ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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非日常編③ その扉の先には真実が眠っている

 《大迷宮/通路》

 

 捜査を続ける俺達は、チェックポイントを離れて大迷宮の通路を歩んでいた。足が止まったのは、少し歩いてすぐのことである。

 

「…………」

 

 これ以上大迷宮から情報は得られない、という判断は早計だったらしい。

 そう判断したのは、通路に残る血痕を目にしたからだった。

 

「七原さんが刺されたのはここのようですね」

 

 チェックポイントから出口へと繋がる通路のその道中。初めてこの惨劇を目にしたときから気になっていた、通路に一際大きく広がる血溜まり。そこから出口まで七原の這いずってできた血痕が続いていた事を踏まえると、杉野の推測に異論は無かった。

 ただ、この血溜まりは最初から嫌でも目についていたし、その推測もすでに見当がついていた。それとは別に、改めてここにやってきてようやく気がついた物がある。

 

「何だ、この血痕……?」

 

 その広がる血溜まりから、点々と小銭ほどのサイズの血痕がどこかへと続いている。そもそも、同じような血痕はチェックポイントからこの血溜まりに至るまでにも続いていた。それを辿ってここまで来たのだし。

 

「犯人の服から滴った血の跡でしょう。犯人が返り血を浴びているのは間違い無いでしょうし」

「そんな事分かってる」

 

 俺が疑問を浮かべたのは、その血痕の続く先である。その血痕は、血溜まりから少しチェックポイントの方へ引き返し、分かれ道で別方向へ曲がっていた。

 チェックポイントからここまで血痕が続いているのはわかる。チェックポイントで城咲を殺した後、七原を追ってここで追いついたのだろう。であれば、この行き先の妙な血痕が、七原を刺した後の犯人の行動を示しているはずだ。

 それが、出口ならいざ知らず、なぜ迷宮の中に続いているのだろう。大天が潜んでいた場所につながる方向でもない。

 

「…………」

 

 考えていても埒が明かない。その血痕をたどって行き先を明らかにすることにした。背後から、俺に続く杉野の足音も聞こえる。

 そして無言のまましばし歩いた俺達が目にしたのは、驚愕の光景だった。

 

「……なっ!」

 

 血痕は、()()()()()()()()()()

 開いたドアの向こうに薄暗い空間が広がっている。少し下り坂になっているようで、地下へと潜っていく通路になっていた。

 

「な、なんだよこれ……」

「確か、大迷宮の中に鍵のかかった扉がある、という話が明日川さん達の報告にありましたね」

 

 

──《「チェックポイントを越えた先の行き止まりの一つに、真っ白な(表紙)があった」》

──《「それは……でぐちの、ですか?」》

──《「いいや。当然それとは別に、だ」》

 

 

 そう、確かに明日川はそんな事を言っていた。この扉が閉じていれば行き止まりの形になるし、間違いないだろう。

 そんな扉が、なぜ開いているんだ。

 そして、血痕が残っているということは、犯人はここを通ったという事になる。この、どこかへ続く道を。

 

「…………」

 

 いくつかの謎の答えに見当を付けながら、俺達は更に点々と連なる血痕を追って通路を下っていった。下り坂がやがて平坦になっても、通路は先に続いている。天井に頭をぶつけないよう軽くかがみながら、儚い灯りに照らされた通路を進む。

 そして、ついに行き止まりにたどり着いた。目の前の壁にははしごがかけられ、天井に空いた四角い穴から光が差している。はしごに手をかけ、その穴から顔を出した。

 

「あ、アンタも来たのね」

 

 かけられたのは、そんな東雲の声。

 そこは、更衣棟のシャワールームの一室だった。

 

「……隠し通路か」

 

 大迷宮の出入り口はそれぞれ一つずつしかない、と思いこんでいた。そんな大迷宮から、こんなところに繋がる通路があったなんて。

 

「これは、推理を考え直す必要があるかもしれませんね」

 

 杉野共々隠し通路から這い出て、改めてシャワールームを見渡した。

 隠し通路に繋がる穴があるのは脱衣所。その穴を塞いでいたであろう床板が壁に立てかけられている。その脱衣所の床にも、大迷宮と同じように血溜まりがあった。

 大迷宮からここまで隠し通路に血痕が残されていた事を考えると……。

 

「……犯人は、隠し通路を通って大迷宮を抜け出したのか!」

「そう考えるのが順当でしょうね」

 

 と、東雲が同意する。脱衣所の棚を漁っていた岩国の横から東雲が手を伸ばして、棚から血のついたカードを取り出す。

 

「これが隠し通路のカードキーみたいよ。まったく、犯人を当てなきゃならないってのに隠し通路なんてルール違反でしょ」

 

 そのカードには大迷宮の略地図と隠し通路に繋がるドアの場所が描かれていた。なるほど、ドアには何かをかざすようなパーツがあったし、ロックを解除できるカードキーのようだ。

 ……カードキー?

 

「それって……もしかして、誰かに配られた【凶器】なのか……?」

「でしょうね」

 

 思い浮かんだアイデアを、東雲があっさりと肯定した。

 

「城咲に刺さってた斧は、誰かの私物って可能性もあるわ。それこそ、アンタが見落としただけで新家が持ってたとかね。でも、こればっかりはそうは行かないわ。だって、このカードキーは大迷宮ありきだもの」

 

 そうだ。火ノ宮に【凶器】として配られたというサウナの鍵と同じで、このカードキーは施設と直接関係がある代物だ。施設長を名乗るモノクマに配られる以外にこれを手にする方法はない。

 

「ということは……誰かが、自分に配られた【凶器】をごまかしている?」

「アタシもそう思うわ。じゃなきゃありえないもの」

 

 ま、アタシが言えたことじゃないでしょうけど、と、【凶器】を見せあった時に一度嘘をついた東雲は付け加えた。

 

「……嘘をついている可能性が一番高いのは大天さんでしょうね。彼女だけ、現物がまだ見つかっていませんから」

「よりにもよって大天ね……ま、いいわ。学級裁判までにはそのあたりもハッキリするでしょ」

 

 本当に、大天には写真が配られたのか。今一度、確認する必要がある。

 

「東雲さん。あの隠し通路のドアは、最初から開いていたんですか?」

 

 確認事項が増えたところで、杉野が隠し通路とシャワールームの捜査を始めた。

 

「そうね。あのドアは開きっぱなしだったし、そこの床板も外れたままだったわ」

 

 開きっぱなし……まあ、あのドアまで血痕は続いていたわけだし、このシャワールームもこの惨状だ。例え鍵までかけたとしても、大迷宮とシャワールームをつなぐ隠し通路があるということは推測できただろう。

 ともかく、こうなってしまうと、さっき杉野が告げたとおり推理を改めて考え直さなくてはいけなくなる。正しく、犯人の動向を追わないと。

 

「それにしてもひどい有様だな……」

「東雲さん、確かあなた、七原さんの悲鳴が聞こえた時はシャワールームにいたんですよね。何も気づかなかったんですか?」

「別に何も。アタシが使ってたのは1番のシャワールームだし、関係ないわよ」

 

 使ってた部屋が違うのか。大迷宮から隠し通路がつながっていたこの部屋は、タイルが黄緑色だから4番の部屋だろう。

 それに、犯人がここに来たのは七原を刺した後だ。時間差を考えると、何も気づきようが無いとは思う。部屋が別なら、なおさら。

 

「棚には他に何かあったのか?」

 

 岩国にそう尋ねてみたが、案の定返答はなかった。仕方なく彼女のそばに近づいて、自分で棚の中身を確認することにした。

 棚には倉庫にあったブルーシートが敷かれている。かつて古池が殺人に用いたものよりはいくぶん小さなものだったが、その上に血に塗れた様々なものが置かれており、どうやらブルーシートはそれらを包んでいたようだった。

 

「多分、これが凶器ね」

 

