ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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先に伝えておきますと、今回は大分長くなりました。


(非)日常編④ 凡人よ、ロマンを抱くな

 《大浴場/ロビー》

 

 約束の時間を前に、大浴場へとやってくる。ガラガラと音を立てながら、大浴場の引き戸を開けた。

 ロビーには既にそれなりの人数がいた。岩国も、露草の言葉を鬱陶しそうに受け流しながら全員の集合を待っている。……岩国には軽く声をかけてみたが無視された。

 

「概ねお揃いのようですね」

 

 と、杉野が口を開く。確認してみると、男子は全員揃っていた。

 

「女子は……七原さんと大天さん、それに城咲さんがまだいらっしゃっていませんか」

「そのようだね。城咲君は、七原君達待ちだろう。彼女達が大浴場に来なければ(登場しなければ)、城咲君は野外炊さん場を離れられないからね」

「となると、後は七原さん次第ということになりますが……果たして説得はうまく行ったでしょうか」

「……大丈夫だろ」

 

 二人の会話に、そう口を挟む。

 

「七原が任せてって言ったんだ。なら、心配いらないはずだ」

「何の根拠にもなってねェぞ」

「……まあ、そうだが」

「別に良いじゃありませんか。誰かを信じることは良いことでしょう?」

「悪ィなんて一言も言ってねェだろォが」

 

 ……俺の言葉が体よく杉野に使われた気がする。腹立たしいが、今更そういうことを気にしてもしょうがない。

 

「さて、では七原さん達を待ちますか?」

「いや、男子だけで先に入っていてくれ」

「いいのか?」

「待たせるのも忍びないからね。露草君、それでも良いかい?」

「うん、仕方ないし。翡翠達はお話しながら待ってるよ」

「……チッ」

『琴刃、舌打ちはよくねえぞ』

 

 そんなわけで、俺達は先に入ることになった。杉野の先導で動き始めようとしたが、

 

「おい、凡人」

 

 岩国に声をかけられて俺は足を止めた。さっきは無視したのに、何の用だろう。

 

「なんだ、岩国」

「……覗くなよ」

「え?」

「こっちの風呂を覗こうとなんかするなよ」

 

 俺を睨みつけながら彼女がそう口にする。

 

「なんだよ、急に。覗くわけないだろ」

「覗いたら本気で殴るからな」

「だから覗かないって。……お前そんなキャラだったか?」

「……ふん」

 

 それ以上岩国は何も言ってこなかった。わざわざ嫌いな俺を呼び止めて言うことがそれか。嫌いだから言ってきたのか。

 というか、そんなに俺は信用できないか。いや、信用されていないのは知ってるが、なんというか、覗きとかそういう話は違うだろう。俺ってそんなに女風呂を覗きそうなふしだらな男に見えるのだろうか。

 

「何やってる、ヒラナミ」

「いや、なんでもない。今行く」

 

 岩国の中の俺の印象に首を傾げながら、スコットの後を追った。大体、覗けるような場所があるとも思えないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《脱衣所(男子)》

 

「ところがどっこい! ちゃんと覗き穴は作ってあるんだなこれが!」

 

 服を脱いでいたところに突然現れたモノクマが、そんな事を言い放った。俺の思考を読むな。

 

「あァ? いきなり何言ってやがる」

「いやあ、やっぱりオマエラのほとばしる情熱には、ボクとしても応えなきゃいけないと思ったんだよね」

「……分かるように話していただけませんか」

「んもう、杉野クンは鈍いなあ」

 

 やれやれとモノクマは首を振りながら、壁の向こうを指す。女子の脱衣所や浴場があるはずの方面だ。

 

「今は誰も居ないけどさ、あの先にはムフフでメヘヘな桃源郷が広がってるわけ。浴場までいけば、モハハな事になっちゃうの! 大浴場で大欲情ってか!」

 

 気持ち悪い擬態語を使いながらモノクマが事情を話し始める。手垢の付きまくった下らないダジャレまで口にしている。

 

「で、当然血気盛んなオマエラは壁の向こうをなんとかして覗こうとするでしょ? 実際、浴場は壁があるって言っても天井近くは繋がってるからそこまで登れば覗けないこともないんだけど……ぶっちゃけ結構高さがあるから危険だし、それで落ちて死なれたりしても困るんだよ。死因:のぞきで転落死って逆に笑えてくるけど。あ、それはそれでアリだな。

 まあいいや。そこでさ、前もって覗き穴を開けておいてあげたんだ。角度的構造的な問題はあったんだけど、そこは現代のハイテク技術を駆使してバッチリ女湯が覗けるようにしておいたよ! これでケガする心配もなし! ジャンジャカドドドピンク世界を覗けるね! いやあ、いい仕事したもんだよまったく!」

「バカか! 何が覗きだ、ふざけんなァ!」

 

 誇らしげなモノクマに火ノ宮が食って掛かる。

 

「覗きはれっきとした犯罪だろォが! 施設長が犯罪を推奨してんじゃねェ!」

「そ、そっち……? ぼ、ぼく達が覗く気満々みたいに言われたのも嫌なんだけど……」

「そうです。そんな不埒な考えを持つ人はこの中にはいません」

 

 杉野が毅然と言い放つが、モノクマは気にも止めない。

 

「えー、なんでそんな事が断言できるわけ? オマエラ華の高校生でしょ? 女の子のハダカとか想像して悶々としないの? ねえ、平並君」

「どうして俺に振るんだよ」

「なんてったって普通代表だからね。で、どうなの、どうなの?」

「…………想像するわけ無いだろ」

「だったら即答したほうが良いぞ」

 

 わざわざ言うな、スコット。

 

「とにかく、僕達は女子風呂を覗くつもりはありませんので」

「そんな……覗き穴を作るために費やされた日数と汗と涙と血と涙は無駄だったっていうの……? せっかく女子側からは気付けないようにしてやったんだぞ!」

「無駄な努力でしたね」

「分かったらとっとと帰りやがれ」

「もう! 言われなくても帰るっつーの! バーカバーカ! このムッツリスケベども!」

 

 嫌な捨て台詞を吐いて、モノクマはどこかに消えていった。

 

「ったく、ふざけたこと言いやがって。犯罪どうこう以前に、覗きなんてアイツラに失礼だろ」

「まったくだな」

 

 憤る火ノ宮にスコットが賛同していた。俺も同意見だ。

 正直なところを言えば、興味がゼロというわけではない。……うん、そりゃそうだ。壁の向こうに関心が無いと言えば嘘になってしまう。だがしかし、そんな不誠実なことはとても出来ない。

 というか、なんとか信頼を得ようとしてるこんな時に、覗きなんかしてられない。岩国に殴られたくないし。七原に嫌われるかもしれないし。

 

「……風呂入るか」

「あァ」

 

 モノクマの戯言を頭から追い出して、シャツに手をかける。

 あ、そうだ。

 

「なあ、火ノ宮」

 

 少し声を潜めて、声を掛ける。

 

「あァ?」

「新家達の『凶器セット』はどうなった?」

「そんならさっき回収しといた。全員分、未開封だったみてェだ」

「そうか。そういえば、カギは?」

 

 個室のカギを開けるには、各人の『システム』が必要だが。

 

最初(はな)っから開いてた。『システム』も見当たんなかったし、死んだやつの部屋にカギなんか必要ねェって事だろ」

「…………」

「……チッ。ムカついてくる」

 

 本当に、モノクマはやることなすことすべてが腹立たしい。

 

「話はもう良いよな」

「ああ」

 

 ……あんな奴の考えることなんて無視して、風呂に入ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《浴場(男子)》

 

 杉野のそばで髪や体を洗い終えて、湯船の方へ移動する。女子浴場とこちらを隔てる高い壁沿いに、大きな湯船が作られている。そこにはもうスコットと根岸が浸かっていた。

 

「あれ、火ノ宮は?」

「あっちだ」

 

 と、スコットが浴場の隅を指差した。その先には、壁の前でタオルを腰に巻いて仁王立ちする火ノ宮が居た。

 

「……お前、何やってるんだ?」

「あァ? 見張りに決まってんだろ」

「見張り?」

 

 疑問符を浮かべながら火ノ宮の背後を伺うと、壁に小さな穴が空いていた。……アレが覗き穴か。ご丁寧に『←ノゾキアナ』だなんて落書きもあるし。

 

「女風呂を覗くようなヤツがいねェとも限らねェだろ」

「だ、だれも覗かないよ……さ、さっきそんな話しただろ……」

「……そうだけどよォ」

「っていうか、今は向こうに誰も居ないんだから覗く意味もないだろ。なんで見張ってたんだ」

「念の為だ」

「念の為って……いいからお前もこっち来いよ」

 

 火ノ宮にそう告げながら、湯船に体を入れる。熱めのお湯に体を震わせながらゆっくり腰を下ろす。ああ、心地良い。

 火ノ宮も、濡れた頭を掻きながら覗き穴の前を離れて湯船にやってきていた。そのまま彼も俺と同じ様に湯に体を沈めた。

 

「あァ……こうしてゆっくり風呂入んのも久しぶりだな……」

 

 天井をぼんやりと眺めながら火ノ宮がぼやく。彼の言う通り、この施設に連れ去られてきてから初めて湯船に浸かる。足を伸ばして体を温めるのも、実に10日ぶりだ。この10日で、色々……本当に色々あった。少しだけ、ほんの少しだけ、心を落ち着かせられる。

 とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかない。隣に座る杉野のこともあるが、今できる事をしなければ。そう思い、湯船の隅でうつむいていた根岸に近寄った。

 

「……!」

 

 ビク、と根岸が体を震わせたので、近づくのをそこでやめた。少し離れたところから声を掛ける。話題を探そうとした段階で、根岸が何かを手にしている事に気がついた。あれは……。

 

「根岸。それ、黒峰か?」

「………………」

 

 コクリと、無言のまま彼はうなずいた。彼の手にはチャック付きのポリ袋に包まれた黒い人形……黒峰が握られていた。

 

