ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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三章、長くなります。
というか、今話がかなり長いです。
よろしくお願いします。


(非)日常編⑤ 夢見る子供じゃいられない

 《食事スペース》

 

「……は?」

 

 目を疑うような惨状を前にして、俺はただそんな間抜けな声を出すことしかできなかった。

 

 

 地面の上で悶える大天の口から、ダラダラと赤い液体が溢れていく。

 鼻を刺す嫌な臭いがこの空間を支配していく。

 誰かが叫んだ通り、それが毒によるものだと、誰の目にも明らかだった。

 

 

「大天さん!? ねえ、大天さん! 大丈夫!?」

 

 と、大天の正面に座っていた七原が、彼女に駆け寄って必死に声をかける。

 その声に反応することもできず、大天の体は痙攣を続ける。虚空を捉える目が揺れ動いている。

 その様子が、大天の生命の危機をありありと告げていた。

 

「……ッ!」

 

 その様子を見て金縛りが解けたかのように、岩国がダッと出口へ向けて駆け出した。

 

「てめー! どこに行きやがる!」

()()()()()んだ! 疑うなら誰かついてこい!」

 

 彼女にしては珍しく焦りに満ちた声で、俺達も彼女の脳内にある可能性に思い至る。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()という可能性に。

 

 

「――まさか」

「嘘でしょ……?」

 

 弱々しく声が漏れる。

 脳のフリーズによって辛うじて抑えられていたパニックが、ダムが決壊するように溢れ出す。伝染する。

 

 そこに一喝、声が響く。

 

「皆さん冷静になってください! 最善の行動を、取りましょう!」

 

 パニックをかき消すほどの大声で、杉野がそう叫んだ。

 

「あァ!?」

「まず1つ、この空間から誰も出ないように! 岩国さん、吐くのならここで吐いてください!」

 

 大きく眉をひそめる岩国。

 

「あなたなら、納得していただけると思いますが」

「チッ!」

「城咲さん、バケツかビニール袋か、それに準ずる物を厨房から持ってきてください!」

「……はい!」

 

 はきはきと、こんな状況においても杉野が適確に指示を出していく。まるで計画していたことなのではないか、と訝しんでしまう程に。

 

「後は……」

「章ちゃん、どうして突っ立ってるの!」

 

 さらに何か指示を出そうとした杉野の声を遮って、露草が叫んだ。

 

「え……?」

 

 呆然と、身悶える大天を眺めながら怯えていた根岸が、彼女の声で我に返る。

 

『翔を助けねえと!』

 

 鬼気迫る声で根岸に迫る黒峰。

 

「助ける……? 大天を助けられるってのかァ!?」

 

 その声に、根岸より先に火ノ宮が反応する。

 

「助けられるよ、章ちゃんなら!」

『解毒薬、作ってたじゃねえか!』

「……『解毒薬』!」

 

 ……なんだって?

 死をただ迎える他なかった大天の未来を変えられる可能性に、火ノ宮も目を開いた。

 

「根岸さん、それはいまどこに――」

「た、助ける必要があるのかよ……」

「……え」

 

 動きを止める露草と黒峰。

 

「……何言ってるんだよ、お前」

 

 俺の口からそんな言葉が漏れる。

 

「だ、だってそうだろ……!? そ、そいつがしたことを忘れたのかよ……!」

「それは……」

「ぼ、ぼく達を殺そうとしたんだぞ……! お、おまえだって殺されかけたじゃないか……! ち、違うのかよ……!?」

「…………」

 

 反論できない。俺が殺人計画を立てたという負い目があったとしても、大天のした事自体は擁護できるものではない。

 だが。

 彼女を見殺しにして良いわけがない。

 

「おえっ、げほっ……ック。馬鹿なことを言うな、化学者」

 

 バケツに顔を伏せていた岩国が、口を拭きながら根岸の方を見て口を開く。周りを見れば、スコットや東雲も吐いているようだった。

 

「……運び屋が死ねば学級裁判が始まる。また命を賭けて推理をする事になるんだぞ。避けられるリスクは避けるべきだ」

「学級裁判なんて関係ないよ! 大天さんがこのまま死んだっていいの!?」

 

 大天のそばで絶えず言葉をかけていた七原が、自論を語った岩国に反論しつつ、共に根岸を説得する。

 

「そ、そんなやつ、し、死んだって「章ちゃん!」

 

 根岸の言葉を打ち消すように、根岸にその先の言葉を言わせないために、露草が声を張った。

 

「本当にそれでいいの!? 章ちゃんは今翔ちゃんを見殺しにして、本当に後悔しないの!?」

「……っ」

「章ちゃんはなんのために解毒薬を作ったの!? 章ちゃんは、自分のためだけに作るような人じゃないはずだよ!」

 

 露草の言葉を聞いて、根岸が戸惑ったように目線をあちこちに散らす。逡巡しているのだ。今、自分が何をすべきなのかを。

 ばらまいた敵意と警戒の奥底で、彼が絆を育みたがっていたことを、俺は知っている。

 

「く、くそっ……! し、城咲……! み、水を用意してくれ……!」

「わかりました!」

「……水なら見張りがいたほうが良いだろう。オレも行く」

 

 白衣をはためかせて、大天の元へ……正確には、大天が食事をしていたテーブルに歩み寄った。

 

「章ちゃん……!」

「…………」

 

 露草の安堵を含んだ声に、根岸は何も答えなかった。そのかわりに、ポケットから取り出した小さなスプレーを大天の皿に吹きかけた。

 

「根岸、解毒薬をマジで作ったのか」

「つ、作った……も、『モノモノサツガイヤク』に限った解毒薬だけど……よ、よし、これなら使える……」

 

 根岸は、皿に残っていた赤いソースが紫色に変わったのを見て、そう呟く。

 

「それは?」

「も、『モノモノサツガイヤク』用の試薬……あ、あの毒薬と反応して色が変わる仕組み……」

 

 杉野の問いかけに、根岸が素直に答える。

 

「あァ!? そんなもんあんなら最初から使いやがれ!」

「つ、使ったよ! こ、これかけたら食べられなくなるから少しだけだけど……!」

 

 言われてみれば、根岸の席にはわずかにパスタが取り分けられた小皿があった。色など変わっていないそれが、きっと毒を調べるのに使ったものだろう。

 

「どうして教えてくれなかったんですか。それがあれば大天さんだって」

「ど、毒が入れられるなんて誰も思わなかっただろ……! ぼ、ぼくが調べたのも、念には念を入れただけだし……!」

 

 責めるような杉野の声に、根岸が苛立ちを込めて噛み付く。

 ……確かにそうだ。食材の管理は城咲だけがすることで、毒を入れる余地をなくしたはずだ。どうして毒が料理に入ったんだ。

 と、考えるうちに、俺や皆の体に異変がないことに気づく。皆同じパスタを食べた。それなのに、大天以外はまるで毒の影響がない。俺達は岩国達のように吐いてすらいないのに。それに、根岸のパスタには毒が入っていなかったことを根岸自身が検証している。

 だとすれば、そもそも大天の皿だけにしか毒が入っていなかったのかもしれない。もしもそうだとするならば、毒は……。

 と、俺が思考を巡らせる間に、根岸が透明な液体の入ったを小さなビンを手に大天に近寄った。あれが解毒薬のようだ。

 

「ちょ、ちょっとごめん、な、七原……」

「あ、うん」

 

 彼女をどかせて、大天のそばにひざまずく。城咲達の用意した水で口内の血を洗い流してから、その小ビンの液体を大天に飲ませた。

 

「んぅっ……ふっ、はあっ……!」

 

 意識を手放しかけていた大天から声と嗚咽が漏れる。けれども、彼女は依然苦しそうなままだ。

 

「根岸君、大丈夫なの?」

「う、うん……く、詳しいことは言ってもわからないと思うから説明しないけど、も、『モノモノサツガイヤク』の致命的な劇薬成分は打ち消せてる……ふ、副作用で、呼吸は苦しくなるはずだけど……」

「……そっか」

 

 彼女が顔を歪めているのはその副作用が原因なのだろう。大天の苦しみはまだ続くようだが、ひとまずは死の危険が去ったと知り七原は安堵の表情を浮かべていた。俺も同じような心情だが、ほっと一息を付く間は与えられない。

 

「……誰だ」

 

 それは、怒りの声だった。

 

「毒を盛ったのは誰だァ!」

 

 耳をつんざく大声に、皆が肩を震わせる。そして、火ノ宮の目線に射抜かれる。

 

「……ひ、一人しか居ないだろ……!」

 

 その声に答えたのは根岸。

 

「しょ、食事スペースにずっと居たのは誰だよ……? ちょ、調理場に自由に入れて、ぼ、ぼく達の料理を作ったのは、あ、あいつだろ……!」

「根岸、お前まさか」

「し、城咲ぃ……! お、おまえが毒を盛ったんだろ……!」

 

 ビシリと彼女に指をさし、大きな声で断言する。

 

「ち、ちがいます! わたしではありません!」

「お、おまえ以外に誰がいるっていうんだよ……! ちょ、調理場にはおまえしか入れなかっただろ……! りょ、料理の配膳だって、ぜ、全部お前がやってた!」

「ですが……」

「一方的に怪しむのならオマエだって怪しいぞ、ネギシ。薬品の管理はすべてオマエが管理していたはずだ」

「そ、そんなのこの前の裁判で話しただろ……! え、遠城が『モノモノスイミンヤク』をこっそり持ち出せたんだから、ど、毒でもなんでも誰だって自由に持ち出せたんだよ……!」

「……」

 

 スコットの反論は、鮮やかに根岸に論破された。

 

「落ち着いてください、根岸君」

「な、なんだよ……ま、間違ったことは言ってないだろ……」

「さあ、どうでしょう。確かにあなたの推測は正しいように聞こえますが、もしかしたらそうではないかもしれません」

「……な、何が言いたいんだよ」

「殺人を企んだ人物を突き止める正しい方法を、僕達はもう知っているでしょう、という話です。二度も経験したじゃありませんか」

 

 城咲が毒を盛った犯人であると決めつけた根岸の興を削ぐように、ゆっくりと語る杉野。その言葉に、嫌な想い出が蘇る。

 

「……学級裁判の事を言ってるのか?」

 

 想像以上に棘のある声が出た。

 

「ええ。正確に言えば、あの残酷なルールではなくその過程を指していますが。証拠を集め、それを元に話し合い真相を看破する……それこそが、犯人にたどり着く最良の方法のはずです。違いますか?」

「…………」

 

 否定はしない。

 

「それなら、さっさと始めましょうよ。まずは捜査ね。モノクマファイルとか検死とかどうするの?」

「大天は死んでねェだろォが!」

「事件は起きたんだから似たようなもんでしょ。そうだ、モノクマは協力してくんないの?」

「てめー……」

 

 あまりにドライに話をすすめる東雲に、火ノ宮の怒りが爆発しかけたその時、

 

『誰も死んでないんだからオマエラが勝手にやれ! こんなときまでボクの手を借りようとするなよ! ボクだってディナータイムの時間なんだぞ!』

 

 前触れもなく、だみ声が天から降ってきた。

 

「頭痛が痛いみたいな事言ってるわね」

「……チッ」

 

