」

 

 否定しようとしたスコットの言葉を、冷たく切り裂く岩国の声。

 

「………………」

 

 それきり、スコットは黙ってしまった。どれだけ親しく話していても、どれだけ相手のことを想っていても、誰かの心中を知ることなど、不可能なのだから。

 

「ねえ、スコットちゃん。かなたちゃんがいなくなったときのこと、もう一回教えてもらってもいいかな?」

「…………ああ」

 

 彼は暗い表情のまま、それでもわずかに声を返した。

 

「……元々、食事スペースにオレとシロサキとアスガワの三人がいたんだが、シロサキがアスガワにコーヒーをかけて、アスガワが風呂に行くために食事スペースを離れたんだ。その後、少ししてオレが宿泊棟のトイレに行って、食事スペースに戻ってきたときにはもうシロサキがいなくなってた」

「その後は、ずっと食事スペースに?」

「……ああ。当然不審には思ったが、食事スペースを離れるわけにも行かないからな。倉庫に何かを取りに行ったか、シロサキもトイレに行ったのか……考えにくいがそう判断して、食事スペースに残っていた」

 

 スコットがそう考えるのも無理はない。大迷宮に向かったなどとは露ほども考えなかっただろう。

 

「それで、シロサキを待っているうちに、例のアナウンスが鳴ったんだ」

「では、その後すぐに大迷宮へ?」

「いや……その時点じゃ現場が分からなかったからな。倉庫や宿泊棟のトイレの様子を窺っているうちに大浴場から出てきたアスガワと合流したから、別のエリアを探しに行ったんだ」

「合流?」

 

 言われてみれば、スコットは明日川と共に大迷宮にやってきた。視線が明日川に集まって、目線で話を促す。

 

「ボクが大浴場で入浴していた(サービスシーンを演じていた)という話は伝わっているだろう? ボクが着替え終わって髪の毛を乾かしている時にあのアナウンスが流れて、慌てて大浴場を飛び出したら中央広場のあたりに焦っているスコット君がいた、というあらすじだ。その時に(ページで)、城咲君の失踪(落丁)を知ったんだ」

「ふむ、そういう経緯でしたか」

「……やっぱり、改めて考えると、【超高校級のメイド】である城咲が明日川にコーヒーをかけるなんてドジを踏むのは違和感がある。だが、あれがわざとだったって話なら納得できる」

「ボクを食事スペースから引き離すためにしたと?」

「そっちの方が自然だろ?」

「……たしかにそうだな。偶然城咲君が一人になったと考えるより、有り得るシナリオだ」

 

 城咲が明日川を食事スペースから遠ざけたのが城咲の意図によるものだとしたら、当然、もう一人の方にも同じ可能性が出てくる。

 

「じゃ、じゃあ、スコットがトイレに行ったのも、し、城咲が何かやったんじゃ……」

「何を言ってる。オレは別にシロサキに促されてトイレに行ったわけじゃないぞ」

「い、いや、そ、そうかも知れないけど……り、利尿作用のある食材とか、は、腹を下しやすい料理とか、何か食べさせられたんじゃ……」

「シロサキが、オレにそんな事……!」

「スコット君。何か、城咲さんから提供されたものを飲んだり、もしくは食べたりしましたか?」

「………………飲んだ」

「……そうですか」

 

 もちろん、これで決まり、という話にはならない。けれども、城咲が自分一人になるために仕組んだ可能性は高まってきた。

 

「ともかく、経緯はどうあれ城咲さんは一人で大迷宮に向かったのです。そして、自分でわざとそうなる状況を作ったのかもしれない、という可能性があることも覚えておいたほうがいいかもしれませんね」

 

 杉野が、今の一連の流れを総括した。

 その背景はともあれ、城咲はクロの思惑通りに、そして七原はクロの想定外に大迷宮にやってきた。そして、ふたりとも事件に巻き込まれたということになる。

 

「さて、お二方についての話はもうよろしいでしょうか?」

「そうね。大概話したでしょ」

「では、これで城咲さんと七原さんに関しての情報共有は済んだという事になりますが……他に何か、気になることはありますか?」

 

 と、杉野がスコット達に尋ねる。彼は少し悩んでから、口を開いた。

 

「……チェックポイントの血が気になる」

『かなたが倒れてたところか?』

「ああ。あの血の量はなんだ?」

「確かに、城咲君一人の血液とは思えないな。七原君が流した血液も含まれていたのならまだ理解できる(筋が通る)けれど、彼女が刺されたのはチェックポイントでなく通路だ。あの血は、どこから湧いてきたんだ?」

 

 チェックポイントに広がっていた巨大な血溜まり。彼らが疑問に思うのも当然だ。

 