 そう告げながら東雲が掴み取ったのは、鋭利に先端を尖らせたサバイバルナイフだった。東雲が凶器と判断したのは赤黒い血がべったりと付着していたからだろうが、このサバイバルナイフは火ノ宮が言っていた『れっきとした刃物』という条件に合致している。

 

「傷のサイズから判断してもその可能性は高い」

 

 城咲の死体を詳しく見ていた岩国が更にダメ押しをした。七原の手術をしている明日川達にも後で話を聞きたいところだ。

 

「それで、これは……もしかして」

 

 そんな言葉とともに、俺は大きな布を手にする。その形状と血に染まりきっていない白地の部分から推測した通り、広げてみれば、それが白衣である事は明白だった。すなわち、七原が血文字で示していた存在である。

 ところどころがすすで汚れたそれは、主に背中の全面がその裾に至るまで赤く血で染まっていた。他に特筆すべきことがあるとすれば、裾付近が土や塵で汚れていることか。

 

「白衣ですか。白衣といえば、根岸君と遠城君ですが……」

「すすで汚れてるし、裾も長いから遠城の白衣でしょうね。というか、ほら」

 

 そんな言葉とともに、東雲は棚の中に手を突っ込む。

 

「これ、遠城の服でしょ?」

 

 そして取り出したのは、淡い色のシャツとズボン……それらも白衣と同じく血に染まっていたが、誰のものかを判別できないほどではない。それは紛れもなく、遠城の服だった。

 

「ってことは、犯人はわざわざ遠城の個室から服を取ってきたってことか」

「そうなりますね。真っ当に考えれば、ですが」

 

 個室のクローゼットには着替えが何着かしまわれている。鍵になる『システム』がない以上、遠城を含めて死んでしまった人の個室には誰でも入れるから、犯人が遠城の服を持ち出すことも可能だったはずだ。

 犯人が服や白衣を持ち出してどうしたかを真っ当に考えると、返り血を防ぐために犯行時に着たという案が浮かぶ。犯行後に、服をこうしてシャワー室に捨て置いて、着替えて外に出たのだろう。単に服を着るよりは、上から前後逆に白衣を羽織ればより返り血を防ぐ効果はある。だから遠城の服を選んだのかもしれない。

 

「にしても、七原のダイイングメッセージに『白衣』なんて書いてあったから、まさか根岸がクロじゃないかと思ってたけど、こういう事だったのね」

「ダイイングメッセージ……ああ、確かに迷宮の出口にそんな血文字がありましたね」

「……七原は死んでないんだ。ダイイングメッセージなんて言うのはやめろ」

「死にかけの時に書いたメッセージなんだから間違ってないでしょ」

 

 縁起でもないからやめてほしい。言って聞いてくれるとも思ってないが。

 呆れながら更に棚に目を向ければ、黒い目出し帽があることに気づいた。毛糸製の、伸縮性のあるそれも他の例に漏れず血に浸っていた。

 

「目出し帽も使ったのか」

 

 そうと気づけば、七原が残したメッセージのことも腑に落ちる。

 自分が誰かに襲われたとして、何かメッセージを書くのならその犯人の名前を書いてしまえばいいはずだ。ましてや、このコロシアイ生活の中では全員の顔も名前も割れているのだし。

 けれども七原はそうしなかった。その理由が、犯人が白衣を着て目出し帽を付けていたからなのだろう。そんな状況であれば、名前を書き残すことなどできなくて当然だ。『白衣』と書き残したのは、せめてもの抵抗だったのだ。

 ……だとすれば、犯人によって消された城咲のダイイングメッセージも、もしかしたらあまり意味のないものだったのかもしれない。それでも、犯人は念には念を入れて血で塗りつぶしたのだろうが。

 

「…………」

 

 ただ気になるのは、この目出し帽の出どころである。倉庫にだってこんなものなかったはずだ。だとすれば……。

 

「そして、最後に輸血パックですか」

 

 その杉野の声で思考を中断し、意識を切り替える。杉野が手にしていたのは、病院に保管されていたはずの輸血パックだった。四袋もあるが、そのすべてが空になっていた。

 

「この床の血溜まりって、輸血パックの血だよな?」

 

 そう俺が判断したのは、まさにこの輸血パックの置かれていたブルーシートから床へと血溜まりがぼたぼたと垂れ落ちていたからである。そもそも、ブルーシートの中が血でまみれていたのも、この輸血パックから血が流れ出ていたからだろう。そうでなければ、こんな犯行現場から離れた場所に血溜まりが広がるはずはない。

 

「ええ、そうでしょう」

「……別にお前には訊いてない」

「そう邪険にしないでくださいよ。犯人は何らかの意図があってブルーシートの中を血で浸し、その結果床にも血がこぼれた……こんなところでしょうか」

 

 ……発言者が【魔女】であることは推理から差し引くとしても、一番順当な考えではある。だとすれば、犯人はどんな目的があったのだろうか。真っ先に考えられるのは、輸血パックの血で何かをごまかしたかった、とか。不用意な所に血がついて、それをごまかすために輸血パックの血を……。

 

「……違うな」

 

 輸血パックはもともと病院にあったんだ。俺たちは犯行後すぐに【運動エリア】に集まったわけだから、病院に輸血パックを取りに行くことなどできなかったはずだ。つまり、犯人は事前に輸血パックを用意していた、ということになる。

 だとすると、輸血パックの血をブルーシートの中に撒く事は最初から犯人の計画のうちだったという事になる。

 

「…………」

「ねえ、杉野。一応アンタの意見も聞いておきたいんだけどさ、ブルーシートにかけるだけで輸血パックは四袋も使わないわよね?」

「そうですね。血の量から見て、ここで空けられたのは一袋だけでしょう」

「え? じゃああとの三袋の血はどこに……あ」

 

 疑問を途中まで口にして、すぐにその答えが思い浮かんだ。

 

「チェックポイントでしょ」

 

 杉野に質問をした時点でその答えに思い至っていたらしく、東雲があっさりと俺の疑問に答えてくれた。

 

「それこそ杉野が言ってたじゃない。一人から出る血の量じゃないって。他の輸血パックの血はチェックポイントに撒かれたんでしょうね」

 

 どうして犯人はそんな事をしたのだろう。……今はまだ、考えてもわからないか。

 棚にはブルーシートのみになったので、今度はシャワー室の方へ目を向けた。床に血の広がる脱衣所とは違って、一見するときれいなものだった。

 しかし、その床は濡れていた。

 

「犯行以前に誰かが利用したのでしょうか?」

 

 もしそうなら、これは別に犯行とは無関係という事になるが、現場の情報を短絡的に無視するのも……。

 

「……ん?」

 

 そんな事を考えながらよく目をこらせば、敷き詰められた黄緑色のタイルに、微かに排水溝へと伸びる薄い血の跡が残っている事に気がついた。

 

「おや」

 

 杉野もそれに気づいたようだった。

 その痕跡を見て、ふと思う。

 ここに血の跡が残るという事は、ここで血を、おそらくは犯人が洗い流したという事になるはずだ。……何の血を?