 出鼻をくじかれた火ノ宮は、結局舌打ちだけを残した。

 

「ぬいぐるみの助力なんて受けるべきじゃない」

「岩国さんの言うとおりです。被害の状況の詳しい話は根岸君に聞けば分かるでしょう」

「う、うん、まあ……」

「ちょっと待ってよ、みんな。捜査するのは良いけど、それより大天さんの手当をしないと……解毒薬を飲んだなら毒の危険はないと思うけど、たくさん吐いて苦しそうだし……」

 

 捜査の準備のためにまとまり始めた議論を、七原の焦った声が遮った。彼女の言う通りだ。

 

「では、何名かは病院で大天さんの手当をすることにいたしましょうか」

「でしたらわたしが」

「いや、メイドはここに残れ」

 

 城咲が立候補の言葉を言い終える前に、岩国がそれを否定した。

 

「さっきの化学者の発言は決めつけに過ぎないが、それでもお前が最大の容疑者であることに変わりは無い。そうでなくとも、常に調理場を管理していたお前は捜査のためにこっちに残るべきだ」

「……そう、ですね」

「なら、ボクが行こう」

 

 と、城咲に代わって立候補したのは明日川。完全記憶能力を持ち、様々な書籍を読む彼女なら、手当に必要な知識も持っているだろう。

 

「となると、男手も必要ですかね。僕も行きましょう」

「だったら俺も行く」

 

 手当への参加意思を表明した杉野に追随するように、俺もそう告げて手を挙げる。

 すると、

 

「いえ、平並君はここに残っていてください。平並君の学級裁判での活躍を鑑みるに、あなたはこちらに残って捜査をすべきだと思います」

 

 淀みなく理由を述べて杉野は俺の同行を断った。学級裁判での活躍だなんて言葉で俺をおだてているその真意は、俺を自分から引き離すことにあるんだろう。そうはさせない。させる訳にはいかない。

 

「男手が理由で行くんだったら、多いに越したことは無いだろ」

「何渋ってんだ。捜査の人手こそ多いほうが良いだろォが」

「それはそうだが……」

 

 病院に行く理由をこじつけたが、事情を知らない火ノ宮に反論された。実際、手当をするのなら七原、明日川、杉野の三人がいれば十分事足りる。問題なのは、そこに【魔女】が入っていることだ。あいつの側から離れるわけにはいかない。

 ……下手に説得しようとして、だったら自分がこっちに残るだなんて杉野が言い始めたらますます厄介なことになる。早めに切り上げよう。

 

「なんか気になることでもあんのか」

「何でもいいだろ。そんなことより早く大天の手当をしないと。俺と杉野がストレッチャーを持ってくるから、残りの皆は捜査を頼む。火ノ宮に指揮を頼んでもいいか」

「あァ……構わねェけど」

 

 強引に話を打ち切った俺を火ノ宮が怪訝な表情で見つめる。そんな彼を無視して、杉野に声をかけながら食事スペースを出た。俺の心を見透かすような嫌な笑みを浮かべた杉野を引き連れて、病院へと走った。

 

 思わぬ事態になったが、それでも不幸中の幸いと言えるのは、あくまでも事件が『未遂』に終わったということだった。

 まだ、何もかもが終わってしまったわけではない。そう何度も念じて、不安を心中に押し込めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《病院/病室》

 

「これでひとまずは問題ないはずだ」

 

 大天を病室へ運んだ後は、知識を持つ明日川を司令塔にして彼女の手当を行った。吐き出してしまった血を補うための輸血と、毒による衰弱から回復するための点滴を順に行っている。

 七原達の手によって病院着に着替えさせられた大天が、今は入院患者として病室で眠っている。心なしか、その表情は穏やかなものになっていた。

 

「ありがとうございます、明日川さん」

礼を言われるほどじゃない(そんな台詞はふさわしくない)。……やはり簡単な手当ならともかく、実際に器具を使うとなると知識があるだけでは一筋縄ではいかないものだな」

「仕方ないだろ。輸血とか初めてやっただろうし」

 

 妙にテンションの低い明日川をそう言って慰めてはみたものの、おそらく意味はない。

 

「……明日川さんって結構不器用だったんですね」

 

 彼女が落ち込んでいるその原因は、今杉野が述べた通りだ。医学的知識こそあったものの輸血パックを取り扱う明日川の手先はおぼつかなく、実際の作業は彼女の代わりに七原や俺がやった。

 

「ああ。……自分の不器用加減(自分の設定)は自覚していたが……。せっかく皆の役に立てると思った(独白した)んだけれど」

「何言ってる。お前は十分役に立ってるだろ」

「……その台詞は、素直に受け取っておくことにしようか」

 

 ともかく、こちらは一段落ついた。あとは食事スペースに残った皆がどれだけ証拠を見つけられたか、だが……。

 と、それに思いを馳せたその時、ギィと病院のドアが開く音がした。

 

「大天の具合はどうだァ?」

 

 食事スペースの捜査をしていた火ノ宮達だった。7人全員揃っている。

 

「経過は順調、といったところです。捜査の方は?」

「とりあえず調べられる所は調べた。てめーらにも一応話を聞いた方が良いんだろォが……正直有益な情報が得られるとは思えねェ」

「そうですね……時間をかける意味もありませんし、必要があれば議論の中で話すとしましょうか」

「あァ」

 

 トントン拍子に話がまとまる。病室に大天を残して、病院のロビーへ移動した。

 

「それでは……始めましょうか。()()学級裁判を」

 

 その杉野の声で、部屋中に緊張が走る。

 

 

 

 かつての日常を取り戻すべくあがいた俺達をあざ笑うかのように、大天翔の料理に毒が混入された。

 繋がりかけた絆は再び綻び、疑心が飛び交っている。

 

 この議論には、誰の命も懸かっていない。

 けれども、俺達の未来がこの議論に懸かっている。

 

 悪意を持った人間の正体を明らかにできなければ、それは全員を疑う未来へとつながってしまう。そんな未来に希望なんてある訳がない。

 

 だから俺達は、モノクマに指示されたからでも、規則に縛られたからでもなく、自主的に犯人探しに挑む。

 

 

 

 俺達は、俺達の未来のために、学級裁判を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、学級裁判はいいけど、今回は何から話すわけ?」

 

 椅子に座って足をプラプラと揺らす東雲。その姿から緊張感は感じられない。

 

「僕達は捜査をしていませんからね。まずはその成果を聞きましょう。捜査の過程で組み上げた推理もあるかもしれませんし」

「ああ、そうだな。毒の話を詳しく聞きたい」

 

 如何にして大天は『モノモノサツガイヤク』を摂取する事になったのか。犯人を探す前に、その話をしない訳にはいかない。

 

「では、火ノ宮君……いえ、根岸君に聞いたほうが良いでしょうか」

「あァ。毒を調べたのは根岸だからなァ。念の為に言っておくと、毒の現物も使いながら分かる奴で一緒に調べたから内容については偽装の余地はねェ」

 

 一緒に調べた、というのは根岸が犯人だった場合を想定したのだろう。きっと火ノ宮が提案したのだ。彼もかなり抜かり無い。

 

「なるほど、分かりました。では根岸君、お願いします」

「……わ、分かった」

 

 名を呼ばれ、根岸はためらいがちに返事をする。周囲の人間を信用などできないだろうが、毒を混入させた犯人は突き止めるべきだという感情は彼も抱いているらしく、素直に毒に関する情報を語り始めた。

 

「こ、今回の事件で使われた『モノモノサツガイヤク』……あ、あれは、タバスコの中に混ざってたよ……」

「タバスコ?」

 

 それを聞いて、疑問符が俺の頭上に浮かんだ。

 毒については手当の最中にも少し考えていた。皆が同じものを食べたのに『モノモノサツガイヤク』の症状が出たのは大天だけだった。なら、毒は大天だけが食べたものの中に入っていたか、彼女の使った食器に塗られていたはずだと思った。

 大天が食べたもの、として連想するのはあの大量のタバスコだ。あのタバスコの中に毒が入っていたのなら、大天がその被害を受けてしまったのも当然だ。だから、タバスコに毒が入っていると聞いて、ある種納得はした。

 しかしだ。

 

「タバスコに毒が入っていたんだったら、大天だけに症状が出たのはおかしいだろ。あのタバスコは皆で使いまわしていたはずだぞ」

 

 あのタバスコは、大天一人だけが口にしたものじゃない。少なくとも、タバスコのかかった岩国のパスタを、俺達の目の前で城咲が毒味として口にしていた。岩国だって、あの後そのパスタを食べていた。岩国は急いで吐き戻していたが、タバスコに毒が含まれていたのなら彼女達にも何らかの症状は出ていてもおかしくない。

 だから、毒は大天の食器のどれかに塗られていたんじゃないか、と考えていた。

 そんな俺の推理を、根岸はただ事実を述べるだけで打ち砕く。

 

「そ、それは多分、りょ、量が少なかったからだと思う……お、おまえ、も、『モノモノサツガイヤク』の致死量は知ってるか……?」

「致死量……」

 

 根岸に問われてその知識を思い返そうとするが、何も思い出せなかった。

 

「……知らない」

「や、やっぱり……」

『致死量って、確か『モノモノサツガイヤク』のラベルに書いてあったよな』

「凡一ちゃんは【体験エリア】の探索をしてないから知らなかったんだよ」

「あー……」

 

 化学室のある【体験エリア】が開放されたのは、一度目の事件が起きた直後。その時は俺は新家の個室に軟禁されていたから、毒薬の情報は七原達から間接的に聞いただけだった。

 

「根岸、早く続き話してよ。ただの情報の共有なんだからさっさと終わらせちゃいましょ」

 

 と、捜査組だった東雲が根岸を煽る。早く議論に移りたいんだろう。

 

「わ、分かってるよ……も、『モノモノサツガイヤク』の致死量は、こ、個人差を考えても約十滴くらい……」

「あのビンのラベル(裏表紙)には、『一滴じゃまだまだ、五滴でムラムラ、十滴分ならドクドクと血が溢れます。口から噴き出す血のシャワー。鉄分豊富なあなたに』と書かれていたな」

「い、今明日川が言った説明文の通りで、す、少し摂取しただけじゃ影響ないんだよ……ご、『五滴でムラムラ』ってのが、しょ、症状が現れる目安になってる……」

「……なるほど」

 

 だから、タバスコを口にしても大天以外は無事だったのか。となると、岩国達が吐く必要はなかったということになるが……まあ、あの時自分の身を守る方法としては最善だっただろう。自分がどれだけ『モノモノサツガイヤク』を摂取したのかなんてわからないわけだし。

 

「で、こ、この致死量が問題で……」

「問題、ですか」

「た、タバスコに入っていた毒の量が、す、少なすぎるんだ……」

「少なすぎる?」

「さ、さっきも言った通り、も、『モノモノサツガイヤク』の致死量は十滴分なんだけど……あ、あのタバスコに入っていた『モノモノサツガイヤク』を濃度から計算すると、ひ、一ビン全部で十滴分しか入ってなかったんだよ……!」

 

 一ビンで十滴……?