「それなら結論が出ています。先程、更衣棟のシャワールームの話になった際に、輸血パックの空が置かれていたと説明があったでしょう? 城咲さんと七原さん以外に血を流している人も見られませんし、あの血は輸血パックのもので間違いないでしょう」

「ん? 先程(前話)で、輸血パックの血はシャワールームに撒かれていたと平並君の台詞に書かれていたが……」

「あー、言い方が悪かったな。輸血パックが四つあったってことは言っただろ? シャワールームに撒かれたのは、量からするとそのうちの一つだけだ。それも厳密に言うと、シャワールームに撒かれたんじゃなくてブルーシートの中の凶器やらにかけたのが床に滴っただけなんだが……」

「ですから、残り三つ分がチェックポイントに撒かれたものだろう、と判断したのです」

「……なるほど」

 

 スコットが、納得の声を上げる。

 

「あ、あの血って、は、犯行の前に撒いたんだよな……? は、犯行中にそんな暇は無いし、お、斧を使った後は、な、七原を追ったんだし……」

「ええと……ああ、そうだと思う。城咲の靴底に血がついてたから、犯行の前に血を撒いておいて、そこに城咲がやってきたはずだ」

「な、なんで……?」

「え?」

 

 想定外の返しで、つい疑問符を浮かべてしまった。

 

「は、犯行後に血を撒いたんだったら、な、何か都合の悪いものを消したとか考えられるけど……ほ、ほら、シャワールームの方はそういう目的だろうし、し、城咲のダイイングメッセージを消したのもそういうやり方だし……け、けど、は、犯行の前にわざわざ血を撒いて、な、何の意味が……」

「……言われてみりゃァそォだな」

 

 根岸の意見を聞いて、各々がその理由を考える。

 真っ先に口を開いたのは大天だった。

 

「血で、城咲さんの足を滑らせたかった、とか」

「と、いいますと?」

「城咲さんって護身術を身に着けてるみたいだから何か対策がないと殺すのって難しいじゃん。実際、私は前に邪魔されたし……」

「その意見(台詞)間違っている(書き直すべき)かもしれないな。床に血を撒いて理想の状態(ベストコンディション)で振る舞えないのは犯人も同じだろう」

「……そっか」

「ショッキングな光景を作りたかった、とかはどう? 床一面に血が広がってたら、相当刺激的な光景になるでしょ。これなら斧を使った理由も、『そっちの方が派手だから』って説明が付けられるわ」

「確かに筋は通りますから、それを否定はしませんが……そういった、犯人の思考が狂っていることを前提にした解釈は、議論を尽くした後の最終手段とすべきでしょう。そういうアイデアを安易に採用しては、何でもアリになってしまいます」

「何よ。じゃあアンタもなんか意見出しなさいよ」

「そう言われましても……」

 

 提案と否定が続く。

 死体の頭を斧で叩き割るようなヤツの行動に、合理的な理由などあるのだろうか。それならいっそ、東雲が唱えたイカれた推理の方がよっぽど正解に思えてくる。

 けれども、それを安易に答えとしたくない。掴みどころのない謎を前にして、分かりやすい答えに飛びついているだけな気がしたから。

 

「…………」

 

 考えよう。これまでに議論で明らかになった事実がカギになるのか。それとも、まだ議論できていない何かが関わっているのか。

 俺が手に入れた情報を、全て吟味しろ。

 

「……あ」

 

 声が漏れた。

 待てよ。まだ話し合っていない事がなかったか? それこそ、血溜まりに関する事柄で。

 

「なんかひらめいたか、平並」

「ひらめいたと言うか……血溜まりに関係することで、まだ話し合っていない事があっただろ」

「は、話し合っていないこと……」

「もしかして、入口側に続く引きずった跡のことですか?」

「そう、それだ」

 

 答えてくれたのは杉野。まあいい。

 

「明日川達も、何を言ってるかは分かるだろ」

「ああ。城咲君の死体(書影)を確認した時に、チェックポイント(惨劇の舞台)から入口(表紙)側へ血が続いているのは視界に捉えている(描写されている)。もっとも、ボク達はその後出口(裏表紙)側へ引き返したから、その詳細までは確認できていない(読めていない)が」

 

 ……明日川の言ってる事のほうがよくわからないな。話は通じるようだからいいが。

 

「チェックポイントから入口に向けて、何かで引きずったみたいに血の跡が残ってたんだ。入り口につく少し前にかすれて途切れたみたいだったが」

『そんなとこまで、何を引きずったんだ?』

「……は、白衣じゃないのか……?」

 

 確信めいた自信を持って根岸が答える。

 

「白衣だァ?」

「う、うん……あ! い、いや、ぼくのじゃなくて……! しゃ、シャワールームに置かれてたっていう、く、クロが使った遠城の白衣の方……!」

「章ちゃん、理由があるの?」

「お、おまえはぼくと一緒に調べたから知ってると思うけど、あ、あの白衣の(すそ)が土とかで汚れてて……ふ、普通に着て裾が汚れるような身長の奴はいないし、だ、だったら、わ、わざとどこかで引きずったってことだろ……?」