「なんでそんなもの…」

「…………つ、露草に頼まれたんだ……く、黒峰は男の子だからそっちに入れてあげてって……」

「なんというか、相変わらず露草さんは抜かり無いですね」

 

 人形だから濡れたら困るはずなのに。袋の中のぐでっとした黒峰を見て、なんとも言えない物悲しさを感じた。

 

「……なあ、ずっと気になってたんだが」

「な、なんだよ……」

 

 根岸は怯えるように俺をにらみながらも、そう言葉を返してくれた。俺達の間を漂う湯気が、言葉の刺々しさを緩和してくれるように思える。

 

「その、お前と露草ってどういう関係なんだ? 無関係、ってことはないよな」

「あ、それはオレも気になっていた」

 

 スコットも話に乗ってきた。

 

「オレ達を一切信用しなかったのに、ツユクサとはあれだけ一緒に居たんだ」

「もしかして、前からの知り合いとか?」

「…………そ、そんなとこ……」

 

 小さく根岸がつぶやく。

 

「あれ、でも初めて会った時にそんな事言ってなかったじゃないか」

「そ、それは、ぼ、ぼくも最初は忘れてたし……」

「と、言いますと?」

「つ、露草とは小さい頃に遊んだことがあるんだけど、だ、だいぶ昔のことで……だ、だから露草に言われて思い出したっていうか……」

「ふうん、なるほど」

 

 具体的な経緯までは分からないが、根岸達の間には過去の絆があったらしい。それを踏まえると、彼が露草だけは疑わなかったのもなんとなく腑に落ちる。今思い返せば、根岸は露草を守ろうとしていたようにも思えた。

 

「にしても、そんならそうと言やいいじゃねェか。隠しやがって」

「べ、別に隠してたわけじゃない……わ、わざわざ言うことじゃないだけだ……」

 

 恥ずかしくなったのか、根岸の顔が少し赤くなった。

 彼の言葉で、話が一段落する。その隙を見て、今度はこの()()を話す。

 

「……根岸」

「な、なんだよ……」

「本当に、ごめん」

 

 何についての謝罪かは、言わなくても伝わるはずだ。こうしてまともに話が出来た今だからこそ、言っておかなければならない気がした。

 

「……も、もう謝るなよ、しつこいな……」

「え?」

「…………お、おまえが、あ、あの夜のことを後悔してるのは、も、もうわかったから……」

 

 俺から目をそらして、根岸はそんな言葉を口にしてくれた。

 

「す、少なくとも、も、もうそのことは、ほ、ほとんど疑ってない……し、しつこいし……」

「根岸……」

「け、けど!」

 

 誤解を恐れるように、根岸の声のボリュームが大きくなる。自分でもその大きさに驚いていた。

 

「……や、やっぱり、し、信頼はできない……! い、今後悔してたって、い、いつまた殺意を抱くかわからないだろ……!?」

「それは……」

「い、言えないよな……! に、二番目の【動機】でだって、あ、あれだけ動揺してたんだし……!」

「…………」

 

 その根岸の問いかけに、否定はしない。できないからだ。

 

「ぼ、ぼくだって、いつまでもこのままなんてやだよ……! せ、せっかく同級生になるはずだったのに、お、お前達のことだって信じたいのに! そ、それなのに、こ、こんなずっと怯えて、う、疑って……!」

 

 目元をにじませながら、言葉が紡がれていく。

 

「で、でも! こ、怖いものは怖いんだよ! お、おまえも、お、大天も……ほ、他のやつらも! ぼ、ぼくをまた殺そうとするんじゃないかって考えたら、ど、どうしようもなくなって……!」

「…………オレはんなこたしねェよ。てめーらを裏切るもんか」

「だ、だから、そ、それを信じられないんだって……!」

 

 彼の号哭が、俺達の胸に刺さる。

 

「………………し、死んだら、そ、それでおしまいなんだぞ……」

 

 最後に、潤んだ声でそうつぶやいた。

 その、彼の想いをじっくりと咀嚼する。真正面から、受け止める。

 

「……お前はそれでいい」

 

 そして、俺はそんな言葉を絞り出した。

 

「……は、はあ?」

「お前の言うとおりだ。俺がまた殺意を抱くかもなんて、俺自身だって不安なんだ。お前が信じられなくても当然だ」

 

 あの夜の決断をいくら悔やんだって、俺の中に眠る殺意は消えてはくれない。今はただ、息を潜めているだけに過ぎない。

 

「だから、お前はその警戒心を持っていてくれ。きっと、それが一番良い」

「…………」

「あの後悔をお前が信じてくれただけで、十分だ」

「…………そ、そう……」

 

 返答に困った様子の根岸が、なんとかそんな声を絞り出した。妙なことを言ってしまったかもしれない。

 皆の事を信じたいのに、それでも疑い続ける事は心を強く蝕むほどに苦しい事のはずだ。それを、俺は根岸に強要しようとしている。

 それでも、ひどい話ではあるがそれは必要なことだと思う。その警戒心が、俺の殺意を、【魔女】の悪意を、止めてくれるかもしれない。だから、今の状況ならこれが最善のはずなんだ。

 

 これは、敵対なんかじゃない。根岸が皆との絆を消し去りたくないという想いを抱える限り、それは自信を持って断言できる事実だった。

 

「……オマエは?」

 

 スコットが腕にお湯をかけながら尋ねる。

 

「な、なに……」

「オマエは、自分が殺意を抱くかもとは思わないのか?」

「お、思うわけ無いだろ……!」

「……どうしてそう言えるんだ? モノクマは、いずれまた【動機】を出してくるはずだぞ。それも、これまで通りに強烈な」

「そ、そうだけど……だ、だからって、ぼ、ぼく一人で外に出たって、しょ、しょうがないだろ……!」

 

 ……………………あー。

 

「ふむ、なるほど」

「ああ、そういう事か」

 

 おそらく、今俺達は全員同じ顔を思い浮かべているだろう。

 

「……い、いや! と、特に深い意味はないから……!」

 

 その事に気づいた根岸が、ザバッと波を立てて慌てるように立ち上がる。

 

「さ、サウナ行ってくる……!」

 

 そのまま湯船を飛び出してしまった。

 

「……ま、【卒業】する気がねェんならいいか」

 

 その背中を見ながら、火ノ宮がそうつぶやいた。

 

「ちなみに訊いとくが、てめーらは?」

「僕とスコット君ですか?」

「あァ。てめーらは、【卒業】したいって思うか」

「僕は思いませんよ。勿論、モノクマの策は狡猾だとは思いますから、これから先微塵も揺れる事が無いとは断言できかねますが」

 

 真剣な表情でそう即答する杉野。俺は心の中で舌打ちするように顔をしかめた。

 

「スコット君は?」

「……………………オレは」

 

 しばし返答に悩んでから、口を開いた。

 

「殺意を抱かない自信はあまりない」

「……!」

「というか、正直に言えば、モノクマが【動機】を提示するたびに、【卒業】するかどうか悩んではいたんだ。『殺人なんてしちゃいけない。』『真っ当に生きたいなら、そんな事考えるべきじゃない。』……そう思って、これまでは無理やり抑え込んできただけだ」

「……チッ」

 

 正直な弱音を吐露するスコットに、小さく火ノ宮が舌打ちをする。

 

「悪いな、ヒノミヤ」

「いや、別にいい。そうかもしれねェと思って訊いたんだからな」

「まあ、とはいっても、やはり実際に殺人なんかしたくない。それ自体が禁忌だし、未練もあるしな」

「未練?」

「ああ。今手をつけてる作品も作りかけだし、シロサキに連珠で負けっぱなしだ。未練なんか数え切れないほどある」

「……そうかい」

 

 スコットの話を、火ノ宮は静かに受け止めた。彼から、スコットが【卒業】を悩んだことを責めるような言葉は出てこなかった。

 

「わかった。話してくれてありがとよ」

 

 そう言いながら、火ノ宮が立ち上がる。

 

「サウナですか?」

「あァ。根岸ともう少し話してくる」

「……喧嘩、しないでくださいよ」

「チッ、分かってる」

 

 そのタイミングで、スコットも湯船を離れ、ジェットバスの方へ歩き出した。

 

「良かったですね。皆さんと無事お話ができて」

 

 杉野が、呑気な声で話しかけてくる。同意はするが、無視した。

 

 根岸の心情も、スコットの弱音も聞くことが出来た。団結は難しいかもしれないが、敵意をぶつけ合うような、そんな最悪の状況からは脱したんじゃないか。水滴のしたたる天井を眺めながら、そんな事を考えた。

 

『おっ、結構広いじゃない!』

『東雲さん、はしるところびますよ!』

 

 そんな時、壁の向こうからそんな東雲と城咲の声が聞こえてきた。

 城咲がいるということは……。

 

「女子も、皆揃ったのか」

「そのようですね」

 

 そうでないと、城咲は調理場を離れられないし。

 さて、女子の方は仲良くやれているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《浴場(女子)》

 

 シャワーから出る熱いお湯を頭から被って、髪についた泡を洗い流す。いつもは外に跳ねて仕方ない()の髪の毛も、今は水分を含んでまっすぐ重力に従っている。

 

「…………」

 

 隣を見ると、大天さんがムスッとした表情で私と同じく髪の泡を洗い流したところだった。そんな彼女に声をかける。

 

「大天さん。ありがとね、来てくれて」

「……何が『ありがとね』よ。七原さんが無理矢理連れてきたんじゃん」

 

 不機嫌そうな声が返ってきた。

 

「ずーっと私の個室のチャイム鳴らしてさ。ノイローゼになるかと思った」

「あはは、それはごめん」

「……あんまりごめんって思ってないでしょ」

「ホントだって」

 

 大天さんをお風呂に連れて行くために露草さんの強引さを見習ってみたけど、正直申し訳ないとは思ってる。すごい不機嫌そうな顔で出てきたし。

 

「……別に、私は良いけどさ」

 

 キュッとノブを締めて大天さんはシャワーを止めた。

 

「ん?」

「誰かに襲われたりする心配がないんだったら、私は外を出歩いたって良いんだよ。お風呂入るのだって、朝食会だって。ただ、あのままだと火ノ宮君に軟禁……いや、いっそ監禁されそうだったから部屋に閉じこもってただけでさ」