 

「……ちょっと待て。大天って、どれぐらいタバスコを使ってた?」

 

 特に気にしていなかったから、かなり大量にかけていたとしか俺には分からない。けれど、いくら大量とは言っても、一ビン丸々使ったわけじゃない。その後に岩国が使っている。

 

「ボクの記憶(物語)によれば……およそ三分の二。それが彼女がパスタにかけたタバスコの量だ」

 

 明日川が静かに答えてくれる。

 

「三分の二……」

「オレ達も、記憶は曖昧だが残ったタバスコの量から大体そんくれェだと判断した」

「……だ、だから、お、大天の皿に混入した『モノモノサツガイヤク』は、お、多めに見積もっても七滴分……し、しかも、た、タバスコは皿にも残るから、お、大天が摂取したのはそこから更に少なくなる……」

 

 大天が『モノモノサツガイヤク』を摂取した経路をたどるようにしながら、彼女の『モノモノサツガイヤク』の摂取量を概算する。

 ということは。

 

「大天が摂取した『モノモノサツガイヤク』の量は、致死量を越えていない?」

「そ、そういうことになる……さ、さっき言った、しょ、症状が現れる五滴は越えてるから、そのせいで大天は血を吐いたんだろうけど……」

「つまり、根岸君が解毒薬を大天君に飲ませなくとも、彼女が死に至る(終章を迎える)ことはなかった、ということになるのか?」

「どうもそうらしい。もちろん、どちらにしても衰弱はするから手当は必要だが。あのまま放置していたとしても、早急にオオゾラは生死の境をさまようような事態にはならなかっただろう、というのがネギシの見解だ」

 

 混入された毒は少量だった……。

 いや、ちょっと待て。混入された毒が全部で十滴分?

 

「……その計算だと、仮に大天が一本丸々タバスコを使ったって、致死量には届かないよな?」

「そこなのよね」

 

 俺の疑問に、のんきな声で東雲が答える。

 

「毒はタバスコ全体で十滴分。もしも全部料理にかけたとしても、その一部はどうしても皿に残るはずよ。皿に残ったソースをなめたりするようなら話は別だけど大天はそんな卑しいことしないし」

「それ以前の問題として、そもそもタバスコを一本すべて使うような奴がいない。あの舌のイカれた運び屋でさえ三分の二しか使っていないんだからな」

 

 東雲と岩国がそれぞれ私見を述べる。そのどちらもが正しく、異論の入る余地はない。

 

「ではこういうことになりますか。この事件は、殺人未遂()()()()、ただの傷害事件であると」

「……あァ。実際の法律がどうこうってのは一旦置いとくが、少なくとも今回の犯人に殺意はねェって考えたほうが自然だ」

「だったらなんのためにこんな事……」

 

 一連の話を聞いて、七原がポツリと呟く。

 

「大天の狂言の可能性は無い?」

 

 その疑問に、東雲が答えた。その突拍子のなさに、思わず反応する。

 

「大天が、自分で毒を入れたって言うのか?」

「そうよ。絶対に死ぬことは無いけど、症状は出るだけの毒を入れて、自分で被害者のふりをしたんじゃない? これから、何かをしでかすために」

「そんな事……」

 

 無いとは言い切れない、が。

 

「犯人が分かっていない現状では、犯人の目的を推測するのは困難です。そういった話は後回しにしましょう」

 

 杉野が話をそう切り上げる。犯人のおぼろげな姿すら捉えられていない今、詳しい動機は考えても仕方がない。議論は次の議題へ進む。

 

「では、肝心の誰が毒を混入させたかについて話し合いましょうか」

「……あァ」

 

 毒の摂取経路は判明した。何者かがタバスコに毒を混入させたのだ。

 まず聞くべきは……。

 

「タバスコの管理は?」

「そのほかの調味料と同じく、調理場のたなにしまっておきました。たばすこに手を加えるのであれば、調理場に入らなければなりません」

 

 と、ハキハキした声で城咲が答える。

 タバスコは調理場にあった。そして、その調理場は、『モノモノサツガイヤク』が手に入れられる様になってからは常に城咲が見張っていた……。

 

「な、なあ……や、やっぱり、ど、毒を盛ったのは城咲じゃないのか……?」

 

 根岸がためらいがちにそう告げる。感情の昂ぶりがないのは、今度は一方的な決めつけでなく、きちんと根拠を持って結論を出したからだろう。

 

「……シロサキはそんな事しない」

「け、けどさ……ほ、他にタバスコに毒を仕込める奴は居ないだろ……」

『食事中はどうだ? タバスコが食事スペースに出てる時なら、こっそり入れられるんじゃねえか?』

「……いえ、無理でしょう。図書館のように入り組んだ場所ならともかく、食事スペースはかなり開けていますから。タバスコに毒を入れるなんて作業に城咲さんが気づかないとは思えません。ですよね?」

「……はい」

 

 静かに、城咲が答える。

 

「……じぶんの首を締めるような事をいいますが、みなさんをしんじて本当のことだけをお話します」

「…………」

 

 この間の学級裁判で、城咲は自分に疑惑が向いた時に嘘をついた。事実彼女はクロではなかったし、自分の、そして皆のためにそれが一番いいと判断した末の行動だったのだろう。

 

 しかし、結局その嘘は杉野に暴かれ、互いに事実を話し合うことで真実を突き止めることになった。皆で真実を見つけるために議論するのなら、たとえ本当に自分が潔白でも嘘はつくべきではないのだ。

 

「わたしは、『ものものさつがいやく』が使えるようになってから、食事すぺーすのかぎが開いているときがつねにあそこにいました。そうなった理由が理由ですから、もうしわけありませんがみなさんの動きは警戒していました」

『謝ることじゃねえだろ。俺達がそれを頼んだんだ』

「ですが、誰もみょうなことはしてなさっていませんでした。【超高校級のめいど】と十神財閥の名にかけて、あのようなせまい空間でどくの混入をみのがしてなどおりません」

 

 はっきりと、彼女は力強く述べる。

 

「まァ、他の人の目もあるからな。そのタイミングで毒を入れたとは考えにくい」

「でしたら、ますます城咲さんを疑わないわけにはいきませんね」

「……そう思われるのも、むりはないと思います」

「だとしても、シロサキが料理に毒を盛るメリットがない」

 

 城咲が毒を入れた犯人であると疑いが強くなる流れに、スコットが待ったをかける。

 

「そもそも、調理場の管理をシロサキ一人に任せたのは、もし毒を盛ってもシロサキが真っ先に疑われるからシロサキが毒を盛ることはないという理由があったはずだ。そして今、まさにシロサキが疑われている。こうなる事はわかりきっていたはずなのに、それでもシロサキが毒を盛ったって言うのか?」

「そ、それは……」

「更に言うなら、シロサキが犯人だとすれば怪しい行動を取った人物はいなかったなんて証言するのはあまりにも不自然だ。アオガミの裁判の時にも同じ話をしたよな」

「そういえばそんな事言ってたわね。結局城咲は犯人じゃなかったし」

 

 確かにスコットの言う通りだ。毒殺という殺害方法には、自身が直接手を下す必要がないというメリットが有る。現場にいる必要すらないため、直接自分へとつながる証拠は残りにくい。しかし、城咲に限っては別だ。もし城咲が犯人なら、料理に毒を盛った時点で自分が犯人だと告げるようなものだから。

 そう考えると、俺も城咲が犯人とは思えない。

 

「けど、事実としてタバスコには毒が入っていたじゃない。そういう心理的なデメリットを理解した上で、だからこそあえて毒を入れたのかもしれないわ」

「『あえて』取る行動にしてはあまりにもデメリットが大きすぎる。誰かがシロサキに罪を着せるために毒を混入させたと考えるほうが自然なはずだ」

「手芸部の意見に正当性がある。メイド以外に毒の混入が可能だったかどうか、議論する必要があるな」

 

 冷静に双方の意見を見極める岩国。

 

「今日より前で、最後にタバスコを使ったのはいつだ? 俺が軟禁されている時に使ったんだったよな?」

「二番目の動機が与えられた日(動機公開編)の前日の夜だ。その日のメニュー(題材)はナポリタンだった」

「あァ……あん時も大天は狂ったみてェにタバスコをかけてたな」

「ほ、ほんと初めて見たときはびっくりした……」

「その時は毒は入ってなかったってことだよな」

「ええ。大天さんはピンピンしていらっしゃいましたよ」

 

 となると、毒はそれから今日の夕方までの間のどこかで混入されたということになる。

 

「ふしぎなんです……前回たばすこを使用してから丸三日間……かぎの開放されている日中は常にわたしは食事すぺーすにおりました。ゆいいつ今日のおふろのときは離れましたが……他のみなさんが全員大浴場に向かってから離れています」

「うん、それは私が保証するよ。私が大浴場に大天さんを連れて行くまで城咲さんは食事スペースにいたし、もちろん私達はずっと一緒にいたし」

「男子で、風呂入ってるときに抜け出した方はいませんね」

女子風呂(サービスシーン)も同様だ。単独行動は誰も取っていない」

「変態。妙な言い方をやめろ」

「……キミこそその呼び名はもう勘弁してくれないか」

「お前が反省したらやめてやる」

「……とにかく、入浴のタイミングを狙って毒を混入させるなんてのはできそうにないな」

 

 二人の言い合いを無視して話をまとめる。裸一貫の相互監視ができるあの場で、一人だけこっそりと行動することなんかできない。

 

「夜時間には鍵がかかりますが……その前後はいかがでしょうか。鍵がかかる直前、または鍵が開く直後。そこに隙間があれば、毒の混入は可能になりますが」

「すきまなんてありません。夜はかぎがかかったことをかくにんしてから個室に戻っていますし、朝もかぎが開く前に移動しています」

「じゃあ、こっそり毒を入れる隙なんか無いじゃないか」

「よ、夜時間の間に、う、上から入るのは……? た、高い策で囲まれてるだけだから、よ、よじ登れば入れるんじゃないか……?」

「いや、それは無理な脚本だ。夜時間を主題とした規則には、鍵がかかる(禁書になる)事だけでなく、はっきりと出入りの禁止が書かれているからな」

 

 

――《規則3、夜10時から朝7時までを【夜時間】とする。夜時間には【食事スペース】及び【野外炊さん場】は施錠され、立ち入りを禁じる。》

 

 

 夜時間に関する規則を思い返すと、確かに明日川の台詞の通りだった。

 

「そ、そうか……」

 

 意見を総括すれば、一つの結論が見えてくる。

 

「日中は城咲が見張ってて、夜はずっと鍵がかかっている。誰にも見つからずに調理場に行くことなんか無理だ」

 

 じゃあ、やっぱり、犯人は。

 

 

「いや。それは違ェぞ!」

 

 

 導きかけた結論が、火ノ宮の声にかき消される。

 

「誰にも見られずに調理場に侵入できる時間が、一度だけある!」

「一度だけ?」

「あァ――捜査時間だ」

 

 え?

 

「……あ!」

 

 瞬間、モノクマのかつての言葉が脳裏をよぎる。

 

 

――《「それでは、この後蒼神サンを殺したクロを見つける学級裁判を執り行います! というわけで、そのための捜査時間をあげるから、頑張って捜査してね! 例によって食事スペースのカギは開けておくから。それじゃ、ファイトだよ!」》

 

 

 確かにモノクマはそんな事を言っていた!