「……そうですね。そうなると、その白衣を引きずったのは迷宮の中のあそことしか考えられません」

「そ、そうだよな……!」

 

 自分の意見が賛同され、興奮する根岸。

 

『犯人がそれをしたのって、犯行の前だよな?』

「そうでしょ。さっきも誰かが言ってたけど犯行後にそんな時間無いし」

「ってことは、えっと、犯人は何かやりたいことがあって白衣を引きずって、それであんな血の跡が残っちゃったの?」

「……いや、逆だな」

 

 露草の推理を聞いて、とっさにそんな言葉を出した。

 

「クロはああやって血の跡を残したかったんじゃないか? そのために迷宮に血を撒いて、白衣を引きずったんだよ。単に白衣を汚すために引きずりたかっただけなら血をつける必要は無いだろ。迷宮の廊下に血を残すことが目的だったんだ」

「も、目的って……じゃ、じゃあ、く、クロはなんでそんな事をしたんだよ……?」

 

 ……そうだ、さらにもう一歩先の目的があるはずだ。

 廊下に血がある状況と無い状況で、何が変わる? クロや城咲の動きは、どう変わる……?

 

「……あ」

 

 犯行の状況を頭で思い描くために、俺が大迷宮に足を踏み入れた時の事を思い出して気づいた。その時の俺の動きが、そのままこの謎の答えになっていた。

 

「道案内だ」

「…………あァ、そう言うことか」

 

 火ノ宮の、納得する声が聞こえる。

 

「クロが城咲を大迷宮に……例えばチェックポイントに呼び出したとして、中は迷路になってるんだから何の道するべもなくチェックポイントには到達できないだろ。そんな事が出来るのは、一度迷宮を踏破して、かつ記憶力に優れている明日川ぐらいだ」

「ああ、おそらくそうだろう」

「城咲に迷われたら犯行に影響が出るかもしれないし、下手をすれば真正面に鉢合わせてしまうかもしれない。それを防ぐために、道標として血を廊下に残したんだ」

「なるほどね。確かにアタシもそれを追いかけてチェックポイントまで一発でたどり着けたし」

 

 東雲も、そして俺も、あの血痕のおかげで迷路を踏破できたのだ。わざわざチェックポイントに呼び出さなくとも、大迷宮の中にさえ呼び出すことができれば、後は勝手に血を追ってチェックポイントまで走ってくれる。

 

「だから、わざわざチェックポイントに血を撒いたんですね。城咲さんをチェックポイントへと誘い出す、道標を作るために」

「そのはずだ」

「だが、そのためにあれだけ大量に血を撒く必要があるのか? 輸血パックを3袋分も使ったんだろ?」

『途中で血がかすれたらまずいし、多めに用意したんじゃないのか?』

「も、もしかしたら、さ、さっき東雲が言った事も間違ってなかったのかも……ほ、ほら、しょ、ショッキングにしたかったってやつ……そ、そうすれば、し、城咲の気を引く事ができるから、お、襲いやすくなるはずだし……」

 

 そして明らかになる、床一面の血溜まりの真相。

 あれは、偽装工作ではなく、犯行そのものの手段の一つとして用いられたものだった。

 

 

 大迷宮に散らばった証拠と謎が、議論によって一つの大きな流れにまとまっていく。

 それは微かに、けれども確実に、学級裁判という名の迷宮の出口を照らし始めている。

 

 

「ねえ、そろそろいいんじゃないの?」

 

 そして、議論はついに核心に迫る。

 

「大概の情報は共有できたわ。謎も残ってるけど、証拠の大部分については議論できたでしょ」

「ええ、そうですね」

 

 もう、真実を明らかにする証拠はそろっているはずだ。

 

「それでは、話し合うといたしましょう。城咲さんを殺したクロは一体誰なのか、という最大の謎について」

 

 ピリッ、と、裁判場に冷たい空気が駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、クロを突き止めるために、クロの動きを確認してみましょうか」

 

 例によって、杉野が指揮を執る。犯行時のクロの動きを追えれば、クロの条件が見えてくる事になる。

 

「犯人は、大迷宮に城咲さんを呼び出し、背後からナイフで襲いかかりました。そして、複数回城咲さんにナイフを刺した犯人は、一度チェックポイントから離れます。その後、おそらく斧を手にして現場に戻ってきた犯人はスタンガンと斧を城咲さんに使用しますが、この現場を七原さんに目撃されてしまいます」

「で、七原を口封じに襲った後に、隠し通路を使ってシャワールームに逃げたのよね。その後、着替えたクロはそこに凶器や白衣を放置して、アタシ達に合流した……そういう流れだったかしら」

「はい、その通りです」

 

 杉野のまとめを、東雲が途中から奪う。クロは、巧妙に大迷宮を逃げ出したのだ。今更、大天をクロだと決めつけているヤツなどいない。

 

「そして、この一連の流れの中で、犯人特定に繋がるのは、シャワールームでの行動でしょう」

 

 ……ん?