 

「…………」

 

 真っ先に思いつくのは、返り血だ。けれども、返り血なら白衣で防いだはずじゃ。

 そう思って、血に染まった白衣を見る。

 

「何か、思いつきましたか?」

「……別に、何も」

 

 杉野の質問に生返事で答えながら、棚まで近づいて白衣を広げてみる。血は当然のように、裏地まで染みている。犯人が着ていたと思しきシャツにも手を伸ばす。その薄手の生地は、血をジュクジュクと吸い込んでいた。

 ……これ、完全に返り血を防げたのか? 白衣もシャツも、決して血を弾くような素材でもなければ染みるのを防ぐほど厚手というわけではない。目出し帽だってそうだ。目出し帽はその正体を隠すだけで、自らにかかる返り血を防いではくれない。だから、もしかして、犯人は返り血を……。

 そして、このシャワールーム……。

 

「何か考えがあるなら教えなさいよ」

 

 と、思案にふける最中、声をかけられた。

 

「あ、いや。なんでもない」

「……変なやつね」

 

 急に声をかけられて、とっさに嘘をついてしまった。どのみち、今はまだ結論は出せない。

 東雲はそんな俺を見て眉を潜めつつ、けれどもどうでも良さそうに目線を元に戻す。濡れた髪から滴る水が血溜まりに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟》

 

 岩国達は調査を先に終えて更衣棟を出ていった。俺たちも残って少し調べてみたが、東雲が使ったという1番のシャワールームに使用された痕跡が残っていたこと以外の収穫は得られなかった。

 真面目に捜査に取り組む……少なくとも傍目にはそう見える杉野に顔をしかめながら、俺達は宿泊棟に移動した。斧や白衣の件を少しは調べておきたい。

 

「てめー、いい加減にしやがれ!!」

 

 宿泊棟に足を踏み入れて、さてどこから調べようかと思った矢先、そんな火ノ宮の怒鳴り声が聞こえてきた。何があったのだろうか。

 声を辿って火ノ宮を探す。彼は、顔や髪についた血を洗い流した大天とともにダストルームにいた。

 

「おい、どうしたんだ」

「あァ!? チッ、てめーらか。どォしたもこうしたもねェよ!」

 

 その顔や服をところどころ黒く汚していた火ノ宮は、耳を抑えたくなるほどの憤りを顕にする。その怒りの矛先と思われる大天は、むくれたままそっぽを向いていた。

 

「コイツ、自分に配られた凶器が写真だって言ってただろ」

「ええ。怖くなって破いて、自室のゴミ箱に捨てたとも」

「あァ。だからその裏付けでコイツの個室を調べたんだよ。そしたらよォ!」

 

 また声のギアが上がる。

 

「ゴミ箱の中から写真の残骸なんか見つかんなかったんだよ!」

「はあ?」

「それを問い詰めたら『ゴミは昼に焼却炉に移した』とか言い出しやがったからこっちも調べたけどよォ、結局焼却炉にも写真なんか捨てられてねェんだよ」

 

 汚れているのは焼却炉の中を調べたからか、と納得しつつ、火ノ宮の言葉を訝しみながら大天に視線を移す。反論しない、ということは火ノ宮の言葉は本当なのか。

 

「どういうことです、大天さん。写真が配られたというのは嘘だったんですか?」

「……嘘じゃないよ。火ノ宮君が見つけられなかっただけじゃん」

「ちゃんと探したっつーの! 今日は焼却炉が稼働してねェんだから、ここに捨てたなら破いた写真を見つけられねェとおかしいじゃねェか!」

「あんなもの誰かに見つかったら嫌だから、灰の下に隠したんだよ。自分が探しきれなかった癖に私のせいにしないでよ」

「てめーが嘘ついてんだろっつってんだよ!」

 

 今にも飛びかからんとする火ノ宮をなんとかなだめる。ただ、そもそも前回殺人を企みそれを反省しない大天に、火ノ宮は強い敵意を抱いている。今更俺が何かを言ってもその感情をどうにかすることはできないはずだ。

 それよりも気になるのは、大天に配られた写真の話だ。火ノ宮がこういうことで手を抜くとは思えないし、ビリビリに破いたのなら切れ端の一つでも見つかったっておかしくはないだろう。それなのに何も見つからないというのは、流石に異常だ。

 

「……大天。本当の事を話してくれ」

「嘘なんてついてないって言ってるじゃん」

 

 大天はそうぼそりとつぶやいて、またそっぽを向いた。……大天が嘘をついていたとしても、本当の事は話してくれなそうだ。

 

「大天さん。嘘をつくのは自由ですが、嘘という物はいずれ必ずバレるものです。学級裁判では、真実を語っていただきますからね」

 

 一番の大嘘吐きの杉野がそんな事を言う。

 

「……嘘じゃないって」

 

 大天は、そう返すのが精一杯なようだった。

 

「チッ。もういい。ついてこい、大天」

 

 頭を強く掻いて、苛つきながら火ノ宮がダストルームを出る。

 

「どちらへ?」

「倉庫だ。あのモノクマのことだ。こっそり新しく凶器を追加したとか言い出してもおかしくねェだろ。その追加された凶器が今回の事件で使われたのかもしれねェ」

「ちょーっとそれは聞き捨てなりませんなー!」

 

 吐き捨てるような火ノ宮の言葉の直後、やかましく張り切った声が飛び出してきた。

 

「あァ? 呼んでねェぞ、モノクマ」

「オマエラに呼ばれなきゃ出てこれないルールなんて無いでしょ? っていうか、こちとらオマエに言いたいことがあるんだよ!」

 

 言いたいこと?

 

「あのねえ、ボクは清廉潔白で誠実なクマってことで通してるわけ。そこを疑われちゃあボクとしてはたまったもんじゃないの!」

「……何が言いてェんだよ」

「さっきオマエ、こっそり新しく凶器を追加してもおかしくないって言ったでしょ? ボクはそういう不誠実な事はしないの。ちゃんとオマエラにわかるように通知するし」

「【体験エリア】に毒が置いてあったことなんざ通知されてねェぞ」

「そりゃそうでしょ。ネタバレしたらつまんないし」

「ちょ、ちょっと待てよ!」

 

 言い争う火ノ宮とモノクマの間に慌てて割って入る。

 

「何が『不誠実な事はしない』だ。隠し通路のどこが誠実なんだよ」

「あ、見つけた?」

「あァ!? 隠し通路だァ!?」

 

 会話の勢いそのままに、大声を出す火ノ宮。耳が痛い。

 

「大迷宮に、更衣棟のシャワールームへ繋がる隠し通路があったのですよ。凶器と思われるナイフもそこにありましたし、犯人が移動した痕跡もありました」

「えっ……」

「んだと……オイ、どういう事だモノクマァ!」

「いちいちうるさいなあ、オマエラは」

 

 火ノ宮の叫び諸共、モノクマは一蹴する。

 

「いいから答えろよ」

「ハイハイ。確かに隠し通路は作ったけどさあ、でもこれだってちゃんと誠実なんだよ。オーケー?」

「説明になってない。何が言いたいんだ」

「オマエラは捜査で隠し通路の存在にちゃんと気づいたでしょ? なら何の問題もないじゃん」

「……それは痕跡が残ってたからだろ。きれいに痕跡を消されたら、隠し通路の存在には気づけなかったはずだ」

「いやー、それはないでしょ。だってあの隠し通路のドア、大迷宮側からじゃないとカギをかけられないもん」

「え?」

 

 カギ? と疑問符を上げた火ノ宮に、杉野がカードキーの事を説明していた。

 

「そうなのか?」

「そうだよ! だから使ったならちゃんと分かるようになってんの。それに、もしどうにかしてカギをかけたとしても、学級裁判の難易度が上がるだけだよ。そうなっても、学級裁判の時にあのドアは何なんだって話には絶対になるでしょ。そこで隠し通路の可能性に思い至らなかったら、それまでって事だよ」

「…………」

「とにかく! ボクはちゃんとオマエラがちゃんと推理が出来るように色々気をつけて準備してるの! 推理のしようがないようなアンフェアな状況は排除してるワケ!」

 

 モノクマは、両手を大きく広げて自分の公平さを語る。

 

「オマエラに配った『凶器セット』は一人一組だし、凶器になりそうなものは出どころが分かるようにしてるんだよ。例えば、新家クンの大工工具とかはそのまま用意したけど、元々護身用に持ってたりした刃物は没収したし」

「護身用の刃物って……そんなの、誰が」

「……それ、私だ。仕事が仕事だから、念の為ね」

「あ、言っちゃうんだ。そうそう、大天サンだよ。そんなの一人だけ持ってたら学級裁判で有利すぎるから、コロシアイが始まる時に没収させてもらったんだ!」

 

 何故か胸を張るモノクマ。何を誇っているかは知らないが、学級裁判を公平に行うという名目でモノクマなりのルールは存在するらしい。

 このモノクマの説明はどう解釈するべきか。信用に値する、なんて言葉は使いたくはないが、モノクマが『誠実だ』と主張する理由はなんとなく理解できた。

 