 

 黄色く輝く長い髪からお湯が滴って床に落ちる。

 

「でも、七原さん達はそうじゃないでしょ」

「えっと……そうじゃないって?」

「……七原さん達からしたら、私は部屋に閉じこもってた方が良いでしょって事」

 

 拗ねるように、さも当然のように、大天さんはそんな事を口にした。

 どうして、とは訊かない。大天さんが自覚している彼女の罪は、私だって分かってる。

 でも、大天さんは私の事を誤解してる。

 

「そんな事無いよ」

「……え?」

「大天さんは友達だから。またこうして話ができて嬉しいよ」

「……嘘でしょ。そんなわけないじゃん」

 

 私は純粋な本心を告げたのに、大天さんは疑った。

 

「私は皆を裏切って【卒業】しようとしたんだよ。……平並君の首を本気で締めて、殺す寸前だった」

「……うん。知ってる」

「だったらなんで? なんで私の事を友達なんて言えるわけ!?」

 

 その表情に、困惑の色が混ざる。

 

「分かってない訳ないと思うけど、はっきり言ってあげる。私は、七原さん達の事なんて友達とも仲間とも思ってない」

「……そっか」

 

 私と決別するために彼女が口にした言葉を、私はそんなつぶやきで受け止めた。

 

「じゃあ、これからまた友達になろうよ」

「……何言ってるの?」

「大天さんが私の事をどう思ってるかはわかったけど、それはこれまでの話だから。これからはまた別だよ」

「…………」

 

 まさしく、呆気にとられたといった様子で口をぽかんと開ける大天さん。

 

「大天さんがどうして【卒業】しようと思ったのか……それは私にはわからないけど、きっと、大天さんにとってすごく大切なことのためなんだよね」

「…………そうだよ」

 

 大天さんは、失った記憶を取り戻すために【卒業】を企んだらしい。だからその取り戻したかった記憶というのは、私達の命なんかどうでもよくなるほどに大切なはずなんだ。

 

「大天さんが選んだ道は間違ってる。でも、それは大天さんが悪いわけじゃない。悪いのは、そんな道を選ばせたモノクマだから」

「……でも、私は七原さん達を裏切って」

「関係ないよ」

 

 大天さんに、その言葉は最後まで言わせない。

 

「私達、出会った頃は友達にだったよね?」

「それは……まあ……」

「だから大丈夫だよ。裏切っても、間違えても、また友達になれるよ。きっとね」

「…………」

 

 沈黙が返ってくる。

 

「それにさ」

 

 それでもめげずに、言葉を重ねる。

 

「私と大天さんって、なんか仲良くやれそうな気がするんだよね」

「……何それ。勘?」

「うん。でも、私の勘って当たるから」

「………………そう」

 

 興味なさげにそんな相槌を返して、大天さんは体を洗い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 体を洗い終えた私達は、広い湯船の方へ移動した。

 

「東雲さん、潜ったりしてはいけませんからね」

「分かってるわよ。潜るほど深くもないし。泳ぐだけにするわ」

「……泳ぐのもだめです!」

「東雲君、風呂場で泳ぐのはマナー違反だ」

「マナーなんてどっかの誰かが勝手に決めたモンじゃない」

 

 湯船の中では、城咲さん達がそんな言い争いをしていた。こんなに広いんだから良いじゃない、なんて愚痴を東雲さんが零している。

 

「マナーに関しての考察(記述)は特に否定はしないが、湯が揺れるのは正直迷惑だ。はしゃぐ気持ちは分かるけれどね」

「ま、そこまで言うならやめるわよ。今度一人で来た時に泳ぐことにするわ」

「……まあ、ひとりきりのときなら構いませんけど、のぼせないようにしてくださいね」

「平気よ。温水プールみたいなもんだし」

「温水プールと浴場ではそれなりに温度差があるのだが」

 

 そんな城咲さん達からは離れて、手前側の隅っこに収まるように岩国さんが身を縮めて湯船に浸かっていた。

 

「岩国さん、なんでそんな端っこにいるの?」

 

 そう語りかけながら、私達も湯船の中に入った。揺れるぬくもりが体を包み込んでいく。

 

「……覗かれたら嫌だろ」

「覗かれる? 誰に?」

「…………」

 

 岩国さんは、無言でもたれていた壁の向こうを顎で示した。案の定、壁の向こうにいる平並君達男子の事を言っているみたいだった。

 

「あー…………」

 

 そしてそのまま、私はその高い壁を見上げていった。女子浴場と男子浴場の間には壁があるけれど、完全に区切られているわけではないから、そこから顔を出せばこちらを覗くことは確かに出来なくはない。

 出来なくはないけれど……。

 

「もしかして、これを乗り越えてくるかもってこと?」

 

 私を真似するように壁の上を見ていた岩国さんに尋ねる。

 

「…………ありえない話じゃないだろ」

「ううん……ありえないと思うけどなあ……。よじ登れそうな壁でもないし」

「…………」

「というか、そんなひどい事する人なんていないよ」

「それはお前が勝手にそう思ってるだけだろ」

「そうだけど」

「……誰かが覗こうとしても、火ノ宮君が止めるんじゃないの」

 

 ぼそっと吐き捨てるように大天さんが呟く。それを聞いて、私達は首を戻した。それもそうだ。

 

「そういえば、露草さんは? あれだけ話したいって言ってたのに」

「……腹話術師なら――」

「やっと洗い終わったよ!」

 

 岩国さんが言い終わる前に、露草さんが湯船のそばへとやってきた。

 洗い終わった……? と、その言葉に引っかかりを覚えたけど、彼女の背中をなぞる長い髪の毛を見て疑問が解けた。それだけ長い髪をしてれば、洗うのも一苦労なのは間違いない。

 

「今入るからね、琴刃ちゃん!」

 

 岩国さんにそう告げながら、露草さんはタオルを使って器用にその長い髪を頭上でまとめた。そして岩国さんの直ぐ側に座る。

 

「来なくてよかったんだが」

 

 と、嫌な顔をしながらも彼女から離れはしないのは、あの約束があるからだろう。お風呂の中でたくさん話す代わりに、お風呂から上がったらもう話しかけないようにするという約束が。

 

「さあ琴刃ちゃん、何の話をしようか!」

「お前が話題を提供しろ」

「つれないなあ……じゃあ手始めにしりとりでもしよっか」

「……チッ」

「じゃあ翡翠からね。『りんご』」

「『拷問』」

「『ん廻し』」

「お前っ……! 『ん』がついたんだから終わらせろ!」

「翡翠そんなルール一言も言ってないよ」

 

 なんて話しながら、露草さんはニコニコと笑っていた。実に楽しそうだ。

 

「『ん廻し』って何?」

「そういう落語の演目だよ、菜々香ちゃん」

「落語……へえ、露草さん落語詳しいんだ」

 

 伝統芸能って事で存在は知ってるけど、落語を聞いたことはあんまりない。今となっては聴く機会もあんまりないし。

 

「翡翠、よく聞いてるからね。古典落語は大体知ってるよ」

「そうだったんだ」

「……腹話術師はやってることが一人喋りだからな。参考にしてる部分もあるんだろう」

「ああ、なるほど」

 

 と、岩国さんの言葉に納得する。確かに落語と露草さんの芸は通じるところがあるのかもしれない。

 

「琴刃ちゃん、翡翠は琥珀ちゃんと喋ってるんだからね! 一人喋りなんかじゃないよ!」

「どう見たって一人喋りだろ」

「もう! 琥珀ちゃんもなにか言ってやって……あ、今はいないんだった」

 

 湯の上に掲げた、何もはめていない左手をパクパクと動かしている。

 

「濡らすわけにはいかないもんね」

「っていうか、琥珀ちゃんは男の子だし」

「徹底してるなあ……」

 

 そう言えば、お風呂の提案をした時もそんな事を言っていた。その辺りの設定はきちんとしているらしい。前にカレー作りをしたときは普通に外してたから、本人の中で都合よく折り合いをつけてるみたいだけど。

 

「人形が居なくても普通に喋れるんだな。前に人形に『オレが居ないとコイツはまともに喋れない』みたいな事言わせてただろ」

「確かにそんな事を琥珀ちゃんが言うときはあるけど……あれは琥珀ちゃんが言ってるだけだし」

「都合のいいヤツめ……」

「それに、琴刃ちゃんと沢山お話したいんだから黙ってられないもん」

「………………ふん」

 

 そう軽く声を漏らして岩国さんはそっぽを向く。……岩国さんって、こうやって黙って顔をそらすこと多いよね。もしかして。

 

「岩国さん、照れてる?」

「呆れてるだけだ」

 

 ホントかな。

 

「ねえ、琴刃ちゃん」

 

 そんな彼女に、少し神妙なトーンで露草さんが話しかける。

 

「一つ、聞いても良い?」

「何だ今更。お前は一々俺の了承を得るような奴じゃないだろ」

「なんで琴刃ちゃんは一人でいようとするの?」

「……お前」

 

 さっきまでのおちゃらけた様子とは打って変わって、露草さんは静かに答えを待っている。岩国さんも、その様子を見ていつもとは違う彼女の様子に気づいたようだ。

 

「……他人と仲良くなってどうする。何の意味がある」

「楽しい、ってだけじゃだめ?」

「それ自体がお前の価値観だろ。俺は他人とつるんでも楽しくなんか無い」

「……そうかなあ」

 

 そんな呟きと共に彼女は首をかしげる。

 

「誰かと話してる時の琴刃ちゃん、楽しそうに見えるけど」

「そう見えるのはお前の目が節穴だからだ。妄言は人形に話せ」

「……私も、それは違うと思うよ」

 

 私達の話を黙って聞いていた大天さんも口を挟んだ。

 

「あんなしかめっ面してる人が楽しんでるわけ無いじゃん」

「確かにそれはそうだけど……でも、琴刃ちゃんって話しかけるとすぐに答えてくれるもん。いろんな言い回しするし」

 