 

 何故か、その杉野の声に違和感を覚えた。

 今の言葉に異論があるわけではない。それなのに、なんだ、この、気持ち悪さは。

 

「岩国さん、この学級裁判の序盤で、シャワールームについて話した時に『話が進みすぎている』としてお止めになりましたが、今もまだそうおっしゃいますか?」

「……まさか。もう基本的な議論は終えた。好きに話せ」

「では、そうさせていただきます」

 

 議論のセオリーを知る岩国にも確認をとって、杉野は話を始める。

 皆、杉野の言葉を待っている。まるで、彼の独擅場のように。

 

「犯人は、犯行後に大迷宮から更衣棟のシャワールームへと逃走しました。先程東雲さんも語られましたが、凶器などをそこに放置して僕達に合流したわけですが……平並君」

 

 突如、杉野に名前を呼ばれる。

 

「……なんだ?」

「犯人がシャワールームでその他にしたことは何か分かりますか?」

 

 その答えは分かる。あの現場を見ればきっとその予測は立つし、学級裁判の序盤でスコットが言おうとして岩国に止められたのもそれだ。

 ただ、それを俺に聞く意味が分からない。どうせ杉野自身も答えにたどり着いているだろうし、そのまま言えばいいのに。

 

「……返り血を洗い流したんだろ」

 

 意図もわからないまま、その問いに素直に答える。

 

「クロがシャワー室を使ったという事はさっきも話しただろ。シャワールームで何かの血を洗い流したようだが、凶器は全部棚に放置したんだから、洗い流したのは返り血のはずだ」

「ええ、僕も同じ意見です」

 

 穏やかな声色で、優等生を褒めるような声で杉野が告げる。嫌な寒気が肌をなぞる。

 

「クロは遠城君の服を着て、更に目出し帽まで被って犯行に及びましたが、それでも血を受ければ裏にまで透けてしまうはずです。例えばシャツの上から白衣を前後逆に羽織ったとしても、その下まで血が透ければ当然その処理が必要になるはずです。そうですよね?」

「……あァ」

「それなら良かったです」

 

 安心した、とでもいいたげな声の杉野。そしてそのまま彼は喋りだす。

 

「では、今の推理からクロの満たしている条件を考えましょう」

「条件……」

「クロは、犯行後に訪れたシャワールームで着ていた遠城君の服を脱ぎ捨てると、返り血を流すためにシャワーを浴びた(のち)に、自分の服に着替えて更衣棟を後にしました。そして、その後僕達と合流するまで数分と経っていません。すなわち、その時点で、クロは……」

「か、髪が濡れてるんだ……!」

 

 丁寧に、思考を誘導する杉野の声。その杉野が言葉を溜めた瞬間に、根岸が叫んだ。

 

「その通りです、根岸君」

 

 それを待っていた、と言わんばかりの杉野。

 

「この時点で容疑者は三人に絞られるのです。大迷宮へと合流した時点で、髪を濡らしていた三人に」

 

 三本指を立てた手を胸の前に示しながら、コイツは語り続ける。

 

「すなわち、明日川さんに東雲さん。そして、火ノ宮君。この三人が容疑者です。異論はありませんね?」

「無論だ」

「そうね」

「あァ」

 

 杉野に名前を挙げられた三人は、それぞれに返事をする。

 

「一応、それぞれ髪が濡れている理由を今一度お伺いしましょうか。僕が言うよりも、本人に説明してもらった方が良いでしょう」

「では、ボクから台詞を並べようか。ボクの場合は大浴場で体についたコーヒーを洗い流した結果さ。湯船での入浴(サービスシーン)を終えて体を拭いた(ページ)であの絶望のチャイムを聞いたからね」

 

 明日川は、大浴場で。

 

「アタシがシャワーを浴びたのはクロと同じ更衣棟のシャワールームだけど、アタシはただ汗を流しただけよ。使ったシャワールームも違うわ。アタシが使ったのは1番のシャワールームよ。ほら、水色の」

 

 東雲は、更衣棟で、髪を濡らした。

 そして、火ノ宮は。

 

「オレは個室でシャワーを浴びただけだ。浴びた理由も単に眠気覚ましのためだけで、別に大した意味はねェ。目ェ覚ましたばっかだったからなァ」

 

 個室で、シャワーを浴びたと。そう主張した。

 彼の主張は、以前と変わらなかった。

 

「…………」

 

 その主張が嘘であると、俺と杉野は知っている。

 なぜ、彼は嘘をつくのだろう。

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

 その嘘に、なぜか杉野は言及しなかった。……どうして?