「チッ!」

 

 しばし考え込んでいた様子の火ノ宮だったが、強く舌打ちして、止めていた足を再び動かし始めた。

 

「あれ、どこ行くの、火ノ宮クン」

「倉庫に決まってんだろ。てめーの言うことを鵜呑みになんて出来るか」

「あっそ! 無駄だと思うけど倉庫の捜査頑張れよ!」

 

 モノクマも面倒になったのか、火ノ宮の背中にそんな言葉を投げて話を切り上げた。

 

「大天、早く来い!」

「……分かってるよ」

 

 そして、むすっとしたままの大天も火ノ宮を追いかけた。

 

「……お前も早くどっかいけよ」

「何だよ、平並クン。七原サンがいなくなってカリカリしちゃってさあ。ちゃんとコラーゲン摂ってる?」

 

 カルシウムだろ。

 

「まあいいや。ボクもやることあるしもう帰るよ」

「一つ、質問してもよろしいですか?」

 

 姿を消そうとしたモノクマを、杉野が引き止めた。

 

「なんだよ、もう! こっちのペースを乱すなよ!」

「すいません。ですが、どうしても確認しておきたい事があるもので」

 

 ……何を聞く気だ?

 

「まったく……で、何? ボクは優しいクマだから聞かれたことにはちゃんと答えるよ!」

「死体発見時に鳴らされる、アナウンスのことです」

 

 モノクマのテンションの乱高下には触れず、杉野が淡々と話し始める。

 

「あの死体発見アナウンスは三人以上が死体を発見した時に鳴らす……ただし、その三人に犯人が含まれているかどうかは公開しない。そういう話でしたよね?」

「そうだね。杉野クン達には前に話したっけ」

「ええ。改めて死体を発見したら発見者とする、という事も聞きました」

 

 その話を聞いたのは、最初の事件の捜査の時だったか。

 

 

──《「では、一つ尋ねますが……その『死体を発見した三人』の中に、クロは含まれるのですか?」》

 

──《「そんなの言うわけないじゃーん!」》

 

──《「ま、厳密に言うとこうなるかな。『クロであっても、改めて死体を発見したら一人にカウントする』ってね」》

 

 

 蒼神が、捜査のためにモノクマに質問したのだ。結局、アナウンスは捜査に使えない、という結論になった。そんな話を今更掘り返してどうするつもりなのだろう。

 

「で? 何が聞きたいわけ?」

「いえ、その定義を詳しく訊いておこうと思ったのです。すなわち、『改めて死体を発見する』というのはどういう状況を指すかという話です」

「定義も何も、ソイツが死体を発見した時に発見者としてカウントしてるだけだよ。強いて言うならその場のノリだよ。時と場合による(ケースバイケース)ってヤツ?」

「ですが、誰かを殺した瞬間……例えば、古池君のように刺し殺した直後は発見者としては確実に認めないでしょう?」

「ん……まあそうだね。大抵の場合クロは殺人現場にいるし、それじゃあクロが実質的な第一発見者になっちゃうからね」

 

 初めは答えるのを渋っていたようなモノクマだったが、自然と会話に移行している。これが【魔女】の話術か?

 

「では毒殺の場合は? 先日大天さんが毒物を摂取させられましたが、あの時死亡したとして、もしも目撃者が犯人を含めた三人だけだった場合、アナウンスは流れるのですか?」

「……おい、そんな事を聞いてどうするんだよ」

「念の為ですよ」

 

 何が念の為だ。

 

「うーん、その時だったらクロも発見者も含めてアナウンスを流すかなあ。物理的に直接手を下したってわけじゃないし。杉野クン、難しいところを訊いてくるね。ドキドキしちゃうよ」

 

 そもそも毒殺でそういう少人数になるケースをあまり想定してないんだよな、なんてことをモノクマはぶつくさつぶやいている。

 

「まあでも基本的には、死んでるのを発見したら発見者としてカウントするってのがベースなんだよ。ただ、直接手を下したクロがそのまま死ぬ瞬間を目撃してもそこはスルーしてあげる、って感じかなあ。こんな答えで満足?」

「そうですね。ありがとうございます。ではもう用は済んだので帰ってください」

「あのさあ! 今回かなりオマエに譲歩してやったんだけど! 忙しいのにわざわざオマエの質問に答えてやってんだからもっと扱いを良くしろよ! 敬語の癖にオマエからはちっとも敬意が感じられないんだよ! 敬語ってのは敬う(言葉)って書くんだぞ! 聞いてんのか!」

「…………」

「聞け!」

 

 モノクマの怒号を気にも止めず、【魔女(杉野)】は黙ったまま何かを考え込んでいる。……嫌な予感がする。

 

 

 何だ。

 

 何を考えてやがる。

 

 

「はあ、ま、いいよ。楽しそうなことを考えてるみたいだし、杉野クンの【才能】に免じて許してあげるよ!」

「え?」

「平並クンも頑張ってね。まずは今回の裁判も乗り越えないとなんにもならないからさ!」

「おい、待て!」

「アデュー!」

 

 俺の声には答えることなく、モノクマはまた姿を消した。毎回、どうやって消えてるんだ。

 ……それより!

 

「おい杉野! 今のは何だ!」

「何と聞かれてものう。情報収集に決まっておろうに」

 

 返ってきたのは、あの恨めしい【魔女】の声だった。

 

「そんな事分かってる! 何のためのかって訊いてるんだよ!」

「それは後でのお楽しみじゃ。そなたを退屈させることは無いから安心せい」

「安心なんか出来るか! どうせ何か事件を起こそうと……いや、()()()()()()()してるんだろ!」

「む、勘がいいの。分かっておるではないか。ではなぜ訊いたのじゃ?」

「なぜって……」

「単に怒りを発散したいだけじゃろ。まさか、余の意見を変えようとしているわけではあるまい?」

「……」

 

 図星、ではある。少なくとも、言って聞くようなやつじゃないことはとっくに理解している。

 ……不毛だな。時間とエネルギーの浪費にしかならないか。

 

「はあ」

「うむ。そなたは凡人の癖に聞き分けはよくて助かるのう。分かったらとっとと捜査を続けようぞ。余が何をするにしても、それはこの学級裁判の後じゃ」

 

 満足そうにそう告げて、ダストルームを後にする。

 モヤモヤとした疑念を胸中に、俺もそれに続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟/個室》

 

「うわっ」

 

 意図せず、そんな声を漏らした。

 ダストルームを出た俺は、白衣の出どころをはっきりさせようと遠城の個室にやってきた。前に火ノ宮が言っていたとおり、死んでしまった彼らの個室には誰でも入れるようになっているようだった。

 

 そして俺の目に飛び込んできたのは、まさしく惨状であった。ただし、城咲が殺されていたチェックポイントとは違う意味でだが。

 

「汚い部屋じゃのう。高々10日そこらでどうしてここまで物を散らかせるのじゃ」

 

 【体験エリア】の工作室よろしく、雑貨が床に散らばっている。あの部屋ほど山のように積み上がっているわけではないが、ろくに整理もされていないのは一目瞭然だった。多分どれも遠城の私物だろう。各人の個室がそれぞれの趣味にあったものになっている事を考えると、この部屋は初めからこの状態だったのかもしれない。

 けれども、そうだとしたらここに拉致される前の部屋もこの様子だったという事になる。棚はあるが雑貨が乱雑に押し込まれて溢れているし、結構な数のある本も床に積まれている。適当に積んだのか、本の山が一つ崩れてしまっている。『ゼロから学ぶ特許法』、『一流経営者への道』、『法律に会社を殺されないために』『判例で学ぶ法の抜け道』『脱税ダメ絶対!』だのといった、経営に関わるような崩れた本のタイトルを眺めて、そういえば遠城は一社の社長だったなと思い出す。単純な地頭の良さだけでなく、こういう社会的知識も会社を経営するには欠かせないのだろう。