 それは露草さんが変なことを言うからじゃないかな……と思ったけど、口には出さない。

 

「多分、元々話すのが好きなんだと思うんだよね」

「…………別に、そういうわけじゃない。文句を黙ってられないだけだ」

 

 そんな言葉で、岩国さんは露草さんの言葉を否定する。

 

「まあまあ、照れないでよ」

「本当にお前は俺の話を聞かないな……!」

「でもさ、琴刃ちゃんはそうやって誰かと話すのが楽しいはずなのに、無理矢理壁作ってるよね。それって、どうして?」

「だからその前提が間違っているんだよ」

 

 それでも尚意見を変えようとしない露草さんの様子を見て、岩国さんはため息をついた。

 

「……逆に聞くが、壁を作ることの何が問題なんだ」

「え?」

「俺の本心について言い合うのはやめだ。どのみちお前は俺の話を聞かないだろうしな」

 

 確かに、露草さんは変なところで頑固、というか強情だから、岩国さんが何を言っても意味ないと思う。

 改めて、岩国さんが露草さんに向き直る。

 

「他人と仲良くなって、何のメリットが有る。どうせ、裏切られるのに」

 

 冷たく、彼女が言い放った。

 

「実際に事件を起こした帰宅部や発明家は言うに及ばず、凡人やそこにいる運び屋だって、犯行に及ぼうとしただろ。俺達の命を無視して、自分だけのエゴのために」

 

 指をさされた大天さんが、ピクリと肩を震わせる。特に反論はしなかった。

 

「誰も裏切らない、なんて言わせないぞ。それこそ妄言だ。裏切る奴は必ず出てくる。そうだろ」

「…………」

 

 誰も異を唱えない。岩国さんのその論を否定することは、難しい。口で何を言っても、岩国さんを論破することはきっと出来ないだろう。

 何より、実を言えば私もそう感じている。誰もが私達を裏切る、とまでは思わないけれど、誰も裏切らないとは言えない。確証はないけれど、きっと、またここにいる誰かが殺意を抱くかもしれないと思っている。その私の『勘』を、私は否定できない。

 露草さんも、岩国さんの言葉を否定しなかった。誰も【卒業】を企まないなんてことがかなり非現実的であることは、彼女も分かっているようだった。

 

「親しくなって、心を開けば開くほど、裏切られた時の傷が大きくなるはずだ。それが分かっていて、どうしてお前は他人と馴れ合おうとするんだ」

「……でも、壁を作ったって結局辛いだけだと思うなあ」

 

 露草さんが口を開く。

 

「そうやって心を閉じれば将来傷つく事は無いかもしれないけど、今が辛いんじゃないかな。それじゃ意味ないよ。傷つかないために傷ついてるんだもん」

「……どうして、壁を作ることが辛いんだ」

「本当は仲良くなりたいのに、その気持ちに嘘ついてるから」

「…………だったらお前は、今さえ楽しければ将来裏切られたってどうでもいいっていうのか」

「そんな事無いよ。裏切られるのは翡翠だって嫌だし、悲しいもん。でも……たとえ裏切られても、楽しかった想い出まで消えるわけじゃないから」

「…………」

「だから、翡翠は沢山お話したいんだ。これから先、どうなるかわからないけど、それって今を楽しまない理由にはならないと思うな」

 

 真剣な表情で、それでもその顔に笑みを湛えながら露草さんははっきりと述べた。こんな状況でも皆とたくさん話そうとしているのは、そういう理由があるのか。

 

「………………そうか、分かった。やはりお前とは分かり合えないな」

 

 それを聞いて、岩国さんが返したのはそんな言葉だった。

 

「えっ、なんでそんなこと言うの、琴刃ちゃん」

「俺の正直な気持ちを言ったまでだ。自分の気持ちには正直になるべきなんだろ」

「それならいいのかな……いや、良くないよ! それとこれとは別だと思う!」

 

 いつもよりわざと大仰に、岩国さんの言葉に対してそんなリアクションを取る露草さん。真面目なムードを長い時間続けるのは、ちょっとしんどかったみたいだ。

 

「………………」

 

 岩国さんはというと、真剣な表情で水面を見つめている。口では分かり合えないなんて言ってたけど、露草さんの話を聞いて何か思うところがあるのだろうか。

 ……気になるところだけど、訊くのは良くない気がする。代わりの話題を探そうかな。

 

「そうだ。私も岩国さんに訊きたいことがあったんだ」

「答える義理も無いが……なんだ、幸運」

「最初に会ったときから気になってたんだけどさ、どうして岩国さんって男装してるの?」

「あ、それは翡翠も気になってた」

「何か言いたくない理由があるんだったら、それこそ別に答えなくても良いんだけど」

「……別に大した理由はない。趣味と実益を兼ねてるだけだ」

 

 ちょっと悩んだ素振りを見せたけど、岩国さんはそう答えてくれた。

 

「趣味は何となく分かるけど、実益って?」

「ディベートの時、こっちが女だとそれだけでナメてかかって来る奴がいるからな。腹立たしいから見かけ上だけでも男に寄せた」

「ああ、なるほど」

「それで琴刃ちゃんは男の子のフリをしてるの? 口調までこだわって」

「ディベートの時にわざわざ性別を言う必要はないからな。相手が勝手に勘違いすればそれで良い」

 

 そうだったんだ。

 こうして男装を解いたところを見ると、岩国さんは元から中性的な顔立ちをしている事がわかる。そんな岩国さんが学ランを着てこんな口調で話せば、男の子と勘違いするのも無理はないと思う。というか、私も初めて顔をあわせたときは一瞬勘違いしたし。

 

「しかしだ」

 

 初対面の事を思い出していると、輪の外からそんな声が聞こえてきた。明日川さんの声だった。

 

「岩国君が男子の見た目(装丁)をしていることに対して、常々ボクはもったいないと思っていたんだ」

「……来たか、図書委員」

 

 水面を揺らしながら明日川さんがこちらに近づいてくる。

 

「もったいない?」

「もったいないだろう。見ての通り(一読して分かる通り)彼女は容姿端麗だ。それなのにわざわざ男子のふりをしているんだぞ。宝の持ち腐れと表現しても良い」

「俺がどんな格好しようとお前には関係ないだろ」

「関係はない。が、それについて感情を抱く(モノローグを綴る)事は自由だろう」

「モノローグならモノローグらしく黙っていろ」

「キミの男性的(マニッシュ)な振る舞いと服装にまぎれているけれど、キミには大きな(描ききれない)魅力があるはずだ」

「結局こうなるのか……! どいつもこいつも話を聞け!」

 

 と、文句を叫びながら両腕で体を隠す。

 

「魅力?」

「ああ。その凛とした声やスラリと伸びた高い背丈も勿論魅力だが、ボクが言いたい(かき記したい)のはそういうことではない。情欲的な魅力のことさ」

「情欲的……」

「……お前っ! 今すぐ口を閉じろ!」

 

 明日川さんの次の台詞をいち早く察知した岩国さんが、彼女に向かってそう叫ぶ。私もなんとなく察した。

 

「見給え、このサラシから開放された2つの膨らみを! この果実を隠して男装をしていた事それ自体にも心が(たかぶ)るが、やはりこの双丘を見逃す訳にはいかないだろう!」

「お前が勝手にそう思うことは止めない! だからそれ以上声に出すな! 黙れ!」

「無駄な脂肪のない健康的で細身の(からだ)の中にあって、存在感を見せつける確かな膨らみ……それを包んでいる白い柔肌へと思わず手を伸ばして撫でまわしたくなるだろう? そして何より、その先端に鎮座する鮮やかな珊瑚色の――!」

「黙れと言ってるだろ! この変態!」

「わぷっ」

 

 真っ赤に顔を染めた岩国さんにバシャッっとお湯をかけられて、明日川さんは言葉を止めた。ふるふると頭を振って、雫を払う。

 

「ううむ、まだ台詞の途中だったんだが」

「同性間でもセクハラは成立するんだからな。覚えておけ」

「棗ちゃん、過激だね」

 

 ちょっと顔を赤くした露草さんがそんな事をぼやく。確かに、直接的な単語は殆どなかったけど、なぜか官能小説的な艶めかしさを感じた。そういう小説は読んだこと無いけど。まだ読んじゃだめだし。

 

「……うん、やっぱり納得できない」

 

 一通りの騒ぎを端で聞いていた大天さんが、ポツリと呟く。

 

「納得できないって、何が?」

「岩国さんのその胸だよ!」

 

 ビシ、と指をさして叫ぶ大天さん。

 

「……俺の胸がどうした」

 

 まだこの話を続けるのか、と言いたげに岩国さんがつぶやく。

 

「普段はぺったんこの癖に、裸になったら結構あるじゃん! なにそれ! 詐欺じゃん!」

「人聞きの悪い……男装のためにサラシで胸を潰してるだけだ」

「結構あるって言っても、人並みくらいだと思うけど」

「そういう問題じゃないんだよ、七原さん!」

「人並みもない。大体、胸なんか育っても男装の邪魔になるだけでデメリットしかない」

「だったらそれ私にちょうだいよ! うう……」

 

 と、しょげる大天さんの胸は、なんというか、かなり控えめというか。首筋から肌を伝う水滴が、そのまま真っすぐに水面に落ちていた。普段着でも察してたけど、こうして直接素肌を見ると、こう、慎ましい感じというのがよくわかってしまう。失礼なこと考えてるな、私。

 

「お前、あんな事しでかしておいて、どうしてのんきにそんな文句を言えるんだ……」

 

 呆れる岩国さんの言うあんな事というのは殺人未遂のことだと思うけど、大天さんにとってはきっとそんな事はどうでも良くなるくらい大事なことなのかもしれない。もしかしたら大天さんは岩国さんの事を『控えめ仲間』だと思っていたのかも。いや、どうでもよくなるのはあまり良いことじゃないけど。

 

「そう落ち込むことはない、大天君。胸は大きさで優劣がつくことなど無い。個人の好みはあるだろうけれど、すべてが等しく尊く価値あるものなんだ。『乳に貴賎なし』とは上手く言ったものだな」

「誰の言葉?」

「東雲君を見てみるといい。キミと同じくアウトドア派だし、彼女も胸の膨らみは決して大きくはない」

「ちょっと、アタシを巻き込まないでよ。胸のサイズなんかどうでもいいわ」

 

 明日川さんの言葉に反応した東雲さんと、一緒に話していた城咲さんがこちらにやってくる。皆集まってきた。

 

「しかしだ、東雲君の持つ筋肉を内に抱えた細い肉体と、胸から腰にかけてのラインは目を見張る物がある」

「褒めてくれてるみたいだけど、これって礼は言ったほうがいいのかしらね」

「つけあがるから褒めるな」

「東雲さんだって私よりはあるじゃん……」

「いいかい、大天君。たとえキミの胸が絶壁であろうと、キミにはキミだけの魅力があるだろう」

「今絶壁って言った?」

「残念ながら今は湯に沈んでいるが、脱衣所で見えたキミの臀部はかなり引き締まっていたじゃないか。仕事のために鍛えられたであろう脚部も、美しい曲線を描いている。キミの真の魅力は下半身に詰まっているとボクは思っているよ」

「ねえ今絶壁って言った?」

 

 明日川さんの説得を聞いても、大天さんの機嫌は治らないままだ。というか明日川さん、もしかしてしっかり見てたの?