 だったら俺はどうすればいい。今、その嘘に触れるべきか。

 けれど、それをすれば、信じたくない答えが返って来るかもしれないと。そんな恐怖が、俺の声を喉奥に引き止めた。

 

「さて、それではこの中で一体誰が城咲さんを殺したのかを議論いたしましょう」

「……なら、まず一人、容疑者から外せるヤツがいる」

 

 彼の嘘を暴くべきかと、ためらっているうちにスコットが声を上げた。……火ノ宮の件は、ひとまず今は置いておこう。

 

「アスガワは、犯人じゃない」

「ふむ。その理由をお伺いしましょうか」

「犯行時間、明日川は証言通り大浴場にいた。コーヒーをかけられた後、アスガワがちゃんと大浴場に入ったのも、あのアナウンスの後にその大浴場からから出てくるのもオレが目撃してる」

「つまり、ボクの現場不在証明(アリバイ)は成立している、というわけだな?」

「ああ」

 

 先程の明日川自身の説明にもあったが、明日川は死体発見アナウンスを聞いて、大浴場を飛び出てスコットと合流している。二人の証言が一致しているのなら、そこに疑いの余地はない。

 

「では、犯行の間中、明日川さんはずっと大浴場の中にいたということになりますね。城咲さんが失踪したタイミングにはスコット君は席を外していましたが……もしもそのタイミングで大浴場を抜け出し犯行を行っていたのなら、アナウンスの流れた後に大浴場から現れる事は不可能です」

『なら、棗は容疑者から外してもよさそうだな』

「それはどうかしら?」

 

 黒峰の言葉に、異を唱える声が上がる。

 

「そうやって安易に結論づけるのは早いと思うわ」

 

 挑発的な目の東雲だった。

 

「でも、棗ちゃんにかなたちゃんを殺すのは無理だよ」

「たった今申し上げたでしょう。大浴場を抜け出すことは出来ても、戻ってくることが出来ないのです」

「大浴場へ続く道は食事スペースで城咲君を待つスコット君に見張られている。【自然エリア】から繋がるゲートで立ち往生するのが結末(オチ)だ」

「一見すればそう思えるでしょうね。けど……そうね。アンタ風に言うなら、アンタはそう主張することが犯行計画(プロット)だったのよ」

 

 彼女らの主張に、明日川の台詞を揶揄しながら反論する東雲。

 

「アンタのその主張(台詞)、もしも隠し通路があったって考えれば、何の意味もないじゃない」

「……隠し通路?」

「ええ。更衣棟から大浴場まで隠し通路があったとしたら、犯行の後もスコットに見つからずに大浴場に戻ってくる事が出来るわ」

「それは……」

 

 確かに、東雲の言う通り、それなら明日川にも城咲を殺すことは可能だ。可能だが。

 

「明日川はクロじゃねェよ。変なとこに拘るのはやめろ」

「変なとこなんかじゃないでしょ。現に、大迷宮から更衣棟に繋がる隠し通路はあったじゃない。大浴場に隠し通路がないってどうして断言できるわけ?」

「……仮にあったとしても、明日川は使ってねェ」

「何それ。反論になってないわ。明日川がクロじゃないって言うなら、ちゃんと理由を言ってちょうだい」

「…………」

 

 東雲にそう返されて、火ノ宮は黙り込んでしまった。

 更衣棟から大浴場に隠し通路……? 俺達が捜査の時に使った大迷宮から繋がる隠し通路と違って、もしそんなものが存在すれば、遠く離れたエリアをつないでいる事になる。それほど大きなものが存在するのか?

 ……違うな。技術力を考えても意味がない。だから、考えるべきはそうではなく……。

 

「いえ、これ以上隠し通路は存在しないでしょう」

 

 思考の果てに至った結論が、俺が口にするより先に杉野によって語られた。

 

「へえ……その根拠は?」

「この施設が、モノクマが『推理ゲーム』のために用意した施設だからです。隠し通路なんて推理を根底から覆すようなものを、モノクマが用意するとは思えません。なにせ、モノクマは『公平』を謳っていますから」

 

 

──《「とにかく! ボクはちゃんとオマエラがちゃんと推理が出来るように色々気をつけて準備してるの! 推理のしようがないようなアンフェアな状況は排除してるワケ!」》

 

 

 捜査をしているさなか、モノクマは俺達にそう語った。きちんと捜査をすれば、学級裁判で必ずクロを見つけられる……少なくとも、それが可能になるほどに情報は集められるということだ。

 