 

「この前の事件に食事スペースは全く関与してなかったから意識してなかったけどよォ、捜査中は夜時間でも鍵が開く! 捜査中は規則による立入禁止の例外になんのは、一度目の時に証明済みだ! しかもオレ達は誰も見張りを立ててねェ! クソッ!」

 

 ここに来て今更気づく見張りの穴に、火ノ宮は歯ぎしりをして床を蹴りつけた。

 

「……確かに、可能ですね。前回の捜査中は、ほとんどが【体験エリア】に留まっていました。それに、事件現場付近はともかく、他のエリアへの単独行動は特に気にかけていませんでしたし……その隙をついて、毒の混入を実行することは不可能ではありません」

「じゃ、じゃあ、ど、毒を入れた犯人は、これから学級裁判があるのに、そ、その先で事件起こそうと毒を仕込んだってことか……!?」

「……そういうことになるな。それ以外のタイミングは……考えられない」

 

 ……まさか。

 でも、そうとしか考えられない。目の前で蒼神が静かに息絶える姿を見て、これから命懸けの学級裁判が待っているというのに、事件を起こすべく行動したんだ。犯人が城咲でないという仮定の上だが。

 

「そんなのおかしいよ! だって、もしも学級裁判でクロを見つけられなかったら、そこで自分も死んじゃうんだよ! 毒を仕掛けたって、無駄になっちゃうもん!」

『……いや、あながち無い話とも言えねえぞ、翡翠』

「えっ?」

『毒を仕掛けても仕掛けなくても、どのみち学級裁判ですることは変わんねえ。どうせクロを見つけないと死んじまうんだから、クロを当てて生き残った時のことだけ考えるのは理に適ってる。()を見据えて行動するのも、ありえないとは言い切れねえ』

「でも、紫苑ちゃんの死体を見た後で、毒を仕掛けるなんて……」

『オレだって別に毒を入れてもいいなんて思ってねえよ。ただ、その考えには一応筋が通っているって言いてえだけだ』

「……そっか」

「露草。一人で議論すんのやめてくんない?」

「一人じゃないよ、瑞希ちゃん」

 

 二人の(一人の)会話を聞いて、犯人の行動に少し納得はした。……が、それを咀嚼するうちに別の考えも思いついた。

 

「け、けど、そ、捜査する時間を削ってまでわざわざ毒を仕込まなくても……」

「……もしかしたら、犯人は蒼神を殺したクロが分かってたんじゃないのか?」

「あァ? 捜査の時点でかァ?」

「ああ。だったら、捜査をする必要なんかないだろ?」

「何言ってやがる。裁判の前にクロが分かってたのは、クロ自身しかいねェ。けど、クロは勝てば【卒業】するんだからクロが毒を仕込む意味なんかねェだろォが」

「いえ、そういうことではありませんよ」

 

 そう言って火ノ宮に反論するのは、杉野。

 

「どういう意味だァ!」

「通常の事件であれば……例えば、一度目の新家君の事件であれば火ノ宮君の考えに間違いはありませんが、蒼神さんの事件の場合は少し事情が異なります。あの事件には、もうひとり関係者がいたではありませんか」

「……ッ!」

「それが言いたかったのですよね? 平並君」

「ああ。……愉快犯だよ」

 

 その言葉を口にした途端、皆の息を呑む音が聞こえた。

 

「蒼神と遠城をアトリエに呼び出したっていう愉快犯。そいつは、捜査をするまでもなく遠城がクロだって事を知っていたはずなんだ。だから、次の事を考える余裕もあったんじゃないか?」

「……なるほど。確かに、理屈の通ったシナリオだ」

 

 厳密に言えば、裁判の前にクロを知っていた人物はもうひとりいる。遠城をけしかけた【言霊遣いの魔女】である杉野だ。だが、杉野はあの時俺とずっと一緒に行動していた。コイツに毒を仕掛けることはできない。だから、候補としては愉快犯しかいなくなる。

 

「それに、今回の犯行なら毒殺することだってできたはずなのに、あえて犯人は人が死なないように『モノモノサツガイヤク』の量を調整していた。俺達をバカにするみたいに騒動だけを起こしたかったなんて、実に愉快犯らしいと俺は思う」

「……それには異議があるな、凡人」

 

 犯人は愉快犯である、という俺の意見だったが、反対意見が入る。

 

「それはお前の主観に過ぎない。お前の意見は筋は通っているが、証拠がない。犯人が愉快犯でないとしても、腹話術師の意見を考えれば十分成立する」

「……そうだな」

 

 反論の余地がない……というより、犯人が愉快犯だと断言できる根拠がない。議論を進めれば見えてくるものがあるだろうか。

 

「まあ、やってることは完全に愉快犯だからちょっとややこしいね」

 

 と、七原。手紙を出した人物と毒を仕込んだ人物が同一人物なら、まだマシなんだが。ただでさえ【魔女】がいるのに、愉快犯が二人もいてたまるか。

 

「では、以上を踏まえて容疑者を確認いたしましょう」

 

 今回の犯人の異常性を感じ始めた皆を鎮めるように、杉野が次の段階に話をすすめる。

 一人しかいなかった今回の事件の容疑者だが、見張りの穴が見つかることでその数は増えることになるはずだ。

 

「まず、他の方にも毒の混入が可能だったとは言え、城咲さんを容疑者から外すことはできません。よろしいですよね?」

「……はい。いたしかたありません」

 

 杉野に念を押されるように問われ、静かに彼女はそう答える。不服そうな顔をしてはいた。

 

「そして、容疑者に新しく加えられるのは、前回の捜査時間で単独で【体験エリア】を離れた人物です。……一人一人リストアップするのは面倒ですし、自己申告していただけますか」

 

 彼の声を聞いて、ちらほらと手が挙がる。おずおずと、しかしはっきりと手を上げたのは、根岸に露草、七原と岩国。そして東雲の五人だった。

 

「だよなァ。オレは明日川と検死の後も一緒になって行動してたし、平並と杉野も一緒に捜査してたはずだ。スコットも大天や城咲と一緒に現場にいたしなァ。少なくともオレ達は容疑者から外せる」

「ってことは大天の狂言の線は消えたわね」

「……ん? 東雲、お前は違うだろ」

 

 火ノ宮の声とともにその真偽を確かめていると、ふと違和感に気づいた。

 

「何が?」

「お前、手を上げてるが……お前は【宿泊エリア】に行ってないだろ。お前は【体験エリア】の中で対岸のアトリエや実験棟の捜査をして、その後現場に戻っただけじゃなかったか?」

「まあそうだけど。でも単独行動をしてたのは事実だし、アタシが【体験エリア】を出てないのは証明できることじゃないでしょ。明日川が四六時中見張ってたって言うんなら話は別だけど」

「いや、ボクは検死(死の解読)をしていた。【自然エリア】へとつながるゲートが視界(描写)から外れていた時間(ページ)もある」

「でしょ? だからアタシは晴れて容疑者の仲間入りってわけ」

「……まあ、東雲さんがいいのならそれで話を進めますが」

 

 呆れたような声の杉野。

 

「今手を上げてくださった5名と城咲さん。この6名が今回の毒物事件の容疑者ということになります」

「そうだな。異論(校正)はない」

 

 容疑者6人。今生き残っているのが12人だから、その半数に登る。

 

「では、ここから容疑者を減らしていくために事件について議論していきたいと思います。直接誰かの容疑を晴らすようなものでなくてもかまいません。何か、気になることのある方は?」

 

 発言を誘うように軽く手を上げて、杉野は俺たちを見渡す。

 

「…………」

 

 しばし沈黙が流れる。気になること、と言われてパッと思いつくことは無い。まだ事件を漠然ととしか捉えられていないのか。

 

「……なぜ、たばすこだったのでしょう」

 

 何を話せば、と悩んでいるうちに城咲が声を絞り出した。

 

「と、言いますと?」

「調理場にはさまざまな食材や調味料がそろっています。その中で、なぜたばすこにどくを入れることにしたのでしょうか」

 

 調理場を知り尽くしているからこそ出る城咲の疑問。

 

「意味なんて無いんじゃないのか? 『モノモノサツガイヤク』は液体だ。それを仕込めるような液体なら何でも良かっただけだと思うが」

 

 それに、俺はそんな答えをつけた。

 

「液体の調味料っつーと、タバスコ以外には醤油やソース……あとは酢とかかァ?」

「……醤油じゃダメだったのかも」

「あァ?」

 

 異を唱えたのは七原。

 

「なんとなくだけど、きっと、犯人はタバスコじゃないといけない理由があったんだよ」

「勘じゃねェか」

「そうだけど……」

 

 しかし、七原の勘はバカにはできない。なにせ、彼女は【超高校級の幸運】なのだから。

 

「醤油じゃダメな理由、か」

「ひんどの問題ではないでしょうか」

 

 俺のつぶやきに答えを出したのは城咲。

 

「醤油はりょうりする際にもおおく使用しますし、和食の定番ですからたびたびてーぶるに用意します。それにくらべて、たばすこをめいんの味付けではつかいません」

「使わないんだったら意味ないんじゃないの? 毒を仕込んだのに誰も口にしないってことだよね」

『それは違うぜ、翡翠。別に使わないったってまったく使わないわけじゃねえ。今日みてえにな』

「黒峰さんの言うとおりです。おそらく、犯人はすぐに事件を起こしたいわけではなかったのではないでしょうか」

「……なるほど。一理ありますね」

 

 昨日の朝二度目の学級裁判を終え、今朝新たなエリアであるこの【運動エリア】が開放されたばかりだ。こんなに早く事件が発生するとは、犯人も予想外だった可能性はあるかもしれない。

 

「い、一理はあるけど……で、でも、た、タバスコに毒を仕込んだって意味ない……」

「あァ?」

「ぼ、ぼくも、ず、ずっと気になってたんだ……な、なんでタバスコなんかに毒を仕込んだのかって……だ、だってそうだろ……? さ、さっきも言ったけど、あ、あの毒は少量じゃ反応しないんだ……た、タバスコなんて出てくる頻度も少ないし、い、一度に掛ける量だって少ない……」

 

 一本ずつ指を伸ばしながら、根岸は自論を唱えていく。

 

「大天がバカみたいに掛けまくったから症状が出たけど……そ、そうじゃなかったら、毒を仕込んだことすら知られなかったかもしれないんだぞ……!」

 

 確か、タバスコに入っていた毒は一本でようやく致死量に達するくらいだったか。大天のように大量に使う人がいなければ、症状が現れることすらなかった。仮に少しずつ摂取していったとしても一人や二人で使い切るわけじゃないから、その結果は変わらないだろう。

 

「でも、事実、こうして事件は起きた」

 

 はっきりと、東雲が告げる。なにかに気づいたのか、嬉しそうに口を歪ませて。

 

「ってことは、最初から犯人は大天が毒を口にするのを狙ってたってことになるわね。醤油でも他の調味料でもなく、わざわざタバスコに毒を盛ったんだから」

「……犯人はオオゾラに恨みがあったってことか? だから、オオゾラ以外には被害が出ないようにした……」

「そうじゃないわ、スコット。いや、その可能性もあるけど。アタシが言いたいのはそういうことじゃないのよ」

 