 

「あの、わたしもむねはほとんどありませんので……」

「子供みたいな身長の城咲さんに慰められても」

「こ、子供……」

 

 まずい、二次被害が出てる。

 

「まあまあ、落ち着いてよ大天さん」

「人並み以上に育ってる七原さんにはこの辛さはわかんないよ!」

 

 うーん、胸の大きさってそんなに気にすることなのかな。別にそんなの、気にかけたことすら無かったけど。……でも、大天さんの言う通り、これは私にはわからない問題なのかもしれない。中途半端に慰めるのはやめよう。

 

「元気だしてよ、翔ちゃん。それに、翡翠からしたらそんな風にスレンダーなのって羨ましいし」

 

 とか思ってたら、露草さんがそんなふうに声をかけた。

 

「あー! 露草さんにバカにされた!」

「バカになんてしてないもん!」

「……露草君。この中で誰よりその果実を豊満に実らせているキミがその台詞を吐くのはあまりにも残酷だぞ」

「アタシもそう思うわ」

 

 明日川さんの言葉を聞いて、私や東雲さんも頷いて同意する。

 

「えっ?」

服の上からでも(表紙だけを見ても)キミの胸部の発達は読み取れたが、こうして実際に中身(本文)を見ると、なかなか(ロマン)を感じるじゃないか」

「いや、翡翠はそんな、うん、えっと」

 

 分かりやすく照れている。露草さんでも動揺することがあるんだ。

 

「翡翠はただ、太ってるだけだよ。昔から消化が悪くて、すぐお肉がついちゃって……」

 

 珍しく言葉をつまらせながら露草さんが話す。胸を隠しながら、お腹のお肉をつまんでる。

 

「確かに露草さんの事をスレンダーとは言わないと思うけど、別に太ってるってわけでもないと思うよ。それこそ人並みくらいじゃないの?」

 

 別にお世辞でも何でもなく、本当にそれくらいだと思う。どうしてそんなに気にしているんだろう。

 

「そうかなあ……でも、中学生に入ったくらいからびっくりするくらい体重が増えていって……」

「それ絶対胸が育ったからじゃん! 私そんな経験ないし!」

 

 あるよね、体重の増えるスピードに青ざめる時期。それを口に出して同意すると大天さんに睨まれそうだから黙っておくけど。

 

「ふむ、露草君は露草君なりに自分の体型に思うところがあるみたいだが、キミの体つきはかなり性的な欲情をそそるものだと自覚したほうがいい」

「棗ちゃん、もうちょっと言葉を選んでほしいな」

「ていうか何。さっきから聞いてれば、アンタってそっちの気があるの?」

「確かにボクの恋愛対象条件に性別は入っていないけれどね、これはボク個人の(私小説的)意見というより世間一般常識の(ベストセラー的)意見として伝えたいんだ」

「あの、今さらっと大事なことおっしゃったきがするのですけど」

「ボクの趣味嗜好なんてどうだっていいさ」

 

 どうだって良くはない、というかこの状況だとちょっと気にしたいところではあるんだけど、それはそれとして露草さんの体つきは実際すごい。私もちょっと憧れるくらいだし。世の男の子達は、やっぱりこうボリュームがある方が良いんだろうな。

 

「…………」

 

 ……そういうのが一般論ってことは、やっぱり平並君も大きいほうが好きなのかな。

 

「もう、棗ちゃん、冗談はやめてよ」

 

 露草さんの声で我に返る。あれ、今私変なこと考えてた気がする。今の無し。

 

「冗談なんかじゃない。ボクもこんな事でお世辞や嘘はつかないさ」

「かもしれないけど、こんな事誰にも言われたことなかったし」

「言わないだけさ。キミが普段行動を共にする(同じページにいる)根岸君だって、おそらくはキミの双丘をどうにか我が手に出来ないかと日々悶々としているはずだ」

「章ちゃんはそんな変なこと考えないよ! 棗ちゃんのばか!」

「明日川さん、やってることがおじさんみたいだよ」

「というかそれそのものだろ」

 

 苛立ちを伴って、岩国さんもぼやく。やっぱりそうだよね。

 

「もう…………」

 

 胸を隠しながら、いじらしげに照れる露草さん。そんな露草さんを恨めしげに……いや、これは違うか。羨ましげに大天さんが見つめていた。

 

「太るなら太るで全部太るならまだ納得できたのに、なんでそんな胸ばっかり大きくなるの! 不公平じゃん!」

「そんな事翡翠に言われても」

「アンタね、そんなどうしようも無いこと嘆いてもしょうがないわよ。個人差なんだから仕方ないじゃない」

「私も分かってるけどさ! ……別に巨乳じゃなくてもいいから、少しくらいはさ、育ってくれても良かったじゃん……どうしていくら食べても肉がつかないんだろう……」

「ちょっと待って翔ちゃん。今翡翠もすごい不公平な話を聞いた気がする」

 

 がっくりと肩を落として落ち込む大天さんだったけど、それはそれで露草さんにとっては羨ましい体質だったらしい。

 

「時に、七原君の肉体もまた官能的な魅力があると思うんだ」

 

 そんな事を考えていると、一通り露草さんを褒め終えたのか、明日川さんの標的が私に移った。

 

「ちょっとやめてよ、明日川さん。恥ずかしいよ」

「そう照れることはない。それはキミの魅力のひとつなのだからな」

 

 理由になってない気がする。

 

「キミは【幸運】という才能()の持ち主だが、その肩書きに恥じることなく見事なプロポーションを得ているじゃないか。露草君にこそ大きさは敵わないものの、彼女の次に豊かなバストを持っているのはキミだ」

「そんなこと……」

 

 と、否定しようとして周りを見たけど、確かにそうみたいだった。特別大きいわけじゃ無いはずなんだけどな。

 

「……今私の方見る必要あった?」

 

 しまった。大天さんを刺激してしまった。

 

「事実だろう? それに、キミの乳房の魅力は大きさだけじゃない」

「ま、まだなにかあるの?」

「惚れ惚れとするほどに美しく丸く育った、お椀のようなその形も実に素晴らしいとボクは思う。芸術性すら感じるじゃないか。自分でもそう思うんじゃないのかい?」

「お、思うわけないでしょ!」

「……ホント、七原さんって【()()】だよね」

 

 大天さんにジト目で(胸を)睨まれながら、そうつぶやかれる。大天さんの言う通り私は幸運だし自分でもそう思ってるけど、別にそういう意味じゃないのに……。私の胸って、そんなに良いのかな。

 

「アンタ、さっきから胸ばっかりじゃない? 露草も胸しか褒めてなかったじゃない」

「胸以外を褒めろと言うのであれば、そうさせてもらおうか。七原君の魅力は……例えば、この首筋の吸い付くような肌にもある。こうして湯で濡れれば更に魅力が増すのも分かるだろう」

「東雲さん、なんで余計なこと言うの!?」

「いやだって、こう返してくるとは思わないじゃない」

 

 それはそうだけど。

 

「うう……!」

 

 このままだと明日川さんに褒め殺されてしまう。周りに助けを求めようと見渡したけど、露草さんはのぼせたみたいに呆けているし、他の皆も呆れていたり苦笑いでそっぽを向いたりしていた。

 こ、こうなったら……!

 

「明日川さんもさ、結構えっちな体してると思うんだ!」

「……ん?」

 

 こっちも褒め返そう。それで明日川さんを照れさせるんだ。

 

「ずっと皆のこと褒めてたけど、明日川さんの胸だってハリがあっていい感じじゃない?」

「七原君、照れたからといって適当なこと(台詞)を言うのはよろしくないな」

「適当じゃないって」

 

 見抜かれてる気がするけど、構わず続ける。

 

「さっき散々皆のこと褒めてたけどさ、明日川さんも自分の体のやらしさを自覚したほうがいいんじゃないかな」

「七原君、そういうキミ自身が照れているようだけれど」

「うっ」

 

 ……わざと『えっち』とか『やらしさ』なんて言葉使ったけど、これ、すごい恥ずかしい。明日川さん、よくずっと真剣な顔で喋れたなあ。

 

「でもさ、棗ちゃんの体も魅力的なのは間違いないと思うよ!」

 

 どうしたものかと思っていたら、露草さんが援護してくれた。いつの間にか復活したらしい。

 

「棗ちゃんだって結構お胸が育ってるみたいだしさ」

「ふっ、これでも客観視は出来ているつもりだ。確かにボクの胸部は平均程度には発達しているけれど、露草君や七原君には及ばないし、美しさも岩国君達に劣っていると言えるだろう」

「……いや、それはお前の主観だろ。お前の乳を見て周囲の人間がどう思うかはお前が判断できることじゃない」

 

 驚いたことに、岩国さんも参戦してきた。さっき恥ずかしい目にあったのがよほど嫌だったのかもしれない。

 

「では岩国君、もっと具体的にボクの体を褒めてみてくれないか?」

「……だそうだ、腹話術師」

「今指名されたの琴刃ちゃんだよ」

「…………」

 

 かと思ったら、すぐに黙っちゃった。うん、人の体を褒めるって恥ずかしいよね。

 岩国さんは黙ったまま、明日川さんの体を見つめる。

 

「ふむ、こうまじまじと見つめられるというのは稀覯(きこう)経験(エピソード)だね」

「……ん?」

 

 岩国さんが、何かに気づいて眉をひそめる。

 

「どうかしたの、琴刃ちゃん」

「………………ほくろ」

「ほくろ?」

「ほら」

 

 と、岩国さんの指差す先を見ると、確かに明日川さんの胸のところにホクロがあった。

 

「あ、ホントだ」

「棗ちゃん、すごいところにほくろがあるね!」

「……ふむ?」

 

 自分でもそのほくろを見つけた明日川さんが首をひねる。

 

「おかしいな。こんなところにほくろなんて無かったはずだが」

「記憶違いじゃないの?」

「……ちょっと待ちなさい。そんなことは無いはずよ。だって明日川には」

「完全記憶能力がある、だろう」

 

 東雲さんの台詞を、途中で明日川さんが奪い取った。

 

「……みょうですね」

 

 ……確かに。自分の体なんてそれこそ何回も見ているはずなのに、よりにもよって明日川さんが記憶違い?