「そんなこと言ったって、もう現実に一つ隠し通路があるじゃない。一個でも隠し通路がある以上、二個目三個目が無いなんて言い切れないはずよ」

「いえ。モノクマ曰く、あの隠し通路に繋がる扉のカギは大迷宮側からはかけられず、隠し通路を通って逃走したのならカギが開いた状態になるそうです。つまり、隠し通路が使われたならその存在が捜査の時に必ず明らかになるのです」

「だから、あの隠し通路は推理に組み込める、『公平』なものということか?」

「その通りです、スコット君。逆説的に、そうでなければ隠し通路など存在しない、ということになりますね。大浴場や更衣棟に怪しい扉があった、というのであれば話は変わってきますが」

「…………」

 

 杉野の言葉を聞いて、東雲は顎に手を当てて考え込む。

 そして。

 

「オーケー、分かったわ。明日川は本当にクロじゃなさそうね」

「ご理解いただけたようで、何よりです」

 

 穏やかな声を出して話を終える杉野。

 

「それでは、残る容疑者は東雲さんと火ノ宮君のお二方、ということになりますね」

 

 そして更に絞られる容疑者。

 

「……ならもう、決まりだろォが!」

 

 先陣を切るようにして、叫び声が聞こえる。火ノ宮の声だった。

 

「そもそも、明日川が容疑者から外れるかどうかなんて関係ねェんだよ! 東雲がクロに決まってるんだからなァ!」

「アタシ? ま、アンタからすればそう言うしか無いでしょうけど」

「んなこたどうだっていいんだよ。てめー、更衣棟から出てきたんだろォが!」

「そうね。確かに犯行の時間、アタシは更衣棟にいたし、シャワーも浴びてたわ。でもそれは、トランポリンで遊んでかいた汗を流したかったからだって言ったでしょ。そうよね、平並?」

「あ、ああ……」

「フン、どうだかな。城咲を殺した後、慌てて返り血を流してから平並達に合流しただけじゃねェのかァ?」

「……確かに、かなり慌てた様子だったが」

 

 大迷宮の前に俺達から少し遅れてやってきた東雲は、服のボタンもまともに留めていなかった。七原の悲鳴を聞いて慌てて更衣棟を飛び出した、というのが彼女の説明だった。

 

「だが、七原の悲鳴を聞けば誰だって慌てる。実際、俺もかなり慌てて大迷宮に駆けつけた」

「まったく、言いがかりもいいところね。反論なんか山程思いつくわ」

 

 余裕綽々、といった様子の東雲。

 

「いい? アタシには城咲を殺す時間なんか無いのよ」

「時間だァ?」

「そ。アタシは体育館でトランポリンで遊んでたわけだけど、ずっと平並と杉野と一緒だったって事は知ってるでしょ?。で、先にアタシは切り上げて更衣棟に向かったわけだけど、一人になった時間はそう長くはないはずよ。そんな短時間で大迷宮に行って城咲と七原を襲って戻ってくる? 無理よ無理無理」

「っ……」

 

 彼女の説明を聞いて、火ノ宮は裏を取るように杉野を見る。

 

「ええ、確かに、犯行が行われた時間の直前まで……正確に言えば、七原さんの悲鳴が聞こえるその少し前まで、東雲さんは体育館にいました」

「ほらね」

「…………」

「け、けどさ……」

 

 沈黙した火ノ宮に代わって、根岸が反論を試みる。

 

「そ、それって、時間とか測ってたのかよ……?」

「……いや、測ってたわけじゃないが」

「お、おまえには訊いてない……!」

 

 ……厳しいな。

 

「ま、まあいいよ……で、じ、時間をちゃんと測ってないんだったら、か、確実に東雲に犯行が無理だ、なんて言えないんじゃないのか……?」

「それこそ言いがかりじゃない。アタシをクロだって決めつけてるだけでしょ」

「い、いや、別に東雲がクロだって決めつけたいわけじゃない……! け、けど、ど、どう考えたって怪しいのは東雲の方だろ? そ、そこは慎重にならなきゃいけないから……」

「……確かにな。シノノメが体育館にいたのも、更衣棟に行くための言い分を作るためかもしれない。どれだけ気を付けても、犯行後に更衣棟から出ていく所を見られるリスクはあるだろ」

「俺は東雲が更衣棟から出てくる所を見たわけじゃないが、万一見られてもいいように最初から言い訳を作っておいたと?」

「かもしれない、という話だ」

 

 ……真実はどうなのだろう。東雲のこれまでの言動を振り返ると、東雲は十分に犯行に及び得る人間だ。命を懸けた学級裁判を『樂しい』と表現してしまう彼女は、その楽しさとスリルを味わうためだけに城咲を殺したっておかしくないと思える。火ノ宮とは対極の人間だ。

 けれども、東雲を怪しい、と疑うことはできない。彼女は次に開放される海を楽しみにしていたし、それに、何より……。

 

「東雲さんは、おそらくクロではないでしょう」

 