 仰々しく手振りをつけて彼女は語る。

 

「まるで犯人がわかったみてェな口ぶりじゃねェか」

「ああ、別にそういうわけじゃないの。でも、少なくとも容疑者は減らせるはずよ」

「な、何が言いたいんだよ……」

「犯人は、大天がタバスコを大量に掛ける事を知ってたってことよ。そうじゃなきゃ、タバスコに毒を仕込もうなんて考えない。そうよね? だって、タバスコを一度に大量に使ってくれる人がいなかったら誰にも症状は現れないんだから」

「……確かに」

 

 シンプルなロジックとして、東雲の言葉に間違いはない。

 

「そして、それは全員が知っていたわけじゃないわ。毎日料理を作ってた城咲やそれを食べに行ってたアタシは知ってたけど、例えば軟禁されてた平並なんかは知らなかったわ」

「ああ」

「容疑者の中にも、そんな人がいるわよね?」

 

 そう告げて、彼女はニヤリと笑う。

 

「……俺だ」

 

 その楽しげな顔に、冷たい言葉がぴしゃりと突き刺さった。出会った当初から俺達と壁を作っていた、岩国だった。

 

「そう! アンタはずっと夕飯を食べになんか来なかったわ。そもそも朝だって顔は見せるけど城咲の料理は食べてなかったわけだし。大天のタバスコのことなんて知らないでしょうね」

「……なるほど。ちなみに、彼女に大天さんの事を話した方はいらっしゃいますか?」

 

 誰も反応しない。

 

「でしょうね。彼女は僕達と距離を取っていましたし、わざわざ大天さんの事を話す理由もありません。人づてに聞いた可能性も消せますね」

「なら、俺は容疑者から外させてもらうぞ」

「ええ。問題ないと思います」

 

 と、杉野が判断する。それに異を唱える人も居なかった。

 

「他にもそういう人はいるんじゃないのか? 夕食は、朝食とは違って時間を合わせてなかった気がするが」

 

 そう問いかけてみるが、

 

『ダメだな。今容疑者になってる奴らは皆あの日大天と同じ時間にメシを食べてた』

「この考え方だとこれ以上容疑者は減らせないと思うよ」

 

 黒峰と露草に二人がかりで否定されてしまった。そうか……。

 

「しかし、一人容疑者を減らせただけでも進展はしています。他に意見のある方は?」

 

 議論を一度取りまとめて、再び杉野が議題を募る。

 

「…………」

 

 再び沈黙。

 

 沈黙。

 

 そして沈黙。

 

「……何も、出ませんか」

「……てめーは?」

「残念ながら、僕もです。議論をしたいのは山々ですが……如何せん議題がありません」

 

 そうなのだ。杉野の言う通り、事件を解き明かすためのきっかけになりようなとっかかりが思いつかない。

 

「…………」

 

 ため息のような沈黙が重なって、そのまましばし時が流れる。

 誰も、何も喋れない。これ以上、何を喋れば真相にたどり着けるのだろうか。

 

「……や、やっぱり、し、城咲がやったんじゃないのか……?」

 

 ポツリとそんな疑惑が再び花開く。

 

「それを言うなら、毒を管理していたオマエだって十分怪しいだろ」

「だ、だから、そんなの関係ないって言ってるだろ……!」

「わたしだってちがいます!」

「……あえて言うんだったら、城咲も根岸も真っ先に疑われるような状況で犯行に及ぶとは思えねェ」

「でも、さっきも言ったけど、それを承知の上であえて毒を仕込んだ可能性はあるわ」

「……チッ。分かってる」

 

 堂々巡りだ。さっきもした会話を繰り返している。皆苛つき始めている……いや、焦り始めているのだ。このまま俺達がたどる末路を想像できてしまっているから。

 

「どうしよう……これじゃ、いつまで経っても水掛け論だよ」

 

 と、不安げな七原の声。少なくとも、こうして感情をむき出しにして議論するのは絶対に良くない。

 かといって、それを打破する方法もない。

 

「というかそもそも、こんな事しでかすのはシノノメしかいないんじゃないのか。予行演習がしたかった、とかな」

 

 こうなると、どれだけ怪しいかでしか話を進められない。そんなもの、結局の所決めつけにしかならず、そこに犯人を突き止められるような建設的な議論はない。

 

「そう言われるのも分かるけどね。アタシもぶっつけ本番は怖いし。でも、七原や露草だって毒を仕込む可能性はあり得るでしょ」

「七原がそんな事するわけ無いだろ!」

「って言う風に平並がかばってくれると踏んだんじゃないの?」

「そこまでです」

 

 俺と東雲の口論を杉野が遮った。

 

「何よ」

「これ以上言い合っても、意味ないでしょう。互いに暴言を吐きあうだけに過ぎません」

「……学級裁判をやめるっつーのかよ」

「……はい。非常に不服ですが、それしかないでしょう。幸いにも、犯人を当てられなくともペナルティはありません」

「けどよォ! それって毒を盛った犯人を野放しにするってことじゃねェか!」

「僕だってしたくてそうするわけじゃありません! ですが、こうなった以上致し方ないじゃありませんか」

「…………ッ」

 

 この他に打つ手など無い、とでも言いたげに、悔しそうな声で杉野は告げる。

 まるで杉野がこの場を支配しているかのようだった。

 

「いや、しかし……」

 

 嫌な予感とともに、【魔女】の行動を止めようと声を上げる。

 

「何でしょう、平並君」

「…………」

 

 だが、名を呼ばれてもその言葉の続きを口から出すことはできなかった。杉野が……【魔女】が場を支配するのを止めたくて声を上げたが、それを実行する力量も理屈もない。

 

「野放しにしないというのなら、現在の容疑者を全員縛り上げる、ないし軟禁するという手段を取ることになりますが」

「ふ、ふざけるな……!」

「……大丈夫だ、根岸。そんな事はしない」

 

 出来るわけがない。その中に毒物事件の犯人がいると言っても、そいつ以外は無実なんだ。誰が犯人かもわからないまま、半数近くのただ怪しい人物を拘束したとして、いつまでそれを続けるのだろう。このモノクマによる軟禁生活の終わりが見えない以上、その拘束を続けても途中で開放してもどちらにしても不和は目に見える。

 

 何が何でも、今、犯人を特定すべきなんだ。

 けれども、それができない。できないから、こんな事態に陥っている。これ以上学級裁判の真似事を続けたところで真相が見えてくる気配はなく、それより先に俺達は互いに傷つけ合うだろう。だから、議論を止めた杉野の判断は正しい。正しいと言わざるを得ない。

 

「クソ……」

「…………」

 

 小さく悪態をつくスコット。無言で床を見つめる城咲。他の皆もそれぞれ暗い空気をまとっていた。きっと俺もそうなんだろう。

 

 

 疑わしきは5人。しかし犯人(クロ)は不明。そんな結末で、俺達の疑似学級裁判は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまんねー学級裁判。そんなオチなら最初からするんじゃないよ」

 

 いつまでそうしていただろう。止まった時が、だみ声によって動き出す。

 

「……モノクマ」

「まーだオマエラはボクがいないとまともに学級裁判もできないんだな! ボクの偉大さが身にしみて分かっただろうけど、いつまでもボクの手をわずらわせるなよ! いい加減ボク離れしろ、この青零才!」

 

 モノクマはマシンガンのように文句を言い続ける。

 

「うるせェ。てめーがいても裁判中に何も喋んねェだろォが」

「まあでも、オマエラがこんな決着で満足してるのは、やっぱ命がかかってないからだよね。命がかかれば、もっと必死になって頑張ってくれるだろうしさ!」

 

 そして、そんな恐ろしい事を言いだした。

 

「何をする気だ、モノクマ!」

 

 まさか、今からこの学級裁判にペナルティでもつける気か。

 

「大天は死んでねェ。誰もオシオキされる理由はねェはずだ」

 

 俺と同じ発想に至ったのか、火ノ宮がモノクマに先じて噛み付く。

 

「分かってるよ! ボクとしてはノンペナルティの学級裁判なんてゴミもいいところだと思うけど、だからって死人が出てない以上はオシオキをするわけにも行かないし。だから、とっとと誰かに死んでもらおうと思って」

「は?」

「というわけで、ボクにちゅうも~~く! プレゼントの時間だよ!」

 

 ――プレゼント。

 モノクマの放ったその言葉は、俺達の記憶を呼び覚ますのには十分すぎる重みを持っていた。

 

「【動機】か」

「明日川サン、その通り! ま、三度目だし誰でも分かるよね!」

「待て! 【動機】を出してくるには早すぎるだろ! 今朝【運動エリア】が開放されたばかり……前や最初の時はもっと期間があったはずだ!」

 

 過去の絶望を思い返して、そんな言葉をモノクマにぶつける。一度目の学級裁判が終わってから【動機】が配られるまでに俺は丸三日軟禁されていたし、モノクマも『続けて学級裁判をやっても疲れるから休憩を与える』というようなことを言っていたはずだ。

 

「『早すぎる』ゥ? それはこっちの台詞だっつーの! こっちがわざわざ休憩時間を用意してやってんのに、その休憩時間にこんな事件を起こしたのはオマエラだろ!」

「オレが事件を起こしたわけじゃねェ!」

「オマエはいい加減揚げ足を取るのをやめろッ! 話が進まないだろ!」

 

 顔を真っ赤にしたまま、モノクマは言葉を続ける。

 

「こっちだって段取りってもんがあるんだよ! せっかく【動機】を用意したのに無駄になっちゃうでしょ!」

「そ、そんなのぼくたちが気にすることじゃないだろ……!」

「気にしろ! っていうか黙って聞いてろよ! 今はボクが話す時間なの! 人の話を遮るんじゃない!」

 

 だなんて、内容だけは至極真っ当そうな事をモノクマは言って、ふうと一息をついた。

 

「そんなわけで、ホントに事件を起こされちゃう前にとっとと【動機】を配っちゃおうと思ったんだよ。今なら皆集まってるから丁度いいでしょ? 大天サンも目を覚ましたみたいだしさ」

「えっ?」

 

 モノクマの言葉を聞いて開いたドア越しに病室を覗きこむと、確かに大天が体を起こしてこちらを向いていた。

 

「大天さん!」

「おっと、七原サン。そういうのは後にしてね。先にこっちの話をやっちゃうから」

 

 駆け寄ろうとした彼女の足は、モノクマのそんな言葉に止められた。

 

「さて、やっと始められるね。まったく、前振りが長い……」

 

 そんな文句を言いながら、モノクマはテーブルによじ登る。メインプラザで言うステージの代わりだろう。

 

「はい! 皆さん、いかがお過ごしでしょうか! こないだの学級裁判から何日か経ったけど、そろそろ事件が恋しくなってきたんじゃないの?」

「まだ二日しか経っていないが」

「じ、事件なら今起きたばっかりだろ……!」

「もしかして、用意しといた台本そんまま読んでんじゃねェのか」

「黙って聞けって言ってるだろ!」

 

 だんだんと地団駄を踏んでから、仕切り直すようにゴホンと咳き込むモノクマ。

 

「そんなわけでオマエラに【動機】をプレゼントしようと思うんだけど、せっかくオマエラは二回も学級裁判をクリアしたんだし、それを褒め称えてボクからはボーナスをあげようと思うんだ!」