 

「……増えたんでしょ」

 

 その謎に答えを出したのは大天さんだった。

 

「ほくろなんて勝手に増えてることあるじゃん。そりゃ、一日や二日で変わらないと思うけどさ、二年間も経ってるんだからほくろが増えててもおかしくないでしょ」

「……なるほど」

 

 こんなところでも二年間の空白を感じることになるなんて思わなかった。

 二年間。そう口にしてしまうのは簡単だけど、対してその時間はとても長い。何より、期間以上に私達の青春というその中身が失われてしまったことが、私はとても悲しい。

 ……私達の大切な記憶を奪ったモノクマなんかに、絶対に屈するもんか。

 

「今、ここに来てからのシャワーシーンの記憶を辿って(読み返して)みたが、確かにほくろが確認できたよ。今まで気づかなかったが」

「まあ、自分じゃ気づきにくいところだもんね」

 

 と、そんな事を口にしてふと思い至る。明日川さんに完全記憶能力があるということは、さっきから見られている私達の裸もしっかりと記憶されていると言うことだ。

 ……なんか、恥ずかしいなあ。

 

「それにしても、ほくろか。時として性的なチャームポイントとして挙げられることもあるが、それを岩国君に指摘されるとはね。存外、キミはほくろ主義(フェチ)だったりするのかい? 確かにセクシーな位置についているとは思うが」

「……目についたから口にしただけだ。深い意味はない」

「琴刃ちゃん、それじゃだめだよ! 棗ちゃんを褒めて恥ずかしがらせないといけないんだから!」

「露草さん、全部言っちゃうとそれこそ意味が……」

「あ」

「いや、ボクもはじめから気づいていたから問題はないぞ」

 

 こんな話をしてるのに、明日川さんはずっと通常運転を続けている。

 

「ふむ、では露草君から話を聞いてみようか」

「わかった! んーと、そうだね……。あ、棗ちゃんの肌ってすべすべしてそうで触り心地良さそうだよね。肌も白いし」

「肌が白いのは外に出ないからさ。ボクの場合はね。こう言ってはなんだが不健康の証とも言える」

「……そんな不健康なのに胸だけは人並みに育つんだね」

 

 大天さんがまた胸に対する愚痴を言ってる。よほど恨めしいみたいだ。

 

「おかげさまでね。身長も同じく平均程度に伸びたし、ありがたい事に成長という点では恵まれているようだ」

「……うらやましいですね」

 

 身長、という言葉に城咲さんが反応した。

 

「うらやましがることはないさ、城咲君。岩国君達に合流する前にキミの体の若々しさという魅力も語っただろう?」

「そうですけど」

「ねえ明日川さん。実際、自分でもいい胸してると思ってるんじゃない? さっき、胸に大きさなんか関係ないとか言ってたでしょ」

「それを撤回するつもりはないが、ボクに魅力が無い事もまた客観的な事実ではないか?」

「そうかしら。十分揉みがいはあるサイズなわけだし、七原も言ったとおりハリだって凄そうじゃない」

 

 東雲さんから援護射撃が入る。

 

「はっきり言ってあげるけど、男子がアンタの裸で欲情しないってことは無いと思うわよ。十分エロい体してるし」

「ふむ。キミの目にもそう映るのか。そうなると、ボクの体は他人を不快にさせるものではないと自己評価を少し高めるべきかな」

「何コイツ、無敵なの?」

 

 私もそう思った。

 東雲さんも明日川さんに恥ずかしい思いをさせようと結構過激なワードを使ってたけど、無駄だったみたい。明日川さんが照れる様子も動揺する様子もない。

 

「……これ以上変態に張り合うのは無駄だろ」

「ふむ、それならまたボクから……ちょっと待った(ページを戻せ)岩国君。今ボクの事を『変態』と呼んだ(読んだ)か?」

「文句あるか、変態」

「流石にその呼び名は訂正(校正)してくれないか。ボクにも恥という感情はある」

「断る、変態」

「なっ……!」

「あ、何。アンタ言葉責めが効くの?」

「待て、流石に全員からそう呼ばれるのは流石に堪えきれないぞ。それにだ、別にボクは言葉責めで興奮するわけじゃない。勘弁してくれと言っている(台詞を紡いでいる)だけだ」

「……そうとは限らないよ、棗ちゃん」

「ん?」

 

 反撃の隙を見つけた、と言わんばかりに露草さんが口を挟む。

 

「自分が本当に興奮しないのか、それはやってみないとわからないはずだよ! もしこれまでそういう経験がなくても、もしかしたら新しい扉が開けるかもしれないよ!」

「ま、待つんだ露草君。なぜ興奮するしないが話の主題(メインテーマ)になっているんだ」

 

 顔を真っ赤にして何か覚悟を決めたような様子の露草さんに、明日川さんがうろたえている。

 

「つべこべ言わないでよ、変態ちゃん!」

「ぐぅっ!」

「どう、変態ちゃん。興奮する?」

「しない! 分かっていたことだが、苦しいだけだ! もっと語らせてもらえば、岩国君の台詞よりも心が傷つけられるぞ!」

「え、そうなの? 変態ちゃん」

「ぐ……わかった、これ以上キミ達の肉体から溢れ出す浪漫を褒めるのはよそう。だからもうやめて(その本を閉じて)くれないか」

「えー……」

「なぜ残念がるんだ、露草君」

「…………あれ、よく考えたらそうだね」

「露草さん、おちついてください」

「……うん」

 

 はー、と息を吐きながら、露草さんは顔を冷ますようにパタパタと手で仰ぐ。どうでもいいけど、新しい扉が開きかけてるのって明日川さんの方じゃないんじゃないかな……。

 まあ、それはそれとして。

 

「のぼせてきてるのかも。そろそろ上がらない?」

「そうですね」

「えー! もっと琴刃ちゃんと話したいよ!」

「……本格的にのぼせるぞ。俺ももう上がる」

 

 ザバッという音を立てて、岩国さんが立ち上がった。

 

「でも……!」

「腹話術師。約束は忘れるなよ」

 

 慌てて立ち上がって引き止めようとする露草さんに、岩国さんがそう声を掛ける。

 

「あっ……」

 

 寂しそうな声を漏らす。

 二人の間には、例の約束がある。お話が好きな露草さんが寂しがるのも仕方ないけど、このまま見て見ぬふりはしたくない。約束を提案したのは露草さんだけど、おかげでこうして皆でお風呂に入れたわけだし。

 どうしたら良いかな、とかける言葉を悩んでいたら。

 

「…………そんな顔をするな」

「えっ?」

 

 岩国さんが、そう言葉を続けた。

 

「お前から話しかけられるのは鬱陶しいから金輪際勘弁させてもらう。……が、まあ、暇な時は適当に話しかけてやる」

「……琴刃ちゃん!」

 

 ぱあっという擬音すら聞こえてきそうなくらいに、露草さんは笑顔を咲かせる。

 

「暇な時だけだからな」

「それでもいいよ! 待ってるからね琴刃ちゃん!」

 

 にこやかに、そしてとても嬉しそうに、露草さんが声を飛ばす。

 これまでの岩国さんだったら、きっとこんな事は言わなかった気がする。『暇な時だけ』だなんて条件がついているけれど、これは岩国さんが心を開いてくれた証なんじゃないかな。たとえそれが、ほんの少しだけだとしても。

 それはきっと、露草さんの『今を一緒に楽しみたい』という熱意を感じ取ったからじゃないかなと思う。まさか、終盤のやり取りでそんな事を思ったわけじゃないだろうし、ね。

 

「では、あがりましょうか」

「そうだね」

 

 岩国さん達に続くように、私達も立ち上がった。

 女三人寄れば姦しいだなんて言うけれど、終わってみれば私達の会話は相当盛り上がった。なんか、途中からずっとバカバカしい話をしていた気がするけど、殺伐としているよりはずっといいと思う。こんな下らない話ができるのだから、きっと私達はまだ大丈夫のはずだ。

 

 ふと、高い壁の向こうに想いを馳せる。

 平並君の方は大丈夫かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《浴場(男子)》

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 大浴場の湯船で、重い沈黙が重なる。その主は俺と杉野、そしてサウナから戻ってきて湯船の奥の方に腰をおろした根岸の三人だ。この光景を誰かが見れば、きっと険悪なムードを感じ取ってしまうかもしれない。

 けれども、ここに漂っているムードはそんな物騒なものではない。というか、俺や根岸にそんな事を気にしている余裕は無い。周りに気を配える余裕があるのは、腹立たしいが杉野だけだ。

 そんな、一人だけ涼しい顔をしているその杉野が口を開く。

 