 怪しいのは東雲だという意見が飛び交うさなかを、芯の通ったその声が切り裂いた。

 

「あら、信じてくれるの?」

「も、もっとハッキリとした根拠があるのか……?」

「申し訳ありませんが、東雲さんを信じたと言ってしまうと嘘になってしまいますし、明確な根拠があるというわけでもありません」

「じゃ、じゃあ、なんで……」

「そもそも疑うべき人物が東雲さんではないのです」

 

 凛と、ハッキリと告げる杉野。

 

「東雲さんは確かに怪しいです。普段の言動もそうですが、体が濡れていた、身だしなみに気を使う余裕もなくやってきた、そして、渦中の更衣棟にいた……疑う理由も十分揃っています。けれども、これらは偶然が積み重なった結果ともいえます。東雲さんが悪意なく取った行動なのに、それが怪しい行動として見えてしまっているだけかもしれません」

「そ、それは……まあ……」

「しかし、そうではなく、悪意を持って不審な行動を取った人物がいるのです」

 

 『悪意を持って』。

 それが杉野の告げた通り、本当に悪意によるものなのか、そこまでは俺にはわからない。けれども、それが俺達を騙そうとする行為であることは確かであり、だからこそ俺は東雲を疑いきれなかった。彼を、疑うしか無かった。

 東雲以外に、疑うべき人物。それは、容疑者が二人に絞られた今となっては、誰の目にも明白なものだった。

 

「火ノ宮君。あなたのことですよ」

「…………オレが何したっつーんだよ」

 

 心当たりは、あるはずだ。

 

「こう仰っていますが。平並君、どう思われますか?」

 

 火ノ宮の様子を見て、杉野は俺の名を呼ぶ。

 ……ああ、そういうことか。ようやく杉野が……【魔女】が何をしたいのかを理解する。これまで、コイツの声から感じた気味の悪さの正体にも気づく。

 退路を全て断った上で、劇的に彼を追い詰めんとしたかったのだ、コイツは。

 

「…………」

「……答えていただけませんか。気持ちは分からないでもありませんが……真実から目をそらしても、その果てには破滅があるだけですよ」

「ッ!」

 

 どの口が言うんだ。全部、お前が仕組んだんだろうが。

 

「何をごちゃごちゃ言ってやがる。さっさと答えろ!」

「では、言わせていただきますが。火ノ宮君。先程あなたは自身の髪が濡れている事について、『個室でシャワーを浴びていた』、そう答えましたよね?」

「あァ」

 

 肯定する火ノ宮。……やはり、彼はそれを肯定してしまう。

 

「それ、嘘ですよね? あなたがシャワーを浴びたのは、個室などでは無いのですから」

 

 そして、ついに杉野は告げる。火ノ宮の証言が嘘であることを。

 

「……えっ?」

 

 その声を聞いて、皆が戸惑いを顕にしながら火ノ宮を見る。

 

「……何を根拠に、んなこと言いやがるんだ」

「根拠も何も、この目で見ましたから」

 

 焦るような火ノ宮に問われ、杉野は淡々と告げる。

 

「……ッ」

「念の為に証言の裏を取ろうと、火ノ宮君の個室のシャワールームを確認したんですよ。ですが、その床はまっさらに乾いていました。そうですよね?」

 

 杉野の目線が、それに釣られるようにして皆の視線が俺に移る。杉野とペアを組んで捜査をしていたのは、俺だ。

 

「……ああ」

 

 そして、俺はその光景を目撃した。それを否定する事はできず、力なく首肯と共に声を漏らした。

 それを見た杉野は軽くうなずく。その表情が、俺の目には満足そうな笑顔に映った。

 

「これで皆さんもおわかりでしょう。火ノ宮君の髪が濡れていたのは、個室でシャワーを浴びていたからなどではないからだと」

「…………」

 

 火ノ宮は、杉野の声を聞きながら少し俯いて床をにらみ付けていた。

 

「どうしてそんな事を今の今まで(学級裁判編の終盤まで)黙っていたんだい? 議論に欠かせない重要な要素(ページ)だろう」

「申し訳ありません。ですが、この嘘を暴くならこのタイミングでしか無いと思ったのです。余計な先入観を抱いてもいけませんし。特に打ち合わせたわけでもありませんが、平並君もおそらく同じ考えで黙っていたのでしょう」

 

 違う。

 俺はそんな打算的な感情でこの事を黙っていたわけじゃない。ただ、信じたくなかっただけだ。あの火ノ宮が嘘をついていると。あの、火ノ宮が……。

 

「ど、どういうことだよ、ひ、火ノ宮……!」

「……嘘ついてて悪かった」

「…………なら、オマエの髪はどこで濡れたんだ」

 