 

「…………」

 

 【魔女】によって失われた彼の人生に想いを馳せてから、クローゼットを開けた。遠城の服がかけられていたが、思ったとおり妙に空のハンガーが多い。犯人が犯行に利用した衣服は、やはりここから持ち出されたもので間違い無さそうだ。

 

「……で、お前は何をやってるんだ?」

 

 クローゼットを閉じて再度部屋の中に目を向けると、杉野が机の引き出しを開けていた。

 

「めぼしいものでも無いかと思ったのじゃがの。何も入っておらんわい」

 

 全員の個室に備え付けられた机。確か新家は設計図をしまったりしていたが、遠城は特に机を使おうと思わなかったのだろう。杉野の言う通り引き出しは空だし、机の上にも何も乗っていない。……いや、机のそばには妙に雑貨が落ちているし、一度机に乗っていた物を押しのけたように見える。なにかに使おうとはしたのか。

 

「……」

 

 遠城の個室で調べたい事は白衣の件だけだった。こう物が散らかっていると確認しないわけには行かないので軽く調べては見たが、今回の事件に使われたものがここにあったとは言えなそうだった。殺傷できるほどの刃物もないし、そもそも斧やサバイバルナイフなんてものを持っていれば、さっきモノクマの言った『誠実』の話に反する。

 ……だとすれば、あの凶器はどこから来たのだろう。何か、致命的な見落としをしているとしか思えない。

 

「次はどこに?」

 

 考え込む俺を見て、杉野が催促する。それには答えず、遠城の個室を後にした。

 次に俺が向かうべきは……おそらくは唯一斧があった可能性の残された、新家の個室か。他はともかく、斧に関しては俺が見落としていただけで、大工道具の中に紛れていた可能性がある。斧が大工道具と言えるかは分からないが、のこぎりやトンカチと共に置かれていても違和感はない。

 ああ、火ノ宮にもう調べたかを聞けばよかったか、と思いながら新家の個室に入る。真っ先に大工道具の置かれた棚を見ようとして、視界の端に何かが写り込んだ。

 

「……ん?」

 

 視線がそれに吸い寄せられる。

 机の上。そこに何かが置かれていた。

 

「…………」

 

 思考が止まったまま、机に歩み寄ってそれを手にする。ずっしりと腕にかかる重量を持つそれは、レンガのように分厚い一冊の本だった。

 『六法全書』。表紙にははっきりとそう書かれていた。

 

「……どういう、ことだ」

 

 三日間もこの個室にいたのに、こんな物は初めて見た。こんな存在感のあるものを見落とすわけがない。

 

「六法全書か。なるほどのう」

 

 なるほど? 杉野は何を納得している?

 机の上にぽつんと置かれた、鈍器のような本。こんな異物のどこに、何を納得する要素が……。

 

「……あ」

 

 机の上に、凶器。連想されるのは、今朝俺が見た光景だった。

 まさか。

 

「死んだ新家達にも凶器を配ったのか!?」

 

 モノクマが今回の【動機】として俺達に配った凶器。てっきり今生きている十二人だけに配ったものだと思っていた。それが、新家達にも配られたものだとすれば、この六法全書の謎も解ける。

 

「なんじゃ。今更気づいたのか」

 

 呆れるような声を投げかける【魔女】。

 

「斧一つだけならまだしも、ナイフに迷宮の隠し通路のカードキーもあったじゃろ? 二つ三つと出自不明の凶器が使われたのなら、一人が嘘の【凶器】を公開したという話にはならんじゃろ。複数人が結託して複数の凶器を偽装して公開した可能性も無いことはないのじゃが、公開された凶器の中で偽装かもしれんと疑えるものはそう多くはない。とすれば、そもそも配られた【凶器】は十二個しかなかったのか、を疑うべきじゃろ」

 

 【魔女】の口から、愉しそうに推理が語られる。

 

「そうしてよくよく思い返してみれば、モノクマは【凶器】を配る際に余達を『オマエラ』とひとまとめにしておった。その中に、もう死んでいる新家柱達も含まれておったのじゃろ。これなら、出自不明の【凶器】の謎も解けるというものじゃ」

「……」

 

 悔しいが、反論できない。手元にある六法全書が何よりの証拠だし、筋も通っている。

 

「加えて言うなら、その前に配った百億円札に関しては生存ボーナスと称して、『ここまで生き残ったオマエラ』と対象に制限をかけたじゃろ。おそらく、百億円札は本当に十二人にしか配られてないのじゃろうし、そもそも百億円札を配ったのはカモフラージュじゃろうな」

「カモフラージュ?」

「要するに、誰でも自由に出入りできる死人の個室に【凶器】を置く、というのが今回の【動機】じゃったのじゃな。先に生存者だけに百億円札を配ることで、【凶器】も生存者だけに配った、と思わせたかったのじゃろ」

「…………」

 

 今回の【動機】の意味に関しては、俺も思うところはあった。皆で見せ合えば意味をなさなくなってしまうとは今朝にも思ったわけだし。

 

「っ! だったら!」

 

 新家の個室を飛び出して、古池の個室に駆け込む。

 がらんどうとした、人のいた気配のない個室。その机の上にも、何も置かれていない。

 次に駆け込んだ蒼神の個室の机の上も、凶器になりそうな物は何もなかった。

 そして思い出す。遠城の個室の机の上も、この二つの部屋と同じ様になっていた。

 

「そういうことか……!」

 

 つまり、犯人が持ち出したのは遠城の衣服だけではなく、三人に配られた三つの【凶器】をも持ち出して犯行に利用したのだ。

 もっとモノクマの言葉を吟味すれば。もっと【動機】の意味を考えていれば。ともすれば、犯行を止められたのかもしれない。

 

「くそっ……!」

「そなたが死人の【凶器】に対処したとして、クロの殺意が消えるわけではないがの」

 

 背後から、俺の心中を見透かした【魔女】の声が聞こえてくる。

 

「っ……」

「そう驚くことでもあるまい。そなたの考えくらい寝ててもわかるのじゃ」

 

 飄々と、ニヤつきながら壁により掛かる【魔女】。

 

「……凶器がなければ、犯人は犯行を諦めたかもしれないだろ」

「ま、確かに一度くらいは諦めるかもしれんの。そなたがそれで十分というのなら、余は何も言わんが」

 

 ……十分なわけがない。

 分かっている。凶器を隠すとか、互いに見張るとか……そういうことをしても問題を先送りしているだけで、心の中で(くすぶ)る殺意が消えたりなどしないのだ。

 

 それが分かっているだけでは、なんにもならないというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調べるべきところは概ね調べ終えた、はずだ。更に調べなければならないところがあるとすれば……。

 そう考えて出た答えが、城咲の個室だった。この前の事件の捜査の時に、被害者の個室は必ず調べるべきだと岩国が呆れていたのを思い出したからだ。

 

「……カギがかかってる」

 

 そんな経緯で城咲の個室までやってきたものの、遠城達の個室と違ってここの扉は開かなかった。城咲の『システム』は城咲が身につけたままだったし、それも当然か。

 

「おい、モノクマ」

「あのね、平並クン。オマエラにボクを敬う気持ちがないのはとっくに知ってるけど、それでもクマに頼み事をするときにはそれなりの態度ってもんがあるんだからね」

 

 適当に名前を呼ぶと、長ったらしいセリフとともにモノクマが現れる。

 

「捜査の一環だ。このドアのカギを開けろ」

「えー! 平並クンったら勝手に女の子の部屋に入っちゃうんだ! そういうのを世間では変態って呼ぶんだよ!」

「…………」

「ウッソ、無反応!? そこは『いや、さっき蒼神の部屋にも入ってただろ!』とか、『そうそう実は俺って変態……ってなんでだよ!』とかツッコミを入れるところでしょ! あのねえ、何も思いつかないのは仕方ないけど、せめて何か言わないと! ノーリアクションなんてテレビじゃ一番使いづらいんだから!」

 