「お二方とも、初心(うぶ)すぎませんか?」

「う、うるさいな……」

 

 根岸がそう返答し、俺も頷く。俺達の顔は茹でダコの様に真っ赤になっていた。

 その理由はのぼせたからじゃない。のぼせたのならすぐに上がる。

 だったらどうして俺達はこんな事になっているのか、と言えば。

 

「あ、あんな話聞いて平静でいられる訳ないだろ……!」

 

 と、バッと根岸が指差す。その瞬間。

 

『おい、変態。こっちを見るな』

『別にキミの一糸まとわぬ艶姿を見ては……その前に、変態と呼ぶのは勘弁してくれと言っているだろう!』

『だったらそんな描写を口にするな!』

 

 壁の向こうから、岩国と明日川の声が飛んできた。

 

 ……女子風呂の湯船の会話が、こちらに筒抜けだったのだ。流石に会話のすべてが聞こえてきたわけではないのだが、おそらくは湯船でかわされたであろう会話はおおよそ聞き取れた。壁際で近かったし、大声なら特に。

 いや、その、ただの会話なら別に構わないのだ。それなら盗み聞きすることの罪悪感だけで済む。しかし、聴こえてきた会話……特に後半はそうではなく。

 

 

――《「見給え、このサラシから開放された2つの膨らみを! この果実を隠して男装をしていた事それ自体にも心が(たかぶ)るが、やはりこの双丘を見逃す訳にはいかないだろう!」》

 

 

 なんというか、健全な男子高校生にとって実に魅力的……あ、いや、気にせざるを得ない内容だったのだ。主に明日川のせいで。

 

「確かに少々過激な内容だったようですが。別に実際にのぞき見たわけでも無いのですから、そう興奮すること無いじゃありませんか」

「こ、興奮なんてしてない……へ、変なことを言うなよ……!」

「そうだ、杉野。別に見えてなくてもあんな話を聞いたらこっちまで恥ずかしくなって当然だろ」

 

 というか、見えていないからこそ余計に、こう、想像力が掻き立てられてよろしくない妄そ、いや、想像をしてしまう。岩国が男装してるくせにそこそこ胸があるとか、七原の胸が非常に綺麗な形をしているとか、そんな情報だけ聞かされた俺の脳内は……いや、これ以上は何も言うまい。何が珊瑚色なのかも俺にはさっぱり分からないということにしておく。……風呂を出てから、七原達とまともに顔を合わせられるだろうか。

 

 そんな俺の言葉を聞いて、根岸がそうだそうだとうなずきかける。が、俺の顔を見てやめる。一瞬忘れかけた俺に対する不信を思い出したのだろう。

 その様子を見て杉野が口を開く。

 

「……お二方とも、仲直りされてはどうですか? 先程色々とお話されてましたが……正直今の様子を見てると、あなた方は仲良くできると思いますが」

「う、うるさい……!」

「…………」

 

 ……ここで、杉野の言葉に便乗して根岸に話しかけてみようかとも思った。しかし、他でもない【魔女】の言葉だ。軽率に便乗はしたくない。【魔女】が何を考えてるかなんてわからないのだから。

 

「……す、杉野……ぎゃ、逆に聞くけど、な、なんでお前は平気なんだよ……」

 

 結局、根岸に話しかけるのをためらっている内に根岸が杉野に尋ねた。

 

「なぜ平気かと聞かれましても……そうですね。一々女性の魅力に翻弄されては仕事にならないというのが理由になるでしょうか」

「は…………? …………い、いや、そ、そっちじゃない!」

「ああ、違いましたか。すみません」

 

 杉野があの猥だ――過激な会話に大した反応を見せなかった理由を語ったが、根岸が知りたかったのは違う理由だ。というか、そっちにしても理由になってない気がするが。まあ、【魔女】なんかがあんな事を気にするようなまともな神経を持っているはずもない。

 

「……皆を裏切った俺と普通に接する理由だろ」

「…………」

 

 根岸が無言のままうなずく。

 

「……それなら、大した理由じゃありませんよ」

 

 人の良さそうな笑みが浮かぶ。

 

「僕は彼を信じているだけですよ。殺意を抱いたことを悔み、仲間の死を悲しむ彼の事をね」

「…………」

 

 爽やかな声で思ってもいないことを言ってのける杉野と、何か思うところのありそうな根岸。俺は、その杉野の嘘を暴くことも出来ず、ただ彼らを見つめるだけだった。

 

「さて、それでは僕達もあがりましょうか。このままだと本当にのぼせてしまいます」

「……だな」

 

 杉野がその声を会話を切り上げて立ち上がる。それに俺と根岸も追従した。

 

「……あ、あれ? ひ、火ノ宮とスコットは……?」

「ふむ……二人共サウナでしょうかね。呼んできましょう」

 

 連れ立ってサウナへと向かう。その木製の扉についた鍵穴には、水滴が溜まっていた。サウナに鍵なんて妙だな。

 ギィと音を立てながら杉野が扉を引いた。

 

「お二方、もう上がりましょう」

「……あァ」

「……わかった」

 

 と、汗だくになった二人の静かな返事。しかし、彼らが動く気配はなかった。

 

「どうしました?」

「いや別になんでもねェ。ほら、出やがれスコット」

「オマエこそ先に出たらどうだ。オレより先に入ってただろ」

「も、もしかして、ず、ずっと張り合ってたから出てこなかったのか……?」

 

 呆れるように、根岸が驚いた声を上げた。

 

「……オレの前にいたヒノミヤより先に出るわけにはいかないだろ」

「サウナで張り合うのは健康上やめたほうが懸命だと思いますよ」

「……分かってっけどよォ」

「スコットが負けず嫌いなのは知ってたが、まさか火ノ宮までとはな」

「……そりゃァ、オレだって人並みには負けんのは嫌に決まってんだろォが……まァ、今のは意地張ってたら引くに引けなくなっただけだけどよォ」

 

 ハァ、とため息をついて、ようやく火ノ宮が腰を上げた。

 

「けど、いい加減上がるわ。これ以上は体に悪ィ」

「……も、もうだいぶ無理してる気がするけど」

 

 心なしか、根岸の火ノ宮に対する当たりも弱くなってる気がする。もしかしたら、さっきサウナで二人きりになった時にうまく話せたのかもしれない。

 

「……ああ、やっと出れる」

 

 満身創痍の様子のスコットもサウナから出てきた。疲れを癒やすための風呂でこんなに体力を使ったら本末転倒だ。とはいえ、本人の様子を見れば満足げだから、彼にとってはそれで良かったのかもしれない。

 

 ザバーっと、火ノ宮とスコットの冷水を浴びる音が浴場に響く。その音を背中に受けながら、俺達は脱衣所に向かう。

 今朝まで俺達の間にあった不穏な空気は、もはやここにはない。絶対的な信頼が無くとも、お互いが共に絶望と恐怖に立ち向かうべき仲間であることを知っている。

 

 だから、俺達は同じ方向を向ける。

 

 

 

 

 

 これでも【魔女】は、殺人を引き起こせると思っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

 風呂から上がった俺達は、しばし休んでからそのまま皆で夕飯をとる事になった。大浴場を出てそそくさと個室に戻ってしまった岩国以外は、全員が食事スペースに集まっていた。調理場では城咲が手際よく夕飯を作っている。

 懸念材料の一人だった大天も、少しバツが悪そうではあるが七原とぽつぽつと雑談している。……そんな光景を見ているうちに、あの夜彼女が顕にした殺意を思い出す。

 

 

――《「【言霊遣いの魔女】をこの手で殺す! それが私の人生なの!」》

 

 

 首筋に手を当てる。大天が抱いていた殺意は、他でもない【魔女】に向けたものだった。彼女は、【魔女】を殺すためならどんな選択肢も取ることができる。あの夜は、その殺意がたまたま俺に向いただけだ。その殺意を消すすべは、俺にはわからない。

 大天の殺意を溶かすことが出来るとすれば、それはきっと七原にしか出来ないはずだ。度々大天と行動を共にする七原の存在が、彼女の人生を築く一つにはならないだろうか。

 

「…………」

 

 火ノ宮も、神妙な顔で彼女達を見つめていた。大浴場で積極的に俺達と話しかけていた彼は、大天に対してもなにか話したいことがあるのかもしれない。それでも話しかけようとしないのは、まだ彼女の殺意を飲み込めないからなのか。

 ともかく、今この状況で大天のために俺ができる事は、一つだけだ。

 

「どうしました? 平並君」

「……別に」

 

 俺の視線に気づいたのか、杉野がそんな声をだす。

 ……大天が憎む【魔女】が俺達の中に潜んでいる事。そして、その正体が他でもない杉野である事。この事実を、決して彼女に知られてはならない。彼女の殺意を、押し留めておくためには。

 

「琥珀ちゃん。お風呂はどうだった?」

『どうも何も、オレはただビニール袋に入ってただけだぜ』

 

 食事スペースに響く露草達の声。

 

「ビニール袋ごしにでもさ、なんか感想とかあるんじゃない」

『感想って言われてもよ……あ、けど、そういやオレ風呂に入ったのは初めてだな』

「そうだよね。翡翠と一緒に入るわけにも行かないし」

『いや、人形が風呂に入ること自体がおかしいんだけどな。洗濯されたことはあるけどよ』

 

 再び黒峰を装着した露草がまた漫才を繰り広げている。

 

「章ちゃんのおかげだね。ありがとね、章ちゃん!」

『オレからも礼を言うぜ。わざわざありがとな』

 

 そんな中、彼女は向かいに座る根岸に声をかけた。それなのに彼は、

 

「……あ、べ、別に……」

 

 と、いつも以上にどもりながら小さく答えた。

 

「ん? 章ちゃんどうしたの?」

「な、なんでもない……」

 

 そう答えながら、根岸は横を向く。

 

「嘘! なんか変だよ?」

『章、大丈夫か? 湯上がりで風邪でも引いたんじゃ……』

「い、いや! ほ、ほんとにそういうんじゃないから!」

 