「ボーナス?」

「そう!」

 

 と、元気よく答えたモノクマは、テーブルから降りると俺達に一枚の紙を手渡して回った。病床の大天も含めてだ。

 おおよそ手のひらに収まるくらいの大きさの長方形のその紙には、髭の生えた男性の肖像が描かれている。その角にある数字は、10000000000(1の隣に0が十個)

 

 

 

「ここまで生き残ったオマエラには特別ボーナス! ずばり! ひゃっくおっくえーーーーーーーん!!!」

 

 それはまさしく、『百億円札』に違いなかった。

 

 

 

「いやー、口にすると気分がいいね! 『百億円(ひゃっくおっくえーーん)』って、トップクラスに声に出したい日本語だと思うんだけど、オマエラはどう思う?」

「……いや、おかしいだろ。こんなもん、【動機】として成立してねェ」

 

 楽しいゲームでも勧めるかのごとく明るくしゃべるモノクマに、冷静に火ノ宮がツッコミを入れた。

 

「え? でも、外に出たら使い放題だよ? それに、お金ってのは古今東西殺人を引き起こすトリガーになってるのに、今更何言ってんの?」

「そういう事を言いてェんじゃねェ。こんな紙切れに、自分や他人の命を掛けるほどの価値があるわけねェっつってんだ」

 

 怒気よりも困惑を強く表面に出して、彼はモノクマに語りかける。俺も彼と同じことを考えていたし、きっとこの場にいる皆がそう思っているだろう。

 

「それってオマエの価値観じゃーん! 心配しなくてもボクにはボクの考えがあるから大丈夫だよ! っていうか、ぶっちゃけ今のオマエラにボクの【動機】なんか要らないだろ!」

「ぐッ……」

 

 痛い所を突かれて、火ノ宮は黙り込む。……この光景も見慣れたものだが、実際の所モノクマの言うとおりだ。モノクマが何もしてこなくとも毒物事件が発生した。強いて言うなら、この毒物事件が【動機】と言えてしまう。

 

「そんなわけで、それがオマエラへのボーナスだから。オマエラ、気張っていこーぜ! 殺れば出来るからさ! それじゃ解散!」

 

 俺達の戸惑いをよそに、そんな言葉で話を打ち切ったかと思うと、モノクマはいつものようにいずこへと消えていた。

 残された俺達は、それぞれが手元の百億円札を見つめて何かを考えていた。おそらくは、これが本当に【動機】になりうるのかどうかを。

 

「ねえ、ちょっと聞いてもいいかしら」

 

 そんな中、東雲が口を開く。了承も得ないまま、彼女は続けて疑問を言い放つ。

 

 

 

「『円』って何処の国の通貨よ?」

 

 

 ……は?

 何を言ってるんだ、こいつは。

 

「お前知らないのか。日本の通貨単位だよ。【()()()】時代の」

 

 そんな風に、俺は呆れた声で東雲の疑問に答えた。

 

「【旧日本】……? あー、なるほど」

「近代史の授業で習わなかったか?」

「歴史は苦手なのよ。そりゃ絶望がどうこうって話くらいは知ってるけど」

 

 スコットからの追及から逃れるように、東雲はそっぽを向く。そんな彼女に、優しく諭すように明日川が語りかける。

 

「江ノ島盾子が猛威を振るった【絶望全盛期】から25年が経過した西暦2036年、ついに絶望の残党の殲滅には成功したものの、日本列島という島国は絶望との戦いによって激しく汚染されてしまった……その汚染された土地の復興を諦め、人工列島へ国ごと移住した、というのは東雲君も知っているだろう?」

「そうね。流石にそれを知らない人はいないでしょ」

 

 人工列島。

 【旧日本】を構成していた日本列島をおよそ1パーセントの面積で再現したその人工島は、本来リゾート地として南鳥島の北側の海に建設されていたものだった。絶望が世界に蔓延する以前から希望ヶ峰学園と政府が提携して進められていたそのプロジェクトは、日本が絶望に堕ちた当時、新たな希望をイチから始める方法としてはうってつけのものだったらしい。

 

「その新天地へと移住してからの日本を【新希望日本】って呼んで、その前の日本を【旧日本】って呼ぶんでしょ?」

「ああ、その通りだ。移住計画の主体となった未来期間は絶望への強い決別を表して【新希望日本】という大仰な呼称を使ったわけだが、自然な流れでもう一方の呼称も決まったというわけだ。【旧絶望日本】と揶揄する(やから)もいたようだけれど」

 

 当然、【新希望日本】という名に日本が正式に改名したわけではないが、この呼称は至るところで目にすることが出来る。移住からもう25年も経つのだから、そろそろ『新』の字は外してもいいんじゃないかとその度に思う。

 

『にしても、これが百億円札か。実物は初めて見るぜ』

「今は『(じん)』だもんね」

 

 そんな会話につられて、モノクマから配られた百億円札に目を落とす。シワや折り目があるから新札というわけでもない。

 【旧日本】時代の末期、熾烈を極めた絶望との抗争の果てに過去に類を見ないハイパーインフレーションが発生したらしい。その象徴として教科書に載せられていたのが、この百億円札だった。

 そして、その混乱した経済を【新希望日本】へ持ち込むわけには行かないと、移住を期にデノミ政策……つまり通貨の変更が実施されたらしい。これにより、日本の通貨単位は『円』から今七原の口にした『仁』に切り替わった。目論見通りこの政策は成功を納め、【絶望全盛期】以前と同程度には経済状況は落ち着いた、というのが教科書に載っていた移住前後の日本経済の一部始終だったはずだ。

 

「……明日川。百億円札の価値は分かるか?」

 

 そんな会話を静かに聞きながら百億円札を見つめていた火ノ宮が口を開く。

 

「それは当時の百億円の価値の事を言っているのかい? それとも、百億円札そのものの現在の価値の事か?」

「どっちもだ」

「ふむ。当時の価値なら、百億円でようやく500ミリのジュースが一本買えるかどうかといった程度だな」

「うわ! ぼったくりもいいとこ!」

「い、インフレの結果をぼったくりって言うなよ……」

「対して百億円札自体の価値だが、ボクは鑑定士じゃないから厳密な台詞が吐けるわけでもないが、シワのない新札(新刊)で百仁程度が関の山だろう」

「結局ジュース一本くらいじゃない」

「そういう事になるね」

 

 スラスラと火ノ宮の質問に答える明日川。過去の通貨の価値なんてよほどのことがないと知る機会も無いだろうに、よくも答えられるものだ。明日川の記憶力は今更驚くものではないが、その知識の広さに感服する。

 

「……そォか」

 

 そして、火ノ宮はそれを聞いて静かに頷いた。

 

「やっぱ、どう考えても分からねェ。こんなもんがどうして【動機】になるってんだ」

「……やはり気になりますよね」

「あァ。百歩譲って百億仁ならわかる。金が命より優先されて良い訳がねェし、そんなもんのために誰かを殺すなんざあっちゃなんねェが、それでも金の重さはバカにできねェ。百億仁なら生涯年収の数十倍だから、他人の命と天秤に掛けたら揺れるレベルの額になる」

「……ああ」

 

 火ノ宮の言葉の意味はわかる。考えたくはないが、それほどに巨額のお金の与える影響は大きいのは間違いない。

 

「けどよォ。百億円になるととたんに意味が分からねェ。金銭的価値はおろか、収集的価値もねェもんに、誰が命を賭けるっつーんだ」

「……ものくまは、何を考えているんでしょうか」

 

 モノクマは、【動機】としてこれを渡してきた。つまり、この百億円札を手にすることで殺意を持つ人間がいるということになる。一体どういう理屈で殺意を抱くことになるのだろう。

 それに、過去二回の【動機】はどちらも全員の殺意を煽ってきた。対して、今回の【動機】が引き起こしたのは殺意ではなく困惑だった。仮にこの中に殺意を抱いた人物がいるとして、その人数はごく僅かだろう。そんな、特定の人物を狙い撃ちするような真似をしたことも少し気にかかる。殺意の数が多ければ多いほど殺人も発生しやすくなるというのに、なぜそんな事をしたのだろう。

 ただ、いつまでもこうして考え込んでいる訳には行かない。

 

「分かりようも無いことを悩んでも仕方ない。これからの事を考えよう」

 

 皆の視線を集めるように、少し声を張る。

 

「モノクマの【動機】は気になるが、これが無くたって毒物事件の事がある。直接的でないにしても、色々と危うい状況になっている……と思う」

 

 そもそもモノクマ本人も言っていたが、今の俺達に【動機】なんて必要ないのだ。

 

「な、なんでおまえが仕切ってるんだよ……」

「えっ?」

「い、『色々と危うい』のはおまえだろ……」

「…………」

 

 根岸に突っ込まれて、黙り込む。毒物事件があったって俺は誰かを殺そうとなんか思ってない、と本当の事をはっきり言えればよかったが、二度も殺意を抱いておいてそんな事を言ってのける神経は俺にはなかった。

 

「落ち着いてください、根岸君。建設的な議論をしましょう」

「…………お、落ち着けるかよ。さ、殺意もないのにあんな事件を起こしたやつがいるんだぞ……! し、しかもまだぼくたちの中に潜んでる……ぼ、ぼくたちの事をバカにしてるんだ……!」

 

 顔を青ざめさせながら、根岸が震えた声を出す。

 

「……ええ、もちろん分かっています。百億円札なんかよりも毒物事件が起きたことよりも、その犯人の正体が不明という事が何よりも大きな懸念事項です」

「実際、毒物事件の犯人は何をしたかったのかしらね。致死量の毒を仕込んでおけば良かったのに。そうすれば、晴れて【卒業】よ?」

「んなもん知るか。もし自分がクロになった時にそれがバレるかどうか実験したかったのかもしれねェし、オレ達をこうして疑心暗鬼にさせる事が目的だったのかもしれねェ」

「……もしかしたら、僕達はまんまと犯人の目論見通りになってしまっているかもしれませんね。犯人を突き止めきれない以上、容疑者である5人を警戒せざるを得ません」

 

 ……何?