 静かな、感情を押し殺すようなスコットの声。それを聞く火ノ宮には、いつもの、そして先程までの覇気はなく、少し考え込んでから口を開いた。

 

「……本当は、オレも大浴場に行ったんだ。そこでシャワーを」

「それも嘘でしょう」

 

 火ノ宮の声を遮って、杉野がピシャリと告げる。

 

「もし本当にそうなのであれば、最初からそうと言えば良かったのです。それなのに、あなたはそうしなかった。そうできない、理由があった」

「…………」

 

 杉野は、追い詰める。

 致命的な嘘をついた火ノ宮を、理路整然と、追い詰める。

 

「なぜ、個室でシャワーを浴びたと嘘をついたのか。その答えが何を意味するのか……もう、この場の全員が理解しています」

「違ェ……! オレは何もやってねェ! オレは……オレは!」

 

 懸命に反論する火ノ宮だが、その口からロジックが出てこない。そんな芯の無い言葉では、何を言っても信用することはできないし、おそらくはそれを彼自身も理解しているはずなのに。

 

「……平並君」

 

 そして急に、杉野は俺の名を呼んだ。

 

「お願いします。これまでのように、いつものように、彼の犯行を明らかにしていただけませんか。きっと、彼に罪を認めさせるには、あなたの言葉が必要なのです」

 

 真剣な声に乗せて杉野は俺にそう頼むと、そのまま口を閉ざして俺の言葉を待つ。その杉野の声に誘導されたように、皆も彼に倣って俺を見つめていた。

 

 謀られた。

 

 どう考えても、ここで杉野が俺に託す意味がない。俺の言葉が必要? そんなはずはない。杉野がそのまま喋り続けていればよかったのだ。

 それなのに、杉野は俺に押し付けた。火ノ宮の罪を暴く致命的な一言を。

 この一言を俺が口にすることで、【魔女】の描いた愉快な物語は完成する。

 

 シリアスな表情で俺を見つめる【言霊遣いの魔女】と、視線がぶつかる。

 【魔女】は、火ノ宮を言葉巧みにそそのかして殺人を犯させたのだ。そしてそれを俺の口から告げさせようとしている。【魔女】の犯行を必死に止めようとした、俺の口から。

 すべては、自らの享楽のために。そのために、俺が語らざるを得ないこの状況を作り上げたのだ。

 

 【魔女】を睨みつける俺の口の中で、ギリと歯ぎしりの音が鳴る。

 何もかもが、コイツの思い通りになんてなってたまるか。まさか、本当に火ノ宮が人を殺すはずなど無い。きっとまた、何かを勘違いしているのだ。

 そう自分に言い聞かせようとしても、脳裏に浮かぶのはあの使われていないシャワールームだけ。俺が何を言い繕ったとして、火ノ宮が嘘の証言をしたことは疑いようのない事実なのだ。だからこそ、こんなにも火ノ宮は疑わしく見えてしまっている。

 

 信じたい、火ノ宮を。殺人を忌避すべきだと唱え続けてきた火ノ宮を。仲間達を信じ続けてきた火ノ宮を。古池達を殺した責任を負って前を向きたいと呟いた火ノ宮を。

 火ノ宮は、人を殺すということに、誰より真面目に真正面から向き合っている。そんな彼が、あまつさえあんなやり方で城咲を殺すはずなど無いのだ。

 

 けれども、彼が無意味に嘘をつくことこそあり得ない。あの火ノ宮が嘘をついたということは、何か隠したい真実があったという事にほかならない。それが、殺人という罪だったのなら、嘘をついた理由はあまりにも明白なものになる。

 

「…………」

 

 決断を迫られている。

 

 まだだ、諦めるな。思考を止めるな。脳を回せ。

 火ノ宮が疑わしいのは、嘘をついたという一点だけだ。この一点に合理的な理由を付けることができれば、火ノ宮がクロだという結論にはならないはずだ。

 

 なぜ火ノ宮は嘘をついた。個室でシャワーを浴びていた――そう偽って、彼はどこで何をしていた?

 アイツの言動を思い出せ。その中に、その疑問の答えが潜んではいなかったか。

 

 

 

 

 

 

 悩んで、悩んで、悩んで。

 

 

 

 

 

 

 その思考の果てに、俺は一つの結論を出した。

 

 彼は、罪を犯してしまったのだと。その罪を隠すために、彼は嘘の証言をしたのだと。

 

 

 

 

 

 

 信じたくない。彼がそんな事をする人間だとは思えない。否、思いたくない。

 

 けれども、その真実以外に答えは見つからなかった。

 

 

 

「……火ノ宮」

 

 

 

 息を吸い込んで、証言台の縁を握りしめて。そして遂に、俺はその言葉を口にした。

 

 彼の罪を明らかにする、一言を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、明日川の風呂を覗いたんだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 間の抜けた杉野のそんな声が、裁判場に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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