 サムい言葉を並べ立てるモノクマに冷たい視線を返す。ここはいつからお笑いスクールになったんだ。

 

「いいから早くしろ」

「ノリ悪っ……」

「ついでに七原さんの個室のカギも開けてくださいますか?」

 

 ガチャガチャと、七原の個室のドアノブをひねりながら杉野が告げる。

 

「七原の個室で何をするつもりだ」

「捜査以外にありますか? 心配しなくても妙な事はしませんよ。どのみち七原さんの個室も調べるのでしょうし、まとめて開けてもらったほうがいいと思ったまでです」

 

 七原は刺されただけで殺されてはいない。けれども、確かに呼び出し状の有無くらいは調べておくに越したことはない。

 

「…………」

「面倒だからもう個室のカギは全部開けてやるよ! 何遍も呼び出されたくないし!」 

 

 癪だが、【魔女】のおかげで手間は省けた。

 

「まったく、そろそろ捜査終了のチャイムを鳴らそうとしてたってのに……まあいいよ、ここまで来たらもう少しだけ待ってやるから、とびっきりの学級裁判を頼むよ!」

 

 ガチャガチャガチャガチャン! と、いくつものカギの開く音とともにモノクマは姿を消す。

 とびっきりの学級裁判……学級裁判ですることなんて、謎を解いて犯人を突き止める以外にすることなんて無いだろう。それの良し悪しなんて、モノクマが勝手に決めればいい。モノクマに対する態度だって、これでも優しいくらいだ。

 

 

 

 その後、城咲の個室、そして七原の個室を順に巡って妙なものを調べた。結局、呼び出し状を含めて怪しいものなど出てこなかった。仕事人間のようにきれいに整頓された城咲の個室からは雑貨も殆ど出てこなかったし、とても女子らしい雰囲気の七原の個室からも細々とした小物や雑貨が出てくるだけだった。二人のイメージに反するものも特に見つからず、成果としてはゼロ……いや、何も事件に関係していないという成果が出た、という結果になった。

 

「…………」

 

 捜査すべき所として思い浮かんだ場所は、これで一通り巡れた事になる。

 ……捜査は、問題なくできているだろうか。見落としはないか。証拠は十分か。そんな不安がずっと脳内を駆け巡っている。

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 その俺の際限のない不安を助長するように、例のチャイムが鳴り響いた。モノクマも、我慢の限界らしい。

 

『迷える子羊達よ……迷って迷って迷い続けるのが人生ですが、迷っても誰も助けてはくれないのです……だからこそ! 歩む道を自分自身で決断する勇気が何より大切なのです!』

 

 妙に意味深なモノクマの声。どうせ、大した意味なんて無いくせに。

 

『はい! というわけで捜査時間は終了ですよ! オマエラ! 【宿泊エリア】の赤いシャッターの前に早急にお集まりください! 学級裁判の時間だよ!』

 

 

 ブツッ!

 

 

 ……時間か。

 どうせ逃げられないし、逃げるわけにも行かないのだから逃げる気もない。行くべき道が見えなくとも、歩みを止めるわけにはいかない。

 

「何をぼけっとしておる。気味の悪いヤツじゃの」

 

 覚悟を決めようとする俺に、緊張感のない声がかけられる。

 

「……お前、どうしてそんな余裕ぶってられるんだよ。この後の学級裁判で犯人を突き止められなきゃ処刑されるんだぞ。まさか死ぬのが怖くないなんて言い出すんじゃないだろうな」

「そんな事言うわけがなかろう。少し前に根岸章が良い事を言っておったの。人生は死んだらそれまでなのじゃ。こんなところで死んで良いわけないじゃろ」

 

 ……こいつの言葉を聞くたびに(はらわた)が煮えくり返る。こいつの事を理解しようなんて思うことが間違いなんだろう。

 そう思って、とっととエレベーターまで移動することにした。

 ああ、だが、その前に病院に言って七原を迎えに行くべきか。そんな事を考えだした、その時だった。

 

「それに、余には今回のクロが分かっておるからの。余が死ぬなどありえんのじゃよ」

「……は?」

 

 思わず足を止めて振り返る。

 

「クロが分かってるだって?」

「無論じゃ」

 

 愉しそうな笑みを揺らす杉野。今手元にある証拠だけで、本当に犯人が……。

 いや、そうじゃない。【魔女】たるコイツが犯人を知っていると言っているのだ。それが意味することは。

 

「ほれ、そなたにプレゼントじゃ」

 

 俺が答えにたどり着いた瞬間、すっと杉野が俺に何かを差し出した。

 【Witch Of Word-Soul Handler(言霊遣いの魔女)】と記された、ジョーカーだった。

 

「……お前っ!」

「いつもじゃったら現場にカードを残すのじゃがな。今回はそんな余裕もなさそうじゃったし、せっかく余の事を知っている人間がおるのじゃ。こうして直接手渡すのも興が乗るじゃろ?」

 

 こいつがこのカードを差し出したという事が、俺の思い至った答えが正解だった事を意味している。

 

「本当にまた、仕向けたのか……!」

 

 つまり、遠城のときと同じだ。こいつはまた誰かの殺意を操り、そして殺人を引き起こしたのだ。

 また、誰かがこの悪魔の犠牲になった。

 

「うむ。余の撒いた種は立派に育ってくれたようじゃ」

 

 対岸の火事を嘲笑うかのように口を歪める【魔女】。そのままカードを胸元に押し付けられて、俺はそれを手にした。カードに書かれたサインが愉しそうに踊っているように見えてしまった。

 確かに、コイツは種はもう蒔いたと言っていた。コイツの才能を今更疑ったりなんかしない。

 だからって、どうしてこうもなにもかもがこの【魔女】の思い通りになるんだ。

 

「そなたは散々余を止めると言っておったのう。わざわざ余にぴたりと張り付きおって、それでも余は成し遂げたぞ? どんな気分じゃ、凡人の平並凡一よ?」

「ぐ…………!」

 

 悔しさと怒りがふつふつと煮えたぎる。それなのに、何を言ってもみじめになってしまうような気がして、口がどうにも動かない。

 

「全く、何も言えんとは呆れるの。そんなわけじゃから、そなたはせいぜい学級裁判に励むといい。何、心配するでない。ヒントくらいは出してやらんこともないからのう」

 

 俺を黙らせたのがよほど嬉しかったのか、杉野は笑みをたたえたままペラペラとしゃべり続ける。

 学級裁判そのものを楽しむ東雲とは違って、俺達の破滅を愉しむ【魔女】は、むしろモノクマにも似た悪辣さをまとっていた。

 

「クククッ。いい目をしておるの、平並凡一」

「あ?」

「これだけ自らの無力さを知って、それでも尚それほどに反骨的でいられるのは一種の()()じゃぞ。まだまだ楽しめそうで何よりじゃ」

 

 そしてまた、【魔女】はクククと喉を鳴らした。

 

「さて、アナウンスも鳴ったことじゃし、ゲートまで移動するぞい」

「……待て」

「む?」

 

 個室の外へ出ようとする【魔女】を引き止める。

 ……【魔女】が本当に誰かをそそのかしたのなら。その相手は誰なのか。誰なら、【魔女】がそそのかす事ができたのか。

 

 何より、【魔女】が殺人を犯させたいのは誰なのか。

 

「……集合する前に、一つだけ、調べておきたいことがある」

 

 そうして考えると、浮かびがってくる顔が一つある。

 ソイツが犯人だなんて、万に一つもありえない。ただ、【魔女】を敵に回しているのなら、そこに一厘の可能性の存在を考慮する必要があるのかもしれない。

 

「どけ」

 

 ニヤつく【魔女】を押しのけて、七原の個室を出る。

 ロビーを経由して目的の個室の前までやってきた。先程モノクマがキレてすべての個室のカギを解除したおかげで、そのドアはスルリと開く。

 個室の中に入って、さらにガチャリと、一つの扉を開ける。

 

「…………!」

 