 

「待てよ、杉野。『警戒』なんて言う必要ないだろ。その中に犯人がいるって認識さえあれば、それでいいはずだ」

「それを警戒というのではありませんか? この5人の中に、大天さんを苦しめた犯人がいるのですよ? しかも、【卒業】を企んだわけでは無いのです。他人を傷つけることを娯楽のように感じている可能性もあるのです。警戒して当然でしょう」

 

 それはお前だろ! という叫びをすんでの所で飲み込む。

 

「そういうことを言ってるんじゃない! この中に犯人がいるって言ったって、それでもそれ以外の4人は無実だろ! それをそんな、ひとまとめにして敵視するようなこと……」

「仕方ねェだろ。事件が起きちまったんだから」

 

 重い声色で、静かに怒りの炎を燃やして火ノ宮は俺の言葉を遮る。

 

「これ以上誰も死なせねェためには、それしかねェだろ。そいつがこの前の愉快犯と同じ奴か知らねェが、これ以上好きにさせてたまるか」

 

 分かってる。そんな事誰だって分かってる。

 毒物事件の犯人が判明していない以上、そいつは今度こそ殺人をしでかすかもしれない。だからその警戒を怠るわけにはいかない。それは揺るぎない正論だ。

 

 けれども。

 その正論はわざわざ口にしなきゃいけないものだったのか。

 

「……な、なんだよそれ……」

 

 杉野や火ノ宮の言葉を聞いた彼が、青ざめた声を紡ぎだした。

 

「ぼ、ぼくたちがそんなことするように見えるってことかよ……!」

「そうじゃない! 誰もそうは言ってないだろ!」

「ですが、そういうスタンスでいなければならないという事です。例えば、根岸君が僕達の命を弄ぶような悪人である可能性も考慮しなくては、殺人を止められはしないでしょう」

「な……!」

 

 もう黙れ、と杉野を睨む。反応が返ってくる前に、根岸が口を開いた。

 

「……ぼ、ぼくだって、は、犯人を見つけようって思って頑張ってたんだぞ……! お、大天のやったことにも目をつぶってやったのに……ど、どうしてそんな事言われなきゃいけないんだよ……!」

 

 絶望的な失意が、やがて熾烈な怒りに変わる。

 待て。待ってくれ。

 

「ふ、ふざけるなよ! も、もう沢山だ!」

 

 そんな怒声を残して、根岸が病院を飛び出した。

 きっと、ずっと前から限界だったのだ。それをなんとか押し殺して犯人探しに励んでいたが、それでも自分に向けられる敵意に耐えきれなくなってしまったのだ。

 

「章ちゃん!」

「…………」

 

 慌てて露草がその後を追う。それを、火ノ宮はただ見つめていた。

 彼のパニックを止められなかった。どうすれば良かったのか、分からない。

 

「……ねえ。他に言い方はなかったの?」

 

 杉野の本性を知る七原が、彼にそう問いかける。

 

「……少々角が立つ言い方でした。申し訳ありません」

「俺達に謝ったって仕方ないだろ。謝る相手が違う」

「……杉野もストレスが溜まってんだろ。言い過ぎだとは思うが、内容はあながち間違ったもんじゃねェ」

 

 杉野を擁護するかのように呟く火ノ宮。……明らかに根岸を煽ったあの言葉が、杉野の本性を知らないとそんな風に聞こえるのか。

 

「碌な話をしないなら俺はもう帰らせてもらう」

 

 そんな最中、岩国が立ち上がりながらそう告げた。

 

「毒物事件の犯人を警戒するのは当然だが、他の連中の動きも注意しておけよ。誰かに殺されるくらいならその前に殺してしまおうというのは、誰にでもよぎる自然な発想だからな」

 

 と、警告を言い残したかと思うと、そのまま彼女は病院を出ていってしまった。

 

「……しんぱいしてくださったのでしょうか」

「いえ、彼女は学級裁判のリスクを避けたいだけでしょう。僕達の誰かが死ぬこと自体を恐れているとは思えません」

「……なんでそんな風にしか見れないんだよ」

 

 顔をしかめてそんな言葉を杉野にぶつける。

 

「そりゃあ、岩国が俺達に絆や友情を抱いてることは無いだろうが、何も感じてないってことも無いんじゃないのか」

 

 今夜発生した毒物事件は、生まれかけた俺達の信頼を切り裂いた。それでも確かに一度、岩国は夕食を共に食べることを選択していた。今の忠告の裏に、そこに至る想いが残っていないだなんて思えない。

 

「彼女自身が、他人を信頼することなど馬鹿らしいとおっしゃっていたではありませんか」

「だからって……」

「……平並。なんかてめーおかしいぞ」

 

 警戒を含んだ、火ノ宮の声。

 

「どうしてそう杉野に突っかかるんだ。さっきからずっとそうじゃねェか?」

「……別に。気になることがあったら口を挟んだって良いだろ。お前だってそうしてるじゃないか」

「そりゃそうだけどよ」

 

 適当な言い訳を付けてその追及を躱そうとしたが、火ノ宮を始めとして皆が俺を見る目は鋭いままだった。

 

「……なんだよ」

「いや、オマエの言い分も分かるが、妙にスギノに噛み付いているのも事実だろう。スギノとずっと一緒にいるくせに、何がそんなに気に食わないんだ」

「あ、そういえばそうね。なんであんたらって一緒にいるわけ? 今日一日ずっとそうじゃない?」

 

 話は今日の俺の行動にまで及び始める。

 

「俺が誰とどう過ごそうが俺の自由だろ」

「彼の台詞の通りだ。蒼神君が退場してしまってから、まとめ役を杉野君一人に委ねてしまっているだろう。それが緩和される事を期待してのことだそうだ」

「というわけです。実際、僕自身厳しいことを言っているという自覚はあります。先程も根岸君に厳しくあたってしまいましたし……彼が反対意見をその都度述べてくれるのはありがたいと思いますよ」

「……てめーが良いなら良いけどよォ」

 

 結局杉野が寛大な心を見せた形で話がまとまる。その構図が腹立たしいが、せっかく話が終わったんだ。蒸し返すわけにも行かない。

 

「ともかく、そろそろ僕達も解散といたしましょう。話し合って得られる結論はすべて出尽くしたように思いますから」

 

 俺の内心を気にすることも無く、杉野が総括に入る。結局、コイツを話の中心からどかせない。

 

「僕達はあまりにも死に触れすぎてしまいました。岩国さんの忠告にもありましたが、もはや殺意を抱くなという言葉は意味をなしません」

 

 過去に二度も殺意を抱いた俺だったが、対して今回は胸中にくすぶる殺意は弱い。守りたい人がいる。止めねばならない人がいる。だから、【卒業】なんて考えている余裕はない。

 けれども、それでも【卒業】の二文字が頭をよぎらないなんてことはない。毒物事件の犯人の存在が、愉快犯の存在が、それを忘れさせてはくれない。殺人という選択肢は、かつて俺が手にした時よりもずっと近くに存在する。

 

「ですから、警戒してください。自分が死なないように。自分が殺されないように。他人の事を考えるのは、まず自分が万全であると証明した後です」

 

 杉野は、事件の発生を止めるための手段として警戒を提案した。確かに、無思慮に他人を妄信するよりはずっと効果はあるだろう。分かっている。たとえそれが【魔女】の企んだ結論であろうとも、今はそれしか無いと思ってしまうから、それを否定できない。

 

「過去二回、殺人事件はどちらも夜時間に発生しました。人の目が消えるという事以上に、夜という時間帯やその暗闇によって不安や間違った覚悟が引き起こされているように思います。悪意を持った人間が潜んでいるというこんな状況だからこそ、この夜を、共に耐え抜きましょう」

 

 この言葉に、どれほどの意味があるのだろう。誰が何を告げたとして、誰かの心に芽生えた殺意をかき消すことなんて出来ないように思える。

 

「では、これで解散に」

「最後に俺からいいか」

 

 それでも、悪あがきはすることにした。

 

「ええ、どうぞ。平並君」

 

 杉野に名を呼ばれると、皆の訝しげな視線が俺に集まる。

 そして、一つ息を吸い込んで、皆の殺意を食い止めるために声を投げた。

 

「皆は、俺みたいに間違えないでくれ。俺達の敵は、モノクマだけなんだ」

 

 【魔女(悪魔)】の心にもそれが届けばいいと、ありえない事を願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟》

 

「本当に大丈夫?」

「…………」

 

 病院着の大天に向けて、心配そうに声をかける七原。その声を無視して、大天は歩みを進める。

 病院で点滴を受けていた大天だったが、【動機】絡みの話が終わるとそれを止めて宿泊棟に戻ると言い出した。鍵もかからない部屋にいられるか、というのが彼女の主張だった。

 彼女が病室で元々着ていた服をまとめるのを俺を含めて数人は待っていたが、それ以外は先に個室に戻ってしまった。

 

「ねえってば」

「……うるさいなあ」

 

 しつこく話しかける七原に、大天が折れた。

 

「……私だって、助けてくれた事には感謝してるよ。輸血とかもしてくれたらしいし。……でも、それとは別の話」

 

 立ち止まって、七原の目をじっと見つめる。

 

「今回の毒物事件の犯人には殺意がなかったとか言ってたけど、そんなの私からしたらどうでもいい。本気で死ぬかと思ったんだから」

「…………」

「私は、何があっても死ぬわけになんかいかないの。……だから、中途半端に関わるのはやめた。私は一人で過ごす。もう私に関わらないで」

 

 そう吐き捨てて、彼女は足を動かし始める。

 毒物事件を経て、彼女は『孤立』を選択した。それは、俺や七原が最も恐れていた選択だった。

 ……もちろん、その結論に至る想いも理解できるから、彼女を責めることなんてできないのだが。

 

「待ってよ、大天さん!」

 

 そんな七原の叫びを背に受けた彼女は、何も言葉を返さぬまま個室へと入っていった。決別を示すように、強くドアがしまった。

 

「…………」

「……無理もありませんね。今は精神的にも参っているでしょう」

 

 その様子を見て、杉野がそう呟く。

 

「ああ。今夜(夜の部)何事もなく(白紙のページで)やり過ごすことが前提だが、大天君のメンタルケアは明日(次話)に回すべきだな。現在(今話)では手の打ちようがない」

「そうだけど……」

 

 と、七原は明日川の意見に賛同しかねていたが、結局それ以外に方法がないという結論に至ると特に反論は唱えなかった。

 

「では、僕達も個室に戻るとしましょう。また明日、無事に顔を合わせられることを願っています」

 

 杉野のその声掛けで、残っていた皆も各々個室へと歩き出す。その様子を見ていた彼自身も、満足げな表情をして動き出した。

 

「ちょっといいか、杉野」

 

 その背中に声をかけた。既に俺達以外には七原しか残っていない。

 

「……なんでしょう?」

「大したことじゃない。ちょっとお前に訊きたいことがあるだけだ」

 

 敵意を持って、そう告げる。

 

「ここじゃ話せないから、集会室にでも行って……」

「そうやって僕を殺すつもりですか?」

「……!」

 

 思わず言葉に詰まる。そんなつもりは当然無い。今夜起きた毒物事件に【魔女】として関与したのかどうかを確認したかっただけだ。

 

「……冗談ですよ。平並君が今更そんな事を考えるとは思いませんし、七原さんという証人もいますからね」

「……その冗談、笑えないよ」

「ええ、僕としても悪趣味だったなと反省しています。ただ……この状況ではそう取られかねないという事は覚えておいたほうが良いと思いますよ」

「……わかったよ」

 

 内心で一つため息をつく。

 

「それでそのお誘いですが……遠慮させていただきます。あんな事が起きて僕も大変疲れましたし、平並君もおそらくそうでしょう。そのお話、明日でもよろしいですか?」

「……ああ。別にいいよ」

 

 【魔女】が関与したのかどうか……それについて考えが無いわけじゃない。わざわざ杉野を引き止める気にはならなかった。

 

「ありがとうございます。では、また明日」

 

 その胡散臭い声が、個室のドアの向こうへと消えていった。

 

「…………」

 

 ようやく、張り詰めていた気を緩められる。そう思った途端に、どっと疲れが押し寄せてくる。

 