 顔を真っ赤にして、否定する根岸。その最中、彼の視線はちらちらと露草を捉えていた。……厳密に言えば、彼女の顔ではなく、その少し下を。

 

「ならいいけど……」

 

 疑問符を浮かべたままの露草だが、俺と、そして恐らく杉野には根岸の様子が妙だった理由がわかる。

 

 

――《「服の上からでも(表紙だけを見ても)キミの胸部の発達は読み取れたが、こうして実際に中身(本文)を見ると、なかなか(ロマン)を感じるじゃないか」》

 

 

 大浴場で、明日川は露草の胸を……特にその大きさを忌憚なく褒めていた。アレを聞いてまともに接することが出来る男子はそう居ないと思う。今更そんな反応するって事は、今日初めて意識したんだと思うが。

 

「ふむ。経緯(あらすじ)は分からないけれど、何やら面白いことになっている気がするな」

 

 根岸達の様子を見て、明日川がそんな事を呟く。まあ確かに、今になって露草相手に根岸が照れるのは妙に見えるだろう。

 

「後で根岸君に話を伺ってみるとしよう」

「……ほっといてやれ」

 

 なんて事を話しながら時間を潰していると。

 

「皆様、おまたせしました」

 

 城咲が夕食の完成を告げた。

 

「待ってたわよ、城咲。メニューは?」

「本日はきゃべつと魚介のぺぺろんちーのにいたしました。ご飯をご用意するのにはじかんがかかりますから」

 

 そう答えながら、城咲は食事スペースに散らばった俺達にテキパキと料理を配膳する。この短時間で十数人の料理を作ってしまうのは、さすが【超高校級のメイド】と言ったところか。

 各人の好みに合わせて調整されたその料理がテーブルに並ぶ。

 

「では、いただきましょうか」

 

 杉野の号令で皆が食器を手に取る。口々にいただきますと唱えて、美味しそうに盛られたペペロンチーノを口に運んでいく。その見た目と香りに、そして期待に違わず、それはまさに美味と言えた。唐辛子の小さな刺激が舌を刺し、更に食欲を加速させる。

 

 そんな折、ガタッと誰かが椅子を鳴らして立ち上がる音が聞こえた。

 

「大天さん? どうしたの?」

「タバスコ持ってくるだけだよ」

 

 そう七原に答えて中央にやってくる大天に、城咲がタバスコを手にとって渡す。

 

「……ありがと、城咲さん」

「いえ、お気になさらず。それより、大天さんのものは辛めにあじつけしておいたんですけど、足りませんでしたでしょうか……?」

「……うん」

「そうですか……もうしわけありません」

「……別に謝ることじゃないでしょ」

 

 大天は気まずそうに言葉を返して、元の席へ戻っていった。そしてタバスコをパスタにかける。かける。かける。

 

「……え、いや、かけ過ぎじゃないか!?」

 

 シャカシャカという軽快な音に合わせて、大天のパスタがみるみる赤く染まっていく。その光景に俺が驚く間も大天の手は止まらない。

 

「ほっとけ、平並。アイツはアレで良いんだとよ」

「え?」

「いつだったか……てめーが軟禁されてた時の夕飯でパスタが出たときがあったんだ。そん時も今みてェにタバスコかけまくって平気な顔して食ってたんだよ」

 

 ……そうなのか。

 

「……別に私がどう食べようと私の勝手でしょ。パスタは辛いほうが好きなんだよ」

「いや、まあ、それはそうなんだが」

 

 タバスコをかけ終えた大天に刺々しく文句を言われる。大天が辛いもの好きとは知らなかったが、それにしたってかけ過ぎな気もする。しかし、他人の食事にケチをつけたいわけじゃないし、それ以上は何も言わない。

 今はとにかく、この城咲の料理を堪能しよう。そう思って、料理に向き直ったその時。

 

「…………」

 

 ザッと土を踏み鳴らして、岩国が食事スペースに入ってきた。

 

「……どうされたんですか?」

 

 怪訝な表情で尋ねた杉野の声を無視して、彼女は城咲のそばまで歩み寄る。

 

「あの……?」

「…………」

 

 一瞬岩国はためらいを見せてから、口を開いた。

 

「俺の分はあるか」

「え?」

「…………無いなら良い」

 

 疑問符を浮かべる城咲の様子を見て、踵を返す岩国。その足を、彼女の言葉の意味を察した城咲の声が止めた。

 

「あ、あります、あります! もちろん岩国さんの夕飯も作っております!」

「……そうか」

「今用意してまいります。少々お待ちください」

「ああ」

 

 その返事を聞いた城咲は調理場へ向かう。彼女のために、念を入れておいたのだろうか。

 

「どういう風の吹き回しですか? 今朝はあれほど城咲さんの料理を拒否していたではありませんか」

「……別に。どうせ作られているんだから、食べてやらないと食材が勿体無いと思っただけだ」

 

 そう彼女は告げるが、それだけが理由なら今朝の時点で城咲の料理に手を付けていたはずだ。あの大浴場での会話が彼女の心情に変化をもたらしたのならば、懸命に彼女と会話しようとした露草のおかげかもしれない。

 

「もう、素直じゃないなあ、琴刃ちゃ……あっ」

 

 そんな露草が話しかけようとして、途中で言葉を止める。例の約束を思い出したらしい。

 

「……はあ。返事しないからな」

「しているぞ、岩国君」

「変態は黙ってろ」

「……まだ言うのか!」

「あァ? 変態だァ?」

「クレーマーには関係ない」

「岩国さん、お持ちしました」

 

 調理場から戻った城咲が、パスタの盛られた皿を岩国に渡す。

 

「岩国さんの味の好みがわかりませんでしたので、味の調整はご自分でやってもらうことになりますが……」

「……ああ、構わない」

 

 城咲に言われた通り、岩国はテーブル上のタバスコを手にとってパスタに数滴振りかけた。フォークでかき混ぜる。

 そして、

 

「メイド、毒味をしろ」

 

 その言葉とともに城咲へと突き返した。

 

「おい、岩国ィ!」

「いいんです、火ノ宮さん!」

 

 その様子を見て激高しかけた火ノ宮を、慌てて城咲が止める。

 

「岩国さんがそれを心配するきもちもわかりますから」

「……チッ」

「ですが、そもそもどくなんて入っておりませんので、安心してください」

 

 城咲はそう告げて、岩国のパスタをためらうこと無く口にした。そのまま咀嚼して飲み込む。

 

「岩国さん、これでいかがですか?」

「…………」

 

 岩国はその問いかけに何も答えず、しばし城咲の様子を伺う。そして、無言のまま誰も居ないテーブルの方へと移動した。城咲の様子を見て、彼女が毒を盛っていないことを理解したのだろう。

 

「……良かったです。さあ、みなさんもおたべになってください」

 

 満足気に笑みを浮かべる城咲に促され、様子を見守っていた俺達も食器を手にとった。

 

 ふと岩国の様子を伺うと、少しためらいがちになりながらも彼女もパスタを口に入れていた。……よかった。

 

「とりあえず、一段落といったところですかね」

 

 杉野が、比較的緩やかになった空気を察知してそんな事をぼやく。

 

「……そうだな」

 

 心の中で顔をしかめつつ、しかしそれを表には出さないようにそう相槌を打った。

 皆の対立が少しずつ穏やかになっているのなら、目下最大の問題はこの【魔女】ということになる。とりあえず常にそばにいることで妙な動きを止めているが、根本的な解決にはならない。なにか、【魔女】を改心……とは言わずとも、犯行を止めさせるようなことができれば良いんだが。しかし、その方法が思いつくわけでもない。

 

 あと数日もすればモノクマは3つ目の【動機】を与えてくるはずだ。そうなれば、【魔女】の存在など関係なく誰かが【卒業】を企んでしまうかもしれない。……いや、きっとそれは間違いないのだ。過去二回の【動機】と俺自身の事を考えれば、それが限りなく不可能に近いことは分かる。

 

 となると、誰かが殺意を抱く事を前提として行動する方が、事件を止めるためには有効かもしれない。例えば、七原が俺を説得したように。例えば、城咲が大天を組み伏せたように。ただ、それが出来なかった時のリスクは果てしなく大きい。事実、蒼神は説得のために個室を出て、遠城に眠らされ殺されたのだから。

 

「…………はあ」

「何溜め息をついているんだい、平並君」

「なんでもない」

 

 考えれば考えるほど、超えるべき壁の高さを実感する。

 それでも、へこたれるわけにはいかない。また、あの平凡な日常を取り戻すために。

 そうやって、皿に目を落として思案していると、

 

「ゲホッ、ゲホッ」

 

 と、誰かがむせる声が耳に届いた。声の主は、タバスコで真っ赤になったパスタを前にする大天だった。

 

「大丈夫!?」

 

 と、言いながら七原が慌ててコップの水を差し出す。

 言わんこっちゃない。あんな、これでもかと言うほどにタバスコをかけたんだ。そんなものを食べれば、いくら辛い物が好きでもむせるに決まってる。

 

「うぅ、ゲホッ」

 

 と、涙目になりながら大天がコップを受け取る。

 

 

 ――ガチャン

 

 

 そして、地面に落とした。

 

「……ん?」

 

 大天の苦しそうな声に、そしてガラスの割れる音に、他の皆も反応して彼女に視線を向ける。

 

「大天さん?」

「ゲホッ、う、……カハッ」

 

 

 咳き込む彼女が、口からタバスコを飛ばす。

 パスタに、皿に、テーブルに飛散する。

 

 いや、まさか、あれは、タバスコなんかではなく――

 

 

 

「ぅぐっ、が、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」

 

 

 

 口から赤い液体を吹き出しながら。

 震える手で胸を掻き毟りながら。

 苦痛に顔を鋭く歪ませながら。

 

 大天が、絶叫と共に地面に倒れ込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かが叫んだ。

 

 

 

「――毒だッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけでロマンイベント(SoundOnly)でした。
それなりに良い思いはしてるのに何のお咎めもないの、一番卑怯な気がしなくもないです。
ちなみに蒼神さんのは『美』&『巨』って感じです。露草さんのと同じくらいのボリュームです。

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