 そうしてたどり着いた俺の目の前に広がる光景は、俺のかすかな希望を打ち砕くもので、しかし、ある種俺の不安通りでもあった。

 それが、彼の証言が嘘である事を証明してしまうという事実に、俺の視界がぐらりと揺れる。

 

「おや、これは果たしてどういうことなのじゃろうな?」

 

 愉悦に満ちた【魔女】の声が聞こえてくる。

 ああ、さぞ、愉しいことだろう。

 

 

 

 ――火ノ宮の個室のシャワールームの床が、カラカラに乾いていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《裁判場ゲート前》

 

 手術を受けていた七原を迎えに行こうとしたが、もう時間だと叫ぶモノクマに止められたので、俺達は直接裁判場へ繋がるエレベーターの前まで行くことにした。

 その最中も、ずっと脳内では先程見た光景の意味を考えていた。

 

「……」

 

 火ノ宮は、個室のシャワールームでシャワーを浴びていたと言っていた。それが、彼の髪が濡れていた事の説明だったはずだ。

 けれど、本当にそうなのだとしたら、あの光景はおかしい。だとすれば、彼が嘘をついているという事になる。

 

 だったら、まさか。あの髪が濡れていた理由は。

 

「捜査の具合はどォだ」

 

 突如、思考を止める声。先にエレベーター前で待っていた、俺の頭を悩ます火ノ宮の声だった。

 

「ぼちぼち、といった具合ですね。正直まだ犯人は分かっていませんし、学級裁判で謎を解き明かせるかも分かりません。無論、全力を尽くすつもりですが」

「……まァ、しゃァねェか。古池と遠城が処刑されたのを見ているはずなのに、それでも事件を起こしたんだ。そう簡単にボロは出さねェはずだ。……限りなく怪しいヤツはいるけどなァ」

 

 と、壁際で黙り込んでいる大天をにらみながら告げる。しかし、その火ノ宮自身のことも、俺は疑わざるを得ない。

 

「なあ、火ノ宮――」

「あら? まだ全然集まってないじゃない」

 

 あの証言の真意を聞き出そうとした俺の言葉は、放り込まれた東雲の声によって掻き消される。

 

「こんなんならもう少し捜査を続けても良かったわね。正直これ以上証拠が見つかる気もしないけど」

「…………」

 

 相変わらず軽い調子で愚痴をこぼす東雲の後ろから、いつもどおり難しい顔をした岩国がやってくる。何か文句を言いたげに東雲を見つめていたが、結局口は開かずに視線を外した。別ベクトルでマイペースな二人のことだ。互いに振り回されあったのかもしれない。

 

「チッ」

「……何よ、火ノ宮。人の顔見て舌打ちなんてあんまりじゃない」

「別になんでもねェ。何も言わねェよ。今てめーに割く時間なんか無ェ」

「なら絡んで来ないでよ。ムカつくわね」

 

 俺が話しかけようとした火ノ宮も、意識が東雲に持ってかれる。声をかけるタイミングを失ってしまった。

 

「焦らなくても良いのではありませんか」

 

 背後から、諭すような杉野の声。

 

「どのみち、これから学級裁判で追求する事になるのです。どうせ暴くのなら、全員が揃っている場のほうが良いでしょう」

 

 果たしてコイツが何を指して()()と告げたのかは無視するとしても、今更火ノ宮に声をかけ直すのもどこかはばかられた。決して【魔女】の言葉に従ったわけではないと自分で言い訳を付けていると、ガラガラと車輪の音が耳に届く。

 

 その音に反応して首をひねった俺の視界に映ったのは、根岸がストレッチャーを押してくる姿だった。

 そのストレッチャーの上で、誰かが眠るように横たわっている。それが誰かといえば、答えは当然一つしかない。

 

「七原!」

 

 彼女の名を呼びながらストレッチャーに駆け寄る。病院着に着替えさせられた七原が、人形のように寝かされていた。

 

「七原の手術は……というか、そもそもどうしてお前が……」

「こ、ここまで運べばもういいだろ……!」

 

 ストレッチャーから手を離す根岸。事情が理解できない俺に、根岸の後ろからついてきていた露草が説明を始める。

 

「菜々香ちゃんの手術は……成功って言って良いのかな」

「……どういう意味だ?」

『少なくとも大失敗じゃねえ、ってだけだ。命はなんとかつながったみてえだけど、意識は戻ってねえ。詳しいことは棗達から直接聞いてくれ』

 

 大失敗じゃない……ストレッチャーの上に横たわる彼女の手には、ほのかに体温が戻っている。人形のように目をつむったままでも、かすかに、本当にかすかだが呼吸音が聞こえる。峠は超えたと判断しても良いのだろうか。

 

「ああ、わかった。それで、その二人は?」

「えっと、ここに集まるようにってアナウンスが流れた頃には、もう菜々香ちゃんの手術は終わってたみたいなんだけど……ほら、スコットちゃんと棗ちゃんって、すぐに病院に手術しに行ったでしょ?」

『だから、あの二人はかなたが死んでるのを見てなかったんだよ』

「……ああ、そうだな」

 

 彼らに手術を頼んだ時、結果としてそうなってしまう事も理解していた。

 

「それで、このまま学級裁判が始まっちゃったら、もしここに戻ってきても、かなたちゃんにはもう会えなくなっちゃうから……」

「…………」

 

 もし学級裁判で犯人を突き止めたとして、地上に戻ってきたときには死体は跡形もなく処理されてしまっている。そこに死体があったなどと思えないほどに。

 

「なら、二人は大迷宮に?」

『ああ。捜査はできねえけど、どうしても、ひと目だけでも会いに行きたいってな』

「それで、菜々香ちゃんをここまで運ぶのは翡翠が引き受けたんだ!」

『翡翠じゃあぶなっかしくて結局章が運んだけどな』

「危なっかしかったからじゃないもん! 琥珀ちゃんが手伝ってくれないからだよ!」

『そりゃオレを手に付けたままストレッチャーを押すのは難しいわな』

 

 ……おそらくは、翡翠がやるといったのをかわりに根岸が請け負ったのだろう。露草一人に運ばせて自分は後ろからついていくだけ、なんてことを彼は良しとはしまい。

 

「それとあと……棗ちゃんが少しだけ菜々香ちゃんの事を話してたよ」

『縫合手術はスムーズだったとか、妙なものは持ってなかったとかな。これも詳しいことはまた皆に説明するんじゃねえかな』

「……そうか。分かった、ありがとう」

『大したことじゃねえよ』

 

 今の話からすると、七原も城咲同様に呼び出し状は貰っていないと考えるべきか。……なら、どうして彼女達は大迷宮になどいたのだろう。この疑問の答えを、たまたまと結論付けてはいけないはずだ。

 

「全くさあ、いい加減にしてほしいんだよね」

 

 そんなふうに頭を悩ませていたところに、モノクマが声を放り込んだ。

 

「七原サンの手術のためにこっちとしても捜査時間を長めに取ってやったのに、この上さらに待たされるなんてやってらんないんだけど!」

「でもさ、ここまで来たら追加で何分待っても対して変わらないって翡翠は思うんだよね」

「何言ってるの、露草サン! 時間が押してるからこそ1秒でも早く始めたいんでしょ!」

『そうだぜ。十分の遅刻と五分の遅刻じゃ全然ちげえからな』

「ちょっと琥珀ちゃん! どうしてモノクマなんかの味方をするの!」

「オマエが喋らせてるんだろ! なんなんだオマエ!」

 

 モノクマすら自分のペースに巻き込んで、露草は楽しそうに喋り続ける。……楽しそうにではあるが、少しだけ、無理をしているように見えなくもない。

 

「そんな愚痴を言うのなら、二人が城咲さんの元に行くのを止めれば良かったじゃないですか。僕達の事だって止めたでしょう」

「止めたよ! 止めたけど、こうやって露草サンにだる絡みされてるうちに逃げられたんだよ!」

 