 長い、一日だった。

 二度の殺し合いを経て、俺達は互いに疑心を向けざるを得なくなった。モノクマに立ち向かうために協力することなんか、もはや幻想としか思えなくなっていた。

 そんな状況を打破するために、皆で一緒に大浴場に入った。裸一貫で互いの想いをぶつけることで、多少は互いへの敵意は薄まった。全員で夕食を取れたのがその証拠と言えるだろう。

 

 だから、そこまでは良かったんだ。そこまでは、問題なんかなかったんだ。

 

 その夕食の最中に、毒物事件が起きた。大天がその被害にあい、その犯人が不明のままになってしまったことで、俺達の間に再び疑心が満ちる。そして、誰かが一線を越えてしまうのではないかと誰もが怯えている。あるいは、さもなくば。

 

「平並君」

 

 そこで思考が止まる。降ってきた七原の声に、無言のまま目で返事をする。

 

「…………」

 

 なにか言いたげにしていたその口は、少し動いたかと思うとすぐに閉ざされてしまった。

 

「……大天さん、このまま無事だと良いね」

 

 そして振られた話題は、明らかに今見繕ったであろうものだった。そこには触れず、相槌を打つ。

 

「……ああ。根岸が解毒薬を飲ませたし、明日川の主導で手当をしたんだ。途中で点滴は抜かれたけど、明日川が強く言ってこなかったってことはもう大丈夫ってことだろ」

「そうだよね」

「それに、お前がそう思ってるならますますそうなんじゃないか? お前は【幸運】なんだから」

「……うん」

「とにかく、大天が死なないでくれて良かった」

 

 七原が大天の無事を祈っているなら、きっとその願いは叶うんじゃないかと、思う。

 

「平並君はさ、優しいよね」

 

 大天の容態に意識をはせていると、唐突に、七原にそんな事を言われた。

 

「な、なんだよ急に」

「急じゃないよ。前からずっと思ってた」

 

 まっすぐに、真剣な瞳で見つめられる。照れくさくて、すぐに目をそらした。

 

「こんな状況なのに、自分より他の人の事を考えてるよね。皆が絶望に負けないように、どうしたら良いかってずっと考えてる。自分を殺しかけた大天さんのことも心配してるし」

「そんなの、誰だってそうだろ。皆のことを考えてるのはお前だってそうだし、城咲なんかその最たる例だと思うが。大天のことだって……あれは、大天が悪いわけじゃないし」

「ううん、そうだけど、そうじゃなくて」

 

 静かに彼女は首を振る。

 

「平並君は、優しすぎると思うんだ」

「優しすぎる?」

「うん。なんていうか……自分の事なんて、どうでもいいように思ってるみたいな気がする」

「…………」

 

 その表情は、何かを訴えているように、いや、俺を責めているように思えた。

 

「……どうでもいいだろ、俺なんて」

「え?」

「それより、これからの事を考えないと。大天が無事だったのは良いが、ケアはしなくちゃいけないし、明日からの食事だって問題だ。何より、今夜を乗り越えないと」

「ちょっと待って」

 

 慌てて七原が俺の言葉を遮る。

 

「自分がどうでもいいなんて、そんな事言わないでよ」

「……どうして」

「どうしてって……」

「俺は、皆とは違う。皆みたいに【超高校級】の才能を持った特別な人間じゃないし、生きてる価値だって皆よりはずっとずっと小さい」

「そんな事無い!」

 

 優しく、そして鋭い声が、ロビーに響いた。

 

「生きる価値なんて、そんなの誰にもわからないはずだよ。そんな事を気にして自分を追い詰めちゃだめだよ。そんなの、辛いだけだよ」

「…………そうかもしれないが、やっぱり、俺なんて」

「……そうやって自分を卑下するのも、もうやめてよ。誰も、そんな風になんか思ってないからさ」

 

 きっと、その言葉に嘘は無いのだろう。他の人はともかくとしても、少なくとも彼女は本当に俺を認めてくれているのかもしれない。一度道を踏み外して、それでもなんとか皆のために頑張ろうとした俺のことを。

 

「……分かってる、つもりなんだ。俺が思ってるほどには、皆俺には興味なんか無くて……いや、興味がないって言うと語弊があるかもしれないが、とにかく、俺が自分を悪いように考えすぎてるんだろうってことは、なんとなく分かってる」

「…………」

 

 自分を認めてくれる人は、確かにいる。例えば、両親のように。例えば、目の前で不安げな表情をする彼女のように。それを、嘘だと切って捨てる事は難しい。

 けれども。

 

「それでも、俺が俺のことを認められないんだ。皆には才能が溢れていて、その才能を皆のために活かしてるのに、俺には、俺には何もなくて、何もできなくて。こんな俺を、認められるわけがないだろ」

 

 一度それを口にしてしまうと、嗚咽のような声がとめどなく流れてしまう。こんなことを誰かの前で言うつもりなんかなかったのに。

 

「頑張っても、いつも失敗するんだ。……今日だってそうだろ。事件を起こさないように動いたのに、結局毒物事件が起きた。大天だって、俺じゃ助けられなかった。俺は、また、何も出来なかった」

「……悔しいのは、皆一緒だよ。平並君だけがそう思ってるわけじゃない」

「……それは……そうだな」

 

 きっと、それは七原もそうなのだろう。分かってる。そんな事は、とっくに分かってる。

 

「それにさ」

 

 七原の言葉を受け止めたくて、それでも受け止めきれずに葛藤する俺に向けて、更に彼女は言葉を続ける。

 

「平並君にも、才能があるよ。きっと」

「……才能が?」

「うん。皆を救えるような、すごい才能が。ほら、この前の【動機】にもあったし……それって、本当に平並君が才能を手にしたんだって、私はそう信じてるよ」

 

 彼女の、慰めるような声が耳に届く。

 

「……ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」

「お世辞なんかじゃないよ。私は、本当にそう思ってるの。だから、私の『勘』を……私の【幸運】を、信じて」

「…………」

 

 彼女の真っ直ぐな目が少し怖くて、視線を中空に投げる。

 

「……七原の【幸運】を、信じてないわけじゃない。他でもないその【幸運】に俺は救われたんだし」

「じゃあ……!」

「……だが、こればっかりは、ダメなんだ。才能があるなんて夢を見たら、それこそまた辛い思いをするだけだから」

 

 俺にも才能があるんじゃないか、なんて思いは、俺を包み込む無力感が邪魔をする。どうしたって、この枷のような苦しみから逃れられない。

 

「平並君……」

「七原には感謝してる。大天のケアは俺には出来ないし、こうやって話を聞いてくれるだけで十分救われる。だから、もうそっとしておいてくれ」

「でも!」

「もうほっといてくれよ!」

「っ!」

 

 執拗に語りかける七原にむけて、反射的に大声が飛び出した。

 一瞬、彼女は怯えたような表情を見せた。

 

「あ……」

 

 とっさに、口を抑えた。

 けれど、飛び出した言葉は戻らない。

 

「……ごめん。ちょっと図々しい事言っちゃった」

 

 七原は、顔を伏せて小さく呟く。

 

「えっと、いや……」

「……もう、寝よっか」

 

 そして、再び顔を上げる。その目は、わずかに潤んでいるように見えた。

 

「おやすみ、平並君。また、明日ね」

 

 寂しそうな声でそう告げると、彼女は早足で個室の方へと動き出した。

 

「七原!」

 

 俺のかけた声を振り切るように彼女は廊下の角へと消えていった。

 

「…………」

 

 静まり返ったロビーに、ひとり取り残される。

 七原に、ひどいことを言ってしまった。彼女は、俺のことを心配してくれたのに。それを無下にするような真似をしてしまった。心に残る虚しさが、自分のしでかしたとてつもない失態を物語っていた。

 

 俺には皆を救えるような才能があると、彼女は言ってくれた。……その言葉を、信じても良いのだろうか。もう一度、夢を見ても良いのだろうか。

 

「…………」

 

 ……明日の朝、起きたら七原に謝ろう。本当に申し訳ない事をしてしまった。

 

 そう決意をして、俺も個室へ戻ろうと足を動かし始めた。

 

「あァ? てめー、何してやがる」

 

 そこに、声がかけられる。火ノ宮が、何やら色々な物を抱えて宿泊棟の外から戻ってきたようだった。

 

「今から個室に戻るところだが……お前こそ、何してたんだよ」

 

 火ノ宮は、解散になってすぐに病院を後にしていた。てっきりもう個室に戻っているとばかり思っていたが。

 

「見張りをするからその準備をしてたんだよ」

「見張り? ここの?」

「あァ。ここにいりゃ全員の動きを見れるだろ」

「一晩中するつもりなのか?」

「当たり前だ。杉野が言ってただろォが。次に誰かが動くとしたらこの夜時間に違いねェ」

 

 それを聞きながら彼の荷物を確認してみれば、暇つぶし用であろう雑誌や本の他に、竹刀があった。

 

「その竹刀は?」

「体育館の用具室で掘り当ててきた。()()なにかがあったときのために武器が欲しかったが、なるべく殺傷能力が無いヤツが良かったからな。……ま、なにもねェのが一番だけどよ」

「……ああ、そうだな。そうだ、個室以外の就寝は規則違反のはずだったが」

「寝るわけねェだろ。見張りが寝てどうする。ちゃんと気をつけるに決まってんだろ」

 

 【超高校級のクレーマー】である火ノ宮だ。当然、あの規則も心得ているだろう。となると、わざわざ俺からなにか忠告をする必要はない。

 

 だから、心配する事はたった一つ。【魔女】の犯行だけだ。

 

「……なあ」

 

 ここで火ノ宮とともに二人で見張りをすれば、万一もなくせるし【魔女】が彼を(たぶら)かすようなこともできなくなる。事件を止めようと動くのなら、今ここで一緒に見張りをすべきなのだろう。

 しかし、夜通しそんな事をすれば、明日は【魔女】を自由にしてしまうということになる。どちらかと言えば、それこそ避けたい事態だ。明日を無視して今夜をしのいでも意味はない。

 だから、俺にはただ忠告することしか出来なかった。

 

「誰に何を言われても、お前は間違えないでくれ。お前のこと、信じてるぞ」

「あァ? 何訳わかんねェこと言ってやがんだ。何もしねェならとっとと寝やがれ」

 

 顔をしかめて、火ノ宮はそんな言葉を返す。

 

「そうするよ。じゃあ、頼んだ」

「あァ。任せろ」

「……火ノ宮、死ぬなよ」

「言われなくても、死ぬつもりなんざねェよ」

 

 そんな会話で別れを告げて、俺も個室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、長い一日が終わる。

 今日一日で生まれた後悔を胸に刻んで、それでもまだかすかな希望を夢に見て。

 

 何も起きるなと、誰も死ぬなと願いながら、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 窓から差す光を顔に浴びて、俺はゆっくりと目を覚ます。夢と現実の狭間でぼんやりと個室を眺めて、ふと違和感に気づいた。

 

 

 

 

 

 昨晩まではなかった異物が、個室の中に存在している。

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色に染まった刀が、机の上に我が物顔で鎮座していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一応彼女が生きていることに弁明をしておくと、
前回のラストに(非)日常編のエンドマークは打たれていません。

あと、経済絡みの話で何か勘違いして変なことになってたらすいません。

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