 そう叫びながらモノクマはヘタクソなタップダンスのように地団駄を踏む。

 ……ああ、なるほど。露草がこうしてモノクマに絡んだのは、二人が城咲に会いに行った分の時間稼ぎなのか。そりゃあ、無理もするわけだ。

 そのモノクマの叫びを聞いて尚、更に露草は黒峰と漫才を続ける。それを見て、モノクマはため息をついた。

 

「あのさあ、オマエラ最近緊張感に欠けてるよね。ボクをナメてるっていうかさ。……ここらでもう一発、()()()()()あげないといけないかな?」

「……っ」

 

 モノクマの爪が鋭く光る。

 瞬間、ピシリと恐怖が駆け巡った。その言葉に隠された意味がわからない人間は、ここにはいない。

 無駄に人数を減らしたくない、とはモノクマは言った事がある。学級裁判のためにこうして譲歩を続けているのだから、その言葉に嘘は無いのだと思う。

 それでも、この世界のルールはモノクマだ。それに逆らうことはできないし、できないからこそ、こうして命を削り合い続けている。

 

「……んな必要なんかねェよ。てめーをナメてるやつなんか一人もいねェ。きっちり全員、てめーを憎んでるよ」

「あ、そう? 別に憎んでほしいわけじゃないんだけど……」

「安心しなさい、モノクマ。感謝してる人間もここにいるわ」

「それはそれで思ってる反応と違うんだよなあ」

 

 などと言いながら、モノクマは爪を引っ込めた。……最初から、単にビビらせるのが目的だったのか。それは定かではないが、少なくとも今の火ノ宮の言葉は、俺が知っている、情に溢れた火ノ宮のそれだった。

 ……彼の事を、信じても良いのだろうか。

 

「――ハァ、ハァ……遅くなって、すまない……」

 

 しばし彼の嘘の真意を考えて、結局答えが出ないまま悩み続けていると、息を切らした明日川とスコットが駆けつけてきた。

 

「やっと来たか! ま、オマエラの息切れに免じて遅刻は何も言わないでおいてやるよ! ほら、とっとと裁判場にいくよ!」

 

 叫ぶモノクマの声に合わせて、赤いシャッターがガラガラと上がる。

 その向こうのエレベーターへ、ゆっくりと皆が歩き始める。

 

「あ、誰でもいいから七原サンも連れてきてね。残念だけど死んでないし、生きてる以上は学級裁判に参加してもらうのがルールだから」

「参加って……そんな事が出来る状態じゃないだろ」

「一緒に裁判場にいるだけでいいんだよ。ほら、露草サンもそうだったでしょ?」

 

 前回の学級裁判。捜査中に睡眠薬を吸い込んで昏睡した露草も、車椅子に乗せられて学級裁判に形式だけの参加をした。七原もそうしろ、ということなのだろう。

 ただ、手術を終えたばかりの七原は横にしたままの方が良いだろう。そうでなくともモノクマは車椅子を用意してくれる気配がないので、ストレッチャーごと裁判場まで運ぼうと手をかけた。

 

「なあ、明日川、手術の結果は……」

 

 エレベーターへ足を進めつつ、七原の手術について詳しく聞こうとしたが、ゼハゼハと息を整える明日川がこっちに手を突き出したので言葉を止めた。今は会話できる状態じゃ無さそうだ。

 

「……成功か失敗かは、まだわからない」

 

 ただ、俺の台詞の続きを悟ったのか、既におおよそ息を整えたスコットが答えてくれた。

 

「アスガワの言う通りに手術をした。ほとんど傷の縫合と輸血だが、オレもアスガワもナナハラを助けるためにベストは尽くした」

「……ありがとな、ふたりとも」

「礼なんて言うな。まだナナハラを助けられたと決まったわけじゃないんだ」

「……え?」

「少なくとも、ナナハラを大迷宮で放置するよりは確実に延命はできた。けれど、オレ達がナナハラを病院に運び込んだ時点でひどい失血だった。それからどれだけ輸血をしても、脳や身体機能が壊死していたらもう救いようがない」

 

 悔しそうなスコットの声の意味に気づいて、キュッと唇を噛む。

 

「ナナハラが死線をさまよっているのは変わらない。……息を吹き返す可能性は一割もあれば良い方だ、とアスガワが言っていた」

 

 それを聞いて、明日川に目線で真偽を確かめる。未だ息を切らす明日川は、ゆっくりと頷いた。

 

 一割。言い換えれば、九割の確率で、七原はこのまま命を落としてしまうという話になる。

 だが。

 

「……それなら、大丈夫だ」

「大丈夫……?」

「ああ。七原は【超高校級の幸運】だ。一割も可能性があるなら、十分すぎるさ」

「……だといいな」

 

 そんな会話を交わしながら、俺達はエレベーターに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラガラとシャッターが閉じて、白い箱が墜ち始める。

 

 揺れるエレベーターの中で、ポケットの中に忍ばせた一枚のカードに手を這わせる。【言霊遣いの魔女】たる杉野に押し付けられた、忌まわしきジョーカーだ。

 城咲を殺し、七原を刺した犯人。すなわち、これから突き止めなければならないクロは、【魔女】によってそそのかされた誰かなのだ。

 

「……」

 

 俺達を見張る監視カメラと、真剣な顔で謎に悩むふりをする杉野を順に睨みつける。

 

 悪いのはモノクマと【魔女】だけで、それなのに俺達が苦しみ続け、互いに殺し合い続けている。この不条理を打破できないまま、結局こうしてまたエレベーターに乗っておぞましき裁判場に向かっている。

 

 自らの無力さを呪いながら、ストレッチャーの上で横たわる七原に目を落とした。

 

 彼女を刺したのは誰なのか。城咲を殺したのは誰なのか。

 その答えに見当がついていないわけではないが、それが正解だと確証はない。七原はきっと目を覚ますだろうが、その前に俺達が犯人を間違えてしまえば彼女も死なせてしまう事になる。

 今回のクロは悪魔に唆されただけで、クロに恨みを抱くのは筋違いだ。処刑台に送り込むのだって、もっとふさわしい人間が他にいる。

 それでも、俺はクロを突き止めてその命を奪わねばならない。眠り続ける七原が、生きて地上へ帰れるように。

 

 ……そんな事が出来るだろうか。

 謎を解き明かし真相をあらわにする事が、【超高校級の凡人】であるこの俺に。

 

「……ん」

 

 不安に飲み込まれそうになったその間際、七原が何かを握りしめている事に気がついた。

 

 コイン。

 いつの日か七原が見せてくれた、あのコインだ。彼女は教えてくれた。迷った時にこそこのコインを投げるのだと。

 いわば、このコインは彼女の【幸運】の象徴なのだ。

 

「…………大丈夫だ」

 

 その黄金(こがね)色の円盤を見て、決意を固める。

 七原に、そして誰よりも自分に強く言い聞かせる。

 

 

 

──《「平並君にも、才能があるよ。きっと」》

 

 

 

 あの日、七原はそう言ってくれた。

 虚無のようなからっぽに思えた俺の中に、確かに何かが存在すると言ってくれたのだ。

 それを口にしたのが、他でもないあの七原なのだから、もしかしたら、本当にその通りなのかもしれない。

 

 

 

 

 だったら。

 

 俺にも才能があるのなら。

 

 きっと、俺にだって彼女を救えるはずだ。

 

 

 

 

 そんな言葉で自分を奮い立たせて、重い振動を体に受けながら目を瞑る。

 

 

 後悔。

 自信。

 疑念。

 殺意。

 絶望。

 

 

 きっと、誰かと全く同じ感情を抱いているヤツはいない。それぞれが、それぞれの事情と秘密を抱えている。

 11人の想いと沈黙を乗せたエレベーターは、どこまでも下降を続ける。

 

 

 

 

 

 

 嘘と謀略の飛び交う裁判場まで、あと、数十秒。

 

 

 

 

 

 

 




予想以上に時間がかかりましたが、これで捜査もおしまいです。
次回、三度目の学級裁判!

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